災害医学・抄読会 101217

列車事故

(中山伸一ほか、山本保博ほか・監修 災害医学、東京、南山堂、2009、p.125-135)

はじめに

 我が国では人々の移動手段として、鉄道は道路とともに非常に発達しており、年々その高速化や大量輸送化が図られてきた。そんな中、安全対策が万全で事故はおきないとされてきた日本の新幹線も、トンネルのコンクリート落下事故や新潟中越地震の脱線事故を鑑みれば100%安全ではない。鉄道は多ければ、同時に2000人以上の人間を運ぶことの出来る交通手段であるだけに、すべての医療従事者はいったん事故が起こった際の重大性と救急救助救急体制整備の重要性を認識しておくべきである。

我が国の列車事故の現状

1)列車事故の動向

 我が国の鉄道運転事故の総件数と死傷者の推移は1977年には3141件で負傷者(死者除く)1579人、死者782人であったものが、1985年(昭和60年)には1627件、負傷者849人、死者409人と減少し、2006年(平成18年)には821件、負傷者402人、死者304人と確実に減少してきている。

 これらの鉄道運転事故の減少は踏み切り事故防止対策の推進や運転保安設備の充実、安全対策の結果であろう。しかしながら、1991年(平成3年)には信楽高原鉄道列車正面衝突事故、2005年(平成17年)にはJR福知山線列車脱線事故の発生の影響を受けて、同年の死者はそれぞれ1949人、1358人と急増している。つまり、年々我が国の鉄道運転事故件数は減少傾向にあるものの、事故1件あたりの死者数はむしろ増加している現実にわれわれ医療者は目を向けなければならない。

2)列車事故の特徴

 事故形態や大きさが軽微な踏切事故から甚大な脱線転覆事故まで様々であり対応が異なるところが難しい。しかし基本的な対応は他の災害と同様で、最優先されるべきは安全の確保と二次災害の防止であるとともに、消防との連携が必須となる。列車事故では現場が二分されること、地下鉄災害の場合は危険性の増大を考慮する必要がある。

3)初動:事故概要の把握と医療チームの現場派遣の検討

 近隣で鉄道事故が発生すれば、ただちに院内災害対策本部を立ち上げ消防機関などから事故形態や大きさについての情報を得ながら事故概要の把握に努めるとともに、事故発生状況から傷病者数を予想することが重要である。それに基づき、医療チームの派遣や患者の受け入れ準備を行う。

4)現場医療の指揮命令系統の確立と情報の共有化(CSCA)、3T’sへの医療資源の効率的分配

 現場へ派遣された医療チームは消防の現場指揮所に合流し、現場の状況(safety)医療介入の必要性(assessment)などに関して情報交換(communication)を行い、判断を下しながら(assessment)行動計画決定に着手する。発災初期、特に医療資源が不足している時期に3つのT(Triage,Treatment,Transportation)の活動に対していかに数少ない医療チームを分配するか、どこに人材を配置するか、救急隊との連携が重要となる。特に線路を挟み現場が二分された状態を念頭に置くことも重要である。

5)現場医療活動(3T's)

  1. トリアージ(Triage)

     原則として、危険かつ医療活動が制限される現場での一次トリアージは救急救命士などの救急隊に任せ、医療チームは現場救護所前で二次トリアージを行う。トリアージは動的なプロセスであり、時間と場所の移動とともに繰り返す必要がある。その仮定でトリアージタグに追記しながら、最終的には搬送前トリアージの際に完成させる。

  2. 応急処置(Treatment)

     現場で行う治療はABCの安定化が基本であり、あくまで安全に医療機関に搬送するための応急処置である。1人の傷病者の治療に固執するあまり時間を費やしすぎてはならない。

  3. 瓦礫の下の医療(Confined Space Medicine)

     列車事故では、破損した車両内での閉じ込めや下敷きとなり、救出まで時間を要する傷病者が複数存在する可能性がある。このような傷病者に対しては医療チームが救護隊と協力しながら、救出前から医療介入を行う。いわゆるCSMがpreventable trauma death回避のうえで不可欠となる。

  4. 搬送(Transportation)

     キーワードは分散搬送である。近いというだけで多くの傷病者を特定の病院に集中させることは避けなければならない。トリアージの色に関わらず出来るだけ分散させるべきである。搬送の優先順位の原則は、トリアージに基づき赤黄緑の順番であり、応急処置の終了した赤タグの重傷者から搬送するのが原則である。また、同色内でもより緊急性のある傷病から搬送させるための順位付け(搬送前トリアージ)や搬送手段の選択、搬送先医療機関の決定が重要で、現場医療チームが積極的に行うべき業務である。

6)現場医療チームの交代と撤収

 現場消防の本部と綿密な情報交換を行った上で、必要なければチームを撤収してよいが、長期化が予想されれば交代の医療チームを派遣すべきである。現場の救出活動が続く限り、最低1医療チームが現場に留まるべきである。

今後の展望

 鉄道が発達している我が国だけに、鉄道事故はいつでもどこでも起こりうる災害である。2007年交通安全白書によれば、様々な取り組みが提案、実行されている。この取り組みが有名無実化せぬために、地域DMATなどの医療チーム派遣体制の確立ならびに鉄道業者を含め、医療、消防、行政の相互連携の強化が、今なお我々の課題として残っている。


放射線災害(上)

(衣笠達也、丸川征四郎・編著 経験から学ぶ大規模災害医療、大阪、永井書店、2007、p.431-439)

 1895年にドイツの物理学者、W.C.レントゲンによりX線が発見され、以後、ガンマ線、アルファ線、中性子など、多くの種類の放射線が発見され、医学をはじめさまざまな分野で利用されてきた。一方、放射線の利用とともにその障害に関する報告も多くみられるようになった。1939年の原子核分裂の発見は放射線の新たな展開を招いた。その結果、原子エネルギーが登場し、エネルギー分野で人類に劇的な変革をもたらした。

【1】放射線災害のアウトライン

 放射線災害および放射線災害には至らない少数の放射線作業従事者が巻き込まれる放射線事故をも含めて今までに放射線事故は世界で約500件近く起きている。そのうち医療処置を必要とした人は延べ35000人以上であった。

 今までに世界で起きた放射線災害に共通する災害の基本構図は、事故の形態が何であれ、「大量の放射線物質が災害の起きた地域に流出し、人や環境が汚染されることと、その放射性物質により被ばくし健康障害が発生すること」である。但しその健康障害には、放射線による直接的な健康障害のみならず、放射線災害の起きた地域の住民に、不安なパニックによる精神的なダメージや、それらにより二次的に生ずる健康障害が含まれる。さらに、火災・爆発を伴う放射線災害では、重症外傷を伴う被ばく及び放射線物質による汚染傷病者が多発発生することも留意するべきである。

 放射線災害の基本的な対応は、災害の原因となった事故の収束、あるいはテロリストたちによる核を使った攻撃の鎮静や核施設などでの破壊活動に対する収束が基本となる。すなわち、放射性物質の環境中への大量流出を最小限に抑えることが当面取るべき措置である。同時にそれらの事故に直接巻き込まれた人々の救急医療および災害医療と放射線や放射線物質にさらされる住民および災害対応を行う多くの人々に対する放射線防護対策が必要となる。

【2】放射線災害の特徴

 放射線災害の特徴として、災害時に、被ばくや放射線物質による汚染があっても、被害者は障害の程度が実感できないことが挙げられる。また、多くの被災者は専門家の意見を待たなければならず、このため放射線災害には災害が起きた地域の住民などが流言や飛語により不安、パニックに陥る要因が内在している。一方、さまざまな報道により放射線障害に関する情報が普段からも断片的に入ってくるため、放射線や原子力に関し漠然とした不安が助長されている背景がある。これらにより、風評被害が起きやすいのも放射線災害の特徴といえる。

 また、放射線障害の発生に被ばく線量が大きくかかわるが、その中心となる放射線の単位が一般の人に馴染みがないため、放射線障害と被ばくの程度に関し、その量的把握に慣れていないため、放射線障害に対しほんのわずかでも被ばくすれば放射線災害が発生するという誤解を生じやすいことも特徴である。

【3】医療対応

(1)放射線災害のシナリオと医療対応

 放射線災害には、放射性物質による汚染や被ばくが中心となる場合、放射性物質が爆発とともに飛散し放射性物質による汚染や被ばくとともに外傷をも伴う場合、放射性物質による汚染や被ばくも外傷も共に重症である傷病者が多数発生する場合がある。

 被ばくが主になる災害の場合では、放射性物質による汚染や被ばくが起きていることが認識されることが困難な場合があることを理解しておく必要がある。汚染や被ばくがいったん想定されれば、後は健康に重大な影響を与える急性放射線症候群を見逃さないことが重要である。急性放射性症候群の診断では、末梢血のリンパ球数、白血球数、血小板数などの減少度および病歴を詳細に聞き取ることから前駆症状の発現時期とその程度を把握し、それらを総合して判断する。急性放射性症候群の恐れがあるときは無菌室で治療を開始し、染色体異常分析による線量評価の結果に基づき造血器障害、消化管障害に対する治療方針を立てる。

 次に放射性物質による汚染や被ばくを伴う重症外傷患者の診療の原則は、重症外傷に対する救急処置を優先することである。放射性物質が体内に入り込むことにより体内で内部被ばくが継続し、後々に臓器障害を発症することや発癌のリスクの上昇をもたらす点が放射性物質による汚染の最大の問題であり、直ちに生命にかかわるものではないためである。したがって、重症外傷という直ちに生命にかかわる病態に対する処置を優先させる。三番目の放射線災害パターンである放射性物質による汚染、被ばくも外傷も共に重症である傷病者の診療も、まず重症外傷に対する救急処置を優先させ、その後汚染処置を行う。被ばくに対しては急性放射線症候群を見逃さないことが重要である。

(2)放射線災害時の医療対応の基本的な考え方

 放射線災害が明確であれば、あるいは推定されれば医療対応は大きく2つに分けられる。

  1. 傷病者への医療対応

     急がれる対応として、被ばくに関しては、1)急性放射性症候群の診断、を行う。その結果に基づき2)初期治療の方針決定 3)入院医療機関の決定、を行う。また外傷などの救急疾患を合併している場合は、外傷に関する、(1)重症度の把握、(2)初期治療の方針決定、(3)入院医療機関の決定、を被ばく対応および放射線物質による汚染対応とともに行う。

  2. 地域住民への健康不安対応

     急がれる対応はまず、適切な時期にわかりやすい災害情報の提供と放射線防護対策である。次に災害が起きた地域の住民が、さまざまな健康不安に関し情報を求め始めるため、放射線の被ばくや放射性物質による汚染についてわかりやすくはっきりと災害状況を説明する必要がある。

(3)何から手をつけるのか?

  1. 傷病者への医療対応

     患者診療の依頼を受けた医療機関は、可能な限り患者は脱衣させて来院するよう搬送関係者などに指示する。脱衣だけでも汚染の大部分が除去され搬送関係者、医療関係者の二次汚染は格段に軽減されるからである。診療の依頼を受けたなら医療関係者は直ちに汚染防護の服装および放射被ばくの管理のため個人線量計を装着する。基本は手術室での感染防護の装備であるが手袋を2枚重ねることと個人線量計を装着する点が異なる。服装の準備開始と同時に他の職員の協力を得て診療放射線技師を中心に処置室の汚染拡大防止を行う。患者が数人以上搬送されてくる場合はトリアージが必要となる。患者に付着している放射性物質は処置室で拭き取り、洗浄などを行う。

  2. 住民対応

     災害の起きた周辺住民に対しては放射線防護対策としての非難および退避などの処置がとられる。予防医学的な意味で安定ヨウ素剤の投与や、汚染検査などを行うとともに住民の放射線による健康障害の不安に対するメンタルヘルスケアを実施する。


放射線災害(下)

(衣笠達也、丸川征四郎・編著 経験から学ぶ大規模災害医療、大阪、永井書店、2007、p.439-446)

(4)放射線災害時の医療協力者

 一般に災害時は、通常の救急医療とは異なり多くの協力者が医療の展開に不可欠である。放射線災害ではそれらに加えて普段馴染みの少ない放射線が関与してくるため、専門家の協力は不可欠である。

  1. 災害現場の情報の入手:放射線管理の専門家、施設管理責任者、消防・警察関係者など
  2. 災害現場における放射線の安全確保:放射線管理の専門家、施設管理責任者、消防・警察関係者など
  3. 患者の汚染や被ばくの評価:保健物理の専門家など
  4. 汚染や被ばくに対する防護方法:保健物理の専門家など

(5)放射線災害に対する平時の取り組み

 まず緊急被曝医療関する情報、次にそれらに関する研修や訓練の情報の入手が必要である。その他、放射性物質による汚染や被ばくをした患者への実際の対応に必要な資器材の種類およびその入手方法なども知る必要がある。

(6)放射線災害時の医療対応に必要な放射線の知識

1)基本的事項

  1. 放射性物質による汚染と外部被ばくの違い

     放射線災害時の医療では放射性物質による汚染と外部被ばくの違いを十分区別する必要がある。衣服等に放射性物質が付着していない場合は外部被ばくのみで医療機関は通常の救急患者と同様に対応できる。しかし付着している場合は通常の救急医療に加え、医療関係者や医療施設に二次汚染をおこさないように汚染拡大防止策が必要である。

  2. 放射性物質とは

     放射線を出す原子を放射性核腫(例:131I、125I、60Co、90Srなど)といい、その化合物を総称して放射性物質と呼ぶ。

2)診断と治療のために

  1. 放射線災害における被ばくおよび汚染の形式

     放射線を出す線源が体外にあるものを外部被ばくといい、体内にあるものを内部被ばくという。外部被ばくには放射線を全身に受ける全身被ばくと局所的に受ける局所被ばくがある。また汚染の形式は放射性物質の身体表面の付着による身体表面汚染、創傷部への付着による創傷汚染、体内への取り込みによる内部汚染がある。

  2. 外部被ばくの治療

     全身外部被ばくと局所外部被ばくのうち前者が多く、全身外部被ばく線量が推定1Gy以下であれば外来通院で経過観察を行う。推定被ばく線量が1Gy以上なら全身管理と臓器障害対策のために入院させる。その際可能な限り無菌室が望ましい。被ばく線量が明確になり2〜3Gy以上であれば無菌室での治療に加えて造血器障害の治療、消化管障害の治療を含め厳重な全身管理が必要となる。

  3. 内部被ばくの治療

     放射性物質が沈着する臓器の被ばく障害に対する予防的措置を目的として治療が行われる。それぞれの放射性物質の化学的性質に応じた薬剤の投与(プルトニウムなどの超ウラン核種にはDTPAなどのキレート、セシウムにはプルシアンブルー内服、ヨウ素には安定ヨウ素剤内服、トリチウムには大量の水分投与など)や胃洗浄、膀胱洗浄などの物理的処置がある。これらの処置は通常入院して行い、排泄物を分析して放射性物質の体内量を評価し、被ばく線量を推定する。

  4. 放射線障害のメカニズム

     放射線障害の基本的な原因はDNAのらせん構造を形成している鎖の切断で、二重鎖切断と一重鎖切断がある。一重鎖切断は多くの場合もとどおりに修復されるが、二重鎖切断は細胞死に至るか不完全な修復が起こる。それらによって突然変異による発癌や臓器の機能障害などが発生する。

3)患者とその家族の支援のために

  1. 放射線被ばくによる癌誘発のリスク

     広島・長崎の原爆被爆の疫学調査より100mSvくらいの被ばくから癌発症のリスクが上昇し始め、国際放射線防護委員会の1990年の報告書では1000mSvで癌の発症率は約5%上昇するとしている。

  2. 体内汚染のあるヒトの社会復帰

     体内汚染のある人が家庭生活および社会生活を送って大丈夫か否かは、体内の放射性物質の量が周囲の人に影響を与えないと考えられる量以下か否かによる。周囲の人に与える被ばく線量が年間1mSv以下であれば問題ないとされている。ホールボディーカウンタによる計測、排泄物中の放射性物質の量の測定などで体内の放射性物質量を評価する。

4)医療機関および関係者の連携のために

  1. 放射性物質による汚染を伴った患者の処置、取扱い

     搬送前に脱衣をできるだけ行い、医療機関では患者の体だけを引き取り処置を行う。患者の状態が悪く脱衣の時間がなかった場合などはシーツなどで包んで搬送されてくるのでそのまま受けとり、放射性物質が付着しないように処置台や周囲の床をビニールなどで覆う。また医療関係者は手術着を着用し感染予防の服装に準じた装備を行う。患者の放射性物質の除去は皮膚や毛髪の健常部では拭き取りが中心となり、創傷部位では滅菌水や滅菌生理食塩水などによる洗浄が中心となる。

  2. 取れない汚染対応

     拭き取りや洗浄によっても放射性物質の付着が残った場合は放射線測定器でその量を測り、その上をガーゼで覆い、テガダームなどで密封する。その後放射性物質は組織と共に脱落する。ガーゼは専門家に測定してもらう。

  3. 放射性物質による汚染のある患者の手術室対応

     放射性物質の付着している部位をガーゼで覆い、テガダームなどで密封する。手術部位以外は密封したままにしておく。放射性物質の混入した洗浄水や組織片は原子力業者などに引き渡す。

  4. 放射線の単位について

    • Bq(ベクレル):放射能を表す単位で放射性物質のもつ放射線を出す能力
    • Gy(グレイ):吸収した放射線の量(吸収線量)で物体が放射線により与えられたエネルギー量
    • Sv(シーベルト):人が受けた放射線の量(実効線量)で放射線が人体に与える影響の度合い

  5. 線量評価について

     放射線災害で医療機関に搬送されてきた患者の被ばくの程度や、今後の内部被ばくの程度を評価することを線量評価という。全身外部被ばくの線量評価は前駆症状の把握、リンパ球数の減少程度、唾液腺由来の血中アミラーゼ値の上昇、染色体異常分析法などで行う。内部被ばくの線量評価は鼻スメアや排泄物の放射性物質量から体内量を導き出す方法や、ホールボディーカウンターなどで評価する。


スフィアプロジェクト

(今井家子、災害人道医療支援会ほか・編 グローバル災害看護マニュアル、東京、真興交易医書出版、 2007、p.136-143)

1.スフィアプロジェクトとは

 1996年のルアンダ難民発生のときに多くのNGOが活動したが、グループによる援助の格差が問題となり、その差をなくすために、人道援助を行うNGOグループと国際赤十字・赤新月社運動によってスフィアプロジェクト(人道憲章と災害援助に関する最低基準)という事業が開始された。その内容は、1)人道憲章、2)給水・衛生・衛生促進に関する最低基準、3)食糧の確保・栄養・食糧援助に関する最低基準、4)シェルター・居留地・ノンフードアイテムに関する最低基準、5)保健サービスに関する最低基準が定められ、さらに、人権宣言や赤十字の原則をもとにわかりやすくまとめた、人道援助を行う際の「行動規範」が作られている。

2.スフィアプロジェクの信念と内容

 スフィアプロジェクトの信念は、「実行可能なあらゆる手段を尽くして災害や紛争の被災者の苦痛を軽減することである」とされている。その内容は次のようなものである。

(1)人道憲章

 スフィアプロジェクトでは、世界人権宣言、国際人道法、難民保護法の3つの国際法が根底にあり、その基本的な考え方として、被災者には尊厳ある生活を営む権利、救援者は被災者を援助する責任があることが人道憲章で述べられている。救援活動中に迷ったときはこの3つの原則を思い出して判断基準にするとよい。

(2)災害援助に関する最低基準

 災害援助に関する最低基準は、自然災害や武力紛争など援助が必要とされる状況で、災害、または防災対策や人権擁護に適用され、慢性的事態・突発事態において、全世界のあらゆる地域において利用できる。科学技術災害での援助の適用は考えられていないが、それをきっかけに生じた人口移動やそのほかの結果によって、人道援助が必要となるような状況では応用することができる。救援が不公平にならないように、災害時の要援護者に配慮する必要がある。

  1. 水と衛生に関する最低基準:安全で質の良い、十分な量の水を供給することで脱水症による死亡を防ぎ、水因性の疾患を予防し、飲料や調理、個人家庭の衛生保持を図るために、水の供給は重要である。

    a.飲料水の供給

     災害時には、配水設備の破損、停電による給水システムの停止、水源がなくなる、水源の汚染、給水設備のない所への移動などが原因で水が使えなくなる。給水時には、安全に水を調達できるような援助が必要である。飲料水の供給の最低基準として、十分な量の水の確保、水質の良い水の確保、水源の選択、給水の方法、給水の基本指標、飲料水のための水の浄化方法、水の濾過、飲料水を汚染から守ること、水源を守ることについて定められている。

    b.生活用水の供給

     個人衛生を守るためには十分な量の水や設備が必要であり、水源としては川、池、プールなどが使用される例がある。共同選択施設が必要な場合、少なくとも100人に1個の洗濯用たらいを備え、女性が下着や生理用品を洗濯・乾燥できる専用スペースを設ける。

    c.トイレの確保と数量

     災害地では、建物の損壊、給水システムの破損、排水システムの破損、汚物槽の破損、冠水などで汚物が流れ出してしまうなどの原因でトイレが使えなくなる。トイレは、その地域の人が使い慣れたトイレであること、設置数は最低20人に一つ、世帯別、性別あるいはその両方で使用できるようになっていること、公共の場所では男女別になっていること、住居から50m以内に設置すること、使用者が恐怖感なく行ける場所に設置すること、被災者全員が容易に使えること、必要な量の水が供給されること、清掃され、維持されていること、といった条件を兼ね備えて設計する必要がある。

    d.ごみの処理

     災害地では、ごみは大きな問題になるが、穴を掘って埋める、焼却する、といった方法で処理を行い、ごみにならない救援物資を考えることも重要である。

    e.排水の処理

     排水の処理水場や洗い場の管理が水因性疾患の予防になるため、汚水がたまらないような工夫が必要である。

  2. 食糧の確保、栄養、食糧援助に関する最低基準:災害地では、食糧が届かない、家庭で調理できない、火の使用による火災や一酸化炭素中毒の危険、及び生ゴミの不適切な破棄による衛生状態の悪化を防ぐなどの理由から、食糧配布が必要である。また、食糧配布にあたっては、被災者にとってなじみのあるものを配布する、宗教的・文化的習慣に適合したものにする、治療食、アトピー食、妊婦や授乳中の女性用の食事なども用意する、といった配慮が必要である。干ばつ時には、広範囲、長期間の食糧不足が起き、栄養失調の多くの避難民が予測されるので、5歳未満の子どもにはMUAC、成人はBMIで栄養障害の判定をして、長期にわたる特別な食糧配布計画を立てる必要がある。

  3. シェルター・居留地・ノンフードアイテムに関する最低基準:災害地では、治安と個人の安全を守る、気候から身を守る、人間としての尊厳を守る、家族やコミュニティの生活を維持する、といった理由から、シェルターが重要な役割を果たす。基本的に、被災者世帯は、自分の住居があった場所に戻るか、それが出来ない場合は、受け入れ先のコミュニティなどで自立して居住する。いずれも不可能な被災者世帯は、集団シェルター、一次キャンプなどに収容される。

  4. 保健サービスに関する最低基準:被災者が正常な状態に戻ることを促進し、過度な死亡率と罹病率を予防・削減することが保健サービスの目的である。保健サービスの優先順位を決定するには、緊急援助の目的を正しく理解し、災害前の粗死亡率(死亡者数/10.000/日)と比較することが大切であり、粗死亡率を災害前の基準率の2倍に維持するか、それ以下に引き下げる。被災国の保健システムが破綻し役割を果たせなくなっているときは、国と地元の保健システム両方に対する支援が必要になる。既存の病院が適切な機能を果たしていないときは、野外病院により保健サービスの提供をし、既存の病院が機能している場合は、不足している物的・人的資源の提供をする。保健サービスの支援はそれだけで成立するものではなく、衛生促進や食糧の確保、十分かつ適切なシェルターなどの調整といったプライマリーヘルスケアが重要になる。麻疹、マラリア、下痢、急性呼吸器感染症、HIVの感染予防、赤痢、コレラなどに対する対策が必要であり、集団発生の発見、調査をする。感染症対策としては、発生源の管理と感染の阻止、予防接種や栄養改善による感染しやすいグループの保護、HIV/AIDS対策をはじめとするSTDなどの予防と処置、医原性感染や院内感染の予防、安全な血液供給などが挙げられる。その他、非感染症対策や心のケアにつながる社会的援助活動も重要である。

3.まとめ

 スフィアプロジェクトの目的は、救援に参加する人々が必要な項目、最低基準を認識しながら、互いに協力し合い被災者の苦痛を軽減することにある。すべての不足を医療チームが負うのではなく、地元の救援対策チームと協力しながら進める。医療チームの役割は、必要な援助がいき渡るよう行政に情報を伝え、最低基準がクリアできるよう協力することである。


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