聴神経腫瘍




                                                                           
  
        「医学講座」                    
        聴神経腫瘍の手術 (ラジオNIKKEI放送内容) 2008.11.20 on air


                       東京警察病院 脳神経外科部長・脳卒中センター長  河野 道宏


      注) 医師向けですので、専門用語が多く、患者様達には難解な箇所が多いかと思いますが、
         聴神経腫瘍の手術全体の流れはつかめるのではないかと期待しております。




 聴神経腫瘍は前庭神経から発生する良性の神経鞘腫で、小脳橋角部に発生する腫瘍すなわち
小脳橋角部腫瘍のうちで最も発生頻度が高い疾患です。
難聴・耳鳴りあるいはめまい感で発症することが多いため、耳鼻咽喉科で診断がつくケースがほとんど
ですが、中には当初は
「突発性難聴」と診断されていて、後日に聴神経腫瘍であることが判明することも
しばしば遭遇いたします。

 
聴神経腫瘍の治療には、外科的治療すなわち手術・定位的放射線治療・経過観察の3つがあり、腫瘍の
大きさや成長速度、性状、年齢、聴力の状態や症状、治療施設の条件、医師の考え方や患者さんの希望
によって、これら手術・放射線治療・経過観察のいずれかが選択されます。その際に問題となるのは、
聴神経腫瘍の手術が脳神経外科の手術の中で最も難しいものの一つであるため、術者によって手術成績が
全く異なることであります。
また、定位的放射線治療には、ガンマナイフ・サイバーナイフ・定位的ライナック治療などが含まれます。

 手術・放射線治療・経過観察の
メリット・デメリットを簡単にまとめます。手術のメリットとしては、腫瘍の
切除が行えること、病理診断が確定し、また、あらゆる大きさの腫瘍に治療が可能であることなどが挙げられ
ます。一方、
デメリットとしては、開頭手術を要し、術者によって手術成績が一定しないことや、顔面神経麻痺
出現等の合併症の頻度が放射線治療に比べて高いことなどで、その他、髄膜炎・髄液漏・創部のトラブルなど
手術に特異的な合併症がおこり得ることが挙げられます。
 
定位的放射線治療のメリットは開頭手術を要さず、合併症の頻度が少なく、入院が短期間で済むことにある
と考えられますが、
デメリットとしては、腫瘍が消失しないこと、言い換えれば腫瘍と一生つきあうことを前提と
する治療であること、また、再発した場合に手術が難しいこと、そして最も重要なのは、
現在用いられている
治療線量による長期成績がない
ことです。
手術は主として腫瘍を「治す治療」であり、放射線治療は腫瘍を「コントロールする治療」と考えることが可能
であります。

聴神経腫瘍に対する治療法の選択において、現在のところ、コンセンサスの得られている事項としては、
最大径3cmを超える腫瘍や若年者に対しては、一般的に手術が第一選択と考えられています。

 それでは、聴神経腫瘍の手術について述べさせて頂きます。聴神経腫瘍は、多数の脳神経、たとえば
顔面神経・蝸牛神経・前庭神経・中間神経、またしばしば三叉神経・下位脳神経群・外転神経などが腫瘍と
癒着したり接触したりしているために、手術にあたっては、各脳神経の機能を温存しながら、腫瘍をきちんと
切除することが求められます。このことが、脳神経外科領域で最も難しい手術の一つとされている所以であり、
特に、顔面神経機能温存・有効聴力の温存については、良好な手術成績をあげるためには専門性が要求
されます。

 手術にあたっては、腫瘍切除の原則は全摘でありますが、聴神経腫瘍は良性腫瘍であり、全摘よりも神経
機能温存を優先させることも1つの治療戦略と考えられます。このため、顔面神経機能や聴機能の温存の
ために、剥離が困難な場合には顔面神経や蝸牛神経上にわずかに腫瘍を残存させるケースもあります。
その際には、
腫瘍の発生母地である内耳道の中には、腫瘍を極力残さないようにすることが再発防止のカギ
と考えています。

 聴神経腫瘍の手術と申しますと、術後の顔面神経麻痺や聴力喪失のことがクローズアップされがちですが、
各専門施設から最近報告されている手術成績は、顔面神経機能温存率は90-97%、有効聴力温存率は30-70%
と極めて良好なものとなっています。

 
術後の合併症としては、顔面神経・蝸牛神経をはじめとする各種脳神経症状や脳幹・小脳症状、感染、
術後出血、髄液漏などがありますが、専門施設ではこれらの合併症の頻度は少なくなっているのが現状です。

 聴神経腫瘍の手術には
様々なアプローチがあります。これまで、脳神経外科で手術する場合には、患側の
後頭下開頭による外側後頭下到達法、いわゆる後頭蓋窩法がもっぱら用いられてきました。耳鼻咽喉科でも
聴神経腫瘍に対して手術が行われますが、通常は乳突洞を削開する経迷路法あるいは中頭蓋窩を経由して
アプローチする中頭蓋窩法が用いられます。取り扱う科によってこれほど手術方法が違う疾患はあまり類を
見ないと思われます。手術時の体位についても、脳神経外科では側臥位、耳鼻咽喉科では背臥位が採用
されます。耳鼻咽喉科の手術アプローチの使い分け方は、聴力温存を企図する場合には中頭蓋窩法を、
そうでない場合には聴力を犠牲にする経迷路法が採用されるのが一般的です。どちらの方法も、錐体骨の
削除を前提とする頭蓋底アプローチであり、錐体骨の解剖に精通することと熟練が必要と考えます。脳神経
外科の手術方法である外側後頭下到達法は、聴力温存の企図の有無にかかわりなく適用できることと、
術野が広く、オリエンテーションがつけやすいことが特長ですが、小脳の牽引を要する点が欠点とされています。
 近年は、脳神経外科と耳鼻咽喉科の共同手術を行う施設や、各種の頭蓋底手術アプローチを症例によって
使いわけたり組み合わせたりする施設も出てきており、近年の手術成績の向上に寄与していると考えられます。

 手術アプローチの使い分けとならんで、良好な手術成績を得るために必須であると考えられているのは
術中の
脳神経モニタリング
です。術中神経モニタリングとは、電気生理学的手法を用いて、神経機能の術中変化を
監視するシステムのことで、聴神経腫瘍の手術においては顔面神経機能保存を目的とした顔面神経モニタリング、
聴力温存のための蝸牛神経モニタリングが主体となります。この他に三叉神経運動根のモニタリングや体性
誘発電位、すなわちSEPが症例によって追加されます。
 顔面神経の術中モニタリングとしては、フリーランの顔面筋電図・随意刺激の顔面筋電図・持続刺激の顔面
筋電図の3種類があり、腫瘍を取り終えた時点での、随意刺激または持続刺激による顔面表情筋の反応の
大きさは、術後の顔面機能の予後とほぼ相関いたします。
 蝸牛神経モニタリングとしては聴性脳幹反応、すなわちABRが主体となります。
 通常は、術者が腫瘍の切除を行っている最中は、臨床検査技師または医師が常時手術室内にいて、これら
の数種類のモニタリングの監視にあたっています。

 次に外科治療における最近の話題を2・3、ご紹介したいと思います。
 まずは術中の
内視鏡の導入です。聴神経腫瘍の手術において最も重要なことは、顔面神経の走行を把握
することです。通常は顔面神経は腫瘍の腹側を走行するために、腫瘍の背側から進入する外側後頭下到達法
や経迷路法では、顔面神経の走行の把握はどうしても手術の終盤となります。しかし、内視鏡を用いますと、
術者からみて腫瘍の裏側に存在する顔面神経の走行と広がりが容易に把握できますので、顔面神経を損傷
することなく摘出率を上げることが可能となります。また、内視鏡を内耳道内の腫瘍切除の程度の確認に用い
たり、内視鏡観察下に腫瘍の切除を行う報告もあります。 

 次に、
顔面神経の神経再建や形成外科的手術の進歩についてです。顔面神経が手術中に切断された際の
一つの対処法として、顔面神経-舌下神経吻合術が行われることがあります。顔面神経-舌下神経吻合術は、
従来は舌下神経を切断して顔面神経本幹と直接あるいは移植神経を介して間接的に吻合するものでしたが、
最近は舌下神経機能を保ったままで顔面神経再建を行う方法が報告されています。
一方、顔面神経再建術によっても顔面機能の改善が得られない場合には形成外科的手術が試みられることが
ありますが、この分野においても新たな手術方法や、手術成績の向上が報告されています。

 最後の話題は神経線維腫症2型、いわゆるNF2に対する
聴性脳幹インプラント (ABI)についてです。神経線維
腫症2型 (NF2)は、両側聴神経腫瘍を発生しやすく、最終的には左右とも聾となる可能性が高い疾患です。
聴神経腫瘍における難聴は後迷路性難聴が主体であり、補聴器や人工内耳は理論的には無効です。そこで、
脳幹の蝸牛神経核にインプラントを接触させて、脳幹を直接刺激して、患者さんが音として認識できるように
開発されたものが聴性脳幹インプラントです。米国でNF2に対して多数の症例に用いられて有効性が報告され、
日本にも導入されて、最近経験が蓄積されつつあります。

 最後に、今後の動向と課題について触れたいと思います。
 最近、国内においては
セカンドオピニオンの普及により、患者さん自身が十分にインフォームドコンセントを
得た上で、納得した治療を受けることができるようになっています。欧米では、専門性を持った施設に患者が
集中する、いわゆる「センター化」が以前より行われてきましたが、日本においても、インターネットの普及などに
より、手術・放射線治療ともに、
専門性と実績のある施設へのセンター化が加速しているのが現状です。このため、
手術成績は今後さらに向上することが予測されます。  

今後の課題といたしましては、聴神経腫瘍に対する治療の標準化が求められており、医師や患者さんがある程度
目安となるようなガイドラインの作成などが望まれているところです。

 本日は、聴神経腫瘍に対する種々の治療の概説と、手術における専門性の重要性、手術アプローチ、術中神経
モニタリング、手術合併症、最近の話題、今後の動向と課題について述べさせて頂きました。ご清聴ありがとうございました。













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