災害医学・抄読会 2000/11/10

集団災害対策

(西村明儒、吉岡敏治ほか編・集団災害医療マニュアル、へるす出版、東京、2000年、pp.6-12)

1.米国における集団災害時の対策

 1984年 全国災害医療システム(National Disaster Medical System:NDMS)を組織

 <役割>

2.わが国の平時の救急医療体制

<特徴>市町村を搬送基本単位とする、縦割り救急医療体制(一次,二次,三次)
 しかし、集団災害時には不十分であり、以下のことが問題点としてあげられる
  1. 災害時の命令系統の欠如
  2. トリアージの概念の欠如
  3. 患者の選別搬送の概念欠如
  4. 情報網の混乱
  5. 広域搬送体系の確立

では、これらを改善するにはどうすれば良いか?

3.わが国における新しい集団災害対策

1)災害医療施設の指定

災害拠点病院(全国に497施設) 

市町村災害医療センター
災害協力病院

2)トリアージシステムの導入

a)一点集中型の集団災害の場合
(航空機事故、列車事故、大規模爆発・火災、巨大建造物の倒壊、土砂崩れ、集団中毒など)

 応急救護所、搬送拠点が設営されるまでは、まず現場で一次トリアージが行われ、緊急治療群は直ちに災害拠点病院に搬送されるが、応急救護所、搬送拠点が設営されると、ここから災害拠点病院を中心に重症度、緊急度に応じて市町村災害医療センター、災害協力病院に選別搬送される。災害規模が大きいときは隣接する医療圏の災害拠点病院に二次トリアージされる。

b)分散型の集団災害の場合
(大地震、水害、竜巻、分散型の集団中毒など)

災害現場は多発し、現場医療機関には被害の有無にかかわらず、負傷者が殺到する。まず、一次トリアージが行われるが、このときも重症度の高い緊急治療群の被災地内災害拠点病院への選別搬送を優先する。被災地内災害拠点病院は緊急治療群を複数の後方災害拠点病院へ二次トリアージする。すなわち、被災地の災害拠点病院は搬送拠点として機能するが、どの医療圏までの災害拠点病院に転送するかは緊急治療群の発生数によって決まる。

3)情報伝達システム

4)広域搬送システム

 災害時は陸路輸送が遮断されるため、空路、特にヘリコプターの活用が重要

〜ヘリコプターの特性〜

(長所)比較的狭い場所から離着陸が可能,ホバリングが可能,低速飛行と小さい半径の旋回が可能,  機外吊り下げが可能,降着場所の多様性など

(制限)ヘリポートまでの陸路搬送や、昼間の有視界飛行など

  • 各関係機関(消防・防災ヘリコプター,自衛隊,警察庁,民間団体など)との連携
  • ヘリコプター運用にあたっての航空域の輻輳問題
  • ヘリコプター搬送の固定したシステムの確立

5)災害時の各種応援協定

 無数に存在する災害対策関係の法律,協定のうち医療従事者にとって重要なものを以下にあげる

  1. 全国都道府県における災害時広域応援に関する協定
  2. 1.に定められたブロック単位の協定(例:近畿2府7県震災時の相互応援に関する協定)
  3. 二次医療圏単位の災害拠点病院間の相互応援協定(大阪府災害拠点病院医療救護活動相互応援協定)

今後さらに必要な協定は

《考察》

 災害時におけるトリアージ、情報システムや搬送システムなどの新しい対策は、発案のみに留まらず、日常から稼動させることで非常時に活用できるということを忘れてはならないと感じた。

5.集団災害時の医療展開

(西村明儒、吉岡敏治ほか編・集団災害医療マニュアル、へるす出版、東京、2000年、pp.13-17)


《留意点》

 集中治療により救命可能な重症例をいかにして平時と同様に医療するかである。

以下の4点を考慮して医療展開を行うことが不可欠である。

  1. 特に外傷患者は初療が重要で、救急医療期における加療施設の選択が生命予後を左右すること
  2. 大規模自然災害では被災による病院機能の低下に加え、患者が殺到するだけでも相対的な機能低下を免れ得ないこと
  3. 多数傷病者には、個々の病院ではなく、多数の医療機関が組織的に対応すべきこと
  4. そのためには被災地とこれを救援する後方地域を対比した全体構図を認識し、各施設がその役割を自覚すること

1)急性期における医療展開の原則

《あらかじめ決めておくこと》

《急性期にすること》

2)広域災害時の各種災害医療施設の役割

a) 直接来院する患者への対応

 まず、一次トリアージを行う。このとき、心・呼吸停止例には蘇生術を実施せず、定められた遺体安置所に収容する。非緊急治療群は施設内に入れずに自身による被災地外医療機関への受診、または帰宅を指示する。

 緊急治療群準緊急医療群
災害協力病院被災地内災害拠点病院へ転送する。 自施設内で収容し、治療を行う。(ただし、収容能力を超える患者は市町村災害医療センターに転送する。)
市町村災害医療センター外科的治療や集注治療を要する患者は原則として被災地内の災害拠点病院に転送する。 自施設内で収容し、治療を行う。(ただし、災害規模により収容能力を超える患者に対する対応は、1)被災地内の患者の殺到していない災害協力病院へ転送する、2)二次医療圏を越えて被災地外の災害協力病院ヘ転送する場合がある。
災害拠点病院原則的には自施設内で収容し、治療を行う。(ただし、広域大規模災害時や地域内の負傷者数を予測できない場合は、被災地外の拠点病院に患者を転送する基地とする。)  


b) 情報伝達と転送手段

管内搬送手段の確保

搬送手段

 《各機関の仕事》

3)医療救護班の編成

(編成)大阪府では、災害拠点病院の指定を受けた府立の救命救急センター4施設。

(業務)主として救出されてくる負傷者の応急救命処置とトリアージを行う。

(活動拠点)災害現場、現場近くに設置される応急救護所、負傷者の殺到する被災地内医療機関、被災地内災害拠点病院など。

4)亜急性期の医療

  診療科別医療班(外科、内科、小児科、精神科、歯科など)
 (業務)被災住民の健康管理、軽傷者の医療、巡回診療など
 (活動拠点)避難所などに設置する医療救護所や受け入れ要求のある被災地内医療機関

<考察>

 今回、集団災害時の医療展開について学んでみて、災害(特に震災)時には震災直後に殺到してくる重症患者をトリアージしておくことがもっとも重要だと思いました。


災害救護訓練活動への取り組み

(近藤美知子:エマージェンシー・ナーシング 13: 1467-71, 2000)


 このレポートは、横須賀三浦半島地区にある853床の救急医療を主体とした基幹病院での災害救護訓練活動への取り組みについてまとめたものである。

 横須賀三浦半島地区には活断層が縦断していることから、地震災害が発生した場合、95年の阪神淡路大震災で多数の死傷者が出たことは、他人事ではなく身近に起こり得ることとして当病院は実感していた。その教訓から、96年より取り組んでいる地域住民や関連機関と連携した災害救護訓練の実践経過を紹介し、看護婦の役割についての見解を述べていこうと思う。

 当病院は横須賀三浦半島地区の基幹病院であるとともに、災害拠点病院として、自然災害発生時には病院内の入院患者の安全確保とともに、被災地からの多数の負傷者の受け入れや医療救護班派遣などの役割が求められているため、災害救護訓練活動を以前から実施してきた。しかし、この訓練はシナリオ(行動レベルの計画書)に基いて行動するものであったため、以下に述べるような問題点が明らかとなってきた。それは、1)予定外の状況に対する判断と自立的な行動の不足、2)各自のキャリアに対するリーダー・メンバーとしての役割認識の不足、3)リーダーが状況に応じた適切な判断と迅速な対応ができていない、4)災害医療、トリアージの概念に関する知識の不足、5)災害救護訓練に対する認識不足などである。

 以上のことから、看護婦各自が状況に応じた適切な判断と臨機応変な行動がとれず、パニック状態になりチーム活動が出来ていないということが分かった。この問題を解決するため、当病院の防災災害対策委員会では、1.災害拠点病院としての機能の明確化、2.防災計画立案と災害時活動マニュアルの作成、3.定期的な災害救護訓練活動を通して、災害対策本部機能の確立、災害初期対応体制(院内外)の確立、施設内各部署および入院患者の安全確保対策などを、実施・評価・再考のサイクルで検討を重ね、さらに、災害医療に対する知識と意識の向上を図るために、毎年1〜2回院内外の講師による講義を実施している。これらのことを総括して、平時より災害発生に備え各職員が役割担当別に状況に応じた適切な判断と自立的な行動がとれるように、行動レベルのシナリオを廃止した災害救護訓練活動を実施することとなった。

 災害救護訓練を実施していくうえで重要なことは、住居環境、地理的特性、地域の医療ニーズを十分把握すること、病院の立地条件、施設内構造の特性を考慮することである。院内災害が発生した場合は、災害現場を考慮したうえで入院患者を避難誘導・搬送するための避難経路を決定し、安全な場所へ迅速に救護することが求められる。つまり、24時間ベッドサイドケアにあたり患者の状態を把握し、かつ病院の構造を熟知している婦長・主任・リーダーナースの役割は重要であると考えられる。災害発生時には病棟からの応援要員により各担当部署が結成されるため、通常業務では一緒に勤務していない看護婦による構成メンバーとなる。ここで重要なことは、誰が適切に状況を判断しリーダーシップを発揮するのか、各自のキャリアに応じた役割認識が求められる。そして看護婦各自が、指示がなくてもとるべき行動を判断し、柔軟に対応できることも必要である。また、日頃の看護実践力が予測しえない災害発生時に影響するといわれていることからも、院内継続教育の場を生かした各キャリア層に対する役割期待への動機づけと、リーダーシップ能力向上のための人材育成が必要不可欠なものとなってくる。

 以上のことより、当病院において、災害救護訓練活動における今後の課題は、適切な判断と自律的な行動がとれるリーダーの育成や、それに伴うチーム活動の促進など、災害医療および看護能力の向上を図るための訓練企画といえ、また他の災害拠点病院においても、こういったことが課題となってくるであろう。


日本赤十字社医療チームの台湾地震被災者救援活動報告

(井 清司ほか:日本集団災害医学会誌 5: 51-55, 2000)


 日本赤十字社の国際援助の決定については、ジュネーヴにある赤十字国際委員会からの依頼で、日本赤十字社が人選し派遣する場合と、とくに今回のような緊急の場合、日本赤十字社独自の判断で被災地の赤十字社と協議を行い、国内の日赤病院の職員より急遽選抜して派遣する場合の、2通りのケースがある。今回は後者のケースで日赤本社が決定し、依頼を受けたそれぞれの県支部と病院の連携で、地震発生後12時間後に本社から業務調節の2名の調査班が出発、その2時間後に熊本と山梨の病院・支部職員が集合し、5名の医療班を編成し羽田を出発、台北で合流した。

 台北に到着した時点で、日赤医療チームの地震被害の情報はまだ断片的であり、行動予定を立てるには不足していた。被災地域の中心である南投県南投市の対策本部に向かい、付近で既に活動を始めている台湾紅十字曾からも情報を得て、医療活動を始めるとする大略の方針を立てた。

 台湾では台湾紅十字曾が組織されているが、その下部組織に病院は有しない。したがって、今回の派遣にあたり、受け入れ先としての組織はあるが、具体的に頼りうる病院や医療班はなかった。基本的には自分達で活動場所を探し、現地の医療班と協力して救護を行うか、それが出来なければ準備した薬品や機材の範囲内で、自力で診療活動を行う予定であった。阪神大震災の救護経験から、巡回診療に甘んじることなく、できればレスキュー隊と共になるべく速やかに被災現場に出動し、協力して生存者の救出にあたる(検索救助医療:search and rescue medical assistance)ことも可能であり積極的に取り組みたいと考えた。

 実際、現地での一週間の救護活動は、前半は被災現場でレスキュー隊と共に救援活動し、山奥の集落や地滑り現場などに出動する機会があったが生存者の救出にはいたらなかった。後半は、学校や公民館などで避難民の巡回診療を行った。

 今回の災害現場にレスキュー隊と共に出動し医療を行う検索救助医療(SRM)の機会も、求めて得られたものではなく、偶然に得られたものであるが、携行した機材や班員の訓練など、後に検討すると、準備不足であった感が拭えない。赤十字が災害時にセットで携行する機材では、例えば挫滅症候群の患者を救出現場で取り扱うには不十分であり、携帯の心電計やパルスオキシメーター等を追加すべきである。また、班員も「瓦礫の下の医療」(CSM:confined space medicine)の訓練を受けておく事が望ましいと考える。

 地震後3日を過ぎると、医療班の役割は巡回診療の役割が大きくなってくる。巡回診療にも意義はあり、一概に軽視すべきものではない。災害地に出動するときには多くの軽症の外傷患者や内科・小児科やその他の疾患まで診療することを求められている事を念頭に入れるべきである。その意味では一次から三次までの救急患者に適切に対応でき、かつ広いプライマリーケアの知識をもつ医師の派遣が望ましいと思われる。

 この台湾中部地震は、死者2,415名、負傷者11,305名、行方不明29名、建物の全壊52,601、半壊53,114と大きな被害を出した。

 全体の救援状況について述べると、第一に現地の救助隊や医療班の速やかな対応が挙げられる。発生当日より全力を出して救助活動にあたっていて、実際、すべての被災地域には漏れなく現地医療班が入り込んでおり、日赤医療班の活動場所を容易に見つけることは出来なかった。第二に道路や橋がかなり崩壊しているにも関わらず、応急工事や間道を使って車両を通行させ、それにより物資の供給が速やかであった。第三に組織的で活発なヘリコプターによる搬送が挙げられる。第四には、中国本土との微妙な関係にあるにも関わらず、多くの国が人道的見地より国際救助隊を派遣していた事である。延べ28カ国より38団体728名の救助隊と医療班、103頭の捜索犬が活躍したと記録されている。このほか、通訳などの技能や車両などの機材を持つ現地ボランティアの活動も注目された。広報車や、新聞、広報誌による避難民への各種の情報も提供されており、参考にすべき事が多くあった。

 他方、阪神大震災と同じように被災地は個々に寸断され、対策本部の情報収集・配分・調整能力も十分とは言えず、日赤医療班も含めて、ボランティアは活動場所の選定・活動内容、自主的判断が必要であった。また頻回の余震を体験しながら、危険な道路を通行しなければならないなど、ある程度のリスクを感じながら救護活動を行わねばならなかった。

 最後に、日赤医療班のほか、同じ時期に日本からいくつかの医療チームが活動していたわけであるが、情報交換や共同作業を行えるような余裕のある状況ではなかったと思う。阪神淡路大震災のときにも経験したが、救護班はいったん混乱した被災地に入り込んでしまうと、自分達の体験する範囲でしか行動予定を考えられない、視野が狭くなった状態になってしまう。各救護班の行動・連絡・情報交換は背後の日本国内で、たとえば日本集団災害医学会が取りまとめ、ホームページ上に供覧するような試みをしていただければと考える。


社会的中毒事件に対する中毒情報センターの対応

大橋教良:中毒研究 18-21, 2000


 1997年、1998年の2年間に何らかの形で化学物質が関与した事件は、早稲田大学災害情報センターによると、少なくとも 148件把握されています。多くは産業事故もしくは、搬送中の事故によるものですが、地下鉄サリン事件以後、最近は意味不明の中毒物質の発生も特色となっています(表1,表2)。

表1.日本中毒情報センターが何らかのかかわりを持った社会的中毒事件の例

従来からあったもの
  • 産業事故
  • 搬送中の事故

最近話題となったもの

  • サリン事件
  • ナホトカ号事件
  • セアカゴケグモ事件
  • 痴漢防止スプレー噴霧
  • 食物への毒物混入


表2.化学物質の関与した事故(事件)の発生頻度
(早稲田大学災害情報センター 1997年〜1998年)

製造、貯蔵過程における化学物質の漏出、火災爆発、異常反応71
化学物質搬送中の事故14
船舶の衝突、沈没その他の理由による燃料の流出26
食品への化学物質混入(故意、過失いずれも含む)22
その他15
合 計148


 さて、こういった中毒事件発生時に、主にテレホンサービスなどによる治療法やその他の関連情報を提供するのが、中毒情報センターの役目です。現に、地下鉄サリン事件では 250件の問い合わせに対応しました。センターの役目としては、更に 1)医療機関への治療法、その他の情報提供、2)マスコミへの広報、3)迅速な情報提供による犯人の動きの牽制 が挙げられます。しかし、一方センターの限界として、1.情報発信が専門医であるので情報収集は下手をするとテレビ、ラジオを通じてしかできない場合があること、2.情報分析センターではないので、聞いた話から毒物を決められないことが挙げられます。

 また、このセンターが情報をいち早く提供することに関しては、何が起きているのかといった不安の解消という利点がある反面、類似犯を出すのではという懸念もあり、今後議論を要する問題といえます。


救急活動における薬・毒物中毒などの対応要領について

平野三郎:中毒研究 21-23, 2000


 東京消防庁では、年間51万件の救急搬送を195隊の救急車で行っています。その中で、薬・毒物、ガス中毒などの中毒事故の際、初期症状を「観察カード」に記載し、医療機関に情報提供しています。

 さて、東京消防庁には「ハズマット」といわれる化学機動中隊が10隊あり、地下鉄サリン事件などで活躍しています。この隊の特色としては、隊員の服が陽圧防護衣であること、ガス分析装置を積載して、146種類以上のガスの特定と濃度を測定することが可能であること、などが挙げられます。また、薬物・中毒事件時にこの化学機動中隊と行動を共にする救急車の中には、「スーパーアンビュランス」といった、一台で同時に8人を搬送できるものもあります。これらの隊や車両が、大手町と立川に常に待機している救急指導医の指示や情報のもとに活動しています。

 ところで、これら薬物中毒事件時の、患者の搬送方法が問題になっています。救急隊員は防毒マスクと被覆具を装着して2次災害を防いできましたが、最近では更に、患者を被覆の袋で包み、より救急隊員の安全を図ろうという動きがあるからです。しかし、神経ガスの場合、患者さんにとっては発散させないで再吸収させるため症状が悪化するとか、搬送された病院の医療従事者が汚染されるといった問題が指摘されています。


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