日本赤十字社医療チームの台湾地震被災者救援活動報告
(井 清司ほか:日本集団災害医学会誌 5: 51-55, 2000)
日本赤十字社の国際援助の決定については、ジュネーヴにある赤十字国際委員会からの依頼で、日本赤十字社が人選し派遣する場合と、とくに今回のような緊急の場合、日本赤十字社独自の判断で被災地の赤十字社と協議を行い、国内の日赤病院の職員より急遽選抜して派遣する場合の、2通りのケースがある。今回は後者のケースで日赤本社が決定し、依頼を受けたそれぞれの県支部と病院の連携で、地震発生後12時間後に本社から業務調節の2名の調査班が出発、その2時間後に熊本と山梨の病院・支部職員が集合し、5名の医療班を編成し羽田を出発、台北で合流した。
台北に到着した時点で、日赤医療チームの地震被害の情報はまだ断片的であり、行動予定を立てるには不足していた。被災地域の中心である南投県南投市の対策本部に向かい、付近で既に活動を始めている台湾紅十字曾からも情報を得て、医療活動を始めるとする大略の方針を立てた。
台湾では台湾紅十字曾が組織されているが、その下部組織に病院は有しない。したがって、今回の派遣にあたり、受け入れ先としての組織はあるが、具体的に頼りうる病院や医療班はなかった。基本的には自分達で活動場所を探し、現地の医療班と協力して救護を行うか、それが出来なければ準備した薬品や機材の範囲内で、自力で診療活動を行う予定であった。阪神大震災の救護経験から、巡回診療に甘んじることなく、できればレスキュー隊と共になるべく速やかに被災現場に出動し、協力して生存者の救出にあたる(検索救助医療:search and rescue medical assistance)ことも可能であり積極的に取り組みたいと考えた。
実際、現地での一週間の救護活動は、前半は被災現場でレスキュー隊と共に救援活動し、山奥の集落や地滑り現場などに出動する機会があったが生存者の救出にはいたらなかった。後半は、学校や公民館などで避難民の巡回診療を行った。
今回の災害現場にレスキュー隊と共に出動し医療を行う検索救助医療(SRM)の機会も、求めて得られたものではなく、偶然に得られたものであるが、携行した機材や班員の訓練など、後に検討すると、準備不足であった感が拭えない。赤十字が災害時にセットで携行する機材では、例えば挫滅症候群の患者を救出現場で取り扱うには不十分であり、携帯の心電計やパルスオキシメーター等を追加すべきである。また、班員も「瓦礫の下の医療」(CSM:confined space medicine)の訓練を受けておく事が望ましいと考える。
地震後3日を過ぎると、医療班の役割は巡回診療の役割が大きくなってくる。巡回診療にも意義はあり、一概に軽視すべきものではない。災害地に出動するときには多くの軽症の外傷患者や内科・小児科やその他の疾患まで診療することを求められている事を念頭に入れるべきである。その意味では一次から三次までの救急患者に適切に対応でき、かつ広いプライマリーケアの知識をもつ医師の派遣が望ましいと思われる。
この台湾中部地震は、死者2,415名、負傷者11,305名、行方不明29名、建物の全壊52,601、半壊53,114と大きな被害を出した。
全体の救援状況について述べると、第一に現地の救助隊や医療班の速やかな対応が挙げられる。発生当日より全力を出して救助活動にあたっていて、実際、すべての被災地域には漏れなく現地医療班が入り込んでおり、日赤医療班の活動場所を容易に見つけることは出来なかった。第二に道路や橋がかなり崩壊しているにも関わらず、応急工事や間道を使って車両を通行させ、それにより物資の供給が速やかであった。第三に組織的で活発なヘリコプターによる搬送が挙げられる。第四には、中国本土との微妙な関係にあるにも関わらず、多くの国が人道的見地より国際救助隊を派遣していた事である。延べ28カ国より38団体728名の救助隊と医療班、103頭の捜索犬が活躍したと記録されている。このほか、通訳などの技能や車両などの機材を持つ現地ボランティアの活動も注目された。広報車や、新聞、広報誌による避難民への各種の情報も提供されており、参考にすべき事が多くあった。
他方、阪神大震災と同じように被災地は個々に寸断され、対策本部の情報収集・配分・調整能力も十分とは言えず、日赤医療班も含めて、ボランティアは活動場所の選定・活動内容、自主的判断が必要であった。また頻回の余震を体験しながら、危険な道路を通行しなければならないなど、ある程度のリスクを感じながら救護活動を行わねばならなかった。
最後に、日赤医療班のほか、同じ時期に日本からいくつかの医療チームが活動していたわけであるが、情報交換や共同作業を行えるような余裕のある状況ではなかったと思う。阪神淡路大震災のときにも経験したが、救護班はいったん混乱した被災地に入り込んでしまうと、自分達の体験する範囲でしか行動予定を考えられない、視野が狭くなった状態になってしまう。各救護班の行動・連絡・情報交換は背後の日本国内で、たとえば日本集団災害医学会が取りまとめ、ホームページ上に供覧するような試みをしていただければと考える。
社会的中毒事件に対する中毒情報センターの対応
大橋教良:中毒研究 18-21, 2000
1997年、1998年の2年間に何らかの形で化学物質が関与した事件は、早稲田大学災害情報センターによると、少なくとも 148件把握されています。多くは産業事故もしくは、搬送中の事故によるものですが、地下鉄サリン事件以後、最近は意味不明の中毒物質の発生も特色となっています(表1,表2)。
表1.日本中毒情報センターが何らかのかかわりを持った社会的中毒事件の例
従来からあったもの |
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最近話題となったもの |
- サリン事件
- ナホトカ号事件
- セアカゴケグモ事件
- 痴漢防止スプレー噴霧
- 食物への毒物混入
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表2.化学物質の関与した事故(事件)の発生頻度
(早稲田大学災害情報センター 1997年〜1998年)
製造、貯蔵過程における化学物質の漏出、火災爆発、異常反応 | 71 |
化学物質搬送中の事故 | 14 |
船舶の衝突、沈没その他の理由による燃料の流出 | 26 |
食品への化学物質混入(故意、過失いずれも含む) | 22 |
その他 | 15 |
合 計 | 148 |
さて、こういった中毒事件発生時に、主にテレホンサービスなどによる治療法やその他の関連情報を提供するのが、中毒情報センターの役目です。現に、地下鉄サリン事件では 250件の問い合わせに対応しました。センターの役目としては、更に 1)医療機関への治療法、その他の情報提供、2)マスコミへの広報、3)迅速な情報提供による犯人の動きの牽制 が挙げられます。しかし、一方センターの限界として、1.情報発信が専門医であるので情報収集は下手をするとテレビ、ラジオを通じてしかできない場合があること、2.情報分析センターではないので、聞いた話から毒物を決められないことが挙げられます。
また、このセンターが情報をいち早く提供することに関しては、何が起きているのかといった不安の解消という利点がある反面、類似犯を出すのではという懸念もあり、今後議論を要する問題といえます。
救急活動における薬・毒物中毒などの対応要領について
平野三郎:中毒研究 21-23, 2000
東京消防庁では、年間51万件の救急搬送を195隊の救急車で行っています。その中で、薬・毒物、ガス中毒などの中毒事故の際、初期症状を「観察カード」に記載し、医療機関に情報提供しています。
さて、東京消防庁には「ハズマット」といわれる化学機動中隊が10隊あり、地下鉄サリン事件などで活躍しています。この隊の特色としては、隊員の服が陽圧防護衣であること、ガス分析装置を積載して、146種類以上のガスの特定と濃度を測定することが可能であること、などが挙げられます。また、薬物・中毒事件時にこの化学機動中隊と行動を共にする救急車の中には、「スーパーアンビュランス」といった、一台で同時に8人を搬送できるものもあります。これらの隊や車両が、大手町と立川に常に待機している救急指導医の指示や情報のもとに活動しています。
ところで、これら薬物中毒事件時の、患者の搬送方法が問題になっています。救急隊員は防毒マスクと被覆具を装着して2次災害を防いできましたが、最近では更に、患者を被覆の袋で包み、より救急隊員の安全を図ろうという動きがあるからです。しかし、神経ガスの場合、患者さんにとっては発散させないで再吸収させるため症状が悪化するとか、搬送された病院の医療従事者が汚染されるといった問題が指摘されています。
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