私の夢、それは・・・。
▼「“歌詞”“詩”“短歌”あるいは“講演”を生業とし、自立し生きてゆく」ことです。

実は上記に上げたこの四つの中に私自身が、私の得意とするものがあるのか、才あるものがあるのか正直わかりません。健常時、仕事柄必要に感じ描いていたデッサン画や、ローリングストーンズに憧れ弾いていたロックギターの方が、もしかしたら得意あるいは、才能があったのかと思う時もあるくらいです。ただ、配信させて頂いております私の作品のファンの方たちの声援と、私ならではのものを表現していると言う自負を支えに、“歌詞”“詩”“短歌”を綴ったり“講演”原稿を、今現在書いたりしております。もし物を書くプロの方が、私の作品や原稿をお読みになったら、眉をひそめられるやもしれません。でも、自分は書くことが得意なのか、はたまた才能があるのかと悩んだり、悪評酷評を恐れたりしておりましたなら、何も出来ませんし一歩も夢へと近づけません。

全身麻痺の私に今出来ることそれは、唯一動く顔の皺を動かし、ファィバーセンサーを反応させて、健常な頃に比し百倍の時間をかけ、パソコンに文字を打ち込むことだけです。自然、やることは限られます。ならばと、少し前から書きためてあった“歌詞”と“詩”と、2005年10月から書きはじめました“短歌”を飽きることなく書き続け、この『舩後流再チャレンジ』の一段階とし、私ならではと言うものをまず世に出して、紆余屈折はあるにせよいつかはきっとその結論とし、生業と得せしめるべきではないかと考えました。そのためには、表現力を磨くなおいっそうの精進が、必要と考えております。

今私は、“今やれることをやり抜く”ことこそ、私が私の夢を叶えるためにすべきことと心得ます。そして私のその夢が叶えられれば、“例えやることは限定されても、自分ならではを表現あるいはやり続け且つ精進すれば、いつかはきっと夢叶えられる!”となり、僭越ですが多くの障害者の方たちの励みになると信じます。

舩後靖彦(ふなごやすひこ)プロフィール
1957年生まれ。1999年、42歳でALS(筋萎縮側索硬化症)を発病。麻痺全身に及び、現在、額の皺を使って操作するコンピュータで活動中。自作詩を発表するコンサート、講演、メールによるピアサポートなどを展開している。

略歴等
氏名:舩後 靖彦(ふなご やすひこ)
*1957年10月4日岐阜市に生れる(現在48歳)。
*10歳より千葉市に住む(在住38年)。
*千葉県立千葉南高校、入、卒業(自由な校風を謳歌する、長髪のバンド小僧でした)。

*拓殖大学政経学部、入、卒業(バンカラな校風に染まったのか、バイトは工事関係やドライバーが多かったものです)。
*学校卒業後24歳より都内にあった時計宝石輸入、卸売り商社の酒田時計貿易渇c業部に入社(モダンな9階建ての社屋と、軍隊風の社風が実にミスマッチでした)。
*28歳で、小学校六年より一方的に憧れていた妻と結婚(実は19の春には完全にフラレタ!それにもめげない私は、今で言うストーカー?)。
*30歳から宝飾品部に異動(主にダイヤモンドを取り扱いました)。
*40歳から開発部に異動(広報、宣伝を担当しました)。
*42歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)発病。
*一時浮世離れし現在に至る。

▼名古屋市:『株式会社ケアドゥ(ヘルパーステーション)』相談役
▼市原市:『地域生活を支援する会 ふわふわ(精神障害者共同作業所運営)』会長

家族:大黒柱の妻と高校生のドラ娘との3人家族。
趣味:健常者の頃はギター、ドライブ、海外旅行、イラスト。現在、短歌、詩作とバンド。
やってみたかった事:アメリカ大陸を18輪大型トレイラーで爆走!(好きになる事に理由はないようです。若い頃より好きでバイトでマイクロバスやら、大きい車の運転手をしました。最高15t車)。
自慢:その為の大型けん引T,U種免許を取得した事。
残念な事:その免許が平成14年10月で切れた事。
特徴:身長166cm、体重43`、眼鏡使用、超M型おでこ。