災害医学・抄読会 090327

日本および世界における災害発生と救護活動

(鵜飼卓、小原真理子ほか監修 災害看護、東京、南山堂、2007、p.16-21)


1.世界の災害

 過去50年以内に死者5000人以上を生じた世界の自然災害は32回を数え、その多くはアジア全域で発生している。

 爆発や火災、大型交通事故などの人の過ちによる事故としては、1984年インド・ボパールの工場で起きたイソシアネートの漏出による死者2500人、負傷者数万人。またチェルノブイリの原子力発電所の事故は当初 犠牲者31人とされていたが、その後ロシア当局が悪性腫瘍などで約1万3000人の犠牲者を生じたと公表している。

 第二次世界大戦による死者は全世界で5000万人にもおよぶ。一方、最近の民族紛争や戦争を振り返ると、1992〜95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で約20万人、2003年からのスーダン・ダルフールでの紛争で約2400人、そしてイラク戦争での米軍の死者が2400人を超え、イラク人の犠牲者は少なくとも約4万人といわれる。また、1995年米国オクラホマ市の連邦政府ビル爆破テロで168人、同時多発テロ(2001年9月11日)で約3000人以上、2004年に起きたスペイン・マドリードの列車爆破テロで192人、2005年ロンドンの交通機関を狙った同時多発テロで52人がそれぞれ犠牲になった。

 このように、自然災害と対比してみると、いかに武力による抗争、戦争が多くの人命を奪い、また人々に大きな犠牲を強いているおろかな行為であるかが容易に理解できるだろう。

2.国際災害救護

 第二次世界大戦中から、民間人の窮乏を軽減させるために、OXFAMなどのNGO(非政府組織)が人道支援活動を始めていた。

 災害救護に関連する常設の国際機関としては、国連人道問題調整事務所(UNOCHA)、国連開発計画(UNDP)、国連世界食料計画(WFP)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連自動基金(UNICEF)、世界保健機関(WHO)など多数の組織があり、それれぞれの役割を分担している。また、国連の組織ではないが世界規模の特大NGOともいえる国際赤十字委員会(ICRC)と国際赤十字・赤新月連盟(IFRC)は医療活動のほかに離散家族の再開支援や孤児保護にも熱心に取り組んでいる。

 たとえば大きな自然災害がどこかの国で発生し、被災国当局が救援要請を発すると、まずUNOCHAが国際災害評価調整チーム(UNDAC)を現地に派遣して支援ニーズを迅速に評価するとともに、現地支援活動調整センター(OSOCC)を立ち上げて被災国当局を助けて外国から救援にやってくる様々な組織の活動を調整する。IFRCも素早く反応してERU(緊急支援ユニット)を立ち上げる。被災国の各地からも支援の手が差し伸べられ、また諸外国からも政府による支援団体やNGOが活動を開始する。武力紛争による難民(refugee)や国内避難民(IDP)に対してはUNHCRかUNDPがリーダーシップをとり各国からの支援を調整する。国際災害救護(ことに保健医療・環境衛生分野)に熱心な国際NGOとしては、前述のICRCやIFRC、国境なき医師団(MSF)、世界の医師団(MDM)、CARE、CARITAS、World Visionなどがあげられるが、最近ではウクライナやマレーシア、韓国、台湾などいわゆる先進国ではなかった国々からもかなり大きな救援医療チームが被災地に派遣されるようになってきた。日本の組織としては日本国政府/国際協力機構(JICA)が派遣する国際緊急援助隊(JDR)のほか、NGOとしては日本赤十字社、AMDA(アジア医師連合)、HuMA(災害人道医療支援会)、MeRU(日本医療救援機構)、徳洲会グループなどがある。JDR医療チーム(JMTDR)は医療ボランティアの所属先の上司の許可を得て登録する仕組みになっており、充実した研修プログラムが魅力的である。登録メンバーは500名を超え、災害派遣の実績は70回近くになる。1チーム派遣期間は原則2週間と短くされている。日本赤十字社は医療センター、名古屋、和歌山、熊本などの赤十字病院を国際協力拠点病院として、最近の大きな自然災害には交代で数ヶ月にわたる国際支援を行っている。HuMAもイラク戦争の難民救援(2003年)をはじめとしてイラン地震、スマトラ沖地震津波災害(スリランカ、2004年)、パキスタン地震(2005年)、インドネシア・ジャワ島中部地震(2006年)に救援医療チームを派遣しているほか、毎年国際災害看護研修を行っている。

3.日本の災害

 日本は先進国のうちでは最も自然災害の多い国である。今後30年以内に東海、東南海、南海地震が阪神・淡路大震災を上回る規模で発生する確率が非常に高いとされ、またそれらの連続発生と津波が生じる可能性も少なくないと言われている。

 台風による被害は気象予報が進歩したことや、河川管理などによって減少傾向にあるが、いわゆる「ゲリラ的集中豪雨」による局所的な浸水被害・土砂崩れなどの被害は毎年繰り返されている。地球の温暖化や森林の減少と都会の土地の保水力の低下が各地で浸水被害をもたらしているものと思われる。高度に利用されている大都会の土地の防水対策や避難計画と演習などの充実が急がれる。

 列車事故や車の多重衝突事故、工場災害・爆発などの人為災害も残念ながら繰り返されており、JR福知山線脱線転覆事故はまだ記憶に新しいところである。また、松本や東京地下鉄サリン事件というテロリズムを経験した国でもある。そして、犠牲者数は少なかったものの、東海村の原子力施設における人為災害も経験している。

4.国内の災害救援

 伊勢湾台風(1959年)の教訓から災害対策基本法が制定され、各地方自治体には地域防災計画が策定されていたが、その多くが水防を目途としたもので、地震災害を置き去りにされた感がなきにしもあらずであった。従来、各自治体は地区医師会と契約を結んで災害時には医師会を中心とした医療対応を考えており、また日本赤十字社に救護所での医療を委ねるというパターンをとってきた。また比較的規模の大きな病院には医療救護班を何班か作ることが計画されていたが、実働訓練はほとんど行われず、医療救護班といっても建物の下敷きになった重症外傷患者や閉じこめられた状態の負傷者への対応などは考慮されず、避難所での被災者の健康管理をする程度の対応しか考えられてなかった。そこに阪神・淡路大震災が発生して、災害対応のまずさが露呈されることとなった。正確な人数は不明だが、6437人の犠牲者のうちのおよそ300人程度は避けられる死(preventable death)ではなかったかと言われている。

 阪神・淡路大震災の貴重な経験から、「災害拠点病院」が全国に指定され、「基幹災害医療センター」を中心に、災害医療研修も頻繁に行われるようになってきた。また、近年、災害拠点病院を軸として、災害医療対応訓練を受けた医療チームが災害現場や被災地内の医療機関支援、瓦礫の下の医療活動、傷病者の遠隔地への搬送支援を救急隊員や自衛隊員と協力して行うことを目的としたDMAT(Disaster Medical Assistance Team)の整備がすすんでいる。このような訓練を受けたチームがJR福知山線脱線転覆事故のときにも活躍した。DMATは従来の医療救護班とは異なり、組織的な訓練を受け、被災地などで災害救護のリーダーあるいは調整役として活動することが期待されている。今後は、災害拠点病院と地域の医療機関の救護班とがうまく連携して円滑な医療救護活動ができるように訓練を重ねていくことが重要である。


知っておこう災害時の必須技術 搬送

(川谷陽子、EMERGENCY CARE 22: 52-57, 2009)


 我が国の災害医療体制は、阪神・淡路大震災から得られた様々な教訓を基に整備が始まったとされている。

 イギリスの災害時医療支援システムであるMIMM(Major Incident Medical Management and Support)では、災害時における体系的な対応において、7つの基本原則であるCSCATTT[Command(指揮)、Safety(安全)、Communication(情報伝達)、Assessment(評価)、Triage(トリアージ)、Treatment(治療)、 Transportation(搬送)]がある。特にTriage、Treatment、Transportationの3つは災害医療の3T’sと呼ばれ、3T’sが全て円滑に行われないと災害医療は成功しない。よって、3T’sの一つである搬送は非常に重要である。今回は被災地内の病院に搬送された後、被災地外の病院への搬送を中心に延べる。

我が国の広域搬送計画

 大規模災害時被災地では、重症を含む多数の負傷者が発生する他、医療施設自体の被災や、医療従事者の負傷などにより、十分な医療を確保できないことが予測される。そこで、重傷者の救命と被災地内医療の負担を軽減するため、災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assessment team:DMAT)や救護班を被災地外から派遣し、重症患者を被災地外へと搬送する。これが広域医療搬送である。

 広域搬送の適応は、クラッシュシンドローム、広範囲熱傷、重症体幹・四肢外傷、重症頭部外傷などである。

搬送手段の選択

 搬送は 1)被災地内搬送、2)広域搬送の2種類が考えられている。被災地内搬送手段(被災地内災害拠点病院から被災地内広域搬送拠点まで)としては、迅速性を考え原則ヘリコプターによる搬送とされている。しかし、迅速な搬送が可能である場合は、救急車などによる陸上搬送も可能としている。

 広域搬送手段(被災地内広域搬送拠点から被災地外広域搬送拠点まで)は、原則自衛隊航空機(輸送機)を使用することとしている。

航空生理学

 大規模災害時の広域搬送に用いる航空機は、自衛隊の所有するC-1、CH-47、ドクターヘリ、防災ヘリなどである。搬送の際には、航空機の種類によって推定飛行高度・搬送時間・機内で使用できる医療機器などを考慮して搬送する必要がある。

 広域搬送で使用される自衛隊航空機C-1の飛行高度は15,000〜30,000フィート(5,000〜10,000m)が想定されている。気圧は0.8〜0.9気圧となる。緊急減圧の場合にはさらに気圧が低下する。

 ヘリ搬送では飛行高度は1,000mを超えることは稀であり、ヘリ搬送の患者には酸素投与されていることが望ましいが全ての患者に必須というわけではない。

 航空機での搬送中に身体に与える影響は、高度の上昇とともに、大気中の酸素分圧が低下すること、および気体が膨張し、低下した酸素を吸入することで低酸素血症になる。

航空機搬送中の看護

 航空機搬送は、それに伴って起こる気圧変化・低酸素症・湿度の低下・温度の低下等の生理学的変化や、騒音と振動・照度といった環境の変化を理解して看護を実践する必要性がある。様々な変化が起こることを予測し、航空機へ登場させる前にあらかじめ処置を行うことが原則である。基本的に航空機内では患者への処置を行うことは難しい。そのため、航空機内では急変時を除きモニタリングなどの継続観察を中心に行う。また、患者は不安を抱えていることが多いためコミュニケーションも重要であり、それを通して患者を観察し、特に触診などによる観察方法が有用である。

搬送先への申し送り

 災害時の搬送時に注意すべき点は、患者と記録を必ず一緒に動かすことである。災害時は患者の人名が特定できない場合もある。その場合もとりあえず仮名を設定し、治療経過の書いてある記録を搬送先病院まで継続していく。

 現在、日本DMATでは被災地内の災害拠点病院から被災地外の搬送先病院まで広域搬送記録を使用することを計画している。被災地内から被災地外まで1枚の記録用紙を使用することで、情報が分散しないことが重要である。

 搬送先の申し送りは、記録に基づき行われる。よって記録には、受傷機転・搬送先病院までに行った治療・処置・時間経過が含まれる必要がある。また、患者に関する個人情報も重要である。広域搬送になった場合、居住地より離れた場所への搬送が予測される。災害時は困難な場面も多いが、できる限り患者の家族に関する情報も記載することが望ましい。そして何よりも、これらが簡潔明瞭に記載してあることが大原則である。


病院の災害対応計画

(勝見敦ほか、LiSA 15: 758-763, 2008)


 災害発生時の心構えとは「とっさの機転と妥協の即応性」(榊原弥栄子,神戸市立中央市民病院) 非常とは日常でないこと。当然、普段できることができず、いつもは考えられない事態が次々と折り重なって到来し、現場は騒然となる。したがって、平時からの対応を検討立案しておくことは極めて重要で、計画には合理的な骨格を持たせることと、そして何より、想像力豊かで柔軟性が必須である。

 一方、災害訓練と言えば、シナリオがあって大規模災害であっても整然と進行させる参加者の意識を無視した訓練がいまだ存在している。訓練立案者には参加者の意識を引き出す技量能力が求められる。 想定する災害を実感的イメージとして立案者、参加者ともにどのくらい共有できるか、これだけで訓練の意義が大きく変わる。

医療だけを考えては成り立たない

 実医療である3T:トリアージTriage, 治療Treatment, 搬送Transportを災害時、病院で実践するためには、それを支える体制構築が必要である。病院での災害医療体制は日常医療体制と切り替える必要があり、すみやかに立ち上げるには事前の病院災害対応計画の策定が重要となる。例えば、英国(MIMMS)や米国(NDLS)では3T実践のためには、指揮命令系統確立の重要性を強調している。

指揮命令系統の確立(Command & Control)

 災害医療体制の構築は、緊急事態に即応した機動的な指揮系統の確立からスタートする。指揮Commandとは上から下へ(上司から部下へ)命令系統を、統制Controlとは横への連携(職種間、部署間)を意味する。

 消防、警察、自衛隊などでは通常より階層、階級がはっきりしており、上から下、横への指揮・統制命令系統が伝わるが、通常の医療の現場では分業、協同で業務がなされているので、このようなやり方には慣れていない。災害時での病院における指揮命令系統の確立には、役割の分担を平常時から計画し与えておくことが必要である。

 具体的には、災害医療体制への移行は、最初に「災害発生の認識・宣言」のスイッチを入れることが重要となる。誰もが認知できる地震の場合などを除けば、発災を認知できないこともあるためである。「認知」するための基準と、災害時体制発動を考える「頭」となる組織・部署を用意しておく。

 武蔵野赤十字病院救急センターでは、まず「頭」としての「情報収集部」「災害対策本部」設置へ向けたアクションが開始される。「情報収集部」へ院内の各病棟、部門より異常の有無が報告され、院外の情報はテレビ、インターネットなどで情報収集が行われる。これらの情報収集により 1)院内被害が発生、2)救護班出動、3)多数傷病者の受け入れが見込まれる場合に災害対策本部がされる。以上のように、「次にすべきこと」の発想力がないと組織は動かせない。

災害組織図(階層構造)の柔構造

 既定の災害マニュアルには、災害時の体制、一つの大きな組織図が「すでにできあがったもの」として示されていることが多いが、医療体制が手薄な当直帯や休日に災害が発生した場合にこの災害組織のすべてに役割を与えるべき人的余裕はない。災害対応計画は少人数から開始し、職員の参集とともに役割分担がなされ、徐々に大きく展開できるものでなくてはならない。MIMMSでは、大規模災害計画が始動した時には、病院統括者、上級救急医などにより病院調整チームが構成され、始動の核となる。上級管理職は各々の部門の統括となり、時間とともに参集してくる職員に対応して優先順位の高い役割より人員を配置していく。また、より上級の職員が来院した場合には交替して、災害組織(階層構造)を展開させていく。スタッフが揃わない時には、逆に役割を展開しないで上級の階層の責任者が組織図(階層)の下の役割をすべて負うことになる。

●安全Safetyの重要性

 まず、自分の安全確保が大事であり、次に現場の安全確保、傷病者・患者の安全確保の順となる。自分の安全、現場の安全が確保できなければ、最終的には患者の安全を守ることはできないからである。

●情報伝達Communication

 情報収集、情報伝達、情報の整理、共有は重要であるり、しばしばボトルネックとなる。院内の被害状況 [建物、ライフライン(電気、水、ガス)]、入院患者情報、被害傷病者数(予想される傷病者数または発生状況)、職員の参集状況などの情報収集などが必要となる。電力が供給される限りテレビ、インターネットはごく有効である。情報伝達手段としては、院内医療用PHSや電話が使用できない場合の代用を考えておく必要がある。

●評価Assessment

 病院の被害状況、職員数の評価から、どれだけの医療提供が可能か、予想される災害規模と傷病者数などを評価する。得られた情報をもとに、足りない情報は知恵で補って判断していくことが求められる。

三つのT、災害は地震だけではない

 病院が遭遇する災害は地震だけではなく、列車事故、火災、台風など、災害に決まりはない。病院の基本的な災害計画は災害の種類にとらわれることなく、想定外事態でも対処可能でなくてはならない。例えば、発生する傷病者数でその対応をレベル分けするなどが考えられる。

災害訓練のありかた

 災害訓練は机上でもよく練られて行われれば有効、多人数を動員しても形ばかりの訓練は無意味である。

 訓練でのシナリオで、災害対策本部ありきからスタートすれば、訓練参加者に「災害モード」のスイッチを入れることを意識させることができない。「指示待ち」の参加者が多いと訓練は実らない。災害訓練がなかなか実施できない病院では、年2回以上義務づけられている火災訓練、避難訓練を利用すると良い。火災訓練と災害救護訓練は似て非なるものだが、「非常時」を認識させるには有効である。また、大規模な災害実動訓練はなかなか実施困難なので、数少ない機会を最大限に生かすために机上シュミレーション実施が有用である。机上シュミレーションの実施により、その部署の災害時の各職種の役割や災害に対する意識を共有することができ、目的をもって実動訓練に参加できる。

結語

 病院にある災害対策マニュアルを、是非一度確認していただきたい。まずは、病院中での自分の役割がどこにあるのか、自分の部署ではどうアクションするのか確認していただきたい。自分の部署さえ守れなくては病院の災害対応、ましてや地域への災害医療の提供など不可能である。


北海道洞爺湖サミットの救急医療体制:基幹病院、NBCテロ対策、ヘリ搬送チーム

(高橋 功ほか、救急医療ジャーナル 16巻6号、p.56-61、2008)


基幹病院としての医療体制の構築と問題点

 要人に対する救急医療体制に求められるものは、高度なセキュリティーと最高水準の医療の提供である。今回、手稲渓仁会病院が洞爺湖サミットの受け入れ基幹病院(首脳対応)として体制づくりをした。当院の特徴として、救急棟のセキュリティーの高さである。当院の役割は、首脳の対応、空床確保と医療チームの受け入れ、ドクターヘリチームの派遣である。発生事案として、会議中に胸・腹部痛を訴え、現地医療班の判断で当院に搬送された。搬送は、天候不良のためドクターヘリでの搬送は困難で、東京消防局ヘリにて現地から丘珠空港へ、その後札幌市消防局ヘリと北海道防災ヘリにて当院まで搬送された。検査の結果、重篤な疾患はなく、IUCに入院し、翌朝には退院した。受け入れ病院として、日常診療の制限に苦悩した。空床確保としてICU2床、手術室1室の常時確保と、緊急時の迅速な対応のためには、日常診療の制限が避けられなかった。また、2、3週間前から一部定期手術の制限、心臓カテーテル検査のキャンセルや制限、ICU入室制限、救急車受け入れ一時停止などを行った。行政側からは救急診療等の制限に関して支援・理解はなかった。今回、事前に十分な準備を行っていたため、多少の混乱はあったが、大きな問題もなく対応できた。警備の問題、日常診療の問題、地域との連携、医師会との調整など、行政側のさらなる対応が必要であったと考えられる。

NBCテロ対策

 我が国で主要国首脳会議が開催されるのは、前回2000年に沖縄で開催されて以来8年ぶりであり、その間には、米国同時多発テロ、米国炭疽菌テロをはじめとして、多くのテロが発生している。そのため、洞爺湖サミットでは現実的かつ実行性のある特殊災害対策が求められた。今回の想定は、洞爺湖エリアにおけるNBC事案が主体であった。医療対応はNBC対応班と札幌市内の受入病院をはじめとして、首脳対応医、DMAT等が参加し、初動と搬送については、消防、警察、自衛隊と連携して行う体制が構築された。N(核・放射線物質)、B(生物兵器)、C(化学兵器)テロの中でも、Cテロは分単位での迅速な対応が求められ、特異的な解毒剤が不可欠であることから、現場での緊急対応の中心的課題となった。Cテロ、とくに神経剤やびらん剤など早期の解毒剤・拮抗剤投与が有効で、大量の傷病者が発生する可能性のある化学剤に対する準備を中心に行った。Bテロによる感染症に対しては、ボツリヌス毒素血清等を準備した。Nテロ時の緊急被ばく医療に必要なキレート剤、希釈剤等は個人輸入分と国家備蓄の一部を現地対策本部に持ち込んだ。今回、Nテロに対する準備が初めて行われ、「NBC災害・テロ対策研修会」が事前に札幌で開催されたことは特筆に値する。一方、会場のホテルから直近の病院まで車で約30分を要し、ヘリでも1時間弱を要することが医療対応における大きな制約であった。そのため、現地への持ち込み資器材の工夫と消防機関との連携が非常に重要であった。しかし、神経剤に対するMark-Tキットは消防も入手不可能であったと聞いており、今後は自衛隊や警察も含めた国家レベルでの総合的なNBC対応体制の整備が期待される。

ヘリ搬送チームの活動

 2005年4月より北海道ドクターヘリが正式運航となり、基地病院である手稲渓仁会病院救命救急センターが中心となった。今回の洞爺湖サミットでのヘリ搬送チームも、常日頃の協力体制が構築されている施設・スタッフでの混成チームとなり、日常の医療活動の延長線でのチーム編成で対応可能であった。洞爺湖サミットが開催された洞爺湖エリアは、札幌から直線距離で約100kmの場所に位置する。また、洞爺湖エリア周辺の医療資源としては、二次医療施設が点在するのみであるため、重症患者発生時やホテル内救護所で対応できない要人の緊急事態が発生した場合、札幌市内の三次救急医療施設へ搬送することが計画された。この場合、陸上では多大な時間を要するため、第一選択はヘリ搬送になった。サミットが開催される7月は洞爺湖周辺で霧が発生しやすい時期なため、別方向からもアプローチできるよう2機のドクターヘリを別々の場所に配置する計画となった。実際には、1チームは霧により出動が不可能な状況であり、急遽、悪天候でも飛行可能なスーパーピューマのある東京消防庁航空隊へ合流した。その数時間後出動要請がなされ、スーパーピューマにて出動した。東京消防庁航空隊への合流は、計画にまったくない当日の天候による現地医療対策本部の決定であった。しかし、この決定がなければ、数時間後のスムーズな要人搬送は不可能であった。


災害後の被災者の心理、精神保健

(久保恭子ほか、小野真理子・監修 いのちとこころを救う災害看護、東京、学習研究社、2008、 p.85-88)


1.小児の被災者への看護・支援

 現在の母子の特徴として、思春期のメンタルヘルスの問題、10代の妊娠出産、産後の母親の抑うつ、他者との関係がうまく持てない母親、子供との関係に悩む親、育児不安や虐待不安の強い母親が多い。子供たちの特徴としては、社会性の低下、身体的・情緒的な不安定さなどがある。したがって、災害が生じていなくても母子関係のみならず、家族全体をとらえた支援が必要であることは社会的に認識されている。

 このような社会状況の中で、阪神淡路大震災(1995年、1月)以降、災害時のこころのケアの必要性は一般的に周知されている。

 災害を経験した子供たちの精神面の反応として、音に敏感になる、表情が乏しい、赤ちゃん返りなどの退行現象、パニック行動、無気力・チック、睡眠障害、感情失禁などが報告されている。このような子供たちの反応に対して、遊び場の提供、子供たちの感情が表出できるような絵画やぬいぐるみを使った遊び、スクールカウンセラーやボランティアの活用を行っているが、このような対応は全く効果がなかったという意見もある。

 このような対応のみでは、子供のこころのケアを行うには限界がある。子どもと母親の密着性、家族との関係を考えると、子供のみの支援ではなく、家族全体を含めた家族療法、家族看護の視点を取り入れた支援が必要であると考えられる。

 現状では、家族を1つのまとまりとして支援していくこと、家族の中でのダイナミクスを活用することに注目しながら支援を行いつつ、有効な支援方法を模索している。

2.妊産褥婦の被災者への看護・支援

 平時における妊産褥婦の心身の特性を知っておくことが災害時の適切な支援の基本となる。災害による身体への影響としては、1)切迫流産・早産、2)浮腫の増強、血圧上昇、体重増加、3)便秘、母乳分泌の減少、乳腺炎などがある。また、こころへの影響としては (1)流産や胎児に対する影響の心配、陣痛発来時の対応についての不安、(2)思い描いていた妊婦生活や分娩に対しての喪失感、(3)子育てをする気が起こらない、いらいらする、などが挙げられる。

 妊娠・出産の安全と産後ケアの継続のためには、定期健康診査・保健指導の実施や確実な分娩対応、転院にあたっての対応に配慮する。

 被災から生活の復興までは精神的ケアも含めて、長期的な視点での保健医療体制の継続が必要である。被災による精神症を継続的に観察していくと共に、産後症状も念頭におき、適した支援につなげていく。その際、定期健康診査や各種訪問などの社会資源を活用する。また、妊産褥婦が気軽に相談でき、安心できる環境を提供する。

 避難所での慣れない生活に加え、過労、精神的負担などが重なるとそれが児の虐待につながっていく可能性がある。共同生活している地域住民との理解を促進することや、託児室・授乳室などの設置を考えることが大切である。また、ミルクやおむつなどの物質調達体制を整えることが妊産褥婦や家族の安心につながる。

3.高齢者の被災者への看護・支援

 被災時の現状をみると、高齢者の被災者が増加し、彼らを対象とした看護が注目され、実践されている。

 高齢者の心理問題は重要であり、さまざまなストレスが認知症にまで発展することもある。こうした状況で、タッチングは非常に重要なケアであり、1)コミュニケーションがはかれる、2)不安の除去となる、3)緊張緩和となる、の3つの効果がある。高齢者の緩慢な動きに合わせ、その人及び被災地域の特性を見極め、よく把握した上で向き合うことがケアのポイントである。

4.精神疾患患者への看護・支援

 精神障害者の特徴として、1)集団になじめない、規則を守れないなどの行動特性を持つ人が多い、2)服薬の中断により深刻な状況におかれ、人間関係上のトラブルを起こしやすくなる、3)ストレスに脆弱であると言われている、などが挙げられる。こうした人々に対しては、孤立しないよう、精神科治療薬を内服中であることや行動障害があることを周囲に気づかれないように配慮し、個人情報の取り扱いには十分注意する必要がある。

 また、災害発生後のマスコミによる過剰な取材・インタビューなどは精神不安をさらに増強させる。特に神経過敏の状態や外傷後ストレス障害(PTSD)の発症者は刺激によって症状が悪化しやすい。災害対策本部において、報道陣へこうした現状を説明し、理解を求めることが必要となってくる。

 精神症状は長期的な対応が求められる。地域の専門家が主体となり、情報を共有し合い、相互の連携強化をはかることが重要である。精神障害者には、1)危険物を排し、特に夜間巡回の回数を増やす、2)困惑や不穏な状況を受け止め、傾聴を心掛けて穏やかな態度で接する、3)精神科医療体制を確保する、などの点に注意して援助する。


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