今後の危機管理として一次帰島者に甚大な被害が発生したとき、保安要員あるいは救助者の被災を 含め、さまざまな様相を呈する各種災害に対応できるレスキューチームと一体となったDisaster Medical Assistant Teamの構築を急ぐ必要がある。
災害後の被災民への有効な援助を実行するにはまず彼らの健康状態や環境を調査し、それを評価す
ることが第一である。そしてその評価に基づいて今すぐに必要なもの、長期的に必要なものは何かを
決定する。
被災民の保健医療には次の二つに大別される。
1、迅速評価(Rapid Assessment)
これは災害直後(発災後12〜24時間以内)の急性期に人的、物的資源が不十分な環境で緊急な支援が
必要な場合の援助内容に優先度をつけるための調査である。そしてこの調査評価は援助の有効性、改
善、維持などの参考にならなければならない。
2、復興と開発につながる調査
被災民の 1)避難生活が長期化しようとした時、2)難民を帰還させるための指標を求めるとき、
などにもやはり保健医療の調査評価が必要である。
急性期、亜急性期、慢性期それぞれの時相で調査は必要であり、その時々の状況をきちんと掴
んでおく。特に環境の悪化による衛生状態、栄養状態の問題は被災民の健康に重大な影響を与えかね
ないのでこれらの調査は大きな意味をもってくる。
わが国において災害後のRapid Assessmentをきちんと行い、その評価に基づいた援助がなされ
たという事実はない。阪神淡路大震災の時の医療救援のあり方、援助物資の配分方、避難生活とその
健康維持など当初は統一性がなくいわゆる援助支援としてはばらばらの状態であった。これはやはり
初期からのRapid Assessmentができなかったことと、行政側に災害を総合的に評価できる専門家がい
なかったことに由来すると思われる。災害時に被災者に有効な援助支援を行うにはAssessmentが重要
であり、必ず行わなければならない。
歩道橋上及びその周辺を除く場所では、多少の交通渋滞等は発生しているものの、事故と直接関係が
あると思われる特別な状況は一切認められていない。したがって、以下では本事故と関係がある歩道
橋上及びその周辺の混雑状況を中心に、事故発生に至るまでの状況を記述する。
一方、芝生広場などでは未だ薄暮のころから花火見物のため、いち早く場所を確保し、座り込む人
たちで次第に広場は埋まり始め、次第にその中に入り込む余地を見つけるのも困難な状況であり、そ
のため歩道橋から階段を降りて行こうにも行くところがないと思われる混雑ぶりであった。さらにそ
の混雑は時間を追って激しくなってゆき、特に花火打ち上げが終了する少し前くらいから、帰路に就
こうと歩道橋を目指す群集や帰路に就く前に夜店を楽しもうという群衆が一斉に夜店通路に流入し、
夜店通路の中の群集は東に進もうにも進めず、西へ帰ろうにも後続の群集により戻れず身動きができ
ない状態となった。加えて夜店北側に張り巡らされた1.8mのネットフェンスと人が抜けだす隙間がな
いくらいに軒を連ねていた夜店のため、群集がその混雑を逃れようと思っても逃れられない状況に
なっており、一部の群集が夜店の間の僅かな隙間から逃れようと殺到しひしめき合い事故が発生して
もおかしくないと思える状況も生まれていた。
(1) 午後6時30分ころには朝霧駅のプラットホームは既に大混雑していた。駅の放送は花火大会
の
経路として歩道橋方面を案内し迂回路の案内はしていなかった。改札口を出て発券売り場までは混雑
していたが歩道橋に入ると比較的自由に歩ける状況であった。
(2) 午後7時30分ころの歩道橋の駅入り口付近は、たまに人の肩が触れ合う程度でありスムース
に
進んでいたが歩道橋中央付近を過ぎたころから混雑度が増し、酸欠状態、気温の上昇などが起こり、
不快を感じるようになってきた。歩道橋南側の階段下は夜店や海岸広場で花火を楽しむ観客により来
場者が降り立つ余地が極めて限られていたために歩道橋北側から流入してくる人数に比べて、歩道橋
南側から海岸に降りてゆく人数は極端に少なくなり、歩道橋の南に行くにしたがって、群集の密度が
高くなって行った。
(3) 午後7時45分の花火打ち上げ開始後は、花火が上がるたびに足を止めるためさらに群集の密
度
は高まっていき次第に息苦しくなりなった。子供をできるだけ高く抱いたり、鉄製手すりとポリカー
ボネイト板の間にいれたりして群集の圧力から逃れようとする者もいたがさらに圧力が増しその効果
もなくなり、手すり近くの親達は両腕をポリカーボネイト板に突いて必死に子供らを護っていた。花
火開始からさらに時間が経過すると花火が終わることへの焦りから駅側から会場に向かおうとする群
衆の圧力は一層増し、一方で花火打ち上げが終了する少し前頃から帰路につき階段を上がる群衆の動
きが起こり、1u当たり13人を超えていると推測される超過密状態となった。歩道橋南端付近の人は
多角的方向からの力で、数回揺れ、多くの人はつま先立ち、片足立ち、さらには両足が浮いたりする
人もいた。
(4) 歩道橋上の観客は、身動きもできない状況となり、110番通報をする者が続出したが通信混
雑
や電波状態による為か繋がり難かった。方々から怒鳴り声や子供達の泣き声が聞こえ、駅や海岸の方
向へ向かうものはお互いに「戻れ!」といいその声で騒然としてきていた。また、歩道橋南階段下付近
にいる警察官の姿をみて、一斉にポリカーボネイド板を叩き助けを求めたがこれに気付いてくれる警
察官は無く歩道橋上の観客らの意は通じなかった。
(5) 午後8時45分頃から同50分過ぎ頃にかけて、北から南にじわ〜っとした力が加わり、一部の
人
は失神し、一部の人は押さえ込まれる様に倒れ込む小規模な転倒が発生した。身長の低い者は押さえ
つけられ、高い者は浮き上がりぎみとなり斜めになりながら耐えていた。そのような状況で、何人も
の人の体重が加算され1m幅当たり約400kgの力がかかっているであろうひしめき合いのうち、斜めに
なりながら耐えていた人々はバランスを失い、飛ばされ、倒れこみ、絡み合い、折り重なり合って大
規模な転倒が発生した。
(6) 歩道橋南階段下に到着した機動隊員の一部は、階段にいる人を排除しながら歩道橋の階段を
登
り、エレベーター前で盾でバリケードを作るなどしていたところ大規模な転倒が起こり、負傷者など
の救出にとりかかった。他方、朝霧駅側から歩道橋に入った機動隊は、午後9時頃現場に到着し負傷
者などの救出活動にあたった。機動隊員や市職員、一般市民などによる救出活動、自力の脱出などに
よりようやくにして、押し合っていた群集の膠着状態は解消され、朝霧駅への帰路に就こうと歩道橋
に殺到していた群衆は歩道橋階段から降り、他の経路を取ることになった。
この事故に巻き込まれた人々は、そのほとんどは、事故の起こってゆく経過、発生した事故の実体や
程度、事故からの脱出について、それぞれ恐怖感を覚える体験をしている。
臨床のための薬物モニタリング、その他緊急な薬毒物分析に加え、薬物乱用のスクリ
ーニング、化学災害時の環境分析、ドーピング検査、法医解剖時の試料の分析などを
行っている。
試料のサンプリング法、分析方法、分析結果の報告方法、分析費用の受託方法など、
すべてが決められた手続きのもとで合理的に運営されている。分析件数は日によって
相違があるが、生体試料の分析は平均200件/日で、このうち重金属などの分析が20
〜30件、薬毒物分析が25〜35件、薬物モニタリングが65件程度である。
〈運営費と分析費用〉
運営費は、国からの支援と剖検などの収入や他の情報センターからの依頼のよる分析
受託の収入で賄われている。分析は有料で行われているが、すべて保険が適応される
ため、国が100%負担することになる。
〈分析項目〉
災害現場へ出かけて状況調査と分析試料のサンプリングを行う。分析の結果は、医療
機関、行政など関連機関に報告される。結果の信頼性を確保するために外部の分析機
関にサンプルを出して結果を確認し、必要があれば地域の専門家・疫学者・化学者な
どからアドバイスを受けられるようになっている。
化学災害の発生状況から後処理までの追跡調査を行って報告書を作成し、さらに、こ
れらの報告書や文献から化学物ごとに災害時のための情報提供資料を作成し、災害時
にFAXで提供している。
医師、消防、警察、行政、企業などの災害担当者の教育、災害シミュレーションによ
る訓練、濃度測定法の研修などの教育・訓練活動を定期的に行っている。
〈運営費〉
行政などから契約料が支払われている。
〈問い合わせ状況〉
医療関係者からの問い合わせが多く、事例としては一酸化炭素中毒が最も多かった。
センターが把握している情報を簡単にマスコミに公表したりせず、必要な場合に医療
機関や行政に提供しているため、行政や企業側からの信頼も厚く、確かな情報が集まっている。
集団災害は千差万別であり医療従事者はそれらに可及的円滑に対応しなければならない。そのための
訓練について述べている。
これに基づく訓練は各自治体などで毎年行われているがその多くはシナリオに沿って行われるもの
で、応用性に乏しく火災などには効果があるものの「進化する災害」に応用できない面も多い。
医療機関もそういった訓練に参加はしているがどこがリーダーシップを発揮するかという基本的なと
ころですら、存在しないか、あるいは地域によってまちまちであるということが問題である。大学で
あったり医師会であったり赤十字病院であったりする。またトリアージを中心に行われることが多い
が、どんな訓練が効果的なのか統一もとれていない。災害医学の専門家とも言うべき指導者的人材も
少ない。
そういった現実もふまえ、阪神大震災後に災害基点病院の整備が行われ、地域災害基点病院として
二次医療圏に1ヶ所以上、基幹災害拠点病院として各都道府県に概ね
1ヵ所指定されている。
研修を受けるにあったっての問題点は、それぞれが属する職域において、災害医療研修を受講する
ことの重要性が十分に認識されていないという点であり、今後は重要な業務としての正当な位置づけ
がさらに推進されることが望まれる。
1) 実地訓練
なんらかの災害を想定し、実際に動いてみることで指揮命令系統や各自の持ち場でのとる行動を確
認し、各組織間の連携を図り、また、災害時に用いる設備や器具に習熟することなどを目的としてい
る。同時的に多数の傷病者が搬入された時の対応訓練を行っている施設もある。
しかし、単一組織での小規模なものを除けば、実地訓練じゃ予算と周到な事前準備が必要で、自治
体などが主催する訓練に医療救護班として参加っすることが実際には多いと思われる。
2) 図上演習
集団災害は様々であり、それぞれに対応した実地訓練は容易ではない。よって、頻度の多い災害、
現実に起こった災害、万一に起これば重大な被害を生じる可能性の高い災害、対応が特殊である災害
などを想定し、まず図上演習を行うことが重要である。想定が自由にできるのが大きな特徴であり、
図上演習のありかたはさまざまである。
3) フィールド活動
国内外での集団災害被災地への応援訓練に参加して支援活動をすることは、援助のみならず、自ら
の経験の蓄積となる。広い意味で訓練に位置付けられるのはそのためである。実際、集団災害医療に
おける指導者の多くはこういったフィールド活動の経験者である。
国内では各自治体や民間非営利組織(NPO)が被災地に対して支援活動を行っており、立場や経
験に応じて参加できる。国際的には、日本政府は国際緊急援助隊医療チームを作っている。アジア医
師連絡協議会(AMDA)などの国内のNPOや、国境なき医師団(MSF)などの世界的なNPO
に参加することもできる。また各国の赤十字を通じて一定の研修を受講し、赤十字国際委員会(IC
RC)や赤十字赤新月社国際連盟(IFRC)の活動に参加する機会を得ることも可能である。
集団災害医療の訓練で最も強調されるべきは机上訓練であり、千差万別の災害に対応する能力の向上
に必須である。
平成8年5月10日、災害拠点病院体制が厚生省の通達に基づき始まった。ここでは、災害拠点病院に対するアンケート結果を中心に現状を報告する。
平成11、12年度のアンケート結果に基づく。
平成11年度:発送数 517、回答数 387、回答率 75%
2.アンケート結果
今後も種々の災害医療が起こりうることを想定すると、災害医療体制の経時的な評価は時に重要と考えられる。
災害と PHC
(今井家子、山本保博ほか監修、国際看護交流協会災害看護研修運営委員会・編:国際災害看護マ
ニュアル、真興交易医書出版部、東京、2002、p.110-26)はじめに
プライマーヘルスの歴史と概念、およびアルマアタ宣言について
被災民の保健医療ニーズに対する健康調査
第1部 事故原因の調査及び判断
(第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書
2002年1月、p.33-41)
第6章 事故当日の会場の状況と推移第1節 会場の配置
第2節 歩道橋周辺における混雑状況
第3節 歩道橋上における混雑状況
イギリスの薬毒物分析センターと化学災害対応センターの実態
(黒木由美子、中毒研究 12: 321-6, 1999)【日本の薬毒物分析の現状】
【イギリスの薬毒物分析施設】
【ロンドン中毒情報センター】
【薬毒物分析センター】
【化学災害対応センター】
【日本の展望】
災害対策 2.訓練
(井上徹英:山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、p.150-6)A.災害対策基本法
B.基礎知識の修得
C.実地訓練
災害拠点病院の立場から
(原口義座、救急医学 26: 153-8, 2002)【災害拠点病院からみた現状と問題点】
平成12年度:発送数 517、回答数 282、回答率 55%
【まとめ】