災害医学・抄読会 2003/11/28

子どもたちへのグル−プ・ワークの効果

(森 茂起、現代のエスプリ1996年2月別冊、p.129-37)


 阪神・淡路大震災後に、被災地の小学校において絵を用いたグループ・ワークを行なった。その方法と、活動で接した子どもたちの心の動きについて述べ、この活動について考える。

1.グループ・ワークの実施方法

原則

 A 学校の授業中に行なう。
 B 1回で完結する。
 C すべての児童について行なう。

対象

 実施した地域は被害甚大であり、小学校の周辺には倒壊家屋が多かった。抗区外への避難者が多く、クラス編成は概して少人数であった。また、他地域から避難のために転入していた児童もいた。2月から合計6校で行なったが、いずれの小学校も避難所としての機能を果たしており、多かれ少なかれ教育上の困難を抱えていた。

実施の流れ

  1. 担任より紹介

  2. 全体のオリエンテーション
    自由な遊び時間であること、学校の授業の一環であること、他の時間とは違う特殊な時間であることが子どもに伝わるように留意する。

  3. ファシリテーター紹介
    子ども4,5人班に対し、一人のファシリテーター(ボランティア)がつくようにした。

  4. 導入
    ウィニコットのスクイグル法(相互描きなぐり法)を用いる。

  5. なぐりがき法から自由画へ
    スクイグル法を実施しながら、頃合をみはからって、自由画に移行していく。自由画の主題や書き方は多彩であり、各子どもの個性にしたがって進めるのが原則。

  6. 絵の選択
    終了時間約10分前に、書いた絵をどうしたいか(持って帰りたいのか、先生が持って帰っていいのか)を尋ねる。破壊的な絵を書いた場合はまとまりのいいものだけを持って帰させるのが良い。

  7. しめくくり
    担任の発声で、挨拶をして退出する。雰囲気を平常に戻すことが重要である。

  8. 担任との懇談
    各ファシリテーターが子どもについて報告し、担任との見解とつき合わせることで各児童への理解を深める。

2.絵画表現にみられた子どもの心

 自由画の主題や書き方は多彩であり、各子どもの個性にしたがって進めるのが原則だが、ある程度のタイプに分けられると思われた。1)次々と絵を描いていき、物語が進行する子、2)一枚の絵を時間をかけて仕上げる子、3)描きにくい子、4)遊ぶ子。

 活動の中でみられた絵画表現、心の動きは多彩である。例えば、1.事故、天災という人間を圧倒する破壊、攻撃性を表現する子どもの内界には、怒り、攻撃、あるいは逆に、心的外傷があるのであり、まずその表現を確かに存在する現実として受けとめることが必要と考えた。2.事故に見舞われ墜落するなどの表現は、被災体験である。3.絵の中の火事を雨で消火するという表現は、震災時に火災を消火できなかったのと違って、火事にたいし何事かをなしえたという有能感を体験したのだろう。被災体験が人間の手で扱える水準にまで攻撃性が変化してきたといえるかもしれない。4.破壊的なテーマのない絵では、その子固有の心理的課題を示していると考えられる。

 また、表現の方法として、攻撃的な主題が前半で現れ、後半に次第に別の主題に移っていくことは一般的に良く見られた。絵の形で攻撃性を表現することで、子どもの中にその攻撃性をコントロールしようとする建設的な動きが発生するのである。そのような場合、攻撃的な絵を持ち帰りたいといったこどもは皆無に近かった。攻撃性を自我の力のもとにおき、統合性の高い主題に移ると、後者の絵の方が子どもの自我にとって親和性があり愛着が感じられるのではないかと思われる。

グループ・ワークの効果

 攻撃性を表現した子どもたちは、震災による外傷の影響が分かりやすい形であらわれた例である。さらに、他の主題に展開する所まで表現できた子の場合、その外傷に由来する感情をただ表現できたというのみならず、自らの力で主体的にコントロールする体験を持つことで、外傷体験の痕跡への不安が減少するのであろう。また、自らの中の否定的感情を他者に理解されることで、罪悪感を抱かずにすむであろう。

 逆に、震災後の経験によって萎縮しており、絵の表現がなかなかできない子どもでも、グループの雰囲気の中で少しでも表現できることがその萎縮を緩和するために役立つだろう。

 数少ない絵をじっくり描く子どもたちの主題には、平常時と変わらない花や乗り物や家などが多くあった。このような表現は、その子固有の心理的課題を示していると考えられる。絵の内容に関心を示し、できるだけ理解し支えることで、子どもの内的過程を促進することができる。

 以上のような点から、このグループ・ワークは子どもの内的課題の解決に向けて意味ある効果を生むと考えられる。子どもへの直接の効果と並んで、担任教師との懇談による生徒指導へのスーパーヴィジョン的役割も本活動の大きな部分を占めている。一人一人の子どもを理解するという担任の姿勢がいっそう強まることが期待される。

4.おわりに

 絵の表現内容は、特に震災から間もない時期には震災の影響と思われるものがかなりの数に上っていた。子どもの内界で、災害の外傷、及びその後の不自由な生活から生じる困難と格闘し、それを自我のコントロール下に置こうとする努力がみられ、その過程を絵画グループ・ワークにより促進できると思われた。表現したものが理解されなければ、あらたな外傷体験となる危険性もあり、十分な環境の整備のもとに行なうべきである。


バイオテクノロジーの潜在的危険性―犯罪利用の問題を中心に

(Zilinskas RA・著、杉島正秋・編:バイオテロの包括的研究、朝日大学法制研究所、岐阜、2003、p.8-16)


はじめに

 一般社会で人間が引き起こす感染症の流行は、偶発的なものと意図的なものに分けられる。偶発的流 行の場合、バイオテクノロジーに関連した研究、開発、製造、実験施設、患者から採取された細菌な どの検査を行う臨床検査施設などが感染源となる可能性が大きい。意図的なものとしては、テロリス ト、犯罪者、精神異常者などが、怨恨、欲望、脅迫、政治的利益などの目的で、生物剤を使用して 人々を殺傷する場合が考えられよう。ここでは、両方を検討の対象として、バイオテロ対策の構築に あたって踏まえるべき事項を明確化する。

1.バイオテクノロジーと汚染事故

 1970年代から急速に発展してきたバイオテクノロジーは新しい研究手法の安全性、研究開発の目 的、遺伝子組み換え生物を使った野外実験に対する適切な予防措置と監視、遺伝子組み換え生物が産 出する物質の安全性など、いくつかの側面において懸念が表明されている。

 1974年に国立衛生研究所(NIH)が、「組み換えDNAに関する諮問委員会(RAC)」を設立した。こ の委員会が1976年に公表した「組み換えDNAに関するNIHガイドライン」は、危険性のある研究と、そ うした研究を実施するための物理的、生物学的な条件を規定している。

 NIHガイドラインや、そこから派生した指針は、これまでのおよそ26年間、日本を含め各国で良好 に機能してきた。それらのおかげで、科学者や一般市民は生物災害から保護され、バイオテクノロ ジーの研究・開発も、比較的順調に推進されてきた。

 有力なバイオテクノロジー研究集団は、研究水準が高い少数の大学や研究所に集中している。そし てバイオ関連企業もその周辺に集中している。アメリカではサンフランシスコ湾岸地域、ボストン・ ケンブリッジ地区、ボルチモアからワシントンまでの細長い地区、日本では東京と大阪周辺が顕著な 地域である。

 アメリカでは1980年代はじめに、生物防護研究プログラム(Biological DefenseResearch Profram: BDRP)が策定され、現在では、50の公的・私的研究機関を網羅している。これらの研究機関の一部 は、人口の密集した都心部にあり、研究機関に隣接するコミュニティーからは危険な作業を行ってい るという講義の声があがっている。日本でも国立感染症研究所(NIID)に対するものがある。 これまでのこところバイオテクノロジーの安全性は立証されているが、バイオテクノロジー研究・開 発・生産施設は、多くの被害をもたらしうる病原体が外部へ漏出する危険をはらんでいる。第一に、 危険な病原体が保管されている施設すべてに当てはまることとして、そうした微生物を保管している バイオテクノロジー関連施設から、偶発的に一部が外部へ漏出する危険がある。第二に、事故によっ て、病原微生物が実験室から外部へ漏出する可能性がある。第三に、知らないうちに科学者が研究中 の病原体に感染し、家族、友人、隣人たちとの直接接触やエアゾルによって、研究室の外部へ伝播す る可能性がある。第四に、実験室に勤務する者(内部者)や、外部からの侵入者が、不正な目的に使 うため、保管されている病原体を施設から盗み出す場合が考えられる。

 日米両国政府とも、バイオテクノロジーの発展を積極的に支持している以上、遺伝子組換生物の研 究、開発、応用にまつわるリスクが消滅することは、今後もないであろう。むしろ逆に、強力な技術 を利用するバイオテクノロジー産業の発展、野外実験の必要性の増大、応用分野の数の増加などによ り活動の安全性に対する懸念も大きくなるであろう。さらに、バイオテクノロジー研究と産業を支え るためには、研究、開発、製造ユニットを内蔵した施設を、数多く建設しなければならない。現在、 両国政府は、バイオテクノロジー研究施設やバイオ産業の国際競争力を高めるため様々な措置を実施 しているが、運悪く生物学的な事故が発生した場合の慎重かつ合理的な対策については、初歩的な計 画段階にとどまっていると思われる。

2.バイオテクノロジーの犯罪利用

1)病原体の意図的な使用に関する5つの事案

  1. 微生物による殺人(日本、1938-66年)

     1937年に逮捕された、医師の高橋貞三郎は腸チフス菌を用いて飲食物を汚染する手口により1935年か ら36年にかけて5件の犯行を犯した。一連の犯行により、18名が感染し、4名が死亡した。また1939年 に逮捕された、同じく医師の廣瀬菊子は検査機関から購入した腸チフス菌、パラチフス菌(A型とB 型)によって菓子を汚染し、12名が発症し、1名が死亡した。さらにに、1966年に逮捕された医師の 鈴木充が、1964年から66年まで13回にわたって腸チフス菌や赤痢菌を使用して、合計64名が感染した が死者はでなかった。

     これらの事件から汲み取れる主要な教訓は、飲食物を介して感染する一般的な疾患の病原体を入手す ること、その病原体を培養して、相当数の人々に被害を与えうる量に増やすこと、目標に病原体を摂 取させることなどは、医療従事者にとって容易なことだ、という点である。

  2. ラジニーシ教団(1984年)

     ラジニーシ教団は、インドで設立されたバフワン・シュリー・ラジニーシを教祖とする教団で、 1970年代にはヨーロッパやアメリカで多くの信者を集めた。選挙妨害を目的にリーダーから指示を受 けて、看護師資格を持った信者がネズミチフス菌の菌株を購入した。そして、大量培養した菌液によ り教団メンバーが10箇所以上のレストランのサラダバーを汚染した結果、751名が被害にあい、その うち45名が病院で手当てを受けた。死亡者は出なかった。

  3. オウム真理教(1990年〜95年)

     オウムが悪名をはせたのは、東京の地下鉄に対するサリン事件であるが、この事件の前からボツリヌス毒素や炭疽菌を用いた非道な活動を行っていた。しかし、オウムの生物兵器がその能力を発揮することはなく、いずれも失敗に終わっている。その原因は明らかとなっていないが、ボツリヌス菌を入手できず、炭疽菌にも毒性がなかったこと、スプレー装置のノズルが詰まるなど、散布方法にも問題があったことが考えられている。

     他方、化学兵器については少なくとも10回の攻撃を実行しているが、このうち、東京におけるサリン攻撃が最も深刻であった。この攻撃の結果、5000名以上が治療を受け、12名が死亡したが、その影響を最も受けたのは聖路加国際病院の救急部であった。この病院の施設やサービスは、アメリカの最高水準の病院と肩を並べるものであり、当時、地震や化学災害を想定して被害者への対処方法などを規定した防災計画が存在していた。さらに、救急部は年に2回、地震災害に備えて訓練を実施していたが、化学兵器、生物兵器、核兵器などによる災害を想定した訓練は行われていなかった。筆者が東京サリン事件について目にした論評は、緊急事態に対処した聖路加国際病院の手際について、おおむね肯定的に評価している。

     ただし、次のような問題点も明らかになった。一つには、病院の防災計画では、突発的に多数の被害者が来院した場合の対処方法が明確になっていなかった。二つには、空調設備の能力不足のため、汚染された被害者から気化したサリンで、一部の医療関係者らが二次被害にあった。三つには、着衣を脱がせる場合のプライバシーへの配慮や、シャワーの数が不十分であったため、被害者を完全に除染することができなかった。四つには、さらに多くの被害者が生じた場合、病院の人工呼吸装置が不足したおそれがあった。そして、五つには、東京都下に存在する他の病院の救急部、警察、消防、自衛隊などとの連携については、計画も予め定められた手順も存在しなかった。

  4. テキサス州ダラスにおける感染症の流行(1996年)

     1996年10月29日、聖パウロ医療センターで、ナース・ステーションの休憩室に放置されていた菓子を口にした職員12名全員に、ひどい消化器疾患の症状があらわれ、その原因は赤痢菌であることが判明した。二年後、以前検査室に勤務していた人物が容疑者として特定され、菓子を汚染するために使われた病原体の出所は検査室であることが明らかになった。当時、検査室には、保管されている菌株を保護するための保安システムは存在せず、不審者が入手するのは容易であった。

  5. 炭疽菌郵便事件(2001年9月〜10月)

     2001年9月18日から10月9日にかけて、何者かが、炭疽菌芽胞の入った7通の手紙をメディア関係者や政治家に送付した。結果、20名以上が炭疽に罹患し、そのうちの5名が死亡した。犯人が採用した手法は、大量の死傷者を発生させるには効率の悪いものであったが、封入されていた微粒子の粉末は、比較的高いレベルの感染力を持っていたことが明らかになっている。この事件の犯人にとって、加工した芽胞を使ったエアゾル攻撃は比較的容易に実行可能なものと思われる。

2)過去の事案から学ぶべき教訓

 病原体や毒素は、少量でも致死的効果を発揮し、隠蔽や運搬もたやすいため、あまり訓練を積んでいない者でも攻撃を実行することができる。さらに、生物兵器として利用できる細菌の一部は、入手も容易であり、菌株を培養してペースト状にするのに高度な技術は必要とされない。同じく、食物や飲み物を介して感染する細菌を使って攻撃を実行する際に要求される知識は、それ程高度なものではないのである。

 これまで、主に国家的な生物兵器計画では液状や粉末状になった病原体の「調製物」が製造されていた。液状の調整物は飲食物に直接使用することができるが、手紙による生物爆弾を送りつけた犯人のように、乾燥状態の調整物を用いることもできる。ただし、乾燥と微粉化の工程は技術的に難しく、作業を行う者や施設の近隣にいる者にも危険をおよぼす。 適切に製造された「調整物」は、次の三つの長所を持っている。一つは、病原体の毒力を長期間(数ヶ月)保つことができる点、二つは、液状の調整物はスプレー装置のノズルを詰まらせない点、三つは、乾燥微粒状の調整物は静電気で引き合って大きな固まりになり地面に落下することがない点である。

 さらに、今後、犯罪者たちが、入手した病原体や毒素をどのように使うのか、可能性がある5つのシナリオを以下に示す。一つは、犯罪者たちが感染の媒介物(経口投与される医薬品のように生命体ではない物質)を汚染する場合である。二つは、食物や飲料が意図的に汚染される場合である。特に、産業界全体に対する攻撃には警戒が必要である。三つは、犯罪者たちが、社会不安、破壊、混乱などを引き起こすため、病原体を目標に向けて使用する場合である。手紙爆弾のケースがこれに当てはまるであろう。四つは、空港、鉄道の駅、地下鉄などのように、人々が密集しており、エアゾル攻撃に脆弱な場所が狙われる場合である。五つは、犯罪者たちが、ヒトからヒトへ伝播する病原体を選択して、目標に流行を発生させる場合である。これは困難なものではなく、最も簡単な実行方法として生物兵器版の人間爆弾が挙げられる。すなわち、病原体に感染させた者を、潜伏期間中に目標の人々の中へと送り込むのである。こうした病原体による感染症の集団発生について、その感染源を特定するのは極めて困難であり、また、自然的な原因によるものだとされる可能性もある。

3.結論

 アメリカでは、毎年多くの食中毒が発生しているため、犯罪グループや個人が病原体を使用して病気を流行させても、その真の原因が突き止められないおそれがある。ただし、実行者が犯意を明示した場合、病気の流行が変わった特徴を示している場合、あるいは、意図的に病気を蔓延させたことが外観から明らかな方法で散布された場合などについては、この限りではない。

 いずれにしても、実行者の種類や目的の如何を問わず、準備や対策は似通ったものになると結論付けることができる。これは、感染症の流行によって発生した緊急事態への対応方法がおおむね同じためである。具体的に述べると、最初に救急医療従事者は診断がつくまでに経験則に従って患者の手当てを行い、病因が判明した後は、より特異的な治療を施す。また、公衆衛生の専門家らは、感染症の流行が拡大の兆しを見せている場合、病原体を特定し、ヒト―ヒト感染する生物剤の場合には検疫を含む公衆衛生上の措置を講じて蔓延を防止する。また、被害者とその周囲の人々を保護し、通常の状態へ復帰できるように支援することも重要である。

 以上の考察から、自然的流行と人為的流行のいずれにも備えられるような計画を立案することが賢明と言える。つまり、より大きな脅威である自然的な感染症の流行に対する計画や措置を実行に移しながら、そうした計画や措置を通じて、偶発的または意図的な病原体の放出にも対応できるようにしておくべきである。これは、地域レベルで公衆衛生に関する能力を向上させることを意味している。それによって、生物兵器を使った犯罪行為に対する地域レベルでの取り組みも前進するであろう。


災害現場での実際のトリアージ活動

(鵜飼 卓・著、有賀 徹・編:平成13年度 厚生科学研究費補助金総括研究報告書 災害時の適切な Triage実施に関する研究 69-77, 2001)


 災害現場で実際のトリアージがどのように行われているか、またトリアージに付随する問題点はないかを調査する目的で、大阪池田市で発生した大阪教育大学附属池田小学校多数刺傷者事件の調査と検証を行った。具体的には、事件知覚後の池田消防本部の対応、特に、他市消防本部への応援要請、現場指揮本部の対応が適切に行われたか。事件現場では、現場トリアージや搬送先医療機関の選別が適切に行われたか、また死者8名の中にprevebtable deathがいなかったかを調査した。

〈事件の概要〉

 平成13年6月8日午前10時10分頃、池田小学校に刃物を持った者がテラス側より先生が教室を離れていた2年南組の教室に侵入し、児童を次々と刺傷した。その後、犯人は隣の西組、南組にも侵入し、最終的に児童・先生ら23名を刺傷し、死者8名・重傷者8名・軽症者7名を出す大惨事となった。

〈調査方法〉

  1. 池田消防本部の管制司令室の動き
  2. 事件現場での各救急隊の救急医療活動
  3. 現地消防指揮本部
  4. 現場トリアージの状況
  5. 負傷者の搬送先医療機関・診断名及び転帰
  6. 各市消防本部の集団災害マニュアル及び集団災害計画
について本事件で患者の搬送に関わった4市消防本部に聞き取り調査を行った。

〈考察〉

1)管制司令室の動き及び応援要請

 所轄消防本部は隣接市消防本部に早期に応援要請を行い緊急対応を容易にした。これは、所轄消防署の保有救急車数が3台であるため、日常の救急搬送に際しても日頃より隣接消防本部に対し応援要請を行っていたことにより、集団災害事例に対しても、日常業務の一環として救急車の現場集結が可能となったためと考えられる。

2)救急隊員の現場対応・現場指揮本部

 災害現場の管理が重要な任務である先着救急隊隊長の役割が不十分であったため、現場指揮本部の機能も十分には果たせなかった。

 今回の対応で、所轄消防の先着救急隊が第1報のあったコンビニエンスストアに現着したため、第2報により駆けつけた小学校への先着が応援要請を受けた他市の消防署であった。このことも原因と思われるが、先着救急隊長は、日頃より教育を受けている先着救急隊長の役割を果たせなかったため、事件現場の全体像を把握するための積極的な学校関係者や警察官との情報交換及び事件聴取も行われなかったし、現場全体を見渡すこともなかった。

 しかし、今回、最も問題点だと考えられたのは、患者集積場の造営や緊急車両の搬入搬出経路の確保などのゾーニングがされなかったことである。患者を一箇所に集めなかったために、系統だったトリアージを行うことができず、また災害現場における搬送者氏名の把握、搬送先医療機関の把握、搬送先医療機関の既受入者数の把握などを行うことができなかった。

 つまり、先着救急隊長が現場の指揮を取れなかったため、後に現着した現場指揮隊に対する情報提供をを行えず、現場指揮本部も混乱したものと思われる。

3)現場トリアージ・病院選択

 負傷者を一箇所に集める集積場を設営しなかったため、系統だったトリアージは実施されず、またトリアージ・タッグも使用されなかった。それにより、同じCPA患者を代わる代わる何組もの救急隊員が観察を行ったり、重症負傷者を観察することが遅れ3次医療機関への搬送が遅れた症例なども発生した。トリアージ・タッグが使用されていれば、既観察者の負傷者は容易に見分けることができ、このようなことは起こらなかったと考える。

 搬送全体を指揮した指揮者はおらず、各救急隊がそれぞれ独自に医療機関の選択を行ったのにも関わらず、結果的に正しい搬送順序と医療機関の選択が行われた。だが、これは今回の救急活動が集団災害活動ではなく、日常の救急医療対応がなされたためであって、重症負傷者がさらに多く発生しておれば、搬送先医療機関を把握していなかった現場救急隊は搬送先医療機関の選択が困難になったと思われる。

4)避けられた死亡症例(preventable death)はあったか

 今回犠牲となった8名の死亡は、実質臓器や大血管の刺創による出血性ショック、または肺や気管、気管支損傷による急性呼吸器不全であった。8名のうち7名は事件現場で既にCPA状態であった。また、災害現場から最初に搬送されたにも関わらず搬送中に心停止となった1名も、右腎及び肝刺創による失血死であり救命の可能性はなかった。つまり、今回の死亡者の中にpreventable deathはなかったと考えられる。

5)各市消防本部の集団災害マニュアル及び集団災害対応計画

 今回、患者を搬送した市消防本部の集団災害マニュアル及び対応計画には不備が認められた。多くの各市消防本部は、集団災害マニュアル及び集団災害対応計画を作成していたが、具体的にどのような情報を誰がどのような手段で入手するのかや、先着救急隊隊長は、指揮隊の指揮者が現着するまでに具体的に何をどのように行うかのマニュアルが欠けているように思われた。また、各市消防本部が応援要請で他市の消防機関と共同で災害対応を行う場合の、協力内容・情報の共有化・報告すべき情報内容などの具体的な内容も定められてはいなかった。

 池田小多数刺傷者事件を経験した各市消防職員・医療従事者で事件の検討会を行い、災害医療対応の問題点、並びにそこから引き出された教訓を共有した。また、現在、各市消防本部も集団災害マニュアル及び対応計画の見直しを行っている。


大統領 ロサンゼルス市を大規模災害地域に指定

(小川和久:ロスアンゼルス危機管理マニュアル、集英社、東京、1995、p.167-72)


 阪神大震災の直後、自衛隊出動のタイミングについて疑問が噴出した。結果的には鈍重な軍事組織である自衛隊にしては迅速に行動した事が評価される事になったが、そうした議論の存在は日本で災害時における軍事組織の位置付けが不明確だった現実をさらけ出す事になった。

 アメリカの場合、市のレベルで災害に対応できず、市長から要請があって初めて州知事が州兵部隊に出動を命じる。従ってアメリカにおける軍事組織の災害出動はラスト・イン・ファースト・アウト、つまり最後に災害現場に到着し、軍事組織しか出来ない任務を短時間に片付け、次の災害や戦争に備えるため最初に撤収する形だ。

州兵部隊:

 州兵部隊(National Guard)は世界的にもユニークなアメリカ特有の軍事組織で、市民を守る事を使命として54州(プエルトリコなど準州を含む)が備えていて、州レベルの任務に関しては州知事の命令で行動する。アメリカの州兵部隊は総勢56万716人で、ノースリッジ地震ではカリフォルニアの州兵部隊2万6673人のうち2万4529人が出動し、その任務のためにおよそ3億1260万ドルもの連邦予算が使われた。

 今回の調査ではLA郊外サンバーナディノに駐屯する戦車部隊を訪問した。この部隊はノースリッジ地震では500人を派遣していて、実際に手がけた仕事は避難所のテントの設営(60人用を2組)、建物の崩壊に対する警戒任務、10ヶ所の仮設トイレの設置、飲料水を積んだトラックの提供、など。

 ノースリッジ地震の発生から約2時間後、救援活動のためのコマンド・ポスト(指揮所)を開設し、最初の部隊は地震発生から4時間半立った午前9時ごろ現場に到着した。これは地震発生から分単位で行動したロス市警や消防局に比べるとかなり遅い感じがする。しかし副隊長のハレル少佐は「それで正常なのです」と言い切った。

 「確かに私達の大隊も救援活動に提供できる水や燃料などを備えてはいますが、州兵部隊は軍隊であって災害のための組織ではありません。それに警察や消防に比べると組織として鈍重でもあります。ですから災害の救援活動の中で軍隊が最も役に立てる部分、これは人手の提供と言う事ですが、ここに集中的に力を投入して復旧活動が一段落したらさっさと引き上げる事になっているのです。そんな事もあって私達州兵部隊の災害の救援活動のモットーはラスト・イン・ファースト・アウト、つまり最後にやってきて最初に引き上げるのです。一般的に災害における州兵部隊の行動期間は2週間。それが過ぎると次の災害や戦争に備えるためという面もありますが、もともとがボランティアで編成されている組織なのでみんなが本業に戻る意味からも早々に撤収するのです」

 ちなみに、ハレル少佐の本業はカリフォルニア州の検事次長である。

(州兵部隊とは)短時間の間に動員可能な地域社会(州)に根ざした予備軍で、州と連邦の二重の任務を持ち、連邦群最高司令官としての合衆国大統領と州軍最高司令官としての州知事の双方の指揮下にある。
(任務)連邦軍としての任務は戦争や全国的な緊急事態、その他必要な場合に適切な訓練を受け装備を備えた部隊を派遣する。
 州兵としての任務は訓練を受けた兵力として地域あるいは州の緊急事態に備える。
(能力)州兵陸軍及び空軍の兵員は現役の軍人と同じ訓練を受け、同等の錬度達成が求められる。
(歴史)1636年創立のアメリカ最古の部隊で、かつては国民軍と呼ばれ1916年制定の国家防衛法により州兵と改称された。

 


鳥取県西部地震における医療体制

(和藤幸弘ほか、救急医学 26: 183-90, 2002)


<鳥取県西部地震の一般情報と被害の概略>

 発生日時:2000年10月6日(金) 13時30分
 被災地域:鳥取県西部、島根県東部、岡山県北部
 被災人口:約30万人
 震源地:北緯:35.3° 東経:133.4° 鳥取県西部山間部鎌倉山付近
 震源の深さ:約10km
 震源地のマグニチュード:7.3(Richter scale)
 気象庁震度階最大震度:6強
 死者:0名
 負傷者:計178名

<西伯町国民健康保険西伯病院の対応>

 被災時、102名の精神科患者と89名の一般病床患者が入院中であった。地震の3分後から全入院患者を 病院駐車場に一次避難させ、その後、2ヵ所の公共施設を確保して精神科患者87名と一般患者39名を 別々に二次避難させた。重症精神科患者3名と一般患者38名を転院搬送し、軽症の一般患者12名と精 神化患者12名を外泊帰宅とした。約1時間後には地震による外傷患者のために救急外来を再開し、骨 折、ガラスによる切創などの外傷患者13名が受診した。

<日野病院の対応>

 被災時、74名が入院中であった。病院は全館停電となり、入院患者全員が向かいの幼稚園に一次避 難、中学校へ二次避難した。軽症患者26名は帰宅、48名を他の病院へ転院とした。被災後、11月1日 には、移転予定で建設されていた新病院で業務を再開した。新病院開設までは町内9ヵ所の避難所の 巡回診療、仮設外来、夜間救急診療を行った。

<鳥取大学医学部付属病院の対応>

 地震発生時、手術部において7例の手術が行われていたが、停電が発生、さらに非常電源によって無 影灯のみしかバックアップされないという非常事態となった。施行中の手術は可及的速やかに終了、 中止、術式変更などの措置が行われた。地震直後に麻酔科医3名が自主的に負傷者が受診した際のト リアージのため外来玄関前に待機した。10月9日に精神科医1名を西部健康福祉センターに派遣し、 17日まで被災者のメンタルケアを行った。10月19日に神経精神医学教室はPTSDに対応するために助言 や精神科医の派遣を行う「被災者の心のケア:支援ネットワーク」を立ち上げた。

<鳥取県済生会境港病院の対応>

 被災時、224名が入院中で48名を帰宅させ、1名を転院搬送とした。

<鳥取県西部医師会の対応>

 直ちに鳥取県西部医師会館に対策本部が設置され、医療チームの派遣待機体制がとられた。また、そ れぞれの診療所や病院の被災状況が同日中に把握された。

<消防機関の活動>

 被災と同時に「震災非常配備態勢」が発令され、災害対策本部を設置するとともに全職員を非常召集 した。6日13時36分から14時10分までに計9件の救助活動が行われた。救急車による地震の負傷者の搬 送は12名であったが、転院搬送は合計138名であった。

<米子市の対応>

 6日13時40分に市長を本部長とする災害対策本部が設置された。16時には第3配備体制となり、公民館 を避難所として開設した。使用した避難所は25ヵ所で、590人が非難した。

<日野町の対応>

 13時35分、日野町災害対策本部設置。小中学生の校庭への避難に続いて、保護者引率の下に帰宅させ た。13時45分、町消防団による被災状況調査開始。15時40分避難場所指示。19時までに9ヵ所の避難 場所を開設し、642人が避難した。17時には陸上自衛隊米子駐屯地に支援要請を行い、避難所の食料 補給などが行われた。

<被災地域の孤立と被災地域外の救援体制>

1.広域災害・救急医療ネットワーク

 地震当時、被災地はこのシステムの未導入地域であり、被災地域からの情報発信が行われなかった。

2.インターネットによるコミュニケーション

 山陰救急メーリングリスト(SEML)では地震直後(13時43分)に個人的被災状況が配信され、15時43分には米子市内の医療状況が配信された。

3.電話によるコミュニケーション

 災害時に一般加入電話の使用は難しくなるが、携帯電話は災害時に接続の75%を制限することができ、この地震においてもこの制限が適用されたと思われる。

<まとめ>

 今回の鳥取県西部地震では地震の大きさに比べて、人的被害がごく軽微に留まり、災害の転帰としてはきわめて良好であったと考えられる。しかし、医療機関として被害の大きかったにもかかわらず、西伯病院、日野病院、済生会境港病院では翌日から避難所の巡回診療も行われているが、医療チームによる救援は行われていない。避難所の巡回診療や救急患者の診療は、少なくとも被害が発生した病院の機能が通常の機能に復帰するまで、救急医療チームに委ねてもよいと考える。

 鳥取県では最も遅く災害拠点病院の指定が行われた。全国的にも災害拠点病院の整備は不十分であるが、被災地からの情報発信、その他の地域の状況把握などを含めて、災害拠点病院の役割を再認識し、整備を進めなければならない。被災地内外の情報を統合し、現行よりも積極的に救急医療を行うべきであると考える。


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