災害医学・抄読会 091023

平成21年度防災白書(内閣府):
II. 序章 変化する災害リスクを正しく認識し、災害被害を軽減へ

http://www.bousai.go.jp/hakusho/h21hakusyo.pdf


防災に関してとった措置の概況 平成21年度の防災に関する計画(内閣府)

防災白書

 防災白書は、災害対策基本法に基づき、防災に関する計画及び防災に関してとった措置の概況について国会報告を行うもの
(災害対策基本法第9条第2項)

概要

 ここでは、変化してきた災害リスクを正しく認識し、災害被害を軽減するためにはどうしたら良いか、対策を考えていきたい。

 近年、自然現象や社会環境の変化に伴って災害リスクが変化してきた。まず、集中豪雨増加等に伴って水関連災害リスクが変化してきた。今後も水関連災害の増大が予測されている。次に、高齢化に伴って地域の防災力が低下し、災害に対して脆弱になるおそれがある。対照的に、都市部でも災害に対して脆弱になっている。例えば、1)膨大な帰宅困難者の発生、2)湾岸部の埋立地での液状化等、3)増加する高層建築物への影響、4)利用が進む地下空間での被害など、である。

 次に、災害リスクが変化による、防災に関する国民の意識についてアンケート調査を行った。すると、多くの国民が災害リスクの変化を認識していることを認めた。また、行政に対しては、多様な防災活動を期待している。その一方で、災害発生時に実際に役立つと思う主体は「家族」「自分自身」が多数でありながら、その意識は実践的な行動に結びついていない。条件が整えば地域の防災活動に参加したいという人が多数認められたことも特徴である。これらのアンケートから、災害をとりまく自然的、社会的な環境が変化する中、各主体が、防災上の課題を正しく認識し、適切な役割分担の下、連携して対応に当たることが必要である。

 平成20年の我が国の自然災害の状況は、大きく分類すると、大雨・豪雨によるもの、低気圧によるもの、地震によるものの3つに分けられる。

 そして、以上のことを踏まえて、災害対策の推進について考える。1)建築物の耐震性の向上。住宅、学校、病院などについて、関係省庁が連携して耐震化を推進している。2)首都直下地震対策。首都直下地震避難対策等専門調査会が、避難者対策、帰宅困難者対策について報告書をとりまとめた。3)中部圏・近畿圏における地震対策。地震対策大網を平成21年4月の中央防災会議において決定した。4)重要文化財建造物等の防災対策。地震時に想定される災害から重要文化建造物及びその周辺地域を一体として守るための防災対策のあり方及び実現方策等について提言した。5)日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震対策。日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の地震防災戦略において、死者数を4〜5割減、経済被害額を1/4減させることを減災目標とし、それを達成するための具体目標を提示した。6)大規模水害対策。これまでに、利根川、荒川の洪水氾濫時の浸水想定、人的被害の想定、地下鉄等の浸水想定等をとりまとめ、公表した。7)災害時要援護者対策。平成21年度までを目途に、避難支援プランの全体計画などが策定されるよう、関係省庁が連携して推進している。

 最後に、世界の自然災害と国際防災協力についてみる。平成20年度の世界の自然災害の状況、近年の世界の自然災害の状況から、国際社会における防災の取組と我が国の国際防災協力について考えた。


歴史災害の見直しと災害教訓の検証

広報「ぼうさい」No.25(2005),p.18-19
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/kouhou025_18-19.pdf


はじめに

 中央防災会議「災害教育の検証に関する専門調査会」の目的は、過去にわが国で発生した自然災害について調査し、現在に生かせる教訓を導き出すことである。わが国は自然災害に見舞われやすいため、これまでも多くの研究がなされ、防災への提言がなされて、災害科学についての知識も豊富である。

歴史災害から「教訓」を導くための新機軸

 調査会の許に小委員会、この委員会の中に分化会が設けられた。分科会は災害報告で全体像を明らかにするように配慮すべきとされている。災害は自然発生的な見地から理学的な研究者、そのうえでの防災対策で重要とされたこと、今後の課題の検証目的で工学系研究者も参画する。この委員会の新機軸はこれに加え、当時の社会的状況、被災した人がいかにして生活回復を図ったか、災害後の社会の姿を明らかにし、現代社会にかつようされるべき災害「教訓」を具体的に伝える目的で人文系、特に歴史系の研究者が加わっている。

災害の全体像から現代への「教訓」を

 個々の災害の報告書を作成する分科会の仕事は、新たに研究を行なうのではなく、既存の研究を集大成し当該災害の全体像を形作ることにある。既存の研究から明らかになる事柄を整理し不足点については、災害全体像が明らかになるよう調査、議論を重ねている。この過程で、研究者同士の個別に進めた研究の限界、特性について相互理解が深まり、災害の全体像、災害特性を明確にするのになにが必要かの共通理解が得られるようになった。また、「教訓」を導くために、行政担当者にも議論に参加する仕組みを設けている。

これまでの仕事

 委員会の成果としては、初年度2003年度末、「1657明暦噴火」、「1855安政江戸地震」の二件の報告書が完成された。2004年度完成予定の報告書は、「1982長崎豪雨災害」、「1896明治三陸地震津波」、「1662寛文近江・若狭地震」、「1888磐だい山噴火」、「1890エルトゥール号事件」、「1854安政東海・南海地震」の6件である。2005年度前期までには「1707富士山宝永噴火」、「1783浅間山天明噴火」、「1891濃尾地震」である。なお「1923関東大震災」については、調査や討議に時間をかけるべく既に報告書作りに向けた構想もたてはじめつつある。

歴史と現実の交叉から生まれる防災力

 スマトラ島沖地震が発生した直後、テレビや新聞などで2万2千人の死者を出した「1896明治三陸地震津波」がよく引き合いにだされた。スマトラ沖地震の災害映像を通じて、明治三陸沖地震がどのようなものであったのかをよりリアルに想像できるはずであり、今後どのようにすれば確実に被害を防げるのかについても、一層具体的に理解されるようになる。

 歴史災害についての報告書作りは直接自然災害を防ぐものではないが、日本の社会が災害に際して蓄えてきた知識を見直し、現代に活かすことが、どのように人が支え合うのかが問われていることを考える上で、今こそ求められている。その成果は今回の地震のように、わが国に限らず世界でも活用されるものになるはずである。

(北原糸子 「災害教訓」小委員会座長)


「津波と稲村の火」

広報「ぼうさい」No.26(2005 3月号)
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/kouhou026_14-15.pdf
 インド洋津波を受け津波の知識と対応を説く「稲むらの火」が脚光をあびている。

 「稲むらの火」とは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が逸話をもとに書いた「A Living God」に感動し、その真髄を小学生にも分かるよう中井常蔵が短く凝縮した作品であり、小学国語読本に掲載されたものである。

 「稲むらの火」の基となった逸話では、1854年安政南海地震津波(高さ約5m)が広村(現在の和歌山県広川町)を直撃した際に、浜口梧陵が暗闇の中で逃げ遅れた村人のために収穫したばかりの稲を積みあげた稲むらに火を放って高台にある広八幡神社の境内に導いたというものである。さらに梧陵は100年後に再来するであろう津波に備え、巨額の資財を投げ打って、海岸に高さ約5m、長さ600mの広村堤防を築き、海側に松並木を植林した。約4年にわたる工事に村人を雇用することで津波で荒廃した村からの離散を防いだとのことである。92年後、昭和の南海地震が発生し、大津波が広村を襲ったが、広村堤防は村の居住区の大半を護ったのである。なおこの話は本年1月18日の国際防災世界会議で小泉純一郎首相が演説の中で「教訓」として紹介している。


〜過去の災害に学ぶ(第16回)〜

1944年東南海地震・1945年三河地震

広報「ぼうさい」No.44(2008)p.20-21
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/kouhou044_20-21.pdf


災害の概要】

 東南海地震は1944年12月7日午後1時36分に発生した(気象庁マグニチュードMJ7.9)。地震の震源地は、和歌山県新宮市付近で、破壊は北東に進み、浜名湖付近まで達した。東南海地震はフィリピン海プレートの沈み込みに伴い、陸側が海側にせり上がる様な逆断層地震である。今回、断層が浜名湖で止まり、駿河湾内部に達しなかったため、この未破壊域には、将来巨大地震(想定東海地震)が起きると懸念されている。このため、70年代後半から静岡県を中心に地震防災対策が取られてきた。

 東南海地震による県別の死者は、愛知436名、三重406名、静岡295名、岐阜16名である。東海4県以外では、和歌山51名、大阪14名、奈良3名であり、近畿圏にも広がっていたのが注目される。家屋の倒壊率に基づき推定した震度では、愛知県南部に震度6や7が現れた。強震動と津波による総死者数は、総計1223名に達した。津波による被害は、特に三重県の海岸に集中した。三重県の死者の大多数は津波による。

 東南海地震から約1ヵ月後、1945年1月13日午前3時38分に三河地震が発生した(MJ6.8)。活動度の低い深溝活断層や横須賀断層上に起きた。内陸直下の逆断層型の地震である。断層は10数kmにわたり追跡でき、断層のずれの一部は、今でも天然記念物として保存されている。三河地震は、東南海地震の直後、そのごく近傍に誘発されて起きた可能性が高い。南海トラフ巨大地震前後には、このように大きな内陸地震が発生することが知られている。次の東南海地震や南海地震発生前後には、内陸地震の発生にも注意すべきだ。地震による被害は、三河湾に北に位置する蒲郡市、西尾市、安城市などに集中し、死者は2306名に達した。

戦時下の地震】

 戦時下ゆえ生じた悲劇も多い。東南海地震では、東海地域の多くの軍需工場は壊滅的な被害を受けた。学徒動員された中学生など64名が、倒壊した工場の建物の下敷きになり圧死した。当時、多くの児童が岐阜県や三重県に疎開していた。宿舎の多くは、多数の児童を収容できる柱の少ない大広間の多い寺院が利用されており、三河地震では、倒壊した寺院の家屋の下敷きになり31名が死亡した。

 三河地震は夜明け前に起きたため、多くの住人は就寝中であった。このため、倒壊した家屋の下敷きになり、多数の死傷者が出た。被害の様相は、阪神淡路大震災と酷似していた。しかし、地震後家屋の耐震化が叫ばれることもなく、1948年福井地震で再び主に家屋の倒壊のため3769名が死んだ。最近起きた地震の特徴でも、その多くはすでに過去に起きている。歴史から学ばないと災害は繰り返される。

 これら2つの地震被害を隠すため、時の政府は地震災害の詳細な記事を書くことを許さなかった。地震については噂することも禁じられたほどである。ただし、報道管制がしかれていたものの、全国紙に比べ地方紙には比較的多くの記事が掲載された。内閣府報告書には各地域に残るこれらの新聞記事が多数集められている。当時、災害対策等の資料は、終戦直後軍の占領を恐れ処分されたものや、市町村合併の際に処分されたものが多い。しかしその中で、種々の行政の文書が発掘されたり、被災体験の手記や、地震の被災者の体験談をまとめ絵本として残す試みも続けられており、当時の被災状況を知る上で貴重な資料となっている。


〜過去の災害に学ぶ(第17回)〜

1990〜1995年雲仙普賢岳噴火

広報「ぼうさい」No.43(2008年1月号), p.18-19
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/kouhou043_18-19.pdf


災害の概要】

1.噴火の概要

 雲仙火山は、多くの溶岩ドーム群からなる複成複式火山である。有史以降、1663年、1792年、1990〜1995年の3回の噴火は、いずれも主峰の普賢岳からの噴火であった。1990年の噴火は、水蒸気爆発から始まり、1991年5月20日に地獄跡火口から溶岩を噴出開始、溶岩ドームが成長を始めた。5月24日に溶岩ドームの溶岩塊の崩落により普賢岳東斜面に火砕流が初めて発生し、その発生回数は計6000回に達した。溶岩噴出量は、最盛期には1日に30〜40万m3に達し、複数の溶岩体を形成した。噴火は1995年に終息した。溶岩総噴出量は2億m3で、約半分が溶岩ドームとして留まった。

2.災害の経緯

 1990年噴火確認直後に、小浜町は「普賢岳火山活動警戒連絡会議」を発足、長崎県は「災害警戒本部」を設置した。1991年5月26日には火砕流による負傷者が出たことで、島原市は上木場地区住民に対し、火砕流警戒の目的で初めて非難を勧告した。島原市は報道機関などに対し避難勧告地域からの退去を要請したが、報道機関は応じなかった。6月3日には火砕流が水無川沿いに流下し、マスコミ関係者、消防員等の死者・行方不明者43人の被害を出した。島原市は6月7日から、深江町は8日から警戒区域を設定し、立ち入りを制限した。6月8日には6月3日を上回る火砕流が発生し、水無川沿いに流下したが、警戒区域の設定により人的被害は免れた。その後も火砕流、土石流が度々発生し、家屋、国道、鉄道に被害が出た。

土砂災害対策】

 火山災害の長期化に伴い、警戒区域内では防災工事が実施できないため、土石流被害が拡大した。応急・緊急対策の導入による仮説導流堤の建設や除石や砂防えん堤の建設に無人化施行が初めて導入された。火山噴火対策から、「官民の協力」が最大の教訓として得られた。

危機管理】

 火山噴火に関する地方自治体への危機管理支援は、終始一貫して九大観測所が大きな役割を果たした。自衛隊と九大観測所との間に緊密な火山監視協力体制が構築され、防災対策に大いに役立った。

被災者対策】

 雲仙岳災害対策基金により、きめ細やかな被災者支援が行われ大きな成果を挙げた。これにより、住民の住宅再建等の災害からの立ち上がりに重点を置いた助成事業が実施された。義援金の総額は233億円に達した。

復興計画】

 被災した市町の復興計画は、地元の合意形成、防災・復興関連機関との連携・調整などを経て、生活再建・防災都市づくり・地域の活性化を3本柱として行われた。


災害医療における感染症対策

日本医科大学付属病院高度救命救急センター 小川 太志
(アボット感染症アワー 2005年7月1日放送)
http://medical.radionikkei.jp/abbott/final/pdf/050701.pdf


災害の分類

 災害は、自然災害、人為災害、特殊災害の3つに分類される。

  1. 自然災害

    台風、集中豪雨、洪水、地震、津波、雪害、火山噴火などのこと。近年の自然災害でいえば、世界的にはスマトラ沖地震、それによる津波災害などで、日本では、阪神淡路大地震、新潟中越地震など。

  2. 人為災害

     化学爆発、都市大火災、大型交通災害、炭坑事故、ビル・地下街災害などのことで、テロも人為災害に属する。日本での例をあげると、地下鉄サリン事件など。

  3. 特殊災害

     放射能・有毒物汚染の拡大、自然災害と人為災害の混合、二次、三次災害などのこと。

 どの災害においても、居住地域であれば必ず傷病者は発生、または発生する恐れがあり、そこで災害医療が必要になってくると考えられる。

傷病者発生数の時間的推移

 感染症による災害以外の災害発生時には、まず多数発生するのが外傷患者である。しかし、傷病者発生数を外傷患者と感染症患者とで比較すると、時間の経過とともに徐々にその人数が逆転してくる。外傷患者は、災害発生時から約1週間までは多いが、それ以降は減少してくる一方、感染症患者は、1週間目以降から急増し、2〜3週間まで増加していく。

災害と感染症

 災害の中の感染症領域は、感染症による災害と災害による二次的な感染症とに分けられる。

災害時の感染症対策

 外傷の感染対策、患者から医療従事者への感染対策、環境の変化による感染対策の3つがある。

 以上が災害医療における感染症の特徴、対策である。災害は、現在の日本では経験がある人のほうが少ないと思われるが、日本は地震、台風が多く、決して他人事ではなくいつ起きるかわからない。最近でいえば新型インフルエンザが世界的に蔓延している今日、日常的に感染症や災害時のことを考え、いざという時のための準備や心構えをしておくことが肝心である(読者の考察含む)。


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