■ たかはたの昔話 ■ 八巻 通安
山形の昔話はこちら昔々あるところに高畠という所がありました
高畠は歴史ある神社、数々の古代遺跡が存在し、一日かけてのんびり歩いてもあきない。 町内亀岡地区には亀岡文殊堂(真言宗大聖寺)があり、三大文殊の一つということで受験シーズンともなると多くの受験生や その家族がおとずれる。うっそうとした木立に囲まれた参道も趣があり、格好の散歩コースになっている。 麓から上っていって文殊堂に折れ曲がる地点に、異様な文字を刻んだ大きな石碑が建てられているのをご存知だろうか。 そこには「極重悪人」と刻んである。参道近くにあるため、はっきり読み取れるが、 はたして「極重悪人」とはどういうことだろう? むろん「極重悪人唯称仏 (極重の悪人はただ仏を称すべし)」の浄土真宗の用語と思うが、 なぜこんなところに、大きく極重悪人と刻んだ碑をたてたのだろう。 調べてみると、寛文目安越訴事件の高梨利右衛門の供養碑であるという。
屋代郷
「屋代郷(いまの高畠町を中心とした地域)は寛文4年(1664年)に米沢藩が半知減封され、 米沢藩預かり地となってからは財政に苦しむ藩のあおりを受け、特に農民の暮らしは圧迫された。 年貢の取り立ては年をおうごとに厳しくなり、生きることさえ困難な状況に追い込まれていた。逃亡するものも続出したが、 関所のとりしまりも厳しくなり、やがて農民たちは逃げ場を失った。 このことに危機感を感じたのが二井宿(当時は新宿と記載)の肝煎、高梨利右衛門だ。 村人のことを思う彼はある晩、自らの命をかけて幕府に直訴(直訴は死刑に相当する重罪)すると告げた。 断腸の思いの利右衛門は自分の罪が妻子に降りかからないよう妻子に離縁状を差し出し、 夜が明ける前に江戸へと向かった。 二井宿峠からの屋代郷
直訴
利右衛門の思いが通じ直訴は無事受け入れられ、屋代郷は幕府直轄となり、悪役人も厳罰されることになった。 屋代郷の人々はこれを知り喜んだが、利右衛門は国の定めにより上杉家に引き渡され、 重罪として屋代郷引きまわしの上、処刑されることになった。 処刑当日、役人につれられた利右衛門は米沢城下を出て屋代郷へと向かった。 屋代郷の沿道は利右衛門を神のように思い慕う村人達で埋め尽くされた。 そして涙にぬれる人々に見送られた利右衛門は生まれ故郷二井宿の一の坂ではかなくその生涯を閉じた。 だが人々は利右衛門の行動を義挙として称え、幕府や米沢藩をはばかり、極重悪人と刻みながらも彼の供養碑を建てた。」
極重悪人の碑文献
しかし文献上の記録はこれとは少しニュアンスが違っている。 寛文目安越訴事件は米沢藩の過酷な政策を幕府信夫代官所に訴えでたもので、 寛文6年(1666年)に起った。しかしこれは米沢15万石の領民が酷政を幕府に訴えたもので、 訴状にも「米沢15万石総百姓」の名が記されている。わが屋代郷は米沢15万石の埒外であり、 この事件で利右衛門の関与を示すものはない。かつ利右衛門処刑の22年前の出来事である。 一方、利右衛門についての記録は米沢藩の武士の文書(甘糟継成文書・岩瀬小右衛門文書)に残されている。 それによると二井宿村肝煎・島津利右衛門(記録上は島津)は元禄元年(1688年)3月、抜け米(米の不法売買)の罪で、 最上領漆山に追放される。さらに同年9月、利右衛門は偽名を用いて、二井宿鉱山採掘許可を幕府勘定方へ上申したが、 あわせて米沢藩の御領扱よろしからざる旨を申し述べた。幕府はこれを讒訴と判断、 利右衛門はただちに逮捕され、12月に米沢藩の手で二井宿にて公開で斬首された..というのが公式に残る文書である。
天領
翌年(1689年)、屋代郷は米沢藩の預かり地を脱し幕府直轄となり、米沢藩の苛政から逃れることができた。 たが同時期に、仙台藩、会津藩預かり地でも幕府直轄化がなされていて、 高畠の幕府直轄化に利右衛門事件がどのように関与したのかは不明だ。単に幕府の方針に則ったにすぎなかったのかもしれない (幕府は預かり地を固定しない=預けっぱなしにしない方針であったとの記録もある)。また悪役人が厳罰されたという記事もない。 利右衛門の公開処刑と高畠の幕府直轄化が偶然、重なったと考えるのが妥当とも思える。 しかしこの後、高畠では「天領御百姓」と称し、天領であったことを今も誇りとしているし、 その象徴として利右衛門は義民として永く語り継がれた。米鶴が二井宿で酒蔵を開いたのもちょうどこのころである。 地域経済が大いに活性化したのだろう。できれば義民伝説が真実で、利右衛門の訴えが幕府を動かしたことを信じたい気持ちだ。 名君・上杉鷹山の治世は1755年から1822年なので、それ以前の話である。
米鶴酒造蛇足的追加
T木先生が医学生をしていたとき、亀岡文殊の縁者の御曹司のカテキョーをしておったそうな。 そんでもってシビガッチャキ号がよなよなこの辺に出現したんだと。 めでたく御曹子が志望校に合格したあとのこと、 シビガッチャキ号を文殊様の化身と拝む人がいたそうな。 あないみじ。