心肺蘇生法を行った結果、過失責任を問われることは? |
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(981014. neweml 4657)
文責:愛媛大学医学部救急医学教室 越智元郎(連絡先)
目 次
質問2:政府から何か公的な見解が出たことがあるのですか?
質問3:上の報告書には「悪意」で実施した場合は責任を問われることがあり 、「善意」で実施した場合はそうではないとありますが?
質問4:心肺蘇生法を習ったことがない人が実施しても大丈夫でしょうか?
質問5:心肺蘇生法に伴う危険性とそれを防止する方法を教えて下さい。
質問6:心肺蘇生法はどこで習うことができますか?
質問7:心肺蘇生法は1度習えば必ず実施できますか?
資料集1.交通事故現場における市民による応急手当促進方策委員会報告書(抜粋)
資料集2.救急蘇生をめぐる話題(World NGO Networkより)
特に「6、心肺蘇生処置と法的問題」をご参照下さい。
質問1:市民が心肺停止状態の患者さんに対して心肺蘇生法を行った時に、その結果や合併症について責任を問われることはありますか?
お答え: 結論から申しまして、市民が行った心肺蘇生処置について、民事上、あるいは刑事上の責任を問われることはまずありません。
質問2、政府から何か公的な見解が出たことがあるのですか?
お答え: はい。1994年3月に総務庁長官官房交通安全対策室から「交通事故現場における市民による応急手当促進方策委員会報告書」が出ました。この報告書の抜粋や新聞報道をご参照いただきたいと思います。
(「プレホスピタルケア」誌 1993年9号および10号「霞ヶ関通信」にも自治省消防庁救急救助課が出された解説があります。)
毎日新聞(1994年6月7日)は報告書の内容を、以下のようにまとめています
上にはっきり書いているように、市民が心肺蘇生処置を行った場合に、民事上、あるいは刑事上の責任を問われることはまずありません。
質問3、上の報告書には「悪意」で実施した場合は責任を問われることがあり、「善意」で実施した場合はそうではないとありますが?
お答え: 法律用語での「悪意」、「善意」は日常用語と意味が少し違っています。「悪意で実施する」というのは、ある行為をしたらその結果が予想されるのが知っていながら、それを行うことを指します(悪い意図ないし意思をもって行うことではありません)。「善意の行為」というのは、その結果が派生することを予想できないまま実施することを言い、今回の例では責任を問われることはありません。
日常用語としての「悪意」は、法律用語の「害意」にあたります。今回の例では「害意」がなくても、その行為をしたらある結果を招くのを知っていながらそれを行った場合には、責任を問われることがあり得ます。
質問4、心肺蘇生法を習ったことがない人が実施しても大丈夫でしょうか?
お答え: 心肺停止に陥った人がもう一度社会生活に復帰できる位に回復するかどうかは、心肺停止になったあと数分の対応でほとんど決まってしまいます。訓練を受けたことがなくても、テレビで見たことがある、あるいは消防署の職員が電話で指導してくれる通りにやってみる、という形で何とか実施できる場合があります。もし全く自信がなければ119番通報など、自分ができる範囲の手伝いを致しましょう。
質問5、心肺蘇生法に伴う危険性とそれを防止する方法を教えて下さい。
お答え:
質問6、心肺蘇生法はどこで習うことができますか?
お答え: お近くの消防本部や赤十字の支部に連絡してみて下さい。何人か人数をまとめると講習会を組んでくれますし、お一人でも消防本部で指導をしていただけることがあります。
質問7、心肺蘇生法は1度習えば必ず実施できますか?
お答え: 心肺蘇生法の細かな技術や知識は、定期的に講習を受けたり勉強をしていただかないと忘れてしまいます。でも最低限おぼえないといけないことは多くはありませんので、いざという時はきっと実施できます。1番大事なのは勇気をもって実施することです。時間との勝負であることも忘れないで下さい(119番通報も忘れないで)。
平成六年三月総務庁長官官房交通安全対策室
※用語について:
本報告書の作成に当たっては、日本医師会「救急蘇生法教育検討委員会」による
「救急蘇生法の指針」で定めた用語で統一した。従って、本報告書の「救命手当」
とは、一般市民が行う救急蘇生法(心肺蘇生法+止血法)を意味する。(以下省略)
1 序(省略)
2 検討項目
(1) 救命手当実施の法律関係
イ 救命手当の実施義務(省略)
ロ 民事関係について
(ロ) 救命手当を緊急事務管理と解すると、いくつかの留意点があり、救命手当
の法的解釈に当たり参考となると思われるので、コメントする。
救命手当は、通常一〜二分を争う状況で実施されることから、救命手当実施の
判断は瞬時に行う必要があり、たとえ救命手当に係る実技を含む講習を受けてい
ても、一般の人にとって、すべてを的確に判断することは実際上困難である。
救命手当の大切さが強調される根拠の一つは、いあわせた人が緊急に必要な処
置をとろうとすることの重要性にあることから、緊急事務管理の成立には被災者
が危険な状況にあると主観的に実施者が判断したことをもって足りると理解すべ
きであり、よほどの不注意を伴わない限り実施者が責任を問われることはない。
事例は異なるが同旨の裁判例もある(新潟地判三十三年三月十七日下民集九巻三
号四一五頁)。
緊急事務管理は、義務なくして他人に救命手当を実施する法律関係であるため、
依頼によって救命手当を実施した場合には緊急事務管理は成立せず、当事者間に
救命手当の実施を内容とする一種の契約が成立するとも考えられる。しかし、契
約関係ととらえるためには、当事者間に契約を成立させるという確定的意志がな
ければならない。救命手当の依頼とそれに応じる行為が、契約締結の意志を伴う
ものとは考えにくく、契約関係は成立しないと考えられる。従って、たとえ依頼
により救命手当を実施しても緊急事務管理が成立し、責任は軽減される。
救命手当を実施する場合、実施者に冷静な判断と完璧な対応を期待するのは現
実的には困難であり、通常パニック的な雰囲気の中で実施されることになる。ま
た、たとえ救命手当に係る講習を受けていても、その技術的な習得レベルは様々
であり、かつ、一般の人にとって、救命手当を実施すべき場面に遭遇すること自
体が何回も存在する訳ではない。救命手当を普及することの意味は、それらを前
提としつつ、それでも心肺蘇生法等最低限のことを実施することが人の命を救う
上で重要であるとするものであり、最低限のマニュアルに従っている限り、責任
を問われることはないと理解すべきである。
従って、たとえば、力の入れ過ぎ等による肋骨骨折、肝臓損傷あるいは頚椎損
傷があっても、一般の人が責任を問われるべきでない。ただし、頚椎損傷を避け
るための留意点については、救命手当に係る講習において十分に教示されるべき
である。
事務管理が成立するためには、その事務を管理することが本人の意志及び利益
に適合することが必要である。ただ、この本人の意思は適切なものでなければな
らないため、救命手当を欲しない本人の意志が社会的にみて妥当性を欠くような
場合には、本人の意志に反していても事務管理は成立する。
ハ 刑事関係について
一般人が行う救命手当は、一般的に社会的相当行為として違法性が阻却される
と思われるが、一般人の救命手当に過失が認められる場合には、医師の治療行為
に過失が認められるときに業務上過失致死傷害罪が成立し得るのと同様に、過失
傷害罪、過失致死罪、重過失致死罪が成立し得る。ところで、過失の有無は個々
の具体的事例に応じて判断されるところ、救命手当実施者に要求される注意義務
が尽くされていれば、過失犯は成立しない。またその注意義務の程度は、医師に
要求される注意義務のそれより低いものであろう。
なお、過失が認められても、事案によっては、諸般の情状が考慮され、起訴さ
れないこともあり、その行為が救命手当として善意に出たものであったことは、
有利な情状の一つとして考慮され得るであろう。
(2) 補償関係(以下省略)
以上
資料集:
---「交通事故現場における市民による応急手当促進方策委員会報告書」抜粋---