心肺蘇生法普及に関する提言

漢那朝雄、越智元郎、橋爪 誠

       九州大学大学院医学研究院災害救急医学、*愛媛大学医学部救急医学

(治療 82: 144-147, 2000)


目 次

 1.はじめに

 2.わが国の心肺蘇生法普及に関連する問題点
  1) 伸び悩む一般市民へのBLS普及状況
  2) 国内におけるBLS指導法の相違

 3.心肺蘇生法普及に向けての第一歩 ―基本環境整備―
  1) 日本心肺蘇生法協議会への期待 ―心肺蘇生法統一を中心に―
  2) 医師への心肺蘇生法教育強化
  3) 一般市民への心肺蘇生法のさらなる啓蒙

 4.おわりに

 参考文献


■はじめに

 1960年代に心肺停止(CPA: cardiopul- monary arrest)者に対する心肺蘇生の重要 性が指摘され、現在の心肺蘇生法の鋳型の 発表以来、三十余年が経過した。最近日本国 内でも、やっと一般市民への心肺蘇生法教 育に徐々にではあるが光が当てられてきた 感がある。その結果、秋田市のように地域 ぐるみで心肺蘇生法普及活動に取り組み、 欧米先進地域レベル並のCPA状態からの社 会復帰率を達成する地域もでてきた1)。しか し、全体としてはまだまだ十分に普及して いるとは言い難い。

 また一方で、市民への心肺蘇生法が普及 するに従い、教育組織によってその指導法 に違いがみられること、正しく心肺蘇生法 を行えない医療関係者が存在するといった 問題も指摘されはじめている。

 本年、わが国においても、新しい蘇生指 針策定に向けての論議が開始される予定で ある。今回、その策定の意味するところを、 心肺蘇生法に関する最近の国際・国内事情 とあわせて紹介したい。

 なお本稿では、断りのない限り、「心肺蘇 生法」は、一次救命処置(Basic Life Sup- port, BLS:器具などを用いない)および 二次救命処置(Advanced Cardiac Life Support, ACLS:器具や医薬品を用いる) の両者を指すものとする。


■わが国の心肺蘇生法普及に関連する問題点

 1.伸び悩む一般市民へのBLS普及状況

 平成2年、わが国における来院時心肺停 止者の予後が欧米に比較し、著しく不良(社 会復帰率1%、患者発生現場での心肺蘇生 法施行率9.2%)であるという厚生省行政科 学研究報告がなされた。以降、救急隊員の 応急処置拡大ならびに救急救命士制度導入 など病院前救護体制が整備されつつある。 しかし、CPA患者の社会復帰率は平成6年 の調査でもほぼ変わりなかった。その主な 原因は市民によってBLSが開始される例が 少ないこと、電気的除細動まで時間がかか りすぎることの2点にあると考えられる。

 同年、患者発生現場でのBLS施行率を 改善するために自動車免許取得者への講習や 学校教育への導入、昨年からは119通報 時の口頭指導の試み2)など、様々な一般市 民への救急蘇生法(BLS+止血法)の教育・ 指導が開始されている。しかし、住民や家 族らによるBLS施行率は平成9年で16.9 %のみで、いまだに病院外心肺停止者の80% 以上は救急車が到着するまで、何の手当や 処置もされず放置されている3)

 2.国内におけるBLS指導法の相違

 平成4年に消防、日赤、学会関係など各 分野の代表が参加した日本医師会救急蘇生 法教育検討委員会において、各組織で行う わが国のBLS教育は1992年のアメリカ心 臓協会(American Heart Association, AHA)ガイドラインに準拠することが決定 された。しかし結果的には、団体ごとの指導 法に微妙な相違点が生じてしまった。この 相違点は、一部の目から見れば些細と思わ れるものであったのかもしれないが、BLS 教育の現場に大きな混乱を起こす結果とな っている。受講者である一般市民(特に複 数の団体の講習を受講する熱心な受講者)、 そして指導の立場にある者(医育機関の者、 市民指導にあたる救急隊員、日赤職員、応 急手当普及員など)の双方に混乱を生じて いる。その結果、市民が実際にBLSを実施 することを躊躇する可能性が指摘されてい る。今後の普及を考慮する上でも指導法の 相違はただちに解決されなければならない4)

 3.砂上の楼閣の医療 ―心肺蘇生を行えない医師―

 現在欧米では、BLSは医師の知識という より、人間としての常識あるいはマナーと いった認識のようである。(米国では、ACLS コース受講を医師免許更新の条件としてい る州もあるようである)。残念ながら日本で はそのような認識はあまりない。BLS さえ 知らない医師も多い、というか正しくでき る医師の方が少ないのではないかとさえ思 われる。一昨年の日本蘇生学会で卒業間近 の医学生がBLSを行えないという報告がな され、一部の地域では新聞報道もされた。 うちは大丈夫と自信を持って答えられる施 設、あるいは実際に心肺蘇生法教育を見直 した施設がどれぐらいあったのだろうか。

 このような認識の欠如は、医療の原点と もいわれる救急医療をおろそかにする日本 の医学教育、医療界の歪みをまさに象徴す るものであるといえよう。10年間以上、一 般市民へのBLS普及活動を続けている河村 の「病院社会のなかでしか生きていけない 医者には、医療も人間社会の一部という認 識が欠けているのではないだろうか。」とい う言葉は、臨床にたずさわる医師のみなら ず、医師資格を持つすべての者がその専門 を問わず留意すべきことであろう5)


■心肺蘇生法普及に向けての第一歩 ―基本環境整備―

 1.日本心肺蘇生法協議会への期待 ―心肺蘇生法統一を中心に―

 1992年 ILCOR( International Liaison Committee on Resuscitation)という心肺 蘇生法の改良や世界標準の作成を目的とし た国際組織が結成された。心肺蘇生法の国 際統一の動きから取り残されていたわが国 でも、昨年、ILCORに対する窓口となる日 本心肺蘇生法協議会(JRC: Japan Resuscitation Counci1)が結成され、わが国にお ける心肺蘇生法の新指針策定に向けて動き 出した6)。また、本年8月にはAHAから ILCOR 勧告も考慮した8年ぶりの改訂ガイ ドラインが発表される。かつてAHAガイ ドラインに基づいて現行の蘇生指針を策定 したわが国も、様々な変更が予想される AHAの新ガイドラインを早急に検討し、わ が国の事情に即し国際的にみても妥当な新 指針の策定を急ぐ必要がある。

 BLSの指針は、一般市民への知識普及を 主な対象としている点で、他の医学関連の 指針と比較して、全く特異的な存在である。 われわれは今回作成されるBLS新指針が、前 回の轍を踏むことなく統一された指導法と なるように、JRCがその調整の中心となる べきと考えている4)6)。すべての関連組織に おいて、心肺蘇生法の指導要項や受講者テ キストが同じ記載となるよう、また心肺蘇 生法に関する用語の整理という問題も含め て、継続的な調整をお願いしたい。

 また、我々はJRCにより作成される新指 針が、一般市民への指導を強く意識したも のとなることを望む。指針に用いられるフ ローチャートは、確実に実行してほしい最 低限の重要事項を繰り返し叩き込む性質の ものにしていただきたい。

 わが国の蘇生指針の策定方法についても、 ILCORやAHAガイドラインの策定同様、 原則としてEBM(Evidence Based Medi- cine)に基づくことが期待される。わが国に 特徴的な疾病構造などを考慮し、特に反映 させる必要性のある諸要素については、可 能な限りEBMに基づいた検証が行われ、わ が国の状況に見会った指針がオープンに策 定されていくことが期待される7)。現在、国 内の指導法の大きな相違点となっている気 道異物除去に関連する問題(確認方法や手 技)の多くは、こういったコンセンサスが 欠如あるいは不十分であったことに起因し ている。

 JRCが今後確固とした組織基盤を作り、 以上のような問題に取り組んで行かれるこ とを希望する次第である。

 2.医師への心肺蘇生法教育強化

 一般市民などへのBLS普及および知識・ 技術の維持に適した環境整備を円滑に行う 上でも、医師はもちろん、他の医療従事者 が正しく心肺蘇生を行えることは不可欠な 条件であると考える。実際に、医療従事者 への二次救命処置教育が一般市民へのBLS 普及活動に波及効果のあることが報告され ている8)。AHAのACLSコースに準じた二 次救命処置教育を組織的に行っている施設 などは、国内ではまだ数少ないようである。 筆者の所属する九州大学でも、今年から初 年度研修医を対象に正式採用直前に2日 間の二次救命処置教育を開始したが、今後 このような医師への心肺蘇生法教育の強化 が望まれる。

 二次救命処置教育のなかでも、とりわけ 電気的除細動に関する教育強化は早急な対 応が必要である。CPA状態からの社会復帰 率の向上のために早期除細動は不可欠であ り、欧米では、人の多く集まる場所に自動式 除細動器が設置され、資格を持つ市民が除 細動を行う時代になりつつあるのである。米 国では、5月20日付けの大統領声明で自動式 除細動器をすべての連邦関連のビル、全旅 客機に搭載することなどの法制化に向け、 準備をすすめていることが公表された。
http://www.pub.whitehouse.gov/urires/I2R?urn:pdi://oma.eop.gov.us/2000/5/22/5.text.1
つまり、電気的除細動の位置づけは二次救 命処置という範疇から一次救命処置へシフ トしつつあるのである。また、医療メーカ ーも市民が除細動できるよう、安全かつ安 価な機器の開発を行っている9)

 一方日本では、除細動を行う資格は医師 以外では条件つきで救急救命士に認められ ているだけである。今後、わが国でも除細 動器が広く普及していくには、まず医師に その必要性を徹底して認識していただき、少 なくともすべての医療機関への除細動器設 置(特に大規模病院では各病棟への設置) が早急に実現化されることが望まれる。医 療機器販売メーカーにも、安売りで売上げ を伸ばした某ハンバーガー社のような努力 を期待したい。

 3.一般市民への心肺蘇生法のさらなる啓蒙

 一般市民への心肺蘇生法の普及には、啓 蒙・教育を繰り返す以外に道はない。さら なる普及のためには、繰り返し教育できる ような体制づくり、教育法の工夫などが必 要である。

 国家レベルでは、その基盤整備として、 まず義務教育における心肺蘇生法教育を強 化していただきたい。また、心肺蘇生法指 導者を養成する体制づくりを支援していた だきたい。指導員が確保できるに従い、医 療職、警察官、自衛官、大量旅客輸送機関 などの職種を中心に普及を図るとよいので はないかと考える。

 各地方自治体は、各地域毎のCPA患者 の家庭内発生率、BLS施行率や社会復帰 率などの情報を住民に公表し、心肺蘇生法 習得の必要性をさらに強く認識してもらう よう努力すべきである。また、PTAや保育 園・幼稚園の保護者などを対象とする乳幼 児・小児の心肺蘇生法講習を支援していた だきたい。この種の講習は、家庭内、校区 単位の地域内の連携意識を高め、防災など への波及効果も期待できると考えられる。  実際の講習では、受講者のやる気を促す ための工夫が求められる。市民のCPRに よる具体的社会復帰例紹介や寸劇を取り入 れた講習は好評のようである。

 欧米より数十年遅れたとされる日本の救 急・災害医療体制の問題解決も、このよう に医師への二次救命処置教育、一般市民へ のBLS教育がまず改善されない限り、望め ない気がしてならない。

(*当教室と福岡市消防局では、一般市民へ の心肺蘇生法普及を目的(講習受講促進な らびに復習目的)に、携帯電話ホームペー ジ上へのBLSテキストなどの掲載を開始し た。アクセス方法は以下の通り。
J-PHONE(Skyweb対応機種):メインメ ニュー→2.地域別→九州→災害救急医療情 報を選択。NTTドコモ(i-mode対応機 種):インターネット→URL入力;http:// www.med.kyushu-u.ac.jp/cpr/i/index. html→災害救急医療情報を選択 セルラーでも、今後サービス開始予定。


■おわりに

 1997年 刊行のILCOR勧告や今回の AHAのガイドライン改訂発表という世界的 潮流に乗り遅れることなく、日本でもBLS ガイドラインが統一されることが、今後の 新たな普及活動およびACLS普及へのまず 第一歩、必要条件になると考えられる。

 2000年はわが国の関連機関が集中的な論議 を行い、適切な心肺蘇生法指針を早急に策 定するべき年であることを強調したい。

 また、同時に市民・医療関係者への心肺 蘇生法の普及に関して、少しでも読者の皆 様にご理解いただき、参加貢献されるきっ かけとなれば幸いである。

 なお、本稿の提言内容の一部は、公的団 体あるいは救急医療メーリングリスト: eml (URL:http://apollo.m.ehime-u. ac.jp/GHDNet/jp/ML/)参加者などにより、す でに実現あるいは提案されていることをお 断りしておく10)

著者メールアドレス:
kanna@dem.med.kyusyu-u.ac.jp


参考文献

  1. 清野洋一、渡部 顕:院外心停止患者の予後改善のために. ICUとCCU 23: 483-489, 1999

  2. 消防庁通知通達:口頭指導に関する実 施 基準の制定及び救急業務実施基準の一部改正について. http://www.fdma.go.jp/html/data/tuchi1107/110706kyu_176.htm, 1999

  3. 消防庁資料:救急業務高度化の現況. http://www.fdma.go.jp, 1998

  4. 越智元郎、漢那朝雄、鍛冶有登:わが国における心肺蘇生法指導法の統一を望む. LiSA 7: 542-545, 2000

  5. 河村剛史:一般市民に対するCPRの普及活動;日本における新しい健康文化をめざして. 救急医学 21:107-109, 1997

  6. 生垣 正:国際蘇生法連絡委員会(ILCOR)の設立と「心肺蘇生法に関するILCOR勧告」について. LiSA 7:550-555, 2000

  7. 畑中哲生:AHA心肺蘇生法ガイドラインの歴史的経過と Guidelines 2000 策定の方法論. LiSA 7:558-563, 2000

  8. 青木重憲:二次救命処置の普及(ACLS)と問題点. 治療 81:2678-2681, 1999

  9. 福井道彦:心肺蘇生法2000年の論点を拾う. LiSA 7:566-572, 2000

  10. 越智元郎 、畑中哲生:AHA Second International Evidence Evaluation Conferenceに向けての提案書. http://ghd.uic.net/99/dallas-j.htm


LiSA特集:心肺蘇生法2000年の潮流