災害医学・抄読会 2003/09/19

孤独な老人の死が問いかけるもの

(光信隆夫:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.96-104)


1.典型的なケース

 阪神淡路大震災の被災者の老人が仮設住宅で死後2ヶ月を経て遺体で発見された。入居後しばらくは 人前に姿を見せていた彼は、しかしその後死ぬまでの数ヶ月を孤独の中に、完全に社会から隔絶され て生きていた。震災後このようなケースはいくつも見られ、彼らに共通していえることはそれまでの 住み慣れた環境・社会から「隔離」されていたということであった。

2.社会からの隔離

 震災後やむなく仮設住宅に移り住んだ彼らは、人間的な繋がり、連関、あたたかさといったそれま で住み慣れた土地、環境で育んできたものを失った。医者をはじめとする馴染みの必須機関、普段に 問いかけたり、訴えたりできる「大切な個人的なライフライン」を失ったことは彼らにとって「意味 のある社会からの隔離」であった。そしてそれゆえに彼らは孤独の中で死んでいくことになった。

3.「たこ焼きもだめ」

 震災後設置された仮設住宅群は集合体ではあっても「まち」ではなかった。定期的なバスの運行、 不可欠な店舗、医院の開設など住民が望む「生きた町」づくりはなされなかった。行政はライフライ ンの復旧、新しい都市計画の構想などには尽力しても、いざ市民の立場で「心の痛み」のレベルの事 柄になると杓子定規的なそれまでの行政基準、枠組みから抜け出すことはできなかった。

4.アイデンティティの剥奪

 彼らは震災によって身内(血縁)を失い、慣れ親しんできた人々との間柄、地縁を失った。そして その中で証明され認められてきた自己、つまりそれまでの育ちや来歴をくっつけたそれなりの誇りを 持った自分をも失うことになった。こうして自分を示すこともなくなり、幾重にも重なった心の痛み が癒されることもなく、老人被災者は孤独に陥り死に結びついてしまった。

5.表出できない恐怖

 孤独な死に突き進んだ老人にとって震災で負った心の傷は時間の経過とともに癒されるものではな かった。身近な繋がりをもつひとを失ったことが、それが瞬間的なことであったとしても「とても長 い感じでその死を実感し共感する」ためであり、恐怖を忘れられなくても大人であるがゆえに感情を 素直にあらわすことができず、ことに老人となるとさらに感情の表出は必要以上に抑えられてしまう のである。

6.老人特性?

 孤独な死を迎えた老人は性格などに問題があったという見方は絶対に避けなければならない。単に内 向的だったり、閉鎖的なタイプの人のほうが要注意とは限らない。老人のパーソナリティの理解にあ たっては、これまでの子供との離別、仕事からの退職、健康状態の悪化、友人・兄弟との離別喪失が どう影響しあっていたか、また震災で被った関係や人物の人物の喪失がどのような傷を与えたか、そ してどう自己治癒してきたかしなかったかを考慮に入れるべきである。

7.恐ろしい被災者差別

 大震災は世間が被災者を「劣っている人たち」として差別を向けていることを実証した。 どだい差別には理由はない。わたしたちの社会では国民は人間としてすべて平等であるというのは常 識で異論ははさまれなくとも、しかし実体は身分差みたいなものを無意識的に心のどこかで払拭され ずに温存し、そうした「上下の差がある」という共通認識が被災者差別の温床になっている。意識の どこかにある封建的なものが被災した弱者を対等に扱えなくしているのではなかろうか。就職にあ たって、避難所生活をしていることだけを理由うに断られたケースもある。ボランティアに参加した 人もその前までは「上のサイドから何かをしてあげる」側に立っていたと認識していることが多い。 孤独な死を迎えた老人にしても差別によりどれだけ痛めつけられたか解りようはない。老人たちには きっと言いたいこともたくさんあっただろうが、所詮絶望の淵に落ちるのを見逃して口も心も閉ざす よう仕向けた私たちには、結局本当のところは何も語り問いかけてはくれないだろう。


第4部 復旧

(島崎修次・総監修、化学物質による災害管理、メヂカルレビュー社、大阪、2001、 p.61-68)


 この文献では、災害・事故の急性期の後に続く問題、すなわち、被災者の引継ぎ、フォロー、精神衛 生上の援助となるデブリーフィング、対応の総括について記載されている。

 デブリーフィングとは「振り返り」を意味するもので、この文献に於は、単純に災害発生後の対応に 対する監査という意味で用いられている場合と、非常事態ストレス・デブリーフィングcritical incident stress debriefing(CISD)として用いられている場合がある。

 災害に全般に対するデブリィーフィングの意義としては、参加した各機関が災害の帰結を理解し、将 来のより良い対応のためにその戦略を改善させることが挙げられる。よって、デブリーフィングを行 うこと自体が、災害に対する戦略にあらかじめ組み込まれるべきである。

 被災者に対しCISDを行う理由として、患者も医療スタッフも化学災害や放射線災害のもたらす結果に 理解が無いために、それらに対する好ましからざる心的反応へのリスクが高く、心配や不安が募るか らである。

 被災者に対するCISDは、個別のカウンセリング室にて一対一、もしくは小グループの討議形式を用い る。可能であれば家族や友人も参加すべきである。その主な内容としては、出来事の再構成を行い、 感情の発散(カタルシス)の場とし、今後起こりうるトラウマ反応に対し、カウンセラーからあらか じめ心理教育を受けることが挙げられる。

 医療スタッフに対するCISDも、被災者に対するCISD同様に速やかに行われるべきである。医療スタッ フが受けるストレスは、一般の被災者に対し特殊な側面を持つからである。

 CISDの対象者として、心的に好ましからざる反応を呈しやすい人々が居ることを認識しなくてはなら ない。具体的には

 また、外傷によって心にも多くの傷を負い、それによって精神傷害をきたすことを理解しなければな らない。

 文献の内容に対し、近年の研究ではCISDはPTSDの予後を改善しないとする説もある。例えば、CISDが 侵入症状や回避症状の自然回復のプロセスを阻害するのではないかとか、CISDは正常なトラウマ後反 応をかえってより意識させてしまい、トラウマ刺激に感作されやすくしてしまうのではないかといっ た仮説が挙げられる。一方で、デブリーフィングには、参加者に満足感と援助してもらえた実感を与 えるという報告もあり、実証的研究のみで今後の施行の是非を問えるものではないとしつつも、最終 的には「デブリーフィングが慢性的な心理的後遺症への発展を予防するという主張は実証的には保証 されていない」と結論付けられる。

 このように、デブリーフィングは、身体の激痛を局所麻酔によって一時的に緩和するように、一時的 な満足を得るためのものととらえる方が妥当であり、CISDによりPTSD完全に予防され癒されるという 考えは過剰な期待であるといえる。

参考 JSTSS 日本トラウマティック・ストレス学会―診断と治療
http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html
http://www.survival.org/kokoro-net/topic/base1014.htm
http://www.sheport.co.jp/site/mcpo/materials/pdf/self_deb.pdf


第1部 事故原因の調査及び判断
(第4章 朝霧橋歩道橋、第5章 救急体制)

(第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書  2002年1月、p27-32)


1.朝霧歩道橋

 朝霧歩道橋は、明石海峡大橋を望む大蔵海岸とJR朝霧駅前広場を結ぶ長さ103.7メートル、有効幅員 6メートルの歩行者専用橋梁として平成11年11月に完成した。本歩道橋の大蔵海岸への降り口は、橋 を渡りきった約75平方メートルの踊り場からほぼ直角に右折し、幅員は半減の3メートル、階段48 段(途中2箇所に踊り場)を経て地上に降り立てるようになっている。階段の幅員は夏場のピーク時 の海水浴客を計画交通量として決定しているが、一方で橋上の幅員は車椅子利用や眺望のための滞留 を考慮して広く取ったため、計画以上の利用者があれば滞留を招きやすいいわゆるボトルネック構造 を有していた。

 歩道橋は両側をポリカーボネイド透明板で上部まで蔽われているものの視界は利き、橋を通行しな がら明石海峡大橋も望まれ、かつ一直線で海岸に向い花火大会の花火も真正面に十分に眺められる 上、橋の最南端75平方メートルの踊り場には視界を遮るもののない花火見物には絶好の位置を占め ている。したがって歩道橋上そのものが花火見物の場所となり、花火打ち上げ開始前から時間を追っ てつめかける群衆が滞留し橋上での事故危険をはらむ恐れがあった。

2.花火大会

 事前に配布された明石市民夏祭り実行委員会作成の「第32回明石市民なつまつり」と題する広報誌 でも、大蔵海岸には駐車場がないとこから公共交通機関の利用を呼びかけ、花火大会会場への案内図 にはJR朝霧駅から朝霧歩道橋を通る通路のみが記されている。花火大会に集まる群衆のうち公共機関 を利用者らはこの歩道橋の狭い空間内に集中することは、事前に十分察知できたことと認められる。

 更に、これに加え花火大会当日は歩道橋を降りきった先の広場ではスイカの無料配布や約180店の 夜店が出店し、歩道橋から階段を伝って広場へ下りようとする群集の流れが滞留しないよう措置を とっておく必要があった。

 なお群集の歩道橋の利用は大蔵海岸へ向う一方向だけではなく、かつ花火が終わると集まった群集 は不測不軌の行動をとる性質があるのである。 朝霧歩道橋の階段部分の通行可能人数は、1時間当たり1.3人×3600秒×3メートル=14,040=約14, 000人と見積もられる。しかし混雑がすすむともっと流れは悪くなるためこれより低下すると思われ る。

 大会当日の広場は自由に動き回り入り込む事ができないくらいの混み様で歩道橋南端では花火見物の ため動かない人たち、加えて夜店に立ち並ぶ人たちで大変混雑していた。

 調査では花火終了時刻午後8時40分ころ階段部分を含めて橋上に滞留していた群集は6,400人前後と推 量されることから考えても、事前に適格な群衆整理の方法をとらずに無制限に歩道橋上に群集を流入 させたことは、信じ難いほどの無謀さであったというの他は無い。

3.救急体制

 事前準備段階において、本花火大会の会場変更に伴う集団災害発生への危険性の評価や予測への認 識が薄く、1)近隣病院への協力要請、2)救護所の設置、3)緊急時の救急要請に関しては、近隣消防署 からの救急車を派遣する体制のみで、多数傷病者の対応についての関係機関との事前協議は行われて いなかった。

 このことで、本事故発生時の救急対応の遅れを必然的に生じさせる第一要因となったと考えられ る。

 今後、消防機関としても、不特定多数の群集が参集する可能性のある屋外イベント開催時には積極的 に自主消防救急計画の策定を行い、来場者の安全の確保に努める努力が必要であろう。


3 災害における logistics

(奥村順子:山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、p.157-63)


Heli-systems

(小川和久:ロスアンゼルス危機管理マニュアル、集英社、東京、1995、p.114-33)


 LAの防災都市計画とヘリの運用を考えるとき、カギとなるのは緻密な計算のもとに配置されている 多様なヘリポートの存在である。LAの10階建て以上のビルは、建築基準法により屋上にヘリポートを 設けることが義務づけられており、ヘリを活用する精神が貫かれている。ヘリポートはLAの防災都市 計画の中では災害用ヘリベース、消防用ヘリスポット、高層建造物用ヘリベース、高層建造物屋上ヘ リスポット、夜間ヘリスポット、救助用ヘリスポットの6種類に分類されている。ヘリベースとは拠 点となるヘリポート、ヘリスポットは小型ヘリポートのことと考えてよい。

 防災都市計画の見地から眺めると、LAの中心的ヘリポートであるバンナイズ空港の立地条件が非常 に興味深い。周辺を含むグレーター・ロサンゼルスと呼ばれる都市圏は、関東南部と同じ広さであ る。それがLA郊外に位置するバンナイズ空港からだと、このグレーター・ロサンゼルスのどこに向け てもヘリで20分以内に飛んでいける。さらに27ヶ所のヘリスポットが、バンナイズ空港を取り囲むよ うに配置されている。これらはヘリ消火と救急出動のための拠点だが、それぞれの担当エリア内なら ヘリが5分以内に急行できるよう計算されている。加えてLAカウンティー(郡)には、100ヶ所のヘリスポットがある。

 これらのヘリ・システムがノースリッジ地震で威力を発揮したが、だからといってただ闇雲にヘリの数を増やせばいいというものではない。ヘリによる活動は、情報収集も空中消火も救助活動もヘリポートという活動拠点が防災都市計画の中に組み込まれていて初めて可能になる。水量にもよるが、ヘリが1回に投下する水の冷却効果は約10分しか持続しないとされている。その時間内に間髪いれずに次々と水を投下しないことには消火はおぼつかない。ノースリッジ地震のとき、消防局のヘリは1件の建物火災を平均4回の水の投下で消し止めたとされる。4機のヘリが、立て続けに消火にあたることができたからだ。言葉を換えれば防災都市計画上の計算が、ヘリ運用にとって重要なポイントになる。これらがあって初めて建物に対するヘリによる空中消火も可能になったからだ。

 このヘリ中心的拠点・バンナイズ空港では、LA市が備えるヘリ32機全てのメンテナンスが行われており、常に80%が稼動できるようコントロールされており、間違っても「定期点検中で出動できない」などということはありえない仕組みになっている。これらを支えているのは緻密に計算された防災都市計画と連動したヘリ・システムであるといえる。

 1995年5月現在、日本の地方自治体が保有する消防・防災ヘリは、38機である。ヘリの整備は進む方向であるが、防災都市計画とリンクしたヘリポートが決定的に不足している状態である。

II 災害救助体制 消防の立場から

(金子 勉、救急医学 26巻2号 Page147-151、2002)


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