(診療内容):鹿谷郷にて145名(うち新歓122名)、中寮郷にて896名(うち新歓624名)の計1041名(うち新歓746名)の患者を診察した。患者数は30日がピークで、以後再診患者が増えてきている。患者数では60歳以上が41%と高齢者で多かった。患者の症状・診断では外傷、咳を主症状とした呼吸器感染症、慢性疾患の患者が多く、下痢などの消化器症状は少なかった。災害直後の外傷中心の診療から呼吸器感染・慢性疾患への移行が見られた。皮膚疾患も後半に増加している。治療に関しては約80%の患者に処方、抗生物質は2.3%に止まった。また、外傷での破傷風トキソイドの注射が多く、その他喘息患者へのアミノフェリンの静注、脱水傾向のある患者への補液も行われた。
(疫学状況)鹿谷サイト・中寮サイトで93世帯658人に聞き取りを行った。調査項目は医療ニーズ・飲料水・料理用水・生活用水・トイレ・虫刺されなど衛生環境についてであった。医療ニーズは外傷、咳、皮膚症、精神症状であった。飲料水ではミネラルウォーター・煮沸した井戸水を用いていた。料理用水・生活用水ではサイト内の水・井戸水が中心となった。トイレはほとんどの人がサイト内の公衆便所を用い、整備の遅れた地域では野原、川で用を足していた。虫刺されでは被災後10日をピークに減少した。
(精神症状への対応):2週間の活動ということでacute stress disorder(ASD)に焦点を当てた。震災の恐怖からさまざまな心身症状を示す人が多かったが、ゆっくり話を聞く以外の対応は出来なかった。
(現地への提言):1)生活環境の悪化改善のための下節住宅の整備、2)精神的なストレスへの介入、3)衛生意識の啓蒙、4)デング熱対策(防蚊対策)、5)慢性疾患、妊産婦へのケアの必要性
阪神・淡路大震災以降、災害におけるヘリコプタ−の重要性が認識され。消防・防災ヘリコプタ−が整備され、災害訓練においえてもヘリコプタ−が積極的に使われるようになってきた。これ
は平成10年度静岡県総合防災訓練に患者受け入れ施設として参加した体験レポートである。
訓練は設営・搬出・同伴医療チームからの患者情報の聴取・再トリア−ジ・重傷度に応じた
優先順位にて病院へ患者搬送をする事を目標とした。搬送患者はいずれも重症であり、歩行できず担架搬送が必要なこと、同伴してきた医療チームは搭乗してきたヘリコプタ−にて被災地に帰還するので、基地内で申し送りする必要がある事を条件に訓練した。
訓練では、大型ヘリコプタ−が駐機したエプロンから患者搬送医療拠点は約200〜300mの距離があり、担架搬送は大変であった。また騒音の中での情報伝達(申し送り)は困難を極めた。
災害時におけるヘリコプタ−による患者搬送方式は多様な方法が想定され、それぞれ利点、
欠点を有する。
小型・中型ヘリコプタ−を用いて、1〜2人の患者を被災地内の病院から被災地外
の病院に搬送するもので、システムは単純であるが効率が悪い。また被災地内の病院
がヘリコプタ−の手配から医療機関の選定・依頼をすべて行う必要があり、送り出し
病院の負担に依存したシステムであること、被災病院の医療スタッフが送り医療機関
まで付き添い、そこで取り残されたこと、病院選定やヘリコプタ−要請に体系的なシステム
はなく、主に個人的な関係あるいは思い付きによって行われた点が問題点として挙げられた。
周辺の医療圏から災害現場にヘリコプタ−が集結し、重症患者を自分の所轄の病院
に搬送するもので、システムは単純であり、多くの重症患者を短時間に分散して医療
機関に搬送することができる。長距離搬送が必要で大規模災害では効率が悪いこと、
災害現場での離着陸場所や現場での航空管制が問題として挙げられる。特に日常的には
管轄の制約のために広域搬送がなかなか行われない日本においては、災害を想定した
周辺自治体との事前協定が不可欠である。
事前に決められた staging unit に患者を集め、患者を振り分け大型ヘリコプタ−にて
別の staging unit に搬送し、そこで医療機関を選定し重傷度に応じて搬送するもので、
広域に大量の負傷者を輸送するのに有効である。しかし、大型機の離着陸できる場所、
基地が限られ、大量重症患者を同時に搬送するためには一時的な収容が可能な staging unit
が必要である。
ヘリコプタ−の使用方法は災害の規模、位置、状況等を考慮して、柔軟に選択
する必要がある。多様なヘリコプタ−の使い方を事前に検討し、訓練することに
より、それぞれの問題点が浮き彫りとなり、適切で効率的かつ迅速な搬送が
可能になると考えられる。
航空機事故として、昭和52年2月9日、羽田沖日航機墜落事故や、昭和60年8月12日の日本航空123便の墜落事故などがあり、その後、海外においても中国、フィリピン、アメリカ・ロスアンゼルス空港などで航空機事故が発生している.
このようなことより、昭和62年10月運輸省交通局は、日本医師会に対し、空港周辺の航空機事故に対応するため医師会における医療救護体制の整備を要請するとともに、昭和60年から空港救急医療体制整備計画により、救急医療資器材整備ならびに搬送車(トレーラー)および屋外治療用テントの設置を名古屋空港にも平成3年度中に医療資器材と搬送車も整備される。
このように名古屋空港周辺6地区医師会による医療救助体制が整備され、災害時の医療救助活動がいつでも対応できる状態となった。
その後,救急委員会で名古屋空港及びその周辺航空機事故に対応するため医療救護活動に関する協定書が作成され、平成3年12月1日付けで名古屋空港医療救護活動に関する協定書の締結を行った。
*名古屋空港医療救護活動に関する協定書
目的は、名古屋空港およびその周辺において航空機事故が発生した場合またはその恐れがある場合に、運輸省大阪航空局名古屋空港事務所が社団法人愛知県医師会の協力の下におこなう医療救助活動を適切に実施することである。
*名古屋空港医療救護活動実施細目
*空港救急医療従事者傷害補償制度の創設について
定期便などの航空機事故の発生時においては、搭乗者、乗員に対する救急医療の果たす役割は極めて大きい。この度、こうした業務に従事したり、あるいは、そのための訓練に参加する医師、看護婦が被った傷害への補償を行うための新しい制度が平成元年度から創設されることとなった。
仕組みは航空会社、空港関連企業が事業主体に資金を拠出する。事業主体が保険契約者となり、医師、看護婦を被保険者として、国内旅行傷害保険をベースとした特約を提携し、被保険者が傷害を被った場合、事業主体との保険特約に基づき保険会社が保険金を支払う。
補償内容
災害とは、個人や社会の対応能力を超えた不可抗力的な出来事であり、援助が必要な事態である。援助といっても、救援を行う人々やボランティアという「ヒト」による部分と、食糧や医薬品、社会基盤の復興という「モノ」の部分、さらに災害の状況や援助の状況、復興支援策の種類とその受け方という「情報」の部分の3つの側面がある。
(共通点)
(相違点)
双方で強調されていた項目は、子供の反応及び対応、ストレスマネジメント、スタッフのための支援、アニバーサリーでの心理的な支援であり、これらのことから阪神・淡路大震災での「こころのケア」、つまり日本での「こころのケア」の現状は、被災者に対する心理的な援助という点ではある程度確立されていると考えられる。
2. 被災者のニーズとは
マニュアルには記載が少ないが教訓として報告されており、被災者のニーズが高いものは、社会基盤、社会資源、高齢者や慢性疾患罹患者、身体障害者を含む災害弱者、県外避難者、ヘリ搬送を含む急性期の医療対応、被災地外医療機関との連携である。これらのことから、被災者の必要とするのは生活再建に至る援助であり、また高齢者や慢性疾患罹患者といった災害弱者へのケアが必要であることが分かる。
ライフラインや鉄道といった社会基盤の情報が必要なのは、電気、ガス、水道、電話のすべてにわたって使用不可能な場合に、使用可能な場合に比べてストレス強度が高く、被災前の日常生活を取り戻すには、社会基盤の復興が必須であったからである。また、情報としてマニュアルでは心理的な相談窓口の紹介に止まっていたが、被災者の必要とするのは住居、雇用・職業、税・年金、医療・安全、交通・通信、中小企業支援対策、許可などの社会資源にどのようにアクセスするかという情報である。以上のことから被災者のニーズは、心理的、精神的な援助だけではなく、生活再建のための援助であると言える。
3.こころのケア・トレーニング・マニュアルの提案
以上のことから「こころのケア・トレーニング・マニュアル」を作成した。このマニュアルでは、災害対応の枠組みを、1)組織、2)心理的援助、活動、3)マネジメントの3層で構成した。
地震、津波などの天災のみでなく、火災や事故においても、その災害によって被害者がでる
ことは避けたい。災害時に備えてあらかじめ避難場所を設置することは必然的なことであ
る。避難場所の設置について地方公共団体側からのアプローチについて考察する。
1.避難地
2.避難路:避難場所に通じる道路または緑地
3.避難所
避難路、または一時避難場所(避難所にたいして)これらは避難場所へ迅速かつ安全に導く
ために、至る経路の自然地形、構造物などを把握し、安全である最短距離であるように設置
することが望まれる。また、渋滞や損害道路状況の程度に対応するため複数の経路の設置も
必要である。
愛媛県では、大規模地震の発生を想定する場合には、原子力災害も考慮に入れ、やはり屋内
施設への避難を指定されるべきである。
A氏の推定被曝線量はγ線に被曝した場合に換算して16〜20Gy equivalent to γ-ray(GyEq), B氏は6〜10GyEq, C氏は1〜4.5GyEqであった。A氏およびB氏については造血幹細胞移植が必要であると考えられ、A氏は末梢血幹細胞移植を, B氏は臍帯血幹細胞移植を受けた。A氏は被曝治療において初めて移植が成功した例であり、一時は白血球数も正常範囲まで回復した。しかし、移植から1週間後、根付いたばかりの移植細胞の染色体に傷がついているのが確認された。放射線に侵されたA氏の体内物質が変化を起こし、自ら放射線を発するようになっていたため移植細胞の染色体に傷がついたと考えられている。
結局、A氏は広範な皮膚障害と消化管障害を含む多臓器不全のため、被曝後83日目に, またB氏も211日目に死亡した。
前駆期は被曝後数時間以内に現れ、食欲低下・悪心・嘔吐・下痢が主症状で、およそ1GyEq以上で現れることが多い。これらの症状は線量が高いほど現れるまでの時間が短く重症である。
愛媛県にも伊方原子力発電所があり、東海村臨界事故と同様の放射線事故が起きないとも限らない。医療従事者として緊急被曝医療に携わる可能性のある限り、平時からの知識の積み立てや訓練が必要であると考えられる。
平成7年3月20日朝、東京都内の営団地下鉄日比谷線、丸の内線、千代田線の3路線、
5列車の車内でサリンが散布された。15駅で患者が発生し、死者11名、重軽傷者5500名
以上の被害者を出す事件であった。事件のあった地下鉄日比谷線築地駅に近い聖路加
国際病院には当日だけで640名が来院した。
初期の役割分担に関しては、来院患者のトリア-ジと重症患者の処置を
救急部医師と看護婦が中心に行い、軽症、中等症の患者は各科、各病棟の
医師・看護婦に引き継いだ。重症患者はICUや手術室リカバリーに収容し、
病棟看護婦と各科の医師で治療が継続された。
2.二次災害に関して
毒物テロに対する知識や経験もなく、初期トリア-ジ時に被害者の除染
は全くされず、医療スタッフの防護も十分でなかったため治療にあたった
スタッフに軽症ではあったが二次災害を出す結果となった。同様の症状
で多数発生した患者を見た場合、「中毒」を念頭に置き、事故防御と
除染を考え、診療にあたる必要がある。
1996年7月大阪府堺市で腸管出血性大腸菌O157による学童集団下痢症が発生した。この集団食中毒は学
校給食が原因であった。O157の罹患が確実であると判断された患者の人数は二次感染なども含めて、9,
492名に達した。その内訳は、多発校学童7,889名、教職員47名、その家族1,180名、一般市民376名で
あった。そのうち溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症したものは121名(学童106名、家族8名、一般市民7
名)で、3名の学童が亡くなった。
O157に対する基本的な治療指針、とくに抗菌剤を投与すべきかについて賛否の意見があり、その当時
明確な指針はなかった。1996年8月2日にはじめて厚生省から「一次、二次医療機関のためのO-157感染
症治療マニュアル」が示され、抗菌剤投与の方針が打ち出された。そのため、抗菌剤投与についてその
内容は施設により様々なものとなった。今回の事件でのHUS症例の分析からは、抗菌剤投与についての
有意差を持った統計学的データは得られなかった。
HUS予防のため腸管の蠕動運動を抑制する鎮痙剤や止痢剤の投与は避けるべきとされており、多くの施
設でその原則に沿って投薬がなされた。
2.HUSの発生時期
早期発見のため、血便がないなどの軽症な外来患者では1〜2日に1回の尿検査が、入院を必要とした重
症な患者では1日1回の尿、血液検査が必要と判断し実施した。消化器症状が改善に向かった頃に発生す
るものが多く、入院患者だけでなく外来患者からもHUSの発生を見た。
3.二次感染予防の時期
本菌はわずか50個程度の菌でも感染が成立し、乳幼児や老人のいる家庭では特に注意が必要である。
今回の事件時特に問題となったことに、無料検便などで確認された多数の無症状菌陽性者に対する対応
があった。抗菌剤を投与すべきかどうかについての過去の報告はなく、検討の後、菌の排出を重視し、
十分な説明の上希望者に、ホスホマイシンあるいはノルフロキサシンを5日間投与した。しかし、非投
与群も期間はかかっても全例問題なく陰性化しており、今後の更なる検討が必要である。
災害時の緊急医療援助において、各医療チームの相互の医療における共同作業性と
相互運用性が重要となる。そのため、多数傷病者管理システムが必要である。このシ
ステムの目的は、災害により発生した大量の傷病者の生命を救い、損傷を最小限にす
るための標準化、救助に関わる全てのグループが限られた要員と資材を有効に使うた
めの共同作業と相互運用の標準化である。そのためには医療だけでなく自衛隊などの
他職種の組織との連携が重要である。傷病者を被災地域から捜索、救助、トリアージ、
応急処置、後方搬送、病院トリアージ、収容と連携し、一つの救護所からピラミッド
型に各組織が梯型編成され、裾野が広がっていなければならない。被災地域において
は災害拠点病院といえども被災者全てを収容できず、公私全ての医療機関で連携が必
要である。この連携をスムーズに行うために、病院防災マニュアルの標準化が求めら
れる。そのマニュアルにおいては、「よりシンプルかつ具体的な内容で、平常時に行っ
ておくべき項目、更にライフライン破壊時の対策チェックリスト、災害時の行動フロー
チャート」等が必要となる。このマニュアル作成にあたり主体となったのは、旧厚生
省がまとめた「病院防災マニュアル作成ガイドライン」である。このなかでは
等が示された。
またこれらのマニュアル以外にも、被災地域では各病院の役割分担を明確にしておく
ことも拠点病院の役目と考えられる。災害時被災者に対し、病院への誘導など、各病
院の専門性や特徴をふまえ、組織しておくことが有用である。
基幹病院の防災担当者は、大きく展開する医療全体の流れ、あり方を十分検討し、
行政、特に都道府県が行う災害対策を把握し、確立しておくことがあくまで基本であ
る。一方、自衛隊、日赤等の支援体制との連携を密にするとともに、後方医療機関と
なる拠点病院との連携が必要であり、さらには医療NGOを含め私的医療機関がこのシ
ステムに追随することが原則である。現在、二次医療圏ごとの病診連携、病々連携が
重要視されているが、災害体制においても、平常時から各病院の防災担当医師、また
拠点病院の担当者等が顔を合わせておくことも重要となる。しかし、私的医療機関に
おいても基幹病院に全てを頼ることなく各医療機関が独自の対応策を持つことも極め
て重要であり、実践的な災害対策に向け活動し、現実的な訓練を行う必要がある。
平成元年と平成5年に名古屋空港で航空機消火救難訓練が行われた。目的は航空機
火災の防御、人命救助等の初動体制を訓練するとともに空港内外の関係機関の連携を
確立することである。場面はいずれも名古屋空港から離陸直後、客室化粧室から煙が
出ていることが発見されて、空港に引き返し緊急着陸をおこなうものである。実施項
目は関係各機関の情報伝達訓練、火災防御あるいは人命救助訓練、負傷者のトリアー
ジと応急処置および搬送などである。
トリアージおよび搬送については医師により重症度の選別が行なわれ、重症、中等
症、軽症に区別され、重症者より順次救急車にて後方医療機関に搬送、軽症者はマイ
クロバスにて後方待機地区に移動した。平成元年の訓練の反省点としては服装の面で
は医療従事者の着ている白衣が現場では機能的な面から適してないことや、誰がどの
地区の医療救護班かはっきりしなかったり、誰が責任者かわからないといった意見が
出た。また医療救護所においてはタンク車を1台用意して医療用の水を確保すること
が必要であるという意見も出た。
その後、愛知医師会では運輸省交通局からの指示もあり、平成3年に運輸省大阪航空
局名古屋空港事務所との間に名古屋空港医療救護活動に関する協定書の調印締結をみ
た。
その後平成5年4月に国内線で航空機事故が相次ぎ、急遽平成5年5月に訓練を行な
うこととなった。場面想定は前回とほぼ同様であった。このときの医療救護班は医師
2〜3名、看護婦2〜3名で構成された。また、トリアージチームは医師1〜2名、看護婦
1〜2名で構成された。服装は前回の反省に基づいて医療救護班は県医師会支給のオレ
ンジ色の防災服または白衣を着用した。
訓練の成果としては新しい防災服により医師会医療救護班の活動状況を十分に把握
できた。しかし、看護婦には支給されなかったため今後看護婦にも防災服の導入が必
要である。
反省点としては、1)空港内に入る入り口がはっきりせず訓練に参加した車両の中で
迷ったものが多かった。2)医療救護班の車両を他とはっきり区別させる必要があるこ
と,3)トリアージチームの人員,4)責任者の明確化D国際線の場合の対処などが挙げられ
た。
3)では訓練ではあらかじめ疾病名や重症度が書かれてあるが、実際の災害現場では
より多くの人員をトリアージに要することが予想される。また5)では国際線の場合、
入国手続きや税関検査などの問題があり、今後検討していく必要がある。
統計では航空機事故の8割が離着陸の10分間前後に集中していることから、空港およ
びその周辺地域での事故が起こる確率は高い。愛知県医師会では現在空港周辺地区を
3つに分けて、それぞれの地区で1次出動、2次出動、トリアージチームを決めておい
て、災害が起こったときに備える体制をとっている。
大規模地震発生した際、被災者の生命及び身体の安全を確保するために、地方公共団体では避難所を開設する必要がある。発災直後には消火活動、救助活動、救急活動などの応急処置が優先されるため、避難場所の迅速な開設には困難が予想される。しかし、このような状況の中で、被災者の生命及び身体の安全を図りながら当面の避難生活に必要な緊急物資の確保や、安否情報などの情報提供などを図らなければならない。そのためには、市町村のほか、避難場所となる学校、公民館等の施設の施設管理者、自主防災組織が、事前に協議して避難場所の迅速かつ円滑な開設方法、例えば避難所の開設手順、避難者の収容手順、リーダーの選出方法、緊急広報などに関する計画を予め定めておくことが重要である。
地震が発生した初動期の手順については、一般に次のようになっている。
1)避難所となる施設の施設管理者はただちに当該施設の安全を確認・2次災害の防止
2)災害対策本部による現地の避難情報の収集
3)災害対策本部から現地避難所への担当職員の派遣
4)災害対策本部から担当職員への指示に基づく避難所開設の決定・周知
5)担当職員・自主防災組織の長等による避難者の屋内、屋外収容スペースの確保
6)担当職員・自主防災組織の長等による避難者の受入・誘導など
7)担当職員から災害対策本部への避難状況の報告
8)担当職員から被災者への当面の災害関連情報の伝達
大地震などの大災害が発生した際は混乱が予想されるが、このようにあらかじめ避難場所の開設の手順を指定しておくことで、迅速に対応を取ることができ、被災者の生命及び身体の安全を確保することができると考えられる。
災害時におけるヘリコプタ−搬送 ―大型ヘリコプタ−を用いた災害訓練の経験から―
本間正人ほか:日本集団災害医学会誌 5: 121, 2001考察
名古屋空港医療救護活動に関する協定書の調印締結の経緯について
栗田高三、名古屋空港における中華航空機事故と医師会活動 1994、83-97
・ 医療救護班員の派遣または待機の要請
・ 医療救護班員の派遣または待機
・ 医療救護班の指揮命令
・ 医療救助
・ 医療救助の範囲
・ 医薬品、診療資器材
・ 消火救難訓練
・ 報告
・ 費用
・ 災害補償
・ 協議
・ 有効期限
について定められている。
・ 災害対策本部
・ 医療救護班体制
・ 医療救護班編成
・ 医療救護班の派遣要請
・ 医療救護班の待機要請
・ 報告書等の提出
・ 費用負担
・ 費用負担の内訳
・ 災害補償費用
・ 費用の支払
・ 医事紛争
・ 有効期限
について定められている。
死亡(万円) 入院(円/日) 通院(円/日) 救急医療医師看護婦 10,0005.000 15.00010.000 10.0005.000 訓練医師看護婦 5.0003.000 15.00010.000 10.0005.000 <考察>
「こころのケア・トレーニング・マニュアル」の検討と再構築について
三谷智子ほか:日本集団災害医学会誌 5: 129, 2001<目的>
<調査方法>
<結果>
<考察>
≪防災体制について≫ 1-1災害に対する法的側面
1-2 復興サービス
≪活動編≫ 2-0 『こころのケア』とは
2-1 危機管理と防災対策本部
2-2 現場での活動:2-2-1 アウトリーチでの活動
2-2-2 避難所での活動
2-2-3 仮設住宅での活動
2-3 災害の追悼行事での活動
≪マネージメント≫ 3-1 職員の選別と教育
3-2 ボランティアと応援職員
3-3 スタッフ自身のケア
<まとめ>
地方公共団体による事前の避難場所等の確保・周知
地震防災対策研究会、自主防災組織のための大規模地震時の避難生活マニュアル、(株)ぎょうせい、東京、1999, pp.91-103(1) 避難場所等の指定・整備
(2) 避難場所等の周知
まとめ
放射線事故(東海村臨界事故)
近藤久禎、エマージェンシー・ナーシング 10:502-6, 20011. 事故概要
2. 急性放射線症
3. 被曝の様式
4. 日本における緊急被曝医療体制
5. 病院における放射線被曝患者の診療の流れ
6. 考察−東海村臨界事故からの教訓
ガス中毒(地下鉄サリン事件)
石松由一、エマージェンシー・ナーシング 10:507-10, 2001被害者の医学的特徴
初期の対処方法
対応上の問題点と提言
集団食中毒
森田好樹、エマージェンシー・ナーシング 10:511-16, 2001被害の特徴とその対応
今後への提言
災害拠点病院の今後をどう考えるか
石原 哲:日本集団災害医学会誌 5: 102-108, 2001
―災害拠点連絡協議会の意義と問題点を中心に;
私的病院の立場から―第4節 平成元年名古屋空港航空機事故消火救難訓練について
愛知県医師会、名古屋空港における中華航空機事故と医師会活動 1994、98-110第2章 発災直後からの適切な避難行動と安心できる避難場所等の運営
地震防災対策研究会、自主防災組織のための大規模地震時の避難生活マニュアル、(株)ぎょうせい、東京、1999, pp.104-123