勝村久司
(『いのちジャーナル(1998年4月号)』さいろ社、 1998年4月号)
それまで厚生省は、患者本人にさえレセプトを見せないよう指導していましたから、つまりレセプト開示の通知によって、医療界を覆っていた厚いスモッグの一角が取り除かれた、っていうことになるわけです。
しかし、意外にも医療を良くしようと取り組んで来たはずの医師や一部の市民グループから、「レセプト開示はかえって医師と患者の信頼関係を損なう」「レセプト開示は医師と患者の間に新たな溝を作る」などの主張が少なからず出されました。せっかく透き通った星空が見えるようになったのに、「患者のために」という名目で立てられた街灯が「真実の星空は見ないほうがよい」とばかりに光を放って来たのです。
レセプト開示通達が出されてから半年が過ぎ、ここに来てようやくほぼ全ての保険者が開示手続きの準備を整えました。そして、レセプト開示通達直後に厚生省が作ったカルテ開示をすすめるための審議会の答申も、この春から夏にかけて出される予定です。病院窓口でのレセプト相当の詳しい明細書発行についても、厚生省は検討を始めました。
医療情報の開示が進む中、今回はレセプト開示に対して光を乱反射させている8つの街灯に適切なひさしをつけて、「本当の医師・患者の信頼関係」や「本当のインフォームドコンセント」を、満天の星空のように浮かび上がらせていきましょう。
こんな言葉に目をくらまされるな(1)
これは一見、レセプトを見たことのある人が、レセプトを見たことがない人に親切に教えてくれている優しい言葉のようですが、そこには「素人はどうせ見てもわからない」という偏見や「無知な患者などには見せないほうがよい」という傲慢さも含まれていそうな感じがしちゃうわけです。
そもそも、レセプトは一般にプリンターからきれいな活字で印字されています。そうでなくても、保険者に対して医療費を請求するためのものですから、誰が見ても読めるように丁寧な日本語で正式名称で書かれています。その点では、自分たちだけがわかればよいとばかりに、汚い字で、いろんな国の言葉が混ざり、略語ばかりのカルテよりも内容を把握するのはずいぶんたやすいはずです。
レセプトには病名の他、投薬された薬品名や検査名・処置名などが正式名称で略されずに書かれています。それらの名称が聞き慣れないものなので、確かに最初は難しく感じるかも知れません。しかしそれは、今まであまりにも隠されてきたから最初だけなじみにくいだけで、自分や家族の病気のことですからすぐに覚えて、いつのまにか医師や看護婦に負けないくらい日常の診療で正式名称を口にするようになってしまうものです。
たとえばもし、スーパーでの買い物でも医療と同じようにレシートが渡されていなかったとしましょう。そして、ある日から急にレシートが渡されるようになったら、消費者たちは最初はみんな戸惑って「白くて細長い野菜は、ダ、ダ、ダ、イ、コ、ンっていうのか」とか「チョコレートのついてないのが、プ、プ、プリッツで、チョコレートのついてるのがポ、ポ、ポッキーっていうのか」と、目を細めながらレシートに書いてある聞き慣れない商品名を読んでいくことでしょう。だけど、2〜3日もすればすっかり慣れて、「大根とポッキー買ってきて」なんて言ってるわけです。僕たちはすぐに、他の買い物と同じように、薬なども商品名で呼べるようになるはずです。レセプトを手にして商品名になじんでいくことが、医療消費者への第一歩です。
もちろん薬や検査の正式名称を覚えるだけではだめです。名前だけ覚えて満足しているようでは、テレビの風邪薬のコマーシャルで、「カタカナがいっぱい並んだ難しい成分が配合」なんて言われて「すごい」なんて思ってしまうのと同じです。その薬がどういう薬なのかを知らなければ、医師と相談しながら自分で治療法を選択していく自立した患者にはなれないでしょう。
医師たちはあらゆる病気やあらゆる体質の人にくわしくならなければいけません。ところが僕たちは、自分の病気や体質についてだけくわしくなればよいのです。そういう違いがあるんですから、自分の範囲のことくらいは少し勉強すれば、ある程度、医師と対等に話ができるんだ、っていう自信を持っておかなければいけないと思います。
なお、僕が編集を担当した『払いすぎた医療費を取り戻せ「誰でもできるレセプト開示&チェックのための完全マニュアル」』という本が、メディアワークス(主婦の友社)から発売されていますので、「家庭の医学」や「薬・検査のガイドブック」と共に参考にして下さい。
こんな言葉に目をくらまされるな(2)
レセプト開示が大きく報道され始めると、「レセプトですべて診療内容がわかるわけではないし、レセプトには保険病名を使う場合があるなど素人にはわかりにくい面があるので、開示はかえって誤解を招き、開示によって医師と患者の信頼関係が損なわれるのを危惧する」という主旨の主張が、自らを良心的とする医師や一部の市民団体などでなされましたが、いらぬ心配です。
まず、レセプトを見て信頼関係が損なわれることはあり得ません。なぜなら、すでに信頼関係が損なわれているか、信頼関係が築かれていないからこそ、保険者にレセプトを請求するのだからです。したがって、レセプト開示はもともとあった不信感の証拠になったり逆に信頼回復や信頼関係育成の根拠になることはあっても、決して当初あった信頼関係を損なうようなことにはなりえません。
また、レセプトも開示しない中での信頼関係なんて、本当に「信頼関係」と呼べるのでしょうか。「うわべだけで表面的に無難に付き合っているのだから、レセプト開示でかき回さないでほしい」と言わんばかりです。「せっかく一方的に思い通りになっていたのに、いろいろ質問してきたり、注文を付けるようになってくるなら、もう付き合うのはご免だ」というふうにも聞こえます。その程度のことを「信頼関係」なんて呼んじゃいけません。 そもそも、「レセプトなんて見せたら誤解するだけだ」という偏見こそが、患者を信頼していません。信頼関係というなら、もっと患者を信頼して、きちんと丁寧に正確な情報を提供し、説明していくべきではないでしょうか。
問題は、なぜレセプト開示請求が起こるか、ということです。見せないことでごまかして信頼を維持するのではなく、不信感が生まれてしまう構造の本質的改革が必要なのです。不信感は誤解だけではありません。実際に医療界の不正は、歴史的にいくつもありました。「現状の医療とどうつき合うか」ではなく、「現状の医療をどう変えるか」なのであり、現状を理由に改革に疑問を投げかけるのは本末転倒です。
たとえば「保険病名」の問題。ある病気によく使われて効果のある薬が、その病名では保険がきかない場合、別の病名をレセプトの疾病欄に付加してその薬を使うという現状があります。しかしそのことで、「誤解を招くからレセプトを見せるべきではない」というのはまったくおかしい話です。そんなねじれた構造を直し、その病名でも保険がきくように変える必要を感じるのが本来の医者の姿であるはずです。それができなくても、当然消費者(患者)に事情を説明すべきです。そのような説明に納得するか否かは個人の自由ですが、理解することぐらいは誰にでもできるのですから。
こんな言葉に目をくらまされるな(3)
知らせると「不安をあおる」「パニックが起こる」などの言い訳での情報隠しはもはや通用しません。隠すことこそが不安をあおり不信感を募らせることは、原発事故や証券不祥事など最近の様々な事件でも証明されているでしょう。
告知についても同様です。
僕の妻が陣痛促進剤の使用により被害を受けた公立病院は、「自然分娩を大事にするが、全員に血管確保の目的で点滴を打つ」と母親教室で説明しながら、ほとんど全員に陣痛促進剤を投与していました。また、「子宮口を柔らかくする薬」という説明だけで 与えられた薬も陣痛誘発剤でした。これらのことについて主治医である副院長は、裁判の中で「本当のことを言うと妊婦が不安がるから」と証言しました。知らない間に使われた不必要な薬で不本意なお産に終わる等の、人権を無視した傲慢な医療には、今すぐ終止符を打たなければなりません。
癌の場合でも、外科的な切除手術か、放射線治療かなど、いろいろな治療方法の選択肢があります。その人にとってどれが最も望ましいのか、本人が中心になって考えるべきなのに、真実の告知がないと、その自由が奪われてしまいます。また、薬害エイズ事件では、告知の遅れが二次感染を引き起こすという悲惨な事態に至りました。
「誰でもかれでも、いきなり有無も言わさず告知しろ」と言ってるわけではありません。僕はレセプトでも、あくまでも「開示請求をした人」への開示を求めて来ました。したがってその場合、そもそも癌などの「告知」の問題は存在しません。「真実を知りたい」と願う者に「真実を知ってもよいのか」と聞くのは愚問だからです。
また、告知をしても大丈夫だと思われる患者には告知している、という医療者もいます。ところが、告知をしても大丈夫かどうかを医者が正確に判断できるでしょうか。僕の妻は陣痛促進剤を投与され、襲ってきた激しい痛みを何度も医師や助産婦に訴えましたが、「我慢が足りない」「お母さんがもっとしっかりしないと」「最近の若い女性は」などと相手にされませんでした。知人の間では、誰よりも我慢強く体力も根性もある、と知られている妻が、「大げさな女だ」と判断されたのです。そんな調子ですから、本当にお腹の中の赤ちゃんが仮死状態になっていることに気付くのがずいぶん遅れ、取り返しのつかないことになってしまいました。果たして医療者に人を見る目があるでしょうか。僕は童顔で、どちらかというと気の弱そうな顔をしています。もし僕が癌になれば「家族や医者と相談の上、よく勉強もして、自分で治療の方法や余生の過ごし方を考え たい」と思っていても、「こいつは気が弱そうだから本当のことを言わないほうがいいだろう」と決めつけられ騙され続けるとしたら、哀れなことです。
それでもなお、真実を知らせないほうが「心のケア」になるという医療者もいたりします。しかし「真実を知りたい」と本当に願う者に対して嘘をつくことは、大げさじゃなく「重大な人権侵害」「詐欺的犯罪行為」じゃないのかと思っちゃいます。これでは言葉だけの「心のケア」を名目に、「もし癌ならば、自分で治療の方法を選択したい」と思っていた者の権利も奪われて、患者は勝手に現代医療のベルトコンベアに乗せられてしまうのです。
さらに言っておくと、「知らないほうが患者のためだ」なんて言ってきた医師は「そんなに知りたいなら教えてやろうじゃないか」というような冷酷な告知をしそうで不安です。医療者には当然、全スタッフと相談の上、条件を整え、タイミングを考え、できる限り優しく告知をしてほしいと願います。その後のケアも、自然に接しながら、かつ丁寧にしてほしい。どんな人間づきあいでもそうであるように、日々悩んだり試行錯誤しながら、精一杯付き合ってほしい。
これから本当に必要とされるのは、情報を隠して薬などの「もの」を投与していく医療ではなく、情報を共有して介護やケアが施されていく医療・福祉ではないでしょうか。本当の「心のケア」は共感から始まると思います。医療者たちには、真剣に患者のためのケアや患者との接し方を考え、研鑽してほしいと願います。
こんな言葉に目をくらまされるな(4)
やってもいない処置・検査・投薬記録を書いたり、また量や回数を紙の上で増やして請求する水増し請求は「詐欺」か「泥棒」です。それじゃあ、とばかりに、本当に必要もない処置や検査や投薬を強引にやってしまって、量や回数も本当に必要以上に増やして儲けていたら、それは「強盗傷害」っていうところでしょうか。
ここ十数年間、レセプトの不正請求は毎年全国で数十億円発覚していますが、これらは氷山の一角に過ぎないでしょう。なぜならそれらは、患者本人に見せずにわかった言わばドジな不正請求であって、現状のレセプト審査では、1枚の紙に病名と薬名・検査名を矛盾なく記載しておけば、たとえ架空の病気・治療であっても不正は発覚しようがないからです。昨年摘発された大阪の安田系列3病院は、看護料の水増し分だけで約20億円の不正が発覚したといいます。個々の患者1人1人に対し、どれほどの不正があったのでしょうか。その後も、同じような病院の不正発覚事件の記事は後を絶ちません。
それでも病院からすれば「診療報酬の保険点数制度に欠陥があるために、薬漬け検査漬けや手抜き診療、さらには水増し請求までしなければ経営上成り立たない」という側面がありました。「そんな実状の中でも、患者のために病院をつぶしてしまうわけにはいかない、という苦悩の末、ちょっと多めに検査をしてちょっと多めに薬を出して、ほんのちょっとだけ水増し請求をしてるんだ。そんな苦労も知らずにレセプトのチェックばかりしようとして病院がつぶれてもいいのか」というわけです。確かに一瞬ちょっとかわいそうな気にもなっちゃいます。でも、不必要な薬や検査は健康に良くないですから、病院は患者の健康を害してまで存在し続ける必要はないから、やっぱりつぶれても仕方ないかな、とも思ってしまいます。
たとえばお産の場合、休日も夜間もスタッフを十分にそろえておき、自然の陣痛を待ち、時間をかけて自然の進行にゆっくり付き合ってくれる病院には、僕たちはたくさんのお金を支払いたいと思いますが、現状の診療報酬体系制度では低く、実際には十分にお金が支払われないような仕組みになっています。逆に、休日や夜間はスタッフをおかず人件費を節約し、自然のゆっくりとした陣痛にはとても付き合ってられないからと陣痛誘発剤・陣痛促進剤をじゃんじゃん使い、無理に産ませようとしてもうまく行かないことをいいことに会陰切開もバンバンするような病院にはあまりお金を支払いたいと思わないのですが、実際にはたくさん支払われるような仕組みになってしまっているのです。僕たちは人的労働に感謝したいのに、それらより薬を使うほうにたくさんお金が支払われる、すなわち医療の価値観を決める診療報酬点数が僕たちの思いとは異なる、歪んだ設定にされてしまっているのです。
つまりいつの間にか、中医協(中央社会保険医療協議会)が決めた診療報酬点数(医療内容の個々の単価表)によって、結論として、薬を売ったりしないと病院は儲からないようにさせられているようです。日本医師会や歯科医師会などは過去 年間に200億円近い政治献金をしているようですが、自分たちの技術料などには十分な値段がつけてもらえず、薬売りばかりをさせられているようです。こんな制度の矛盾を、レセプトを本人には絶対に見せないという制度の矛盾で解消していた。なのに、レセプトを見せるようになったら矛盾が解消できなくなるじゃないか、ということです。
もし本当に、レセプト開示など患者の消費者意識の向上で、水増し請求や過剰医療ができなくなり病院がつぶれかけるとすれば、中医協や医療界全体が今度こそ本気で医療の価値観を決める保険点数の健全な設定に取り組まざるを得なくなるでしょう。
同時に、レセプト開示でそれぞれの薬や検査の単価等の情報がそのつど患者に明らかにされるようになれば、国民が、医療経済の仕組みがいかに自分たちのニーズとかけ離れているかをはっきり知り、一方的に供給側が決めていた医療の価格が、需要と供給のバランスの上で変化し妥当なところに落ち着くことでしょう。それが国民による、真の医療保険改革・医療改革だと思うんです。だからこそ、そのために医療の情報開示が不可欠なのです。
医者たちは、レセプト開示を求める市民に対して、現状を維持するために上から押さえつけるように対立するのではなく、医療消費者である患者と手をつなぎ、同じように上を向いて、国民のニーズにあった健全な診療報酬体系を求め医療改革を目指すべきではないでしょうか。今が、自分たちが製薬企業の営業マンから脱却するチャンスだと感じてほしいと思うのです。
こんな言葉に目をくらまされるな(5)
僕には、信頼できる大好きな医者が何人もいます。夢を持って助産婦になったが、必要もないのに陣痛促進剤ばかり使う病院だったので意見を言うとやめさせられたという知り合いもいます。国のために頑張ろうと思ったけど、どうしても上司を説得できず挫折した厚生官僚もいました。僕たち、普通の一般市民は、このようなまともにやってる人たちを一生懸命応援しているのです。
だから、まともにやっている医者は、自分も責められていると勘違いして、こんな反論をしたりしないでください。ただし、自分がきちっとやっているだけではだめだ、ほとんどがきちっとやっているというだけではだめだ、ということには気付いてください。1つでも悪質な病院があれば、そこの病院にかかった人にとっては、命の鍵はすべてそこに握られてしまうのです。
また、「被害者たちはついつい被害者意識で医療不信が強くなって、おおげさだ」という思いが「ほとんどはまともにやってるんだ」というセリフを言いたくさせるようです。その先には「だから、被害者という特別な人種とは話ができない。彼らを遠くにおいておき、普通の市民や患者となら、医療について語ろうじゃないか」というふうに話がつながっていきそうです。
薬害・医療被害を受けた人と、そうでない一般の人を差別してはいけません。被害者団体の声にしっかりと耳を傾けている人なら、彼らがきわめて当然のことを言ってるに過ぎないことを知っているでしょう。
しかし、中には彼らの運動を偏見の目で見る医療者が実際にいます。たとえば「レセプトやカルテ開示が進むと、両者の記載が同一でないから、改ざんと誤解して訴える可能性がある」という主張もその一つです。医療裁判がどれだけたいへんかを知ってる僕には、単なる誤解で裁判を起こすことなどありえない、と断言できます。
僕の裁判でも、ほとんどそばにいなかった助産婦が「ずっとそばにいた」と偽証したり、カルテ改ざんについても、主治医が「事務が勝手にやった」と認めざるを得なくなったりと、医療の閉鎖性の中で犯罪は上塗りされていきました。これでは、「裁判を通じて子どもの死を生かし、被害を繰り返させないように」という思いもまったく届きません。
僕たちが情報開示を求める運動をしている理由は、それが被害の未然防止に貢献するからです。技術的、倫理的に不適切な病院や医療者が存在したことは確かな事実です。また、厚生省や製薬企業も含めた犯罪が繰り返されたことも事実です。「自分はまともにやっている」という自負のある病院や医療者には、偏見を持って医療被害者たちと対峙せず、彼らとともに、医療界全体が二度と過ちを繰り返さないための大きな歴史的大局観を持って言動してほしいと思います。
こんな言葉に目をくらまされるな(6)
国民に医療費の明細すら見せない中で、太るだけ太った製薬企業。(日本の製薬業界は概ねまったくの不況知らずで、他の業界や海外の同種企業からは信じられないほどの利益率を上げているようです)。無策のまま多くの薬害・医療被害を残して製薬企業への天下りを続けてきた厚生官僚。そんなシステムに結果として加担し続けて来た医師たち。その結果、医療費の総額は約 兆円(国家予算の3分の1)にまで達し、ついに医療保険制度の破綻、国家財政危機にまで至りました。気がつくのが遅すぎると言うよりは、わざと何もしなかったのでしょうが、もはやどうしようもなくなって医療費抑制は急務とされています。レセプト開示は、医療被害者たちの「真実が知りたい」という訴えに応えるかたちで実現しましたが、この言葉は「厚生省の本音は医療費抑制(福祉予算の切り捨て)だから気をつけろよ」と言ってくれているようです。
しかし、よく考えてみてください。レセプトが開示されて抑制される医療費は、抑制されたらいいんじゃないでしょうか。増税やさらなる保険料負担・自己負担の増額が迫られている中、レセプトが開示されて医療費が抑制されるならしめたものです。そもそもレセプトが開示されることで抑制される医療費って、どんな内容のお金なんでしょう。日常からきちんとまじめにやっている医者なら、レセプトが開示されようがされまいが、請求する医療費は変わらないはずです。そんな真面目な医者たちからすると、レセプトが開示されないことをいいことに医療費の膨張に貢献してきた病院に対しては、うらやましいを越えて腹立たしい気持ちがあったのではないでしょうか。
そんなわけでレセプト開示による医療費抑制の効果は大歓迎すべきことだと思うんです。「医療費抑制」という言葉に反対したい人は、何もかもごちゃ混ぜで抑制に反対してはいけません。レセプト開示による医療費抑制効果には不正を防ぐ意味があるだけで、医療内容や福祉の低下にはつながらない、ということをきちんと整理しておいてほしいと思います。 ついでに、レセプト開示とは関係ない、その他の医療費抑制の問題についても議論を整理しておきたく思うのです。
労働組合などでは、「軍事予算よりも福祉予算を」というような感じで、国民総医療費もどんどん増えていくほうが国民にとってはよいことだ、という運動がなされてきたようなところがあります。このスローガンは嫌いじゃないですが、予算さえ取れば良いというのは、不十分だったようです。結局多くのお金が投入されましたが、振り返ってみれば、それらは国民のために使われたというよりは製薬企業や医者へどんどん流れていくだけで、残ったのは薬害・医療被害・医療不信です。もちろん、満足できる良い医療もあったのでしょうが、プラスの部分があったことでマイナスの部分が帳消しにはなりません。本来すべてがプラスでなければいけないはずです。
諸悪の根元は、医療の内容や明細が本人に知らされないまま一方的に供給されてきたことです。医療の内容が知らされ、消費者のニーズが生まれ、需要と供給の上で医療が動くことが絶対に必要だったのです。そういうふうな情報公開の力を生かす視点を持つことが大切です。そうすれば、僕たちが需要とする部分を補償する真の福祉予算を要求できたのです。 まさか今も、たくさん注射してもらうほど、薬をいっぱいもらうほど、何度も検査をしてもらうほどメスでたくさん切り取ってもらうほど有り難い、過剰な医療を受けるほど得だというような盲信はなくなってきているだろう(もちろん必要な範囲は必要ですが)と思うのですが、税金ですべての子どもにインフルエンザやMMR予防接種をやったり、税金ですべての女性や大人に乳癌検診や肺癌検診をやることで、得をするのが誰なのかをよく考えなきゃいけません。
労働組合などが、レセプト開示を「国の医療費抑制策だ」なんて非難してるのは、議論が整理できていない証拠であって、「国は、医療費抑制のためにさらなる国民負担増や、医療の質低下が危惧されるような改革を性急に行うのではなく、不正請求防止の徹底で不要な悪徳医療機関を淘汰することや、患者自身がレセプト開示などで医療内容の選択にかかわっていくシステムを作ることで、いかに医療費抑制の効果があがるのかを見定めることが先決だ」くらいの主張をしてほしいものです。
こんな言葉に目をくらまされるな(7)
「あなたのために言っておいてあげる」なんて調子でこういう言葉を言われたらドキッとしちゃいますよね。だけど、僕たちってこんな脅しに弱いから、いつまでも変な権力に対してでも屈しちゃうんだと思うんですが、まあじっくりこの言葉を検討してみましょう。
社会保険庁が社会保険事務所等に通知したレセプト開示に関するマニュアルによると、開示請求をすれば以下のような手続きがとられることになります。【本人や代理人からの請求】……保険者が病院の医師に「病名告知が済んでいるか」を確認してから開示。もし、告知が済んでなかったら病院に行かせ、医師から告知を受けてから再度請求に来れば開示。(一部の新聞で報道された「レセプト開示に医師の拒否権あり」というのは誤報です。くわしくは前出『払いすぎた医療費を取り戻せ』をご覧下さい。)【遺族からの請求】……告知問題はないのですぐに開示されるが、開示した後で、開示をした旨が病院の医師に伝えられる。
したがって、現状では、レセプト開示請求をすると、その請求をしたことが何らかの形で担当の医師に伝わることになります。
そこで、「レセプトの開示請求をしたことが知れたら医者に嫌われるかどうか」を検討しましょう(患者のほうがすでに何らかの事情があってその医者を嫌っている場合は、嫌われるも何もないので、それ以外の場合ということです)。
僕は高校の教員をしていますが、ある時一人の主婦から、「私は息子の中学校のPTAの会合で発言し、先生方に意見を述べた。先生方に嫌われていないだろうか」という主旨の質問を受けました。聞いてみると、意見の内容は極めて正論でした。僕はその時、「そんな心配をする必要はないです。教員なんてこんなものですよ」といろいろと思うことを話しました。そして後日、職場の複数の同僚に対して聞いてみたところ、みんな僕と同じ思いでした。それは、「まず、発言する人は1人じゃないので、発言された人の名前を最初は覚えているがすぐに忘れてしまう。繰り返し発言する人は、もう少し長く覚えているが、しばらく経つと、だいたいあの人だったんじゃないか、くらいになり、はっきりしなくなる。よっぽど印象に残って発言をした人が明確に記憶されると、ついついその人の子どもである生徒には丁寧に接してしまうような気がする。いいことではないかも知れないが、クラスに生徒がいっぱいいて日々全員ときっちり対応しきれない中で、印象に残っている保護者の子には、何となく、より慎重にミスのないよう接してしまっているような気がする」というものです。「お医者様」「先生様」というのは遠い昔の話です。今は医者も教員も不祥事が怖いし、鋭いところをつかれてしまわないかビクビクしているようなところもあります。そもそも仕事なんですから、きちっとやらなければいけないと思っているのですが、日々多くの患者が来たり多くの生徒がいると、どっかで自分が手を抜いてしまわないか、と気にかけているのです。したがって、保護者がPTAの会合で発言することは、教員に緊張感を与える効果がある上、もしかしたら自分の子の存在を運悪く軽視されてしまうことを防ぐ効果があるかも知れません(あくまでも「あるかも知れません」です。)
そんな感じが普通なので、あなたがレセプトを取った後、もう一度同じ病院に行くなら、まず、黙っていつも通りにして様子を伺うのもおもしろいでしょう。相手の医者も何も言わないなら、緊張しているか忘れているかのどちらかです。もし、「あなたレセプトを請求されたらしいですね」と突然低い声で話しかけてきたなら、にっこり笑って「はい」とだけ返事してさらに緊張感を楽しむのもいいし、茶目っ気たっぷりに「そうなんです。今、医療消費者としてレセプトを取って保存しておくのが流行っているみたいなんです」なんて言って相手を苦笑いさせるのもいいでしょう。
以上が普通のパターンだと思うので、もし、「あなた一体何が不満でレセプトを請求したんだ」とか「レセプトなんか請求して一体どうするつもりなんだ」なんて言い方をされたら、ちょっと普通じゃないので病院を変えたほうがいいんじゃないかと思います。どこの病院がいいのか悪いのか、病院情報が不足している今、こういうのは一つの目安になりそうです。
そういう意味では、同じ病院に2回も行ってから、「この病院やめておこう」と思うのは無駄がありますから、最初に行ったときの帰り際の窓口で自己負担分を支払うときに、「最近レセプトをもらって持っておくことが流行ってるみたいなんですが、レセプト並みの詳しい明細書をいただくことはできないでしょうか」なんて聞いてみたらどうでしょう。少しずつ渡す病院も出てきているようですが、当面はまだ断られるでしょうから、「それじゃあ保険者へ請求に行けばいいんですね」と聞いて確認してみましょう。「はい、そうです」ならいいですが、もし突然、奥から数人の恐そうな男性が出てきて(そんなことはないと思いますが)「あんた、レセプトなんか見て一体どうしようってんだ」と囲まれたら、走って逃げて帰りましょう。どうして逃げなきゃいけないんだ、と一瞬悔しく思うかも知れませんが、やばい医療からは逃げるが勝ちだと思います。
日本は文化的に欧米諸国と比べて消費者意識が極めて欠如していると言われています。海外では、明細をチェックしないでお金を払うなんてことをしてはいけないと考えますが、日本では明細をチェックするなんて格好悪いと考えがちです。日本でも金持ちの人は結構きっちりしているんですが、金持ちぶっている人ほどいいかっこばかりして馬鹿をみているという話もあります。
車や電気製品を買うときも値切ればある程度までどんどん下がっていきますが、そんなことをしたら嫌われるかも知れないからといいかっこして定価で買うと、あなたは店員からにこにこされながらも心の中では馬鹿にされているでしょう。それがまだお金を損するだけならいいのですが、中古の商品を買うときなんかに言いなりになっていたら、変なものを掴まされてしまうかも知れません。
最近ではずいぶん消費者意識も向上して、そのような愚かな買い物をしてしまうケースは少ないと思うのですが、医療の前では、消費者として愚かにならざるを得なかったという面がこれまでありました。車やパソコンなどを修理に出したとき明細書をもらえますが、医療では明細書がもらえなかったのですから。もう一度、他の買い物と同じように、消費者としてレセプトを要求するのはあたりまえだということを確認しましょう。医者のご機嫌は二の次です。
その昔、信じられないことですが、病院では合計額だけを記した領収書さえもくれなかった時代があったそうです。領収書を出してほしいという市民運動も起こり、「確定申告で医療費控除をするために領収書を下さい」と言うだけでも勇気が要ったということです。今、「レセプトを請求したら医者に嫌われないだろうか」なんて心配していることは、何年か経つと笑い話にされてしまっているかも知れません。
こんな言葉に目をくらまされるな(8)
まず、強引に「医療の専門家」という言葉だけでコンプレックスを抱かせようとしてもそうはいきません。僕は高校の教員をしていて、現在、天文学や情報処理の授業を担当していますが、生徒の中には、ときどき負けそうなくらい星のことやパソコンのことなどにくわしい者が現れます。職業を持っている人はどんな職業の人でも、それぞれその道の専門家ですが、時々趣味でやってる人に負けたりすることがあります。そもそも医療は幅が広いのですから、そのすべての分野に専門家であることは不可能でしょう。
僕は、「陣痛促進剤による被害を考える会」の方々の被害内容を見たり、自分の子を亡くした事件の裁判を通して、「事故を起こした病院の医者や助産婦を全員集めて、陣痛促進剤の使い方や監視方法を徹底的に教えてあげたい」と心から思っています。医者だというだけで「医療の専門家」とは限りません。
少なくとも、自分の身体については長年付き合ってきた自分が一番の専門家だという自負を持つべきです。子どもの身体のことはいつもそばにいる親が一番よくわかっているはずです。自信を持って下さい。「子どもがお腹を痛がる。時々少し痛がってすぐ直るときがあったが、今度のはいつもと少し様子が違う」と思って病院に連れていったなら、「たいしたことないでしょう」と帰らされそうになっても、もっと精密に診てもらうとか、別の病院に行くとかして粘りましょう。「自分自身が一番自分や家族のことがわかっているんだ」という誇りを持ちましょう。通りすがりの占い師に、自分がどんな人間かを尋ね、結婚相手や進むべき道まで教えてもらっているようじゃ情けないです。 専門家にまかせておけないことは他にもあります。
平成8年度の国民医療費の総額は 兆円を超え、国家予算の3分の1にまで達しています。医療保険財政は赤字続きで、医療保険制度が破綻寸前にまで追い込まれています。平成9年6月の国会で医療保険改革法案が成立し、患者の自己負担増や保険料率のアップが決まりました。これが、破綻寸前の日本の医療を取り急ぎ国民の負担増でごまかし、1、2年問題を先送りしただけのものであることは、総理も厚生大臣もほぼ認めています。それゆえ、法案成立と同時に、医療保険制度の抜本改革に政府与党は取り組み始めました。その方向は更なる大幅な国民の自己負担増です。しかし、日本の医療保険制度や診療報酬体系が一体どうなっており、なぜ破綻しかかっているのか、が国民に全く示されず、「総額がこれだけ膨張したから国民はもっともっとお金を支払え」というだけです。これほど大事な議論が国民不在で行われている根本の原因は、医療費の明細書さえ本人に開示しなかった医療の密室性ではないでしょうか。
専門家と呼ばれる(またはお互い呼び合っている)人たちが作り上げてきた制度が破綻したのです。医療費の不正請求が驚くほど発覚し続ける中、国民からは相変わらずお金を吸い上げるだけ吸い上げようとしています。なおかつ、サリドマイド・スモン・クロロキン・薬害エイズ・ソリブジン・陣痛促進剤・ヤコブ病などの薬害が、専門家たちによる犯罪や怠慢で繰り返され続け、日常の医療でも薬漬け・検査漬け・誤診・放置・医療ミスなどが慢性化し、医療訴訟も増える一方で、医療への不信感は深まるばかりです。何か変です。
だから僕たち医療消費者は、ようやく勝ち得たレセプトを見る権利を使い、立ち上がらなければいけません。医療の明細を見て、診療内容とお金のことを一人一人がチェックしましょう。そもそも薬害・医療被害の問題とお金の問題は「命よりもお金を優先してきた」という意味で同じ問題なのです。
もはや、専門家と呼ばれる人たちに任せてしまうのはやめましょう。「これまで日本の医療について審議してきた専門家たちは、天下りのことばかり考えている人、自分の出世や金儲けのことばかり考えている人、製薬企業からの献金や個人的サービスを期待してばかりの人、自分さえ薬害・医療被害にあわなければいいという人ばっかりだったのではないか」と思っている人は、「専門家がもっと良い人たちになればいいのに」などとこれ以上妄想を抱いてはいけません。任せている人たちに「もっと良い人になって」と訴えるのは、「良くなれば良くなるのに」と言ってるだけです。僕たちが良くしていきましょう。 どんな人にもきちっと仕事をさせ、どんな人も良い人にする力が「情報公開」にはあるのです。僕の部屋はいつも散らかっており、家族にどれだけ説教されてもなかなか直りませんが、お客さんが来る日にはきれいに掃除して片付けるので、その時ばかりは家族から誉められます。これが情報公開の力です。「悪人の代わりに善人を」ではなく、「情報公開が悪人をも善人に変える」と考えるべきです。
レセプトの開示請求は、1度保険者の窓口に行くだけで、いっぺんに親子の分の過去5年間のすべての病院にかかった際のレセプトを請求できます。もちろん、手数料は無料です。
医療消費者である国民1人1人が皆、レセプトを手にし、閉ざされた医療を開いていくことこそが、日本の医療を健全にする最も有効な方策ではないでしょうか。
「レセプトなんて見ても難しくてわからないよ」
「レセプト開示はかえって医師と患者の信頼関係を損なう」
「患者が本当の病名を知ってショックを受けてもいいのか」
「不正請求をチェックして、病院がつぶれたら困るのは患者だよ」
「不正請求やいい加減な診療をしているのは一部の医師だけだよ」
「レセプト開示の通達は医療費抑制のために出された」
「レセプト開示請求なんかしたら医師に嫌われちゃうよ」
「医療のことは専門家にまかせておけばいいのだ」
かつむら・ひさし
◆高校地学教師。医療情報の公開・開示を求める市民の会事務局長。星空を守る会会員。