コラム:救急医療メーリングリスト(eml)の生い立ち

eml世話人 伊藤成治

(LiSA 7: 546, 2000)


そもそものきっかけは・・

 今から数年前、まだインターネットという言葉も馴染みがなく、コンピューター通信のユーザー数が100万人、人口の1%に達しようとしていると新聞で報じられ、通信速度も今の60分の一程度、電話代も今のように割引サービスもなく、一枚の写真を送るのに1時間もかかっていたころです。

 当時、医師ならば医師、又は外科医、内科医等の職種での場はあったものの、「救急」という言葉で職種や環境を越えたつながりはまだ存在しなかったんです。

 特に消防の救急隊員は医療関係者としての認識が薄いのか、全くといっていいほど活動の場所がなく、寂しい思いをしました。「なければ作ればいいじゃないか」という根が単純な私の発想から、1995年ニフティーサーブの中に「救急の部屋」というホームパーティーを開設しました。これが今の emlの元になります。

たきつけた人、育てた人は・・

 同時期に「臨床検査技師メーリングリスト」も同じような経過で発生し、医療系最大のメーリングリストとして双璧のように発展してきたことを思うと、時代の流れだったのかと感じます。

 その「救急の部屋」開設直後に、日本医科大学多摩永山病院の冨岡先生(現・国立国際医療センター)から「愛媛大学の越智先生がインターネットで面白いことをしようとしているので話をしてみない?」と連絡を頂きました。実はこの冨岡先生が私に「救急の部屋」を開設するようにたきつけた張本人なんです。

 この時から、越智先生を中心とした3人のグランドキーパー(世話人)のコンセプト「インターネットとパソコン通信の双方から誰もが入ることができるそんな場所」として出発しました。

 それ以後会員数や書き込み数の増加と通信環境の激変から「救急の部屋」とは別に「救急控え室」をニフティーに「消防防災メーリングリスト」をインターネットに開設しました。もちろんこの他にも「メーリングリスト群」とも言える多くのメーリングリストが、emlから発生し、お互いに関連しながら発達してきました。

 emlはインターネットでの一つの学会だと思います、その分科会として aml(消防救急隊員メーリングリスト)や各地方会の役割を果たしているメーリングリストが自然に発生したことも十分うなずけますね。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 今ではニフティーでの相互転送も廃止されました。しかし、登録会員へどのようにすればより快適な場所を提供できるのか、そればかりを考えている毎日です。時に中心となって寝食を忘れている越智先生には頭が地に付くほど下がります。

 これからも多くの方々の力を必要とするメーリングリスト運用ですが、より快適により充実したものをと励みますのでどうぞよろしくお願いいたしますね!

 〇必見ウェブ:「emlのホームページ」 http://eml.amazing.co.jp/

 図 emlのシンボルである宇和島の神獣「牛鬼」
 emlでは地域からの発信、草の根の救急医療関係者の積極的な情報発信が尊ばれる。


コラム:ILCOR 翻訳と撮影班?

東京大学大学院医学系研究科国際保健計画学 坂野晶司

(LiSA 7: 546-547, 2000)


怪しい撮影隊・・いったい何を?

 ここは都内の某大学。夜の闇に紛れて一癖も二癖もありそうな紳士淑女が 研究室へと急いでいた。手には高性能のデジタルカメラや業務用の巨大な ライト、このライトを調整する反射板(通称レフ)。どう考えてもまともには見えない。

 某研究室ではまず、ブラインドを完全閉鎖し、外部からの視線を遮断した。 当然の措置であった。手早く照明関係が準備され撮影の準備が整った。ここで、照明資器材を管理するのは青年実業家で、何故か消防関係にも造詣の深いK氏。K氏の鮮やかな手際により、撮影の舞台はあっという間に整えられた。

女性モデルでなくてすみません

 いかがわしい集団の中でも特に怪しく、また声も大きいT氏が今回の撮影、 「心肺蘇生法」のモデルとして選ばれた。胸骨の圧迫は手掌の近位約三分の一である、「手掌基部」にて胸骨を圧迫すべし、とのILCOR勧告の記載なれど、この部位を明示的に示した写真がないため、今回の撮影が企画されたのであるが、新規に撮り下ろした写真には胸郭圧迫心臓マッサージの様々なカットが含まれている。

 この「heel of the hand(手掌基部)」は一般市民にも親しみやすい平易な訳を目指したILCOR翻訳グループを大いに悩ましたのである。結局、けんけんがくがくの論議の後に、以下のような至れリ. 尽くせりの説明を加えた上に、参考として写真を掲載することに落ち着いたのである(〇必見ウェブ参照)。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 普通、この種のモデルは、水着を着た妙齢の女性と相場が決まっている が、一風変わった今回の写真は如何であろうか。

〇必見ウェブ:「ILCOR勧告:単独で行う成人の一次救命処置―訳者による写真集
  http://ghd.uic.net/99/ilcor2y.html


図1.胸部圧迫

 胸骨の下半分に一方の手掌の基部を置き(左上図)、他の手をその手の上に重ねる(右上図)。訳出に困った heal of the hand とは、手掌基部(手―たなごころ―の、足で言えば「かかと」にあたる部分、左下図)


コラム:ILCORは救急活動を変えたか?

尼崎市消防局 守田 央

(LiSA 7: 547, 2000)


救急隊員にとってILCORとは・・

 ILCORについて初めて聞いたときは結構ショックでした。「えっ? ILCOR? 心肺蘇生法の新しい世界標準? 日本は参加してない!」

 1997年に発表されたILCORの勧告声明が日本ではほとんど興味を持たれていなかったのです。メーリングリスト内で、皆さんが成人のBLSや異物除去、AEDなどを翻訳されているのを興味深く拝見しておりました。そのころ、新生児の蘇生について多少の興味を持っていたので、「ILCORではどういうふうに記載されてんのかな。ちょっと翻訳してみよかな」と思い立ってしまったのでした。

 翻訳に関しては、主に一次翻訳をさせていただきました。一次翻訳は、それはもう、我ながら情けなくなるほどボロボロでした。なにせ、学生時代、英語は5段評価で万年3。辞書や文法、長文読解などの参考書を買いそろえましたが、わたしにとって無謀な挑戦でした。5 million を5万人と訳したくらいですから。当たって見事に砕け散りました。しかし、そのボロボロの翻訳が、皆さんの手により、光り輝くものになりました。

ILCORで何が変わっていったか

 では、救急隊員であるわたしにとってILCORとは? 救急活動になんらかの影響があった のでしょうか? はい。大いにありました。

 まず、人工呼吸時のバッグマスク法が変わりました。救急隊員のバッグマスク人工呼吸は胃への空気の流入が多いとよく言われます。これは、下顎挙上の不十分さと、バッグを揉む圧力が高いことと速度が速いことに起因します。私もそうでした。医療機関での胸腹部レントゲンに写し出された大きな真っ白い胃を見て「あ〜、胃がパンパンや」とうなだれることもありました。以前は 800〜1200 mlという数値を特に疑うことなく、バッグを揉んでいたのです。それが今では ILCORでいわれている 400〜 500 ml程度に変化しました。胸部が軽く上がることを意識しています。また、下顎挙上やバッグを揉む圧力と速度にも充分に注意するようになりました。

 また、除細動の方法も変わりました。AHAガイドラインは知ってはいたのですが、ILCORの翻訳に携わるようになり、AHAガイドラインにも俄然、興味を持つようになりました。以前の除細動の方法は、CPR→DC→脈拍のチェック→CPR→DC→・・・といった流れでした。しかし現在では、AHAやILCORで推奨されているCPR→DC×3→CPRといった連続3回の除細動へと変化しました。

 気管支喘息患者への外胸郭圧迫法も推奨されています。外傷によるCPA患者に対する止血の優先度に関する論議もありました。小児への人工呼吸の重要さも知ることとなりました。さらに、救命率に最も貢献するであろうバイスタンダーへの CPR指導でも、ILCORを意識するようになりました。他にも数え上げたらキリがありません。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 しかし、実際の救急活動上の変化よりも、もっと変化したのは私自身の意識でしょう。積極的に様々な文献を購入し、自宅でも医学関連の書物を開いています。論文も投稿するようになりました。今や、公私ともに救急にどっぷりです。

 私を含む全ての救急隊員がILCORやAHAを学び、そこから得た知識を生かした救急活動をしたいものです。

 〇必見ウェブ:「守田 央ほか.世界標準の心肺蘇生法の紹介:国際蘇生連絡委員会(ILCOR)について.プレホスピタルケア 13巻 2号, 2000」
  http://ghd.uic.net/00/morita.htm


ILCOR翻訳の思い出 ―私が言い出しっぺです―

電子回路設計技術者 玉木基之

(LiSA 7: 548, 2000)


 ILCORの訳を進めていく皆さんとは、メーリングリストにて遣り取りをしているのであるが、お医者さんだけでなく、会社員、消防職員等、さまざまな人間が関わってきた。しかし、翻訳を実際作業された皆さんは「一体何時に、寝てるの?」とか「1日何時間寝てるの?」「仕事しているの?」「仕事場から首にならない?」と思うようなメール量と発信時間で、メールを嵐の様に送ってくる。

 しかも、論文の翻訳みたいな物だから、1通当たりの大きさも、半端ではない。それを、よくも1年も続けてきた物だと、感心(呆れる?)するのは、私だけであろうか?

私がILCORを翻訳したわけ

 私が、ILCOR勧告を訳してみる気になったのは、1999年 2月、岡山県の澤田先生のメーリングリストでの発言がきっかけだった。

 「誰か、この日本語訳をしてみませんか? そう難しくはない。原書講読するだけで、発言して仲間の役に立とうとしない伝統は遺憾だな。」この文に「じゃぁ、自分で訳してみんかい!」と若気の至りでひとりつっこみを入れつつ、秋田の稲葉先生に紹介された原著を、見てみる。「ほぉ、なんとか BLSの項ならいけそうかな?」と思い、アルコールを燃料に辞書片手に、取り敢えず訳しては見たものの、いざこれを公衆の面前に出すとなると、恥ずかしくて出せそうに無い。('‘)ウゥ 「えーい!ままよ!」とアルコールパワーに身を任せ、メーリングリストに訳を載せてみると案の定、間違えだらけ!

 恥ずかしさとアルコールに火が点いて顔は真っ赤! 嗚呼、かくして私の人生は、はかなく散ったのでした。合掌

emlメンバーの証言

 玉木氏が ILCOR翻訳に貢献したのは最初の1回だけでした(笑)。でも彼の一石がなかったら、 emlメンバーによる ILCOR翻訳も、越智・畑中コンビの AHA会議出席も、ひょっとして JRCの発足も ILCOR加盟もなかったかも(言い過ぎ?)。

 〇必見ウェブ:「玉木基之ほか訳. 単独で行う成人の一次救命処置:処置の順序(Sequence of Action)
  http://ghd.uic.net/99/ilcor2.html#22


LiSA特集:心肺蘇生法2000年の潮流