災害医学・抄読会 110701

HICS(Hospital Incident Command System)に学ぶ災害時の4病院組織の考え方

(大橋教良、大橋教良・編 災害医療、東京、へるす出版、2009、p.67-73)

 Hospital Incident Command System(HICS:病院有事統制システム)はアメリカで開発されたIncident Command System(ICS)を応用した病院の危機管理の手法で、災害の種類、規模、病院の大小や災害発生後の時相に応用可能な汎用性の高いシステムである。近年災害訓練の一環でトリアージ訓練が行なわれている。しかし災害の超急性期に、限られた医療資源で多数の命を救うために必要であるが、災害時に医療全体を滞り無く進行させるにはトリアージだけではなく、災害時の指揮命令系統確立が重要である。英米両者の代表的な災害医療研修コースでは、いずれも「指揮命令系統の確立」と「安全の確保」の重要性が強調されている。ここでの「指揮命令系統の確立」とは命令が上から下に伝わることではなく、災害時点での責任者、治療斑、情報収集斑、その他災害医療を行ううえで必要な役割分担を速やかに決めて情報の流れを明らかにし、ただちに災害対応を開始することである。災害医療を行うために必要な役割分担と情報の流れを系統的に記載したものが「災害時の病院組織図」であり、その組織図に基づいて行うべき事項をまとめたものが「災害対応マニュアル」である。これらは、平常の体制では対応出来ない災害時に、事態が収束するまでの一定期間病院の危機管理を行うための指針である。しかし日本では多くの病院が通常の病院組織を元にした災害時組織図を設定している。これでは「災害医療を行うために必要な役割分担」と各役割間の「情報の流れ」が不明確であるために、通常時とは異なる災害時では機能しないと考えられる。そこで、日本の災害時の病院組織について、HICSを参考にして考える必要がある。

 HICSとは、ICSを基本コンセプトとして米国で開発された災害時の医療システムである。ICSとは1970年代に大規模森林火災に対して効率的な消火活動を行うために考案されたシステムである。その後、森林火災だけではなくあらゆる非常事態管理におけるICSの有用性が認められたために、2003年にNational Incident Management System(国家非常事態管理体制)に危機管理の手法として取り入れられた。医療の分野では1987年にHospital Council of Northern California(北部カリフォルニア病院)がICSを有事の病院管理に採用し、1991年にCalifornia Emergency Medical Authority(カリフォルニア州救急医療公社)によりHospital Emergency Incident Command System(HEICS:病院緊急事態統制システム)が作成された。その後改良を加えられ、2007年の第4版以降Hospital Incident Command System(HICS)と改訂されている。

 HICSの主要部分は大きくcommand(指揮)、operation(現場)、planning(企画運用)、logistics(後方支援)、finance/administration(経理・管理)の5部門からなっている。しかし、災害発生時にこれらの部門を全て立ち上げるのではなく、災害の種類や規模に応じて役割分担のうち、必要なものを必要な時に立ち上げるということがHICSの基本的な考え方である。そのため、役割分担の追加、縮小も可能であり、災害に合わせて柔軟に対応できる。この点がHICSの利点である。

 次に各部門の説明をする。まず、指揮部門は災害対策の最終的な意思決定と責任を持つ部門であり、情報、広報、安全管理についてもこの部門が責任を持つ。必要により災害に合わせて様々な専門家とも連携をとる。次に、現場部門は治療斑、施設斑、受け渡し斑、有害物質担当斑、安全担当斑など具体的に災害対応に関連する業務の殆ど全ての部門であり、全ての部門のなかで最も規模が大きい。特に災害時にものや人手がないということが混乱の大きな要因だが、混乱を最小限にするために受け渡し専門担当者が設定されている点が重要である。そのほか治療斑にはトリアージ、外来治療など、施設斑は建物の損壊の他に、電気、上下水道、空調などさらに細かく担当に分かれていく。続いて企画運用部門は患者追跡情報、空床情報、職員配置・追跡情報などの災害の進行状況を常時把握・整理する部署である。後方支援部門は通信連絡、IT、スタッフの食事提供、職員とその家族の健康管理など、災害医療のスムーズな展開するために必要不可欠な部門である。最後に経理・管理部門は長期にわたって災害医療活動を行うための労働時間管理、労災の対策、物資の調達などを担当している部門である。

 災害時の組織の運用での注意点を挙げる。まずは、災害対策本部すなわち指揮部門は災害の喧噪から離れ、各種通信回線などが装備された安全な場所に十分なスペースを確保することが重要である。次に前にも述べたように、災害に合わせて必要な部門を必要なときだけ立ち上げ、柔軟な対応をとることが災害時の混乱を小さくすることにつながる。また、日本では災害対策本部長を病院長にしている場合が多いが、1人で24時間働くことは実際には不可能なので、企画運用部門で災害対策本部長の役割も分担し、誰が何時からというように職員配置を考えることが重要である。このことよりHICSではモチベーションを維持しつつ、長期戦に耐えうる体制を整備することができる。最後に、各部門では1人がコントロールできる部下(部門)の適正数を考慮した災害時の病院組織を形成することが、スムーズな災害医療を行うためには必要になる。

 以上より日本の災害対策時の病院組織のあり方について、HICSを参考に今一度考え直す必要があるのではないかと思われる。


DMATと消防の連携 1.出動要請

(阿南英明ほか、石原晋ほか・監修 プレホスピタルMOOK 9 DMAT、東京、永井書店、2009、75-81)

はじめに

 2006年4月に通知された「日本DMAT活動要領」の中には「DMATの派遣は、被災地の都道府県からの要請に基づくものである」という一文がある。さらに緊急消防援助隊のように厚生労働省(大臣)が直接出動を要請する仕組みはない。地域によってDMATの活動内容や出動基準も多種多様である。ここでは、DMAT出動要請の現状について述べる。

(1)出動要請基準

 近隣災害の場合、傷病者の重症度と人数によって規定されるものが多い。誰もが「災害」と認識できる大規模のものから、通常の交通事故まで都道府県ごとにさまざまな基準がある。それに対し遠隔地で災害が発生した場合の派遣については規定をしていない地域もあり、まずは遠隔地への派遣規定が各DMATの要綱に盛り込まれることが望まれる。遠隔地発生した広域災害では近隣・局地災害に比べて規模、傷病者数などの詳細情報を早期に把握することが困難であり、また、被災地は災害発生直後より膨大な問題処理を求められ、パニック状態に陥り機能不全に陥る。こうした経験を踏まえ、さまざまな出動要請基準の工夫が必要である。

 自動的要請基準としては、規模によって段階的に、所属都道府県DMATに対する要請、隣接都道府県に対する出動要請、さらに遠隔地域への出動要請を設定しておくことが迅速性の改善に重要である。自動的派遣基準としては、派遣する側が要請を待たずに自動的に派遣すべき出動基準を予め設けることが、発災直後の活動のスムーズ性につながる。

(2)出動要請経路・方法

 災害は24時間365日いつでも発生しうるため、その災害に対しDMATは常時対応できる仕組みを構築する必要がある。基本的な出動要請経路としては、1)消防あるいは市町村が災害発生を認識、2)市町村から都道府県に対しDMAT出動を要請、3)都道府県から協定を締結したDMAT指定医療機関に対して出動要請 という流れである。

 当然最初に現場対応する消防はいつでも119番通報するだけで数分以内に緊急出動する態勢が完成されているが、これに対し各医療機関のDMATにそれほどの体制を求めることは容易ではなく、医療機関としては24時間対応で緊急出動する体制はまだまだ厳しいと思われる。迅速化の観点から、事案発生ごとの出動判断に関して被災地からの要請を待たない場合や、都道府県知事の判断を省いてある場合も見受けられる。

(3)移動手段

 いざ出動を決定した場合、DMATの移動手段はどうあるべきか、通常自動車を考えた場合、1)消防車両 2)ドクターカーなど指定医療機関所有車両 の2つの方法が想定される。両者の選択の有用性は災害の発生地域規模によって大きく異なるが、現地での移動に消防の車両が自在に活用できるかが疑問である点や、早期に撤収を図るDMATが現地から帰院する際に消防車両では不都合である点などから、通常の地域では2)の方法を選択することが多いと考えられる。さらに今日ではドクターヘリによる現地への派遣が実施された事実も報告されており、今後迅速な長距離移動への活用が期待されている。

おわりに

 本稿では陸上での災害を念頭にさまざまな仕組みが構築されてきたが、わが国は周囲を海に囲まれており、海上災害の発生にも対応しなくてはならない。海上での災害に対しては陸上での消防や警察機関の役割を海上保安庁が担っており、最初に災害発生を認知する海上保安庁からDMATの出動を要請することになる。しかし海上事案への対応にも、どのような要請経路にするのか、いざ出動する際の手段はどうするか、などの問題があり、今後さまざまな検討を要する。


巨大地震が原発を襲う

〜原発は「阪神淡路大震災クラスの地震にも耐えられる」という嘘〜

石橋克彦(神戸大学都市安全研究センター教授):別冊宝島1469号、2011年 p.4-11

 石橋克彦教授は、日本に林立する原発の近辺で大地震が発生する可能性がきわめて高く、また原発の耐震基準が甘すぎ、大地震に耐えきれずに原発が崩壊する危険性があることをかねてから指摘してきた。

 阪神大震災は、いかに現代都市が地震に弱かったかを示し、間接的に原発の近くで大震災が起きた場合の危険性を証明するものであった。政府や電力会社によれば、原子力発電所の耐震安全性は、1978年に策定されて81年に一部改定された「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(以下、指針)が保証しており、大地震でも絶対大丈夫ということになっている。「指針」では、「将来起こりうる最強の地震である設計用最強地震″」による揺れをS1、さらに「およそ現実には起こりそうもない設計用限界地震″による揺れをS2として策定し、それらに基づいて原発の耐震設計をするように定めている。しかし、S1,S2の策定の基礎が現代地震学の常識からみて根本的に間違っている。また、それ以前に全国にある原発は、大地震に直撃されやすい場所に立地されている。

東海大地震 浜岡原発

 発生が懸念されている東海地震の予想震源域の真っただ中に、浜岡原発がある。中部電力がだした書類によれば、S2のM8.5の地震による揺れも想定し、絶対安全と言われている。しかし、書類での揺れの計算モデルは、震源断面図(フィリピン海プレートとその上にのる陸地プレートの境界面)のズレ破壊が、一か所から始まって一様に進行するというものであるが、これは実際の地震の起こり方からはかけ離れたものである。現実には、震源断層面は強弱が入り乱れており、震源断層面の各所で飛び飛びに岩石破壊の連鎖反応が起こり、「多重震源」となることが予想される。こうなるとM7.5クラスの大地震が立て続けに複数連発することになる。また、こうした多重震源の地震では、短周期の地震波を非常に強く発生するが、原発のような剛構造の構造物には、この短周期地震派が大きく影響する。さらに、2つのプレート境界面の破壊だけでは収まらず、陸地側プレートの岩盤の中に、「枝分かれ構造」というものが派生してでき、そこでもズレ破壊が生じることも考えられる。もし、その真上が原発だったら、まさしく原発を直撃する直下型地震となる。これは地震学的に言ってほぼ確実に起こると考えられているが、電力会社が作成したモデルでは全く考慮されていない。

 以上から、M8クラスの東海大地震はプレート間地震と直下型地震が同時に起こると考えられ、阪神大震災の比ではないくらい揺れは複雑で長時間に及び、はるかに厳しいものになるはずである。また、浜岡原発の岩盤は、砂岩・泥岩互層の軟岩で、大変脆弱なものであるため、この下に枝分かれ断層が集中していると考えると浜岡の原子炉が安全であるはずがない。

スラブ内大地震帯 六ヶ所村、女川、福島、東海村

 政府の「指針」から完全に抜け落ちている大地震の中に、「スラブ内大地震」がある。「スラブ」とは、日本列島の下に沈み込んだ海洋プレートを指し、地球内部の圧力を受けた硬い岩盤である。この岩石が破壊すると震源が深くても非常に激しい揺れをもたらす。このスラブ内大地震が怖い点は、短周期の地震波を強く出しやすいことで、前述のとおりこれは原発に大変都合が悪い。六ヶ所村、女川、福島、東海村原発はいずれも太平洋プレートのスラブの直上にある。また西日本でも、愛媛県の伊方原発はフィリピン海プレートのスラブ上にあるため絶対にスラブ内大地震を考慮に入れておかなければならない。

日本海東縁変動帯 泊、柏崎原発

 日本海側は地震が少ないというイメージがあるが、これも間違いである。確かに太平洋プレートのような沈み込みはないが、日本海の海底岩盤が西から陸地側岩盤を相当圧迫しており、そのしわ寄せが日本海沿岸域の活断層として多数見いだせる。柏崎原発は、非常に危険な地帯である。日本海から圧迫する岩盤の進行速度は太平洋プレートに比べて遅いが、着実にひずみは蓄積され、大地震発生の可能性は高い。

「活断層がなければ大地震はない」の重大誤解 若狭湾原発銀座、島根原発

  「指針」では、「活断層のないところではM6.5以上の大地震は起こらない」としている。しかし、これは完全な間違いである。なぜなら大地震の本質とは、地表に現れた地表地震断層やそれが累積した活断層の長さにあるのではなく、地下の長大な震源断層面に沿う岩盤のズレであるからだ。十三基の商業用原子炉がひしめく若狭湾の原発銀座″の周辺でも活断層が認識できない場所でたびたびM7クラスの大地震が発生している。しかし、電力会社は原発立地に際し、「過去の地震を調べた結果、大地震の起こってない場所に建設する」という考え方である。これは重大な誤りである。ひずみの蓄積速度の遅い日本海側では、過去に大地震によりひずみエネルギーを解放した地域は当分地震が起きることはなく、むしろ地震の発生していない地域こそ近い将来の大地震候補地といえる。

原発震災の恐怖

 今まで「指針」の問題点については述べてきたが、これは「指針」が20年前に策定されたものであり、現代の地震学からすれば大変古いからである。大地震が原発を直撃したとき、最も恐ろしいのは、通常の震災と原発による災害とが複合した原発震災″と呼ぶべき災害が起こりうることである。放射能のために、被災地に自衛隊やボランティアが救護に行くことが不可能になり、被災者も原発事故だけならなんとか避難できるかもしれないのに、地震による大被害のため逃げられない。原発震災では、広範囲の住民が何世代にもわたって放射能や遺伝的障害におびえ続けることになる。

 阪神大震災クラスの大地震はどこでも起こる可能性があり、日本の地震情勢をきわめて甘く見た原発が、全国にまんべんなくばらまかれているのである。


大学祭での食中毒による多数傷病者受け入れの経験から

(塚川敏行ほか、集団災害医学会誌 15: 197-205, 2010)

 2008年6月、大学祭において食中毒が発生した。その際の多数傷病者の受け入れに成功した病院による報告である。

 2008年6月7日土曜日17:00前、救命救急センターに食中毒患者と思われる傷病者が多数発生しており、何名まで受け入れ可能か、という一報が入った。救急外来担当医師の中に救急専属医はおらず、連絡を受けた日直医が救急部専属の当番医師に指示を仰いだところ、軽症であれば20名程度は受け入れ可能と回答するように、との回答を得たため救急本部に上記の回答を行った。時刻は17:00前で勤務者が日直から当直に移行する時間帯であったが、日勤および夜間帯の管理当直者、管理師長たちはその場の機転で救急外来に居合わせたその場の医師、看護師は病院に残るようにとの指示を出し、それ以外の当直、当番医師も支援が可能なものは診療に参加することとなった。さらに、傷病者受け入れに備えて看護スタッフ、必要な医用器材、薬品を確保し、結果的に計22名の医師、28名の看護師が救急外来内に確保された。

 ゾーニングとして救急外来内のエリアを災害用ゾーンと一般救急用ゾーンの2つに分けた。そのほかに救急車搬入路にあたる通路前室をトリアージゾーン、救急車搬入路直近にあり、救急外来全体を見渡せる救急外来内カウンターを指揮本部として設定した。集団来院患者に対しては独歩来院に対する受付も設け、トリアージゾーンに誘導し全員に便培養を実施することとした。同時に、救急外来内に残っていた患者の処遇の決定を行い帰宅、入院患者の移動を速やかに実施した。さらに、救命センター長を介して、院長からトップダウンで連絡が伝えられることにより、休日にもかかわらず事務応援者の支援を得ることができた。

 受け入れに際して、幸いなことに消化器内科医が日直者で勤務していたため、即座に食中毒用の診療録のフォーマット作成を行った。これにより診療でのカルテ記載時間が短縮され、次の患者への迅速な診療開始につながることで診察以外のストレスが大きく軽減された。また、中央指揮所のカウンター内にて患者全員の指示コンピュータ入力作業を1人の担当医に集約化した。診療の流れとしては、乳酸リンゲル液1000mlの点滴・採血を実施し、治療に反応が不良であれば入院を考慮する対象として抽出し、最終的に消化器内科医が入院を判断することとした。

 17:40頃から救急車患者が次々と搬入され始め、ピークの約2時間弱の間に10台の救急車、29名の傷病者を受け入れた。その間、現場状況把握を兼ねて医師、看護師をトリアージ要員として救急車による現場出動も行った。最終的には15台の救急車、46名の傷病者を受け入れ、そのうち4名が入院となった。救急車での搬送者数は30名であった。20:00には現場に出ていたトリアージ要員のスタッフとともに最終収容の患者が搬送され、以降は散発的な受診となった。この時点でピークアウトを認識し、集団対応体制を解除した。今回の食中毒の原因として、クレープの調理具に残った食材から毒素産生型黄色ブドウ球菌、エンテロトキシンA・C型・コアグラーゼV型が検出され、同感染症とされた。

 今回、受け入れ施設として比較的順調に対応がなされた要素として災害にも対応し得る広い救急外来が存在し、医療需要に追いつくべく多くのスタッフが集まり、豊富な資材の供給がなされたことが挙げられる。また、患者群のほとんどが健康な基礎疾患を持たない若者で、食中毒という単一疾患の軽症から中等症患者に限定されていたことで対応上恵まれたと考えられる。今回の例をもとに7つの考案を以下に挙げる。

 食中毒による集団来院の際、診療の標準化として診療フォーマット、治療パスが有効となる可能性がある。あらかじめ食中毒などの病態に合わせてフォーマットを作成し、トリアージタッグのサイズに合わせたサイズのゴム印に載せ、印をつき用意しておけば記載内容の統一化が図れ、多数傷病者の対応に寄与する可能性がある。

 電子カルテに際して、災害時には紙ベースでのカルテ運用を考慮するべきである。電子カルテは診療者がコンピュータのある場所に、相対して向かい合うことが求められるため、時間的・空間的に拘束され制限が生ずる。ライフライン遮断の可能性も考慮し、タッグの使用も含めた紙を用いた診療録に切り替えることを普段から考慮しておくべきと考える。

 多数傷病者来院に際しては病院をあげての普段からの取り組みが求められる。多くの職員が収集に応じた背景に日頃より災害訓練を繰り返していることが挙げられる。

 疫学的な推察を現場活動に反映しうる。病院側は救急隊員からの情報をもとに、加熱食材耐熱性を有する毒素の食後2〜4時間での発症を考慮し、黄色ブドウ球菌またはセレウス菌による感染症を考え、中でも代表的な毒素産生型黄色ブドウ球菌による食中毒を疑い、推察を救急隊員にも伝えた。さらに、救急隊はクレープが最後に提供された時間から発症時間を考えて、現場活動の最終的な時間帯を想定していた。

 食中毒には懐疑的な対応が求められる。今回は便培養のみを実施し、吐物を含めた排泄物の保存は積極的には実施していなかったため、物証を残すという点では反省点があった。和歌山の毒カレー事件なども存在することから、物証を残すことはもとより、早期の警察介入、患者集中を分散化させることなど、懐疑的に対応するべきと改めて考えられた。

 地元消防、保健所等行政と検証の機会を持つべきである。集団来院の際には時間的猶予がない中で多くの機関が共同で事案に対応する必要が生ずる。このため普段からお互いの機能と関係を確認しておくことは有用である。

 訓練テーマの一つとして集団食中毒の考慮をしてはどうか。施設職員の中には災害訓練をいわば他人事のようにとらえる考え方も存在する。こうした中、食中毒はどこの施設でも起こり得る事案であるため比較的受け入れられやすく、より現実的な多数傷病者受け入れのテーマとなることが考えられる。


災害時の保健衛生

(仲佐 保、災害人道医療支援会ほか・編 グローバル災害看護マニュアル、東京、真興交易医書出版、2007、p.210-219)

 災害には自然災害、複合災害があり、先進国、発展途上国を問わず、いかなる場所でも発生し、多くの犠牲者を出している。災害時における保健衛生を考えることが重要なのは、災害そのものによる直接的な死亡者のほかに、災害後の保健システムの機能不全や保健衛生対策が十分になされないことから生じる、本来は予防可能な間接的な死亡者も多いからである。

 一般に「災害のあとには感染症がはやる」と言われているが、これは歴史的な出来事に起因している。過去半世紀の自然災害をみてもそのあとに感染症が大流行することはほとんど見られていない。

 感染症伝播の主な要因として

  1. その病原体が存在していること
  2. 人口移動が起き、人口密度が増加すること
  3. 環境が変化すること
     が挙げられる。

 1.に関してはある意味当然のことで、その病原体の存在しない地域で流行など起こりえるはずもない。

 2.に関しては、現在ではあまり大規模な人口移動は起こりにくいが、自然災害後に住処を失った人々が避難所や仮設住宅などに移動し人口密度が上昇する可能性が考えられる。

 3.に関しても、自然災害によって環境の悪化する可能性が考えられる。例えば水害によって水たまりが増加し、蚊などの媒介動物の大量発生、避難所でシラミによる媒介、死体や糞便などからのハエの発生などが挙げられる。特に途上国では、ライフラインの整備が元々不十分な場合、災害によって一気に環境が悪化することもある。


 災害時には日常行われている社会生活に関する種々の処理能力が不全状態に陥り、環境衛生上多くの問題が起こってくる。特に安全な水の供給、排泄物の適切な処理、蚊やハエなどのベクターの管理、ごみの適切な管理、下水処理はその重要性が高く、これらが不十分である場合には二次的な保健医療問題が起き、犠牲者が増加してしまう。しかしこれらは衛生教育や適切な対応を施せば予防できるので、災害管理のなかで最も重要なものの一つであると考えられている。

避難所、仮設住宅の供給

 住処を失った人々に速やかに提供される必要がある。当然、避難所自体の保健衛生的な条件を整えておかなければならない。

安全な水の供給

 災害時における水の確保は、生活、保健医療、人としての尊厳を保つためにも必須である。多くの災害後状況において、不十分な水の供給と汚れた水に起因する保健医療問題が生じている。最低限の飲料水、食料から摂取する水、衛生環境を保つために必要な水、食事を作るための水を合わせた場合、一人につき一日7.5〜15Lの安全な水が必要となる。

排泄物の適切な管理

 排泄物は適切に処理されなければ直接的にも間接的にも様々な健康問題の原因となる。

媒介虫(ベクター)管理

 災害時には衛生環境の悪化、被災者の免疫状態の悪化により通常時より被害が拡大することが多い。

ごみの適切な管理

 不適切な処理によって水が汚染されたり、ハエやネズミなどの増加を引き起こしたりする。

下水の管理

 不適切な処理によって水が汚染されたり、ハエやネズミなどの増加を引き起こしたりする。


 また災害時の感染症対策には以下のものが挙げられる。

保健衛生対策

 まずは安全な水の供給が最優先となる。合わせてトイレなどによる排泄物の適切な処理が必要である。さらに、これらを被災者たちが実践するための保健衛生教育が重要である。また媒介虫のコントロールの対象は対策が簡便で効果も期待できる蚊とシラミとする。ハエやネズミはコントロールが困難であるために対象としない。

医療対策

 予防接種としてはしかと破傷風が重要であり、またマラリアの流行地ではマラリアの治療薬の準備が必要である。また疾患同定のための検査準備も重要である。

サーベイランスシステム

 災害後には状況や疾患に関しての信頼できる状況がないことが大きな問題となる。信頼できる情報を得るための手段やネットワークの構築、得た情報の確認などが重要になる。


 これらの対策を十分に行うことで感染症の流行を筆頭とする二次的な保健医療問題の発生を減らすことができ、犠牲者の数を減らすことができる。


□災害医学論文集へ/ 災害医学・抄読会 目次へ