災害医学・抄読会 2003/11/14

阪神大震災後の精神医療

(植本雅治、現代のエスプリ1996年2月別冊、p.121-8)


<はじめに>

 阪神大震災では、それまであまり関心をもたれることのなかった災害後の精神保健の問題が注目を集 めてきた。新聞、テレビなどのいわゆる「こころのケア」報道に始まり、医学、心理学などの専門学 会でも、次々とシンポジウムや講演のテーマに取り上げられるようになっている。実践面において も、ボランティア活動から行政的なものまで種々の対応がなされつつある。本稿では、震災後の精神 保健と医療について「今まで起こったこと、なされたこと」という視点でまとめてみる。

<保健所、避難所での状況>

 マスコミが震災の恐怖がもたらすところの問題を訴え始めていたころ、現場では予防どころではな く、それまでの医療をどうやって継続させるかだけで精一杯だった。そしてこの時期、活動の中心に なったのは保健所であった。まず自らの診療所を失った精神科医が地区の保健所に相談所を置くこと から始まった。すぐに被害の及ばなかった隣接地域の医療機関から薬も届き、投薬もできるように なったという。このとき活躍したのは神戸市の各保健所に2名ずつ配置されていた精神保健相談員で あった。地理や土地の事情に疎い医療団の医師関係者を避難所や患者宅など往診先に案内する、二次 医療機関を斡旋、紹介することから、医療団の生活面でのバックアップまでを行っていた。もちろ ん、被災者のケアのため、不自由な状況で頑張った医療団の力も大きかった。特に、現地の医療者た ちの疲労が高まりきる前に到着、活動を開始できたということの重要性を特に強調しておくべきだろ う。救援に向かうほうも、受けるほうも全く初めての経験であり、試行錯誤の連続であったが、その 中で学んだことは「安易な事例化を避けること」と「その場限りにならず、関わりの継続をはかるこ と」が活動の基本となるということである。

<病院での活動>

 被災地周辺の病院においては、直後より受診する患者が急増し、筆者の勤務する病院の神経科外来に おいては、震災後はそれ以前に比し、月平均初診者数は1.5倍になっている。災害後の一般的な心理 状態の変化は衝撃期から高揚期、協調期、そして幻滅期に至ると考えられ、実際受診内容を病態別に みると、最初の2週間は急性精神病状態、躁状態での受診が重なり、その後、PTSD(心的外傷後スト レス障害)をはじめとするような不安障害、ついで抑うつ状態が増え始めた。また今回、避難所レベ ルでの対応はともかく、精神病院協会の救急窓口の開設が2月になるなど、入院加療へ結び付けてい く段階で後手後手となったのは、それまで兵庫県に精神科救急体制が確立されていなかったことも大 きく影響しているのではないだろうか。

<極初期から初期に>

 震災後2週間までを震災後精神医療の極初期とすると、その後の2〜3ヶ月までが初期といえるであろ う。この時期、避難先での問題が主となる。心理状態が高揚期、協調期を過ぎ、幻滅期に入るにつ れ、PTSDやうつ状態が増え始める一方、元来の精神病や痴呆、自閉症などが顕在化し、問題行動とし て取り上げられることも多くなる。周りの避難者も、この時期苛立ち易くなっており、避難当初なら 受け入れられていたであろう問題もトラブルの種になり、それがまた症状を悪化させるという悪循環 もみられた。避難生活の環境をどのように整えていくか、特に避難生活が2〜3週間を超え、高揚期が 過ぎてからも続く以上、現実面では難しい問題ではあるが、プライバシーを守れるような配慮を考え ていかねばならない。

<初期から中期へ>

 震災後2〜3ヶ月を過ぎ、社会状況が表面的に安定してきても神経科外来の受診者は増え続けた。これ らの人々は、それまでにもすでに症状を呈していたものの、「環境が落ち着けば良くなるものと耐え てきたがどうしようもなくなった」と訴えることが多い。仮設住宅の生活環境にも問題が多い。その 中でも特に、阪神大震災では老人の一人暮らしや夫婦だけの暮らしの多い地区が被災しており、仮設 住宅にも老人の比率が高くなっているが、これらの老人にとっては孤立の問題は深刻であった。相談 員の不足が問題となり、その増員および教育、研修の機会を整備することが課題になると考えられる が、「心のケアといわれるものがそれだけで成り立つものではなく、身体医療(特に老人において) や社会環境面からの働きかけと深く結びついたものであること」が、この時期強く実感された。保健 所、福祉事務所などの各種行政機関と近接の医療機関との間での緊密な連携を重ねていかねばならな い。

<さいごに>

 以上、震災後の精神医療状況について、極初期、初期、中期と分けて、各期の問題点を挙げてき た。阪神大震災の衝撃も被災地外では薄れつつあり、街も落ち着いたように見える。しかし、被災者 にとっては、いつ解決するとも知れない苦しい状況が続いている。精神医療に携わるものにとって も、直後の混乱は落ち着いたものの、新たな課題が次々と重なりつつある。この時点をして中期とし た次第である。「あのときからは後期に入っていたのだなあ」と振り返る日の1日も早からんことを 祈りつつ。

(1995年11月の神戸にて)


化学災害への対応

(奥村 徹ほか、エマージェンシー・ナーシング 16: 41-9, 2003)


 毒物もしくはほかの化学災害を想起させる情報が入った場合、救急診療部門、病院事務、警備部門で 即座に連絡を取り合い、ゾーニング(危険度ごとに区域わけをして自由な人、物の出入りを防ぐこ と、警備部門が中心となって設定)し、除染設備を設置、同時に院内災害対策本部の立ち上げを開始 する。

 解毒薬の確保を行う。絶対的に必要となるのは、国際化学物質安全プログラム勧告にて示されたA-1 群(30分以内に使用すべきで、有効性が確立しているもの)の解毒薬である。化学災害の原因物質が 事前に判明、もしくは発災初期に判明した場合には、薬剤部は独自に解毒薬の手配をはじめる。

 医療機関のスタッフは除染エリアの外側と内側に分かれ、汚染チーム、非汚染チーム、被災者受け渡 しチームの3つに分ける。そのとき、一人の人間がチームを兼任することを避ける。医療機関スタッ フは適切な防護衣を装着する。非汚染区域では、通常の診療衣で可能であるが、化学災害の場合は厚 手のブチルゴム製の手袋も必要になってくる。

 化学災害がほかの災害対応と最も異なる点は、化学災害の原因となった物質が適切に管理されなけれ ば、被災者はもちろん病院職員、病院設備が汚染され、二次被害が広がる点にある。二次被害防止の ためにゾーニングという概念が重要である。まず、病院周辺を含め、汚染区域と非汚染区域とに分け る。汚染区域は、除染を受けていない被災者を取り扱う区域で、一次トリアージエリアを置く。そこ でバイタルサインが不安定な被災者を赤タッグとし、歩行可能な被災者を緑タッグとし、そのほかの 被災者を黄タッグとし迅速にトリアージを行う。汚染地域には除染エリアも置かれ、被災者の除染も 行われる。そこで重症度順に、被災者の除染を行う。一次除染を受けたものとそうでないものが混同 しないように病院の入り口では警備要員によって分別を徹底する。一次除染(現場除染)を受けてい ない被災者が直接救急外来を受診した場合には、被災者を外来から外に出し、除染設備の立ち上げま で、一次救命処置を優先しながら肉眼的(目で見える汚染物質の除去)、乾的除染(着衣を脱衣させ て、着替えさせる除染)を開始する。その後、一次除染を受けた被災者と初めて合流し、除染後は被 災者手渡しチームによる、二次トリアージを経て、病院内の非汚染区域に移動する。そこでは、化学 物質暴露における二次救命処置を行う。基本的には特異的に治療可能な硫化水素、有機リン系毒物、 メトヘモグロビン生成毒物、シアン化物を順に鑑別していき、それらすべてが疑えない場合は、中毒 専門家の判断を待ち、維持療法に努めるべきである。また、この段階では、血液、吐物、尿などの生 体試料の確保にも努める。これらの分析により、原因物質の同定が可能となる。

 毒物混入事件時には、胃洗浄時に、胃酸と反応して危険なガスを発生させる場合(アジ化ナトリウム 中毒時のアジ化水素、硫化物中毒の硫化水素、砒素中毒時の砒化水素、青酸化合物中毒のシアン化水 素など)があり、呼吸防護具を装着し、閉鎖的に胃洗浄を行う。

 化学災害についてもほかの災害と同様、情報センターを設置する必要があり、情報の管理にあたる専 任チームを結成することが望ましい。そこで逐次、情報交換に努め、ほかの医療機関とも緊密に連絡 を取る。また、マスコミ対策も徹底させる。

 被災者の安否を気にして多くの家族や友人が集まってくるので彼らの待機場所を確保する。また、災 害時カルテに基づいて、被災者の名前と重症度を定期的にリスト化し、彼らの問い合わせに応じる。 原則的に電話での問い合わせには応じない。

 原則的に化学災害の原因物質判明までは、被災者を経過観察する。また、公衆衛生当局である保健所 と連絡を取り合って、疫学的フォローへの対応を行う。

 医療スタッフ、被害者のPTSDに対して、検討会であるデブリーフィングを行う。院内のストレスデブ リーフィングは事故後速やかに行われるべきである。精神衛生上観点のみならず、事件後早期に徹底 的に対応の問題点を洗い出し、迅速な報告書作成のためにもデブリーフィングが重要である。

表.国際化学物質安全プログラム勧告にて示されたA-1群解毒薬

中毒原因物質拮抗薬中毒原因物質拮抗薬
有機リン化合物硫酸アトロピン麻薬塩酸ナロキシン
一酸化炭素酸素メタノールエタノール
βブロッカーグルカゴンインシュリンブドウ糖
βブロッカーイソプロテレノールシアンチオ硫酸ナトリウム
βブロッカープレナルテロールシアン亜硝酸ナトリウム
メトヘモグロビンメチレンブルーヘパリン硫酸プロタミン
中枢性コリン剤フィゾズチグミンフッ化水素グルコン酸カルシウム


表.除染の選択基準


第4編 救急救助活動

(第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書  2002年1月、p.74-83)


救急救助活動の概要

 7月21日午後8時38分−明石市消防本部指令室に、「朝霧駅から大蔵海岸に通じている歩道橋で子供の具 合が悪い。」との通報により第5救急隊がJR朝霧駅北側に到着。

 午後9時04分−別件出動していた第1救急隊がJR朝霧駅北側に到着。

 しかし、午後8時45分ころからすでに歩道橋上で群集のなだれが生じていたにもかかわらず、現地本部 員、警備会社の責任、警察の警備責任者および消防職員らは多数傷病者の発生事故に気付いておらず、 また歩道橋北側の朝霧駅に救急車が派遣されていたとの情報も現地本部には知らされていなかった。

 午後8時40分頃−歩道橋上で喧嘩が起こっているとの110番通報で機動隊が歩道橋南側の階段から歩道橋 上に駆け上がった。同時刻ころ実施運営本部に中年男性が「中がむちゃくちゃで電話しても通じな い。」と怒鳴り込んできたため、現地本部職員や消防職員が歩道橋南側の階段から歩道橋上へ駆け上が ろうとしたが、警察の機動隊員に規制され、上がれなかったため、橋上で何が起こっているのか確認で きなかった。また、現地本部警察警備本部員から現地消防本部員への事故発生の情報伝達も行われず、 現地派遣の消防職員らは歩道橋上で多数の傷病者が発生している事態の事故状況把握が遅れた。

 午後9時07分−事故発生の約20分後、明石市消防本部の第1次大規模災害出動指令(傷病者10人以 上)。消防本部の指令室担当者は、119番通報への対応に追われ、現地消防本部員や救急隊員との無線 交信も電波障害を受け、情報の混乱が生じて救急対応の遅延につながった。

 午後9時17分−第1次大規模要請で出動した消防隊員、救急隊員によって、朝霧歩道橋北側の駅前広場に 現地指揮所、応急救護所が設置され、救出されてきた多数の傷病者へのトリアージ開始。朝霧歩道橋南 側にも簡易的な応急救護所が設置。

 午後9時22分−神戸市消防局への応援要請
 午後9時23分−第2次大規模指令(傷病者20人以上)
 午後9時46分−加古川消防本部への応援要請
 午後9時53分−第3次大規模指令(傷病者30人以上)
 午後10時50分−負傷者最終搬送

 救急隊は指令室との通信がとれなかったため、独自で判断して医療機関との負傷者搬送受入交渉を行っ た。最終的に心肺機能停止患者(CPA)10人、重篤1、重症7、中等症19、軽症47の計84人の傷病者は、 明石市内の7病院(45人)、神戸市内の10病院(37人)、加古川市内の1病院(2人)へ搬送された。総 搬送時間は約2時間要した。

事故当日の救急対応の問題点

  1. 救急対応に関係する機関の事前協議と計画が不十分であった結果、事故発生現場での主催者、 警察、警備会社、消防本部等の初期対応の遅れ、連携不備および指揮命令の一元化がなされず、救急対 応が遅れた。

  2. 現地指揮本部、通信指令室、救急隊、受入医療機関との情報伝達が機能しなかったために、受 入医療機関との連携不備の結果、傷病者の搬送病院選定に混乱が生じた。

医療機関の対応

 CPA6人が続け様に搬送されてきた近隣の病院では、搬送時の医師、看護士の勤務状況等から1医療機関 の対応能力を超えた状況となった。CPA1人と重症者4人を含めた計37人の傷病者が殺到した明石市民病 院においては、当初混乱を来したが、4人の医師と3人の外来担当看護士が院内に居たことと、テレビ報 道によるニュースを聞きつけて自主的に出勤してきた医師、看護士らの応援により何とか対応された。

日常的な明石市の救急医療体制の現状と課題

集団災害発生時の医療対応面での課題

 明石市の集団災害医療対応については、明石市地域防災計画によると、市の医療・救護の実施担当は、 医療部、援護部、消防活動部で 1)医療部である市民病院は、基幹病院としての医療活動体制を確立す る。2)援護部は、患者が多数で、現地医療機関だけでは対応しきれない場合には救護所を設置するなど となっており、また、明石市医師会は13班の救助班編成計画をしており、「一時に多数の傷病者発生の 場合、その発生患者の規模に応じて活動する。」と記載されている。しかし、このような集団災害医療 対応計画は地震災害のような広域の自然災害を想定しての災害医療対応として定められていたことか ら、今回のような地域で開催される屋外イベント時の雑踏事故や列車事故等のような大規模事故による 多数傷病者発生時の救急対応に上記の災害医療対応計画が適応されるということへの認識は救急医療関 係者には乏しかった。今後、地域に限局した大規模事故災害の医療対策については改めて再検討される べき重要な課題である。

傷病者(死亡者を含む)の概要

 本花火大会事故の総傷病者数は、事故当日以降に医療機関を受診した患者を含めると、258人(死亡者 11人含む)であった。死亡者11人の内訳は、0歳から9歳までの子供が9人、71歳と75歳の女性各1人で、 群集なだれにより数人以上の転倒者の下敷きとなり、いわゆる胸部圧迫による外傷性窒息から心停止に なったと推察される。総傷病者258人の性別では、男性72人(28%)、女性(72%)で女性が男性の2.6 倍、年代別では10歳未満と60歳以上が共に34人(13%)ずつで、いわゆる災害弱者といわれる子供と高 齢者が1/4以上をしめた。外傷と疾病別では、外傷が219人、疾病16人、合併21人、その他2人であっ た。外傷はCPA以外では重症は少なく、このような事故では迅速な救出・救助活動が救命の第一である と考えられる。


災害医療チームのヘリコプタ−降下訓練を経験して

(高橋誠一、日本集団災害医学会誌 8: 45-50, 2003)


 災害発生時のヘリコプターの使用は、傷病者や医療救護者や医薬品・医療機器などの搬送手段として考えられているが、現状は医療用ヘリコプターの整備が始まったばかりであり、僻地・離島を対象とした患者搬送が主となっている。

 今回、埼玉県の緊急災害救助隊である「彩の国レスキュー隊」(埼玉県が平成8年より運用を開始した災害緊急援助隊の通称)の第6回合同訓練に参加する機会を得た。訓練形成は一般的な訓練方法とは異なり、より実践的にするためにすべて現場で判断・指揮するという「事前打ち合わせなし」方式で行われた。

 大規模地震での山楽崩壊が発生、付近の集落を押しつぶし、また道路が寸断され、多数の被災者が救出を待ち望んでいるという想定の下、25キロ離れた現場にヘリコプターで向かい、災害現場上空約30メートルからホイストにてリベリング降下を行った。県の要請を受けてから一時間後に災害現場に到着した。

 負傷者の状態を把握し、トリアージを行い、骨盤骨折と肝破裂2名をヘリコプターで搬送することを要請した。ホイストを使って負傷者を吊り上げ収容し、災害本部の救急隊へ引き継いだ。現場到着から約2時間20分後、災害活動終了となった。

 災害時の救急医療は災害現場でのトリアージ、災害現場から医療機関への搬送、医療機関での治療の3点(triage,transportation,treatment:3T)を適切に行うことが重要である。災害現場でのトリアージを行うためには普段から常に重症度や治療の優先順序を考えながら経験を蓄積していなければならない。また、その経験を生かすためにはセミナー・講習会などに参加し、災害医療の特殊性や活動方法を学ぶ必要性がある。

 問題点としては、ヘリコプターの搬送用の機器についてである。ポジションの移動や問診や聴診(騒音のため)が困難であったこと。また高度による血中酸素濃度の低下に必要な酸素ボンベや、医療機器(パルスオキシメーターや心電図)が設置されていなかったこと。情報伝達の際に専門用語が飛び交うことでの混乱が生じたことなどがあげられる。

 しかし、この訓練を通じて防災航空隊と医療従事者とが密な連携を取った結果、お互いに認識を新たにした部分が数多くあった。このように他職種と連携した災害訓練を行うことによって、お互いに理解を深めることが出来たと思われる。普段から「顔の見える関係」を構築することが、災害時の活動に重要である。


初期消火に成功

(小川和久:ロスアンゼルス危機管理マニュアル、集英社、東京、1995、p.134-65)


解説

 地震災害の直後、さまざまな悪条件を克服して火災の被害を限局し、どれほど迅速に家屋倒 壊や生き埋めの現場から人命を救出できるか、被害を受けた建物の危険性を色分けできるかは、災害 の危機管理において永遠のテーマとも言える。ノースリッジ地震(1994年1月17日、午前4時31分発 生、マグニチュード6.8)にあたって、LAは考えられる手段を総動員してこの難問に取り組んだ。そ の結果、阪神大震災で議論が分かれた建物火災に対するヘリコプターによる空中消火にも成功、消防 のあり方について新たな可能性を示した。地上からの消火と人命救助についても、自治体間に張り巡 らされた相互支援システム「ミューチャル・エイド」が威力を発揮した。

ヘリによる空中消火

 阪神大震災(1995年1月17日、午前5時31分発生、マグニチュード7.2)の直 後、日本では建物に対する空中消火の可能性について議論が大きく分かれた。ところが、ノースリッ ジ地震に見舞われたLAでは市消防局(LAFD)がヘリコプターをフル活用して一定の成果を挙げてい た。

 阪神大震災では、日本の消防当局は倒壊家屋の下敷きになった人が水で圧死することを懸念した。さ らに火災現場上空は上昇気流や乱気流でヘリの操縦が難しい点、ヘリのローター(回転翼)が叩き付 ける下向きの風(ダウンウォッシュ)で火が燃え上がる危険性がある点、100平方メートル程度の住 宅でも消火には20トン程度の水が必要で、11機(1,500リットルのバケット使用)から27機(600リッ トルのバケット使用)と多数のヘリが必要な点、などを挙げてヘリ消火は不可能とした。

 しかし、LAFDのメンデンホール氏によると、「水の投下のタイミングは炎が屋根を突き破って外に顔 を出した瞬間で、この状態だと家の中に生存者がいる可能性はゼロである。」といい、また「水を投 下するタイミングは初期火災の段階なので、操縦困難なほどの上昇気流や乱気流はないし、LAのヘリ に装着する消火用タンクはベリー・タンク方式なので、バケットを用いる日本式よりも高度が下げら れるためダウンウォッシュに煽られて火が燃え上がる前に水が叩き消してくれる。また、1.3トンの 水を落とせば屋根は簡単に破れるため冷却効果は抜群で、1軒の住宅火災なら1.3トンの水を4回投下 すれば消し止められる。」とのことであった。

 当然ながら阪神大震災とノースリッジ地震では条件も異なり、同列に論じられない面もある。しか し、このようなLAFDの空中消火の実績は、これからの日本が効果的な災害対処システムを構築してい く上で、大いに参考になるに違いない。

ロサンゼルス市消防局

 LAFDはノースリッジ地震の発生から5時間14分後に主な火災を消し止めた が、その地上からの消火能力は消防車51台、はしご車47台、救急車66台、レスキュー車3台、危険物 処理車2台、化学消防車1台、消防艇5隻などを保有している。

 通常、これらの車両をもとにLAFDは47部隊にのぼるタスクフォース(任務部隊)を編成している。 1組のタスクフォースは消防士10人、はしご車(5人)、消防車(4人)、ポンプ車(1人)各1台で構 成されている。

Mutual Aid:相互支援

 アメリカの危機管理システムを支えているのは、ミューチャル・エイドと いう地方自治体の互助システムである。日本でも自治体間の相互支援協定はあるが、死文化している 場合が多い。その点、アメリカの制度は機能する状態に維持されており完成度は高い。

人命救助

 アメリカでは災害や事故などのとき、消防局(FD)のタスクフォースが捜索と人命救助 を担当することになっている。タスクフォースの数は全米で26部隊あり、アメリカ西部9部隊、中部9 部隊、東部8部隊という内訳になっている。そのうち西部の8部隊は、地震の巣の上に位置するカリ フォルニア州に配置されている。

 各部隊56人で編成されるタスクフォースは、コンクリートの下敷きになった被災者の救出のため、 ファイバースコープや呼吸音を聴き取る聴音器、重いコンクリート片などを持ち上げるためのエア バッグのほか、水や食料など72時間分の自給能力を備えており、海外の災害に対しても命令から6時 間以内に出動できる。ちなみに、阪神大震災ではLAFDのタスクフォースが自ら出動を申し出たが、日 本側に受け入れてもらえなかったという。

ロサンゼルス市建造物安全局

 地震などの災害の後、被害にあった建物の復旧について優先順位を 決める作業は、居住者の利害が絡んだりして難航することが多い。損害の評価によっては、のちのち 連邦緊急事態管理庁(FEMA)から資金援助してもらうときにも、不公平が生じたりする。そんな復旧 に関する基礎作業を手がけているのが建造物安全局(ビルディング・アンド・セーフティー)であ る。主な作業は、市民の要望に応じて建物を点検し、「レッド」「イエロー」「グリーン」の3色の タグを貼り分けていくことである。

 レッド・タグは建物が危険であることを意味し、文字通り立ち入り禁止。イエロー・タグは一定の危険性はあるものの、建造物安全局の職員が一緒なら大切な品物を取りに 戻っても構わないといった、制限付き立ち入り許可建造物。 グリーン・タグは検査済みの建物を意味する。

 地震発生から3ヶ月間に、建造物安全局は10万件以上を点検し、タグを貼ったが、レッド・タグは約 2,000件、イエロー・タグは約1万件だった。しかし、建造物安全局のクァドリ氏によるとイエロー・ タグの基準が曖昧であり、その分FEMAからの資金援助の際に悪用される危険性が大きいことがわか り、新たな基準作りが必要になったとのことである。


JMTDRの立場から

(浅井康文ほか、救急医学 26: 163, 2002)


 JMTDR(Japan Medical Team for Disaster Relife)とはJICA(国際協力事業団)に所属し、日本 政府のカンボジア難民医療チーム活動3年間の教訓をもとに、1982年3月5日に発足したGO(政府機関) の組織である。ボランタリー登録者のグループである。

歴史

JICAの災害援助体制

JICA国際援助隊(JDR)の活動

1)際緊急援助法に基づく国際緊急援助隊の派遣

  1. 医療チーム〔医師、看護師、調整員など〕
    被災者に対する診療および診療補助活動
    疫病の発生や蔓延を防ぐ防疫活動

  2. 専門家チーム
    災害応急対策および災害復旧に関する助言、指導
    関係省庁の職員や民間の技術者を派遣

  3. 救助チーム(警視庁、消防庁、海上保安庁)
    被災者の捜索や救出
    応急措置
    安全な場所への移送

  4. 自衛隊の部隊
    大規模災害や自給自足の援助活動が求められるときの医療活動、輸送活動、給水活動

2)国際協力事業団法に基づく緊急援助物資供与

  1. 備蓄倉庫から必要物資(毛布テントなど)の緊急輸送

  2. 民間援助物資の輸送

*備蓄制度:緊急援助物資を備蓄する倉庫を国内外5ヶ所に設置(成田、ワシントンD.C.、ロンドン、 シンガポール、メキシコ)

災害補償

1, 労働災害補償

国家公務員災害補償法、地方公務員災害補償法、労働者災害補償保険法

2, 特別補償

国公災および地公災の特例補償
特別補償制度

3, 海外旅行保険

 国際緊急援助隊派遣の最近3年間のトピックス

1998年 ホンジュラスのハリケーン災害(自衛隊:医療、防疫活動)
1999年 トルコ西部地震(救援チーム、自衛隊:仮設住宅を輸送
 台湾地震(救援チーム110人派遣)
2000年 モザンビーク洪水(医療チーム)
 インドネシア地震(医療チーム)
2001年 エル・サルバドル大地震
 インド西部地震(自衛隊が備蓄物資テント・毛布を航空輸送)

先進国における国際緊急援助体制・手法

 ノルウェードイツスイス
対象災害自然災害
人為災害
紛争
自然災害
人為災害
紛争
自然災害
人為災害
紛争
どの段階で援助するか緊急
(復旧)
緊急
(復旧)
緊急
(復旧)
援助の方法 政府直接援助
・資金供与
NGO,UN支援
政府直接援助
・THWチーム派遣
・資金供与
NGO,UN支援
政府直接援助
・SDRチーム派遣
・資金供与
NGO,UN支援


地方公務員としてのJMTDRでの活動

 2000年12月に海外派遣の費用や保険を補償する制度が整理され、地方公務員の参加が可能になった。

1)阪神・淡路大震災

 JMTDRは海外での救助活動のための団体であるが、例外的に被災地における医療活動の協力を求められ た。

 活動内容は救急期、救急医療期以降の感染症期の治療。医師3名、看護師5名、調整員2名。5日間の延べ患者数は365人。感冒が53%。

2)エル・サルバドル大地震

 エル・サルバドル政府より要請があり外務省1名、医師3名、看護師6名、薬剤師などの調整員3名、JICA職員5名。9日間で1573名を診察。外傷は少なく、呼吸器、消化器疾患、急性ストレス障害、寄生虫の患者が目立った。

医療チームの今後の課題


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