災害医学・抄読会 2002/11/25

被災後の心の問題とケア

(岡堂哲雄:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.9-15)


心理的ストレス障害の経過モデル

 人命にかかわる大地震・大火・風水害などの天災、戦闘・テロリストによる破壊活動・強盗傷害・レ イプ・虐待などの人身に対する犯罪行為は、激しく重いストレッサー(ストレスを引き起こす原因) となり、被災者・被害者の心に深く傷を負わせるものである。マックスメン(J.S.Maxmen)の心的外 傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disorders:PTSD)の経過モデルをしめす。

 大震災などの激しいストレッサーに直撃された後の数時間から数ヶ月の間、被災者や被害者はスト レッサーや現実を否認する段階と情意面に混乱が生じる段階とを揺れ動く。否認の時期の特徴は「心 の麻痺」で、ストレスを過小評価したり、出来事を忘れたり、生活に関心を失って萎縮したり、時に は酒びたりになったりする。月日の経過とともに、情意の混乱がブレンドされる。過度に用心深く なったり、苛立ったりする。錯覚や幻覚、悪夢やさまざまなイメージが割り込んできて、心が氾濫状 態となる。不眠や注意が集中できないと訴え、またストレッサーについて思い巡らしたり、理由なく 泣き出す。感情的に不安定となって、ストレッサー以外のことは何も考えられなくなってしまう。 「気が変になるのではないか」といった不安や恐れを感じることさえある。

 また、ストレッサーが引き起こすストレス障害には急性のものと慢性化するものとがあるとされ る。急性のものは、ストレッサーに直面してから6ヶ月以内に発症し、その後数ヶ月続くが1年以上に はならない。遅延して生じる慢性型は、ストレッサーに直撃されてから6ヶ月以後に発症し、数ヶ月 以上持続するもので、予後はいっそう悪いといわれている。

 急性型・慢性型ともに、最初のストレッサーに類似した状況に出会うと、症状が悪化する。症状の重 篤度や持続性の面では、レイプや虐待などの人間による被害のほうが、地震や風水害などによる被災 の場合よりもいっそう重いといわれている。

 マックスメンによると、PTSDの患者になされる通常の治療は、心理療法やカウンセリングを5〜16週 間行うことで終結となる場合が多い。

 治療過程は、次の段階を踏んで進むものとされる。

 さらに、フィグリー(C.R.Figley)らは、家族療法の効用を強調している。激しい天災・人災は、家 族の絆を強めることのほうが多いけれども、家庭内離婚のような状態の夫婦には離婚を促進するきっ かけとなりやすい。また、身内の大事な人が被災死した場合には、残された遺族に対する心のケアが いっそう必要となる。家族療法・家族カウンセリングを個別援助とあわせて実施することによって、 被災・被害による苦悩からの回復を積極的に支援する。


ヒンズークシュの青い空

(金田正樹:災害ドクター、世界を行く、東京新聞出版局、東京、2002、p.57-73)


 医学部卒業を目前に控えた6年生の夏、未踏峰への挑戦をかけて二度目のアフガン入りをした。ポー ターを雇う段になって、現金収入の少ない現地住民にとってまたとない仕事であるため、二大勢力が 衝突してしまった。隊長と通訳の必死の調停により、その場は収拾がついたが、その後もポーター達 による問題が起こった。キャラバン中最大の難所で、条件が悪いことを理由に、ポーター達がストラ イキに入った。この事態を解決するのに、費用と食料を大幅に消耗してしまった。しかし、彼らとの 交流で新しい発見もあった。日本では魚を表現する言葉が多数あるが、彼らでは一つしかない。一 方、彼らはラクダやロバを表現する言葉に限りがない。何が生活に密着しているのか、文化の違いを 感じさせる出来事だった。また、キャラバンの途中の村で、病人を見ることになった。生活環境は決 していいものとは思われず、眼疾患、結核、化膿性疾患の患者が多数見られた。この村の印象は、今 でも鮮明に記憶されている。目標の山には、時間がかかりそうで無理と判断し、無名の3つの未踏峰 をいただくことになった。この山は世界ではじめて自分が登ったのだという感激があった。

 首都カブールへの帰路の途中、一度目のアフガンで出会った通訳の学生と再会。しかし彼は、通訳代 として多額の金をもらうと退学し、宝石の密輸の仕事をはじめていた。登山隊が彼の人生を変えたの か、と思うと胸の痛む思いがした。

 厳しい環境の中で逞しく生きる種族、初登頂の喜び、医療の届かない世界、飢餓の恐怖、親切で友好 的に接してくれた人々への溢れる思いを胸に、アフガンを去っていった。外傷の専門医になりたいと は思っていたが、山に登りたい一心で、医者としての動機が不純であることはわかっていたが、頭の 中からヒマラヤの意識を消すことはできなかった。


炭疽菌を疑わせる「白い粉」事件の院内発生を経験して

(佐々木秀章ほか:日本集団災害医学会誌 7: 23-28, 2002)


事件の概要

発生場所:沖縄県立北部病院

概要: 2001年11月9日11時40分、白い粉が入った雑誌が 売店に返品されたとの情報が入った。米国炭疽菌テロから日が浅いこと、 病院は米軍基地の集積する沖縄県に立地していることから、炭疽菌による 生物兵器テロの可能性が否定できず、対策本部を設置し事件に対応した。白い粉が 炭疽菌の検査の結果11月11日に陰性と判明するまで、迅速十分な対応をとり、地域の信頼 を損ねることなく、業務の早期再開をはかっている。

経過

11月9日(金)
11:40

白い粉が入った雑誌が売店に返品されたと院長へ連絡。
警察へ通報、保健所とともに対策本部を設置。
汚染区域と思われる売店周囲を閉鎖。関係職員のみに通知。

12:20

第2の粉発見の通報。12時頃、内科外来受付で白い粉を発見するが、危険物の認識なく、 拭き取ってゴミ箱へ捨てたとのこと。
外来部門への汚染拡大と考え、事件の公表を行う。
1階部分の業務停止を指示。
事件発生時に汚染区域内にいた患者、職員の名簿作成。
消毒、予防内服の処置まで帰宅制限の協力を求めた。

14時台

職員による巡視で内科外来ソファーに第3の粉を発見。
機動隊が到着し調査開始。
第1発見者の予測される行動範囲から非汚染区域と思われるゾーンの患者は帰宅許可とする。

15時台

第1発見者が来院し、院内での行動を説明。それによると雑誌内の粉と第2,第3の粉は同一 であることが判明。

16時台

本日来日したすべての患者リストを作成し連絡を始める。
機動隊による院内消毒作業完了。
院内待機していた患者への予防投薬開始、記者会見開始。

18時頃

待機患者への予防投与終了。患者帰宅。付添人等の受診開始。

19時台

病院閉鎖解除、通常業務再開、希望する職員へ予防投薬開始。

11月10日(土)

入院患者および付き添いに院内放送で経過を説明。
電話連絡体制を整え、鼻腔検査や電話相談を実施。

11月11日(日)

炭疽菌陰性の報告を受け、予防内服中止の指示を行う。

11月10日(土)

警察に徹底捜査を依頼。職員全体による反省会。

予防投薬について:2日間で409名に処方。基本的にはシプロキサン(500mg)1日2回。妊婦、小児にはペニシリン系を投与。

考察にあげられている問題点

教訓


9 健康管理当局の役割と責任、10 他の機関の役割と責任

(島崎修次・総監修、化学物質による災害管理、メヂカルレビュー社、大阪、2001、p.40-48)


 英国健康保健制度局は、化学災害対応を率いる監督官庁ではないが、被災者の治療に関しては、責 任を負っている機関である。

 英国では、国として、化学災害対応のために英国厚生省の緊急事態計画指揮センターが政策ガイドラ インを各地域・関係政府機関・救急隊・ボランティア部門・NHSにそれぞれ示している。

 また、州レベルでは、有事のために各省庁間の調整を行う担当官を用意している。また、化学災害の 性質上、州の境界を越えた汚染や、ひとつの州だけでは対応しきれないこともあるので、州の境界、 又は州の境界を越えて、調整にあたる担当官を用意して、対策にあたる。また、情報の共有化を課題 としている。

 地域レベルでは、危険性の特定、治療の供給体制、計画、協力関係の確立、ネットワーク、フォロー アップ、といった計画を立てる人間、また、その計画を監視する担当者を決めて、対策にあたってい る。

 救急医療部門として、警察・消防が災害にエリア・災害に対応する機関の整理とコントロールを担 い、救急隊・医療チームが助言と調整、医療処置にあたる。

 救急医療、地方機関からの代表者を含んだ組織が、救急医療現場において各機関が協力して有効に活 動できるように調整することを目的として、国全体もしくは一行政区を単位として事前に災害に備え た計画作りをしている。その仕組みとしては、災害時には総指揮チーム(ゴールド)、現場総監督 チーム(シルバー)、現場のそれぞれのチームリーダー(ブロンズ)、それぞれの実働部隊のピラ ミッド式に活動するようになっている。また、化学災害対策には、中毒学的、疫学的、環境学的な データの収集、再検討、そのデータの共有なども欠かせない。データの所有などの権利を明らかに し、調整にあたることも対策とされており、また、災害後に症例の追跡を行い、分析・仮説の形成を 行うように用意している。


一般医師に対するトリアージ反復訓練による習熟効果

(加来信雄:日本集団災害医学会誌 7: 48-53, 2002)


 平成7年に発生した阪神淡路大震災で多くの死傷者を出したが、その原因として初動対応の遅れが 指摘された。そのため、全国的に災害危機管理の見直しと救護訓練が行われるようになった。救護訓 練として行われたものは、航空機事故やビル火災など、災害現場を模擬化したり、模擬負傷者に仮装 を凝らして臨場感を高めて行われている。しかし、これまでその訓練は一回のみのものしか報告され ていない。

 本論文は福岡県下のトリアージ訓練を受けたことのない一般医師に対し、トリアージの反復訓練に よる習熟効果を客観的に評価することを目的に行った救護訓練について報告したものである。災害は マグニチュード7.4の地震災害で約4000名の負傷者が発生した大規模災害を想定。模擬負傷者は30名 とし、トリアージ問題は、プレテスト用10症例と本試験用として先ほどの模擬負傷者30症例(赤色11 例、黄色9例、緑色6例、黒色4例)を作成した。2人一組でトリアージを行うが、1回のトリアージ時 間は3〜4分、救護所までの搬送時間を含めて10分とし、20分毎に3回行い、正答率から習熟効果を評 価する。平成8年から11年までの4年間、年毎に異なった場所で同一の資料と方法を用いて行った結 果、各年とも繰り返すごとに正答率は上昇し、年毎の平均正答率は平成8年から平成11年までで 67.3%から84.7%に上昇した。これらの結果を踏まえて筆者らはトリアージの習熟度を高めるには3 回程度の反復訓練が必要と結論づけた。

 年毎の正答率の上昇については、研修対象者に災害拠点病院の参加者が年毎に増加したことを一因と 考えたが、専門分野は一般病院と差異はなく、トリアージの経験のない医師に限定しているので年毎 の研修対象者間でトリアージ能力に差異はなかったとし、一般的な意見とは逆に災害認識度が高まっ ているのではないかと推察している。

 トリアージの評価に 1)アンダートリアージ、2)オーバートリアージがあり、判断が前者に傾くと、 救命できる筈の負傷者をみすみす失うことになる一方、後者に傾くと重症でない負傷者を高次病院へ 搬送してしまい、高次病院の診察機能が低下することになる。一般にトリアージは アンダートリ アージは否定され、オーバートリアージは救命という視点から寛容されている。本研究では赤色タグ の誤答率が高く、それも黒色にしたものが80%、黄色にしたものが20%となっており、赤いタグ症例 の判定は細心の注意を要するとしている。

 "限られた医療資源の中で最大多数の人命を救う"というのがトリアージの基本理念だが、そこで問 題となるのが黒色タグの重症度基準である。重傷者1人を救うために5人の人命を失ってはならないと いう視点で、黒色タグに生命兆候があっても通常の処置では救命できない症例を含めると、結果とし て赤色タグ症例に誤答が出てくることになる。こうしたことから、今後黒色タグの"重み付け"つま り、生命兆候のあるなしの基準に各人で差異が出ないように明確にしていく必要がある。

 一般医師が行うトリアージには様々な困難が付随する。例えば、状況が危機的であること、日常診 療とは違い野外またはそれに近い場所であることなどである。

 そのような非日常的な環境で的確かつ迅速な判断を下せるようにするには、一般的な知識だけでなく 実際に模擬負傷者を用いた訓練を行うことは有意義であると考えられる。また、その訓練は習熟され ることが重要で、それには本論文にあるように3回以上の反復訓練が必要である。特に近い将来、大 規模災害の発生が危惧される昨今、我々医療従事者にとってこのトリアージを行う手技習得の必要性 は高いと思われる。さらに、これらの重症度判定は日常診療にも役立つものと思われるため、今後私 たちの教育に積極的に取り入れられるべき分野であると考える。


13 特殊災害

(Burcle FM、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.317-326)


Complex emergencyとは

 ポスト冷戦時代では、社会的、経済的、政治的にきわめて不平等な状況に置かれている国や地域が 分裂国家(disrupted states)と呼ばれるようになった。そのような分裂国家が形成された背景に は、それまで冷戦体制や独裁政権によって保たれていた政治的、軍事的なバランスが、それらの終結 により崩壊したことによる。分裂国家がいったん戦争という事態に突入すると、分裂国家を崩壊に導 く要因は無数に存在するので、複雑な緊急状態(complex emergencies:CE)に陥ることが少なくな い。ここではCEは「主に政治的要因と非常に大きな騒乱状態によって、人々が社会生活を営むのが脅 かされた状態」と定義されている。

 1990年代の10年間にCEとみなされた紛争は少なくとも38件にのぼる。これらの紛争での一般市民の 犠牲者は、軍隊の交戦による犠牲者をはるかに上回る。しかも被害者の大多数は女性、子供、高齢 者、などの災害弱者がしめており、なかでも5歳未満の子供、幼児の占める割合が高い。

Complex emergenciesの疫学

 CEの保健医療サービスには、戦地や医療資源の乏しいなかでのトリアージの知識に加えて、多機 関・組織、連合軍の統括管理、輸送、通信、安全確保、物資補給、交渉、国際人道法、異文化や社会 心理的要求の理解などについても見識ある専門家が必要とされる。

 BurkholderとTooleはCEの疫学を緊急急性期、後期急性期、緊急事態以後という3つの時相に分け、 各々の時相に、健康指標で表現される事象のパターンと、それに対応する保健衛生管理とが示されて いる。

 開発途上国では、5歳以下の小児の低栄養と感染性疾患による死亡率・罹患率の減少に重きを置 く。経験的に、医療以外の保健インフラの回復プログラムの次に母子保健・予防接種・メンタルヘル ス・生殖保健・性行為感染症などの管理が必要となる。

主な救援団体

 CE初期の人道援助には膨大なロジスティック(物品や人員などの補給・供給)が必要であるが、ど んな組織といえども、あらゆるニーズに応えられる資源を持っている訳でない。一般的に、主な援助 団体の資格は、援助に必須の諸資源のロジスティックシステムを保有しているか否かによって問われ ることになる。主な援助団体は国連、国連機関、非政府機関(NGO)、国際赤十字委員会(ICRC)と 連合国軍であり、それぞれが重要な役割を担っている。日本の国際協力事業団(JICA)もNGOや国連 機関を通して財政支援に重要な役割を果たしており、主な援助団体に数えられる。

CEの保健医療にかかわる諸問題


5 人為災害:1.大火災

(國井 修、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.91-104)


<大火災とは>

 人的被害の有無にかかわらず、建物などの焼失面積が33,000m2以上の火災をいう。「大火災」 は、本邦では「大火」と明確に区別された定義はないが、米国消防庁(U.S.National Fire Protection Agency)では、catastrophic fireとして、居住地火災(residential fires)で5人以 上の死亡、非居住地火災(nonresidential fires)で3人以上の死亡をもたらす火災と定義してい る。平成11年度消防白書によると、日本における総出火数は58,534件で、一日あたり160 件、約9分に1件の火災が発生している。建物火災が5割以上と最も多く、次いで林野火災、車両火 災、船舶火災、航空機火災となっている。

<歴史と現状>

 古くは縄文時代から火災で焼けた集落が確認され、弥生時代には消防の後が発見されている。人口 の集中する城下町で多く、戦火の記録もある。近年は、耐火建築の普及と消防力の向上により、市街 地大火は大幅に減少している。しかし一方で、耐火建造物の高層化、密閉化により、一建物内で多くの死傷者をだす火災が増えてきた。特に、有機物を含む建築資材、家具、カーテン、衣類など合成繊維の燃焼により発生する有毒ガスの中毒によって死亡する例が増加している。なお、地震に伴う大火は、近年になっても少なくなく、現代の都市でもまだ完全に防ぐことはできない。

<火災に伴う傷病>

 本邦では火災によって被害を受け、火災発生後48時間以内に死亡した犠牲者を火災死者と定義しており、平成11年では、平均一日あたり死者が5.8人、負傷者が20.4人となっている。このような死傷原因には、1)着衣への引火および火災による熱傷、2)有毒ガスなどによる呼吸障害、3)高温空気・ガス吸引による肺熱傷、4)電撃による外傷、5)眼障害(熱傷、有毒ガス、異物挿入など)、6)火災現場からの脱出に伴う外傷、などがあげられる。このうち、死因に限ってみると、CO中毒などの有毒ガスによる中毒死や意識消失したあとに焼死するケースが多く、CO中毒または窒息による死亡は40%といわれている。

<医療対策>

 喉頭浮腫が発生すると気管内挿管が極めて困難であり気道切開を強いられることもあるため、気道熱傷を疑ったら呼吸状態と動脈血酸素飽和度を厳重にモニターし、気道の正常化・感染防止を行う。また、予防的な気管内挿管も考慮しておく。

 また、血中CO-Hb濃度の測定にて異常値を示した場合、高圧酸素療法や純酸素による陽圧過換気等の処置を行い、CO-Hb濃度を7%以下になるまで続ける。来院時のCO-Hb濃度は、CO吸入中止から測定までの時間に影響されるため、必ずしも重症度を反映しないことに注意しなければならない。


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