/ こだまの(旧)世界 / 読み物 / こだま美術館 / ゲソダイ哲学リンク集 / weakly news / web diaries / このサイトの検索 / indexにもどる

KODAMA'S (NEW) WORLD

大拙にとっても禅は思想ではない。 あるとき大拙は目の前のテーブルをガタガタ動かして、 「禅とはこういうもんだ」と言ったという。 そしてこのガタガタが、居合わせた西田幾太郎に直接響いたという。 禅はこれで尽きていると言うこともできるであろう。

---上田閑照 (鈴木大拙『東洋的な見方』解説より)


昨日 / 明日 / 2016年9月 / 最新 / はてな

この日の出来事


29/Sep/2016 (Thursday)

夜中

定時起床。朝食、朝刊、シャワー。

朝、急いで娘を保育園に送り、それから自転車で大学へ。

午前中はメールの返事と雑用。お昼すぎまで某原稿書き。

お昼すぎ、某君に手伝ってもらっていろいろ仕事。某郵便局にも行く。

昼下がり、吉田南でMOOC関連の某会議

夕方、研究室に戻ってきて少し雑用をしたあと、自転車で某府警へ。 いろいろ相談。

夜、帰宅して夕食。そのあと、娘と少しだけ散歩。ポケモンGoをする。

夜中、娘とシャワー。もう寝るべし。


29/Sep/2013 (Sunday/dimanche/Sonntag)

某講義、帰洛など

今日は新宿の某大学病院にて講義をしてから帰洛。一日は短い。

朝、少し遅めに起床。シャワー、朝食。それからチェックアウトの時間まで雑 用。某原稿の提出など。ホテルは広い部屋だったので快適だった。晴れ。

お昼まで本三の喫茶店で時間を潰したあと、地下鉄で都庁近辺に移動。某大学 病院へ。お昼は弁当。

お昼すぎ、某講義。それなり。夕方まで。某氏に会う。

夕方、東京駅に移動し、寿司を買って新幹線。緑の車両に乗る。新横浜を過ぎ たあたりから名古屋までぐっすり寝てしまう。まもなく京都着。

夜中に帰宅後、娘と風呂に入り、しばらく娘の相手。それから寝かしつけ。な かなか寝ず。

今週から後期。がんばろう。


29/Sep/2012 (Saturday/samedi/Sonnabend)

神保町で研究会など

酒が入っていたのと、娘が早起きしたのとで、少し早めに起床。髭剃り、シリ アル、朝食、朝刊。

午前中、娘を連れて公園に行ったり、散髪に行ったり。

お昼前に本三へ。酸辣麺を食べたあと、研究室に行き、いろいろ雑用や掃除な ど。プールでも30分ほど泳ぐ。先日もらった水泳用ヘッドフォンをしていった ら、すぐに注意されて外させられた。機械の持ち込みは禁止だそうだ。

夕方、神保町で某研究会に参加。勉強になった。

夜、神楽坂で飲み会。夜中まで。終了後、急いで帰宅。

真夜中、シャワー。もう寝よう。

明日は台風だそうだ。


29/Sep/2011 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

昨晩、『英国王のスピーチ』をDVDで見る。 吃音症のあった英国王ジョージ6世の実話にもとづく映画とのこと。 第二次世界大戦前夜の国際情勢や、 チェンバレンやチャーチルやエリザベス王妃(後のQueen Mother)など、 歴史の勉強にもなっておもしろかった。 話がとんとんと進むのはよいが、長い話を無理に縮めているような感じで、 幼児期の体験を含めた吃音症治療の話など、少し物足りない感じがした。 内容もちょっと文科省推薦的な感じで、もうちょっと痛烈なジョークなどが あればおもしろかっただろう(コリン・ファースがFワードを連発するので、 最初は英国ではR-15指定があったそうだが)。B

定時起床。ゴミだし、ひげ剃り、シリアル。 今日も娘を保育園に送ってから、地下鉄で本三に移動し、 喫茶店で考えごと。少しゴドウィンの勉強をする。 お昼は某ラーメン屋で早めに済ませる。

お昼から昼下がりまで研究室で雑用。それからしばらく某院生と某翻訳作業。

夕方、某先生といろいろ相談。そのあと、某氏とも少し相談。

夜、少し某翻訳を進めてから、六本木に移動。某友人と飲む。

真夜中に帰宅。店を出るのが遅くなり、地下鉄では神保町までしか 戻ることができず。神保町から千石まで走ったり歩いたりして帰宅。 山手線だったら巣鴨に出られたようだ。


29/Sep/2010 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

少し早めに起床。シャワー、朝食。大学に行く前に少しソファで寝る。

少し遅めに出勤。午前中は某研究会。お昼、某ランチョン・セミナー。 DBSの話とか。おもしろい。

お昼すぎ、某氏に研究室で無線LANが使えるようにしてもらう。 これまでは電波が弱くて使いにくかったので。

昼下がりは雑用。あまり集中できず。夕方、本三の某喫茶店で一服。

夜、某ジムで筋トレ。よく汗をかく。ひさしぶりで疲れた。

帰宅して夕食。そのあと、雑用と新聞。

真夜中、二階の勉強部屋で某氏の原稿にコメントする作業。

こちらにも転記しておこう。

Transcribe Bentham

現在、Wikipediaのようなクラウドソーシング(Crowd sourcing)という手法を 使って、ベンタムの膨大な手書き草稿を電子データ化してしまおうという試み (Transcribe Bentham)が英国で行われている。 それがデジタルヒューマニティーズの領域でも注目されており、 今年の学会の基調講演で取り上げられた。

縁とは恐ろしいもので、知り合いのデジタルヒューマニティーズの専門家の某 氏に頼まれて、その基調講演をこの夏にわたしが訳すことになり、 本日、人文情報学研究所のウェブサイトに アップされたので宣伝しておこう(翻訳はここ)。 大学関係者であれば、ベンタムに関心のない人でもおもしろい話なので、一読 に値する。明らかな誤訳があったらおまえら教えてください。


29/Sep/2009 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

朝、少し遅めに起床。髭剃り、朝食。

定時出勤(少し遅刻)。午前中は雑用。忘れものをしたので、 某妻に届けてもらう。さんくす。

お昼から昼下がりまで、某先生らと某相談。日課。

昼下がり、某研究会。科学コミュニケーションとかジャーナリズムとか。

夕方、某ミーティング。粛々と。

日が暮れたころ、ちょっと研究室で寝袋。書籍部で週刊アスキーを買ってから帰宅。

夜、夕食、新聞。夜中、少しソファで寝る。

真夜中、功利主義アワー。一息ついたが、まだまだ。

少しWiiをして汗を流してからシャワー。

本当に毎日、淡々と日課をこなす日々だな。 日課をこなすことを通して、少しずつ(でも)成長しなければ。


29/Sep/2008 (Monday/lundi/Montag)

真夜中

朝、少し遅目に起床。雨。シャワー、朝食。地下鉄で大学へ。定時出勤。

朝から引越しの運搬作業。何もすることがないので廊下で新聞を読んだり、 すでに引越しが済んでいる某氏らの部屋に御邪魔したり。 やたらと寒いので体調を崩すのではないかと心配になる。

お昼は某氏とカレー。

昼下がりに引越しが一段落したので、先に失礼することにして、 ジムのプールへ。平泳ぎの練習。

そのあと、雨の中えんえんと歩いて白山の某皮膚科へ。 2分診療で薬だけもらってくる。それからまた歩いて日が暮れるころに帰宅。 よく濡れた。

夜、夕食。夕刊を読んでからソファで死んだように寝る。 しばらく二階の勉強部屋でいろいろしたあと、食器を洗う。 それからまた二階の勉強部屋でメールの返事などいろいろ。 今日は勉強しなかった。低調な一日。


29/Sep/2007 (Saturday/samedi/Sonnabend)

お昼前

昨晩は某妻とモンティ・パイソンを少し見てから就寝。 朝、ゴミ出し。昨日と打って変わって、とても涼しくなっている。

その後、つい二度寝。朝遅くに起きてシリアル、新聞。

今日は和訳の仕事をしなければ。

真夜中

雨。お昼ごろに某妻と一緒に家を出て、電車を乗り継いで鎌倉へ。 昼食は、途中の横浜駅近辺でと思ったが、どこも混んでいたのであきらめる。 鎌倉について小町通りを一本入ったところにあったうどん屋で食事をしたが、 素人がやっている店らしく、ひどい目にあう。

鶴岡八幡宮にある近代美術館で某展覧会を見る。 某妻の祖父の知り合いの建築家とかなんとかで、 例の星一の星製薬学校や後藤新平の家も設計しているそうだ。 昔の東京はみんな知り合い同士だったんだな。

修理が終わった鶴岡八幡宮を冷やかし、鎌倉駅前の喫茶店で一服してから 鎌倉を後にする。 帰りは池袋までよく寝たあと、巣鴨で某妻と別れ、 喫茶店で鈴木大拙の本を読んでから帰宅。 なぜか非常に眠かったので、夕食後、1時間ほど寝て、 夜中に某妻の論文の相談を受ける。それから某翻訳を始める。

今は焼酎のお湯割りを飲みながら勉強中。もうしばらく翻訳しよう。


29/Sep/2006 (Friday/vendredi/Freitag)

早朝

日本酒をよく飲んだせいか、早く目覚める。仕事しよう。

げ、Bentham Projectがフランス語のジャーナル(REVUE D'ETUDES BENTHAMIENNES) を発行しだした。 これは本格的にフランス語をやる必要が出てきたな。

さて、図書館に行って勉強すべし。

メモ。環境に適応できない人、しすぎる人。 人々は各人なりの戦略(格律)を持って現在の環境を生き、 自分により適した次の環境へと移っていく。

真夜中

今日のこと。

真夜中2

眠かったがなんとか某翻訳の推敲を終えてメールにて発送。 これで明日〆切の仕事はあと一つ。がんばれ。

今日のニュース


29/Sep/2005 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

夕方

お昼前に起きて、大学へ。同僚の某氏と湯島でラーメンを食べたあと、 一緒に霞ヶ関に行き、 臓器移植委員会の傍聴をする。 生体臓器移植やドナーカードの話など。勉強になった。

昼下がりに研究室に戻ってきて雑用。

Philosophy Talk: Global Poverty and International Aid。 シンガーがラジオ出演してる。某氏に教えていただく。

夜、同僚の某氏とイタメシ屋で食事をしながら人生相談。

今週は、なんのために研究者をやるのかとか、優れた研究って何なのかとか、 いろいろなところでそういう話ばかりしている気がする (というか、去年もそんな話を書いている)。 研究、とくに人文系の研究というのは、苦労しても報われることもすくないし、 周りからも理解されないし、自分でも冷静に考えると何をやっているか わからないし…、いや、投げやりな書き方をしないでもうちょっと考えてみよう。

  1. あなたはどういう研究をしているのですか。
  2. あなたの研究の社会的意義は何ですか。
  3. あなたの研究分野で、優れた業績というのはどうやって測定されるのですか。
  4. 優れた研究をすることに対する、なんらかのインセンティブはありますか。
  5. あなたの研究分野で、どういう競争がありますか。
  6. あなたは、自分の研究が好きですか。
  1. (1)功利主義の思想史的研究と、 (2)生命倫理における功利主義的なアプローチ、です。
  2. 通常、どうしようもないと言われている功利主義を、 規範理論として立派なものと考えてもらえるように努力しています。 それが現代の倫理的問題の解決の一助になればと思っています。
  3. 学会誌に採用されるかどうか、学振や科研費に採用されるかどうか などですが、ロシアン・ルーレット的な要素も強い気がします。
  4. 研究自体の楽しさ。財政的には、一般的に、 学生時代は学振と就職、就職すると科研費とCOE、および出世でしょうか。 あまり実感はありませんが。名誉なんてのもあるのかもしれません。 あまり実感はありませんが。
  5. あんまりないようです。科研費とかでしょうか。
  6. 基本的に好きですが、誇りを持っているとまでは言えないかもしれません。

なんてことを書いてないで、仕事仕事。

真夜中

ようやく原稿に向かい始めたが、逃避したい欲求に駆られる。いかん、がんばれ。

真夜中2

なんだか気分がどんよりしてきたので、帰宅。ニュースを見たら寝よう。

今日のニュース


29/Sep/2004 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中 (午前)

十五夜。論文が書けなくて苦しむ。 ライターズ・ブロック。 というか、知らないことは書けないということだろう。 あるいは、〆切がまだ少し先なので、モチベーションが上がらないのか。

まわりにはすらすらと論文を書いている(ように見える)人がたくさんいる。 いったいどういうことなのか。どうすればそうなれるのだろうか。 やはり体を鍛えるように脳(あるいは性根)も鍛えなければならないということか。

しかし、書きたくて書きたくて仕方がないという猛烈な欲求がない。 知らないうちに興味のないテーマを書くはめになっているということか。 「天の下、新しいものは何もなし」という気もする。 そう思うのはリサーチが不足しているからに他ならない。う〜ん。

続きはちょっと寝てから考えるか。

うわ、これって某ジムもやばいんじゃないのか。 音楽CDでレッスンのダンス教室「著作権侵害」最高裁(asahi.com)。

夜中

今日のこと。

某先生からメールがあり、来年の某学会のシンポジウムで話さないかとのこと。 仕事を頼まれるのはうれしいが、今年のシンポでも恥をかきそうなのに、 来年も力量に合わないことをやるのはちょっとなあと思って、 辞退しようと思ったが、なかなか断る理由を書くのが難しく、 けっきょく引き受けることになりそうだ。

「時間がない」と書くと、まあ忙しいのはお互いさまだという考えが頭をよぎるし、 「力量が足りないのでまた次回」と書くと、いつまで経ってもたいして力量が 足りるようにはならないと思われるので、結局次回はないという考えが頭をよぎる。 まあ全部断って見捨てられるのも、 断らずに恥ずかしい発表を続けて見捨てられるのもどっちもどっちだが。 むしろ、自分を追い詰めて仕事をした方が良い気がする。

某氏からおもしろい話を聞く。 ここにいると、何やら政治めいた話がよく出てくる。 行政や製薬会社とも近いしな。 政治性も身に付けるようにしたい。 まずは自分の日々の仕事をこなすことだが、 将来のヴィジョンも描けるようにならないと。

政治と言えば、学長選があり、前学長は再選されなかったようだ。

真夜中

某論文。やっと「はじめに」が書けた。がんばれ。


29/Sep/2003 (Monday/lundi/Montag)

真夜中 (午前)

ちょっとソクラテスの勉強など。

最初にかれ[人間]がやったのは、自分自身の人格性の諸要素を 外的事物に投映することだった。 それからギリシア人の想像力がそれらの要素をおし拡げて、 完全に人間的な個性を有する擬人的神々をつくりあげた。 だがギリシア人の知性は、遅かれ早かれ、そのような神々が実在しない ことを発見しなければならなかった。 かくして神話は自分自身を追い越して、 精神的世界が存在するということそのことを信じがたいものにした。
自然学がひきだした結論は、精神界というものが間違った仕方で考えられていた ということではなくて、そんなものは存在しない、原子から構成される可触的 物体以外はなにひとつ真実に在るのではないというものだった。 そこに残された成果は、哲学者たちが唯物論と呼び、 宗教家たちが無神論と呼ぶ教説だった。
ソクラテス哲学は自然学のこのような唯物論的動向に対する反抗なのである。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、43頁

この話は、 ブラックバーンの投射説とマクダウエルらの実在論による批判とパラレル のように思う。もちろん、 ブラックバーンは道徳についての唯物論的理解をするわけではないが。 投射説の立場に立つイオニアの自然学者たちは、 いわば「反神話的英雄実在論(無神論)」から「反精神実在論(唯物論)」 にまで行ってしまったので、 ソクラテスはその傾向に反抗した、というわけだ。

早朝

早寝早起き。どうもよく寝れない。

秋晴れ。某ドトールで昨日の産経新聞を読む。 正論で、《個の自由の尊重が放縦につながっている》という、 いわゆる戦後民主主義の悪弊についていつも通り批判されていたが、 社会道徳を批判的に検討し、道徳的自律を説いたソクラテスもミルも そんなことはわかっている。

確かに、「あなた自身の眼で見て正しいことを行いなさい」 と言うのは危険である。それを聞く人々のなかには、 「したいようにすればよい」と言われているのだと早合点する者、 そして「しかしまず、何が本当に善いのかということをあなたの眼が 完全な明晰さで見ているかどうかを確かめなさい」という決定的に 重要な留保条件を理解しない者もいるだろうからだ。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、70頁

また、(加藤尚武流にパラフレーズすると) 日本人は「他人に迷惑をかけてはいけない」という完全義務だけを守り、 「他人に親切にする」や「公に尽くす」 などの不完全義務を忘れているという批判もあったが、 これもミルらの自由主義者が意図したことではない。 これらの不完全義務は推奨され、しなければ非難もされるかもしれないが、 けっして強制されてはならない、というのが自由主義的な立場だろう。

とはいえ、功利主義的には、少々の犠牲で他人に(あるいは自分に) 大きな利益を生み出すことが できる場合には、不完全義務を強制してもよいということになるので (たとえば社会福祉のための税金、ヘルメットの着用義務)、 このあたりが難しいのだが…。

ソフィストとしての応用倫理学者

(以下、藤沢令夫訳の『プロタゴラス』(岩波文庫、17-21頁)を下敷きにしてあります)

(ソクラテス) 「そこでもし誰かが、こう君にたずねたとしたら? 『それでは、君自身は何になろうというつもりで、 (応用倫理学者の)ヒサタケスのところへ行くのか』」

すると彼(サトシデス)は、顔をあからめて答えた。

(サトシデス) 「先のいろいろな例(=医者に報酬を払って教えてもらうのは、医者になるためであり、 彫刻家に同様にするのは、彫刻家になるため、など)にならうとすれば、 明らかに、応用倫理学者になるためということになるでしょうね」

「だが、君としては、神々に誓って、 自分が人々の前に応用倫理学者として現れることに、気がひけはしないだろうか」

「ほんとうのところはそうなのです、ソクラテス。 ---心に思うことをそのまま打ち明けなければならないとすれば」

(中略)

「ひとつ、言ってみてくれたまえ。 君の考えでは応用倫理学者とは何ものなのかね」

「私の承知しているところでは、応用倫理学者とは、 まさに読んで字のごとく、応用倫理について知っている人にほかなりません」

(中略)

「応用倫理学者がひとを倫理に秀でた者にするというのは、 いったい何についての倫理なのか。 たとえば、竪琴の先生は、 自分が知識を授けるまさにその事柄、 すなわち琴のひき方について、ひとを上手に話せるようにするはずだ。 そうだろう?」

「ええ」

「よろしい。では応用倫理学者とは、 何について人を倫理に秀でた者にするのだろうか」

「むろんそれは、自分がひとに知識を授けるまさにその事柄についてでしょう」

「ちがいないだろうね。では、その事柄とはいったい何なのだろうか。 応用倫理学者が自分でも知識をもち、弟子にも知識を授けるのは、 何についてなのだろうか」

「正直のところ、これ以上は何も言うことができません」

お昼前

そういえば、 一昨日京都に行ったときに見かけた市営地下鉄の看板。 教会でも寺でもないのに、さりげなく黄金律を説くところがすごい。

日倫のためのホテルを予約。 うえ、初日も朝9時半から始まるのか。 こりゃたいへんだな。

昼下がり

お昼に郵便局に行き、年金保険料を払ってくる。 ついでに近くのスーパーで買物もする。

お昼はゴーヤとサツマイモ。

ちょっと家計簿を整理する。 なぜ毎月もらった給料がきれいに消えてしまうのかを分析しようと試みたが、 よくわからなかった。大いなる謎だ。

夕方から夜まで某スタバで勉強。新聞も読む。

応用倫理学に対するアリストテレス的なアプローチ

どのような分野の思索においても、 自分の研究主題にせまってゆくのに、 哲学者ならびにまた一般の人々によって承認されている見解から 出発するのがアリストテレスに特徴的なやりかただ。 ある箇所でかれは、 一般に信じられている事柄や、 際立った思考力の持ち主が断言して事柄すべてを無視するようでは、 よりよきものに達する望みなどとうてい叶わぬだろうと述べている。 (…)。 いずれにせよ、常識はいつでも実際的経験との密接な関係のうちにある。 常識的信念は、たとえどんなに見当はずれで混乱していようと、 真実についての何らかの把握を含んでいるらしく、 批判によってその真実を漉し出し、 論理的で首尾一貫した形に鍛え直すことができるのである。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、119頁

完全なる女性についてのアリストテレスの説明

彼女は自分自身は動かされずに動きを引き起こす(=愛することなくして愛される) 何者かでなければならない。…。 彼女の活動はおよそ考えうる最高の性質のもの、 すなわち永遠の自己観想(=鏡で自己の姿を見ること)の生でなければならない。 なぜなら彼女が観想するにふさわしい唯一の対象はといえば、 それは彼女自身でなければならないからである。 彼女は完全であるから何ものも欲しない。 だが完全であるがゆえに、 彼女はこの世界全体の欲求の対象であり、 そのようにして、回転する諸天球の自然的運動と、 そして月下の領域においてはそれぞれ自己の現実化へと向かうあらゆる種類の 男女との究極原因なのである。…。 彼女の思考活動は観想的であって、実践的なものではない。 自己のうちで充足していて、行為へと流出することはない。 彼女は世界に対して働きかけることはなく、 世界についての知識すら持たない。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、131-3頁
(ただし、原文の神を彼女に変え、適宜本文を修正した)

なぜこのような女性が存在していなければならないのかというと、 人生は無目的ではありえず、 あらゆる人間は究極目的を実現すべく生きているのであり、 彼女こそがその究極目的だからだ(彼女は万物の究極目的でもある)。 すなわち、 われわれ不完全な男性にとっては、 彼女と結婚するのを究極目的として生き、 また不完全な女性にとっては、彼女のようになるのを目的として生きているのだ。

駅前でパスタを食べてから帰宅。

帰宅すると、部屋に大きなゴキブリがいて、凍りつく。 引越してきて、一匹も見ていなかったので油断していた。 Oh no, not in my room!

新聞を丸め、10分ほど大騒動を起こしてから、 ようやく仕留める。慣れていないので、 ゴキブリが飛び出したときは死ぬかと思った。 やはりアリストテレスが言うとおり、徳を身につけるには慣れが大切だ。

ゴキブリは狂産党員と同じで一匹いると十匹はいると言うから、 今後も気をつけなくてはいけない。 台所をもっと頻繁に掃除するように心掛けよう。

夜中

風呂に入ったあとも、まだゴキブリを仕留めた衝撃のせいで呆然としている。

今日の産経にある、 東京女子大教授(深層心理学専攻)の林道義氏による、 「男女密着教育」に関するコメント。 思春期の男女(といっても小学生高学年の生徒のことだが) は適切な距離を取ることを教えられるべきなのに、 フェミニストのイデオロギーによって密着教育をさせられている結果、 「子供は混乱したり、フリーセックスへの歯止めをなくしてしまう」 恐れがあると言う。

続けて、「とくに女の子は、男子と密着することに対する本能的 感覚的な恐れや嫌悪感を持っている。 これは哺乳動物のメスに共通の、望まない妊娠を避ける本能的仕組みである。 もちろん人間も動物の一種として、同じ心理的仕組みを持っている」 と述べている。この「メスの本能」というだけでも十分怪しいし、 何より男性が独断的に言うべき事柄ではないと思うのだが、 さらに続けて、 「これを無理矢理なくそうとする教育は、健全な感覚を狂わせ、 せっかく生得的に持っている防衛本能を消去する働きをする」 と述べている。教育によって消すことができる「本能」とはいったい何なのか。 そして、教育に影響を受けるとすれば、 なぜそのような「本能」がもともとあることがわかるのだろうか (アヴァロンの野生児じゃあるまいし)。

さらに、この人は「イデオロギー」を定義することなく、 「フェミニストはイデオロギーに導かれているので」などと書いているが、 どういう意味で使っているのだろうか。

また、「男女密着教育」と言うが、 その中には文字通り男女の身体的ふれ合いを行なうものから、 性教育のビデオを男女一緒に見せるものまで含まれている。 男女が一緒にビデオを見るのは別に密着しているわけではないので、 この「密着」というのはなんともいやらしい使い方だ。

以上、別にフェミニズムに肩入れするわけでもないし、 「密着教育」なるものに賛成するわけでもないが、 読んでて変に思ったのでメモ。 こういう感情を逆なでにしてくれるところが産経の良いところだ。

ついでに、今日の産経抄は、昨日の正論の 《個を尊重すると言いつつ、個人の放縦に見て見ぬふりをする戦後民主主義》 という主張を受けて、次のように述べている。 「東京慈恵医大・青戸病院の手術ミスも、 その『個』の尊重教育の弊害のあらわれだったのだろう」。 これは完全に「これの後に起こったがゆえに、これによって引き起こされた」 (post hoc, ergo propter hoc)な議論だ。 こんな話が通れば、なんでも戦後教育のせいにできてしまう。 さらに、電車の中で兵器で化粧をする女性も、こういう戦後教育のせいにしたあとで、 「車中でせっせと壁ぬりをしたり、 一心不乱にアイシャドーをする女性に決して美人はいない。これは例外がない」 などとまったく無関係な女性差別的発言をする。何を考えているんだっ。

と、別にオレが怒ることでもないのだが、いちおうメモ。

真夜中

今日は新聞を読み、日記を書くだけで一日が終わってしまった。 某〆切が迫っているのだが。


29/Sep/2002 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中 (午前)

あかん、もう明日授業やがな。

真夜中2 (午前)

ちょっと勉強。明日の準備もせねば。やばい。

あ、冷汗が出てきた。

夜明け前

メモ: 人工呼吸装置を停止することによる消極的安楽死を望んだMs Bの判決の中には、 明らかに「生命の質」に言及している部分がある(Keown 2002, JME 239)。 以前のシャム双生児の事件では生命の神聖さの原則が重視されていたが、 やはり神聖さか質かというのは揺れているようだ。

昼下がり

さきほど起きる。夜更しはいけない。

ごはんと梅ぼし。

今日は日中国交正常化30周年にあたるらしい。

昼下がり2

新聞、シャワー。

ロシアで国勢調査が行なわれているらしいが、 網羅的なものを作成するために、 宇宙ステーションにいる二人のロシア人にも記入用紙を送ったそうだ。

夕方

某スタバは混雑していることが予想されたので、 北山通りを西へ行き、とあるケーキ屋で一時間ほど新聞を読む。 いったん下宿に戻ってきたが、今度は某所でタコ焼きを食べながら 某原稿を書く予定。逃避禁止。

某所でタコ焼きを食べ、さらに某スタバでコーヒーを飲みながら勉強。 すこしはかどる。買物をしてから下宿へ。

しかし、明日明後日の授業のために無理をすると病に倒れそうなので、 ちゃんと睡眠と食事を取るようにしよう。

真夜中

やっと某ニューズレターの記事が書けた。 ただし、途中から頭がボーっとした状態で書いていたので、 校正の必要大いにあり。

さて、食事をしたら授業の準備をせねば。やばい。

机に向かっている時間…10.5hr
今日の勉強時間…6.0hr
マルクス係数…0


29/Sep/2001 (Saturday/samedi/Sonnabend)

夕方

勉強中。ようやく一段落ついた気がする。

昼はかけうどん。

そういえば、昨日自分で髪の毛を切って失敗した。 こういうところでケチってはいけないことを再び悟る。


29/Sep/2000 (Friday/vendredi/Freitag)

Surprised to hear that the parents of that Siamese twins have decided not to pursue their appeals, which means there is going to be an operation to separate the twins.

Someone has told me that the court should not intervene the parents' decision any more than it should in the case of abortion. This sounds plausible, so long as we think babies have the same moral and legal status as foetuses. But some may argue babies and foetuses are different things, in that terminating the life of babies is considered as killing whereas terminating that of foetuses is not considered as such, at least in some of the developed countries (of course there are many people who think this distinction doesn't hold). So they would say this case is more like whether parents have the right to decide to kill their children, rather than whether they have the right to have abortion.

I suppose that there are a few things which parents shouldn't be allowed to decide by themselves for their children. But it's an extremely interesting and difficult question where to draw the line. I really don't know the answer.


Been to the British Library and learned a bit about English Literature.


09/29/99 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

記載なし。


09/29/98(Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

昨日は夜に下宿に戻って夕ごはん。 大根と玉葱のみそ汁。 かぼちゃの煮付け(おいしかった)。 トマトとサニーレタスのサラダ。 茄子のバター炒め。 納豆。など。 食後にアイス。

それからしばらく勉強した後、科哲の予習をして、 遅刻せずに授業に出るために、大学へ。


科哲の予習。ライヘンバッハ。 なるべく早く終わって、少し寝てから、スコフィールドの翻訳の続きをしたい。


夜明け

眠い。


椅子(3つ)で寝る。


お昼

科哲の授業終わり。研究室で復習をしていると、 正装した某先輩が、 某ご両親を連れていらっしゃる。 博士学位の授与式が、某所であったらしい。 おめでとうございます。

科哲のレポートの評価。 まとめる才能ないなあ。 いや、それよりもまず理解力が足りないのか。


昼下がり

某助教授の授業に出席。 国民国家についての話。

科哲の某氏に、ドイツみやげをもらう。感謝。


夕方

第二演習終わり。 某君のシェリングの自由と悪の問題について。


スコフィールドの翻訳の推敲、 とりあえず終わり。 もう一度目を通してから、 謝辞などを書けば完成のはず。 なんとか今日中に終えて、 明日からは修論の演習発表用のレジメを書きたい。


某所で餃子定食。 その後ちょっとゲーセンへ。

眠たい。シャワーを浴びたい。 しかし勉強しなければ。 「したい」と「しなければ」の絶えまなき衝突(葛藤)。


09/22/97(Monday/lundi/Montag)

・昼下がり・

・あれ、どんどん日付が更新されて行くぞ?なんか一日がやたらと短くないか?

・それはともかく、昨夜はふと下宿の近辺を探検したくなったので、自転車で あてもなく西へ行ったり東へ行ったりしてみた。うむ、なるほど、こういう位 置関係にあるわけだな、などと一人で納得。また、近くのビデオ屋に倫理学専 攻の3回生さ○きくんがバイトしていることも発見。近々入会するかも。

・今日は授業がないので昼前までぐっすり睡眠。ルネ(京大生協の一つ)で以下 の本をつい買ってしまう。お金ないのに…。


・『方法序説』を第三部まで読む。すべての哲学書がこの位短ければ良いのだ けれど…。


・夕方・

・今度ベンタム・メイリングリストで新しく読書会を始める予定。興味ある人 は ここを読むべし。興味のない人もできれば読むべし。


9/29/96

記載なし。


Satoshi KODAMA
email: satoshikodama-tky[at]umin.ac.jp
All rights undeserved.
Last modified: Sun Oct 2 18:04:01 JST 2016