災害医学・抄読会 2002/07/26

災害医学と災害医療

(鵜飼卓、山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、pp.1-5)


● 「災害disaster」の概念

 重大かつ急激な出来事(旱魃のように緩徐なこともある)による、人間とそれを 取り巻く環境との広範な破壊の結果、被災地域がその対応に非常な努力を必要と し、ときには外部や国際的な援助を必要とするほどの大規模な非常事態のことを 災害disasterという。基本的には被災者数、負傷者数、被害額などで規定される べきものではなく、地域の対応能力との関連で考慮すべきことであるが、対応レ ベルの決定に関連して「一度に15名以上の多数の傷病者が発生した場合を集団 災害とみなす(自治省消防庁)」などとされている。

 原因によって、自然災害と人為災害とに大別される。自然災害とは地殻変動や気 象上の変化によって引き起こされるものであり、地震・津波・火山噴火・台風な どがある。人為災害としては大型交通事故やtechnological disaster、戦争やそ れに伴う難民の問題などがある。特に社会のinfrastructureの荒廃が加わって、 医療を含む人道援助が極めて困難な状況をcomplex humanitarian emergenciesと 呼んでいる。

 災害の持続期間によって、急性型と慢性型に分類できる。急性型は大型交通事故 など比較的短時間に終息するものであり、慢性型は旱魃など長期にわたって深刻 化・持続するものである。地震災害ではその影響が数年、十数年におよび、亜急 性型の様相を示す。Infrastructureへの影響が大きければ災害は慢性化する。

● 「災害医療」とは

 災害時の被災者の救護と保健医療サービスを「災害医療」という。災害直後の 被災者の探査・救出search and rescueと搬送transportationというprehospital careに始まり、処置・治療treatment、医療機関との連携refer and transfer、一 次的避難場所shelterでの保健衛生と医療、プライマリーケア、こころのケア、地 域医療再建、コスト問題などきわめて広範・多彩な保健医療サービス分野を包括 するものである。さまざまな職種の人々の協力が必要であり、円滑にすすめるた めの指揮官commanderあるいは調整官ccodinatorの役割が重要である。

 「災害」と平時の医療との相違点は、保健医療の対象者となる患者あるいは被 災者の数と保健医療従事者や施設などの医療資源とのバランスが大きく崩れる点 であり、「災害医療」が必要となる。最大多数への最大善(the greatest good for the greatest number)の医療を提供するために、最も重要な概念がトリアー ジtriageである。多数の傷病者の重症度と緊急性を短時間内に判断し、処置、搬 送、治療の優先順位を決めることで、戦略的で効率を追求したサービスを提供し ようとするものである。トリアージを担当するのは経験を積んだ救急救命士・医 師が適任であり、以下の4群に分けて搬送・処置・治療の優先順位を決める。


優先度区分疾病状況・診断
第一順位
(緊急治療群)
I生命、四肢の危機的状態で直ちに処 置の必要なもの。気道閉塞または呼吸困難、気道熱傷を伴う重症熱傷、心外傷、 大出血、再還流障害による高K血症と危険な不整脈、解放性胸部外傷、ショックな ど。
第二順位
(非緊急治療群)
II2〜3時間処置を遅らせても悪化しな い程度のもの。気道熱傷を伴わない10〜20%の熱傷、多発または大骨折、長管骨 単独骨折、下位脊髄損傷、合併症のない頭部外傷、上部消化管の穿孔性腹膜炎な ど。
第三順位
(軽処置群)
III軽度外傷、通院加療が可能なもの。 小骨折、外傷ですでに止血、小範囲熱傷T度あるいはU度、(体表面積の10%以 内で)気道熱傷を含まないもの、精神症状を呈するものなど。
第四順位
(不処置・非搬送群)
生命兆候のないもの。死亡 または明らかに生存の可能性がないもの、重症顔面頭部外傷、受傷面積90%以上 のV度熱傷など。


 トリアージタッグに傷病者の氏名・性別・年齢・住所・トリアージを行った場 所・実施者氏名・搬送機関名・臨床所見等を記載して、基本的に右手主幹部につ ける。トリアージは1度でなく何回か繰り返し行われ、前のものは捨てずに×印な どを書いて無効であることを示して、その上に新しいものを取り付けるのが原則 である。

● 「災害医学」とは

 「災害医学」は「災害医療」を対象とする学問であり、きわめて歴史の浅い一 分野である。

 1976年に世界災害救急医学会(World Association for Disaster and Emergency Medicine:WADEM)の前身となる研究会が始められたが、学問としての 一つの潮流へなかなか成長できず、1990年代になって「災害」と「災害医療」の 科学的な分析調査が進められてきた。わが国では1988年に集団災害を主題とした 最初の医学会として第1回アジア・太平洋災害医学会(Asian-Pacific Conference on Disaster Medicine)が開催され、その後阪神・淡路大震災を契機として日本 集団災害医療研究会(後に学会)が発足した。

 より合理的、効果的な災害救援活動を模索・試行していくときに、その根拠を 作るのが「災害医学」であり、救急医学・蘇生学・外傷学・疫学・公衆衛生学・ 小児科学・国際保健学・感染症学・中毒学・栄養学などの学際的な研究が望まれ る。

 災害医学研究の成果として、地震などの急激に生じた災害について以下のよう な事実がある。

  1. 48時間以後に生存者が発見されることは、あってもきわめてまれであ る。
  2. 外国からの探査救援チーム(SRT)は、生存者を救出するには到着が遅れ がちである。
  3. 被災直後の被災者の救命措置は外部からの救援者ではなく、被災地域内 の一般人によってなされる。
  4. ごく一部の例外を除き、病院は短時間内に多数の傷病者を受け入れる準 備ができてはいない。
  5. 被災者の実際のニーズや要求を迅速に評価する方法や手段は貧弱であ る。
  6. 外部からの適切な救援を要請したり、来援する救援者達をうまくコント ロールする調整組織や対策本部は滅多にできたことがない。そして外部からの救 援の多くは被災社会にあまり重要な役には立っていない。
  7. 災害後に対策を任された責任者は、彼らの託された責務に十分な訓練を 受けていない。
  8. 被災者が必要とするニーズは、きわめて短期間内に外傷のケアから疾病 や心のケアへと変化する。
  9. 災害管理はきわめて複雑かつ特殊な業務であり、教育と訓練が必須であ る。

 「災害医療」を研究の対象とするとき、通常の他の医学分野とは多少異なる問 題が存在する。

 一般に、医学的な発見・進歩は、事情や症例の客観的分析より一定の法則を見出 し、それをrandomized control studyによって確認・評価して一つの真理に達す る。しかし、「災害」は反復実験をするわけには行かず、個々の災害にさまざま な背景があり、完全に比較することができない。できる限り災害管理のあり方を 一定の基準で沈着に評価し、比較研究しようとする試みが「災害医学」の根幹を なすものである。


テロ災害発生時の医療情報伝達

(奥村 徹・他、治療 84: 1336-1340, 2002)


 我が国では、核・生物・化学兵器テロをまとめて、NBC(NUCLEAR,BIOLOGICAL AND CHEMICAL)テロと呼ばれている。以下に、NBCテロ災害における医療情報の収集 ・管理・伝達等について解説する。

1.IT時代におけるNBCテロ対応医療情報の集め方

 最新の正確な医療情報を得ることはNBCテロ対策において重要である。その情報収 集にはIT(Information Technology)の利用が必要不可欠の時代となってきており、 昨今のNBCテロ対策の公共性、緊急性を鑑みて、様々なネット上のサービスが提供さ れている。いくつか例をあげると、USAMRIID(U.S. Army Research Institute of Infections Disease:米国陸軍感染症研究所)では、バイオテロ対策マニュアル(い わゆるブルーブック)などのNBC対策情報を無償でダウンロードできる( http://www. nbc-med.org/SiteContent/HomePage/WhatsNew/MedManual/Feb01/handbook.htm)。 CDC(The Centers for Disease Control and Prevention:米国疾病管理センター) は、最新情報迅速システムを持っており、メールアドレスを登録すると自動的に感染 症に関わる最新情報が配信される(http:// www2.cdc.gov/ncidod/hip_ms_subscribe.html)。また、International Society for Infectious Diseases(国際感染症学会)は、国際感染症アウトブレイク情報を 配信するメーリングリストを持っている (http://www.promedmail.org/pls/promed/promed.home)。日本国内では、化学テロ 対策に関連して、(財)日本中毒情報センターが九州沖縄サミット時にまとめた医療 情報を公開している(http:// www.j-poison-ic.or.jp/lagakuheiki.nsf)。このように医療情報の共有化が国際的 に急速に進んでおり、NBCテロ災害に対応する者もこれらの流れに取り残されないよ うにIT時代に対応した情報収集が望まれる。

2.内閣官房を中心としたNBCテロ対策の中での医療情報管理

 内閣官房にはNBC対策会議がおかれ、各関連省庁の枠を超えたNBCテロ対策を行って いる。医療情報管理に関しては、厚生労働省が中心となり、警察庁・防衛庁・消防庁 ・文部科学省・経済産業省が関係することになり、これらの省庁間協力が欠かせな い。

 内閣官房NBCテロ対策会議は、2001年11月22日に各都道府県に向けて、NBCテロ対処 現地関連機関連携モデルを通達した。この通達は、化学兵器テロを1つのひな型にし て関連各機関の連携のモデルを政府として示したもので、相互に情報の伝達と共有を 進めようというものである。図1に、同通達中の原因物質の特定における連携を示 す。災害医学的にこの通達を分析すると、現場感染を警察・消防・自衛隊の責務と位 置づけたところ、(財)日本中毒情報センターを化学テロにおける情報の核、コー ディネーターとして位置づけたところにポイントがある。今後は、このモデルに準じ て、各都道府県で医療情報の効果的な分配と共有の早急なシステム化が望まれる。

3.厚生労働省を中心とした広域災害医療情報ネットワーク

 厚生労働省は旧来の救急医療システムを強化して、広域災害医療情報ネットワーク (http://www.wds.emis.or.jp/)を各地で整備している。このネットワークでは、災 害医療に関する情報を網羅しており、各都道府県の広域災害・救急医療情報システム と連動する形になっているが、未だに整備していない地域もみられ、発展途上のネッ トワークといえる。よって、ネットワークのより有効な活用が急務である。

4.NBCテロ対策マニュアルの策定

 医療情報管理は災害対策の大きな柱であり、各医療機関は災害対策計画の中でより 効果的な医療情報管理の運用策を明示しなければならない。そのためには災害対策本 部内に院内の医療情報を統合し、院外の関連各機関と情報の交換を行い、院内に情報 を還元する専任のチームが必要となる。我が国の医療機関においては、災害マニュア ルの策定がようやく始まった段階であるが、今後はNBCテロ対策マニュアルも策定す る必要がある。NBCテロ対応では、NBCの危険性を周知徹底するとともに、汚染から被 災者・医療従事者・医療機関を守ることが最大の目標となる。このために必要となる のが、・個人防護装備・危険を囲い込むゾーニングの概念・危険を認識する測定・検 知・汚染を除去する除染の4つである。各医療機関の実情に合わせた、これらの4つの 対応策の指針となるのが、NBCテロ対策マニュアルである。24時間、365日、院内・院 外のNBCハザードに対してどう対応するのかを示す必要がある。また、マニュアルは すべての院内職員に周知徹底され、定期的に改定されるべきである。

5.マスコミ対応・市民への医療情報開示

 ともすれば忘れられがちなマスコミ対応であるが、後手後手の対応であると、社会 に不信感を与えかねず、最悪の場合にはそのことがパニックを引き起こしかねない。 NBCテロに共通する最大の特徴は、目に見えない危険を被災者・市民.医療従事者・ 医療機関に及ぼす点にある。このため、自然災害以上に市民への広報が大きな意味を 持ってくる。欧米では、テロ災害時におけるマスコミ対応のためのチェックリストが 存在し、市民向けのパンフレットが作成され、ネット上でも公開されている。我が国 でも最近、厚生労働省が『一般の方用・保険所等窓口用・医療機関用パンフレット』 というものをホームページ上で公開しているが、同様のパンフレットを各医療機関で も事前に作成しておく必要があると思われる。


シアン化合物

(大生定義、治療 84: 1341-1343, 2002)


1.兵器としての歴史、性質、毒性

 第一次世界大戦時でフランス、第二次世界大戦時には米国などが保持していた。1980年代には イラクがクルドに対して私用したのではないかとされている。

 シアン化水素、塩化シアンが兵器として主に使用され、シアン化水素はAC、塩化シアン はCKと略されることがある。前者の沸点は26℃で空気よりわずかに軽い。後者の沸点は 約13℃で空気より重い。シアンイオンは低濃度でほとんどすべての生物に存在する。炭素と窒素の 含まれている物質が燃焼する際に発生する。サクランボ、桃、アーモンドなど多くの植物の果実、種子 に多く含まれている。シアン化合物はいろいろな製品の原料として用いられている。

 シアン化合物は硫黄に特に強い親和性があるが、コバルトや三価の鉄イオンにも親和性が ある。このためミトコンドリアのチトクロ−ムオキシダーゼに急速に結合して、酵素作用が阻害され、 細胞内の酸素利用ができなくなる。この結果、細胞は嫌気性代謝を行い、乳酸が増加して、 代謝性アシド−シスを来たす。またシアン化合物はメトヘモグロビンの鉄イオンにも強い 親和性があるので、結合をメトヘモグロビンへ誘導するという治療法もある。人体内の rhodanaseと いう肝酵素で thiocyanateという無毒の物質に解毒され、尿中に排泄される(すなわち、thiocyanateが 血中、尿中に上昇していれば暴露の証拠となる)。正常な状態では rhodonaseの基質として、 硫酸塩の存在がこの反応の律速因子であり、硫黄を Sodium thiosulfateの形で投与してこの反応 を促進させるということが治療法になっている。人体は少量のシアン化合物を解毒できるので、 シアン化合物の致死量は時間依存性である。一時に与えられると死に至る量でも、少しずつ暴露 されると生物学的効果が全くみられないこともある。低濃度では数分かかるが、外気を吸入したり、 マスクを使用して暴露を断ち切れば、遅発性に発症する危険性は少ない。

2.臨床症状

 シアン化合物に最も弱いのは中枢神経系と心臓である。高濃度のシアン化合物を吸入すると15秒 で一過性の頻呼吸となり、15〜30秒以内にけいれんが生じ、2〜3分後に呼吸停止、 数分後に心停止が起こる。低い濃度であったり、吸入速度が遅ければ、暴露から 数分後に初めて症状が出ることもある。最初の頻呼吸のあと(暴露にあうと、息 が詰まりそうな感覚となる。そのためより多く、より深く呼吸をしてしまい、 余計に吸入することになるのだが)不安感に襲われ、不穏、めまい、脱力感、悪心・嘔吐、 筋れん縮などが起こる。その後、意識が消失し、呼吸が浅く少なくなり、けいれん、無呼吸、 不整脈から心停止となる。この時間的経過が長引くと、診断や治療に成功する可能性が 出てくる。シアン化水素と塩化シアンはほぼ同様な効果であるが、後者は眼、鼻、気道に 刺激性があり、流涙、鼻汁、気道分泌亢進がおこる。身体所見では特徴的な ものは少ない。その中でいつも見られるとは限らないが特徴的なものとしては2つある。1つは チアノーゼのない重症呼吸障害であること、皮膚が正常あるいは赤く見えることである (酸素の利用されなかった動脈血が静脈に流れ込むため)。2つ目はアーモンドの 臭いがすることである。瞳孔は散大か、正常でる。

3.診断、鑑別診断

 神経ガスもシアンも意識消失、けいれん、頻呼吸を来たすが、縮瞳が前者に著明であり、 多量の分泌や筋繊維束れん縮が見られるが、シアンの場合、瞳孔は正常か散大、分泌は 少量で、チアノーゼも著明ではない。検査データでは乳酸アシド−シスあるいはアニオン ギャップの大きい代謝性アシド−シスを示し、動脈血酸素分圧や酸素飽和度は正常、動 静脈の酸素格差は減少する。

 血清中赤血球のシアン定量はあとでの確定診断には役立つが、緊急時の診断は臨床的に 行う。軍関係には検出キットがあり、日本で市販のキットには cyanide test(定性)がある。

治療・管理

 シアンをチトクロームオキシダーゼのチトクロ−ムa3から取り除くことや、シアンを 解毒あるいは結合させてしまい、細胞の中へ再び入って行かないようにすることが根本 療法となる。メトヘモグロビンはシアンに高い親和性があり、シアンはチトクロ−ムよ りもむしろメトヘモグロビンと好んで結合する。治療の手順は次の通りである。

  1. 100%酸素吸入、呼吸補助

  2. 亜硝酸アミル0.2ml(1アンプル)〜0.4mlを30秒ごとに吸入させる。呼吸していなければ アンビューバックに入れて換気する。

  3. 3%亜硝酸ナトリウム10mlを2.5〜5ml/分で静注(小児には10ml/kg)。

  4. 25%チオ硫酸ナトリウム25〜50mlを2.5〜5ml/分で静注。

  5. 症状が再発したら上記の半量で治療を繰り返す。このほか日本では手に入らないキレート 剤としてジコバルト・エデテートがある。

その他のシアン中毒

 化学兵器とはいえないが、シアン中毒の起こりうるものとして知っておきたいことを 追記する。

1)ニトロプルシド

 降圧薬として使用されている、ニトロプロシドナトリウムにはシアンが含まれており、 特に明るい日光に暴露されるとシアンが放出される。点滴の注入速度により、症状が 出現する。理由のわからない意識障害や代謝性アシド−シスを見たときに鑑別に入れるべき である。

2)アセトニトリル

 溶剤や爪のマニキュア落としとして使用されているが、これを誤飲などしてシアン中毒になることが ある。地下鉄サリン事件の際に、最初に毒物として検出されたのがこれであった。


ボツリヌス菌および毒素

(小枝淳一、治療 84: 1369-1373, 2002)


<テロリズムにおけるボツリヌス毒素の可能性>

 日本では食事性ボツリヌス中毒の自然発生が年間平均数例にとどまっており、 ボツリヌ ス中毒というのはめったに遭遇しない疾患である。しかし、日本において近年で はオウム 真理教が使用直前まで毒素兵器を開発していたことや、他の先進国に比べてテロ 組織が潜 伏しやすいと言われている現状がある。今現在の国際情勢から、日本でボツリヌ ス毒素が テロ行為に使われる下地はあると言える。

<ボツリヌス菌とその毒素>

【歴史】

 ボツリヌス菌Clostridium botulinumは1986年ベルギーで最初の分離に 成功。現 在、毒素の抗原性に基づいてA〜G(Cはα、βの2種)の8型に分類されている。 このう ち、ヒトで発症するのはA、B、E、F、Gの5つである。

【分布】

 土壌に分布。地域によって菌型に差があり、日本ではE型、米国ではA 型、ヨー ロッパではB型、北欧ではE型が多い。また、日本では東北・北海道での「いず し」、熊本 での真空パックの「辛子蓮根」などが原因食品となる。A型毒素が最も活性が高 い。

【形態】

 グラム陽性桿菌で芽胞は楕円形、鞭毛があり夾膜はない。芽胞は100℃ 数時間に 耐え、熱に対する抵抗性は高いが、120℃では5分間で壊れる。

【毒素】

 腸管粘膜、気管支粘膜、創傷から吸収された毒素は、血流にのって運 ばれ、末 梢の神経筋接合部や自律神経シナプスに達し不可逆的な結合をなし、Achの放出を 抑制する事 により弛緩性麻痺を起こす。最近の研究で、毒素の一部が亜鉛含有エンドペプチ ターゼであり、 Ach含有小胞が運動神経終末膜に癒合するのを阻害することが解明された。 毒素自体は100℃1分または85℃5分の加熱で破壊される。空気中では12時間以内 で、日光 下では1〜3時間で活性を失う。通常の水道水では20分間で84%が失活する。

<ボツリヌス症について>

【ボツリヌス症のタイプ】

 自然発症でのボツリヌス中毒症は、1)ボツリヌス食中毒、2)創傷ボツリヌス(日 本ではまれ)、3)乳児ボツリヌス(原因不明。まれに成人にも起こる)などがある。 テロによるボツリヌス症としては、エアロゾル化した毒素散布による吸入ボツリ ヌス(吸 入ボツリヌスは自然発症しない)、食品中に混入させた菌あるいは毒素によるボ ツリヌス 食中毒が考えられる。

【臨床症状】

 潜伏期:平均12〜72時間。遅くとも8日後には発症する。

 初発症状:悪心・嘔吐,腹痛,下痢,全身倦怠感(精製されたボツリヌス症毒素 では起こ らない。)

神経症状:ボツリヌス毒素の主症状。古典的3徴と4つのDがある。

・古典的3徴

  1. 明らかな球麻痺を伴い、左右対称性に上から下に向かって広がる弛緩性 麻痺
  2. 発熱がない
  3. 感覚は正常

・4つのD

  1. diplopia(複視)
  2. dysarthria(構語障害)
  3. dysphonia(発声障害)
  4. dysphagia(嚥下障害)

その他の多覚的所見:眼瞼下垂、四肢麻痺、顔面神経麻痺、注視麻痺、嘔吐反射 消失など。

*毒素は脳実質に入らないため、患者は精神的に正常で意識は清明。眼瞼下垂や 脱力、発 語ができないことにより、中枢神経異常のある傾寝状態に見えるので誤診されや すい。

【診断と鑑別診断】

診断:

まずは臨床症状。重要な検査は,筋電図検査で,低頻度反復刺激で漸減 waning,高頻度刺激で漸増waxing,針筋電図検査で,低振幅短持続電位を認める.

鑑別診断:

重症筋無力症、Lambert-Eaton症候群、Guillain-Barre症候群など。tensilon試験,髄液,筋電図検査によって判定する。

*鑑別診断は可能といっても、どれも一般的にすぐに行える検査ではないので、 とにか可能性があれば疑ってみる以外にない

【治療】

【予防】

 ボツリヌストキソイドの免疫は数ヶ月しかもたず、曝露後には発症抑制に効果 が無いの で、一般人に対する予防法は今現在ない。

 ヒト抗毒素血清は理論的に少量単回の注射で数ヶ月間の予防効果があると証明 されてい るので、安全に使用可能となればボツリヌス毒素兵器は存在する意味がなくなる 可能性が あり期待したい。

【公衆衛生学的対処】

 ボツリヌス中毒が疑われた場合、直ちに保健所に連絡する


伊豆七島近海の群発地震および火山災害に対する現地医療の変化と対応

(井上 仁ほか、日本集団災害医学会誌 6: 141, 2001)


 2000年夏の伊豆七島近海の群発地震、火山災害に対する現地医療の実態を調査した。人口 3855人を有する三宅島では6月26日に緊急火山情報に即応し、特別養護老人ホーム入所者の 避難と医療救護班が派遣された。8月の自主避難や9月4日の全島民島外避難のために、 診療所では大量の診療情報提供書作成を要した。その後、残留した防災関係者の健康診断を 実施した。神津島では地震災害に関連した外傷が20例あったが、即死1例を除き重症例はなかった。 特別養護老人ホームへの陸路は寸断され、海路で往診した。新島では7月15日の地震頻発で 275人が島内避難した。1ケ月後には避難解除されたが、陸路寸断のため日本赤十字社 医療班が派遣された。災害により発生した傷病者の緊急避難はほとんどなく、高齢者や 透析患者のヘリコプタ−搬送が三宅島で26人、神津島で5人、新島で2人あった。

 今回の災害では、傷病者や透析患者の同時大量発生はなく、ライフラインがほぼ保たれ、 医療資源が破壊されなかった。その一方で、交通事情の劣悪な遠隔離島で発災し、しかも災害が 長期化したこと、およびそのために避難のタイミングが苦慮されたことが特徴として あげられる。

 殊に避難に関しては、災害弱者の円滑な後方搬送が重要と考えられた。東京都は多くの 離島を抱え、病院間搬送は日常的に行われており、課題は絶えないものの一応の構築が なされているが、準緊急の災害弱者などの搬送では、収容病院だけでなく搬送手段の 選定にも苦慮することが再認識された。遠隔小離島では大量の傷病者発生を想定した 構えも必要であるが、その地域性を考慮すると、災害弱者搬送を念頭においた日頃からの 関係機関との調整も不可欠と考えられた。

 近接型離島に比し、孤立離島では救急患者の搬送体制がおおむね確立しており、 島内医療レベルの強化やテレコミュニケーションによる後方病院との連携が優先課題と されているが、傷病者が同時に大量発生するような大災害時には、熟練した 医師がいても限られた医療資源での対応には限りがあり、地続きでない不利を考えると 、いかに早急に搬送するかがポイントとなる。また、寝たきり高齢者をはじめとした要 介護者や島内で実施している血液透析患者などは、診療所機能の継続に大きく依存している。 これらの有病者は、平時においても病状の悪化や長期入院管理が必要なために搬送が 要請されることがしばしばであり、災害の進展を考慮すると、早期に現地から離れることが 望ましいと考えられる。

 離島勤務医師の再教育のための島外研修日数は年々減少の一途をたどっており、日常病 診療、検診業務、在宅医療、救急医療などの後記研修の課題は多く、災害医学を十分に 研修することは容易ではない。しかし前述のごとく、勤務医師の経歴を問わず孤立離島で 展開される災害医療は、負傷者の治療よりもトリア−ジと搬送が優先されるものと考えられ、 すでに構築されている通常の救急搬送システムを発展させ、集団災害にも対応できる体制を 確立することが大切である。

 1995年の阪神・淡路大震災を契機に、全国各所で災害医療情報システムの整備や 指揮命令系統の調整が行われてきた。東京の離島においても村と都の連携した システムづくりがなされ、今回の一連の災害でもこれらの地域防災計画のもとに 避難・医療救護救援がなされた。幸いにも重傷度、緊急度の高い事例はなく、災害弱者の 準緊急搬送が主であったが、災害の長期化や進展の可能性のある状況では、現地医師や 住民が転送を必要と考える患者は決して少なくない。搬送手段以上に被災地外収容病院の 確保が困難であったが、地域中核病院の役割を認識した病院間の広域ネットワークの さらなる充実が望まれる。


アフガン戦傷外科病院

(金田正樹、災害ドクター、世界を行く、東京新聞出版局、東京、2002、p.10-56)


(1)ついに、あのアフガンと関われる日が来た

 1990年3月末、著者はかねてから希望していたアフガン戦争の緊急医療援助に参 加するこ とが決定した。病院はペシャワールの郊外にあり、ベッド数は200床。患者が増え ると100 床のテント病棟を増床できるようになっていた。1階は外来、レントゲン室、検査 室、事務 室、10床のICU、2つの手術室という構成で、2階は病棟となっていた。スタッ フは医療 従事者だった難民が200名とヨーロッパを中心とした各国赤十字から派遣された看 護師、理 学療法士などが10名ほどである。

(2)いきなり「死」と向かい合う

 ペシャワールに到着した初日、著者は頭部外傷により硬膜外血腫を発症した12 歳の女の 子の手術を担当することとなった。初めての場所での手術で勝手がわからないこ ともあ り、結果として手術は失敗に終わった。

 このことはその後の著者らの仕事に大きな影を落とした。彼らは今後同じこと を繰り返 さないことを決心し、自分を励ました。

(3)内戦のまっただ中に赴任

 アフガンの内戦は1973年6月、国王が目の治療のためにイタリアに出国している間 に軍部が 無血クーデターを起こし、王制から共和制に移行したときから始まった。その後 民族間の 対立がやまず、今なお内戦は続いている。

(4)見えてきた「戦傷」の実相

 赴任して3週間が過ぎ、著者は戦傷の疾病構造を理解してきた。 爆弾の破片による損傷、銃弾による損傷、地雷による損傷、ナパーム弾による損 傷などに 分類される。外傷では損傷後6〜8時間の間に感染が起こりやすくこの間に消毒を し、抗生 物質を投与すれば菌の繁殖を抑えることができる。対人用地雷による損傷の場合 再建不可 能な部分は切断しなければならない。しかし、宗教上の理由からこれを拒否し、 後日、敗 血症で亡くなった方もいた。

(5)徹夜で42名を手術

 5月26日、政府軍の襲撃により42名の負傷者が出た。その日医師は2名しか勤務 しておら ず。それぞれが別の手術室を使って処置を行ったが、すべての手術が終了したの は次の日 の午後になってからだった。

(6)たまる疲労、襲いかかるストレス

 たまる疲労とストレスの対処法は、よく食べ眠って、そして環境を変えること であっ た。例えば病院のカレー、友人と飲むビール、プールなどであった。

(7)ある母親の信じがたい最期

 ある日、赤ちゃんを抱いた母親が狙撃され、運ばれてきた。彼女は瀕死の状態 であるにもかかわらず母乳を吸いにきた赤ちゃんを抱こうとし、そしてまもなく 息を引き 取った。 著者はやり場のない怒りと悲しみを覚えた。

(8)息抜きとコミュニケ−ションは料理で

 ある日、著者が同僚に料理をふるまうとそのできを大絶賛され、「コックとし てここに 残ってくれ」とまで言われた。

(9)未経験の症例に囲まれて

 この戦傷病院で著者は日本ではなかなか見られない疾患を経験することとなっ た。破傷 風、ナパーム弾による熱傷、弾丸の摘出などである。 勤務の間には、スタッフから戦場の話を聞くこともできた。略奪、虐殺など聞く に堪えな い話しも多く、戦争は人間の持っている理性や人間愛を根こそぎ奪ってしまう恐 ろしさを 持っていることを再確認した。

(10)3ヶ月で700例の手術をこなす

 3ヶ月後、日本から著者らと交代にもう1チームを派遣するという連絡があっ た。結局、 彼らが手術した症例は700以上に及んだ。著者はこの国で血と膿と悪臭にまみれ、 人間の狂 気と愚かさと、そしてむなしさを肌で感じた。生涯忘れることのできない毎日と なった。 帰国の日、いつも無口なドクタ−ナジブが「われわれアフガン人のために、遠い 日本から 来てくれたことに一同感謝している。」と言って著者を抱きしめた。

 この3ヶ月の体験は、著者を「純粋な平和主義者」に変えた。


第9章 効果的な救援活動のために信頼できるデータを用いる

(世界災害報告 1999年版、p.131-163)


 これまで災害発生に関する客観的な確証あるデータの必要性は重視されていな かった。国 際的な人道機関も、確証あるデータを提供するために資金と権限を積極的に投入 してこな かった。しかし、信頼できる情報がなければ適切な救援活動を行うことは困難で あるし、 変化や傾向を分析するための歴史的データがなければ過去の経験を生かして未来 に進歩を 遂げることは不可能である。多くの援助国政府・機関等はデータ収集とその方法 論を重視 し始めるようになった。しかし、災害データの収集、証明そして保管に関する国 際的制度 が認められ受け入れられるには至っていない。

 本章のデータはさまざまな情報源から抜粋したものであるため、災害事象やパ ラメー ターに対する統一された厳密な定義がない。したがって、数値は個別の絶対値を 見るので はなく、相対的な変化や趨勢を見るほうが有用である。

 データは曖昧さを生むことがある。例えば、国境の変化によるものなどである。 また、 データは背景にいる収集する人間によって曲げられることがある。紛争時などに は同情を ひきつけようとして被災者の数を最大化しようとするし、「被災」の定義には多 くの解釈 がある。さらに、情報システムの進歩によって、統計データがより容易に手に入 るように なった。災害被災者の増加は、必ずしも災害やその影響が増大したことを意味し ているの ではなく、単に報告がより行き届くようになった結果である可能性があることを 考慮しな ければならない。

 すなわち、われわれのデータは絶対的というよりはむしろまだ相対的で示唆的で ある。 例えば、どのようなタイプの災害が最も人間に被害をもたらすかといった潜在的 な傾向を 認識し、災害の相対的な規模を理解するためにはこのデータは利用できるが、災 害対策に 必要な資本投入の予測や、将来必要な災害救援の予測に使うことはできない。

(表1) 地域別、機関別の死者数の年平均(1973〜1997)

1980年代中期〜後期以降、災害が直接原因となる死者の数は減少してきている。 これはア フリカにおいて顕著である。

(表2) 地域別、期間別の被災者数の年平均(1973〜1997)

 死者に比べて被災者数は20年間本質的に変わらない。

(表3) 地域別、期間別の住居喪失者数の年平均(1973〜1997)

 アフリカでは住居喪失者数が増加しているが、アジアでは減少している。

(表4) 地域別、期間別の負傷者数の年平均(1973〜1997)

 負傷者数の倍増は、特にアジアでの報告率の上昇によるものである。

(表5) 災害の種類別、期間別の死者数の年平均(1973〜1997)

 1970年代、80年代においては、地震、干ばつ、飢餓が最も多い死亡原因である が、1990 年代には減少している。

(表6) 災害の種類別、期間別の被災者数の年平均(1973〜1997)

 洪水や暴風による被災者数は300%も増加した。干ばつと飢饉は80%以上減少し た。

(表7) 種類別、期間別の住居喪失者数の年平均(1973〜1997)

 洪水、暴風が、報告された住居喪失の最大の原因である。

(表8) 種類別、期間別の負傷者数の年平均(1973〜1997)

 洪水、暴風および地震が、報告された負傷原因の大半(98%)である。

(表9) 種類別、地域別の災害発生件数の年平均(1973〜1997)

洪水と暴風は一部の国々に毎年被害を与えている。地震と火山噴火の発生頻度 は少な い。

(表10) 種類別、地域別の災害総数(1998)

 1998年は発生件数や種類に関しては平均的だった。

(表11) 国別の災害による死者数および被災者数(1988年〜1997年までの平均と 1998統 計) 過去10年間の災害による死者数は非常に類似している。災害による死亡・被災率 は、その 災害の型とその国の災害に対する備えの程度を反映する。ヨーロッパにおいては 1対22 3であり、一方アフリカでは1対1331である。

(表12) 地域別、種類別の年平均推定被害額

 先進国の社会構造基盤に関わる経済的価値は、途上国の個人への被害よりも高 い被害を 生むとされる。そのため、洪水や飢餓が比較的少ない損失をもたらすとされるの に対し、 強風や事故は大きな経済的損失をもたらすとされる。

(表13) 出身国別難民・庇護希望者

 1998年の世界の難民のほぼ半数はパレスチナあるいはアフガニスタンからの 人々であった。

(表14) 受入国別難民・庇護希望者

 世界の難民・庇護希望者の半分以上は、イラン、ヨルダン、パキスタン、ギニア、ガザ地区とヨルダン川西岸地区、ユーゴスロビア連邦に存在している。

(表15) 多数の国内避難民

 多くの国内避難民がスーダン、アフガニスタン、アンゴラ、イラクなどの地域に存在する。リベリアとコンゴ共和国では、相当数の難民が出身地に戻ることができた。

(表16) 進行中の公式な(OCHA、FAO、USSD)または事実上の人道的危機

 避難、飢餓、疾病、飢饉の問題は最近の紛争において発生する付加的損害の一部となっている。リスト中の最初の20カ国のうち15カ国はOCHAにより「複雑な人道危機」にあるとして取り扱われている。→表

(表17) 1989〜1997年の食糧支援を除く緊急救援、無償資金援助

 緊急援助は1994年を頂点として、1997年は21億米ドルまで落ちている。

(表18) 1990〜1998年の年別、事業別の食料援助内訳

 資金援助と同様に、食糧援助は1990年中期から長期計画、緊急支援ともに落ちている。

表 進行中の公式な(OCHAFAOUSSD)または事実上の人道的危機(略)


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