災害医学・抄読会 2003/10/24

地方公務員として初めての、国際緊急援助隊派遣の経験

(浅井康文ほか、日本集団災害医学会誌 8: 35, 2003)


 地方公務員は、1999年まで国際緊急援助隊の海外への派遣に加わることができず、ボランティアとし ての意思を生かすことができなかった。この事例報告は、規則の改正により初めて地方公務員として 2001年1月にエルサルバドル大地震の災害医療支援に出動する機会を得たので報告するものである。 エルサルバドル大地震での活動報告の前に、出動が可能となった経緯にふれておく。これまで地方公 務員が出動できなかった理由として、自治省が緊急援助事業は地方公務員の本来の業務に当たらない と判断して地方公務員災害補償の適用を認めなかったことにある。そのため、補償がない状態で活動 するわけにいかず、出動できない状態が続いていた。このような問題を解決するため、地方公務員に 関しては、所属先に代わってJICA(国際協力事業団)が労働者補償保険法に基づいて補償措置を講じ るとともに派遣期間中の所属先補填を行うこととし、この措置が自治省にも受け入れられ、2000年9 月付で、地方公務員の出動が可能となった。所属先への人件費補償は、国家公務員以外で所属先から 給与が支払われる方を対象に、申請によりJICAが支給するようになった。これにより補償の問題が解 決し、地方公務員も「有給休暇」もしくは「職務専念義務の免除休暇」により緊急救助隊に参加でき るようになった。

 JICA国際緊急援助隊(JDR)事務局は、国際緊急援助法に基づく(1)国際緊急援助隊の派遣、 (2)緊急援助物資供与、という2つの大きな活動を行っている。国際緊急援助隊の派遣は、医療 チーム(医師、看護師、調整員など)、専門家チーム(災害応急対策および災害復旧に関する助言、 指導を行う)、救助チーム(警察庁、海上保安庁、消防庁)、自衛隊の部隊(医療活動、輸送活動、 給水活動)の4つの分けられる。急性期の災害援助では「黄金の72時間」が勝負で、台湾への派遣 (1999年9月)を契機として救助チームを含む体制の強化がなされた。緊急援助物資の供与は、備蓄 倉庫から必要物資(毛布、テントなど)の緊急輸送や、民間援助物資の輸送がある。備蓄制度では、 現在緊急援助物資を備蓄する倉庫を国内外5ヶ所(成田、米国、英国、シンガポール、メキシコ)に 設置している。自衛隊派遣は、大規模な災害や自給自足の援助活動が求められる場合に行われ、援助 活動(給水・輸送)および医療活動(救急医療・防疫)を実施する。

 エルサルバドル大地震は日本時間2001年1月14日(現地時間13日)にエルサルバドルの中部のラ・パス 県コスタ・デル・ソル市西方50kmの海岸付近を震源に、マグニチュード7.6の強い地震として発生し た。外科・整形外科用医薬品、テント、毛布、水タンク、発電機、土砂を除去するための重機および その専用オペレーターなどが不足しており、エルサルバドル政府より国際援助を必要としていると全 世界に要請があった。日本政府は、現地に残留している邦人176名の無事を確認するとともに、要請 主義により同国への支援策として、15日中にも国際緊急援助隊医療チームを現地に派遣することに決 定した。

 派遣までの経緯は、第1陣(7名)は15日18時35分に成田空港を出発し、ロサンジェルス経由で、16日 早朝に首都サン・サルバドルに到着。すぐに日本大使館を訪問し、公邸にて湯浅大使より地震の被害 の状況とともに、エルサルバドルの現状や歴史についてのブリーフィングがあった。エルサルバドル と日本との時差は−15時間で、中南米で唯一カリブ海に面していない国で、港はコンテナ船が停泊で きない。治安は他の中南米にまさるともおとらず悪く、東レの三井物産社員が誘拐され、十数年日本 人がいない時期があった。移動や病院での診察には、つねに軍隊か警察の護衛を必要とした。活動拠 点としては被害がひどく、海外からの医療チームが入っていない、東部のウスルタン県サンチャゴ・ デ・マリア(人口:約24000人)へ派遣されることとなった。第3日目に第2サイトとして、本部まで約 5分の場所にあるサンタフェマ(人口:約2000人)のトレヒオ・サンタヘマ小中学校を視察し、次の日 よりここでも診療活動を開始した。余裕のできた後半には、地方の保健所などをまわり、医療事情を 調査した。46名の青年海外協力隊が現地におり、通訳や食事の面などで大変お世話になった。 9日間の診療で、医師3名により1573名(新患:1496名、再診:77名)の患者を診察した。初期の情報 では整形、外科新患が多いと思われたが、呼吸器感染症(気管支炎など)、下痢などの消化器疾患、 腰痛が主体であった。地震後の急性ストレス障害による精神疾患の患者も多かった。主訴は咳が506 名(45.5%)、頭痛468名(29.8%)、精神障害271名(17.2%)などであり、最終診断は呼吸器感染 症が716名(45.5%)、急性ストレス障害が322名(20.5%)、身体の疼痛などは257名(16.3%)で あった。処置については1487名(94.5%)が薬物治療を受け、入院を要したのは10名のみであった。 撤退の時期は患者数、疾病内容、患者の様子から判断でき、時間とともに患者のみなりが小奇麗なも のとなり、地震と関係なく本来自分の持っている病気の処方を求めたり、栄養剤などの要求が多く なった。以上より1月25日で撤退することを決め、サンチャゴ・デ・マリア病院院長に医療資機材、簡 易水槽、発電機、毛布、医薬品、テント、マットレスなどを引き渡した。エルサルバドルの対策本部 へは英文報告書を手渡し、その内容は1.衛生のためのトイレの必要性、2.マット、毛布が足りず、 寒さと埃のため呼吸器疾患が多いのでその対策、3.寄生虫駆除の必要性、4.女性生理用品の不足な どである。

考察

 派遣最初の情報では、骨折などの整形、外科疾患が多いと思われたが、実際には内科疾患が主体で あった。派遣においては必ずしも正確な医療情報が届くわけではないので、初期の医療チームはどの ような疾患、外傷にも対応し適確な判断ができる、general physicianまたはall round playerの医 師が適格者であると確信した。今回のエルサルバドル地震では、日本よりのNGO(非政府組織)の情 報はほとんどなかった。誘拐などがあり政治的に不安定な国で、移動一つにしても軍隊や警察の護衛 が必要であり、NGOの活動には限界があると感じた。


第32回明石市民夏祭り事故の消防活動

(山本 徹、日本集団災害医学会誌 8: 30, 2003)


事故概要

 2001年7月21日20時45分頃から50分過ぎにかけて、明石市民夏祭り会場の大蔵海岸からJR朝霧駅へ 通じる朝霧歩道橋上で、群集なだれ事故が発生した。事故当日、消防機関が確認した傷病者数は死者 10名を含む121名であった。そのうち、消防機関が搬送した傷病者は83名で、朝霧歩道橋南側からは 死亡9名を含む20名を、北側からは死亡1名を含む63名を搬送した。

活動の概要

 20時45分頃から50分過ぎにかけて、数回の群集なだれ事故が発生したと推定されている。21時02分 に朝霧歩道橋北側にいた救急隊から明石市消防本部へ「集団災害対応要請」が無線送信され、同消防 本部は第一次集団災害を発令した。災害初期に数か所の病院に集団災害の受け入れ要請を実施した が、受傷機転である群集なだれ事故とは認知していなかったため、これを伝えられなかった。21時15 分頃から多数の傷病者が救出されてきたため、21時22分神戸市消防局に応援要請、21時23分明石市消 防本部は、第二次集団災害対応を発令した。全ての傷病者搬送を終了するまで2時間40分を費やし た。

 出動部隊は救急隊、消防隊など明石市消防本部、神戸市消防局、加古川市消防本部合わせて51隊で あった。延べ38回の搬送で、1隊あたり約2名の傷病者を搬送し、各隊の現場到着から出発までの現場 滞在時間は、平均12分であった。救護所は傷病者が朝霧歩道橋南北に分散したため、南北2か所の救 護所を設置した。

 南側の救護所では、21時17分に先着の救急隊が到着すると、6名のCPA患者を家族等が抱えて乗り込ん できた。まず、4名を搬送し、他の2名は8分後に到着した後続の救急隊が搬送した。CPA患者6名は、 いずれも乳幼児で顔面蒼白、自発呼吸なく、脈拍の確認はできなかったが、家族が懸命に人工呼吸を していたために、トリアージ判定は行えなかった。この救護所からは最終的には、CPA患者9名および 重傷者3名を含む20名を延べ7隊により搬送した。北側の救護所では救急隊が到着し、トリアージを実 施する以前にすでに十数名の傷病者が横たわっていたためにトリアージポストの設定はできなかっ た。最終傷病者搬送まで、2名1組1チームのみでトリアージを実施した。救護所に一度に数十名の傷 病者が押しかけて来た際には、タッグ記載は時間的にできなかった。当初、START方式で判定した が、多数の過換気症候群の傷病者が、呼吸数30回/分以上で呼吸回数からの緊急治療群との判定基準 は当てはまらず、バイタルサインの総合判定で実施した。重症者のトリアージタッグは付けたが、も ぎり式識別のみで、タッグに詳細記載はできなかった。北側救護所の傷病者に対して、トリアージ タッグの装着は32名であった。半数以上の傷病者はタッグに番号の記載、もぎり識別があった。傷病 者情報の記載については付き添い者に依頼した。最終的に、CPA患者1名および重症者4名を含む63名 を搬送した。

 傷病者121名は、現場周辺の16病院に搬送した。搬送先の選定は、発災現場から指揮者の指示による 直近病院医療機関に集中したため、統制困難となり22時00分以降は個々の救急隊が行った。災害現場 の東側は神戸市救急隊が担当、神戸市内の医療機関を手配、西側は明石市が担当し、明石市、加古川 市の医療機関を手配した。各救急隊長は、医療機関情報のみ救急車の無線にて送信した。CPA患者お よび重症者17名は発災現場から至近の病院へ搬送された。

考察

 一度に数十名の傷病者が押しかけてきた際に2名1組1チームではトリアージおよびタッグ記載に正 確性を欠いたため、せいぜい傷病者20名が適当であると思われる。また、発災初期には精神的不安等 から、過換気症候群の傷病者が多発しておりSTART方式判定で呼吸数パラメーターを評価に入れると Over Triageとなるため、意識レベル、顔色等を含む総合評価が必要である。

 災害初期には多数の傷病者が点在して、指揮、情報収集に専念できずに救出救護活動に当たってお り、面識のない他市の救急隊員が当方の指揮、情報担当者を判別できず情報がスムーズに伝達できな かったため、災害情報を視認できるシステムや誰もが一目でわかる各担当者の標示が必要である。

 全傷病者数および傷病程度が把握できなかったため、傷病者を直近病院から順次搬送することと なった。このため直近の2次医療機関にCPA患者を搬送したり、重症者と軽症者が混在したので効率 が悪かったと思われる。多数傷病者事故であると判明した時点で、速やかに広域範囲にわたり収容病 院を確保する必要がある。


競技会方式による多数傷病者発生時対応訓練について

(林 靖之、日本集団災害医学会誌 8: 24, 2003)


 近年、わが国でも多数傷病者発生時対応訓練の重要性が認識されてきたが、競技会の中で傷病者対応 能力を競う方式は本邦では認められていない。チェコ共和国にて開催されたプレホスピタル技能コン テストに参加し、その中で競技会方式での多数傷病者発生時の現場対応を経験した。今回、国内で同 様の競技会を実施したので、チェコでの競技会とあわせて報告する。

 チェコでの競技会では、循環器疾患、多発外傷、集団災害など、模擬患者を使用したシナリオステー ションが5箇所に設置されており、各医療チームが救急車に同乗してそのシナリオステーションに向 かい、そこで模擬患者に対して診断や処置を実施する。その内容をジャッジが評価・採点し、その総 合点数で順位を決めるというものであった。5つのメインシナリオのうち、一つがバス横転による多 数傷病者発生のシナリオステーションであった。競技者には、救急車で現地へ向かって出動する直前 に指令内容が書かれた用紙が渡され、この時点で事故の概要を知る事ができた。このような状況下 で、傷病者数の確定、トリアージ、最優先搬送症例の選定等を8分以内に実施し、その行為をジャッ ジが評価・採点した。

 国内でも同様の試みとして、2002年10月29日にACLS、BTLS、集団災害時の対応を盛り込んだ競技会、 千里メディカルラリーを開催した。ここのチームの構成条件としては、医師、看護婦、救急救命士そ れぞれ最低1名がチームに参加することとした。メインのシナリオステーションを6箇所設け、ラ リー方式でそれぞれのステーションを周ることとし、そのうち一つをバス同士の衝突事故による多数 傷病者発生事例に設定した。競技者に見せる指令所には、高速道路上でのバス同士の衝突事故で多数 傷病者が発生し、現場には競技者以外の医療従事者はまだ誰も到着していない状況とし、10分間の制 限時間を設けて現場活動を実施し、指揮本部ができた際に状況報告を行ってもらうことを記載した。 競技者にはシナリオステーション開始3分前にこの指令内容を渡し、それまでは事故概要及び指令内 容については一切分からないようにした。今回シナリオで重視したのは、現場での安全確認、軽症者 に呼びかけて自力で車外に脱出させること、傷病者数の把握、最優先搬送症例の決定、トリアージの 正確性、そしてチームワークとし、チェックリストを用いて採点を行った。結果は、組織的な活動で 高得点を獲得したチームから、秩序なく活動したチームまで様々であった。特に本邦の医療従事者 は、救助の段階から医療が始まるという意識が低いため、現場の安全確認や軽症者の避難という項目 で減点されるケースが多かった。

 これらの訓練を行う事で、いくつかの利点および問題点が明確になった。

 利点としては、事前の打ち合わせが全く無いため、個々の判断能力が直接試されるという事である。 競技者の行為が採点・評価され、その結果をフィードバックさせることにより、自分たちにかけてい るものや、今後注意すべき点が明白になる。また、競技者にとっては単にトリアージや救命処置の習 熟にととまらず、現場での状況判断、チーム内の指揮命令の重要性も十分認識することができる。 問題点としては、以下2つが挙げられる。一つ目は、シナリオの内容設定、採点項目、評価の基準、 そしてフィードバックの仕組みなどが確立されていないことである。今回はチェコ共和国でのシナリ オオリエンテーションを参考にして、事故状況を設定したり、採点項目や配点を考えたり、フィード バックをおこなったが、統一された基準が必要であり、今後も検討していく必要があると考えられ た。二つ目は、ACLSやBTLSなどの体験型学習にもとづいた講習会に共通する問題であるが、人的およ び経済的な負担が大きいという事である。今回千里メディカルラリーの多数傷病者発生事例で要した ボランティアは、模擬患者・ジャッジ・案内係など含めて30名を要し、様々な機材の準備についても 消防本部や機材販売業者の協力を必要とした。この問題についても今後も継続して検討していく必要 があると考えられた。

 以上のことから、競技会方式による多数傷病者発生時対応訓練は、今後も内容を工夫しながら同様の 訓練を継続していく事が望ましいと考えられた。


集団災害発生時の報道機関と協調した医療機関の情報収集の模索

(中尾博之ほか、日本集団災害医学会誌 8: 17, 2003)


 集団災害発生時の超急性期から急性期にかけて多くの傷病者が医療機関に搬送されるが、関係機関は 混乱しているために、事故の詳細情報(事故内容、傷病者数、重傷度など)が不足する。事故発生直 後の患者搬送が始まるフェイズにはこのような情報は、その内容に応じて受け入れ医療機関が対応を 整える必要があるので必要である。

 過去の3事例(明石市花火大会雑踏事故、明石大橋多重衝突事故、阪神・淡路大震災)について事 故報告書や医療機関・報道機関からの調査を元にし検証し、医療機関と報道機関が相互に情報を共有 する可能性について模索し、有益な情報交換をするための対応方法に関しても考察した。

3事例の考察

 新聞社のほうが放送局よりも数倍記者が多いので、把握している情報量も多いと思われるが、放送 局からの情報は品会に情報提供されるのに対して、新聞社は情報提供される回数が限定される。事例 の調査より、報道機関は警戒電話という定期的な電話による情報収集や記者クラブからの情報によっ て、警察・消防の情報をかなり早期から得ていることがわかった。また、報道機関は警察・消防から の情報源だけではなく行政・気象庁・目撃者・現場取材などから情報を得ているので、より正確で多 くの情報を得ていたようである。

 これに対して医療機関は、原則的に情報入手先を消防機関に限定されていることが多い。通常の救 急搬送時には医療機関は、消防から1)性別・年齢、2)受傷機転、3)主訴・バイタルサイン、4)既 往歴、5)応急処置内容、6)予定到着時間といった情報を得ているが、集団災害時には2)3)5)6) といった情報しか入手できないであろう。現場が混乱していたら2)さえも判明しないまま、または 何の連絡もなく搬送されてくる場合もある。

 これらのことから、情報をより多く持っているのは新聞社であるのに対して、容易に情報、特に現 場映像を随時医療機関が得られるのはテレビ放送局と考えられる。災害時には警察・消防は受け入れ 医療機関で調査活動を行うが、医療機関は傷病者対応で多忙なために警察・消防から直接情報を入手 するゆとりがないのが通常である。日ごろから交流があれば報道機関からも情報入手できるのではな いかと考える。

医療機関の報道機関への対応方法

 報道機関は警察、消防、医療機関、海上保安庁、行政機関、目撃者、記者自身による現場取材から 情報を入手している。報道機関が医療機関に求める情報として、傷病者氏名、年齢、住所、重傷度、 治療内容、顔写真の6項目であることがわかった。特に本人の同意をもとに軽症者からのインタ ビューを望んでいる。しかし傷病者本のプライバシー保護に注意を払わなければならないので報道機 関は取材対象者のプライバシーに関する社内ガイドラインを有している。医療機関からの情報提供を 行う場合の原則として、報道各社に平等に情報を供与すること、報道の締め切り時間があることを考 慮した定期的な会見の予告をしておくことなどであり、このことは報道関係者の混乱を予防し、医療 機関側が不要な配慮をせずに労力の軽減につながる。

 日本では医療機関が記者会見を行うことには慣れていないので、対応によっては報道機関側から不満 や不信感をもたれる場合が見受けられるが、海外ではこれらに配慮した準備がなされている。共通項 としては1)記者会見担当者を平時から任命しておき、医療機関側からの情報提供の一元化をはかる こと、2)報道機関側が不満を持たないように配慮すること、3)憶測や虚偽内容を発表せずに事実 だけを述べること、4)発表方法を十分に考慮して堂々とした態度で臨むこと、5)発表内容を記録 に残すことが挙げられる。良好な記者会見とするためのポイントは、会見前の準備や報道陣との意見 調整である。

 3つの災害事例から報道機関と医療機関が情報を共有することによる医療機関側の利点としては、よ り正確で早期に情報が得られる可能性を指摘した。一方、報道機関側の利点としては、プライバシー に配慮した条件下で医療機関から患者情報をスムーズに収集することを指摘した。

 日常診療では医療機関は報道機関と接する機会は少なく、情報制限をする傾向にある。しかし、報道 機関が何を求めているかを知ることで、不必要な情報制限をなくすことができるであろう。警察・消 防と報道機関の3者間の情報交換は、平時から行われている。現在のところ医療機関は消防機関から の情報提供に頼っていることが多いが、集団災害時の適切な医療対応を実施するためには、医療機関 と報道機関が協調して情報交換ができるようになることが望まれる。


効果的な国際緊急援助のための3つの提言

―現地医療スタッフによる Pre-Triage, 効率的な医療記録、および Civilian Military Cooperation― (新地浩一ほか、日本集団災害医学会誌 8: 12, 2003)


 著者らは効率的で効果的な国際緊急医療援助活動のために、Pre-Triageと提唱された現地の医療ス タッフによる一時的な患者の選別の有用性に着目し、現地医療スタッフによるPre-Triageの導入の提 唱と国際緊急医療活動における効率的で効果的な医療記録を提案、また災害医療における Civilian-Military Cooperationの重要性について提言する。

 1998年の10月末にハリケーンによりホンジュラス共和国が極めて大きな被害を受けた。このため国際 救助援助隊が派遣され著者らの医療救助隊は11月17日から11月30日の診療期間に延べ4,031名の患者 の診療を行った。ホンジュラスにおける活動1日目には、患者統制が不十分であり、またトリアージ を日本の医療チーム単独で実施したため非効率的でありスタッフの疲労も大きなものであった。その ため2日目以降は現地医療スタッフによる一時的な患者の選別を実施し、日本の医療チームのトリ アージへの誘導および日本の医療チームの診察能力を超える患者を他の診療施設に紹介、また保健指 導だけですむ医療相談には現地の保健士等の医療スタッフが対応するなどの選別を行った。この Pre-Triageだけで約30%の患者の問題が解決した。

 また短時間に大量の患者を診療しなければならない救援医療チームにとって、簡便かつ使用しやすい 医療記録は必要不可欠であり、著者らはホンジュラスでの援助活動の経験を基にSMRを考案、作成し た。

 SMRは診療記録と検査伝票、検査報告書、処方箋を一体化したようなもので、A4版1枚の紙の表に氏 名、年齢、患者の症状の緊急性、医療チームが複数の場合どの医療チームが診療にあたるべきか、ま た主要な内科的もしくは外科的な症状、感染性の可能性や骨折の可能性の有無、診断名などを記載 し、裏面に必要に応じて血液検査や尿検査のオーダーおよび検査結果と処方箋を記載する。このSMR は 患者が最初にトリアージのテントで配布を受け、最終的に薬局で処方された薬剤と交換して回収する かあるいは投薬の必要がない場合、最後の診療を受けたテントで回収される。

 通常、海外から派遣された医療援助チームは、入院患者の収容能力を持つことは稀であると考えられ るのでSMRで十分カバーできると考えられるが、もし入院患者の収容能力を持つ場合は、簡便な入院 用医療記録を追加して使用することも可能である。

 また海外での医療援助活動においてはCivilian-Military Cooperationが重要であることは言うまで もない。ホンジュラスにおいても医療チームは陸上自衛隊の医療スタッフが主体であったが、外務 省、青年海外協力隊員や国際協力事業団などの経済的支援や通訳としての協力、現地政府機関との連 絡や調整などの協力があったからこそスムーズな医療援助活動が可能になった。勿論現地の医療ス タッフや公務員の協力も必要不可欠である。この協力がなければPre-Triageは成り立たないからであ る。

 このようなCivilian-Military Cooperationの重要性は海外での医療援助活動のみならず日本国内の 災害対処においても、今後極めて重要になると考えられる。

 1992年に法改正により自衛隊の災害時における国際緊急援助活動への参加が可能となり、1998年のホ ンジュラス共和国におけるハリケーン被災の救援活動が最初の派遣となった。自衛隊は、高度な自己 完結性を有する反面、派遣までには政治的な判断を必要とし、時間がかかるため災害の急性期におけ る派遣は事実上困難であり、日本赤十字社やNGOの医療チームのほうが災害の急性期に派遣可能であ り運用しやすいケースも多いが、自衛隊の医療チームはマンパワーを利用した組織的な診療活動が可 能である。今後人道的な見地からの難民救援の国際社会からの要請は、今後も増えることが予想され る。また大規模な国際緊急医療活動における医療チームの組織的、効率的な診療活動のためには、現 地における通訳の確保や現地の医療スタッフとの連結が必要不可欠であり、JOCVやJICAの職員などと の協力もきわめて重要である。

 そして大量の患者を診療する際には、簡便で使用しやすい医療記録の採用は診療効率を向上させ、医 療スタッフの疲労を軽減させる観点からも有効であると思われる。


長野オリンピック冬季大会における歯科受診者の分析

(大塚明子ほか、日本集団災害医学会誌 8: 7, 2003)


 長期間におよぶ国際イベントにおいて医療支援は重要であり、オリンピックを含め、スポーツイベン トにおいても適切な医療救護体制の構築が求められる。イベント医療はmass gathering医学としての 取り組みが重視されるようになっており、この観点から過去の事例を検討することは必要不可欠であ る。過去のオリンピック競技大会における医学的報告ではいくつか見られるが、これまでの報告は歯 科に関する詳細な分析はなされていない。今回我々は1998年長野オリンピック冬季競技大会オリン ピック村総合診療所における歯科受診者の分析を行ったので報告する。診療はオリンピック村に滞在 する選手・役員等を対象とし、オリンピック開催期間前後の28日間、歯科医師1〜2名、歯科衛生士1 〜2名で行われた。設備としては歯科用チェアーユニット2台、歯科用レントゲン装置1台が配備され た。分析結果は、延べ受診者数は258名で、1日平均受診者数は9.21名であった。主訴は疼痛が最も多 かった。診断は、齲触、歯周病の順に多く、これらを含め歯牙疾患、歯周組織疾患が大多数を占め、 外傷は1例のみであった。処置内容は、充填、根管治療、脱離修復物の再装着など歯牙処置が選手の86%、役員では約50%を占めていた。また観血的処置を要したものは11例のみであった。以上の結果から、本イベントにおいては、一般歯科診療所相当の設備が必要であった。

 厚生省の平成11年度歯科疾患実態調査によると齲触有病者立は永久歯で85.86%、そのうち未処置の齲触を有する者の割合は64.15%、歯肉所見を有するものは72.88%であった。これは日本人における統計であるが,日本人以外の国においても相当数の歯科有病者数があると考えられ、このような多くの潜在患者の中には長期間の滞在中に自覚症状があらわれる可能性がある。今回の結果でも、齲触、歯周病による疼痛が主訴での受診が多く見られていた。

 検査に関しては、受信者の20〜25%にに歯科用X線装置による歯牙のX-p撮影が行われていた。齲触や歯周組織疾患の診断・治療に際し、一般撮影用レントゲン装置によるX-pでは口腔内の詳細な診断は困難である。歯科用X線装置による撮影で得られる情報は多く、長野オリンピック村総合診療所において歯科用X線装置が配備されていたことは有用であった。

 オリンピックのような大規模イベントにおける傷病者を統計的手法を用いて扱う医学概念としてmass gathering medicineがある。この概念は、傷病者統計のみならず医療に使用される備品や消耗品の物流の把握など幅広いもので、災害医療の基盤を構築する有用な概念である。また過去の事例のretrospectiveな分析を集積して、prospectiveな予測をしようとする国際的な取り組みも行われている。イベントはあらかじめ予測された場所に予測された期間内、不特定多数の人の集積(mass gathering)を集めるものであり、集団災害、特に大規模な自然災害や地域紛争における避難民の医療救援などに応用できる様々な要素を抽出することが可能であると考えられる。この意味で、歯科疾患はその有病率から見て一定の需要が予測され、今後のイベントにおいても積極的な検討が望まれる。


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