こだまの(新)世界 / 文学のお話

ロバート・A・ハインライン、『栄光の道』


書誌学的情報: Robert A. Heinlein, Glory Road, 1963.
ハヤカワ文庫の初版は1979年、翻訳は矢野徹。訳はよい。


内容

《あなたは臆病者ですか? ではあなたには用はありません。 われわれは勇敢な男性を必要としているのです。 あらゆる武器に熟達、 不撓不屈の勇気、 顔形はハンサムなこと。 永久雇傭、 非常に高給、 輝く冒険、 大きな危険!》 ふと手にした新聞にこんな広告が載っていたとしたら、 あなたならどうしますか? バカバカしいと放りなげる? それとも……。 そう、われらが主人公オスカー・ゴードンは、 この広告に応募したのである! そして時空を超える冒険の旅へ ----栄光の道へと旅立ったのだ、 右手には剣を、 左手には 〈二十の宇宙〉 をあまねく支配する絶世の美女アスターを伴って……
(裏表紙から引用)


感想

前半は古今の英雄潭のパターンを踏襲したような、 典型的な冒険活劇。 実際、ハインライン自身、いろいろの冒険小説を読み漁っているのだろう。 ごく普通の(むしろやや貧しい階級に属する)アメリカ市民であった主人公ゴードンは、 徴兵から逃れようとして大学を目指していたが、 結局うまくいかず、ヴェトナムで苦しい兵役を体験する。 そして除隊後、ひょんなことから、 魔法使いの美女アスターと 口が悪いが忠実な下僕ルーフォを伴なって、 敵に奪い去られた《知恵の卵》 を取り戻す旅に出る…。 ここまでは小学校低学年でも喜びそうな内容だ。 ハインラインも、 バロウズの火星シリーズが好きな人向けに書いたのだろう。

しかし、それで終わらないのが、 ハインラインとバロウズの違いだろう。 後半は内容が一転する。 主人公は、冒険が終わると、 アスターは実は大帝国の女王であり、 しかも孫までいる百歳を下らない女性であることを知らされる。 主人公は別の世界における性に関する考え方の違いを理解するのに苦しむ。

また、冒険の終わった後の、 理想郷とも言うべき《センター》での生活は、 何不自由なく、 以前のアメリカでの生活とは雲泥の差であるが、 反面まったく無為であり、 彼は自分が女王のひもでしかないと感じる。 いったいどうやって生きればいいのか? 主人公は人生の目的を見出すために再びアメリカへと戻っていく…。 (ん? そんなにたいした内容じゃないって? いや、要約するとあれだけど、実際はなかなかおもしろいんだってば)

ハインラインのいつもながらのユーモアのあるセリフは楽しめた。 いろいろな小説からの引用があるので、全部理解できたわけではないが。

しかし、女性はいつものように型にはまっていて魅力的とはいえない。 今回の美女アスターも、 『ヨブ』(こちらの方が後に書かれているが)のヒロインと見分けがつかないぐらい、 性格が同じ。主人公も『夏への扉』の主人公とうり二つだし。 ま、これはハインラインに対するいつもの不満。

冒険活劇が好きな人、将来に悩んでいる若者におすすめかも知れない。


名セリフ

スター「つまりね、売春行為って、地球の人々によって発明されたものらしいの。 …。
どんな商品でも必ず売られ……買われ、 売られ、賃借され、交換され、引き取られ、割引きされ、 値段を安定させられ、値段を釣り上げられ、 密売され、そして法律を制定されたのです…… もっとも素朴だった時代に地球上で呼ばれていたとおり、 女性の"商品"も例外ではありません。 ただひとつ驚くことは、 それを商品と考える乱暴な観念ね。…。
売春行為は、ほかの場所では知られていないだけでなく、 その変型も知られていません…… 持参金、花嫁買取代金、離婚手当、別居手当、 あらゆる地球の制度を特色づけているすべてのバリエーション……」 (188-189頁)

スター「あたしは、かれらの間違いを経験しなければいけないのよ ……間違いこそ、 学ぶための唯一の確かな方法だわ」(322頁)

スター「男の人はときどき、合理的に私利私欲から行動するわ」
ゴードン「理由は、かれらの祖先の半分が女性だからさ」(365-366頁)

ルーフォ「民主主義はうまくいかないよ。 数学者、百姓、動物、 それがそこにいるすべてだ。 だから、 民主主義、 つまり数学者と百姓が平等だという仮定に基礎をおく理論は、 うまくいくはずがない。 知恵は足し算でふえてゆくものじゃあないからな。 その最高点は、ひとつのグループの中で最も賢い人間の知恵だ。
でも、民主主義の政府がうまくいかないうちはいいんだ。 どんな社会組織も、 もし厳格でなければうまくいくものでね。 ひとりの人間が、大勢の中で自分の天才を示すことを許すゆとりがある限り、 体制は問題ではない。 ほとんどのいわゆる社会科学者は、 組織がすべてであると考えるらしい。 それは何にもならんといってもいいぐらいのものでね…… それが拘束衣であるときを除けば、 重要なのは英雄たちの発生であって 馬鹿どものパターンではないんだ」(395-396頁)


関連リンク


12/19/98-12/20/98

B-


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat Dec 31 05:07:13 JST 2005