災害医学・抄読会 2003/01/17

3 難民保健

(喜多悦子、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.332-7)


1.世界の難民と国内避難民

 USCR(United States Committee for Refugees:US難民委員会)によると、1998年末現在、難民数は1347万、国内非難民は最大1900万とされている。全人口を60億とすると、約200人に1人が援助を必要としていることになる。このことから、人道援助の重要性がうかがわれる。

 一般的に難民とは、「様々な要因により、本来の居住地から離れることを余儀なくされ、国境を越えた人」のことである。しかし一言に難民といえど、地域または時期によってその状況は著しく異なり、援助も当然それぞれのニーズに合致していなければならない。

 90年代、世界各地で地域武力紛争が発生している。国内非難民とは、「内乱や戦争などによる比較的急性の状況で、食糧不足などの影響もあって、従来の居住地を離れているが国境は越えていない人」のことをいう。

 ここでは保健医療を中心とした難民支援について説明していく。

2.難民援助(急性期)

 初期難民キャンプ設置について、MSF(Medecines sans Frontieres:国境なき医師団)が掲げる10項目を以下に示す。

(1)Initial (rapid) assessment 初期(迅速)評価

 初期支援において最も重要な活動である。通常、難民は医療、教育はおろか生活維持に必要な最低の設備もない地域に集結しており、本来はあらゆる支援が必要である。しかし、限られた資金、人材で最大効果を上げるために、何を優先し、何を避けるかを瞬時に決定する必要がある。そのときは、死亡数のみならず、キャンプの地勢や、乳幼児、老人、妊婦の数、主要疾患なども見極め、余裕があれば、難民発生についての政治的宗教的民族的背景や、好ましい支援方法と介入者も検討する。

(2)Measles immunization 麻疹予防接種

 大人数が非衛生的な環境で生活する難民キャンプでは、ときに麻疹の大流行が起こる。最近では、緊急時には6疾患(ポリオ、ジフテリア、百日咳、破傷風、結核、麻疹)への予防接種よりも、生後6ヶ月以上15歳未満児へ の集中麻疹予防接種が推奨される。

(3)Water and sanitation 水補給と衛生整備

 下痢症が蔓延すると、対応に膨大な費用と労力を要するだけでなく、他の支援計画の妨げとなるため、安全な飲料水補給と排泄物処理は重要事項である。水補給は5リットル/人・日は最低限、早急に15~20リットル/人・日とする。また、トイレは最低限100人に1つ、早急に20名以下または家族ごとに1つ用意する。

(4)Food and nutrition 食糧補給と栄養管理

 真に差し迫った緊急時の食糧は最良の医療とも言われ、難民の死亡率は栄養障害の頻度や程度に平行し、食糧補給が一段落すると減少する。食糧は、赤ん坊を含む全人口について、蛋白質、脂肪各10%を含む1人2000~2100kcalの補給を目指す。最低限、小麦粉などの穀類、豆類、油、砂糖、塩を基本とする。

(5)Shelter and site planning 住居と居住計画

 難民の生存は水、食糧、家屋だけでなく、人権を含む治安保障にかかっている。それには国際支援に加えて、難民受け入れ地域住民の態度も重要である。精神的には、閉鎖型キャンプよりも開放型キャンプの方が良いが、地域住民との対立や襲撃の恐れ、教育、保健医療に差別があるなら、閉鎖型キャンプにする。

(6)Health care in the emergency phase 緊急時の保健支援

(7)Control of communicable diseases and epidemics 感染症と大流行対策

 下痢性疾患、呼吸器感染症、麻疹、地域によりマラリアなどの熱帯感染症の対策が重要だが、一般的には下痢と麻疹対策が優先される。

(8)Public health surveillance 公衆衛生調査

(9)Human resource and training 人材確保と訓練

(10)Coordination 調整

3.難民援助(慢性期)

 正確な慢性期の定義はないが、MSFは前述の10項目が整った状態としている。特に外部の関心が薄れがちな長期難民キャンプでは重要な活動である。

 初期迅速評価を補足する調査を行い、長期計画の基礎資料を作成する。保健施設の記録、面接などにより、全体の人口構成と保健状況を再調査する。また戸別訪問を行い、居住者数、感染症や栄養障害の有無、妊婦の健康状態などを確認する。

4.帰還、同化、第3国移住

 この過程でも、大人数が1箇所に集結したり集団行動をとるため、感染症の危険性は否定できないが、通常、帰還時の混乱はない。

5.まとめ

 緊急人道援助は、治安安定や人材開発などの長期的開発援助とのバランスをとることが必要である。例えば、1999年の南バルカン紛争では、大多数の国際機関は短期間に支援資金を獲得したが、forgotten emergencyなどと呼ばれている長年の紛争地、アフガニスタン、ソマリア、スーダンなどへの援助資金は数年以上も満たされることがなかった。緊急人道援助と開発のバランスとともに、世界的な地理的援助バランスも重要である。


被災直後の心理過程と災害症候群

(飛鳥井 望:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.31-38)


 ノルウエーでは、事故の直後に被災者の援助と調査のためのプログラムが組織された。その結果はホーレンにより報告されており、以下の通りである。重大な危機が発生した最初の瞬間、多くの者に精神麻痺という徴候が見られた。精神麻痺とは、現実に起きたことの否認であり、耐えられないような過大な精神的衝撃から事故を制御する意味がある。しかし、この精神麻痺が極端になると、放心状態等になり、かえって危険な状態をもたらす。

 ホーレンの報告によると、災害が起こった際の生存被災者は、この精神麻痺の程度により、3群に分けられるという。精神麻痺の徴候を全くあるいはわずかにしか示さなかった者は全体の20%であり、彼らは通常の指揮系統が機能麻痺した混乱の中で自発的にリーダー役になり、率先して危機に対処することができた。中等度の精神麻痺を示した者達は大部分の60%にあたり、受動的に指示に従い、命じられるままにあらかじめ訓練されていた行動は取ることができた。残る20%の者は極端な反応を示し、かなりの興奮状態か、酷い精神麻痺の状態を示した。なお、この生存者達は5年後と8年後に転帰が追跡調査されているが、精神麻痺の程度が軽ければ軽いほど経過は良好であり、程度が重いほど長期の経過も不良であった。

 最近の研究では、ウェイサスが衝撃期における被災者の行動を綿密に分析した結果を報告している。災害が起こった際に、その発生地点に近いところにおり、より重大なストレスにさらされた被災者について調べて、その適応力を評価した。その結果、最適型が37%、適応型が34%、不適応型が29%であった。また、その知見として、防災訓練と過去の被災の経験を有する者が明らかに最適型を示した群に多かったことが報告されている。

 カナダにおいては、タイハース自身の研究から、地域全体を巻き込むような災害に襲われたとき人間は、冷静沈着な群(12〜25%)、普通の反応を示す群(75%)、不適切な行動を取る群(残りの10〜25%)に分けられると結論付けた。

 大災害では危機的状況におかれた被災者の20〜25%前後に明らかな不適応行動が出現することが上記の研究において、共通して認められた。これは「災害症候群」と呼ばれる状態である。この症候群を呈した者は呆然と放心し、無感情無表情になり、動きは鈍くなる。また周囲の状況に構わず、ひどい状態になると自ら適切な避難行動を取れなくなる。

 衝撃時には災害の猛威がまず自己との関連においてのみ認知され、事態の解析が自己中心的となる傾向があり、自己中心幻想と呼ばれている。すなわち、最初は自分の周囲の被害に注意が向かず、自分自身や家族の安否が気になり、しばらくしてから周囲に大きな被害が生じていることを知り愕然とする。このように認知や注意が自己を中心とした狭い範囲に限局されている。

 生命危機が迫ったときの恐怖には動悸、口の渇き、筋肉の緊張や運動麻痺などの身体反応を伴う。これらは衝撃時のショックによるストレスから解放されたときなどにも顕著に現れる。が、これらの身体反応のほとんどは一過性で消失する。

 危機から逃れ、安全な場所に避難できたと分かると恐怖は薄らぎ、精神麻痺は徐々に解除される。それにつれて反動として感情的高揚状態となり、口数が多くなり、自分の体験をしゃべりたいという欲求が強くなってくる。また興奮が強まり、攻撃的となったり、行動や言動が逸脱し、まとまりがつかなくなる。早期には、うつ状態よりもむしろこの行き過ぎた興奮状態により、精神科的治療を必要とすることの方が多い。一方、恐怖から解放された被災者に共通する高揚状態は、被災直後の時期の被災地に一様に観察される、災害後ユートピアと呼ばれる現象につながる。被災地全体が死を免れたという安堵感と感謝、被災者同士の連帯感と集団帰属感、愛他心と相互扶助精神に満たされた時期を迎え、そこに救援ボランティアも加わることで、ユートピア的世界が出現する。しかし、時間の経過とともにボランティアが撤退し、初めは互助平等の世界にいた被災者の中に生活条件が回復した者とそうでない者が出現し、幻滅がひろがってくる。

 衝撃が過ぎ去った直後の時期から被災後早期にかけて出現するのが急性ストレス症侯群である。米国精神医学会の診断基準では心傷的出来事の遅くとも4週間以内に始まり、持続期間は最低2日間、最大4週間と定義している。4週間以上続く場合は、米国精神医学会診断基準においても心的外傷後ストレス障害として、急性ストレス障害と区別している。急性ストレス障害の症状は解離症状、心傷の侵入的想起、回避、ならびに過覚醒の症状から構成される。

 災害後想起の心傷の原因としては恐怖体験などがあり、それによって上記の急性ストレスを生じるが、心傷の原因として、自分だけが生き残ったときう生き残り罪悪感と、自分が思うように行動できなかったという役割不全感がある。

 防災対策や救援活動の展開には、被災者心理への配慮が欠かせず、そのためには災害直後の心理への配慮が欠かせず、そのためには災害直後の心理過程の理解が必要となる。日頃からの防災教育・訓練が被災直後の災害症候群の頻度を減らし、最適行動がとれるようになる可能性が示されたことも重要である。上記のような災害直後の精神的問題が強く存在するものほど、後になって精神的後遺症を発展させる可能性が高く、従って早期からのメンタルケア対策が求められる。


トリアージ机上シミュレーションの展開と学習効果の検証

(小原真理子:日本集団災害医学会誌 7: 54-62, 2002)


 トリアージとは災害発生時に多数の傷病者が同時に発生した場合、傷病者の緊急度や重症度に応じて適切な処置や搬送を行うためのものである。日本赤十字武蔵野短期大学では、災害救護実習プログラムの一環として、トリアージ机上シミュレーションとトリアージの実演の双方を導入した。本研究ではトリアージ机上シミュレーションの学習効果について、実習初年度の学生を対象に現任看護士との比較の上で検証し、トリアージ教育の必要性 について考察した。

<トリアージ机上シミュレーションについて>

1.災害救護実習の構成

  1. 机上シミュレーション…被災想定に基づく災害医療用シミュレーションキットや傷病者のス ライドを用いる。

  2. 救護技術の演習…テント設営、担架、応用救急法など。

  3. トリアージの実演…模擬傷病者(学生)に対して行う。

  4. 総合訓練…模擬傷病者に対する学生チームによる救護活動

2. トリアージ机上シミュレーションの学習目的・目標

 学習目的は、災害現場で重要なトリアージをする上での「的確な判断力」を養う事。

 学習目標は

  1. トリアージの目的を理解できる。
  2. トリアージする上で必要な情報について理解できる。
  3. 限られた時間内で、傷病者の映像や受傷内容などからフィジカルアセスメントし、トリアージ の優先順位の区分ができる。
  4. 限られた時間内で傷病者のフィジカルアセスメントをしたうえで必要な応急処置を選択できる。

3. トリアージ机上シミュレーションの方法

1) 課題

  1. 飛行機墜落事故現場から救出された傷病者65事例とし、救出現場のトリアージが行われてい ない傷病者集合エリアにおける医療トリアージとする。

  2. グループワークで、約20事例につき、現場救護所における応急処置の選択。

2) 方法

  1. 学習目的・目標と方法について説明した。

  2. トリアージの基本について小講義を行った。

  3. 飛行機墜落事故の被災想定について説明(現場周囲の地理的位置、医療機関の位置、被災状況、時刻、天候、現場救護チームの全体構成、負傷者の一連の流れ)

  4. トリアージの演習(個人ワーク)

    スライドに写しだされた傷病者の映像および性別、年齢、受傷内容とバイタルサインをリストした指定用紙をもとに、傷病者1名に対して25~30秒の間にトリアージを実施し、指定用紙に記載する。終了後フィジカルアセスメントを含めてトリアージの結果を発表し、教員が提示した正解と比較検討する。

  5. 応急処置の演習

    トリアージ後の約20事例の傷病者について、写真および受傷内容が記載されたモデルを見ながら、設定された応急処置のなかから傷病者に必要な応急処置を選択する。終了後、選択した応急処置とその理由について発表し、提示した正解と比較検討する。

<トリアージ机上シミュレーションの学習効果についての研究>

(対象)

(研究方法)
 シミュレーション終了後、学習目標の達成度についての自己評価、トリアージの正解数,シミュレーションからの学びについてのアンケート調査を実施した。

(分析方法)

  1. トリアージに関する知識や実施についての5段階自己評価の平均値を学生と現任看護師との間で比較した。
  2. 実施したトリアージの正解率について学生と現任看護師の平均値を比較した。
  3. アンケートの自由記載から、トリアージ机上シミュレーションに関する、学生および現任看護師の学びを分類した。

(考察)

1. 各自己評価項目の5段階平均値とトリアージ正解率について、学生と現任看護師の間の比較

看護師にとってトリアージの知識や経験は日常の看護業務や知識だけでは不十分であり、看護基礎教育の段階でも学生に教育することでトリアージの知識や方法を習得できることが検証された。

2. トリアージ机上シミュレーションのから学んだこと(自由記載から)

筆者の狙いとした学びが確認できた。具体的な被災想定を提示したことで得られた成果と考える。とくに看護師にとって、日常の看護業務と異なる視点に気づき、学びがあったことが確認できた。

3. トリアージ教育の必要性

卒後教育に先駆けて、基礎教育における災害看護教育の充実が必要である。基礎教育ができていれば、災害看護への切り替えも可能となる。トリアージに関する教育は基礎教育だけで習得できるものではなく、卒業後も継続的に行われることが必要である。教育する側には学習者の参加意識を動機付け、学習効果をあげ、意識の変容を促すような創意工夫のあるトリアージ教育の展開が求められる。


2 マス・ギャザリング医学

(奥寺 敬、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.327-31)


1.マス・ギャザリング医学とは

 通常の救急医療体制(emergency medical system:EMS)の及ばない状況におかれた人の集団を対象とした医学である。具体的には、地域紛争によりEMSの及ばない荒地に集まった難民、大規模な自然災害により既存のEMSが機能しなくなった都市の住民などが対象となる。このようなEMSの及ばない状況における疾病発生の可能性や医療需要を、過去の例の分析など通して検討し合理的に解決しようというのがマス・ギャザリング医学の基本概念である。この発想は、公衆衛生学や社会医学との共通点をもつ一方で、災害を想定した医療計画の立案などに有用な面が多く、欧米では救急・災害医学の分野として扱われている。

2.マス・ギャザリング医学とイベント

 現在では様々な災害医療計画立案の基本概念とされているが、当初は大規模イベントが対象となっていた。1970年代は一般に人口が少なく、EMSがないかあっても人口に相当した規模のものしかない場所でコンサートを開催することが多かった。そのような場所でコンサートが長時間にわたり炎天下の野外で開催され、アルコールやドラッグの使用と重なって救急搬送される患者が多発し、救急医療関係者の注目を集めた。救急医によるこのような事例の分析が行われ、コンサート開催における救急医療体制に対するガイドラインが提言されている。その後、さまざまなイベントの大規模集団における医療需要の分析と対応がマス・ギャザリング医学の対象として報告されるようになっている。このようにマス・ギャザリング医学は数千人単位の集団における救急医療の需要を扱うものである。

3.マス・ギャザリング医学と災害医学

 自然災害や国際紛争によって生じる大規模な難民や孤立した被災者などの状況は、マス・ギャザリング医学との共通点が多い。このような状況では災害に基づく傷病に加え、医療の供給が不十分なことによる二次的な疾病が加わり複雑な状況を呈する。災害発生直後の急性期は救出救助、救急医療が活動の中心となるが、急性期を過ぎると感染症や急性増悪を含む慢性疾患の管理が大半を占めるようになる。この急性期を過ぎた時期がマス・ギャザリング医学と共通点が多い。マス・ギャザリング医学において、全体の把握や基本計画の立案・推進は常に多数負傷者発生を想定して救急医によって行われるべきとされている。マス・ギャザリング医学は災害医学において計画・訓練・備蓄を扱う分野であり、プレホスピタルケアとの共通点を有する。

4.マス・ギャザリング医学における傷病者発生率

 マス・ギャザリングにおいて発生する疾病は、マス・ギャザリングを構成する因子(集団の年齢構成、性別、イベントの種類など)と環境因子(気温、湿度、天気など)により大きく異なる。アトランタ五輪では熱中症が観客の疾病で多かったのに対し、緯度の高い場所で行われたリレハンメル冬季五輪では凍傷が多く、緯度の低い場所で行われた長野冬季五輪では感冒が最多で凍傷はほとんど見られなかった。このように過去の同種イベントを検討する際は、開催地・開催時期により疾病の種類が大きく異なることを考慮に入れる必要がある。

 疾病の種類は多様であるのに対し、疾病の発生率は共通要素が多い。冬季五輪において一般傷病者発生率は人口千人に対して、カルガリーで1.89人、リレハンメルでは1.46人、長野では1.95人とほぼ同様の値を示す。

5.医療体制の基本設定

 マス・ギャザリング医学における医療体制の基本設定は現場で行う医療のレベルの策定から始まる。プレホスピタルケアのみで搬送、一次蘇生を施し搬送、高度心肺蘇生を施し搬送などレベルにより、医療資器材、人員構成、搬送先の決定は大きく異なる。レベルの策定の次に、人員配置を決定する。医療レベルにより救急医中心の人員配置からボランティアスタッフ中心の構成まで様々である。実際には救急医を救護所の担当する全エリアに配置することができないので、看護士や救急隊員が通信装置による救急医の指示に従い処置を行う。搬送体制は会場の設定により大きく異なる。救急車とヘリコプター搬送を組み合わせたものを行う。搬送先医療機関をあらかじめ設定し、訓練を行う。

6.マス・ギャザリング医学と医療資器材

 規模の大きいマス・ギャザリングであるほど年齢構成や気象条件などの差異が相殺される。このため、傷病発生率を基本データとして、会場の特性を加味し、数値的な根拠をもつ医療計画を立案する。アトランタ五輪では、あらゆる救護所に基本となる医療器材セットに加えて除細動気、挿管セット、酸素ボンベが設置されていた。さらに各救護所に起こりうる災害が想定され、想定にそった医療器材の備蓄と供給体制がとられていた。

7.診療記録の作成と保管

 イベントにおけるマス・ギャザリング医学では、あらかじめ診療記録の用紙を作成しスタッフに記入・回収方法の徹底を図る。診療記録の作成と保管は、後の統計的分析に役立つのみでなく、イベント期間中の症例検討が可能となり医療の質の維持に役立つ。診療記録だけでなく、診療受付票や搬送指示票、受け入れ病院の報告書など様々な書類が必要となる。

8.最後に

 マス・ギャザリング医学は非災害時の災害医療の最も有効な訓練である。マス・ギャザリング医学を導入することでイベントそのものが安全に運営できるだけでなく、救急医がイベントの初期から積極的に加わることで災害医療への動機付けにもなると考える。


麻酔科医の生物化学、核兵器によるテロリズムに対する準備

(Murray MJ, et al. 臨床麻酔 26: 1542-46, 2002)


はじめに:災害に対する準備こそが対応のインフラストラクチャーである。

 本論文の目的は生物化学および核兵器の被災者の治療に有用な情報を提供することにある。しかし、一昨年9/11のニューヨーク他へのテロ攻撃に対応した麻酔科医はこれらの状況には遭遇せず、少数の生存者は一般的な大規模災害の際に見られる爆発外傷、熱傷、圧挫外傷あるいは、より軽傷の外傷患者であった。

 これらの大規模災害の被災者に対する治療の準備は、むろん必要ないことが望ましいが、同時に発生するか発生しないかの問題ではなく、いつ発生するかの問題であることも認識している。仮に将来テロ攻撃に対して準備する必要がなくなったとしても大型航空機の墜落、地震、台風、水害などの気象による災害、工場の爆発事故、大規模交通事故などの大規模災害はしばしば発生しており、このような情報は有用であろう。

緊急事態における基本的原則

 ほとんどの災害現場で第1現場到着者は救急医療の関係者ではなく一般市民が現場に急行して被災者の救助および初期医療、救急蘇生を行っている場合が多い。正式な医療対応は当初地域レベルで統括され、救急隊員あるいは医療機関のコメディカルが主体となる。その後各自治体、国家防災組織が活動する。

 いかなる救急対応策でも基本的な原則は確立したコミュニケーション手段を有する指揮所を確立することにある。最良の支援を行うためには指揮所に連絡を取り、いかなる援助が可能かについて協議することが重要である。

 さらにトリアージ(Triage:災害時の患者の治療に対する配慮・計画などのこと)の原則を理解していることも重要である。(実際には稀なことであるが)トリアージは災害現場で行われる。救急隊員がトリアージを行い、最も重症な患者を初期に搬送し、より軽症な患者は後回しとなる。しかし、9/11事件およびその他の大規模災害によって明らかになった点はしばしば発見された順に直近の医療機関に搬送されている点である。この観点から救急部門の外側にトリアージ体制を確立することがしばしば必須となる。この場合のトリアージは最も重症で、応急処置および手術によって恩恵を受ける患者を識別することである。外傷外科医は多数の犠牲者のなかでも、外科的治療が最も有益な患者を優先するべきである。熱傷、圧挫創、爆発外傷が一般的であるが、生物化学、核兵器による傷害の治療および汚染除去、医療関係者自身の保護にも準備が必要である。

Prehospital Care

 麻酔科的観点から、災害現場で最も可能性のある状況として、がれき、あるいは車内から被災者を救出した直後に気道確保および適切な換気および酸素化の維持が必要な場合が挙げられる。場合によっては物体にはさまれた患者を救出するために四肢の切断を介助する必要があるかもしれない。このような場合に適当な麻酔薬はケタミンであり、必要に応じてベンゾジアゼピンまたは麻薬を併用する。これらの場合には術中覚醒の可能性および幻覚の可能性が高い点を認識する必要がある。しかし、これらの状況でベンゾジアゼピンまたは麻薬を併用する場合には出血に伴うhypovolemiaをきたしている可能性に注意が必要である。いかなる中枢神経抑制剤も交感神経反射を抑制し、生命に関わるような重篤な低血圧を引き起こし得る。

 がれき、あるいは車内から既に救出された被災者でも呼吸管理が必要な場合がある。これらの症例は原則としてfull-stomachとして扱うべきで、意識下盲目的経鼻挿管が適応である。逆に気管挿管を容易にするための薬物投与は推奨されない。しかし、麻酔薬、筋弛緩薬なしに挿管できる患者は意識レベルの低下が著しく、予後もきわめて悪いという意見もあり、この点は議論が分かれている。したがって、気管挿管を容易にするための薬物投与を行うかどうかについては状況、医療者の技術、薬物の有無によって判断するべきである。

Hospital Care

 麻酔科医が救急外来に動員されている場合もあり得るが、最も専門性が要求されるのは救命あるいは四肢温存のための手術の際であろう。これらの状況下ではいくつかの理由で日常の標準的な医療が行えない場合があり得る。術前評価がなされておらず、術前の循環血液量補正の余裕もない。資材も極端に限られており、自助努力で解決しなくてはならないかもしれない。事故の規模によっては医療関係者の数が不足し、一般市民の協力に依存せざるを得ない場合もあり得る。

 状況次第では各種の麻酔方法を選択することが可能な場合もあるが、最も用いられる麻酔薬はケタミンであり、必要に応じてベンゾジアゼピンを併用する。可能であれば局所浸潤麻酔が第1選択であり、状況が許せば吸入麻酔も可能かもしれない。一方、脊椎麻酔、硬膜外麻酔は循環血液量の状態、出血性ショックを増悪する可能性の2点から推奨されないというよりむしろ禁忌であるといってもよい。

 ケタミン麻酔を選択する場合でも麻酔管理に影響を及ぼし得る合併症についての注意が重要である。これらの患者はfull stomachであり、循環血液量減少と貧血を伴っている。静脈ライン確保が困難な広範囲熱傷、胸部外傷、頭部外傷あるいは未診断の合併損傷があるとさらに管理が複雑となる。既往歴聴取は困難で多くの場合、身体所見のチェックも短時間で済まさざるをえない。地震のような場合は10%程度の被災者が外科的処置を必要とする胸部外傷を負うと予想されている。一方、水害被害者の場合には胸腹部に対する手術は少なく、四肢の外傷が多い。

 全身麻酔が必要な場合には、一般的に急速導入が推奨される。術中覚醒のリスクが高い可能性があるがベンゾジアゼピンまたは麻薬による過剰鎮静による影響は明らかで、予後の悪化をきたし得る。気道確保が不可能な場合にはLMAの使用を検討し、必要ならば外科的気道確保を検討する。外傷患者の術中管理についてはおおむね標準化されている。

 術後管理についても、大手術を受ける他の外傷患者の術後管理と同一である場合が多い。しかし、手術によって内科的、外科的な問題点のすべてが解決したと考えるべきではない。これらの症例では術後も循環血液量補正、気管挿管、人工呼吸および頻繁な再評価が必要な場合がある。さらに侵襲的モニター、鎮痛および鎮静、麻酔科医が同伴しての他施設への搬送も必要かもしれない。

 術後では詳細な所見に注意をはらうことが重要である。初期の記載はしばしば不完全であり、時間の余裕があれば麻酔記録以外に患者名、外傷、受傷機転などに関する情報を記録することは非常に有用である。現在、統一されたデータ報告に関するガイドラインを作成中である。

不十分な環境における麻酔

 一方、自分自身の医療機関で業務を続ける可能性や、別の場所に移送されて不十分な環境で麻酔業務を行わなければならない可能性もある。この場合でもケタミン使用に関する原則は適応される。

 状況の程度および薬物の入手可能性によってはプロポフォールやetomidateなどのケタミン以外の導入薬も慎重に投与できれば使用可能である。このような状況では最も安定性のあるdraw-over麻酔器(気化器のついている簡単な全身麻酔器)が頻用される。Draw-over麻酔器は初心者、モニターが不十分な場合でも安全に使用できるという特徴があり、麻酔学の基本が理解できていれば短期間のうちに使用方法を習得できる。

結語

 過去の経験から麻酔科医が災害の救援に関与することは確実である。場合によっては不十分な環境において麻酔業務を行わなければならないかもしれないが、優れた臨床経験と5感を駆使すれば最良の結果をもたらすことが可能である。どのような場合にも労働と休息のバランスを確立し自分自身の身を守り、能力があり、熱意にあふれた医療従事者が動員できる体制を確立する必要を喚起したい。


第2章 ロサンゼルス市長 非常事態を宣言

(小川和久:ロスアンゼルス危機管理マニュアル、集英社、東京、1995、53-63)


 災害発生直後の混乱状態にあっては、豊富な情報を下に的確な指示を出しうる頭脳システムが必要となる。LAでは、過去の苦い経験から緊急対策機構(EOO)を組織し、そこに多様な司令部機能を配置している。EOOは、ロサンゼルス市の緊急対応策および復興作業のための資源の確保、そしてそれらの効果的な運用を目的に設置された。災害や戦争のとき、LAの危機管理に全責任を持つ。

EOOの指令部機構

EOO    EOC(緊急対策本部) 
 ロス市警:治安維持など警察活動一般
         消防局:消火・救助活動
         交通局:交通規制・救助活動ルート確保など交通関係一般
         公共事業局:道路補修など公共事業一般
         水道電力局:公益事業間の調節など公益事業関係一般
         ジェネラルサービス局:物資補給、通信業務、施設の維持など総務関係
         建造物安全局:建造物の被害状況把握など建造物の安全関係一般
         人事局:ボランティア動員計画の作成など人事と採用関係
         公園管理局:避難所の確保とサービスの提供など公共福祉と避難関係
         港湾局:港の安全維持など港湾関係一般
         都市計画局:復旧・再建計画の提案など復旧と再建関係一般
         空港局:空港の安全確保など空港関係一般        
         動物管理局:飼い主や家を失った動物の収容など動物の規制関係
      MEOC(移動式緊急対策センター)
      CEOC(LA郡緊急対策センター)

EOC

 ロサンゼルス市に広範な被害をもたらす災害が発生すると活動を開始する。市庁舎の地下4階に設けられており、通信機器、補助電力、食料、その他の補給物資など市の13部局から派遣されるセンター要員の約2週間分の活動を支えるために必要な重要資材が備蓄されている。市職員はEOOの基本計画に従い、被害状況の収集および分析、市の総合災害対策への資源の割り当てなど調整にあたる。

 緊急時の活動、特に消防や警察、医慮業務に関係する他の省庁や、公共および民間の資源を活用するための物資補給業務を受け持つ機関との密接な協力関係を確立する。上記の市の各部局は市条例に基づいて課された各々の任務を遂行しなければならない。

MEOC

 いかにハイレベルな機能を備えた市庁舎地下4階のEOCであっても、直下型巨大大地震に直撃されるような状況では一瞬にして壊滅する可能性は否定できない。MEOCはEOCが機能不全に陥った際に機能する、長さ12メートルの巨大トレーラーにEOCと同じ指揮通信機能を搭載したシステムである。

CEOC

  LA郡は1000万人近い人口を抱える88の市からなり、郡の保安官が指揮するCEOCは、LA市にとっても緊急時の司令塔となる。通常の災害時には、8つの部門の緊急対策要員76人が活動する。CEOCは緊急対策情報伝達システム(EMIS)、ローカルエリア・ネットワーク(LAN)、広域ネットワーク(WAN)に連結されている。LANは地理情報伝達システム(GIS)のワークステーションを内臓、WANはセンターのコンピューターと郡内30ヶ所の緊急対策センター支部、カリフォルニア工科大学の地震情報システム(CUBE)を結んでいる。

EOOの構成

最高責任者−市長
EOB(緊急対策理事会)−市長の補佐。ロス市警(LAPD)の本部長が議長を務める。
EMC(緊急対策委員会)−20を超える部局とその他の公共機関、民間機関から委員が派遣され、計画や教育実習など総合的な災害対策を推進するための実作業を担当する。
EMCの機能別委員会

  EOOでは、自らの障害除去能力や緊急事態への対応能力などを定期的に評価する。また、市民およびその資産を守るため、その能力を最大限活用することが出来るよう、包括的、かつ総合的なプログラムを策定、改善に常に努力している。EOOではプランニングや準備、対応活動などに関しては各省庁から選抜した構成員でチームを編成している。既に、特定の問題やニーズが確立された段階で、それに対応するために様々な構成による省庁間選抜作業グループが形成されている。危機管理委員会が作成した提案やプログラムは緊急対策理事会、市長、市議会に提出され、検討が加えられる。計画や実行プログラムの根幹をなす政策は、市の各部局の責任者を含めた120名を越す緊急対策機構のメンバーが参加する会議や研究会で決定される。

考察

 ロサンゼルスで大地震が起きたとき、市長はたったの10分でEOCを立ち上げ、各々の部局の活動を開始したと言う。しかし、その一年後に日本で起きた同程度の直下型大地震である阪神淡路大震災においては組織が機能不全に陥り、復興・救済作業の遅れが目立った。地震列島日本においては、EOOを参考により迅速な対応が可能な緊急対策機構が必要であると考えられる。


4 搬送

(小濱啓次、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.164-70)


 大災害が発生した場合、被災地内の傷病者を被災地外の医療機関に広域に搬送するシステム、また同時に非被災地から医師、看護師などの医療救護者、医薬品・医療器具などを被災地に搬送するシステムが必要となる。このことを災害時に円滑に行なうためには、平時の救急医療体制のなかにヘリコプターを導入したり、広域緊急交通路を災害を想定して指定し、訓練を行なわなければならない。以下に、災害時における搬送体制のあり方について述べる。

 搬送の形態として、被災地内における負傷者、医療救護班、医療品・医療器材などの搬送である被災地内搬送、被災地内外間の搬送である被災地外搬送、他の都道府県と被災地間の搬送である広域搬送の3つの場合がある。搬送の手段としては、担架、車両、航空機、船舶などが考えられる。被災地内搬送には車、担架などが用いられるが、被災地外への搬送(広域搬送も含まれる)には、車両に加え航空機、特にヘリコプターが用いられる。ヘリコプターが用いられる場合は、傷病者はいったん被災地内の臨時離発着場に担架、車などで搬送され、そこから被災地外のヘリポートに搬送される。ヘリポートからは担架、車両などで受け入れ医療機関に搬送される。このように都道府県や市を超えて広域搬送される場合は、搬送を円滑に行なうために、厚生労働省、消防庁、防衛庁、警察庁などの国の機関、また、これに関する都道府県や市の協力、参加、了解が必要になる。

 現在、搬送の手段では車両が最も一般的であるが、災害時には道路の破壊、建造物の倒壊、使用可能道路への車の集中による渋滞などにより、車による搬送は困難となる。また、大災害による多数の重篤な負傷者や、特殊な傷病者がたくさん発生した場合は、他の都道府県の医療機関の応援が必要となる。このような場合、欧米諸国ではヘリコプターによる搬送が行なわれている。しかし、我が国には平成13年まで公的な傷病者搬送用ヘリコプターは1機も存在せず、阪神・淡路大震災においても、ヘリコプターによる負傷者の搬送は、震災当日に1例のみであった。以下に各省庁の現状について述べる。

1.消防庁

 1998年現在、消防庁の管轄する消防・防災ヘリコプターは67機ある。しかし、1年間の搬送件数はわずか763件に過ぎず(1機当たり年間11.3件)、しかも多くが離島からの搬送であり、現場からの搬送は少ない。だが、1998年に消防・防災ヘリコプターを救急ヘリコプターとして有効に活用することが検討され、2002年には、ヘリコプターの傷病者に対する出動基準などが公表された。今後の消防・防災ヘリコプターの災害における傷病者搬送の活躍が期待される。

2.厚生労働省

 1999年より、医師の搭乗した医療専用のヘリコプターを医療機関内に配備し、傷病者発生の通報があれば、出勤条件、出動基準に応じて3〜5分以内に離陸し、現場と搬送中に治療を行ないながら医療機関に搬入するというドクターヘリの事業を開始した。また、都道府県と民間航空会社が契約し、医療スタッフを乗せ傷病者の搬送に従事するというシステムもある。

3.防衛庁

 自衛隊は災害時、都道府県知事の要請で傷病者の搬送などを行なっており、今後もジェット機を用いた広域遠方の傷病者の搬送は、自衛隊中心の搬送になると思われる。

4.海上保安庁

 海上保安庁の所有する航空機は、海上だけでなく陸上における傷病者の搬送にも役立つと思われる。

5.民間機

 2002年の航空法の改定によって、医師の搭乗したヘリコプターは、民間機であっても消防や警察からの要請であれば、事前登録されていない場所でも離着陸できるとされ、今後民間機が災害時に大いに 役立つものと思われる。

 今後は、臨時へリポートとして利用される公園、グランド、河川敷などの整備や、航空機に搭乗する医師の確保と養成、受け入れ医療機関の整備、都道府県、市町村、消防、警察、医療機関などを結ぶネットワークの構築が重要な課題となってくる。


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