災害医学・抄読会 2003/09/26

三宅島噴火における医療体制

(辺見 弘、救急医学 26: 175-180, 2002)


はじめに

 三宅島は東京から約200kmの距離にあり、伊豆七島のなかでは大島、八丈島に次いで第3番目の 島で、人口は3,800人である。2000年6月27日に火山性地震が群発し、火山予知連絡会は 火山緊急情報を発した。予知連は6月29日未明に海底噴火を観察し、今回の噴火は収束したと宣言 した。しかし初回の噴火以外は予測外であった。7月から地震、山頂噴火が始まり、8月には大規模 噴火が起きた。9月以降、大量の火山ガスの噴出が続いている状態である。前もって行なわれていた 防災訓練のため各機関の初期対応は迅速であり、三宅島噴火では人的被害は起きず、続発した神津 島、式根島、利島の群発地震に対しても人的被害は最小限に済んだものと思える。

噴火の経過

 2000年6月26日、予知連が震度1の火山性地震を観測し、山腹噴火のおそれがあるとして緊急 火山情報を発した。過去の火山活動とは異なり、7月8日から断続的に噴火が始まった。7月1日と 9日に神津島沖を震源とし、神津島で震度6弱の地震が発生し、三宅島は震度4であった。7月30 日には三宅島で震度6弱の地震が起き、崖崩れ、道路のひび割れ、ブロック塀の崩壊、建物の損壊が あった。8月に噴火の規模が大きくなり、最大規模の噴火は18日に起きた。災害対策本部が再設置 され、都は自衛隊に災害派遣を要請している。予知連は8月31日に、18日や29日の噴火を上回 る最大規模の噴火や火砕流発生のおそれがあると警告している。都は島内に避難用のシェルターを1 8カ所に設置した。噴火は収束したが、一方、大量の火山ガスの噴出が続き、新島・神津島を中心と した地震が持続した。10月6日に予知連は、8月末から始まった二酸化硫黄、硫化水素、塩化水素 などの火山ガス放出は9月中旬までは1万ton/dayであたが、10月は日量2〜7万tonに達した。1 1月に予知連は火山ガス放出量はしだいに増加し、当面は火山ガスに対する警戒が必要と発表。20 01年2月5日、予知連は火山活動の収束に数年〜数十年はかかるとの予測を立てた。

行政の対応

 6月26日17:33、予知連の緊急火山情報に対応し、三宅島村役場は全島民3,845人の6 6%に避難勧告を出した。島外避難に備え、海上自衛隊護衛艦2隻が三宅島沖合に21:00に到 着、海上保安庁は大型巡視船4隻を派遣し、うち23:00には1隻が到着した。各省庁の三宅島噴 火の災害対策計画に基づき、噴火前に全島民の島外避難可能な艦艇が派遣されたことになる。都は災 害対策本部を同27日0:15に設置した。都知事は災害救助法を適用し、自衛隊に災害派遣を要請 し、海上自衛隊に消防庁救護車輌の搬送を、海上保安庁には救援物資搬送を要請し、東京消防庁、警 視庁の職員に派遣命令を出した。予知連の噴火収束したとの判断を受けて、村役場は避難勧告を解除 し、東京都災害対策本部も30日に解散した。しかし8月18日、29日の大規模噴火により、都は 災害対策本部を再設置し、自衛隊に災害派遣を要請した。都知事は9月1日に全島民の避難指示を呼 びかけ、代々木の国立オリンピックセンターに三宅村避難者の受け入れ本部を開設した。

島民の移動

 6月26日の避難勧告で1,790名は島内の救護所に避難し、老人ホーム入居者を含む382人が 島外に自主避難した。8月31日までに在島者は2,365人であった。24日に児童444名の島 外避難が決定されている。特別老人養護施設の71名が28日にヘリおよび定期船で島外に避難し た。 都知事は9月2日に三宅島を視察し、村長に住民の島外避難を指示させた。9月3日〜9日の 間に定期船により避難した島民は、一時的な避難所である代々木のオリンピック記念総合青少年セン ターに収容された。島内に保安要員として残留した職員は、気象庁観測所、海上保安庁、警察、消 防、自衛隊、東京電力、NTT、東海汽船、三宅村役場、郵便局、運送業者などの340名であっ た。船中泊は217名、島内泊は123名であった。9月16日に台風17号が接近し、泥流の被害 を避けるため島から全職員の一時避難命令が下った。ホテルシップは神津島に避難した後に大島に停 泊した。当日、筆者らは消防ヘリで火山ガスを避け、風上から三宅島の1/3周を視察したが、ガス は広く島を覆い、火山灰が積もり、海は泥流で変色していた。10月7日、現地災害対策本部が神津 島に設置され、ホテルシップは解除となる。

医療救護

 6月27日4班24名が派遣され診療所を開設した。緊急医療対応はなかったが、ストレス・不眠な どで医療班の消耗は激しく、6月29日に第二次医療救護班2班11名が交代派遣されている。 島 民のガスや火山灰に対する健康管理のため、8月24日に都立病院の呼吸器内科、眼科、耳鼻科、精 神科の医師が巡回診療班として、派遣された。 9月9日〜10月7日まで現地対策本部がホテル シップに移ってからは、島の医師が保安要員の健康管理のために船内の診察室を担当した。

新島・神津島近海地震

 7月1日16:01に神津島6弱、新島5弱、三宅島4の震度を記録した。陸上自衛隊ヘリで医療班 4名、偵察員4名、救出員24名が到着した。 7月9日にも同様の地震があり、各島の震度は神津 島6弱、新島4、三宅島4であり、人的被害はないことが確認された。6月16日〜9月18日まで 有感地震13,981回、震度6弱6回、5強7回、5弱17回を記録している。

おわりに

 三宅島噴火は多くの災害が凝集されている。防災訓練、交通手段の確保、ヘリの使用、過疎、都知 事による絶妙な指示などにより、被害は最小であった。

 今後の危機管理として一次帰島者に甚大な被害が発生したとき、保安要員あるいは救助者の被災を 含め、さまざまな様相を呈する各種災害に対応できるレスキューチームと一体となったDisaster Medical Assistant Teamの構築を急ぐ必要がある。


災害と PHC

(今井家子、山本保博ほか監修、国際看護交流協会災害看護研修運営委員会・編:国際災害看護マ ニュアル、真興交易医書出版部、東京、2002、p.110-26)


はじめに

 災害救援活動は被災地の住民・行政の参加が重要である。外部からの救援者の役目は被災地の不足し ている部分を補うために活動することであり、けして被災地の人々の活動を全て肩代わりすることで はない。状況が安定してくれば被災地の人々に任せ、撤退することをはじめから念頭において活動計 画をたてなければならない。

プライマーヘルスの歴史と概念、およびアルマアタ宣言について

 WHOは「西暦2000年までに世界中の健康の格差をなくし、すべての人々が健康になるように」と のスローガンを出している。そしてアルマアタ宣言の中でPHCはこのスローガン達成の鍵と位置づけ ている。アルマアタ宣言は1978年カザフスタンの首都アルマアタでPHCに関する国際会議が開かれ た際にだされた。この内容がWHOとUNICEFの事務局長の共同報告書の中にアルマアタ宣言と して載せられている。この宣言によりPHCの概念が世界に公表され広まった。PHCは地域の人々 が利用できるもので、人々に受け入れられるもの、地域と国が賄いうる費用であるべき、地域の人々 がPHCの計画、運営管理に十分参加することが必要、地域の主な健康問題に焦点を当て増進に勤め る、事が必要だと認識される。そのためには以下の8つが必要である。
  1. 一般的な疾病や、外傷の適切な治療
  2. 安全な水の十分な供給と基本的な衛生環境
  3. 適切な栄養
  4. 母子のケアー
  5. 主要な感染症に対する予防接種
  6. 地方性流行病の予防と管理
  7. 主な健康問題への教育や、その予防と管理方法の教育
  8. 必須医薬品の準備

被災民の保健医療ニーズに対する健康調査

 災害の種類や時期によって保健医療ニーズは刻々と変化する。

 災害後の被災民への有効な援助を実行するにはまず彼らの健康状態や環境を調査し、それを評価す ることが第一である。そしてその評価に基づいて今すぐに必要なもの、長期的に必要なものは何かを 決定する。

 被災民の保健医療には次の二つに大別される。

1、迅速評価(Rapid Assessment)

 これは災害直後(発災後12〜24時間以内)の急性期に人的、物的資源が不十分な環境で緊急な支援が 必要な場合の援助内容に優先度をつけるための調査である。そしてこの調査評価は援助の有効性、改 善、維持などの参考にならなければならない。

2、復興と開発につながる調査

 被災民の 1)避難生活が長期化しようとした時、2)難民を帰還させるための指標を求めるとき、 などにもやはり保健医療の調査評価が必要である。

 急性期、亜急性期、慢性期それぞれの時相で調査は必要であり、その時々の状況をきちんと掴 んでおく。特に環境の悪化による衛生状態、栄養状態の問題は被災民の健康に重大な影響を与えかね ないのでこれらの調査は大きな意味をもってくる。

 わが国において災害後のRapid Assessmentをきちんと行い、その評価に基づいた援助がなされ たという事実はない。阪神淡路大震災の時の医療救援のあり方、援助物資の配分方、避難生活とその 健康維持など当初は統一性がなくいわゆる援助支援としてはばらばらの状態であった。これはやはり 初期からのRapid Assessmentができなかったことと、行政側に災害を総合的に評価できる専門家がい なかったことに由来すると思われる。災害時に被災者に有効な援助支援を行うにはAssessmentが重要 であり、必ず行わなければならない。


第1部 事故原因の調査及び判断
第6章 事故当日の会場の状況と推移

(第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書  2002年1月、p.33-41)


第1節 会場の配置

 花火打ち上げ場所は、大蔵海岸の南東に位置する防波堤上に設けられ、観客エリアは東地区から立ち 入り禁止区域を除いた場所。立ち入り禁止区域は花火打ち上げ場所から180mの範囲と、これに隣接す る朝霧歩道橋(以下この偏において「歩道橋」という)南東側芝生会場である。夜店は、歩道橋南側階 段東のロータリーから西方へ歩道橋の下を通り抜ける車道をはさんで両側の歩道上に約290m配置さ れ、歩道橋階段下から西側へ18mは配置されていない。朝霧駅より歩道橋を通じて会場に至る経路の ほかに、迂回路としては朝霧駅より線路北側沿いに西進する道路があったが、案内表示は往復のいず れも出されていなかった。

 歩道橋上及びその周辺を除く場所では、多少の交通渋滞等は発生しているものの、事故と直接関係が あると思われる特別な状況は一切認められていない。したがって、以下では本事故と関係がある歩道 橋上及びその周辺の混雑状況を中心に、事故発生に至るまでの状況を記述する。

第2節 歩道橋周辺における混雑状況

 午後6時ころから無料スイカ配布の催しがあったり、夜店が開店していて、未だ明るい薄暮早い時間 帯から群集が集まり始めていた。既に午後7時ころには、歩道橋階段下夜店付近の状況は人で混雑し ており、西の明石駅方面からの夜店を楽しもうという人の流れと、歩道橋階段を降りて西へ向かう人 の流れがぶつかり合い、夜店の流れを逃れて海岸側に出ようとしても、夜店がつながっていて思い通 りに抜けだすこともできない有様であった。

 一方、芝生広場などでは未だ薄暮のころから花火見物のため、いち早く場所を確保し、座り込む人 たちで次第に広場は埋まり始め、次第にその中に入り込む余地を見つけるのも困難な状況であり、そ のため歩道橋から階段を降りて行こうにも行くところがないと思われる混雑ぶりであった。さらにそ の混雑は時間を追って激しくなってゆき、特に花火打ち上げが終了する少し前くらいから、帰路に就 こうと歩道橋を目指す群集や帰路に就く前に夜店を楽しもうという群衆が一斉に夜店通路に流入し、 夜店通路の中の群集は東に進もうにも進めず、西へ帰ろうにも後続の群集により戻れず身動きができ ない状態となった。加えて夜店北側に張り巡らされた1.8mのネットフェンスと人が抜けだす隙間がな いくらいに軒を連ねていた夜店のため、群集がその混雑を逃れようと思っても逃れられない状況に なっており、一部の群集が夜店の間の僅かな隙間から逃れようと殺到しひしめき合い事故が発生して もおかしくないと思える状況も生まれていた。

第3節 歩道橋上における混雑状況

 人々が歩道橋に進入し、密集状態になり事故に巻き込まれるまでの様子を、聴き取り調査の資料に基 づき時系列に従って記載する。

 (1) 午後6時30分ころには朝霧駅のプラットホームは既に大混雑していた。駅の放送は花火大会 の 経路として歩道橋方面を案内し迂回路の案内はしていなかった。改札口を出て発券売り場までは混雑 していたが歩道橋に入ると比較的自由に歩ける状況であった。

 (2) 午後7時30分ころの歩道橋の駅入り口付近は、たまに人の肩が触れ合う程度でありスムース に 進んでいたが歩道橋中央付近を過ぎたころから混雑度が増し、酸欠状態、気温の上昇などが起こり、 不快を感じるようになってきた。歩道橋南側の階段下は夜店や海岸広場で花火を楽しむ観客により来 場者が降り立つ余地が極めて限られていたために歩道橋北側から流入してくる人数に比べて、歩道橋 南側から海岸に降りてゆく人数は極端に少なくなり、歩道橋の南に行くにしたがって、群集の密度が 高くなって行った。

 (3) 午後7時45分の花火打ち上げ開始後は、花火が上がるたびに足を止めるためさらに群集の密 度 は高まっていき次第に息苦しくなりなった。子供をできるだけ高く抱いたり、鉄製手すりとポリカー ボネイト板の間にいれたりして群集の圧力から逃れようとする者もいたがさらに圧力が増しその効果 もなくなり、手すり近くの親達は両腕をポリカーボネイト板に突いて必死に子供らを護っていた。花 火開始からさらに時間が経過すると花火が終わることへの焦りから駅側から会場に向かおうとする群 衆の圧力は一層増し、一方で花火打ち上げが終了する少し前頃から帰路につき階段を上がる群衆の動 きが起こり、1u当たり13人を超えていると推測される超過密状態となった。歩道橋南端付近の人は 多角的方向からの力で、数回揺れ、多くの人はつま先立ち、片足立ち、さらには両足が浮いたりする 人もいた。

(4) 歩道橋上の観客は、身動きもできない状況となり、110番通報をする者が続出したが通信混 雑 や電波状態による為か繋がり難かった。方々から怒鳴り声や子供達の泣き声が聞こえ、駅や海岸の方 向へ向かうものはお互いに「戻れ!」といいその声で騒然としてきていた。また、歩道橋南階段下付近 にいる警察官の姿をみて、一斉にポリカーボネイド板を叩き助けを求めたがこれに気付いてくれる警 察官は無く歩道橋上の観客らの意は通じなかった。

(5) 午後8時45分頃から同50分過ぎ頃にかけて、北から南にじわ〜っとした力が加わり、一部の 人 は失神し、一部の人は押さえ込まれる様に倒れ込む小規模な転倒が発生した。身長の低い者は押さえ つけられ、高い者は浮き上がりぎみとなり斜めになりながら耐えていた。そのような状況で、何人も の人の体重が加算され1m幅当たり約400kgの力がかかっているであろうひしめき合いのうち、斜めに なりながら耐えていた人々はバランスを失い、飛ばされ、倒れこみ、絡み合い、折り重なり合って大 規模な転倒が発生した。

(6) 歩道橋南階段下に到着した機動隊員の一部は、階段にいる人を排除しながら歩道橋の階段を 登 り、エレベーター前で盾でバリケードを作るなどしていたところ大規模な転倒が起こり、負傷者など の救出にとりかかった。他方、朝霧駅側から歩道橋に入った機動隊は、午後9時頃現場に到着し負傷 者などの救出活動にあたった。機動隊員や市職員、一般市民などによる救出活動、自力の脱出などに よりようやくにして、押し合っていた群集の膠着状態は解消され、朝霧駅への帰路に就こうと歩道橋 に殺到していた群衆は歩道橋階段から降り、他の経路を取ることになった。

 この事故に巻き込まれた人々は、そのほとんどは、事故の起こってゆく経過、発生した事故の実体や 程度、事故からの脱出について、それぞれ恐怖感を覚える体験をしている。


イギリスの薬毒物分析センターと化学災害対応センターの実態

(黒木由美子、中毒研究 12: 321-6, 1999)


【日本の薬毒物分析の現状】

 東京地下鉄サリン事件、和歌山毒物混入カレー事件などで明らかになったのは、日本に医療のための 薬毒物分析センターが存在しないことである。医療側は薬毒物中毒の患者を収容しても、初期治療は もとより経過の追跡においても、適切な薬毒物の分析情報を速やかに手に入れることはできず、手探 りの状態を余儀なくされている。

【イギリスの薬毒物分析施設】

【ロンドン中毒情報センター】

 24時間体制で、中毒に関わる電話相談を受けている。連絡者は医療機関が多く、一般   市民からも受け付けている。問い合わせは医薬品が最も多い。

【薬毒物分析センター】

〈業務内容〉

 臨床のための薬物モニタリング、その他緊急な薬毒物分析に加え、薬物乱用のスクリ ーニング、化学災害時の環境分析、ドーピング検査、法医解剖時の試料の分析などを 行っている。

 試料のサンプリング法、分析方法、分析結果の報告方法、分析費用の受託方法など、 すべてが決められた手続きのもとで合理的に運営されている。分析件数は日によって 相違があるが、生体試料の分析は平均200件/日で、このうち重金属などの分析が20 〜30件、薬毒物分析が25〜35件、薬物モニタリングが65件程度である。

〈運営費と分析費用〉

 運営費は、国からの支援と剖検などの収入や他の情報センターからの依頼のよる分析 受託の収入で賄われている。分析は有料で行われているが、すべて保険が適応される ため、国が100%負担することになる。

〈分析項目〉

  1. 薬毒物分析部門
    薬物や農薬、溶剤など合計800〜900物質が分析可能で、治療量か、中毒量か、致死量かの結果を医療 現場へ報告している。

  2. 金属分析部門
    30〜40物質の有毒な金属の測定が5〜10分程度で可能。

  3. 環境分析部門
    環境ホルモンを含むすべての環境汚染物質の測定に対応できる。約200物質の測定が可能。化学災害 時に水、空気、土壌の分析にも対応する。

【化学災害対応センター】

〈業務内容〉

 災害現場へ出かけて状況調査と分析試料のサンプリングを行う。分析の結果は、医療 機関、行政など関連機関に報告される。結果の信頼性を確保するために外部の分析機 関にサンプルを出して結果を確認し、必要があれば地域の専門家・疫学者・化学者な どからアドバイスを受けられるようになっている。

 化学災害の発生状況から後処理までの追跡調査を行って報告書を作成し、さらに、こ れらの報告書や文献から化学物ごとに災害時のための情報提供資料を作成し、災害時 にFAXで提供している。

 医師、消防、警察、行政、企業などの災害担当者の教育、災害シミュレーションによ る訓練、濃度測定法の研修などの教育・訓練活動を定期的に行っている。

〈運営費〉

 行政などから契約料が支払われている。

〈問い合わせ状況〉

 医療関係者からの問い合わせが多く、事例としては一酸化炭素中毒が最も多かった。

 センターが把握している情報を簡単にマスコミに公表したりせず、必要な場合に医療 機関や行政に提供しているため、行政や企業側からの信頼も厚く、確かな情報が集まっている。

【日本の展望】

 イギリスでは、臨床のための分析体制や、化学災害時のシステムがうまく稼動していることが明らか となった。分析費用は有料であるが、保険が適応されている点が「臨床に役立つ分析」を後押しして いると考えられ、日本でも分析費用の保険適応が望まれる。さらに、イギリスのように、災害時の情 報が円滑に流れるシステムの検討が強く望まれ、日本中毒情報センターでも情報提供活動だけでな く、各関連機関、専門家との協力体制を強化していきたい。


災害対策 2.訓練

(井上徹英:山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、p.150-6)


 集団災害は千差万別であり医療従事者はそれらに可及的円滑に対応しなければならない。そのための 訓練について述べている。

A.災害対策基本法

 訓練に関する法律の規定は災害対策基本法である。同法の48条に「防災訓練義務」がおかれており、 要約さると次のようになる。1、災害予防責任者は防災訓練を行わないとならない。2、災害予防責 任者の属する機関の職員などはその訓練に参加しないといけない。3、災害予防責任者はその訓練の 際、住民や団体に協力を求めることができる。 ここでいう災害予防責任者とは、指定行政機関の 長、地方公共団体の長、指定公共機関(日本赤十字社を含む)や指定地方公共団体並びに防災上重要 な施設の管理者のことであると47条に定められている。

 これに基づく訓練は各自治体などで毎年行われているがその多くはシナリオに沿って行われるもの で、応用性に乏しく火災などには効果があるものの「進化する災害」に応用できない面も多い。 医療機関もそういった訓練に参加はしているがどこがリーダーシップを発揮するかという基本的なと ころですら、存在しないか、あるいは地域によってまちまちであるということが問題である。大学で あったり医師会であったり赤十字病院であったりする。またトリアージを中心に行われることが多い が、どんな訓練が効果的なのか統一もとれていない。災害医学の専門家とも言うべき指導者的人材も 少ない。

 そういった現実もふまえ、阪神大震災後に災害基点病院の整備が行われ、地域災害基点病院として 二次医療圏に1ヶ所以上、基幹災害拠点病院として各都道府県に概ね 1ヵ所指定されている。

B.基礎知識の修得

 訓練を実効あるものにするには災害医療に対する基礎知識が必要である。概ね次のような知識であ る。1、災害概論 2、災害の歴史 3、災害の時間的経過と被害様相の変化 4、包括的な災害管理  5、災害時における医療対応 6、患者の流れと災害医療・トレアージ 7、後方搬送 8、被災地の衛 生学 9、災害時における外科的処置 10、災害における特殊疾患(メンタルヘルス、慢性疾患患 者)11、病院計画 12、災害計画における評価 などであり国内外でさまざまな組織が行っている。 日本では国立病院東京災害医療センターが行っている研修などが有名で、最近門戸が広がってきてい る。

 研修を受けるにあったっての問題点は、それぞれが属する職域において、災害医療研修を受講する ことの重要性が十分に認識されていないという点であり、今後は重要な業務としての正当な位置づけ がさらに推進されることが望まれる。

C.実地訓練

 大別して 1)実動訓練、2)図上演習、3)フィールド活動の三つがある。

1) 実地訓練

   なんらかの災害を想定し、実際に動いてみることで指揮命令系統や各自の持ち場でのとる行動を確 認し、各組織間の連携を図り、また、災害時に用いる設備や器具に習熟することなどを目的としてい る。同時的に多数の傷病者が搬入された時の対応訓練を行っている施設もある。

 しかし、単一組織での小規模なものを除けば、実地訓練じゃ予算と周到な事前準備が必要で、自治 体などが主催する訓練に医療救護班として参加っすることが実際には多いと思われる。

2) 図上演習

 集団災害は様々であり、それぞれに対応した実地訓練は容易ではない。よって、頻度の多い災害、 現実に起こった災害、万一に起これば重大な被害を生じる可能性の高い災害、対応が特殊である災害 などを想定し、まず図上演習を行うことが重要である。想定が自由にできるのが大きな特徴であり、 図上演習のありかたはさまざまである。

3) フィールド活動

 国内外での集団災害被災地への応援訓練に参加して支援活動をすることは、援助のみならず、自ら の経験の蓄積となる。広い意味で訓練に位置付けられるのはそのためである。実際、集団災害医療に おける指導者の多くはこういったフィールド活動の経験者である。

 国内では各自治体や民間非営利組織(NPO)が被災地に対して支援活動を行っており、立場や経 験に応じて参加できる。国際的には、日本政府は国際緊急援助隊医療チームを作っている。アジア医 師連絡協議会(AMDA)などの国内のNPOや、国境なき医師団(MSF)などの世界的なNPO に参加することもできる。また各国の赤十字を通じて一定の研修を受講し、赤十字国際委員会(IC RC)や赤十字赤新月社国際連盟(IFRC)の活動に参加する機会を得ることも可能である。

 集団災害医療の訓練で最も強調されるべきは机上訓練であり、千差万別の災害に対応する能力の向上 に必須である。


災害拠点病院の立場から

(原口義座、救急医学 26: 153-8, 2002)


 平成8年5月10日、災害拠点病院体制が厚生省の通達に基づき始まった。ここでは、災害拠点病院に対するアンケート結果を中心に現状を報告する。

【災害拠点病院からみた現状と問題点】

1.アンケートに関して

 平成11、12年度のアンケート結果に基づく。

 平成11年度:発送数 517、回答数 387、回答率 75%
 平成12年度:発送数 517、回答数 282、回答率 55%

2.アンケート結果

  1. 国内災害派遣の実績  平成11年度は派遣施設12、派遣回数19回と少な目であるが、平成12年度は40施設90回 と増加している。これは災害発生頻度の増加(有珠山・三宅島噴火、鳥取地震、名古屋水害など)に関連していると思われる。このような、年度ごとの差は災害医療への取り組み方の違いと 実際の大災害の頻度の差による。しかし、平成12年度には、国内災害への派遣に抵抗が少なくなったことも示唆していると言える。

  2. 自己完結型資器材について  平成11年度のみのアンケート結果であるが、整備が不良との答えが33%に見られた。 医療班派遣を積極的に想定していない可能性があると言える。

  3. ヘリポートに関して  平成11年度のみのアンケート結果であるが、十分との答えは21%と極めて少なく、不備は 57%と過半数を占める。また、39%がヘリコプタ−を利用した医療を重視していないという 回答が得られた。これらの施設では、災害時にヘリコプタ−を用いた患者対応は想定して おらず、実際上ヘリコプタ−を利用した医療の施行は困難と言える。

  4. 緊急用患者搬送用車両の準備状況について  平成11年度のみのアンケート結果であるが、不備は371施設中115施設(31%)と、まだ 整備不足の施設が多いと言える。

  5. 国内災害・国外災害派遣への取り組みに関して  平成11年度のみのアンケート結果であるが、国内での派遣に関しても重視している施設18%、 十分な体制ありとの施設も18%とまだ一部の施設しか対応していないと言える。国外での災害への 派遣に関してはさらに低下し、前者が4%、後者が6%で対応施設が例外的であると言える。

  6. 病院外災害マニュアルに関して  平成11年時点の作成率59%、平成12年では69%と増えてはいるものの、30%以上の施設でまだ未作成であることは、少し不安であると言える。

  7. これからの災害医療訓練・研修に関する意見  医療施設が災害医療を円滑に実施できるかは、上記のマニュアル作成の有無と災害研修・訓練による知識・技術の向上のいかんによる。平成12年度においての意見の結果は、1)出来るだけ現実的な訓練が必要、2)簡単な訓練でも繰り返し行うのがよい、3)多職種(院外も含め)が関与する訓練が必要、が1/3を占めた。1)ができれば理想的であるが、負担が大きく、単発になってしまい不十分であるため、2)の意見もでてきていることがうかがえる。3)の回答からは縦割りの問題点を感じていることがうかがえる。また、災害訓練を行う上での現実的な問題点として、スタッフが忙しすぎるという回答が70%を占め、さらに、訓練の専門家の不足、手間がかかるという回答も1/3以上となっている。

【まとめ】

 今回は、災害拠点病院を対象としたアンケートを中心に、災害救助体制の現状がどのようであるかを示した。今回提示した内容のほか、平時における災害の想定とその知識、物品などの準備・各種の部門別マニュアル作成/目的別の災害訓練などを充実させておくべきである。災害訓練に関してもまだまだ理想と現実には差があり、大きな問題点、障害が多数見られた。いずれにしても これらの結果からは、まだまだ多くの施設で十分な災害医療対応体制が根付いていないことが裏付けられ、今後も行政を含めた多面的なバックアップ体制が必要であろう。なお、平成12年度の回答率が低下しているのは災害医療に対する熱意が全般的になくなってきている、アンケートの内容に問題がある、手間がかかることなどが考えられ、また、回答しにくい質問事項を加えたことによる可能性も考えられる。

 今後も種々の災害医療が起こりうることを想定すると、災害医療体制の経時的な評価は時に重要と考えられる。


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