災害医学・抄読会 2000/07/21

わが国における災害医療教育の標準化

(大橋教良ほか、治療 81: 2791-2798, 2000


■はじめに

 平成7年の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件以後、災害に関する研修や訓練の必要性があらためて広く認識され、いくつかの教育研修セミナーも開催されるようになってきた。

 以下、学会単位、全国単位、都道府県単位のそれぞれの代表的な災害医療セミナーを紹介しわが国における標準的な災害医療教育の現状について述べたい。

I.代表的セミナーの紹介

1. 日本救急医学会災害医療セミナー

 阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の後、救急医学会会員の災害医療に対する意識を高める目的で日本救急医学会災害医療検討委員会により企画された。主に医師を対象とし、平成7〜9年の3年度にわたり行われ、現在は行われていない。この企画は一般の医療従事者に対するわが国で初めての災害医療に関する本格的セミナーである。その後のわが国における災害医療セミナーの1つの方向性を示した。

2. 国立病院東京災害医療センター災害医療従事者研修会

 平成8年度から厚生省が全国の災害拠点病院の職員の教育のために開催しているもので、都道府県単位で参加申し込みをする。医師のみならず看護婦、薬剤師、事務官のチームで参加するのでそれぞれの職種に独特なことがらに対する研修も組み込まれている。

3. 静岡県災害医療従事者研修会

 東海地震の発生が予想されている静岡県では、前述の厚生省が主催する災害拠点病院の研修会とは別に、平成9年度から県独自で県内のすべての病院を対象とした災害医療セミナーを企画開催している。静岡県における災害医療体制の説明を盛り込んで自治体主催の地域に密着したセミナーの特色を出しているのが、前述の救急医学会や厚生省主催のセミナーと大きく異なる。今後各自治体とも災害拠点病院以外の多くの地域の一般病院を対象とした災害医療に関する基礎的、初級者向けの講習会が不可欠になると思われるが、静岡県のこの研修会はその際の短期間の基本講習の1つのモデルになると思われる。

II.わが国の今後の災害医療教育の在り方

 平成9年度厚生科学研究「災害医療教育のあり方に関する研究班」報告書には医学生、一般看護婦、一般医師、救急医学会認定医レベル、救急医学会指導医レベルというように分類した災害教育カリキュラム案が提案されている。

III.体験的学習と机上シミュレーション

 災害医療分野では疑似体験、訓練などの体験的学習が重視される。その中でも机上シミュレーションは有効な方法である。机上シミュレーションとは実際に起こり得る代表的な災害に模したモデルを提示し、参加者はその中で(たとえば当直医の役割、婦長の役割、事務員の役割というように)ある役割をにない、その役割に従ってインストラクターの提示する様々な状況に関して様々な決定をすることが求められる。このシミュレーションの最大の特色は時間的経過を人工的に操作することができることにあり、また必要に応じて状況の設定も変えられることである。

■おわりに

 医療の標準化という観点から災害医療教育について概説した。

 わが国は欧米の諸外国に比べてこの分野では著しい後れをとっている。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の記憶もともすれば風化しがちで、次に何か大災害が発生したらどうなるのであろうかという危惧がないわけではない。長期にわたる地道な災害医療教育でその危惧が乗り越えられることを期待するものである。


災害時の患者搬送システム

中村 顕、吉岡敏治ほか編・集団災害医療マニュアル、へるす出版、東京、2000年、pp.145-147


1) 空路搬送の必要性

 負傷者の殺到する大震災をはじめとする大規模災害発生当初には、病院自体が被災 しているいないに関わらず、救命可能な重症例を被災地内病院から周辺の後方病院へ いかにして適正に再分配するかが鍵となる。

 患者搬送の手段は、一般的には救急自動車があげられるが、災害時には多数の搬送 依頼が殺到し、しかも道路の被災、混雑などが想定され、十分な対応が出来なくなっ てしまう、と考えられている。

 一方、ヘリコプター搬送では多数の患者を被災地から後方病院に搬送できるため、 その搬送システムの整備は重要な課題である。

2) ヘリコプター搬送の要請

 ヘリコプター搬送は、平時の救急搬送にあまり利用されていないため、搬送要請の手順 や実際に搬送する際の注意点などは一般にあまり周知されていない。また、ヘリコプタ ー搬送の要請手順は都道府県によって異なっているのが現状である。

 実際にはヘリコプター搬送を行う場合、都道府県災害対策本部で具体的な被害状況な どを踏まえて、他の応急活動需要を考慮しながら搬送の優先順位が判断されるため、都 道府県災害対策本部連絡する事が望ましい。

3) ヘリコプター乗降の際の注意点

 医療関係者は災害時などにヘリコプターを利用しなければならない可能性があるため、 以下のようなヘリコプター乗降の際の注意点を知っておく必要がある。

  1. ヘリコプターは風上に向かい離着陸を行うため、救急車などはヘリコプターが着陸 するまで、ヘリポートの風上側隅またはヘリポートの外で待機する。

  2. ヘリコプターに近づく際には、パイロットや整備士らの指示により近づくこと。

  3. パイロット席から見える方向、前方側より近づくこと。

  4. 車はヘリコプターの前方で、危険域(おおむね回転翼の半径+2m以上の半径の円)の外側に止めること。

  5. ヘリコプターの左側から患者を乗せること。

  6. 医師看護婦等同乗者は、ヘリコプターの後方は危険なため、前方を回って右側より搭乗すること。

  7. 乗降の際にはヘリコプターに衝撃を与えないこと。

  8. 搭乗後、安全バンドを着用した後、パイロットに搭乗完了を連絡すること。

4) 最近のヘリコプター搬送に関する動き

 我が国において、ヘリコプター搬送は離島などにおける救急搬送に利用される以外、通 常の救急搬送にはほとんど使われていなかった。過去の集団災害時に負傷者をヘリコプ ター搬送したケースは、平成5年の北海道南西沖地震がある。被害が集中した奥尻島で は平時から重症患者の搬送にヘリコプターが使われており、震災時も発災直後より北海 道警察や自衛隊、海上保安庁の協力の下にヘリコプター搬送が行われた。

 近年はヘリコプターが増加し、運行形態も多様化され、さらに先の阪神・淡路大震災に おいて必要性が指摘されたため、社会的な認識が高まっている。こうした動きを受けて、 ヘリコプター搬送を推進するための試みが少しずつ行われている。

 まず、ヘリコプターに関わる場外離着陸制度が改正され、場外離着陸基準の緩和や、 防災対応離着陸場基準の新規制定、災害時をはじめとする申請許可手続きの迅速化が行 なわれた。

 またヘリコプターを大規模災害時に有効活用するためには、平時の救急搬送にヘリコ プターを活用し、普段から体制を整えておく必要がある。

 さらに平成11年10月からは、厚生省において「ドクターヘリモデル事業」が計画され ている。このモデル事業は、救命救急センターなどにドクターヘリ(医師が同乗する救急 ヘリコプター)を配備し、広域救急搬送体制の向上を図るとともに、患者予後やコスト分 析などにより、ドクターヘリの理想的な運用について評価・検証を行うものである。

5) 緊急輸送路

 阪神・淡路大震災において、ヘリコプター搬送は注目されるところとなったが、患者搬 送の手段として救急自動車が重要である事には変わりなく、この震災の時、同時に多数 の搬送事例の発生と道路の被災などで交通渋滞が発生し、救急車なども十分に走る事が できなかった。こうした教訓を踏まえ、各都道府県では防災拠点や輸送基地を連絡する 路線、救出・救助・医療などに使用される災害拠点病院などを連絡する路線などを中心に 広域緊急交通路を指定し、大規模災害時には災害発生直後から交通規制をかけ、被災地 内への車両の流入規制が図られることとなっている。


ドイツ・スイス・イギリスの災害救助犬の活用及び訓練等について

北出正俊、月刊消防 第21巻5号、p.32- 36, 1999


 平成10年6月3日午前11時頃(現地時間)、ドイツ、ニーダーザクセン州セレ市郊外のエシュデ村の畑地と牧草地に囲まれた場所で、ICE(Inter City Express)の列車事故が起こっ た。事故概要は、200km/hで疾走していた14両の特急列車が、車輪を破損後脱線し、中間の車両がほぼ真横になって跨線橋の橋脚に激突し橋梁を陥没させ、後続車両が陥没した総重量800tの橋梁に衝突したもので、約300名の乗客の内、死者98名、重傷者72名、軽傷者15名の被害者を生じた。この大量救助救急需要に対し、現地新聞報道に準備の段階で「捜査犬も投入される。」とあり、災害救助犬を100年以上前から取り入れているドイツや、海外の地震災害時に災害救助犬を派遣しているスイスなど訪問し、その活用目的と教育訓練等について調査を行った。

1、各国の調査実施団体の概要

  1. ドイツの団体は、ドイツ赤十字(Deutsches Rotes Kreuz)である。救助犬の活用については、1892年来の約100年の歴史と伝統の中で教育訓練方法を積み上げている。

  2. スイスの団体は、Swiss Disaster Dog Association(REDOG)であり、30年以上の活動の歴史を有する。特に、海外の地震災害時に瓦礫に埋もれた人々に対する、検索、救助及び緊急医療処置を専門に行うThe Swiss Rescue Chain(SRC)が、1891年の創設当初より外務省災害援助課、スイス航空救助隊及びスイス国軍救助部隊と共に参画している。REDOGは、1982年から1997年間での16年間の内、淡路阪神大震災をはじめイラン地震など計13回出動し、合計48名の生存者の救出を記録している。

  3. イギリスの団体は、The National Search and Rescue Dog Associationといい、30年以上の歴史を有するボランティア団体で、民間山岳救助チームと共に迷い人等の捜索活動に従事しており、専らイギリス国内で活動している。

2、災害救助犬の活用目的と教育・訓練等について

(1) ドイツ赤十字は、災害救助犬の活用目的を活動地域の特性により次の3つに分けており、スイス、イギリスも基本的にこの分類による。

  1. 野原等の屋外で道に迷った散策者、迷子、知的障害者等の捜索

    • 各国共に現に訓練が行われている活用分野であり、一般の散策者と捜索対象者とを見分けるための分別訓練が行われている。

    • ドイツ赤十字は、この任務は警察の捜索活動への協力であり、災害救助犬本来の任務ではないとの注釈を加えている。

    • 因みに ICE 列車事故にはドイツ赤十字の救助犬が出動したが、要救助者の存在が明らかな列車内の検索活動には参加せず、自力で避難した乗客などがショックで彷徨っている可能性があるため、周辺の捜索に従事した。
      また、救助犬の捜索と警察犬の追跡は一見似ているが、基本的には救助犬には人を友達と教え、警察犬には人を敵だと教えるから用途特性が異なり、1頭の犬に両方の訓練を行っても混乱するので実際には無理だという。

  2. 建物等の崩壊現場での行方不明者の捜索

     ドイツ及びスイスで現に訓練されている活用分野であり、両国とも実際の建物を爆破させた現場で訓練を行う等の工夫を凝らしている。検索には機械を併用するが、最初の大まかな場所を探すには犬の方が良いという。

    • 犬の出動時間は天候、明暗、埃により決まり、特に石膏が多い時には嗅覚が鈍るので10分で交代させる。
    • 雨は、湿気自体は好ましく、経験を積めばよくなる。
    • ヘリコプター等の災害現場の騒音は訓練時に織り込む。
    • 衣類や物には反応させない。
    • 死亡直後の場合、生存者と違いが少ないため判別は難しく反応してしまう。
    • 死体の捜索は専門の警察犬が出動する。

  3. 雪崩等のの山岳遭難事故現場での遭難者の捜索・検索

     地理的条件により活動需要の高いドイツ及びスイスで現に訓練されている活 用分野であり、相当の歴史を有する。この場合、人以外の物にも反応させる。

(2) 1.〜3.のような活動目的別訓練の他にも、障害物の歩行訓練やヘリコプターからハンドラーと一緒に降下するなどの訓練が行われている。

(3) 教育の結果を試験で判定して採用している。


第11章 行動規範から活動基準へ

国際赤十字・赤新月社連盟.世界災害報告 1997年版、p.140-148


 人道主義とは,公平かつ中立で、さらには政治,宗教あるいは他の外的な偏向がない行動,あるいはそのように受け取られる活動を行うことである。救援活動が必ずしも人道的とは限らないが、人道機関は(1)公平,中立,独立の原則を守ることによって自らの関わり方を危機がもたらした影響に限って関与する、(2)上述の原則に一致する手段のみを使用する、ということによって、自らの限界を設定するものの,過去の経歴や所属に関係なく危機的状況下にある人々の権利を守りながら、援助と保護を将来にわたって提供しつづけることを可能とする。

 救援活動には2つの主要な倫理的アプローチがある。これらはともに苦しんでいる他者を助けるために活動するという道徳的衝動から起こるものである。一つ目は人道主義を基盤とした、行動をとらねばならないという規範や義務があり,道徳はそうした行動の中にあるとするものである。この人道主義者の義務とは、赤十字・赤新月の言葉を借りると「人種、信条、政治的信念にかかわらず苦しみを軽減すること」ということである。もう一つの倫理的アプローチは、道徳的善悪を、活動そのものではなく活動のもたらすであろう社会的・政治的・経済的な結果によって判断するものである。例えば、この結果主導型の援助活動者の場合、大量殺人者(またはその疑いのある者)でさらに罪を犯す可能性のある人間に対しては食糧を供給することをためらうかもしれない。

 どちらのアプローチが正しいか、あるいは優れているかを議論することはともかく、問題は救援活動を行っている多くの人々が両方を行おうとしていることである。一般的には一つの組織が2つのアプローチを持つことは可能であるが、生命に危険が及んでいる状況で2つのアプローチを活動の上で混ぜるのはまったくの間違いである。その理由として、

  1. 特定の考えに偏った立場をとることは、いくら救援物資を配布する上では中立であるということを主張していたとしても、その機関が必要とされている場所や救援物資を供給することを危うくすることになり、結局その援助機関の受益者が苦しむことになる可能性がある、

  2. ほとんどの災害状況では、ある一つのNGOの活動が他の全てのNGOの信頼性に極めて迅速に反映される。このため、ある一つの機関が偏った立場をとることにより他の全機関の援助実施能力が制限される可能性がある、といったことがあげられる。

 結果主導型の機関は,どちらの味方につくか決めるという、困難で厄介な仕事に巻き込まれるが、人道機関はそうした選択は出来ない。人道主義は援助の結果ではなく義務や権利に、相対的価値ではなく絶対的価値に、社会の福祉ではなく個人の尊厳に関与するものである。そうした絶対的な基準を設けることで結果主導型の機関が迫られる困難な選択も容易にすることができる。

 援助機関の普遍的な活動規範や最低基準を明確な方法で定義・体系化することが必要である。現在ある〈災害救助における国際席重視・赤新月社運動とNGOのための行動規範〉はその最初の試みである。この規範は現在100を超える独立した人道機関に受け入れられている。

 この「規範」は本質的には人道機関の行動に関するもので、受益者への直接的なサービスに関するものではないため、さらに一歩進んで普遍的な活動基準を確立する必要がある。また、人道機関の救援に対する需要が手に入る資源を超えてしまうという懸念も生じてきており、人道主義システムはかつてないほどに効率的な資源配分・資源利用を実証しなければならなくなっている。そのため最低基準とともに適正実施を定義する必要性がある。  以上の事から人道基準の指針は以下の点に触れている必要があると考えられる。

  1. 活動の4つの基本的な分野、すなわち食糧と栄養、水と衛生、医療、衣服・避難所・住居 に関して、被災者の最低権利を満たすために必要なものは何か

  2. 受益者にとって救援を手に届くものにする方法

  3. 受益者や現地の人々,寄付者、スタッフや会員、将来の活動に対する説明義務について

  4. 環境およびジェンダーのような横断的な課題

 一連の基準は、人道機関・寄付者・受け入れ側の政府が可能だと考えるものではなく、人々が有する権利に基づき作成しなければならない。そのためには、既存の国際法や宣言から被災者の権利に関連する箇条を抽出し強調する必要がある。こうすることにより人道システムの透明性や説明義務を大きく改善する基礎がつくられるであろう。さらに人道主義者が被災者へのサービスの質の継続的な改善を保証しようとするのであれば、各人道機関はその倫理規範を明らかにし、普遍的に合意されている行動基準を遵守することが必須である。


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