災害医学・抄読会 2002/11/29

PTSDからの回復過程

(山口直彦:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.16-21)


 PTSD(Posttraumatic stress disorder、外傷後ストレス障害)は阪神淡路大震災後マス コミによって世間に広く知られるようになった。本震災まではPTSDについて論じた日本語 の文献はほとんどなかった。この用語はアメリカ精神医学会の診断マニュアルで使われ、 一般化した。その背景には、ベトナム帰還兵問題、レイプ、児童虐待、インセストなどア メリカ社会の抱えた問題がある。

【PTSDの診断】

 客観的ストレス要因(実際にまたは危うく死にそうになったり、大怪我をしそうになった り、またはその他の自分の体の統合性に脅威がおよんだりするような出来事を直接体験す る。または、家族や親しい仲間が思いがけず、または暴力的な形で死んだりするという脅 威の体験を知る。)や主観的ストレス要因(出来事に対する反応には、強い恐怖、無力 感、または戦慄がともなう。)。これらの極端な外傷へさらされた結果、外傷的なの持続 的な再体験による急性症状ないしフラッシュバック、外傷と関連した刺激の持続的回避と 全般的な反応性の麻痺、および持続的な覚醒亢進症状が出現する。そしてこれらの症状が 1ヶ月以上持続すること、その障害が臨床的に著しい苦痛、または社会的・職業的もしく は他の重要な領域で機能障害を起こしていることがPTSDと診断するために必要である。

【震災後作者の身に起こったこと】

 作者の家は震災で死者の一番多かった地域にあった。地震があり、周りの景色は変わり 果ててしまった。一方、震災直後、病院では入院患者はきわめて冷静であった。ところが 震災三日目頃より精神科救急需要が大量に発生した。病院は殺到する入院要請に非常事態 となった。普段なら当直医だけの医局に何名もの医師が泊り込んだ。また病院が全国各地 からの支援チームの宿舎となり医局はごったがえした。疲れは感じなかった。みな一様に 気分が高揚していた。人と人との距離が近くなり、共同意識に燃えていた。目的は一つ、 価値観も一つであった。

 しかし、ゴールデンウィークを機に支援チームも引き上げ、病院はほぼ平常の状態に 戻った。同時に震災後の混乱をいいことに棚上げにしていた問題の処理が意識に上りだし た。かつての元気もなく、やたらと気分が落ち込んだ。もともと高かった血圧のコント ロールが不能となった。このころから震災がらみの講演や原稿依頼が増え、それをこなす のが負担となった。8月のある日、講演の後、急に胸痛をおぼえた。医局連中の手で強制 入院させられた。検査結果は異常なしであった。作者の自己診断はヒステリーである。こ の入院で作者は震災後の心身変調は終わったと考えている。

 震災後の一般的な心理変化として次のような過程が言われている。これを作者の個人的 な体験と照合してみる。まず災害直後の不応期である。作者が地震直後に近所を歩き回っ た時の傍観者的な態度、精神医学的には離人体験といわれる状態がそれに相当する。次は 過活動期である。震災から3ヶ月の躁状態ともいうべき高揚状態がそれである。その次が 疲弊期である。病院が落ち着いてきた後の心身不調期がそれである。その後が抑うつ期 で、これは周期的に繰り返したり、慢性化することがある。このあたりは作者の場合は はっきりしないが、今がこれに相当するのかもしれないと述べている。

 この不応期、過活動期、疲弊期、抑うつ期という過程は、災害時の過大なストレスを処 理するための適応的な反応と考えることができる。もしこの過程がうまく作動しなけれ ば、PTSDに陥ることがあるのかもしれない。

【震災後患者さんの身に起きたこと】

 先に述べたように入院中の患者さんは何事もなかったかのように平穏であった。一方、 震災後入院してきた患者さんたちは、急性錯乱、躁状態、昏迷など非常に派手な症状を呈 していた。震災2週間目くらいの急性発症が多かった。ほとんどが過去に治療歴がある人 の再発、再燃であった。このような形で入院された患者さんは、ストレスで気分が動揺し やすい人たちであった。非定型精神病あるいは躁うつ病の診断が多かった。この患者さん たちは、入院して安静をとると短期間で落ち着き退院していった。一方では、震災で特に 精神症状の変化はないのに、震災直後の混乱でそれまでの支援を失い、あるいは地域の耐 性低下のために事例化し、入院に至った患者さんも多くあった。この人たちの多くは未だ 退院できないままでいる。

【PTSDからの回復】

 先に述べた、不応期、過活動期、疲弊期、抑うつ期という過程がPTSD発症の過程とすれ ば、回復の過程はどうであろうか。愛する家族が亡くなった後の喪の作業、あるいは失恋 から立ち直る過程、死に至る病名を宣告されそれを受け入れていく過程などがモデルとな る。まとめると、否認、怒り、取引、受容、統合の過程である。分裂病の回復過程では、 それを促進あるいは阻害する因子がある。PTSDでも同じことが言えるだろう。PTSDの回復 過程を阻害するものは疎外である。PTSDの治療で自助グループ活動や集団療法が強調され ているのは、そのためであろう。震災後のこころのケア活動でも疎外状況になりやすい仮 設住宅にふれあいの場を作る努力がされている。

 今回の震災で、PTSDがどの程度出現するかはまだわからない。これから長い経過を見な ければならない。おそらくPTSDの人が精神科の医療機関を訪れることは少ない。むしろ心 身症的な症状で一般科を受診することが多いと思われる。あるいはその他の相談機関を訪 ねたり、家族や友人に援助を求めることも多いだろう。PTSDは極限状況に身をおかざるを えなかった人の誰にでも起こりうることである。周囲の人たちのPTSDに対する理解が大き な支えになるだろう。


院内災害訓練(傷病者受け入れ訓練)の企画に関する検討

(赤塚あさ子、 石川 清、伊藤安恵、井嶋廣子、寺西美佐絵、鈴木伸行、佐藤公治 :日本集団災害医学会誌 7: 63-72, 2002)


要旨

 有意義な訓練を実施するためにはその企画が最も重要となる。大規模な爆発事故が発生した との想定で傷病者約30名の受け入れ訓練を企画した。7つの目標:1)災害対策本部運用、2) 情報伝達、3)傷病者受け入れ部門設置、4)医療救護、5)災害対応能力確認、6)災害マニュアルの見直し、 7)社会へのアピールを掲げ、傷病者搬入→トリアージ→治療→病棟への収容までを行った。訓練内容 は参加者に知らせ、模擬患者の想定は知らせず、傷病者受付け、検査、レントゲン、処置等 は詳細な取り決めを行い事前に説明会を開催した。参加者全員にアンケート調査を実施し評価 を行った。模擬患者には防災ボランティアを選び、事前に教育を行い迫真の演技を行わせた。 参加者が真剣に取り組むべくマスコミ取材を依頼した。訓練企画は災害対策委員会が行い、実 際の訓練には参加せず訓練のコントロール、 アドバイスのみを行った。この結果訓練全体を詳 細に把握することができた。

訓練の概要

  1. 日時:2001年9月26日(水)、午後1時50分〜3時30分の通常診療時間内

  2. 場所:救命救急センター内

  3. 想定災害:2001年9月26日(水)午後1時40分頃、病院近くの地下鉄工事現場にて、大規模な爆 発事故が発生、作業員及び一般市民多数が負傷した。直後に救急指令室より多数の負傷者の搬 送要請あり。

  4. 模擬患者設定:模擬患者は重症、中等症、軽症を含め30人程度とし、赤十字防災ボランティ アおよび日本語の分からないボランティアの外国人2名を模擬患者役として選んだ。各々の模 擬患者について症状、診断、なされるべきトリアージ区分・検査・処置、搬送されるべき部署 等を詳細に決めておいた。

訓練スケジュール

結果

問題点:

考察

 近年、災害拠点病院を中心に多くの施設で盛んに災害訓練、研修が行われるようになった。 従来の訓練はあらかじめ計画された訓練行動計画をより完全に消化することだけを目的とし た、形骸化したものが多かった。真に必要な訓練は訓練者が主体的に動くことが目的であり、 その意味では訓練の細部までの取り決めは行わず、各部門の責任者の判断に任せることも必 要となる。そのためにも訓練の企画が重要な意味を持つと言える。 本訓練では訓練スタッフが 現場の状況に応じて模擬患者の搬入時刻を変えたり、予定外の模擬患者の数を追加すること により、訓練をコントロールした。これによって各エリアはある程度パニックを起こした状態 となり、常に緊迫した雰囲気を維持することができた。しかし、訓練参加者にただ徒にパニッ クを起こさせるだけでは、正確なトリアージ、治療が実施されない可能性があるため、訓練コ ントロール役の任務は非常に重要となる。

 訓練の企画に当たっては日時の設定も重要な要件となる。今回は平日午後、診療時間内に訓練 時間を設定し、通常の診療を全く変更せず、実際の救急患者や、外来・入院患者の診療を平行 して行い、そのためのスペース、医療スタッフは訓練参加者とは別に確保した。

 訓練の評価については、あらかじめ傷病者毎に検査・レントゲン結果等を作成し、訓練終了後 に検証を行う予定であったが、事前の説明が不徹底で取り決めが守られなかったことが大き な要因であった。災害訓練後の検証や評価についての重要性は誰もが認識しており、今後は チェックリストを用いた評価、訓練参加者以外に災害医学に精通した審判員を設置し、客観 的な評価を加えることも必要となる。

 情報伝達に関しては、災害時専用の無線など新たな伝達手段を考慮する必要性がある。

 社会へのアピールとしては、マスコミに訓練の報道を行ってもらうため、事前に取材の依頼を し、2社のマスコミ取材が入った。これは参加者が真剣に訓練に取り組む上でも非常に効果的 であった。

 各個人の災害対応能力については、短時間の訓練で、参加者全員に災害医療についての十分 な対応能力を理解させ、全ての目標を達成することは容易ではなく総合訓練の重要性は強調 されるべきではあるが、各部署で対応すべき訓練、あるいは目的を設定した机上訓練などの 企画も必要となる。

 災害マニュアルの見直しについては、今回の訓練を実施することにより、机上でのみ作成し た災害マニュアルでは、実際の災害時に適切に対応することは難しく、詳細にマニュアルを 見直す必要性が生じた。

 今回の訓練では、7つの訓練目標を掲げて総合的な訓練を行ったが、最重視した災害対策本部 運用については、病院幹部が主体的に動き、指揮命令系統の確立が得られた。

 全般的にみれば今回の訓練の企画は概ね成功であったが、詳細な点については改める個所も あり、今後の課題といえる。


4 災害医学と情報

(白川洋一ほか、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.38-50)


 災害時の医療・救援活動を円滑に行うためには情報の迅速かつ正確な伝達が必要であるが、 災害時には情報の伝達に必要な機器、システム等の破壊、混乱によって必要な情報が入手し にくくなり、被災地での医療能力は低下する。1995年の阪神・淡路大震災、東京地下鉄サリ ン事件での問題点の一つに災害直後の情報収集と情報伝達に有効な手段が確保されていな かったという点が上げられる。

 阪神・淡路大震災では病院機能を損なった原因として施設や機器の損壊、停電の他に、電 話の不通をあげた施設が約60%あったことが特徴である。さらに全国からの電話が集中した 結果、被災後6日目ぐらいまで極端な輻輳状態となりほとんど交信できなかった。これにより 被災者救済に必要な組織の間での情報交換を、もっとも必要な時期に障害することとなり、 医療機関も電話が回復する前に被災状況を関連機関に伝えることが困難で、しかも職員が救 急隊員や患者家族に伝えるという原始的な方法に頼らざるを得なかった。また被災後1週間以 内に他院へ患者を転送する際、電話の不通のため転送先を見つけることが困難であったため 一部の医療機関に患者が集中するという事態となった。このようにわが国の災害医療体制に おける通信システムはあまりにも電話に依存しすぎであったということが露呈した。

 東京地下鉄サリン事件は全く予想不可能な事態で、直後は深刻な情報不足のため、対応が 極めて困難であった。原因物質の情報をテレビを通じてはじめて知ったという医療施設は 73%にものぼり、50人以上収容した医療機関の半数は有機リン剤中毒の経験がほとんどな かった。サリン中毒の治療についての情報源として最も多かったのは日本中毒情報センター からのもので、センターに対し問い合わせの電話が殺到したため、事件発生後数時間はほと んど話し中で、素早い情報伝達が困難であった。このような情報伝達の遅延が適切な処置の 遅れにつながっていった。この時点でわが国には災害時の情報共有や専門家に助言を求めることのできる 公的なネットワークは存在しなかった。

 これら2つの事件では状況は全く異なるが、災害時の通信体制が確立されていなかったこと が共通点である。この教訓から誕生した公的な情報ネットワークとして広域・災害救急医療 情報システムがあり、研究者や臨床家の自主的な努力によって作られたメーリングリストも ある。これらはインターネットの利用を基盤としていることが特徴である。

 災害時の情報伝達は初動期の災害管理の成否の鍵を握っており、医療活動の場と、関連機 関の間に密接な連絡網を築く必要がある。この通信体制は不測の事態でも機能するものでな くてはならず、有用な初期情報を伝達し、正確な情報伝達によって外部からの状況確認を最 小限にし、職員が外部に対する情報提供に追われることを防ぐことができる。

 阪神・淡路大震災と東京地下鉄サリン事件以後、災害時の医療を維持する通信体制は改善 されてきた。大災害時に中心的な役割を果たすことが期待されている医療機関では、災害時 の情報交換手順、担当者などが記載された防災計画や防災マニュアルの策定が必須であるが 全国的にはマニュアルの策定は遅れているのが現状である。

 災害時の電源の確保は医療施設の機能を維持し、災害情報を発信するために必要である。 電話の途絶・輻輳に対しては、医療機関と周辺の重要施設との間に専用回線が必要がある。 携帯電話は通常電話線が途絶しても使用可能である場合があるが、携帯電話がこれだけ普及 してしまうと輻輳は免れないであろう。防災無線は電話の途絶・輻輳時に強力な手段である が、医療機関にはほとんど設置されていない。この点で大阪府では府庁と災害基幹病院との 間に衛星通信網が作られており、目標とすべきである。

 電子メールやメーリングリストなどの簡便な方法でも、データ通信によって被災状況や収容 患者の情報など被災地外へ送信することで、救援チームの派遣や、後方病院への患者受け入 れを円滑にできる。ホームページは各施設の被災状況を掲示しておくことができるが、患者 の個人情報の扱いに考慮が必要である。

 広域・災害救急医療情報システムは全国共通の入力項目によって災害医療情報を送信し、 被災地の医療機関の状況、全国の医療機関の支援状況を各地の関連機関等が把握、迅速かつ 的確に救援・救助を行うことを目的とし、地域の医療機関、関係団体、消防機関、保健所、 市町村などの間の情報ネットワークを確立し、また都道府県間の広域情報ネットワークを形 作るものである。問題点としてはまず未導入都道府県についてであるが、これについては未 導入県における行政ならびに医療関係者が、県全体の被災情報、救援に関する情報などを入 力する体制を作ることであり、それまでは本システムにアクセスする権限が与えられてい る。次に災害時の運用であるが、本システムによる通信に1人専念させ、中央政府や関係機関 の判断材料になるデータを収集することで戦術的に全体を利することになり、また複数の担 当者を用意し災害通信訓練によって入力手順等を習得させることが必要である。次に災害時 に市民、NGO、報道機関などに対しどの程度の災害情報が提示されるかであるが、その基準に ついては明瞭には理解されていない。

 停電・電話の不通などに陥った医療機関と被災現場や救護所に出動する医療チームでは、 通信手段として携帯可能なものが必要となる。衛星通信機器、動画転送装置などからなる情 報機器を自由に扱える担当者が医療チームや被災医療機関に加われば確実な通信能力を備え ることができる。

 現在のわが国の災害通信体制の問題点として公的な災害医療ネットワークが未導入である 府県があり、この地域からの情報集約の方策を確立する必要があり、災害時に円滑な入力が できるように訓練をする必要がある。わが国では組織内では情報伝達手段に長足の進歩が見 られるが、組織間を結ぶ横の情報伝達手段には乏しい。各機関の情報収集、伝達手段は独自 に運営されており、医療機関との連携は考慮にはない。また公益を優先した災害時報道体制 は確立されていない。被災者やNGOに対する情報提供体制も受け皿が必要である。現状として は主要医療機関や救援チームごとに様々な悪条件を想定した通信能力を備える必要があり、 さらに縦割り組織やマスコミ、学会、NGOなどとも災害情報交流チャンネルを持つことが必要 である。


ノースリッジ大地震

(小川和久:ロスアンゼルス危機管理マニュアル、集英社、東京、1995、21-34)


概要

 1994年1月17日、月曜日、午前4時31分、マグニチュード6.8の地震がロサンゼルス市を襲っ た。市のほとんどの地域の建物は甚大な被害を受けた。地震による死者は61人、そのうち16 人は1棟のアパートの倒壊によるものである。怪我人のうち6,547人は病院で治療したその日 のうちに帰宅したが、1,292人は入院した。1月21日の時点では地震による負傷で入院した者 のうち216人がまだ病院で危篤状態にあった。

市の対応と短期復旧

 市長 市長は緊急対策本部(EOC)に出向き、午前5時30分、地域非常事態宣言に署名し、市 の緊急対策機構(EOO)の即時活動を命じた。カリフォルニア州知事、米国大統領に地震によ る被害について報告した。知事は1月17日ロサンゼルス郡の非常事態を宣言。大統領もまた、 1月17日、カリフォルニアに大災害が発生したことを宣言した。

 EOO EOO(緊急対策機構)の評議委員とスタッフは複数の情報源から正確な損害評価も割り 出す作業に従事した。 EOC EOC(緊急対策本部)は午前4時35分、警察と消防によって活動を開始した。

 MEOC 市役所東棟のEOC施設の使用が困難となったので移動緊急対策センター(MEOC)がド ジャー・スタジアムに設置された。ただし、東棟の問題は解決されたためMEOCの全面的使用 には至らなかった。

 LAPD ロス市警(LAPD)は地震発生直後から数分以内に消火や救助活動、重要施設損害評価 手続きの指揮、犯罪警戒パトロールなどに出動し、警戒体制に入った。警察の連絡センター に1月17日には通常の約4倍の電話がかかり、そのうちの65%に対応した。翌18日は通常の2倍 の電話があったがそのうちの99%に対応した。

 LAFD LAFD(消防局)のヘリコプターは地震発生後まもなく出動したが、暗闇のため被害の 正確な空中損害評価は困難だった。状況に即してヘリコプターによる空中消火を建築物火災 に対して行った。

 交通局 自身による地域の交通機関にあたえた衝撃は甚大であり、主要フリーウエイの封鎖 が必要であった。新鋭のATSAC高性能コンピューター交通管制システムにより、フリーウエイ 平行道路の交通量が40〜120%増加したにもかかわらず迂回路の交通量を管理することができ た。

 BOE BOE(公共事業局)は市の基幹施設(橋梁)や管轄下の施設の被害状況を調査し、安全性 を検査した。

 1月17日のごみ収集は6地域のうち1地域を除いて平常どおり行われた。

 ロサンゼルス市史上初めて完全な停電が起こったが、24時間以内に93%の電力が回復した。 35万人が断水の被害を被ったが、約1週間も経たないうちにほとんどの断水は復旧した。市全 体の給水が復旧するには約13日かかった。

 建物安全局 市内の民間建築物被害総額の見積もりは170億ドルである。

 人事局 ボランティアに対する要求は、高齢者センター、介護施設などが大半を占めた。 公園管理局 地震の被災者のための最初の避難所は1月17日の午前10時に高校や公園の敷地を 利用されて開設された。当初利用者は避難所の収容能力を超えていたが、1月21日の夜になり 許容範囲内に収まった。

 高齢者対策課 300万人の地震被害者のうち、41万人が高齢者であった。そのうち11万人が一 人暮らし、4万人が低所得者、6万人が寝たきりか身体不自由者である。3000人の高齢者が家 を奪われた。

 その他 市政記録係、地域社会開発課、会計課、文化事業課、環境事業課、情報サービス 課、図書館などが地震に対する活動報告をしている。

地域面での相互活動

 地域、州、連邦 交通機関の復旧、被災者への住宅問題、災害センターの開設の3部門にお いて地域、州、連邦が協力調整を行った。

 大統領 クリントン大統領は閣僚、大統領の個人アドバイザーを派遣し、1月19日には大統領 自身がロサンゼルスを訪れた。

 ガス ガス会社は水道電力局や消防と密接に協力しガスサービスの復旧と管理を遂行した。 その他 アメリカ赤十字、救世軍など地域密接機関の多くが今回の災害被災者に援助の手を 差し伸べた。


11 円滑な対応

(島崎修次・総監修、化学物質による災害管理、メヂカルレビュー社、大阪、2001、p.50- 54)


1.円滑な対応

 英国厚生省では、円滑な対応を以下の項目に配慮しつつ援助を行う。

2.現場における被災者の管理

 病院では化学災害現場への医療チーム派遣を考慮しなければならない。

 危険物資による災害の特徴は、被災者をだした原因となる汚染物質が救助活動にあたるものにとって も危険であるという点である。

 危機管理・・・救急医療従事者が障害を受ける危険性と救助活動のバランスを考慮したものでなければ ならない。

 このことは、汚染された被災者が運び込まれる救急外来でさらに難しい問題となる。

 もし被災者がまだ汚染されたままだったら、救急外来医療スタッフに汚染のリスクを高め、施設は除 染のために閉鎖されることにもなる。救急医やスタッフに二次救命処置を頼んだ場合、災害現場で可 能な限り被災者の除染と蘇生を行う。

 初期の除染施設を準備するために、除染区域は受け入れ病院の外に設置されることもある。

3.現場における被災者の取り扱い

 障害を受ける危険を最小にするために、最初の処置ラインは遮蔽ラインの内側で行われなければなら ない。災害現場は「汚染」区域、「除染」区域、「非汚染」区域、に分別される。

  1. 初期救助・・・消防隊による災害地点での初期救助活動である。気道確保、頚椎固定が含ま れ、特別な医療行為が要求される。

  2. トリアージと衣服の除去・・・被災者ははっきりと分かるトリアージエリアに運び、顔を除染 した後、より高度な気道確保を行い汚染衣服を除去する。

  3. 除染・・・衣服除去後、救急ストレッチャ−に乗せて引き続き蘇生や皮膚の除染を行う。

  4. 蘇生と避難・・・除染エリアからPDS標準のストレッチャ−に乗せられた被災者は非汚染 / 汚 染ラインから、汚染されてないストレッチャ−で避難させる。救急医療担当者はこのラインを超えて はならない。歩行可能な被災者、汚染した人はトリアージエリアから除染ポイントに移動させそこで 除染と衣服除去する。安定し、除染が終了した被災者は最も近い救急医療施設へ搬送する。


2 交通災害.A 列車事故

(二宮宣文、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.105-12)


 最近は、輸送量の増加にもかかわらず列車事故の件数は減少の傾向にある。

 列車事故の原因の内訳であるが、平成10年度の発生件数でみると、踏み切り事故481件 (50.7%)、人身事故352件(37.1%)、道路障害78件(8.2%)であった。

 列車事故の半数を占める踏み切り事故の原因であるが、直前横断が59.3%、落輪・停滞・エ ンストが21%であった。

 平成10年の列車事故のうち、列車の運転事故による列車事故の事件件数は38件(4.0%)であ り、原因は車両・鉄道施設によるもの、職員の誤操作によるものが半数を占めた。平成10年 度の列車事故による死傷者は723人であった。

 また、脱線・衝突などによる列車事故は一度起こってしまうと大規模な災害を引き起こす。 平成12年に起こった営団地下鉄脱線事故においては、死亡2名、傷害者34名、計36名の人的 被害が出た。事故発生時、救急車が到着するまでは乗客らによる負傷者の救出作業が行わ れ、偶然居合わせた医師によるトリアージ作業が行われた。救急対応であるが、消防への第 一報は9分後に乗客よりあり、さらに駅員から「電車火災でけが人が多数ある」と通報が あった。東京消防庁から消防隊37隊、救急隊26隊、航空隊1隊、その他11隊の出動があっ た。消防機関の活動は1)災害発生場所の確認と状況把握、2)医療機関の確保、3)現場 救護所の設置と救急指揮所の設置、4)救出活動、5)現場救護所の設置、6)救護活動、 7)傷病程度の確認、8)トリアージ、9)傷病者搬送であった。この事件での課題である が、災害発生初期に出動する隊の主なものが救急隊なのか救助隊なのか消防隊なのかによっ て現場到着への必要隊の到着が遅れるため災害実態の早期把握が重要になる。また、列車事 故は災害現場が広いため、現場指揮体制をしっかり行う必要がある。本事故では偶然とおり がかった医師によってトリアージが行われたが、このような集団災害時には救急隊の指令と ともに災害救急医を現場に急行させる必要がある。

 列車事故を防止するための安全対策の現状についてであるが、線路施設・運転保安設備など の点検・整備を密に行い、事故が起こった時の救助・緊急体制の整備を行う事が挙げられ る。また、大規模列車事故が起こったときには初期の救出活動、救急措置、そして適切な医 療機関への搬送が重要になってくる。現在の列車事故への対応は沿線の地方自治体へ頼って いるというのが実情である。全軌道を考慮にいれた救急災害医療についても十分準備してお く必要があると思われる。


10 災害に対する行政対応

(土居弘幸、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.239-46)


 阪神淡路大震災を契機として、厚生労働省は「厚生省防災業務計画」を改訂し、災害医療 体制の充実へ向けて新たな事業展開を図っている。

1.災害救助法における災害医療

 災害救助法は災害に際して、国が地方公共団体、日本赤十字社その他の団体および国民の協 力の下に、応急的に必要な救助を行い、被災者の保護と社会の秩序の保全を図ることを目的 に定められた。

 災害の医療については、都道府県知事が医療関係者を救助(医療活動)に関する業務に従事 させることができ(第24条)、その経費および補償についても知事の従事命令に基づく活 動であるならば支弁の対象となっている(第33条)。また厚生労働大臣は、被災都道府県 知事が行う救助について、他の都道府県知事に対し応援するよう命ずることができることと なっている(第31条)。

2.災害医療体制の整備

 阪神淡路大震災の教訓(下記参照)を踏まえ、厚生労働省は健康政策局長通知「災害時にお ける初期救急医療体制の充実強化について」を発出し、都道府県との連携による災害医療体 制の整備に取り組んでいる。

<阪神淡路大震災における医療に関する主な教訓>

  1. 県庁、市役所が被害を受け、情報収集が困難な状況となったこと
  2. 円滑な患者搬送、医療物資の供給が困難になったこと
  3. ライフライン(水道、電気、ガス等)が破壊され、診療機能が低下した医療機関が 多くみられたこと
  4. 一部の医療機関ではトリアージの未実施のため医療資源が十分に活用されなかった こと
  5. 防災訓練や備蓄等の事前の対策が不十分であったこと
  6. 保健所が中心的役割を果たしたこと
  7. 中長期的にはPTSD対策、感染症対策、生活環境が重要な問題であること

3.災害医療の要点

 災害医療活動の5大要件として、1)機動力、2)自己完結的能力、3)危機管理能力、4)中長期 的視点、5)大きな現地決定権、があげられる。具体的な要点を以下に述べる。

1) 災害発生時の自律的な活動

 災害発生直後、行政は直ちに災害対策本部を設置し各種活動を行うが、体制が整うまでに相 当な時間を要する。この時間帯において、地域で必要な災害医療活動の実施が可能となるよ う予め体制を整える必要がある。

2) 地域における災害医療活動の指令命令系統

 「救命救急センター」が都道府県の衛生主管部局との連携により、災害時において中心的な 役割を果たすことは可能である。また保健所が地域の危機管理体制の中核機関として位置付 けられていることから、医療分野においても行政の調整の下に保健所と救命救急センターを 中心とした災害時に有効に機能する指揮命令系統が確立されることが望まれる。

3) 住民参加型活動

 大規模災害時には被災した地域住民による住民参加型の活動が極めて重要となる。救急隊員1 名が数名の地域災害ボランティアを指揮するならば、救急・救助において多大なマンパワー の確保が可能となる。傷病者の介助、救援物資の分配・整理についても同様であり、今後、 地方公共団体職員は、災害時の地域災害リーダーとしての素養を磨くよう研修に努める必要 がある。

4) 情報の共有化

 上記の事項を円滑に実施するには災害時の医療活動に関する情報の共有化が必須である(以下を参照)

4.広域災害・救急医療情報システム

 本システムは従来の都道府県単位の救急医療情報システムを1ヶ所の広域災害情報センター (NTTバックアップセンター)と結ぶことにより、全国共通のデータベースを構築し、このセ ンターにアクセスすることで全国の医療機関の診療情報を共有することが可能となってい る。ただし、いくつか課題が残っており、今後稼動訓練などにより、実効あるシステムとす る必要がある。

<基本コンセプト>

  1. 災害および危機管理等の際の重要な情報収集・提供
  2. 関係省庁、関係機関・団体等との情報の共有化
  3. 災害および危機管理の行政担当者、および関係者間の日常的な情報提供・意見交換
  4. 厚生労働省などの政府方針の周知徹底とフォローアップ

<ネットワークの構築>

 各地域において下記の災害医療関係者の電子メールアドレスなどを登録し地域ネットワーク を構築すること

1)都道府県の災害救急医療関係者、2)救命救急センター、災害拠点病院などの医療機関、3) 市町村の災害救急医療関係者、4)保健所、消防署、警察署、5)大学、試験研究機関、6)学識 経験者、NGO、7)中央官庁

<主な機能およびサービス>

  1. 医療機関の診療情報など
  2. お知らせ:災害に関する情報提供
  3. 災害ライブラリー:関係論文・文献、学会発表スライドなどの提供
  4. 災害メーリングリストリスト:行政(保健所・消防・警察を含む)、医療機関、学 識経験者などが日常より意見交換などを行う
  5. 一斉通報システム:災害発生時に、登録者すべてに電話、ファックス、電子メール で災害発生を一斉通報する


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