神戸市立西市民病院/神戸朝日病院

(郡山健治、金 貞孝:立道 清・編、検証 そのとき医師たちになにができたか、清文 社、大阪、1996、p.106-114)


 これから紹介する論文は阪神神戸大震災に際して、壊滅的被害を受けた神戸市立西市民病院および被害軽微にて存続しえた神戸朝日病院の神戸市長田区にある二つの病院の被災時の状況報告です。

神戸市立西市民病院

 まず、神戸市立西市民病院の報告についてです。ここでは、 (6階建ての)病院の5階病棟が崩壊して病院機能が麻痺した状況下における災害医療についてレポートされています。

 震災直後の状況は、当直医が内科3名、外科1名、救急外来看護婦が3名でした。電気、ガス、水道、(携帶電話を含む)外線電話が途絶し、自家発電機の作動不能により医療機器の使用は不能でした。また、崩壊した5階病棟の患者、看護婦の安否も不明でした。

 以降の経過について、救急外来と病棟(入院患者)とに分けて報告します。まず、救急外来ですが、ここにはすぐに死傷者が殺到しました。散乱した医療機器、薬品をかき集め、懐中電灯下で、挿管による人工呼吸、外傷の縫合などの処置が始まりました。しかし、人員と物資の不足および予想不能の死傷者の搬入で、救急室はパニック状態となりました。1時間後、病院周辺に住む研修医、常勤医数名が駆けつけ熟練ナースとともに、自然発生的triage (患者の仕分け)が実施されました。以降、午後1時ごろまで救急医療の混乱が続きました。17日の外傷受診者は推定 600名で、死亡者は院内2名、DOA(来院時心肺停止)65名の計67名でした。骨折など当院での処置不能重傷者67名は他院での処置を依頼した。

 次に入院患者の安全確保と救出についてですが、3、4、6階病棟の患者は1階に避難誘導しました。5階病棟には患者44名と看護師3名が閉じ込められました。職員による救出あるいは自力脱出者数名以外はレスキュー隊が1名の死亡者(患者)を除き(震災当日の)17日内に救出されました。入院患者245名のうち、112名は当日退院とし、前述の5階の救出患者43名を含む残りの133名は、他病院に公衆電話で受け入れを依頼し、17日に73名、18日に60名の転院を行いました。転送先は13病院にわたり、患者転送には主にボランティアの車が用いられました。

 以上の経験から災害時医療の実施には、災害に強い病院建物と医療機器の確保、耐災害性のライフラインの装備と備蓄、堅牢・確実な情報網の整備および輸送手段の円滑性災害時医療を想定した医療担当者チームとしてのトレーニングが必要であるとのことです。

神戸朝日病院

 次に神戸朝日病院の場合です。ここでの震災直後の状況ですが、施設面での被害は軽微で火災による被害もありませんでした。電気は震災直後より停電し、非常用自家発電機は燃料不足のため短時間で機能停止してしまいました。午後6時ごろに部分的に復旧したが、完全復旧は21日でありました。水は(平時は1日60トンを消費していたのですが、)震災当日職員の運搬により入手できたのは0.2トンのみでした。翌日からは職員やボランティアにより北区から運ばれた2トン/日の水を厳重に使用制限して賄いました。27日に自衛隊より30トンの供給を受けるようにな り問題はほとんど解消しましたが、水道の復旧は2月下旬まで待たねばなりませんでした。

 また、当直の非常勤内科医が1名、駆けつけてきた常勤内科医1名、看護婦が4名で、負傷者の治療を開始しました。外来ロビーは多くの患者やその家族などで混乱していました。当初我先にと殺気立っていましたが、しばらくすると順に次の患者の治療のために懐中電灯で患部を照らすなど協力的になりなした。来院患者は、すでに死亡いているか、中等度までの外傷・骨折に二分されました。震災当日推定約400名の受診患者があり、内23名を入院扱いとしました。

 病棟には140名が入院していました。内2名が人工呼吸管理下にあったため、停電による人工呼吸器の停止が問題となったが、看護婦による人海戦術により対応しました。建物の損傷も少なかったことより、他には大きな混乱はありませんでした。

 20日頃より外傷を主体とする災害医療の急性期のピークは過ぎましたが、インフルエンザが急増し、避難所肺炎に代表される高齢者、病弱者の入院要請が増大しました。このいわゆる二次災害の発生による死亡者は、本院で11名が該当し、内5名が急性肺炎、4名がうっ血性心不全で、いずれも入院時にはすでに全身状態がきわめて悪化しており、入院後4〜5日の間に死亡しました。

 また、家屋倒壊や世話人がいない等で退院できない、いわゆる社会的入院問題にも直面しました。大阪府や被災の軽かった県下の老人病院や老健施設等の協力を得てこの問題の解決を図ったが、それでも新患のためのスペースを十分には確保できませんでした。

 さらに、一週間後には全職員の精神的肉体的疲労がピークに達しましたが、県看護大学内に設置された日本看護協会のボランティア調整本部から23日より派遣が得られ、また医師においても震災直後から2月中旬まで個人的および組織的な援助があったことで救われました。さらに多数の一般ボランティアの協力もあり病院機能が維持できました。はじめはボランイティア受け入れの準備や経験がなかったためかえって混乱しましたが、コミュニケーションが深まるにつれ問題は解決されていきました。

 以降ライフラインの回復、常勤職員の充足等により3月末にようやく震災前のレベルまで回復しました。


大規模災害発生時の広域医療搬送計画について

(判田乾一:日本集団災害医学会誌 11: 1-6, 2006)


 始めに、広域医療とは、重傷者の救命と被災地内医療の負担軽減を図るため、重症患者搬送に従事する災害派遣医療チーム(DMAT:Disaster Medical Assistant Team)・救護班を被災地外から派遣し、重症患者を被災地外の災害拠点病院などへ搬送し救命することが必要であり、これら一連の活動のことである。

 広域医療搬送は以下のような流れで行われることを想定している。まず、DMAT等が災害地外の拠点に参集し、航空機などにより被災地内の広域搬送拠点へ移動。次に、拠点臨時医療施設の設置を補助するとともに、ヘリコプター等で被災地内広域搬送拠点まで搬送。そして患者を広域搬送拠点臨時医療施設へ収容し、必要な追加医療処置を実施。最後に被災地外の広域搬送拠点へ搬送し、そこから救急車等により医療施設へ搬送し治療する。

 阪神・淡路大震災の教訓を踏まえた広域医療搬送に対する対応として、災害拠点病院の整備や広域医療搬送アクションプランの策定が行われ、アクションプランについては、重篤患者の発生見込み数別の対応パターンの理想、重篤患者を受け入れることが可能な医療機関、ヘリコプターや固定翼機の搬送拠点として考えられる施設の整理などを行っている。

 現在、広域医療搬送を実施することを想定して計画を作成・検討しているものとしては、東海地震・東南海・南海地震・首都直下地震の三つである。そのうち、東海地震に対しては平成15年に被害想定が公表されていた。その後、様々な研究や会議によって平成18年4月に予知型・突発型に関する計画が決定された。

 東海地震の具体的な活動内容に係る計画は、@救助活動、消防活動など係る計画A医療活動に係る計画B物資調達に係るC輸送活動に係る計画の項目である。上記Aには広域医療搬送に関する計画の内容が記されており、広域医療搬送体制・広域医療搬送対象患者の推計・予知型における広域医療搬送計画・突発型における広域医療搬送計画の四つの構成になっている。

 予知型と突発型の計画の主な違いは、予知型は前もって搬送の準備などができることである。それにより、搬送目標患者数やDMAT等の派遣にかかる時間は、予知型のほうがより高い搬送目標を設定している。

 その他、東南海・南海地震、首都直下型地震に関する検討は、平成15年に専門調査会から被害想定が公表され、現在この被害想定に基づいて広域医療搬送計画を作成中である。

 実際の災害発症時に一人でも多くの救える命を救うためには、今後も非才都道府県を始め関係省庁、日被災都道府県、医療機などの連携、事前の検討、訓練、実施のための整備などが必要不可欠である。


第5章 NBC災害―日本は全てを経験した国―

(白濱龍興:医師の目から見た「災害」、東京、内外出版、2005、p.93-102)


 NBC災害はN(核、放射線)、B(生物剤)、C(化学剤)による災害でテロと一緒に論じられます。NBC災害に使われる化学剤は一般的に神経剤、びらん剤、血液剤、窒息剤、無傷外化学剤、対植物剤に分類される。

 神経剤は神経刺激伝達系に影響を与えることでこのようによばれ、神経ガスともいわれる。サリン、ソマン、タブン、VXガスがよく知られている。地下鉄サリン事件のときは多くの負傷者が目の前が暗くなる、かすむ、目の奥が痛いなどの眼症状、胸が締め付けられるとか呼吸が苦しいといった症状を訴え、また身体的特徴は縮瞳が著明であった。治療はPAMやアトロピンが有効である。

 びらん剤は薬剤に晒された体表や眼、気道にびらんや水疱を発生させ、マスタード、ルイサイト、ホスゲンオキシムなどが代表的。マスタードは将来的に使用される可能性が高い化学剤で、マスタードに曝された後数時間はほとんど症状がでないため実際の症状が見かけより重症な場合が多いといわれている。曝露した皮膚は日焼けをしたように赤みを示し、それらが水疱化し、最終的にはそれらが融合して特徴的なドーム状の水疱となる。大量曝露の場合は皮膚のみならず、気道粘膜、眼、角膜などに重度の障害を起こし、死亡の原因となる。まず大量の水や、次亜塩素酸水、さらし粉などで化学剤を洗い流し、その後ローション、クリームなどで治療、熱傷に準じた治療が必要である。ルイサイトはマスタードと酷似した症状をしめすが症状の発現はより早く、より重症である。治療としては全身症状に対してはBAL注射、眼症状にたいしてはBAL眼軟膏、皮膚の傷に対してはBAL軟膏が使われる。

 血液剤としてシアン化合物があり、大量の吸入により死にいたる。シアン中毒の治療は、亜硝酸アミル、硝酸ナトリウムが使われる。

 窒息剤として、ホスゲン、塩素、クロロピクリンが代表的で、曝露による症状は咳、息切れ、胸痛などの呼吸症状が一般的で、ついで肺水腫の出現が特徴的である。治療は、呼吸管理、感染症対策、肺水腫対策が中心となり、眼症状に対しては洗顔、皮膚に付着したものは水や石鹸による除洗が必要。

 無傷外化学剤は生命に影響は及ぼさないが人を一時的に無力化する化学物質で催涙剤、くしゃみ剤として使用され、症状はガスに触れた粘膜や皮膚の灼熱感と疼痛、眼の疼痛と流涙、呼吸困難などで、使用中止後数分間で消滅する。

 対植物剤は化学的効果により植物を枯死、落葉、発育を抑制させる物質で、ベトナム戦争で使用された枯葉剤が有名。


第5章 成果を生み出す防災訓練(上)

(佐藤喜久二:主動の地震応急対策、東京、内外出版、2004、137-144)


はじめに

 防災訓練は、災害対策基本法を始めとする関係諸法令や地域防災計画などの運用を円滑にするため、あるいは、防災に関わる諸問題の把握・解決に資するため、防災関係機関や住民などの参加を得て、災害予防の実施責任者である地方公共団体の長や指定行政機関の長などが、単独、またはその他の災害予防責任者と共同して実施するものである。発災時に各種の応急対策活動や応急復旧活動を計画・実行し、あるいは他機関に実施を働きかける直接的役割を担っているのは各業務を所管する主管課であり、その長たる所属長に実質的な訓練責任があるといえる。

訓練管理の具体的要領

(1)訓練管理の意味

 訓練管理とは、効果的な訓練を行うために、適切な訓練計画を作成し、それに基づいて訓練を実施し、実施結果を評価・分析し、さらに予算の確保や訓練資機材の整備など訓練の基盤を整備するといった訓練に係わる一連の業務を体系的に管理することである。 つまり、訓練計画の作成→実施→評価・反映→訓練基盤の整備といったサイクルを繰り返し実行すればいいだけのことだが、行政機関にとっては訓練機会が少ない反面、訓練しなければならない事項は山ほどある。したがって、訓練を管理するにあたっては努めて中長期的な観点から管理することが望まれる。

(2)訓練課目表の作成

 訓練課目表は訓練計画作成の基礎となるものである。組織として、あるいは個人として訓練や研修しておかなければならない災害対策本部活動・情報活動・自主防災活動といったものを訓練課目とし、課目ごとに訓練目的・訓練内容・訓練対象者(組織)・訓練方式・訓練周期・可能ならば到達基準などを検討して整理したものである。

(3)中期計画の作成

 防災訓練の課目の中には毎年実施しておく必要のあるものや2~3年に一度実施しておけばよいものなど訓練の必要性はさまざまである。また、大規模な訓練や担当地域を持ち回りで行う訓練など2~3年前から準備に着手しておかなければならないものもある。このため、中期的な視点に立った計画(中期計画)が必要になる。

 行政が行わなければならない防災訓練を3~5年程度の範囲で管理して訓練成果の積み上げや訓練準備の促進を図るなどの目的で作成するもので、中期間の訓練実施方針や各年度の訓練課目、訓練周期などについて計画する。

 訓練周期では、総合防災訓練・津波対策訓練・職員緊急参集訓練、あるいは隣接自治体との合同訓練などの訓練課目を、1.継続的に毎年実施する、2.2~3年周期で実施する、3.必要に応じ実施する、などに区分し、計画期間内の各年度に予定する訓練課目を明らかにする。

(4)年度訓練計画の作成

 年度の計画は、予算要求や各訓練毎の実施計画作成の準拠とするため、中期訓練計画に基づいて年度の訓練実施方針のほか、重点事項、実施する訓練課目、各訓練課目の実施構想(訓練課目や訓練実施項目、実施内容、参加機関など)などについて計画する。

(5)訓練実施計画の作成

 訓練実施計画は、訓練実施の準拠となるもので年度計画に基づいて、訓練課目ごとに作成する。計画には、訓練目的、訓練目的を達成するための必要な訓練項目、訓練対象(訓練参加者・参加機関)、訓練組織、実施方法などについて計画する。

(6)訓練の実施と指導

 成果と改善点・教訓などを明らかにするために訓練の実施にあたっては必ず、訓練の管理責任者、もしくは委任された者による指導・監督が必要である。

 最近の図上訓練では、訓練計画の作成から訓練の実施、成果報告の作成まで部外に委託するケースが多くなったが、少なくとも指導監督については行政職員、特に所属長自ら実施することが必要であり、指導監督する場合は、予めチェックリストを作成しておくともれのない指導ができるようになる。

(7)訓練成果の分析と反映

 訓練実施後、訓練目的に照らして所望の成果を収めることができたか否かを分析検討し、主たる成果や問題点と対策を明らかにする。この分析結果は次期訓練計画の作成に反映させたり、改善のために新たな訓練を計画・実施するなどに反映させる。分析・評価は訓練終了後できる限り早い機会に全訓練参加機関を交えた反省会や、訓練参加者を対象としてアンケートを実施し、成果と課題などを具体的に把握することが重要であり、訓練担当者が気づかなかった訓練参加者の建設的意見や不都合などを承知できるばかりでなく、次回訓練に向け訓練機関の参画意欲を促進することができる。

(8)訓練基盤の整備

 訓練基盤の整備では、訓練に必要な予算の確保、訓練場所の確保、訓練用資機材の整備、マニュアルの作成、中期計画の補補修正など、訓練を計画・実施するために必要な基盤を整備する。


災害時における「人間」と「生活」を視点にした看護

(黒田裕子:黒田 裕子・酒井明子監修、災害看護、東京、メディカ出版、 2004、p.124-133)


 人間は個人として、また家族の一員として地域社会に所属している。個が所属する地域にはコミュニティーがあり、安全、安心、快適な町が存在する。そんな中で、阪神・淡路大震災のような大災害が起これば、一瞬のうちにコミュニティーが破壊される。その人がその人らしく、人間的な暮らしの価値を持って存在することができるかどうかは、その周辺で支援している者の価値観、人間性によっても大きく変わる。日常生活から切断された状況の中で、「生活者としての人間」に価値を置いたケアのあり方について、学んだことを述べる。

 看護を実践していくうえで、地域、家族、家庭のアセスメントをしっかり行い対象と向き合うことが大切である。在院日数も少なくなり地域での療養が徐々に増えている現状では、看護者はもっと地域社会の中に介入することが必要である。災害時においては、地域の特性を熟知しておくと、ひとりの人としての「いのち」を重んじることができる可能性が高い。

 1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。筆者は長田区に入りボランティアとして支援活動を始めた。高齢者が避難先の公園の中で寒さに耐えることができない状況にあり、また冷え切った食べ物も手にすることができず、食べていない状況であった。食べ物も何も口にすることのできない虚弱者は肺炎となり、生死をさまよう状態となる。何とか身の安全を確保することで、二次的災害を予防しなくてはと考えた。

 当時「孤独死」という言葉が新聞紙面をにぎわした。新聞紙上では毎日10名もの孤独死が続発していた。筆者は次の3つの目的を持って、仮設住宅での24時間の活動に取り組むことにした。1)ひとり暮らしの高齢者の孤独死を予防する、2)高齢者、障害者を寝たきりにさせない、3)仮設住宅を住みよい生活の場とするために、コミュニティー作りをする。

 この目的を達成するため、筆者らは1800人の人々が入居している仮設住宅の二一ズの抽出を始めた。二一ズの内容としては、高齢者が高齢者を介護し、介護に疲れている人、また、これまで住んでいた地域から離れ、誰も知る人がいなく新しい生活の地で不安に思っている人、新たな地域に住むことによるコミュニティーの崩壊によって、他者との関係を絶ってしまっている人、家族を失いうつ状態になっている人、環境の変化に伴う認知症のひとり暮らしの人など、複難で多様な二一ズがあった。対策とてして、まず、仮設住宅に居住する人々が快適な生活を送れるように、人間としての住みよい環境を整えることから始めた。二一ズ調査の結果、仮設住宅は人間が人間として住めるような環境ではなかったことが明らかになった。大雨が降れば家もろとも流されそうになり、排水の整備も不十分であった。雨の後は歩くのにも困難なほどぬかるんでいた。その改善として砂利、レンガを集めた。それによって清浄な空気が流れると、1つの町ができ上がった。また、仮設住宅の設備には年代層に応じた器具の仕様や取り扱いのアドバイスが必要であり、それを怠れば、死につながることもあった。仮設住宅の内外を通して不備な点が多く、日常生活を送るのにとても困難な状態であった。例えば住宅内の問題として、隣人の生活感が容易に伝わるというものが挙げられる。音に悩まされノイローゼとなり、精神科へ入院した人もあった。また、天井の隙間から光や雨が入り、畳の隙間からは草が顔をのぞかせ虫が入ってくる。それに対し、ガムテープで丁寧に目張りを行い、古新聞を押し込み補修した。そのようなことから人間として住むことのできる環境にこそ安らぎがあり、QOLを高めることができるということがわかる。

 コミュニティーが破壊された町は、再構築するまでには時間がかかる。お互いに支え合っていくことによって、その人の人間性を生かした「人間らしい生活」に近付けられる。筆者の目的の1つでもあるコミュニティー作りは、その人が人間として生きがいを作り、生き生きとした生活を送ることにあるということに気付かされた。災害によってコミュニティーが破壊され、これまで共に暮らしていた人と離ればなれになり、新天地では見知らぬ人や、言葉を交わしたことのない人々との出会いがある。そのような中、どうすればお互いにコミュニケーションを図れるのか、また、助け合い、支え合うことができるのか。まず、それを解決するにあたって「場」を提供することにした。具体的には仮設住宅の2棟に1個ずつのプランターを置き、その中に皆で花を植えることから始めた。花を植えることで、誰からとなく自然に言葉が交わされるようになった。その後、花をきっかけとして、人々の心が開き始めた。

 さらに、集まることのできる場として「喫茶」を行った。その結果、「場」を通してお互いを支えあうことで安心して暮らしていけることが分かった。こうした取り組みが、健康作りや生きがい作りの一つになっているうえ、高齢者が閉じこもりや寝たきりになることを防止することにもつながった。

 プライバシーの問題もあるかもしれないが、ひとりの人としての「いのち」を重んじた時、地域をお互いが共有しておくことが大切である。地域社会が複雑・多様化していく現状では、お互いが心のバリアを取り払って、ひとりの人間として地域の中でどのように存在していくかを常に考えながら、自己のあり方、他者のあり方を問題視することが迫られているように見えた。

 最後に、看護者としても地域と福祉について深化、発展させていく必要性を感じる。災害における「人間」と「地域」と「暮らし」が一体化した看護を深化させたい。また、日常の中で危機管理についても考察し、ひとりの人としての「いのち」を重んじていくことができたらと考える。


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