第十四回公判傍聴記録 詳報 (08/5/16)
※傍聴人のメモによるため、抜けや不正確な部分があることをご了承ください。
(10:00開廷)
裁判長: どれくらいかかりますか?
弁護1: 5時間くらいです
裁判長: では
弁護1: 要旨については、手術経過の時系列を別紙でつけてあります。また、括弧書きは証拠の引用分です。これらは朗読を省略いたします。
最終弁論
■第1 結論
被告人は、業務上過失致死罪及び医師法違反の罪のいずれについても無罪である。
■第2 はじめに
本件は、帝王切開により児を娩出した後、術前には予期できなかった子宮後壁の癒着胎盤という極めて稀な疾患のために患者が死亡した事案について、執刀医であった被告人の施術に過失があったか否かが争点となっている。
被告人は本件患者が帝王切開歴1回あり、全前置胎盤?であったことから、前回帝王切開創に胎盤が癒着しやすいことに特に留意し、術前に何度も超音波検査及びカラードプラを用いて前回帝王切開創に胎盤が癒着していないことを確認し、開腹後も子宮前壁に直接超音波をあてた後、子宮を切開した。児を娩出し、胎盤の用手剥離を始めたところ、子宮後壁に予期しない癒着胎盤があり、出血が継続していたので、止血を急ぐために胎盤剥離を継続したものの、剥離後多量の出血が一因となって死の転帰をみたものである。
本件は、薬の種類や量を間違えたり、誤って臓器や血管を切ったり、医療器具を体内に残置したというような明白な医療過誤事件ではない。癒着胎盤という疾患について産科医としての通常の医療行為と医師の裁量そのものが問題とされている。
検察官は胎盤の剥離が困難となった時点で、直ちに剥離を中止し、子宮を摘出すべきであったと主張する。胎盤剥離を継続するか、中止するかは、主治医が刻々変化する患者の病状に即して判断し、最良と信ずる処置を行うしかないのであって、結果から施術の是非を判断できない。単なる結果責任を追及でしかない。
検察官は医師ではない。癒着胎盤の施術の過失を判断するには専門家の意見に耳を傾けて、何が当時の医療水準なのか見極めなければならない。そのうえで、カルテ記録等を仔細に慎重に検討し、合理的な判断をすべきである。
検察官は、論告において、検察官側の鑑定証人である田中教授が、周産期医療の権威であると認める岡村教授と池ノ上教授の鑑定意見や証言を、属する日本産科婦人科学会が被告人の起訴に反対の意見表明をした事を理由に、信用できないとする。
しかし、日本産科婦人科学会は、わが国の産科婦人科学の進歩発展、人類・社会の福祉に貢献することを目的とする文科省の公益法人であり、専門家の学術集団である。最高裁の依頼で鑑定人を推薦し、公正中立である。学会の意見表明も学術的かつ社会全体の利益のためになされている。医師の個人的利益のためではない。岡村教授、池ノ上教授も、医師としての良心と学者としての専門的知見にもとづき証言をしている。検察官の非難は不当不見識のそしりを免れない。
検察官側の証人の田中教授は、学会が最高裁に推薦する鑑定人として、周産期部門の鑑定人として推薦されたことがない。田中教授は鑑定を依頼した警察官に、周産期の専門医じゃなくて一般の産婦人科の専門医であるが、よいかと尋ね、了解を得た。5年の経験で産婦人科の専門医になれる。被告人も産婦人科の専門医である。臨床経験例は田中教授より被告人の方が多く、期間も長い。田中教授は、自ら執刀医として癒着胎盤の手術をしたことは1例もなく、超音波診断もない。経験のない田中教授に稀な癒着胎盤について判断する適格性がないことは明らか。
田中教授の鑑定による検察官の主張は不当である。専門家の意見に耳を傾けない起訴は誤りであった。
検察官は論告で、本件手術経過は麻酔記録によるとする。しかし検察官は、麻酔記録に、胎盤剥離終了直後の午後2時52〜53分、総出血量2555 ml(羊水込み)と記載を無視し、5000 mlだったと強弁する。麻酔記録から午後2時40分の出血量が2000 ml、胎盤娩出の2〜3分後である午後2時52〜53分が2555 ml。胎盤剥離中の出血量は555 ml。
池ノ上教授は、出産時大量出血のときは1分間450 ml〜650 mlになると証言した。胎盤剥離に要した時間を10分とすると、555 mlは1分あたり55.5 mlなので大量出血の10分の1に過ぎない。これで胎盤剥離を中止し子宮摘出に移行する医師はいない。胎盤剥離後の子宮収縮とその後の操作による止血に期待し、胎盤剥離完了が合理的である。
検察官は、麻酔記録の2555 mlから2〜3分後の出血量を5000 mlとして、剥離中も5000 ml出血したと言う。客観的な資料を曲解して論理をすりかえる検察官の態度は指弾されるべき。
検察官は論告で、被告人は、被害者の胎盤を用手剥離した時点で癒着を認識したので、剥離を継続すれば大量に出血し、被害者の生命に危険が及ぶことを予見可能であった、と予見義務を主張し、被告人には、胎盤剥離中止し子宮摘出に移行し、被害者の生命の危険を回避すべき注意義務があったと結果回避義務について主張する。それが本件当時のわが国の医療水準であったと主張する。
検察官の主張する予見義務、結果回避義務、わが国の医療水準については、検察官が立証責任を負う。検察官は、証拠から過失の具体的内容を明らかにする必要がある。
検察官は、公訴事実記載の各事実が証明十分であると主張するが、検察官の立証は失敗である。検察官提出の証拠、証人、被告人質問では、極めて不十分で曖昧である。
検察官はこの事実を甲6号証、13号証、18号証、乙3号証で立証するとしていた。甲6号証から8号証は、病理医である杉野医師の鑑定書及び供述調書で、いずれも病理に関するものである。甲9号証から12号証は医学書、13号証は田中教授、18号証は(証人)加藤医師の、乙3号証は被告人の供述調書である。
検察官は医学書から、被告人の結果回避義務と医療水準を立証しようとするが、医学書には胎盤の剥離を中止して、子宮摘出に移行するという記載はない。
甲13号証は、田中教授が鑑定書を作成し証言をしているが、同教授が周産期医療の専門家ではなく、癒着胎盤の予見可能性、結果回避義務、医療水準を立証することはできない。
甲18号証、加藤医師は、豊富な臨床経験を持つ産婦人科医である。経験した3例の癒着胎盤については、すべて胎盤の剥離を終了したと証言している。
乙3号証は、被告人の検面調書である。任意性に問題があるが、検察官の要証事実の予見可能性、結果回避義務、医療水準について、供述していない。
検察官は証人尋問においても、この要証事実を立証していない。
癒着胎盤についてのわが国の臨床医療水準は、開腹前診断で穿通胎盤や重い嵌入胎盤は用手剥離せずに子宮摘出。開腹後に穿通胎盤や重い嵌入胎盤と診断できたもの、がっちり癒着し用手剥離ができないものは、用手剥離せずに子宮摘出。用手剥離開始後は胎盤剥離を完了させ、止血を期待し止血操作を行い、それでも大量出血の場合に子宮摘出する、というものである。
また、加藤医師、東北大学の岡村教授、宮崎大学の池ノ上教授、検察側証人である田中教授の属する新潟大学産婦人科の症例、すべての癒着胎盤の症例で、胎盤の用手剥離を開始した場合には、胎盤剥離を完了していることが立証されている。これがわが国における医療水準である。胎盤剥離を開始して、途中で中止し、子宮を摘出するのは、わが国の標準医療ではないことは明らかである。
弁護人は当初から、検察官の公訴事実および主張が曖昧であり、被告人のどの時点のどの行為に問題があるのか、それについてとりうる回避措置、具体的な内容の呈示を求めてきた。しかし、検察官は、被告人がいかなる行為を求められていたのか、それが可能だったかという、検察官が立証責任を負う事実について、十分な立証ができなかった。
検察官は、死亡という事実の重大性にのみ依拠して、医学的に検討せず、単に用手剥離と出血を結び付け、当該行為を行ったのが被告人であるという一事をもって、被告人の過失を主張するに過ぎない。
検察官が立証責任を果たしていないことは、論告において、立証責任がある事実については論述を避けて推論と断定を繰り返し、一方で、弁護人を論難していることから明らかである。検察官による弁護人の批判が奏功するのは、検察官の立証によって公訴事実が証明され、これに対する弁護人の反証から、揺らいだ場合のみである。検察官が自らの立証責任を果たさなかった場合に、弁護人への反論をいかに試みても訴訟には何の意味もない。
医療が専門分野だからといって、検察官の立証が曖昧になるということはあってはならない。立証責任は検察官にあり、検察官が法廷に出した証拠により、被告人の行為が犯罪事実と認定される証明がなされたのかが吟味されなければならない。
公判前整理手続において、整理された争点は
?胎盤の癒着部位、程度、被告人の認識内容
?出血部位、程度
?予見可能性
?死因と被告人行為の因果関係
?被告人の処置の妥当性、相当性、剥離中止して子宮摘出すべき義務の有無
?医師法違反
?乙号証の任意性
の7点である。
弁護人は、上記争点において弁護人の主張及び立証について述べ、検察官の立証の不正確さを明らかにする。
■第3 本件の事実経過について
被告人の身上・経歴
被告人は、産婦人科医の父の長男として生まれ、幼い頃から医師を志し、東京都内の大学医学部に進学した。在学中に産婦人科医を志した。
地域医療を担いたいと、福島県立医科大学医局に入局し、大学附属病院で研修医として勤務した。その後、数カ所の病院勤務を経て、平成16年4月から平成18年2月まで、県立大野病院産婦人科医長として勤務していた。
被告人は、この間、約1200例の分娩を取り扱い、うち200例が、帝王切開であった。平成13年日本産科婦人科学会産婦人科専門医。
事実経過
県立大野病院は産婦人科の常勤医は被告人一人。助産師は、常勤9名、常勤の麻酔科医もいた。月に1度福島県立医大から応援の産婦人科医が来た。被告人は県立大野病院産婦人科のいわゆる一人医長であった。
検察官は、前置胎盤?の帝王切開を県立大野病院で実施することについて、K助産師が大きな病院に転送した方がよいと申し入れ、被告人が聞き入れなかったと述べるが、県立大野病院では過去に施術例があり、大野病院における前置胎盤?の手術には問題がなかった。前置胎盤?取り扱いの医療行為をできない助産師には、当該医療行為について助言をする資格はない。
県立大野病院で被告人は、平日午前9時から午後2時まで外来診療を行い、その後、検査、手術、処置を行っていた。入院患者は多岐にわたり、分娩・産褥、つわり、切迫流産、早産、妊娠高血圧症、子宮筋腫、卵巣腫瘍、子宮癌等の手術、術後管理、癌患者の終末期もみていた。小児科医がいないので新生児も担当した。
被告人は、県立大野病院に勤務中、約350件の分娩、帝王切開60例、うち50例は緊急で、麻酔医不在ときは自分で腰椎麻酔を行った。
平成16年7月に妊娠37週の全前置胎盤?の帝王切開を行っている。
大野病院では、被告人は24時間オンコールであった。過酷だったが被告人は使命感で従事した。
被告人は、患者家族が納得できるよう心がけ、治療方針を良く説明し、勤務時間外に説明することもたびたびあった。
治療方針に迷う症例は、自分の家族だったらと考えたり、セカンドオピニオンに紹介したり、電話で先輩医師に相談したりしていた。
被告人の勤務が激務であった。常に夜も拘束され、医大から応援が来る月1日半だけ呼び出されない日だった。
本件患者について
本件患者は、平成16年第2子を妊娠、5月に県立大野病院を受診した。長男は別の病院で帝王切開分娩。切迫流産で11日間入院。6月、超音波検査で後壁の低いところに胎盤が付着していると診断され、10月超音波検査で、後壁付着の全前置胎盤?と診断された。
被告人は、平成16年10月、子宮摘出の可能性があることを話し、患者に今後の妊娠について聞いたところもう一人子どもが欲しいと答えた。被告人は子宮温存希望とカルテに「madせず」と記載した。これは卵管結紮術を行わない、挙児希望を意味する。
本件手術までの経過
全前置胎盤?で経膣分娩不可能、妊娠36週で帝王切開となる。手術日は夫妻に相談し12月17日となった。
前回帝王切開創に胎盤がかかっていた場合は、癒着胎盤の可能性が高くなるので、被告人は、術前管理を入念に行った。11月、切迫早産、前置胎盤?の入院管理となった。被告人は11月29日、12月6日、13日に経腹超音波検査を実施した。12月6日にはカラードプラも実施。
被告人は、全前置胎盤?と診断し、超音波検査等から後壁付着の全前置胎盤?で、胎盤が前回帝王切開創にかかっていない、子宮前壁の癒着胎盤なしと判断した。
準備輸血量は、前置胎盤?の文献を参考に、濃厚赤血球5単位と決定した。
念のため、双葉厚生病院産婦人科医の加藤医師に応援を依頼した。
麻酔科の平間医師と、子宮摘出術の可能性もあると打ち合わせを行い、12月14日に患者は麻酔医の診察を受けた。
12月14日午後7時、被告人は夫妻に術前説明を行った。内容は、術中何かあったら双葉厚生病院の医師に応援依頼すること、子宮摘出の可能性、術後血栓症について、36週につきNICUへ搬送の可能性、DICの可能性とICUへ搬送の可能性、手術時間は1時間、出血状況によっては子宮摘出の可能性があることについて説明した。
被告人が他に質問はないですかと聞き、夫妻は特にないと答えて同意書に署名した。
手術経過
本件手術において、?執刀医 被告人、?助手 宮本医師、?麻酔医 平間医師、?助産師(母体担当)、?助産師(新生児担当)、?器械出し、?オペ責、?外回り、?外回り
帝王切開術は、広く行われている一般的な手術で、前回の帝王切開は産科医1名と看護師数名で行われた。今回は全前置胎盤?だったので、最初から医師3、助産師2、看護師4の合計9名の十分な体制で行った。後に、看護師3名が加わり12名となっている。
手術の時系列経過
手術の時系列経過は別紙のとおり
■第4 癒着の部位・程度および被告人の認識
本件は癒着胎盤の手術の過失が問題となっている。癒着胎盤の部位と程度は重要な争点である。
癒着胎盤の定義・分類、本件における中山鑑定と杉野鑑定の信用性について述べる。
検察官は杉野鑑定に依拠して、弁護人と異なった主張を展開している。
1.癒着胎盤について
癒着胎盤は、床脱落膜の形成不全および全欠損により、胎盤絨毛が子宮筋層に直接癒着する胎盤異常である。癒着胎盤は、絨毛の陥入の程度によって、次の三つに分類される。
?楔入胎盤(placenta accreta)
絨毛は筋層に接し比較的浅い位置にとどまっているもの。
?嵌入胎盤(placenta increta)
絨毛は筋層内にはっきりした浸潤を示す。
?穿孔胎盤(穿通胎盤 placenta percreta)
絨毛が筋層を越え、子宮漿膜あるいは外膜に達する。
癒着胎盤の発生頻度は、後述のとおりであり、非常に稀な疾患である。
2.鑑定の信用性について
検察官は、杉野鑑定に依拠して論告を展開する。弁護人は、中山鑑定に依拠する。中山鑑定と杉野鑑定の信用性について述べる。
中山鑑定の信用性について
【中山医師の胎盤病理、周産期病理についての経験】
中山医師は、昭和56年から26年間、終始一貫して、大阪府立母子保健総合医療センター検査室において、周産期病理診断、病理検査、病理解剖を担当してきた。
中山医師は、年2000例、26年間で5万例を超える病理診断を行い、うち3分の1の1万6000例は顕微鏡診断を行っている。
1ヶ月に50例以上の出産胎盤を顕微鏡診断している。胎盤病理や周産期病理の経験の豊富さにおいて、今日の日本医学界にあって並ぶ者がない。
中山医師は医学文献「目で見る胎盤病理」の著者であり、胎盤病理の専門家で、胎盤病理学の指導的立場にある。
【子宮病理についての経験】
中山医師は26年間で、全摘出子宮60例、子宮体部280例、子宮頚部370例、計700例を超える摘出子宮の病理の顕微鏡診断を行っている。平均で年27例の顕微鏡による病理診断を行っている。
中山医師が病理診断をしたほとんどが妊娠子宮であり、鑑定経験として重要である。なぜなら子宮は、妊娠時と非妊娠時で全く異なっているからである。
中山医師が、26年間で、癒着胎盤と診断した症例は24例、楔入胎盤15例、嵌入胎盤8例、穿通胎盤1例である。病理医として経験数極めて多く、鑑定の信用性は非常に高い。
杉野医師の信用性について
【杉野医師の癒着胎盤の鑑定経験について】
杉野医師は福島県立医科大学病理学第二講座に所属し、腫瘍の専門家であって、胎盤について専門的な研究はない。癒着胎盤子宮について鑑定を行った経験はない。病理診断の経験も本件の前に1例だけである。その症例の記憶はなく、杉野医師の経験は皆無に等しい。
癒着胎盤の鑑定にあたっての知識と経験
杉野医師は鑑定に必要な知識を、本件にあたり習得した。方法は福島医大病理部の過去の癒着胎盤の標本を10例観察し、産婦人科病理の洋書を3冊、文献報告を参考にした。
しかし、医学は経験に基づく科学であり、癒着胎盤の病理診断の臨床経験は重要である。文献、10枚の標本観察から正確に診断することは至難の技である。
杉野医師の癒着胎盤についての知識不足の表れが、甲6号証の鑑定書で楔入胎盤(せつにゅうたいばん)に(きつにゅう)と誤ったふりがなである。
【まとめ】
以上、中山医師は長年母子医療センターの病理診断部門という現場で妊娠子宮、最先端の周産期病理の専門家である。文献を参考に、大学の顕微鏡標本10例で研鑽を積んだ杉野医師とは異なる。中山医師の病理診断、病理鑑定の信用性は、杉野医師のそれと比較して、極めて高い。
中山医師は、周産期病理学において指導的立場にある。中山医師の発言や診断は厳しい批判の目にさらされ、学者生命に関わる。このことからも、中山医師の鑑定や証言の信用性は極めて高い。
従って、弁護人は中山鑑定に依拠する。
3.本件胎盤の概観について
本件胎盤の大きさ27cm×22cm、切開の痕跡なし。
「目で見る胎盤病理」表13−2、13−4によると、胎盤の大きさの平均20×17cmである。本件胎児の体重における胎盤の重さは平均500グラムで、本件胎盤の重量は766グラム。
癒着胎盤とは写真母体面の中央左10×9cmであった。他の部分は白く光沢があり脱落膜が存在したので癒着胎盤ではない。また、胎盤の中央部右は、膜のみか薄い胎盤実質に見える。また、中央部右側、前壁には、脱落膜の欠損はないから癒着はない。
胎盤は分葉胎盤という稀な症例である。胎盤写真の胎児側、母体面から見て臍帯は左側胎盤実質右側に付着している。卵膜のみの部分も見られ、一部膜様胎盤の可能性もある。看護記録にもあるが卵膜の不足が認められ、前壁に卵膜が進展し、卵膜部分に絨毛が存在した可能性がある。杉野鑑定の前壁の絨毛は、これが観察された可能性がある。
4.癒着の部位
子宮前壁には癒着はない
胎盤母体面右側の子宮前壁側に脱落膜が観察される。前壁子宮組織の観察、顕微鏡観察から、癒着胎盤は認められない。本件胎盤の中央右側は、膜のみか非常に薄い胎盤実質で、この部分に脱落膜の欠損・剥離はないので、この部分に癒着胎盤はないと言える。
子宮前壁の今回帝王切開創より上には、陳旧性の壊死絨毛があった。標本XX-24、28、29、33の顕微鏡診断で陳旧性壊死絨毛がある。絨毛膜無毛部由来のものであり、胎盤付着はない。
前壁に癒着がないことと他との整合性
被告人と宮本医師は、胎盤剥離の最後は簡単に剥がれたと供述している。宮本医師はクーパーの使用を終えた後は特にはがれにくかったという印象はなく、するりとはがれたと証言した。これは前壁に癒着がないことを裏付ける。被告人は、術中超音波検査でも子宮前壁に癒着胎盤の兆候がないことを確認している。検面調書においても、子宮前壁の胎盤剥離面からほとんど出血がなかった、子宮後壁から剥離しはじめ、クーパーで剥離をしていると、急に残りの部分がスルリととれて終えることができたと供述しており、子宮前壁に癒着がなかったことを裏付けている。
従って、臨床情報との整合性からしても、子宮の前壁には癒着がないことが明らかである。
子宮後壁には癒着胎盤が存在
胎盤の癒着部分は、中山医師が当公判廷で、脱落膜がないとして弁151号証添付の写真に緑色の線で丸く囲んだ部分である。その他には脱落膜が認められる。丸く囲まれた脱落膜がない部分が、癒着胎盤であったと考えられる所である。この部分は子宮後壁で、他の胎盤母体面側には脱落膜があったので癒着胎盤はない。
後壁の癒着の程度
楔入胎盤と判断されるものは、標本3、4、7、8、11、12、13、19である。
嵌入胎盤と判断されたものは、標本17、20、21、22である。
杉野鑑定による癒着の部位・程度
癒着の部位
杉野医師は、癒着胎盤部位は計25個としている。
子宮前壁24、27、29、30、31、33、34
子宮後壁1、3、4、7、8、9、10、11、12、13、14、16、17、18、19、20、21、22
後面の楔入胎盤は、標本1、4、7、8、9、10、11、12、14、16、17、18、19、20、21、22
嵌入胎盤は、標本3、13、18、20、21、24、27とした。
中山鑑定と杉野鑑定の違い
癒着胎盤の判断の違い
中山鑑定と杉野鑑定を対照すると、癒着胎盤の範囲と程度が異なる。
杉野医師の癒着胎盤の診断の範囲に比べ、中山医師のは狭い。前壁に嵌入胎盤があるとする杉野医師と、前壁にはないとする中山医師との判断の違いが鮮明である。
しかし、被告人が、胎盤剥離を開始したときの状況や、前壁が剥がれたときの状況を考慮すれば、中山医師の判断が臨床情報と適合する。杉野医師の鑑定では剥離開始直後には用手剥離がスムーズにできていたことや、最後はするりと胎盤がとれたことを説明できない。
癒着胎盤の範囲が異なる理由
中山医師と杉野医師の癒着胎盤の範囲が異なるのは、鑑定手法の違いによる。二人の医師の鑑定の手法について述べ、導き出された鑑定結果の違いと、信用性について述べる。
二人の医師の鑑定の手法の違い
癒着胎盤の病理診断方法
中山医師の手法
中山医師は、癒着胎盤の鑑定・診断にあたって、摘出された子宮の肉眼観察、胎盤の肉眼観察、組織の顕微鏡観察をする。肉眼観察をいい加減にして組織だけ見るのは大きな間違いにつながりかねない。また、臨床上の所見や情報は重要であり、病理医は手術に立ち会わないので、臨床医の情報をできるだけ聞くことは重要である。本件では、病理診断にされたのは摘出子宮だけだが、胎盤の写真が存在するので、鑑定資料として写真は必須である。
杉野医師の手法
杉野医師は、子宮の肉眼観察、組織標本の顕微鏡観察はしているが、胎盤の肉眼的観察や臨床医の情報を軽視している。杉野医師は、胎盤情報の重要性を認めているが、カルテ添付の胎盤の写真も参照していない。また臨床医から話をまったく聞いておらず、カルテも参照せずに鑑定をおこなっている。
鑑定手法の違いによる鑑定結果の差異
中山医師の鑑定結果
中山医師は、本件の鑑定で、胎盤の写真から次のことを鑑定している。
? 前壁部分には脱落膜が存在し、癒着胎盤がない
? 子宮後壁の癒着の大きさは10×9cm程度
? 胎盤胎児面に切開創がない。弁39号証の写真を見れば明らかである。
? かなり大きな胎盤である
? 分葉胎盤、膜様胎盤であった可能性
ここから子宮内面に絨毛組織が残った可能性が指摘される。
杉野医師の鑑定結果
一方、杉野医師は胎盤の写真を観察していないので、上記の点を見落とし誤っている。
?胎盤に切開創がないのに、切開されたと述べている
杉野医師は3月19日の検面調書で、原因は、帝王切開時に癒着胎盤を傷つけ、そこから出血した。鑑定書の写真7を見れば、帝王切開時に胎盤も一緒に切られていることが分かる、帝王切開時に間違いなく胎盤が切開され損傷が生じそこから出血があった。胎盤娩出より前に大量出血したとすれば、その原因は帝王切開時に癒着胎盤を一緒に切開していた、と供述している。
しかし、実際は胎盤が切開されていないことは明らかである。杉野医師は公判廷で、子宮切開創の下に胎盤がみられるかどうかわからないと述べて、鑑定結果を撤回するに至った。
杉野医師の指摘する胎盤の付着状況と形状が一致しない
胎盤は楕円形であるが、杉野医師は公判廷において、今回の帝王切開創の下に胎盤があったかわからない、範囲から避けている可能性ありと指摘している。
しかし同医師は、写真5について、癒着部分とする斜線の左側と下部を直線でつなげば、胎盤が今回の切開創の上をとおるのではという弁護人の問いに、この部分には癒着胎盤はなかった、と答えた。杉野証言を前提とすると、胎盤の形は別紙3となるが、実際の胎盤の形状ではない。胎盤のカーブの形状を推定されるかという弁護人の問いに、子宮収縮が胎盤娩出後にあるので胎盤の残存する性状も変わると、不合理な証言をしている。
杉野鑑定は、胎盤が楕円形であるという事実にそぐわない。その上自己の鑑定が客観的事実にそぐわないことを指摘されると、不合理な見解を述べ自己の鑑定に固執しており、鑑定はきわめて信用性が低い。
手術手技の影響
本件手術では、子宮摘出前胎盤の剥離が行われ、その後、双手圧迫、タオルガーゼ拭き取り、ガーゼ充填圧迫、Z縫合等外科的処置が、1時間30〜40分にわたり行われた。その後に、子宮摘出手術及び子宮に繋がる血管切断が行われた。術者が子宮頚部周辺に様々に縫合糸をかけている。
子宮は、そのまま摘出して病理に出したのではなく、様々な手術手技が加えられた後の状態である。胎盤絨毛の確認にあたり、十分な注意が必要である。
中山医師は、手術手技によって、観察対象の絨毛などの組織が破壊され、絨毛組織が、本来の場所から移動し、別の部位の表面に付着の可能性があることの考慮が必要という。
杉野医師が、手術手技の影響を考慮したとは見られない。
アーチファクトの可能性
中山医師の認識では、胎盤組織は他の組織よりもばらけやすく、絨毛は特にばらけやすい。胎盤絨毛は浮遊する組織であり、癌細胞とは性質が異なっている。胎盤絨毛がばらけやすいためアーチファクトが起こりやすい。アーチファクトがおこると、本来あるべきではないところに組織があるように見える。
プレパラート標本作製の段階でアーチファクトが生じる。摘出臓器をホルマリン固定し、切り出しを行い切片を作成する。切片をパラフィン包埋し、十数ミクロンの薄さにスライスする。パラフィンを除去、染色する。このどの過程でも、ばらけやすく組織の混入がおこる。
保管段階でもおこる。杉野医師は、平成16年12月、病理診断のため子宮の切り出しを行った。その後、子宮は切片の状態で、1つにまとめられることなく、平成17年5月まで、ホルマリン液バケツの中に、他の臓器と保管されていた。
子宮からは再び鑑定のため標本が作成されているが、それほど丁寧に保管されていなかった。ホルマリン液での保管中や標本作製の段階で、様々な要因によって組織や細胞の移動、挫滅・変性の可能性を否定できない。
標本上に、アーチファクトが加わることは不可避である。顕微鏡観察においては、アーチファクトに注意する必要がある。脳の標本に絨毛組織が存在するアーチファクトは容易にわかるが、胎盤絨毛があり得るのでさらに注意が必要である。
杉野医師は、アーチファクトは考えないほうが良いと証言した。このような姿勢では、正確な診断はできない。杉野医師は、アーチファクトの存在を否定している。絨毛がばらけやすい認識があったか疑わしい。杉野医師は、癒着胎盤の判断の際、絨毛組織が顕微鏡観察で認められたかどうかで一義的に診断している。杉野医師が腫瘍の専門家で、組織にがん細胞が少しでもあればがんと診断するのと同じ手法と思われる。絨毛については不合理と言わざるをえない。
中山医師と杉野医師の専門の違いから、見方や判断の違いが出ている。
鑑定結果の差異
手術の影響やアーチファクトの判断が、絨毛と癒着胎盤について、判断に影響している。癒着胎盤の部位、程度に重要である。
胎盤絨毛の特殊性
中山医師は、子宮標本の至るところに絨毛組織が存在するとする。中山医師は、手術手技の影響、アーチファクトの可能性から、合理的に癒着の有無を判断している。中山医師も、癒着胎盤では絨毛が筋層か近くまであるが、本件は癒着でないところにも絨毛が見えると言う。絨毛が見えるからと言って、その上に胎盤があったとはいえない。
顕微鏡観察は、組織を高倍率で観察する。視野に絨毛が数個あったとしてもそれを根拠に、標本すべてに胎盤があったという推論は無理である。中山医師が癒着としないものは標本6、9、14、24、26、27、29、30である。いずれの標本でもごく一部に絨毛が観察されたにすぎない。表面に浮遊する膜状の部分の一部で、移動のアーチファクトを否定できない。
杉野医師は、標本の一部に絨毛があれば、そのプレパラート標本のブロック全体を癒着胎盤と診断した。公判廷で、顕微鏡での撮影範囲はプレパラートの面積の1%以下でも、胎盤の癒着は連続しているだろうという推測をもとに、プレパラート標本の一部に絨毛があれば、そのブロック全体も癒着と判断した。癒着胎盤の判断には、どこにどの程度絨毛があるかが重要なのに、わずか数個の絨毛細胞をもとに癒着胎盤を判定するのは本末転倒である。これも杉野医師の専門分野が腫瘍であるからでであろう。
腫瘍の分野ではがん細胞が一か所にあれば、その組織全体をがんと診断する。杉野医師は、絨毛細胞を、がん細胞と同様に考えている。しかし、絨毛は特殊であり癒着胎盤に腫瘍の診断方法は妥当しない。
検察官は、論告において、杉野医師は鑑定書作成の時、癒着胎盤がある部分とない部分が混在する標本についても、癒着胎盤部分が認められた以上、全体が癒着胎盤であったと判断し記載した」と言っている。説明の便宜上、癒着胎盤の診断をするのはあわない。
鑑定結果
標本XX-9を杉野医師は楔入胎盤と診断、中山医師は、絨毛はあるが脱落膜を介しているので癒着胎盤ではないと診断。杉野医師は、脱落膜を見落としている。
杉野医師は、標本XX-14も楔入胎盤と診断している。しかし、この標本は、表面にわずかな絨毛と絨毛外栄養膜細胞があり、脱落膜組織が認められるので、癒着胎盤ではない。
XX-13、18は、杉野医師は嵌入胎盤と診断しているが、中山医師はXX-13は楔入胎盤、XX-18は癒着胎盤ではないと診断している。いずれも絨毛は認められるがプレパラート標本の1カ所のみであることに争いはない。
中山医師は、筋層内に1カ所絨毛があっても挫滅・遊離した組織が重なりがあるので、アーチファクトの可能性が高いとする。中山医師の撮影した低倍率の写真でみると、組織の重なりが認められる。高倍率では組織の重なりが判らない。XX-18を嵌入胎盤と診断するのは間違いである。XX-13は嵌入胎盤ではなく楔入胎盤である。
杉野医師はXX-24を嵌入胎盤と診断した。この標本は、前壁の高位、今回帝王切開創より上にある。今回の帝王切開では胎盤は切開されていない。子宮切開創の位置には胎盤はなかったということであり、切開創よりも上・頭側に胎盤はない。よって癒着胎盤でもない。誤りは明らかである。中山医師は、この部位には古い梗塞を起こした絨毛があり、退化した絨毛無毛部の組織と考えられると述べている。このような絨毛があれば生きている胎盤が載っていない。中山医師は癒着胎盤はないとする。
杉野医師は標本XX-29を楔入胎盤と診断している。しかし、中山医師は浮遊した脱落膜近接にごく少数の絨毛構造がみられる。癒着胎盤の根拠なく、組織混入の可能性が強いと診断した。
杉野医師は標本XX-30を楔入胎盤と診断している。中山医師は他の部位からの混入脱落膜とする。帝王切開創の断端にあたり、ペアン鉗子や操作により他の部位から混入がありえる部分である。
標本XX-33は、杉野医師は楔入胎盤と診断、中山医師は壊死絨毛で退化した絨毛膜無毛部の組織、アーチファクトと述べている。この部分は子宮の高い位置にあり胎盤が載っていたとは考えられない。すぐ横に退化絨毛の層がある。
標本XX-34はちょうど切開創部位で、手術時に止血によるアーチファクトが生じる可能性が高い。中山医師は公判廷において、表面に脱落膜とともに絨毛が認められ、絨毛があっても脱落膜もあり癒着胎盤とはいえないと述べた。杉野鑑定では楔入胎盤となっている。
標本XX-27について
検察官は、論告において、標本XX-27が嵌入胎盤であると主張し、中山鑑定を批判した。中山医師は、XX-27には絨毛は認められるが、量がバラバラで色々なところにあるが、浮遊した絨毛で近くに変性絨毛もあり、アーチファクトの可能性が高いと述べている。
標本27の糸の存在
検察官は、杉野鑑定に基づき、この糸を前回の帝王切開創の縫合糸と主張する。その理由は、周囲の細胞の瘢痕化、標本XX-27に絨毛が存在し嵌入胎盤と診断されており、糸の周囲に膠原繊維が確認されたからと言う。中山医師は、膠原繊維の存在を否定しない。膠原繊維に置換されるには月単位の時間が必要で、今回の帝王切開での糸とは言えないから、前回帝王切開の縫合糸である、と言う。しかし、検察官の主張は誤っている。中山医師は、膠原繊維かもしれないが3年間たって形成されているとは思えない、コラーゲンが全体を取り巻いていない、両方とも空隙ができている、3年前のものであれば糸に対して反応して全部取り巻くのが普通だが、そうではない、と述べる。検察官の前回帝切後に絞られたままで固定されたのではという質問に対し、考えにくいと答えている。中山医師は、古いという根拠がないと証言している。
糸の周囲の組織は3年も経過した古い組織とは言えないので、合理的に判断すると、糸の両方に正反対の方向に空隙ができた形に見えることから、前回帝王切開創の縫合ではなく、むしろ、今回の手術の縫合糸を考えるべきである。
検察官は、切り出す際に縫合糸のためにアーチファクト化する可能性はないか、と両方正反対の方向に空隙ができる原因を質問したが牽強付会と言うべきである。中山医師は片方がこう曲がり、こっちがこうなる、そんなふうにうまく切り出す方法はないように思うと述べている。
従って、縫合糸は子宮摘出のとき、血管を結紮するために使用した今回の縫合糸と考えるべきである。
標本XX-27が子宮頚管部の可能性
中山医師は、XX-27の組織を通常の子宮筋層の組織ではない、子宮体部の筋組織とは異なるように見えると言う。XX-27は杉野写真7のように子宮前壁として一番低い位置にある。顕微鏡標本は、この標本のなかでも低い部分である。
検察官は論告において、対応する標本XX-4、8、31についても頚管部になるのはおかしいとするが、標本27はこれらより低い位置にあり、甲59号証別紙4に明らかなように検察官の主張は的はずれである。 XX-27のさらに下に、頚管と認められる切片が置かれている。この切片は現在どこにあるかわからないが、子宮分割の際に存在し、XX-27の下に頚管部の切片が存在していた。XX-27の下の部分に続く切片があり、それと連続していたと考えるのが自然である。
中山医師の鑑定と被告人の供述
中山鑑定は被告人供述とも合致する。被告人は、子宮摘出の際に、結紮するときの糸が動脈だけではなくて、子宮にもかかってしまうと述べた。子宮頚管も柔らかく、壁がわかりにくく血管だけでなく子宮頚管まで糸をかけたことがあった、子宮摘出する際に糸が突っ張ってガーゼと結紮した糸がかんでいて分かった、まだ膣と子宮がつながっていて子宮頚部で止血縫合したことがあり、この糸がその時の糸である可能性があると供述している。
杉野鑑定のその他の問題点
杉野鑑定には、他にも問題点があり信用性に影響している。
杉野鑑定写真6は、子宮のどの部分か特定できない。杉野医師は、写真6の組織標本が39個の切り出しをする際に作成したように説明をしているが、そうではない。この写真自体も天地逆である。さらに、子宮頚管の三角形の3つの子宮片の並べ方が鑑定書の中でもまちまちであり、三角形の子宮片がB、C、Dのいずれの延長部分か不明である。このように、杉野医師は、鑑定をきちんと記録しておらず、標本の特定が正確でない。杜撰な鑑定は信用できない。
杉野医師は、胎児由来の組織が子宮筋層と接していれば癒着胎盤であると診断しているが、これは誤りである。脱落膜は、脱落膜細胞と絨毛組織が直接接しているので脱落膜中の絨毛組織が子宮筋層に接していても、ただちに癒着胎盤ではない。また、卵膜は、脱落膜、絨毛膜、羊膜で構成されている。絨毛無毛部の子宮表面には、梗塞を起こし壊死した陳旧性の絨毛がみられることがある。外国の文献にも指摘されている。胎盤の生成過程から卵膜に絨毛が残るのは当然である。このような絨毛があるからといって癒着胎盤と診断するのは誤りである。
本件胎盤の子宮前壁に付着していた部分は、後壁の胎盤に比べ実質部分が乏しく、伸展した卵膜部分に微細な絨毛ある可能性が指摘された。よって子宮前壁上部で観察される絨毛は卵膜に残ったものであると考えられる。
子宮及び胎盤の組織の見分けにおける問題点
中山医師が脱落膜組織と認識している部分を、杉野医師は見落としている。標本XX-9、10、14である。
栄養膜細胞と脱落膜細胞の見分け
杉野医師は、栄養膜細胞と脱落膜細胞の区別は困難だが区別がつくようになったと証言した。しかし、鑑定経験がほとんどないのにできるのか疑わしい。XX-30について、杉野医師が栄養膜細胞という部分を中山医師は脱落膜細胞と指摘した。
5.癒着の範囲
以上、癒着の範囲は、中山鑑定に従い判断するのが適切かつ合理的である。本件の癒着は子宮後壁の10×9cmの範囲である。前壁には存在しなかった。
嵌入胎盤における絨毛の侵入の程度
癒着の程度を論ずる必要があるのは、嵌入胎盤についてのみである。楔入胎盤は絨毛が子宮筋層に接するので深度を議論する意味がない。
嵌入胎盤は絨毛が子宮筋層に侵入する程度が浅いものから深いものまで含む。よって深度が病理診断の対象となる。嵌入胎盤では、絨毛の侵入の程度により症状が異なる。深ければ重くなるので、程度は重要な意味を持つ。
本件では、検察官は杉野鑑定を根拠に2分の1と主張し、弁護人は、中山鑑定を根拠に、5分の1と主張している。信用性の高い中山鑑定によるべきである。
鑑定の手法について
中山医師の手法は、癒着の程度は癒着胎盤の顕微鏡標本を観察し、絨毛が筋層のどの深さまで侵入しているかで観察するのが通常の方法であり、その部分で全層の何分の1入っているかをみる。
杉野医師は、癒着胎盤の子宮壁と相当する他の部分を比べている。
鑑定方法の当否
杉野医師は、子宮後壁の癒着胎盤の程度について、筋層の約半分と鑑定した。その理由は癒着胎盤がある部分の子宮壁が、そこに相当する他の部分の2分の1に薄くなっていたからとする。この判定について、癒着胎盤の場合には筋層が侵食されて薄くなっている、絨毛が子宮筋層の中に入り込むと子宮筋が消失する、消失する機序はトロフォブラストが筋層の蛋白を融解し筋組織を置き換えて筋細胞が無くなる仮説があると述べている。
杉野医師の鑑定方法は医学的根拠に乏しい。杉野医師は、自ら採用した筋融解を前提とした鑑定方法の根拠について、私はこの仮説を完全に信じているわけではないと述べ自己否定している。栄養膜細胞が子宮筋層を2分の1まで溶かす機序について十分な説明ができていない。
杉野医師が嵌入胎盤と鑑定した標本XX-3は、同じ高さにある楔入胎盤の標本XX-8と比較して厚い。杉野医師の方法によれば、同じ高さにあれば子宮筋層が薄いほうが癒着の程度が重い筈である。杉野医師は、子宮筋層が薄い標本XX-8を癒着の程度が軽い楔入胎盤とし、子宮筋層が厚い標本XX-3を重い嵌入胎盤としており、矛盾する。杉野医師が嵌入胎盤と判断した後壁の標本XX-18についても、同じ高さの標本XX-14、15と厚さがほとんど変わらない。
従って、杉野鑑定は、科学的な論理の一貫性を欠き、恣意的で不相当である。
検察官側証人の田中教授も、顕微鏡標本をみて絨毛が子宮筋層の何割まで入っているから何割癒着しているという同じ方法を婦人科腫瘍の分野でも用いるており、杉野鑑定の方法を知らないと述べている。
中山医師は、追加鑑定書で、嵌入胎盤である後壁の顕微鏡写真で、子宮筋融解の所見は認められないと鑑定している。公判廷においても、実際に標本を見たら筋肉が溶けているところはない、現実から考えないといけない、溶けて無くなった筋肉をどう測るのか、と述べている。
杉野鑑定の根拠は、子宮筋層が絨毛の侵入によって溶解するという仮説に基づくが、根拠が示されていない。中山鑑定は科学的であり、鑑定方法として合理的であることは明らかである。嵌入胎盤の侵入の程度は、中山医師の計測方法によって計測すべきで、深さは子宮筋層の5分の1程度である。
杉野鑑定の変遷について
杉野医師は、胎盤癒着が認められたプレパラートについて、最後は捜査関係照会回答書にある以外に癒着胎盤を認めたプレパラートはないと供述しているしかし、杉野鑑定は変遷している。
杉野医師は、平成16年12月29日の組織診結果診断書において、Placenta accrete(楔入胎盤)と診断し、癒着部位は後壁のみ。平成17年6月27日付けの鑑定書において、癒着胎盤を写真7の18個のプレパラート、子宮前壁(24、27、29、30、33、34)、子宮後壁(3、4、7、8、11、12、13、17、19、20、21、22)とした。癒着胎盤の程度について、筋層の約半分までと推定されるとしているが、どこが楔入胎盤でどこが嵌入胎盤であるのか、明らかにしていない。
平成18年3月6日の検察官に対する供述では、胎盤が今回の帝王切開創にかかっており,子宮切開で胎盤も切開されたと答えている。平成19年1月22日付け捜査関係照会回答書では、癒着胎盤は計25個のプレパラートとしている。
杉野医師は、公判で、癒着胎盤の範囲は捜査関係照会回答書のとおりとして、変遷の理由は勉強により目を肥やしたためと証言している。検察官には今回帝王切開創と癒着胎盤は重なっていると答えたが、第5回公判廷で「今回の帝王切開創と癒着胎盤は重なっているという覚えはありますか」という検察官の質問にはいと答え、結論は変更したのか、という問いに、そうです、と証言した。
杉野医師の鑑定及び供述の変遷についての検察官の主張
検察官は、論告において、杉野医師の供述の変遷について合理的な理由があるとしている。詳細な観察により杉野医師が積極的に癒着胎盤を診断できるようになったためであり、杉野医師の慎重入念な鑑定態度と能力を表すとする。
しかし、検察官によると、杉野医師は鑑定書の後で詳細な鑑定を行ったことになり、鑑定書作成時にはそれをやらなかったことになり、鑑定書の信用性が無いことになる。杉野医師の供述は、鑑定書、供述調書、捜査関係事項照会回答書、公判廷での供述のいずれも、その時点での杉野医師の能力を前提としたものであって、いずれも信用できない。事実は1つなのに数個の鑑定が生じ不合理である。
それでもなお、検察官は、杉野医師の慎重入念な鑑定態度や能力の高さだと評価しているのは、理解に苦しむ。以上、杉野鑑定は、浅薄な経験に基づく杜撰なもので変遷を繰り返し、信用できない。
中山鑑定への検察官の批判
検察官は、中山鑑定は、鑑定資料の検討が不十分で方法にも問題があると論難する。しかし検察官には根拠がない。
検察官は、中山医師が鑑定に際して4時間弱という短時間しか直接標本を観察していないので短いとする。適切な鑑定に必要な観察時間は長くなければならないというようである。何時間をかければ適切と言うのであろうか。能力が低いため時間がかかるのと能力があり短時間で必要十分な観察ができる者の間には差がある。標本の観察時間と鑑定結果には相関関係はなく、観察時間が長くなればなるほど結果が信用できるというわけでもない。中山医師の周産期病理専門家としての経験はわが国屈指であり能力は疑うべくもない。そういう医師が観察し必要な写真を撮り明快に証言をした。検察は中山鑑定の写真枚数が少ないなどと検討違いの批判をする。中山鑑定で杉野鑑定の写真を使った事を非難しているが、これは対比したにすぎない。こんな論難では科学は成り立たない。
検察官は中山医師が鑑定したのは胎盤の実物ではなく写真だったと非難するが、正しい理解に基づかないものにすぎない。中山医師は熟知した上で写真の限界も理解し鑑定した。杉野医師が胎盤写真を見ようとさえしなかったことで大きな間違いを犯した事実を考えれば、これは言われなき中傷である。
検察官は、当初の鑑定書にアーチファクトの可能性について言及していない、アーチファクトが問題でないと考えていたために違いない、中山鑑定に疑問を生じさせるとする。この批判は当たらない。周産期病理において、胎盤絨毛がばらけやすいことは常識であり、鑑定では当然の前提である。しかし、基礎知識を欠く杉野鑑定に対する批判をする前提として、中山医師が鑑定書追加に基礎的な説明を加えたに過ぎない。検察官が中山医師がアーチファクトを説明したのは子宮前壁には癒着胎盤は存在しないという結論を維持するためと主張するに至っては、自分が理解できないことは間違っていると根拠もなく言っているだけである。
田中教授が杉野医師の癒着深度を測る方法を知らないと述べたことについて、検察官は、田中教授が病理に精通しないので単に方法を知らなかっただけで、杉野鑑定を否定したわけではないという。しかし、杉野医師が述べた栄養細胞が子宮筋層を溶かすというのは間違った解釈であるので田中教授も聞いたことがないと答えるしかなかったのである。杉野医師の計測方法を田中教授、池ノ上教授が知らなかったのは、証人が病理学に通じていなかったからではなく、杉野医師の計測方法が全く独自のものだったのである。
まとめ
以上から、本件子宮の癒着の部位は、子宮後壁の10×9cmの範囲であり、前壁には存在しなかった。癒着の程度は、一部が嵌入胎盤であり、その深度は一番深いところでも5分の1程度であったといえる。
(13:00再開)
■第5 出血の部位、程度について
胎盤剥離中の出血
胎盤剥離中の出血につき、検察官はクーパーを用いた胎盤剥離中に被害者が大量出血したと論じている。検察官は、用手剥離困難な癒着胎盤を無理に剥離した場合、胎盤剥離面から短時間に大量の出血が発生するとしている。
癒着胎盤の危険性について検察官は、癒着胎盤の場合絨毛が子宮筋層に侵入しているため児娩出後も子宮収縮がおこらず母体の血管が口を開けたままになる。さらには子宮筋層を損傷し短時間に大量出血が起きると主張する。また、剥離にクーパーを用いたことが大量出血と関係があるように述べている。
しかし検察官の述べる大量出血のメカニズムは医学的に不正確である。帝王切開術、前置胎盤?、癒着胎盤の出血及び止血のメカニズムについて説明する。
出血量が多いこと
産科の手術では出血量が多いため他科の医師が驚く。通常の帝王切開でも、1500 ml程度の出血は頻繁にある。証人の医師も産科手術の出血量は時に3万mlもあると証言している。妊婦の体内血流量は、非妊娠時の1.5倍程度あるため、2000 ml程度の出血では輸血をしない場合が多い。
短時間で出血すること
帝王切開術においては、短時間で大量の出血を見ることが多い。子宮からの胎盤へ供給される血液量が毎分500 ml程度と豊富であることと関係する。通常、お産が終わると胎盤の子宮からの剥離が始まる。剥離の際に、子宮から胎盤へ血の血管は開口した状態のまま供給先を失うため、シャワーヘッドから水が吹き出るような状態となる。そのために子宮壁からは、毎分500 mlの出血がありうる。
この出血を止めるには、子宮の収縮作用により開口していた血管をふさぐ、シャワーヘッドの目を押さえ込む必要がある。
広範囲の出血で出血点が特定できない
胎盤が存在した子宮の血管が開口しているため、胎盤剥離に伴う出血は剥離面全体に及び広範囲である。出血点を特定することはできない。これに対し、婦人科の手術における出血は、血管結紮など出血の原因が明確である。
止血の機序について
胎盤剥離面からの出血が止血される機序は二種類ある。1つは、生物学的止血で、胎盤を剥離すれば子宮筋層が収縮して止血に至るというものである。児娩出後に子宮が収縮して胎盤に向けて開放していた血管が押しつぶされることによって止血がなされる。このような生物学的機序が働かない場合、1分間に500 mlくらい出血することもあり得る。2つめは凝固学的止血であり、血液の中の凝固因子が作用するものである。凝固因子が働かず出血が止まらない状況をDIC(播種性血管内凝固症候群)という。この2つの止血機序が相互に適切に作用することで、止血に至る。
胎盤の異常がある場合の出血について
前置胎盤?は胎盤が子宮口の一部又は全部を覆う状態をいう。子宮頚部は体部に比べて子宮筋層が薄いため、胎盤が剥離した後にシャワーヘッドの目を詰める機序が働かず、通常より剥離後の出血が多くなる傾向がある。しかし通常は止血に至ることが殆どである。
癒着胎盤の場合、子宮筋層の上に胎盤組織が癒着していたり、子宮筋層が傷付いたりするため、生物学的止血機序が働きにくくなるため、剥離後なかなか出血が止まらないということが多い。
前置胎盤?、癒着胎盤では、子宮収縮が悪いために、胎盤剥離中の出血は、相当量に達することがある。前置胎盤?の場合には事前に輸血を準備したり、子宮の収縮によって止血を期待する。胎盤剥離後も、コントロール不能の出血が続く場合には、患者の全身状態を見ながら、子宮を摘出することになる。
本件患者の出血の原因について
胎盤剥離により剥離面から出血が生じることは上の通りだが、本件患者は、前置胎盤?で加えて癒着胎盤があったため、子宮頚部や癒着部位の収縮が悪く、出血がなかなか止まらない弛緩出血であった可能性がある。多量の出血の経緯や程度について、検察官は胎盤剥離を強行したことにより子宮筋層を傷つけて大量出血したかのように主張している。しかしそれは受け入れられない。
本件患者の出血については、前置胎盤?・癒着胎盤由来みならず、羊水塞栓や、産科DICの可能性も考えられる。
出血の程度について
検察官は、午後2時55分の時点で被害者の総出血量は5000ミリリットルに達しているとするが、その証拠はない。
麻酔記録は最も信頼しうる客観証拠である。麻酔記録によれば、午後2時52分から53分の出血量は2555ミリリットルで、5000ミリリットルではない。 手術開始午後2:26、胎児娩出2:37、胎盤娩出2:50である。2時40分の出血量が羊水込みで2000 ml、胎盤娩出後の午後2時52分〜53分の出血量が2555 mlなので、胎盤剥離中の出血量555 mlであり、胎盤剥離中の出血は大量と言えるものではなかった。
検察側の証人田中教授が属する新潟大学医学部附属病院では、通常の帝王切開手術では2500 mlの出血があれば報告すべき対象としている、前置胎盤?や癒着胎盤では報告しない。このことからも胎盤剥離後の出血量2555 mlが大量とはいえない。
検察官は、論告において、出血があった時期と出血量が麻酔記録に記載された時期との間に間隔が生じること、出血量の記載は脈拍や血圧の数値と比較して記載時間の重要性が高くないこと、手術経過に照らしても麻酔記録の出血量が実際の出血状況と必ずしも対応していないことから、出血量の記載が実際の出血状況を正確に記録したものではないと述べる。検察官はクーパーを用いた胎盤剥離中に被害者が大量出血したと主張するにあたってても、麻酔記録の出血量の記載が実際の出血状況を正確に反映していないと述べる。
しかし、この主張は論告において初めてなされ不当である。検察官は出血量計測のプロセスから数値が麻酔記録に反映されるのにずれがあると言うが、誤謬がある。検察官は2時52分の出血量にガーゼ計測が漏れているかのように主張するが、被告人は胎盤剥離完了時までガーゼを使用していない。よって出血量は吸引瓶の目盛りから即時に出血状況を麻酔記録に反映させることができた。また、平間医師も、出血量が増え緊急性が増すと、担当看護師もリアルタイムに出血量を報告するようになると述べている。看護師も胎盤娩出後にはガーゼも含めて計測したように思いますと証言している。
また、検察官は、看護師が吸引瓶の目盛りを見て、前回計測時からの増加量を計算する必要があったと言うが8000 mlまでは、ただ目盛りを見て報告すれば良かった。胎盤娩出までガーゼ使用しておらず、ガーゼカウントによる出血量計測や計算も不要であった。よって検察官の言うような実際の出血状況と麻酔記録への記載との間の時間的遅れはあり得ない。
そして、胎盤娩出は午後2時50分なので2時52分〜53分頃の出血量の記載2555は、胎盤剥離中のすべての出血が含まれた数字であるといえる。胎盤剥離中の出血量が2555 mlであった。検察官の述べる、出血量の計測計算の遅れから実際の麻酔記録に反映するには時間差が生じるというのは実態がない。
なお、検察官は高田助産師がMAPを手術室に持って行ったときに「5000でてます」と聞いたという供述を、午後2時55分の段階で出血量が5000 mlであることの証拠であるとする。しかし麻酔記録によれば、出血量の増加を示す※印は午後2時55分より後に記載されており、輸血が開始されたのはそれより後と考えられ、輸血製剤運搬の時間や準備の時間を考慮すると、血液製剤が手術室に運ばれたのが午後2時55分であることなどあり得ず、5000出てますと聞いたのが午後2時55分であるということはあり得ない。しかも被告人は、胎盤娩出後、出血を抑えるためにタオルガーゼで胎盤剥離面を押さえ、双手圧迫をしていたのであり、その間、止血操作により、出血量はおさえられていた。
加えて、検察官は、2時55分に5000 ml出血していたことの証拠として、被告人が当日夜記載した記録に、「このあたりでbleeding 5000 mlぐらいか」と記載したこをを挙げる。しかしこの数値は推測であり、被告人はクーパーをペアンと記載しており、児娩出から胎盤娩出までの時間も実際12分のところ15分とおおざっぱに記載している。記載が患者が亡くなった直後で被告人が精神的に動揺していたことは推察できる。この記載を麻酔記録より証拠として重視する必要性はない。
平間医師の供述
平間医師は、麻酔記録の午後2時55分から3時の間の欄に※をつけ、「これ以降出血↑↑となり」と記載している。午後2時50分の胎盤娩出後、2時56分頃から出血量が増えたと記載しているのであって、これを否定する根拠はない。検察官は、これ以降という記載にもかかわらず、この時点での出血量が5000 mlであったと強弁するが不自然である。平間医師の証言による2555 mlの出血の時点と、検察官の主張する5000 mlの出血時点の間は、せいぜい1〜3分しかないので、検察官の弁によれば、1〜3分の間に2445 mlもの出血があったことになり、最大血流量をも超えた数値である。つまり検察官は平間医師の公判供述を否定するしかなく、論理破綻している。もし、わずか1〜3分の間にそのような大量出血があったとすればそう証言するはずである。
さらに、検察官の作成した論告別紙対応表によれば、午後2時52分から3時7分までの15分間の5125 mlの出血の増加について、最初の3分間で2445 ml、その後の12分間で2680 ml出血したとなっている。1分間で815 mlも出血したことになり、生理的に不可能である。到底吸引で追いつく出血量ではないが、そのような印象を述べている者が誰もいない。
検察官は、公判維持のために、午後2時55分時点での5000 mlの出血がどうしても必要で、医療従事者の誠実性を疑い、客観的な証拠である麻酔記録の出血量の記録が間違っていると強弁している。これは、牽強付会な立論と言わざるを得ない。
検察官は、麻酔記録において出血量と時刻とは対応しないと言うが、医療従事者はカルテや麻酔記録を正確に記録することに神経を使っている。麻酔記録は、手術中の循環動態管理のために記載されるもので、出血量は最も重要な指標である、検察官が出血量の数値がその時点の正確な出血量を表すものではないと言うのは、手術現場で働く医療従事者の真摯な姿勢に対する重大な侮辱である。偏見に基づき医療現場を否定する検察官の指摘である。そんなことはどの証拠にも書かれていない。
以上より、検察官の主張する、遅くとも午後2時55分ころまでに被害者の総出血量は5000ミリリットルに達していたなどということは証拠上認められない。
出血状況を裏付ける他の証拠
宮本医師は、胎盤剥離中の出血状況について、ピンポイントで噴いてくる感じではなく面からじわじわ出血してくるような感じで、吸引管で吸っていて被告人の手元に出血がたまっていく状態ではなかったと供述している。
被告人は、本件手術後午後10時40分以降に作山院長らに手術状況を説明しているが、胎盤剥離を完遂した後に出血が増えたと述べており、胎盤剥離中に出血が多かったとは述べていない。
被告人は、胎盤剥離中に出血量が多いとは思っていなかったので、子宮摘出手術に移る必要性は感じなかったと述べている。被告人は胎盤剥離中に剥離面は良く見えた供述しており、剥離中の出血量は検察官の言うように大量ではない。
平間医師の検面調書によれば、麻酔記録には出血量を表す数字の中心が、報告を受けた時間の位置に来るように記載している。2時52〜53分頃の2555 mlは、報告を受けた時点の出血量である。平間医師の証言は概ね一致している。これを信用できないと検察官が非難するのは的外れである。
平間医師は子宮内を目視していないが、宮本医師は術野を目視していた。出血用など術野については宮本証言から判断すべきである。平間医師は術野を見ておらず、パンピング等を行っていたので出血の詳細については曖昧にならざるを得ない。これを検察が非難するが的外れである。
検察官の出血関する主張が医学的に誤りである
児娩出後、胎盤剥離により出血が起きた場合、出血が収まるメカニズムは、胎盤剥離により子宮が収縮し、止血するというものである。検察官が論告で主張するように、胎盤が癒着している部分は子宮の収縮が行われないということはない。検察官の主張は誤りである。また、胎盤剥離で口を開けた状態になっている母体の血管があらわになるとか、子宮筋層損傷で大量出血が起きるなど記載された文献は、検察官提出証拠にない。
検察官は、出血を無理な剥離と結びつける
検察官は、癒着胎盤を無理に剥離した場合、その範囲が広ければ口を開けた状態の母体の血管の数が増える、癒着胎盤の程度が深ければ子宮筋層に対する損傷が大きい、と述べるが証拠がない。
もともと前置胎盤?では、胎盤剥離を始めると、剥離当初から出血が始まる。胎盤剥離後の出血は口を開けた状態の血管から出血するが、前置胎盤?における出血は、剥離が無理かどうかと関わりなく始まる。検察官は、癒着胎盤において大量出血のメカニズムを前置胎盤?の出血と区別しないばかりか、大量出血の原因を根拠なく無理な剥離と結びつけている。
検察官は、どのような場合を無理な剥離というのか、説明していない。医学書において無理な剥離というのは、あらかじめ剥離前に剥離不能な癒着胎盤と診断されている場合と理解される。「胎盤剥離を試みるも剥がれなかったり、止血不能例でも直ちに子宮摘出を行う」という記述は、その著者自身によると、用手剥離しようとしたが、胎盤全面が癒着していることが判明したことから剥離しないということであり、癒着した胎盤を剥がした後、様々な止血操作を試みても止血できなければ子宮全摘するということである。検察官が主張するように、用手剥離を開始した後に、剥離をしにくくなったためにその時点で胎盤剥離を中断せよ述べたものではない。
しかも、臨床の実践では、胎盤の用手剥離を始めれば全て剥離を完遂させている。検察側証人の田中教授が属する新潟大学医学部産婦人科でも、平成18年に報告された3例の癒着胎盤例は全て剥離を完了させている。岡村教授は、出血量によって胎盤剥離を中断することはないと証言し、池ノ上教授は、目で見て明らかに癒着胎盤ではない場合には、胎盤を剥離し始め、出血が多くなったり剥離しづらい場合でも胎盤剥離を完了し、途中でやめることはないと証言した。検察官側の証人である加藤医師は、癒着胎盤3症例を経験し、全例で出血は多くなったが胎盤剥離を完了したと証言した。
検察官は論告で、一般的に用手剥離困難な癒着胎盤を無理に剥離した場合、胎盤剥離面から短時間に大量出血がおこる、と述べたが、これはそもそも剥離できない明らかな癒着胎盤の場合である。検察官は個別に胎盤剥離について立証せず、単なる一般論を述べているに過ぎない。
クーパーと大量出血について
検察官は論告で、関係者の供述もクーパーによる胎盤剥離中の大量出血を裏付けるとした。宮本医師がクーパーによる胎盤剥離後に出血量が増加したと述べたとする。しかし、宮本医師は、クーパー使用を始める前と後では後の方が出血が多かったと答えたが、胎盤剥離中の出血状況はピンポイントで噴く感じではなく面からじわじわ出る感じで、吸引管で吸っていて出血がたまっていく状態ではなかったと供述している。検察官が主張する大量出血があった供述ではない。剥離面が増加すると出血が増えるのは当然である。クーパーは、索状物をそいだり切除するために使っており、クーパーの使用により出血量が増加することはあり得ない。胎盤剥離中の出血は555 mlに過ぎない。
被告人も、検察官の質問に、そんなに出血が多かったとは感じなかったと答えている。クーパーの刃先も見えており出血が多く剥離面が見えないということはなかった。被告人の供述からもクーパーによる剥離中に検察官が主張する大量出血があった事実はない。
検察官は、被害者の癒着胎盤をクーパーで剥離し大量出血があった、と言うが、クーパー使用と出血の関係は全く証明されていない。検察官はこのことから被害者の癒着胎盤の範囲が広く、その程度が重大であったとするが、全く立証されていない。
まとめ
以上より、胎盤剥離中の出血は最大555 mlで、大量出血はなかった。
■第6 因果関係
本件患者の大量出血は前置胎盤?や癒着胎盤に由来する弛緩出血であることも考えられるが、羊水塞栓や産科DICの可能性も否定できない。
検察官は、本件患者の死亡の原因は失血死とし、失血の原因は、被告人が胎盤を剥離し、剥離面から大量出血させたことによるものであると主張する。
弁護人は、死亡原因について、大量出血の他に、羊水塞栓、産科DIC等の原因も考えられると主張した。従って、検察官が死亡原因は被告人が胎盤剥離行ったことのみであると主張するのであれば、その余の原因がないことを反証するべきである。
しかし検察官は、本件患者の死亡原因が胎盤の剥離による大量出血だと主張するに過ぎず、他の死因の可能性について検討しなかった。
患者の胎盤剥離は、医学的に妥当かつ、剥離開始後に中断することは医学的に考えられないと弁論する。従って、被告人が胎盤剥離を継続したことには過失はない。仮に、行為の結果、大量出血が発生し、その出血が原因で死亡するに至ったとしても、死亡の結果から遡って被告人の行為に帰責させることが妥当でないことは当然のことである。
なお、出血量が増加したのは、胎盤剥離終了より後であるので、検察官が胎盤剥離途中に出血量増加に気づき剥離中止すべきだったと主張しても、客観的な証拠に反する。
本件患者の死亡原因について
弁護人は、冒頭陳述で、本件患者の大量出血の原因について、検察官が主張する胎盤剥離のみに原因を求めることが事実に合致しているか疑わしいと指摘した。羊水塞栓などの可能性を指摘したが、検察官は、麻酔記録や被告人らの供述から被害者が羊水塞栓の症状である呼吸困難や胸内苦悶を訴えた事実はなく、羊水塞栓で死亡した根拠はないとする。しかし助手の宮本医師は、全身麻酔に移行する前に患者さんが気分が悪い、息苦しいような感じとおっしゃっていたかもしれません、と証言している。なのに検察官は羊水塞栓を疑う根拠はないと一言述べたのみである。
胎盤剥離行為と出血の機序について
検察官は、田中教授の鑑定に基づき、被告人が胎盤を剥離した行為のみが出血の原因であると主張する。腫瘍専門の田中教授が、周産期に関する鑑定を、実地の経験を伴わず文献から得た知識を基に行っても信用し難いことは述べた。しかし、その田中教授ですら、産科DIC発症の可能性を指摘している。
大量出血こそが死因であり、その原因は被告人による胎盤剥離であるという検察官の指摘を前提とすれば、出血の原因が他にも存在する可能性があるという田中教授の指摘は、弁護人の主張を裏付ける。別の原因も存在する可能性を検察側の鑑定人が指摘しているのだから、検察官はその可能性がないと因果関係を立証する責任があるが、果たしていない。
本件では、午後3時8分までに産科DICが発症した可能性がある。池ノ上教授は、経験した患者の出血量と産科DIC発症の関係、本件患者の出血状況、産科DICに対する対処状況など検討した上で、本件患者において産科DICが発症していたと鑑定した。池ノ上鑑定の手法は、出血量のみならず多面的な根拠に基づく合理的なものである。
検察官は癒着胎盤を無理に剥離すれば大量出血の危険があることは当然であるから、出血が大量だから産科DICによるとするのは説得力がないと言う。しかし、胎盤剥離により大量出血するのだからと産科DICを否定するのは論理の飛躍である。
さらに検察官は、子宮摘出術の時点で、コアグラが確認されたということをもって、産科DICを否定する。しかしコアグラの発生時点は不明で、DIC前に生じた可能性もある。検察官の指摘は失当である。産科DICは消費性凝固障害で、発症前は凝固因子が積極的に活動しているのでその時コアグラができていたとして、その後に産科DICを発症しても矛盾はしない。検察官は発生した時間を明確にもしていない。
検察官は、仮に産科DICによる出血傾向が認められてもそれは癒着胎盤剥離面の大量出血が原因であると主張する。しかしこれは証拠に基づかない根拠のない推測にすぎない。
以上より、本件患者死因、及び、胎盤剥離と大量出血との間に因果関係が認められるという検察官の主張には、他の死因として羊水塞栓の可能性があり、大量出血の原因として産科DICの発症が考えられる以上、大量出血と死の因果関係には疑問の余地があり、検察官の立証は破綻している。
■第7 予見可能性について
検察官は論告において、被告人は、遅くとも自分の右手指を被害者の子宮と胎盤の間に差し入れて被害者の胎盤を用手剥離した時点で、被害者の胎盤が子宮に癒着していることを認識したのであるから、その後胎盤の剥離を継続すれば、子宮の胎盤剥離面から大量に出血し、被害者の生命に危険が及ぶおそれがあったことを予見することが可能であった。被告人は、被害者の胎盤が子宮内腔に強度に癒着していることを認識したのであるから、胎盤剥離を継続すれば死亡に至る大量出血が生じる可能性を予見することができた、と主張する。
この主張は、極めて曖昧で、被告人の防御権を侵害する。さらに検察官の主張は、独自の推測に基づき、論理破綻しており、証拠がなく、医学的合理性もない。
医療の実践では、癒着胎盤の手術がどう行われているかみながら、予見可能性(術前、子宮切開前、胎盤剥離開始後)を論じる。
癒着胎盤の胎盤剥離の実際について
経膣分娩の場合、胎盤剥離がすぐ始まらない場合には、子宮収縮剤などで子宮収縮を促す。それでも剥離しないときには、用手剥離を実施する。帝王切開の場合、子宮収縮を待つこともあるが、色々操作可能なので、宮崎大学医学部では全例用手剥離を施行する。
癒着胎盤の術前の予見可能性
癒着胎盤は非常に稀な疾患であるが、一般的にリスクがあるのは帝王切開既往の前置胎盤?である。帝王切開創が瘢痕化し、その部分の子宮筋層が薄くなり、前回帝王切開創の上に脱落膜が形成されにくくなるからである。特に全前置胎盤?の場合にリスクがある。癒着胎盤発症のリスクがあるのは、前回帝王切開創の子宮前壁についてのみである。
そのため、帝王切開既往の全前置胎盤?患者については、医師は癒着胎盤の可能性を十分考慮し診療にあたる。穿通胎盤や重度の嵌入胎盤は術前診断が可能な場合がある。
子宮後壁の癒着胎盤の予見可能性
子宮後壁の癒着胎盤は、前壁に比べてさらにまれである。帝王切開創のようなリスク因子が乏しいため、後壁の癒着胎盤の発症リスクは前壁に比べ非常に低い。後壁の癒着胎盤が発生する確率は、帝王切開既往や前置胎盤?とは無関係である。従って、前回帝王切開の前置胎盤?患者には子宮前壁の癒着胎盤に注意するのと異なり、後壁の癒着胎盤が発生しやすくなることはない。
加えて、子宮後壁は、超音波検査においても、胎児が邪魔して超音波が到達しにくく、後壁の癒着胎盤に対する検査方法は未だ確立されていない。MRI検査も超音波所見を凌駕するほどの精度が得られていない。
従って、帝王切開既往の前置胎盤?で癒着胎盤の発生が予見できるのは、前壁の帝王切開創に明らかに胎盤が付着している場合だけである。
癒着胎盤の頻度
前置胎盤?が癒着胎盤のリスクとなる場合について検察官は、前回帝王切開の前置胎盤?では、24%という高い確率で癒着胎盤が発現するとして、甲12号証を示す。しかし、甲12号証は、前壁の癒着胎盤についてであり本件のような後壁の癒着胎盤について述べたものではない。後壁に癒着胎盤があった本件の場合、この確率はあてはめられない。
臨床上の発現頻度
癒着胎盤が極めて稀な疾患であることは、証拠上明らかである。
中山医師は5万例以上の胎盤の病理診断をしているが、そのうち、癒着胎盤は24例であった。確率0.048%。嵌入胎盤は0.016%。母子センターというハイリスクを扱う病院でさえ、稀である。
岡村教授は、33年間に1万件以上の分娩に立ち合い、100〜200件の前置胎盤?の症例があり、8〜10例の癒着胎盤があったと証言した。
池ノ上教授は、宮崎大学において平成3年以降4700件のハイリスク分娩のうち12例の癒着胎盤の症例があったと言う。
加藤医師は、32年で1万件を超える分娩を扱い、3例の癒着胎盤を経験した。
本件患者における前壁の癒着胎盤の予見可能性
本件患者の子宮前壁には癒着胎盤が存在しないのは第4に述べた。子宮前壁にはそもそも癒着胎盤がないので、予見可能性を問題にする余地はない。病理組織的にも臨床的にも明らかである。
尤も検察官は、杉野鑑定に依拠して、子宮前壁の癒着胎盤を主張し、予見可能だったと主張するので、念のため、前壁の癒着胎盤を被告人がいかに精査し、癒着なしと診断していたか述べる。
被告人が施行した以下のいずれの検査の結果からも、子宮前壁の癒着胎盤を示唆する所見はない。
超音波検査、
周産期医療においては、超音波検査が多用される。経膣超音波検査と経腹超音波検査の2種類があり、血流の観察法としてカラードプラ法がある。経膣超音波検査で観察できる範囲は、子宮口付近が起点の扇状の範囲である。経腹超音波検査はプローベの先端を起点とした扇状の範囲である。どちらも胎児の影になる部分は観察できない。
超音波の画像は動画としてリアルタイムにモニターに映し出され、必要に応じてプリントアウトする。医師は、超音波検査では全体を満遍なく見て、それから検査目的を中心に所見をとり、写真を撮ったりカルテに記載したりする。医師は異常所見を見つけたら写真に撮ったりカルテに記載する。しかし、目的の所見ではなく、かつ異常所見を認めない場合、写真やカルテに残さない。カルテに写真が貼付されていないのは異常がなかったことである。
通院期間中
平成16年5月6日の医師記録には、子宮の図にC/S woundの記載があり、3枚の超音波検査写真が貼付されている。岡村教授は前回の帝王切開創を推定したと判断する。
平成16年6月1日(8w3d)の医師記録の超音波検査の写真2枚の下に、Pl. low positionの記載がある。岡村教授は、被告人が、胎盤の位置が子宮下部にあり、前置胎盤?の可能性があるので要注意と書いたと判断する。
平成16年6月15日(10w3d)の医師記録には2枚の超音波検査の写真右横に、Pl. Post lowの記載がある。岡村教授によると、この記載と画像から、絨毛組織が低い位置で子宮後壁に付着。胎児の成長に伴い子宮内部の胎盤の位置は相対的に変化するが、胎盤が子宮後壁に付着というのは妊娠末期まで変わらない。前回帝王切開創に胎盤が付着する可能性は低い。被告人は、妊娠初期から前回帝王切開創部に胎盤が進展する可能性の有無を慎重に判断するよう努めていた。
平成16年8月3日(13w3d)の医師記録には、Pl. Post low previa(+)の記載があり、超音波検査画像が貼付されている。岡村教授は、この記載と画像から、被告人が後壁付着の前置胎盤?と把握していたと判断した。
平成16年9月3日(21w6d)の医師記録に、Previa likeの記載があり、超音波検査画像が貼付されている。岡村教授は、被告人が、前置胎盤?に気付いていたと判断する。
平成16年10月1日(25w6d)の医師記録には、Previa のため11月終わりか12月初めから入院か、C/S日は、12月22日、24、(17)との記載がある。岡村教授は、この記載から、早期に入院日及び手術日の診療計画を立て、慎重に診療にあたっていることが窺えると評価している。
平成16年10月22日(28w6d)の医師記録には、Previa(+)の記載があり、超音波検査画像が貼付されている。岡村教授は、この記載と画像から、胎盤は主として子宮後壁に付着している。子宮後壁の筋層と胎盤の間のclear spaceが観察され、癒着胎盤の疑いをもつことは出来ない。被告人は、この日に前置胎盤?を確定診断しただろうと判断する。
被告人は、術前に十分な超音波検査を実施し、子宮前壁には癒着はないとの結論に至っていた。
入院期間中の検査
平成16年11月22日(33w2d)の入院カルテに、この日から管理目的で入院との記載があり、同月26日まで、及び、同月29日から12月3日まで、連日診療をしている。岡村教授は入院カルテから格別の異常所見はないと判断している。
平成16年12月3日(34w6d)の入院カルテに、経膣超音波検査とカラードプラ検査の2枚の画像が貼付されている。岡村教授は、画像から胎盤が後壁にあり、被告人は、胎盤が前回帝王切開創にかかっていると懸念を持ったとしても、強いものではなかったと考えられると判断した。岡村教授は、被告人が妊娠初期に前回帝王切開創の位置を推測し、頻回に超音波検査を行い胎盤の位置を慎重に観察していたと判断している。岡村教授は、下の画像の右横に血流(+)との記載があるが、画像の子宮前壁に前置胎盤?にしばしば認められる血流の所見であり、癒着胎盤を疑うほど豊富ではなく、これをもって癒着胎盤と診断することはできないとした血流(+)は、胎盤の辺縁、内子宮口に近い部分と見られるが、この部分には病理学的にも癒着がない。さらに、岡村教授は、この2枚の画像において子宮後壁と胎盤の間に、clear spaceが明確に観察され、胎盤の画像も均一でスイスチーズ様の所見もないので、癒着胎盤の疑いを持つことは出来ないとした。尿中潜血(±)につき、Placenta acreta or previa bleeding注意との記載について、尿中に潜血がわずかにあることをもって、癒着胎盤を疑うことは過剰診断であるとの見解を述べた。
平成16年12月6日(35w2d)の入院カルテに、膀胱下血流(+)の記載があり、経腹カラードプラの画像が貼付され、画像から膀胱下方の血流が観察されている。岡村教授は、膀胱近くに血流が検出されてもそれが癒着胎盤を診断する根拠とはならない。癒着胎盤がなかった妊婦にも芋虫状の豊富な血流が観察され、豊富な血流があったからといって癒着胎盤と診断する根拠にならないと、鑑定意見書追加に参考写真を貼付し説明した。被告人は膀胱への浸潤を危惧して尿検査をし、本日尿潜血(―)と記載した。この記述から、岡村教授は、前壁部分についての癒着胎盤の懸念は過剰診断と言わざるを得ない、これまでの超音波検査画像を検討しても癒着胎盤であるという所見は見られないと述べた。子宮後壁についても再三にわたる超音波検査の結果から、癒着胎盤を予見できなかったと述べている。
田中教授は、鑑定書に、12月3日、6日の超音波検査、カラードプラ検査で認められた胎盤子宮筋層付近の静脈叢または膀胱下方の血流を主治医はどう判断したかわからないが、このような結果が得られた場合は、癒着胎盤を疑い、MRIなどのさらなる検査を行い、帝王切開術施行の際に癒着胎盤合併前置胎盤?としての準備が必要だったと述べる。しかしこの意見は、田中教授が、癒着胎盤の超音波検査を一度も経験したことがないのだから推測に過ぎない。豊富な臨床経験に基づく岡村鑑定に比べ証明力がないこと多言を要しない。
平成16年12月7日(35w3d)の入院カルテに性器出血の訴えで診察の記載がある。岡村教授は、カルテの記載から、前置胎盤?や癒着胎盤からの出血は考えられないと述べた。
平成16年12月14日(36w3d)の入院カルテには、同日、患者本人と夫へ手術説明をしたことが記載されている。岡村教授は、カルテに記載のある子宮の図は、胎盤の大部分が子宮前壁にかかっているが、被告人は、超音波検査の結果から胎盤の大部分が子宮後壁にあったと認識しており、輸血の可能性、子宮摘出の可能性、血栓症、手術の際の皮膚切開などの説明があわせてなされたことからすれば、この図は、本件の患者の状態ではなく前置胎盤?の一般的な説明を図示したとわかると判断している。
平成16年12月17日、本件手術が行われてた。岡村教授は、入院カルテから、被告人は6日に術中超音波検査の実施を決め、子宮表面にプローブをあて、胎盤の位置を確認してU字切開をしている。術中超音波検査は分解能が高く、癒着胎盤の診断精度はMRI検査を凌駕すると述べている。
以上のとおり、本件患者の診療経過を精査したところ、胎盤が前回帝王切開創に付着し、癒着していることを示唆する所見はない。
被告人の認識
被告人は、本件患者の診察にあたり各種の検査を繰り返し、通院中入院後の超音波検査結果から特に胎盤の付着位置について前置胎盤?以外に所見がなかったことを認識し、尿潜血も癒着胎盤由来ではないと確認した。このことから、本件帝王切開術前の時点で、被告人に本件患者の胎盤が前回帝王切開創に付着している可能性があったという認識はなく、癒着胎盤の可能性があったという認識もない。
加藤医師に対する説明の際に、一部胎盤が掛かっているかもしれないと説明したが、初めて先輩の加藤先生にお手伝いを依頼するにあたって、何もない症例でお呼びするのは、ちょっと気が引けたからですと明確に説明している。説明内容は合理的である。帝王切開前の被告人は胎盤が前回帝王切開創に付着しているとは考えていなかった。
前回帝王切開創に胎盤がかかっていない事
検察官は、被告人が、胎盤が前回帝王切開創に付着していると認識していたとする。これを根拠に、被告人が癒着胎盤を予見すべきであったと主張する。検察官は、上記の認識の根拠として、全前置胎盤?、杉野教授が標本XX-27に前回の帝王切開縫合糸が存在し同部分に絨毛が存在すると鑑定したこと、中山鑑定で胎盤の5分の2が前壁にかかっていたとする。これらから前回帝王切開創に胎盤がかかっており癒着していたとする。
検察官が主張する前提とする杉野鑑定は事実を誤認したものであり、標本XX-27が前回帝王切開創ではなく、同部分に癒着がないことは中山鑑定で立証されている。従って、検察官の主張は前提を欠く。
被告人は、頻回に超音波検査を行い写真を残しているが、これらすべてに臍帯が写っていない。これは、臍帯が子宮口付近にはなかったからであり、胎盤が前回帝王切開創付近に付着していた可能性はない。
被告人は、児娩出後、臍帯を牽引したところ子宮後壁が持ち上がる様子だったと供述した。平間医師、宮本医師、助産師もこれに沿う証言をしている。仮に、臍帯が、子宮口に付着してれば、臍帯の牽引によっても子宮後壁は持ち上がらない。従って臍帯は子宮後壁の子宮口から離れた位置にあり、検察官の主張は否定される。臍帯の子宮内での位置関係と胎盤の大きさからすると、胎盤が前回帝王切開創に付着していた可能性はない。
そもそも、検察官の主張は、被告人がいつの時点で付着の認識もっていたか明らかにせず問題である。医療においては、さまざまな可能性を念頭におきつつ検査や経過の観察を繰り返して現象の原因を絞り込んでいく。検査が十分でない段階では、可能性の認識があっても、検査の積み重ねにより否定されていけば、認識もまた否定されていく。検察官の主張は、いつの時点の認識を問題にするのか不明確である。
結論
以上より、前回帝王切開創に胎盤が付着しているという事実は存在しないし、被告人がこれを認識していたという事実もない。
前回帝王切開創に胎盤が付着していなかった以上、被告人に予見義務はない。被告人は、術前検査の積み重ねによって、前回帝王切開創に胎盤が付着している可能性を否定していた。
開腹直後の予見可能性について
検察官は、被告人が用手剥離に際し、子宮と胎盤の間に指を挿入した段階で癒着の予見が可能という。根拠として患者の子宮前壁に血管怒張が見られたこと、被告人が術中超音波検査を実施し子宮の右寄りをU字切開したことをあげる。しかし、各証人および被告人の供述から、その血管が癒着胎盤の兆候を示すものでないことは明らかである。一般に、子宮前壁に見られる血管は医学的に、前置胎盤?由来の血管、膀胱の血管、胎盤の血管の3つが考えられ、このうち癒着胎盤の兆候を示す血管は、?のみである。検察官が主張する子宮前壁の血管が3つのうちどの血管なのか主張も立証もない。
癒着胎盤を疑わせる所見について、池ノ上教授は、胎盤が子宮の壁を突き抜けて子宮の表に胎盤の裏側が見える、ごつごつした感じの強い構造物、一般的な血管とは異なった血管が見えることがありますと述べる。 通常の妊娠であっても、子宮表面に血管が見えることはしばしばある。池ノ上教授は、子宮の前壁には静脈が浮き上がって見えることがあると証言する。前置胎盤?の場合には、そのような血管の増加や怒張が認められると述べる。一方、癒着胎盤を疑う場合の所見は、通常の妊娠で見る血管とは全く異なり、硬く大きく密であると述べる。
つまり、男性の手の甲の静脈のような血管が開腹後の子宮に見られることは通常の妊娠でもしばしばある。癒着胎盤が一見してわかる場合は胎盤が見えていたり、硬くごつごつした血管隆起がある場合といえる。
鈴木助産師は、男性の腕の血管の太さの血管が隆起していたと供述した。しかし帝王切開術に立ち会った経験が数回しかなく前置胎盤?や癒着胎盤の症例を経験したことがなく、その子宮も見たことがない。従って、この証言から癒着胎盤であるように検察官が立証するのは牽強付会という他ない。証言で血管があったのは子宮の下側の一部にのみであったと明らかにしている。
宮本医師は、男の人の手の甲の静脈くらいの太さの静脈が数本という感じだった、子宮全体でなく一部に、盛り上がっているわけでもなかったと供述した。この内容は癒着胎盤の特徴ではない。
被告人は、帝王切開術を開始した後、子宮表面に血管の隆起を認めているが、子宮の異常を示す隆起ではないと診断した。前回帝王切開や前置胎盤?の場合には、このような血管を認めることがあり、癒着胎盤の場合の兆候であるごつごつした隆起とは異なると診断した。被告人がこの血管に、術中超音波検査のためにプローベをあてると、その隆起はすぐに消えており、癒着胎盤の場合の硬いものではない。
被告人は、開腹直後に術中超音波検査を実施し、胎盤の位置を確認し、前壁に癒着がないことを確かめて、子宮の切開位置を決めた。この検査により、前回帝王切開創と推測した部分に胎盤がないと判明した。被告人は術前検査でも前壁の癒着胎盤の可能性はまずないと判断していた。子宮切開直前においても被告人が、前壁の前回帝王切開創への胎盤付着を認識していなかった。
検察官は、被告人のU字切開が、子宮左より下部の前回帝王切開創に胎盤がかかっていることを確認したのでその場所を避けるため切開したと、切開時に癒着を認識していたと述べるが、その推論には根拠がない。2度目の切開は、前回帝王切開創を避けて行う。本件でも、前回子宮切開創と思われる箇所を避けて右寄りにいつものとおりU字切開したものであって、癒着胎盤の予見とは無関係である。
結論
以上、本件子宮で観察された子宮の血管は、癒着胎盤の兆候を示すようなものではなかった。U字切開も癒着の認識と無関係である。術中超音波検査でも、前回帝王切開部への癒着がないことを認識していた。このように、被告人が胎盤を用手剥離した時点において、癒着胎盤を予見することはできない。
術中における大量出血の予見可能性
検察官は、被告人は、被害者の胎盤が子宮の内膜に強度に癒着していることを認識していたのであるから、胎盤剥離を継続すれば、胎盤剥離面から被害者の死亡につながりかねない大量出血が生じる可能性を予見できたとする。しかし、この主張は全く根拠を欠く。
予見可能性の対象と時点が不明確である。検察官は、大量出血が生じる可能性を予見することができたとして、予見の対象を設定する。そして、注意義務が発生する時点は、右手指を被害者の子宮と胎盤の間に差し入れて被害者の胎盤を用手剥離した時点であると主張する。
しかし、この時点については、被告人が用手剥離に着手した時点、被告人が後壁部分の癒着を認識した時点、強度に癒着していたことを認識した時点、のいずれについても論述し特定が困難となっている。
予見可能であるとする時点は、認定基準となる時点なので一義的に特定すべきで、検察官のように不明確な主張は許されない。謝った判断を導きかねない。
検察官は、予見義務の発生時点についてあいまいにし、被告人が、死に結びつくような大量出血の予見が可能であったかのように漠然と主張する。これでは、過失の内容は明確にならず、このような主張は検察官の訴因の特定が不十分で、被告人の防御権を侵害する。
仮に検察官の主張を善解するとしても、その主張は破綻している。用手剥離を始めた時点で癒着胎盤を認識することなど、本件においてはあり得ない。帝王切開術では一見明らかな穿通胎盤を除いて、用手剥離を行う。臨床の実践では用手剥離を開始した場合、胎盤の剥離を完了する。検察官は、このような臨床の実践を無視して非常識と言わざるを得ない。被告人は、産科医療の実践に従い用手剥離に進んでおり、その時点で大量出血を予見していない。また、児娩出直後、特に大量出血もしていない。
検察官の主張によれば、前回帝王切開既往で前置胎盤?の患者はすべて癒着胎盤の可能性があるので、用手剥離した時点で癒着を認識し、そのとたんに剥離を中止して、子宮摘出すべきことになる。これは無理な作為義務を医療従事者に課すものである。
被告人が後壁部分の癒着を認識した時点とした場合、大量出血の予見が可能であったかを検討する。被告人が癒着を認識したのは、被告人の供述によれば剥離がしづらくなってきて、クーパーを併用するようになった時点である。この時点まで被告人に癒着胎盤の認識がなかったことは明らかである。しかし、前置胎盤?・癒着胎盤の場合、用手剥離で出血があるのは当然で、出血を見ても剥離を完遂し、子宮収縮を促して止血を期待し、その後の止血処置をするのがわが国の医療の実践である。よって癒着胎盤を認識したとしても、大量出血を予見したことにはなりえない。そもそも、癒着胎盤の臨床診断は、胎盤剥離後の出血が多く止まらない事が要因になっている。麻酔記録によれば、胎盤剥離中の出血量は555 mlにすぎない。従って、被告人が癒着を認識したとしても、大量出血の予見があったとはいえない。むしろ止血目的に剥離を継続することが適切である。検察官の主張は臨床の実践における医療水準に反する主張である。
強度に癒着していたことを認識した時点というのは、そもそも明らかでなく、癒着の認識と強度に癒着していたことの認識の違いも明らかでない。検察官が根拠もなく言葉として設定した時点であって、立証されていない。
田中教授は、鑑定書で、癒着胎盤すべてに大量出血が起きることはなく、適切な処置により無事に手術を終了している症例も多数あることを考えると、予見可能性の程度は低いとしている。
以上から、検察官の主張には根拠がない。
その他の検察官の主張に対する反論
検察官は、被告人が、術前検査で、胎盤が前回帝王切開創部に付着していることを認識しており、癒着胎盤の予見が可能であったと主張している。検察官は、胎盤の縁が帝王切開創に接していて癒着の可能性があると思い、癒着胎盤を念頭に手術の準備を行った、という被告人の供述をもって、術前に癒着の認識があったと指摘する。しかし、被告人は、手術準備の時期において、前回帝王切開創への胎盤の付着の有無を十分検討し、付着はないと診断した。検察官の調書は、認識の時期に関する配慮を全く欠いており、これに基づく論告には意味もない。
さらに、検察官は、被告人が、胎盤は前回帝王切開創全体を覆っておらず、左半分にかかっているかどうかも微妙で、前壁に胎盤が癒着している危険性は低いと考えていたと供述したことを指摘し、被告人が癒着の認識を有していたかのように指摘する。検察官が、前回帝王切開創に胎盤がかかっていない前置胎盤?患者の場合の癒着胎盤の発症率は、3〜4%であると指摘されている。被告人が癒着の可能性の認識を3〜4パーセントと供述していることは、被告人が前回帝王切開創に胎盤がかかっていないと認識していたことを裏付ける。
検察官が癒着の認識の根拠として指摘する乙11号証を検討すれば、被告人は前回帝王切開創に胎盤がかかる癒着胎盤の可能性を考慮していたかのようにも考えられる。被告人は、前回帝王切開で前置胎盤?であったので一般的な癒着の可能性を考慮したものである。しかしこれは当然のことであり、本件患者の前壁への胎盤の癒着について特に予期したものでもない。被告人は、術前検査、術中超音波検査などの慎重な処置を繰り返し行い、癒着胎盤の可能性を除外し、万が一の癒着胎盤の可能性に備えたのである。このような検査の施行をもって認識があったと断定されるならば、慎重な検査を行った医師に対し、予期せぬ疾患の予見可能性があったと予見義務が無限に広がり不合理である。
検察官は、本件手術から数日後に記載した文書に、前回帝王切開創部の一部に、胎盤が付着している旨の記載があると指摘し、証拠提出されていないが、被告人が前回帝王切開創への胎盤付着を認識していたと主張する。しかし、当該文書は、組織診診断書に前壁にも癒着があるとの病理診断があったものと考えて、被告人がこれにあうように記載したに過ぎない。
その余の主張について
検察官は、三瓶医師が、前回帝王切開創に胎盤がかかっている癒着胎盤の可能性が高いことを被告人から伝えられていたと主張する。しかし三瓶医師は、医局の先輩として前回帝王切開創にかかっていると予測されたのであれば、被告人一人で大野病院で手術させることはないと言明しており、検察の曲解である。
検察官は、証拠取調請求の方法自体も公正さを欠く。検察官は、平成18年12月5日、上記供述部分をマスキングした証拠取調請求を行った。弁護人の抗議により、平成19年2月23日の第二回期日間整理手続きにおいて、マスキングのない三瓶医師の同じ検察官調書の証拠調べ請求を行った。まさに前代未聞の証拠取調請求である。
検察官は、平成16年12月14日の本件患者夫妻に対する手術説明において、前置胎盤?で、前回帝王切開の場合は、前回の傷に胎盤が付着しやすい、実際どうなっているかは切ってみないと分からないと説明したこと、子宮摘出の可能性を説明したことを根拠に、本件患者が癒着胎盤で、子宮摘出に移行する可能性が高いことを認識していたとする。しかし、医師の手術説明は、患者に対し、リスクをすべて話しておくのが前提でである。
検察官は、被告人が平間医師に対し、術前、胎盤が深く食い込んでいるようなら子宮を摘出すると述べていたと主張する。しかし、被告人は手術前に癒着胎盤ではないと診断していた。それ以前の癒着胎盤を危惧していた時期における説明である。
結論
以上より、被告人の手術直前における認識は、前回帝王切開創への胎盤の付着を認識していたものではない。診療経過や術中超音波検査など、ぎりぎりまであらゆる可能性に対処するための処置を講じていた。そのような慎重な診療行為を検察官は理由なく論難する。検察官は、尿検査の結果尿潜血反応が認められなくなったからといって、被告人が癒着胎盤の可能性を完全に否定したとは言えないと述べ、100%の可能性を否定できなければ、癒着胎盤の予見可能性があるかのように主張する。
しかしながら、これらの主張は臨床の実践とはかけ離れている。医学が対象としている人体は、未知の領域が数多く残されている分野で、人体の個体差もある。医学の診断において100%なる観念は存在せず、そのような診断を求めることは、不可能である。
■第8 剥離中止義務の医療措置の妥当性、相当性、結果回避義務について
はじめに
検察官は、論告で、被告人には、胎盤剥離を中止し子宮摘出手術に移行し、大量出血による被害者の生命の危険を未然に回避すべき注意義務があったにもかかわらず、被告人は、胎盤剥離を中止して子宮摘出手術に移行せず、クーパーを使用して漫然と胎盤の癒着部分の剥離を継続したものであり、被告人には過失が認められるとする。
しかし、全証拠からも臨床の実践にはそのような施術はなく、胎盤剥離を中止することは、非現実的な処置である。検察官の設定する注意義務は、机上の空論に過ぎない。検察官の主張に従い、剥離中止して子宮摘出に移行すれば、かえって出血を放置することになり、患者の状態を悪化させ死の危険を生じさせることも避けがたくなる。臨床の実践とも逸脱してしまう。
胎盤剥離の中止義務について、現実の医療の実践について述べ、検察官の主張する胎盤剥離の中止義務に医学的な合理性がなく、本件の被告人の施術が、本件診療当時の臨床医学の医療水準であり、医学的な合理性を有するものであることを明らかにする。
胎盤剥離の中止義務
帝王切開術では、大量・短時間・広範囲で出血がみられる。特に前置胎盤?・癒着胎盤症例ではそうである。止血には、止血の機序を正確に理解し処置をしなければならない。検察官が主張する胎盤剥離の中止義務は存在しない。
帝王切開術では、児娩出後、用手剥離が施行されることがほとんどである。胎盤を剥離することで、子宮が収縮し、それによって止血に至ることが期待できる。胎盤剥離面からの出血をおさえるには子宮全体の収縮が大事であって、子宮内に胎盤が残存していては、子宮収縮が困難となる。胎盤娩出が優先され、ときには胎盤をむしったり、ちぎったりすることもある。胎盤は出産後不要となるので子宮を傷つけなければ問題はない。臨床現場において、医師は、胎盤剥離を完了させ、子宮収縮による止血を期待する。
胎盤を子宮の内部に残したままでは、ガーゼ充填や縫合等の止血操作が困難である。従って、胎盤の剥離を完遂させる。
胎盤剥離中の出血は、胎盤剥離を中止する理由にはならない。帝王切開の場合、胎盤はほとんど用手剥離されるが、胎盤剥離面からの出血を伴う。子宮収縮が悪ければかなりの出血量に達することがある。前置胎盤?では収縮が悪いので出血量は通常より多くなる。胎盤を剥離中に出血があったからといって、胎盤剥離を中止する理由にならない。
胎盤剥離途中で中止しても出血は止まらない。正常でも、用手剥離を始めるとすぐ出血がはじまり、前置胎盤?の患者の場合かなりの出血が始まる。胎盤が残っていること自体、子宮収縮しにくいので、剥離中止の結果的に出血が止まることは考えられない。この出血を止めるためには、胎盤を剥離し子宮収縮を促すか、剥がれたところを実際にみて止血操作を始めなければならない。胎盤剥離の中止は現実的な医療処置として合理性がない。
子宮摘出に移行する場合、とくに前置胎盤?症例では、胎盤が摘出操作の障碍になる。前置胎盤?の場合、胎盤は子宮動脈がある子宮下部に付着し、子宮下部にある子宮動脈の結紮及び切断の処置をする時に操作がしにくいからである。特に本件の胎盤は通常に比べ大きく、胎盤を子宮内に残したまま子宮摘出術を行うことは通常の医療処置ではない。
以上、胎盤の剥離を完遂してから子宮摘出術に移行するのが臨床現場における医療の実践である。
わが国の臨床医学の実践における医療水準
検察官は、医学書の記載から、被告人の結果回避義務とわが国の医療水準を立証しようとするものである。これは医学書の記載を誤解もしくは曲解するものである。医学書には検察官の主張を裏付ける記載はない。
甲9号証「産科臨床ベストプラクティス」の捜査結果は、癒着胎盤で器具を使用した胎盤剥離を容認する記述はなかったという。しかし、同書の記載に「大量出血を認めた場合には直ちに中止し、開腹術に切り替えるべき」とあることと図1に示された胎盤用手剥離法から、同書の記述は、盲目的操作によらざるを得ない経膣分娩についてのもので、本件のような帝王切開の場合には妥当しない。また、器具を使用した胎盤剥離を容認する記述がなかったからといって、禁忌となるわけではない。クーパー使用の是非は、臨床の現場における執刀医の判断に委ねられるべきものである。
甲10号証「産婦人科の実際」の捜査結果は、本件に関連する前置胎盤?について掲載されているというものである。同書のに無理な用手剥離は危険で、子宮全摘が必要となる場合が多いとの記載がある。しかし、同書は用手剥離開始前に判明した穿通胎盤を前提に述べたものである上、用手剥離開始後の中止については、何も記述していない。執筆者の吉田教授は、「状況に応じて胎盤をすべて剥離することは十分に考えられます」と述べており、検察官の主張を裏付ける記載はない。
甲11号証「これならわかる産科学」の捜査結果は、同書の癒着胎盤の治療の項に、超音波検査で癒着胎盤と診断された場合、大量出血の可能性が高いため、子宮動脈塞栓術や輸血を準備した上で子宮全摘を行うとある。同書は、超音波検査の結果、術前に癒着胎盤が診断できた場合について記述したものである。用手剥離開始後の中止について何も記載していない。
甲12号証「標準産科婦人科学」には、子宮壁を通して胎盤が見えるものは迷わず子宮摘出する。また胎盤剥離を試みるも剥がれなかったり、止血不能も直ちに子宮全摘を行うとの記載がある。執筆者の竹田教授は、「胎盤剥離を試みるも剥がれなかった場合とは、嵌入胎盤や穿通胎盤などで胎盤全面が癒着していると胎盤は全く剥がれないことが多く、この際は躊躇なく子宮摘出を行うということ」と回答した。剥がれない場合には剥がれていないので剥離部分からの出血もなく、子宮摘出が可能である。また、止血不能例でも直ちに子宮全摘を行うとは「一部癒着している狭義の癒着胎盤や嵌入胎盤では、癒着した胎盤を剥がした後、止血できればよいが、できなければ子宮全摘する、ということである」と述べる。いずれにせよ胎盤剥離を途中まで行い、剥離部分から出血が始まっているのに、止血措置をせずに子宮摘出をせよなどという検察官の主張を裏付ける記述はどこにもない。
以上から、検察官が医学書の記述によりわが国の医療水準を立証し、被告人に結果回避義務を認めようとする意図は、失敗に終わっている。
臨床医学の実践現場における医療処置
検察官は、胎盤剥離途中に癒着を認識したら剥離を中止せよと主張する。しかし、検察官はこのような施術方法について、ただの1例もそのような症例の存在を立証していない。他方、臨床医学の実践現場では、癒着胎盤において、用手剥離を開始したら剥離を完了している。
検察官側の証人である加藤医師は、32年の臨床医としての経験を持ち、この間1万件を超える分娩を担当し、3例の癒着胎盤の症例を経験したが、いずれも胎盤剥離を完了している。
周産期医療の専門家である岡村教授は、約33年間に1万件以上の分娩に立ち会い、100〜200件の前置胎盤?症例を経験し、うち8〜10例の癒着胎盤があったが、全て胎盤剥離を完遂していると証言した。
同じく周産期医療の専門家の池ノ上教授は、36年間に多数の分娩に関与し、宮崎大学で12例の癒着胎盤例を管理したが、胎盤剥離を開始したものは、すべて剥離を完了していると証言する。
検察側の証人である田中教授の所属する新潟大学医学部産婦人科では、平成18年度、34例の前置胎盤?患者のうち3例が癒着胎盤であったが、いずれも胎盤の用手剥離を完了したことをホームページ上で公表している。
まとめ
癒着胎盤で胎盤を剥離しないのは、?開腹前に穿通胎盤や程度の重い嵌入胎盤と診断できたもの、?開腹後、子宮切開前に一見して穿通胎盤や程度の重い嵌入胎盤と判断できたもの、?胎盤剥離を試みても癒着していて、最初から用手剥離ができないものである。
用手剥離を開始した後は、出血しても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待すると共に止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出するということになる。これがわが国における臨床医学の実践における医療水準である。
わが国の臨床医学の実践における具体的な医療処置
一般に産科医は、いったん胎盤の剥離を開始した場合に、胎盤剥離を中止することはない。本件で証言した各医師も証言している。
岡村教授は、胎盤の剥離を中断することがあるかとの質問に対し、「私の経験では、それはないです、ほとんど胎盤剥離を始めると最後まで完遂します」、「剥離を始めますと出血が始まりますので、まず止血せねばならず、胎盤をすべて剥離するというのがまず第一の操作です」と証言した。
池ノ上教授は、胎盤を剥離して子宮摘出に進んだものの中で、胎盤剥離を中止したものはあるかという質問に対し、「ありません。すべて胎盤剥離は完了します」、「癒着があるかどうかはやってみないと分からない。用手剥離を始めた段階では、剥離した正常な部分から既に出血が始まっている。さらに進めて剥離がしにくいかなと感じる、指先とか手刀に感じる。しかしそれでも胎盤剥離は続行してすべて胎盤を取り終える」と証言している。
加藤医師は、胎盤を用手剥離中に胎盤剥離を中止して、子宮摘出を考えなかったかとの質問に対し、「考えなかった」と答え、その理由は、「剥離完了で子宮収縮によって、止血が図られると考えたから」、また、用手剥離を始めて出血があった場合も、「剥離が始まったら完了させるしかない」と証言する。摘出後、子宮筋層に絨毛が3分の2くらい入っていた嵌入胎盤でも、剥離中出血によらず、被告人と同様胎盤剥離を完了している。
被告人は、出血も血圧も脈拍も安定していたので剥離を止めようとは思わなかった、剥離完了で子宮収縮の止血効果を期待していたと供述する。
結論
このように、公判廷で証言した産科専門医が皆、剥離を開始したら中止せず完遂すると証言しており、これがわが国の臨床医学の実践における医療処置である。
被告人の術中の処置の妥当性・相当性
被告人は、午後2時37分に児を娩出し、ペアンで臍帯を挟み、クーパーで臍帯を切断し、児を助産師に渡した。
その後、子宮切開創の上下の断端の止血のため、曲がりのペアン4本を用い4箇所をペアンで挟んだ。胎盤側に残った臍帯をもう1本のペアンで挟み、注射器で子宮動脈血を採取した。
看護師から子宮収縮剤の入った注射器をもらい、子宮の体部に筋肉注射した。その後、子宮を腹腔内から取り出し、胎盤の付着状況を確認し、胎盤が後壁すべてを覆っている状態で前壁はかなり下の方にのみあることを確認した。
親指と人差し指で子宮壁を挟み、厚みを検査した。
その後、臍帯を引っ張ったが、子宮の後壁の内側が持ち上がり剥離できなかった。そのため、子宮を丁寧にマッサージして再度臍帯を引っ張ったところ、後壁内面が持ち上がってくることはなかったが、胎盤は剥離しなかった。
被告人は、このような処置に3〜4分の時間を要した。
被告人は、午後2時40分頃に、胎盤の用手剥離を開始した。胎盤の剥離は2時50分に終了した。用手剥離に要した時間は、約10分である。
被告人が胎盤の用手剥離を開始しようとした2時40分時点の出血量は、2000 mlである。胎盤剥離を完了するまでの10分間に555 ml出血しているが、剥離面が増加することを考えると、出血量は用手剥離の進行とともに漸増したことになる。クーパーを使用した後の出血量は、使用前に比べて多くなっている。胎盤剥離中の約10分間で555 ml出血したとすると、剥離当初の1分間の出血量は、55.5 mlよりさらに少ない。
池ノ上教授は、出産時の大量出血は1分間で450〜650 mlになると証言する。本件の胎盤剥離中の出血量は、大量出血の場合の10分の1にすぎない。
被告人が、用手剥離を開始してからクーパー使用までに、何分あったかは証拠上明らかではない。クーパーを使用するまで、スムースに剥離ができていたことを考えると、2〜4分程度と考えられる。この間に被告人は、胎盤の約3分の2を剥離したと認識していた。
剥離開始後4分経過時点の出血量は、222 mlより少ない。被告人はこれ以後クーパーを使用し、癒着胎盤又は子宮収縮不良を疑いながら用手剥離を継続した。
そして、被告人は、用手とクーパーを併用して胎盤剥離が可能であり、剥離によって出血がとくに増えたという認識もなく、剥離できないという認識ももたなかった。これは、病理鑑定結果とも一致する。
被告人が、胎盤剥離中に癒着の程度をどう認識したかについては、剥離不能と認識しなかった。
検察官は、遅くともクーパーの使用を開始した時点では、被告人が癒着胎盤を認識したのであるから、胎盤剥離を中止して、子宮摘出せよと言う。しかし、被告人がクーパーを使用した時点の出血量を検討すると剥離中の111 mlないし222 mlの出血量で、剥離を中止せよという判断は、明らかに不合理である。
結論として、被告人は、胎盤剥離後の子宮収縮による止血を期待し、止血措置による止血を期待して、胎盤剥離を継続したものである。被告人の判断は、臨床現場における医師の裁量として合理的で妥当かつ相当である。
検察官の主張
検察官は、被告人が、?帝王切開から子宮摘出にすみやかに移行するために砕石位とし、輸血用製剤を準備し、看護師や麻酔医に対し子宮摘出術に移行する可能性を告げていた。?本件患者夫妻から子宮摘出についての同意を得て、手術中も同意を再確認することは容易であった。?午後2時40分の時点で、血圧が上100、下50、脈拍が110弱、総出血量が2000 mlであり、全身状態が悪化していない。?胎盤が子宮内に残存したままでも、子宮摘出術は可能であった。?胎盤剥離を中止して抗がん剤を投与して絨毛組織を変性させる保存的治療法を実施することは可能であった。これらを主張し、被告人が胎盤の用手剥離困難と癒着胎盤を認識した時点で、直ちに胎盤剥離を中止して、子宮摘出術に移行することは可能であったと主張する。
検察官の主張に対する反論
被告人が、帝王切開から子宮摘出に速やかに移行できるように準備したのは、前置胎盤?の施術における慎重な医療処置であり問題ではない。
午後2時40分の時点で癒着胎盤の兆候はないから、この時点で用手剥離の中断などを考える余地はない。全身状態が安定しており出血量も2000 mlで、子宮摘出を行えば、それ自体が医療過誤となる。
検察官は、胎盤を子宮内に残存したまま子宮摘出の実行は可能だったと主張するが、検察官の主張は机上の空論に過ぎない。
検察官は、胎盤剥離を中止して閉腹し、保存的治療法を実施することは可能であったとか、胎盤剥離を中止して子宮摘出術に移行することは可能であったと主張するが、胎盤剥離完遂がわが国の臨床医学の実践であることは前述した。
胎盤の用手剥離をせず子宮摘出に移行するのは、術前に癒着胎盤の診断で、患者が妊孕性の維持を希望していない場合、及び開腹後一見して明らかに癒着胎盤である場合である。子宮摘出すべきというのは簡単であるが、医療の現場で、妊娠や出産と向き合っている医師たちは、子宮摘出をそのように簡単に考えていない。やむをえない場合を除いて、医師は、子宮温存に努力するのである。
出血が多くない段階で、胎盤剥離により子宮収縮が期待できると判断すれば、医師が胎盤の用手剥離に着手するのは当然である。癒着胎盤の臨床診断は、子宮、剥離の困難さや出血量の増加などを総合的に判断してはじめて下せる。本件においては、少々剥離がしにくかったとしても、その時点で剥離中止の判断に至ることはない。
被告人の判断は、手術経過によっても裏付けられている。被告人が胎盤の用手剥離を開始してから、クーパーを使いながら用手剥離が終了するまでの間、出血量は555 mlしか増えていない。その時点では、胎盤剥離を中止して子宮摘出に移行すべきという判断になり得なかった。しかも、本件患者は、子宮摘出を承諾したが、子宮温存を望んでいた。
さらに、池ノ上教授は、被告人の施術について、「一般的な産科医療のレベルから、間違いがあったとは思えない。恐らく私も同じようなことをしただろう」と証言している。岡村教授も、「間違いは何もないと同様に証言している。
従って、被告人の胎盤用手剥離開始の判断と用手剥離継続の判断はいずれも正当であり、わが国の臨床医学の実践における医療水準に合致している。
術中の処置に対する田中教授の鑑定及び証言についての反論
検察官は、田中教授の証言をもとに、癒着胎盤の確定診断は術後の病理診断だが、胎盤の用手剥離困難又は不可能な場合には、臨床的癒着胎盤の診断が可能と主張し、本件においても被告人が癒着胎盤を認識した時点で胎盤剥離を中止し、子宮摘出手術に移行すべきであると主張する。しかし田中教授の鑑定及び供述は信頼できない。
田中教授は、癒着胎盤症例の経験がない。クーパー使用の妥当性について、「クーパーを使って剥離するという文献が何もなかった」と証言している。同教授は、自らの臨床経験に基づく判断ができず、教科書や文献の記載をもとにした判断しかできない。しかし、成書や教科書の記述は、あくまで一般的で定型化された事例についてなされたもので、臨床の現場では様々に異なる症例に対処しなければならない。臨床医は臨床現場において、症例に対応する現実的な医療実践を行っている。教科書事例を機械的にあてはめることはできない。このことは田中教授も認める。検察官が提出した文献の執筆者も、弁護人の照会に応じて補足説明をしていることからも、文献等の記載は、具体的事例に則したものでないことは明らかである。
したがって、被告人の施術の妥当性・相当性について、癒着胎盤の臨床経験がない同教授の鑑定や供述によって判断することはできない。
田中教授は、クーパーの先端を目視できていたかわからないと証言している。しかし、被告人は、クーパーの先端を目視しながらクーパーを使用していた。同教授は、鑑定書で、胎盤剥離後の午後2時50分頃の出血量が5000 mlを前提とし、麻酔記録に記載のある客観的な出血量を無視している。したがって、同教授は、被告人のクーパーの使用方法や出血量について誤解しているのであり、同教授の鑑定や供述は前提を異にしており信用できない。
田中教授は、杉野医師の鑑定書を根拠に鑑定を行った。しかし、杉野医師の鑑定書は信用に値しないことは前述したとおりである。田中教授は、癒着胎盤の程度が全体的に2分の1であるという誤った認識をもとにして鑑定および証言を行った。範囲と癒着の程度が著しく変わってくれば、鑑定も変わる可能性があると証言している。
田中教授の証言によっても被告人に過失はない。田中教授は、癒着の範囲が狭い場合には、そのまま剥離を続けるということもあるとし、狭い範囲を剥離した場合には、出血量が少ない場合があることを認める。本件において、被告人は胎盤の剥離途中にあと少しであると判断して、剥離を完遂させたのであるから、田中教授の証言によっても問題がないことになる。
また、同教授は、剥離を続けるかどうかの判断は出血量によるとしつつ、前置胎盤?の場合には出血量が通常より多くなることを認める。本件の剥離中の出血量は555 mlであるから、胎盤剥離を中止するほどの大出血があったとはいえない。
さらに同教授は、癒着胎盤で剥離中大量出血をきたした場合、胎盤剥離を中断するか、胎盤剥離を終了させてから、子宮摘出術を行うかどうかについて、ケース・バイ・ケースだと述べ、術者の判断によって、剥離を完遂する場合があることを認めている。
以上のように、田中教授の供述によっても、被告人に胎盤の剥離を中止する注意義務は認められない。
クーパーの使用について
クーパーは、外科手術において、癒着した組織をはがすときなどに使用する一般的な器具であって、胎盤剥離にクーパーを使用することに何ら問題はない。検察官も胎盤の剥離にクーパーを使用したことをもって過失と評価しているのではないと述べている。
子宮は母体の血流が豊富なため、子宮筋層を傷つければ大量出血に至る可能性がある。そのため、被告人は、クーパーであればピンポイントで力をかけられるため、子宮筋層を傷つけずに安全に剥離する目的でクーパーを使用した。
被告人は、目視下で、そぐように、なでるようにして、用手剥離と併用してクーパーを使用していた。
被告人は、本件患者の左側に立ち、胎盤を左手に持ち、右手にクーパーを持って子宮後壁の癒着部分を剥離した。被告人は、U字切開から広い範囲で視野を確保できた。吸引も上手に行われ、クーパーは手よりも細いため、子宮の内部の視野の障害とならなかった。被告人は、子宮の内部をのぞき込み、クーパーの先端を目視しながら剥離することができた。
被告人は、クーパーを閉じたままにして、丸く曲がった先端を胎盤と子宮筋層の間にあて、なでたり、そいだりするようにした。被告人は若干硬い索状物があった場合は、クーパーで少し索状物に切れ込みを入れたり、閉じて先端で押し進めるようにして、クーパーを使用した。
検察官は論告において、一方ではクーパーは用手剥離よりも素早く胎盤剥離できるとし、もう一方ではクーパー使用の胎盤剥離は用手剥離と比較して速度に劣るとし、被告人が罪責逃れのために供述を変遷させていると主張する。しかし、被告人の供述は何ら変遷しているものではない。被告人は、剥離を急ぎかつ子宮筋層を傷つけないためにクーパーを使用したのである。他のむしったりする方法と比べて、時間がかかると供述したのである。被告人の供述には何ら変遷はない。
田中教授は、鑑定書を書いた時点で文献がなかったのでそう思っていたが、最近周産期の専門家がそういう方法もあると言っており、周産期の専門家がエビデンスをもって証明されるのであれば、意見に耳を傾けることはやぶさかでないと証言し、クーパーを使ったことはいけないという鑑定書の記載を変更するかのような証言をしている。
よって被告人がクーパーを利用して漫然と胎盤癒着部分の剥離を継続した点が過失という検察官の主張に根拠はない。
被告人は、胎盤剥離後の子宮収縮による止血を期待し、その後の止血措置を期待して、胎盤剥離を継続した。被告人の判断は、臨床医学の実践における医療水準にかなう。被告人の医療処置は医師の裁量として合理的、妥当かつ相当である。被告人に結果回避義務が無かったことは明らかというべきである。
■第9 被告人の供述調書の任意性
検察官は、被告人の供述調書について任意性を備えていると主張する。公判廷での被告人質問から、調書に任意性がないことは明らかである。
被告人は、平成18年2月18日逮捕されたが、逮捕後、起訴された3月10日までの21日間にわたり身柄拘束を受けた上、逮捕、勾留期間中には、外部との接触が禁じられた接見禁止となっていたため、弁護人以外との外部との交通が禁止されていた。
被告人は、大野病院における唯一の産科婦人科医であって、逮捕当時、10人余りの入院患者、一日20〜30人の外来患者を抱えている状況で、突然の逮捕と接見禁止により、患者について引き継ぎがかなわなかった。さらに、被告人は妻が妊娠39週を迎え、赤ちゃんを自ら取り上げることとなっていたが、逮捕後8日目に生まれたことから、それもかなわなかった。このような状況の中で、被告人は、突然の身柄拘束を余儀なくされており、本件逮捕、勾留についての被告人の心理的動揺が大きかったことは、論をまたない。そのような特殊な状況下において、捜査機関による取調が連日実施されたことを軽視してはならない。
検察官は、被告人の身柄拘束期間中に複数の弁護人に接見の機会を与えたことをもって、本件調書に任意性が認められる趣旨の主張をしている。しかし接見権は、被告人と弁護人に認められた固有の権利であって、捜査機関から付与されるものではない。検察官被告人と弁護人の固有の権利が自らの権能で付与したかのような意識を持っていることからも、本件取調が糾問でなされたことが伺える。被告人に弁護人との接見の機会があったとしても、取調に弁護人の立ち会いが認められていたわけではないので、取調が捜査機関の密室下で長時間実施された事実は揺るがない。被告人に対する取調は、21日間に及び逮捕勾留期間中、連日実施され、その取調時間も最大9時間弱に及び、起訴前の1週間については、7時間から9時間に及ぶ取調が断続的になされ、全部で21通作られた供述調書のうち、20通がこの間に作成されたものである。このような長時間にわたり密室で行われた取調の合間に、弁護人らの接見が数回にわたり実施されたことをもって、本件調書に任意性が認められるかのような主張は、全く合理性を欠く。
検察官は、調書の任意性を裏付けるものとして、問答形式でのやりとりが認められることを指摘する。しかし、本件は高度な専門分野である医療が対象で、医学的に希有な癒着胎盤に遭遇した医師の処置における過失の有無という事案である。しかし捜査官は、基礎的な医学知識すら持たず、取調は捜査官が不正確な知識をもとに質問し、それに被告人が返答するやりとりである。内容は不正確で被告人の意を反映しない調書であって任意性を備えているといえない。
弁護人が調書に任意性がないと主張する要点は、捜査官が被告人を、診療途中であるにもかかわらず、突然逮捕、勾留し、多大な心理的動揺の下、捜査官による長時間にわたる取調を実施したという事実の他にも、以下の特徴がある。
検察官面前調書は、ふつう検察官が聴取したい事柄について、あたかも供述者が話したかのような体裁をとりながら、捜査官が起案する書面である。本件調書も、捜査官が被告人に供述させたいと希望した事実を供述調書という形式の書面にまとめたものに過ぎず、被告人の供述通りに記録されたものではない。
すなわち、捜査官は、産科医療に関する基礎的な医学知識を欠き、誤った知識を前提に被告人に質問し、捜査官が思い描く供述が被告人によりなされなければ、いらだち、不機嫌となり、捜査官の希望する内容の調書の作成に終始した。取調の際に、捜査官の意図する供述を被告人が行わないことがあると、捜査官が声を荒げたり、調書への訂正についても不機嫌になって、そのまま訂正してくれないこともあり、訂正したいようなことも訂正できない状況下で、自分の記憶と違う事実が供述調書とされ訂正を求めることが困難な状況であったことは、上記のような捜査官の態度から明らかである。
この点、捜査官は、やりとりの内容が抽象的だと主張するが、被告人の本件取調時における捜査官の態度や、やりとりについての供述は具体的で明快である。検察官は捜査が適正になされた立証を放棄している。このような検察官の態度からも、捜査が不適正なものだったことは疑いがない。
ところで、不適正な捜査は検察官の医療知識が浅薄ということで説明可能である。被告人は、捜査官の質問に答えるが、質問をする側の知識がないと質問も的外れである。自然科学に精通する医師である被告人が任意に供述したことでない点を指摘する。
クーパーを併用することになった経緯の部分、供述調書には、指が3本、2本、1本と入りづらくなったので、クーパーを使用したという趣旨の記載がある点に関し、胎盤剥離時には、手を手刀のようにして使用するため、供述書に記載のあるように指が3本、2本、1本と入りづらくなる状況などというものは、決あり得ない。あり得ない内容の調書であることが、被告人が任意に供述したものでないことを裏付けている。
また、被告人が術中超音波検査の結果について、胎盤が前回の帝王切開創に、かかっているようなかかっていないような微妙な感じと供述したとされているが、妊娠後期には、子宮筋層が伸展して薄くなるため前回帝王切開創を確認特定することは難しくできない。被告人は、通常帝王切開する位置であると思われる部分を検査し、同部位への胎盤の付着を否定した上で手術を続行した。従って、調書の内容は、明らかに客観的事実に反するものである。同様に、被告人は、今回の帝王切開の際、胎盤のある部分を切っていたと供述したとされているが、明らかに事実に反する。病理鑑定結果からも胎盤を切った事実がない。
次に、被告人が過去に経験した例で、剥離困難となった時点で剥離を中止、直ちに子宮摘出に移っていたと供述したことになっている。しかし、後の供述調書では剥離を継続した経験があり、過去の自己の経験に関する供述なのに調書間で内容が矛盾する。
被告人質問で明らかになったように、被告人は、過去の経験で胎盤の用手剥離を剥離途中で中止した例は一例もない。、自らが供述したものであれば、剥離を中断したなどと虚偽の供述をする理由はない。
さらに、子宮は癒着胎盤でなくても血管で胎盤とつながっており出血が見られると供述したことになっている。しかし、解剖学上、子宮が血管で胎盤とつながっていることはありえず、産婦人科専門医である被告人がこのような供述をすることはおよそ考えられない。
以上より、被告人の供述とは考えられない内容が繰り返しある事実をみれば、浅薄な医療知識しかないものが作成したためであることは疑いようがない。
このように、本件調書の一部を検討しただけでも、自然科学を修めた被告人が供述した内容とは当然考えることのできない供述が録取されている。医療知識が不十分な捜査官が予断に満ちた捜査、取調を強行し、被告人の供述を真摯に検討することなく、かつ、そのような捜査官の態度に絶望した被告人の様子に気付くこともなく、ただ、意に沿う供述をしないと、被告人をなじることにのみ終始したものである。捜査官は、捜査の最終段階の一時期にほぼすべての調書を作成したが、かような本件調書に任意性を求めること自体が不正義である。
本件調書に被告人の署名、押印があったとしても、このことが被告人の供述が任意になされたことを裏付ける要素になり得ないことは、過去の多くのえん罪事件から経験則上明らかである。その調書の内容がどのような状況で作成されたかが任意性の有無の判断にあっては問われるべきである。
よって、本件調書の供述が被告人の任意になされたものでないことは明らかであって、本件調書が任意性を有するとの検察官の主張は全く理由がない。
■第10 医師法21条違反がないこと
はじめに
検察官は、患者の死亡後、被告人が死体を検案した際に異状があると認めたにもかかわらず、24時間以内に所轄警察署に届出をしなかったとして、被告人は医師法21条違反であると主張する。
しかし、本件の死体には客観的に異状が認められない。被告人の医療行為には過失がないので、裁判例の基準、厚生省の「リスクマネジメントマニュアル作成指針」と大野病院の「医療事故防止のための安全管理マニュアル」によっても、医師法21条の構成要件に該当しない。主観的に見ても、被告人には異状の認識がないので、「異状があると認めたとき」とする主観的構成要件又は故意を欠く。
また、仮に構成要件に該当するとしても、上記マニュアル等及び、職責ある公務員である作山院長の被告人に対する指示を考慮すると、被告人が医師法21条に反しないと考えたことには正当な理由がある。そのような状況下で被告人に届出を期待することは不可能なので、犯罪は成立しない。
そもそも医師法21条は憲法31条及び憲法38条に反し違憲無効である可能性が極めて高い。検察官の指摘する憲法38条に関する判決は事例判決にすぎない、受け入れることができないものである。このような違憲無効の法律によって人を処罰することはできないのであるから、被告人は無罪である。
術後の経過について
手術当日平成16年12月17日午後7時1分、被告人は、患者死亡後、合掌し、亡くなった後の一連の処置を行った。このとき被告人は、平間医師と死亡原因について話し、被告人から死亡原因は出血性ショックによる心筋虚血とそれに伴う心停止でしょうかと問いかけ、平間医師もそう思うと返答した。
午後7時30分頃、被告人は患者を病室に移し、午後8時30分頃までの間に、被告人は、病室で、家族や知人らと対面した。
午後8時30分頃〜9時30分頃、被告人は、別室で家族に対し手術経過を説明した。このとき被告人は、自らの過失により死亡したという説明はしていない。被告人は、カルテに書いた説明をコピーして家族に渡し、家族に病理解剖を勧めたが、家族からこれ以上体を傷つけたくないと断られ、病理解剖を断念した。
午後10時30分頃、被告人は、死亡診断書を記載した。直接死因:心室細動、その原因:出血性ショック、その原因:妊娠36週、癒着胎盤、帝切分娩と記載した。このときも被告人は、自分の手技に過失があったとは考えていない。
午後10時40分、死亡退院となり、被告人は玄関で見送り、その際、死亡診断書を家族に渡した。家族を見送った直後、堀事務長から院長室隣の応接室に来るようにと連絡があり被告人はそのまま向かった。
午後10時40分以降、院長室隣の応接室で、被告人と平間医師は、院長、堀事務長、小泉事務主幹に対し、手術の事情説明を行った。被告人の説明は、児娩出後に後壁に付着した胎盤が自然剥離しなかったので、用手剥離を行い、途中からクーパーも使用して胎盤剥離を完遂した。その後出血が増え、血圧が低下したので、輸血・輸液を行い、追加の輸血を投与したら血圧が上昇したので、子宮摘出を行ったが、結果的に亡くなった、という内容であった。この説明を聞いた院長は、医療過誤及びその疑いがあるとは判断せず、クーパー使用についても違和感を持たなかった。被告人は、死亡原因については、出血性ショックによる心筋虚血とそれに伴う心停止と説明した。被告人は、院長から他の臓器損傷や内臓損傷、血管損傷などの過誤の有無を問われ、無いと答えた。
院長は、この回答を受けて医療過誤はないと考え、届出は必要ないと判断し、届出はしなくていいという趣旨の発言をした。その後被告人が病棟に戻る時、院長が県の病院局グループ参事と電話で話しているのが聞こえたが、院長は「過誤はないから届出はしない」と話していた。この時点で、被告人は、届出について自分が何かをしなければならないという考えはなかった。
院長は被告人に過誤の有無を尋ねるに当たり、具体的な例を挙げて医療過誤がなかったのか尋ねており、外科学会ガイドラインが考えるような「重大な医療過誤が強く疑われ、又は医療過誤の存在が明らかであり、それによって死亡又は重大な障害が生じた場合」にのみ届出義務が生ずることを示唆する発言を行っている。被告人にそのような過失が存在するという認識はなかった。
院長は、公判廷において、この事情聴取において警察への届出についての話はでなかったと思うと証言する。しかし、院長は、被告人からの報告を受けて医療過誤の疑いがないと判断し、それなら警察に届ける必要はないと判断したと証言している。しかも、その判断を、病院局のグループ参事に電話で伝えた。にもかかわらず、被告人に対しては届出に関する話をしなかったとするのは不自然であり、被告人供述のとおり、院長から被告人に対し届出の必要なしと指示があったと理解するほかはない。
その後、被告人は、病棟に戻って入院カルテの12月17日欄の記載を行った。その記載中には自ら過失があると認識していることを窺わせる記載はない。
この時点で、被告人は、厚生労働省のリスクマネージメントマニュアル作成指針の存在と内容を知っていた。また、大野病院に同指針に準拠したマニュアルがあることを知っていた。被告人は、これらのマニュアルに、医療過誤があった場合に施設長が警察に届出を行うと書かれていることを認識していた。
12月20日、院長は本件について院内検討会を招集し、被告人、宮本医師、平間医師、各科の長が参加した。被告人は報告したが参加者から過失があったという指摘はなかった。この場で、院長は過誤がないので届出はしなかった、と説明した。
客観的に異状がないこと
医師法21条は「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と定める。同条は、検案死体に異状があることを前提とする。検察官は、本件患者の死体に異状があることについて立証責任を負っている。
異状とは、検案すなわち死体外表を検査した結果、識別される状態であるにもかかわらず、死体外表の状態について検察官は何らの主張もしていない。検察官は、本件患者の異状について被害者の死因は、癒着胎盤それ自体ではなく、被告人の過失行為による失血死なのであって、異状死であることは明白であるとする。
しかし、本件患者の死亡について被告人には過失がなく、検察官には被告人の過失について立証できていない。したがって、仮に検察官の主張するように、異状を過失と同一に捉えたとしても、本件は客観的に死体に異状があったとすることはできない。医師法21条の構成要件に該当しているとは言えないから、被告人を処罰することはできない。
東京地方裁判所八王子支部昭和44年3月27日判決
検察官は東京地方裁判所八王子支部昭和44年3月27日判決を取り上げている。この裁判例によれば、死体の異状とは単に死因についての病理学的な異状をいうのではなく死体に関する法医学的な異状と解すべきであり、したがって死体自体から認識できる何らかの異状な症状乃至痕跡が存する場合だけでなく、死体が発見されるに至ったいきさつ、死体発見場所、状況、身許、性別等諸般の事情を考慮して死体に関し異常を認めた場合を含むものといわねばならない とある。
この判例は、入院患者が行方不明となり、2日後に、病院外の山林の沢に死体となって発見された事案である。誰の目から見ても異状な死であることは明白であって、本件の先例とは成り得ない。この判例の法医学上の異状とは、発見された場所、経緯(入院患者が行方不明になって2日後に発見)に異状性が認められるかどうかの基準で、この事例は異状死にあたるというほかはない。本件はそのような事例ではない。なお、この判例は、昭和44年なので法医学会異状死ガイドライン(平成6年)を前提としたものでない。
仮に判例に従い本件へのあてはめを行うとして、死体から認識できる異状な症状か痕跡、死体が発見されたいきさつ、場所、状況、身許、性別等諸般の事情について考察すると、検察官が異状の存在について主張しないことからも分かるとおり、本件患者の死体の外観には異状がないことは明らかである。また、手術室での死亡事例であるから死体発見状況が適用される事例ではない。
したがって、検察官が挙げた裁判例に当てはめても、本件は異状死には該当しない。
被告人が異状を認識していないこと
医師法21条の規定は異状があると認めたときと規定している。被告人の異状の認識が構成要件となっている。被告人は異状を認識していないので構成要件に該当せず、また故意を欠くため、犯罪が成立しない。
死亡直後の認識について、被告人は、患者死亡直後に平間医師と死亡原因について話しているが、その際には出血性ショックによる心筋虚血それに伴う心停止と明確に認識している。さらに、被告人は、死亡診断書を作成する際には、出血の主たる原因が癒着胎盤であると記載しているから、既に死亡原因は明確になっている。そして、被告人は本件患者が死亡に至る一連の過程に過失ないと認識していたのであり、過失があるとの認識を窺わせる証拠はない。
被告人は、家族に対して病理解剖を勧めているが、被告人自身に過失の認識があれば、それが露見する恐れのある病理解剖を勧めないはずである。したがって、被告人が家族に病理解剖を勧めた事実も、被告人が自らの手技に過失がないと認識していたことを示している。
被告人は、手術当日に院長に手術の経過を説明し、院長は医療過誤なしと判断している。院長から過誤はなかったか質問され、被告人はなかったと答えた。被告人はこの時点で過失の認識はない。
12月20日の院内検討会で被告人は過失があったと認識を示していない。参加者も被告人に過失があったという発言を行っていない。
検察官は、論告で、被告人調書の、クーパーを使って胎盤を剥がしたことが気持ちの中で引っかかっていて、もしかしたらクーパーは良くなかったかもしれないと、引用し、少なくとも未必的に異状を認めていたと主張する。しかし、被告人は、直後にクーパーで剥離をしても問題はないはずだという結論に達して、検案から24時間に異状はないという結論に達した。また、未必という概念は、故意の結果発生の蓋然性の概念である。医師法21条の法文上、主観的構成要件を拡張することは許されない。
仮に、検察官の言う、未必の異状の認識という概念があるとして、検察官は、被告人が異状性の認識を持っていたという立証ができていない。
違法性の意識の可能性がないこと
仮に構成要件に該当したとして、被告人が届出をしなくても医師法21条に違反しないと考えていたことには正当な理由がある。犯罪の成立が阻却される。
札幌高等裁判所昭和60年3月12日判決は、銀行紙幣の模造品の製造の際に前もって保安係の警察官に相談し処罰はないと信じたという事例で、原則として、公式見解や職責のある公務員の言明に従って行動した場合は、自己の行為が処罰されることはないと信じる理由があるときは、犯罪が否定されるとしている。他に保健所の指示に従った時、医療法違反の犯意がないという判例や、映倫の審査を通過したわいせつ図面の判決など、同種の判例は多い。
警察への届出については、厚生省が平成12年に「リスクマネージメントマニュアル作成指針」を作成し、医療過誤による死亡やその疑いがある時は施設長が速やかに届出を行うとされている。被告人もこの内容を認識していた。大野病院も同じようなマニュアルを作成していた。被告人もそれを知っていた。これらのマニュアルは公式な取り扱いとされていたものであり、学会のガイドラインとは異なり、被告人がそれに従うことは十分な理由がある。
加えて、被告人は、マニュアルで届出義務がある院長に対し、手術経過を説明し、届出はしなくて良いと指示された。院長はマニュアルに従い県病院局と相談し、届出はしないという結論となったのを被告人も聞いている。
このように被告人は、所轄官庁厚生省、大野病院の職責ある公務員としての院長の指示で行動したので、被告人が届出をしなくても良いと考えたことは、相当な理由があり犯罪の成立が阻却される。
検察官は、論告において、院長は産科医でもなく、後で事故調査委員会で指摘されたような、胎盤剥離に器具使ってはいけないという見解を知らなかったので、誤った報告や説明を基礎として判断していたに過ぎないとする。しかし、被告人は誤った報告をしていないし、器具を使った胎盤剥離は誤りという根拠もない。
従って、当時の院長の判断は誤った報告を受けて行われたわけではない。職責ある公務員の言明に信用性があるかどうかは二次的な問題に過ぎない。
検察官は、論告において、被告人が大野病院のマニュアルを知らなかったと主張するが、被告人は、厚生省リスクマネージメントマニュアル作成指針の内容は把握しており、病院のマニュアルもそれに従って作成されていることを知っていたのであるから内容も把握していた。
期待可能性がないこと
仮に構成要件に該当したとしても、本件の状況で被告人に警察へ届け出ることを期待することはできず、責任を負わせることは相当ではないので、犯罪の成立が阻却される。
厚生省リスクマネージメントマニュアル作成指針とそれに準拠する県立大野病院のマニュアルが届出義務を過誤がある場合に限定していた。外科学会ガイドラインは重大な医療過誤が強く疑われ、医療過誤の存在が明らかである場合に届出義務を限定している。厚生省リスクマネージメントマニュアル指針と県立大野病院のマニュアルで届出義務者とされている院長が、県病院局に相談の上で、届出はしないと言明した。このような状況で、院長の指示に反して、被告人が届出を行うことを期待するのは不可能である。
警察庁刑事局長が、平成18年3月16日の第164回参議院厚生労働委員会において、医師法21条の規定に基づく届出を行うべきものか否かにつきましては、これはもう個別にいろいろ判断される事項でありますので、なかなか難しいものだろうと、こういうふうに思っております、と発言した。このように届出を受ける側の所轄官庁の最高幹部でさえその判断に困難を覚えるのであるから、一医師である被告人にその判断を期待することはできない。
医師法21条が憲法31条に反し無効
そもそも医師法21条は、憲法31条により根拠づけられる罪刑法定主義(明確性の原則)に反しており、違憲無効な法律であり、違憲無効な法律により人を処罰することはできないから、被告人は無罪である。
罪刑法定主義は、憲法31条に根拠がある刑事法上の大原則である。明確性の原則を包容している。
明確性の原則の判断基準について、昭和50年9月10日徳島市公安条例事件最高裁判決は、「不明確のゆえに憲法31条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを運用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからである。」。
これを医師法21条についてみると、死体・・を検案して異状があると認めたとき、と、異状という以外、何ら解釈の手がかりがない。
法律の趣旨にさかのぼっても、医師法は医師の身分法であり、一般人が直ちに医師法21条の立法趣旨を理解することはできない。
判決では、交通秩序を維持する、という医師法21条と同様の曖昧な規定を合憲とした。しかし、公安条例が、デモ行進の制限を立法趣旨としており、交通秩序の阻害をもたらすものが処罰の対象になるということを理解することも不可能ではないからである。これに対し、医師法21条は、立法趣旨が医師法の性格から直ちに明らかになるものでもないし、行政官庁の見解も混乱を来しており、一医師が処罰の範囲を明確に理解することは困難である。
異状死の意義に関する解釈の混乱。種々の団体や行政官庁が様々な解釈を公表しており、いずれも異なっているため、現場の医師に明確な基準を与えていないばかりか、かえって解釈の混乱に拍車をかけている。ガイドラインが複数存在すること自体、医師法21条が明確性を欠く証左である。
厚生省の委員会は、平成12年「リスクマネージメントマニュアル作成指針」を発表した。同指針では、医療過誤による死亡もしくは傷害が発生した場合、またはその疑いがある場合、施設長が速やかに届出を行うべきとされている。同報告書は、異状死を、医療過誤が発生した場合又はその疑いがある場合に限定したが、逆に傷害が発生した場合にまで届出義務を広げており、その点で医師法21条の解釈の域を超えている。
日本外科学会ガイドラインを、日本外科学会他10団体は、平成14年、「診療行為に関連した患者の死亡・傷害の報告について」という声明の中で、重大な医療過誤が強く疑われまたは医療過誤の存在が明らかであり、それによって死亡又は重大な傷害が生じた場合、診療に従事した医師が速やかに届出を行うべきとした。これは日本法医学会のガイドラインへの批判を前提としたものである。
同ガイドラインは、届出対象を厚生省のリスクマネージメントマニュアル作成指針よりもさらに絞り込み、重大な医療過誤に限定した。また、届出義務者を検案した医師ではなく診療に従事した医師としている点では、医師法21条の解釈の域を超えている。
日本法医学会が平成6年に発表した異状死ガイドラインは、「社会生活の多様化・複雑化にともない、人権擁護、公衆衛生、衛生行政、社会保障、労災保険、生命保険、その他に関わる問題が重要とされなければならない現在、異状死の解釈もかなり広義でなければならなくなってくる」として、異状死の概念を拡張解釈する姿勢を明確にしている。しかし、刑罰法規の拡張解釈は慎重になされなければならないのであって、国民一般にとって予測可能な範囲を逸脱するような拡張解釈は許されない。
そこで、異状死ガイドラインの異状死に関する定義を見ると「病気になり診療をうけつつ、診断されているその病気で死亡することが『ふつうの死』であり、これ以外は異状死と考えられる」としており、その範囲は必要以上に広範囲に広げられている。この定義によれば、合併症で死亡するようなケースは全て異状死に該当することになるが、死亡に至る過程で原疾患に加えて合併症を併発する場合は非常に多いのであって、そのようなケースを全て異状死として警察への届出対象としていたのでは、届出の範囲が広汎に過ぎ、処罰範囲がいたずらに拡大することになるばかりか、警察の処理能力を超えた届出を誘発し、非現実的であり、法が予定する処罰範囲を逸脱することは明らかである。
そもそも日本法医学会が異状死ガイドラインを定めた意図は、先進国の中でわが国の剖検率が際立って低く、監察医制度が未整備であるという状況を改善しようという点にある。その意味から言えば、本来立法府として明確に定めるべき異状死の定義を一民間団体である法医学会が法的な整合性や一貫性を十分に検討しないままに提示したものと評価せざるを得ない。これを立法府や司法府が無批判に受け入れることは本来あってはならないことである。
このように種々のガイドラインが乱立しており、これらのガイドラインによって医師法21条の解釈を確定できないばかりか、かえって混乱を来たしている。この点に関しては、四病院団体協議会医療安全対策委員会中間報告書も、日本法医学会の異状死ガイドラインを批判した上で、臨床医の立場でのガイドラインが必要と提言している。
被告人の逮捕後に開かれた第164回参議院厚生労働委員会において、「警察庁はこの異状死体というものをどういうふうにお考えになっているのか」という質問に対し、警察庁刑事局長が「個別に判断される事項であり、なかなか難しいものだろうと、こういうふうに思っております。」と答弁した。また、「医師法21条の改正若しくはその解釈も含めた検討を早急にやっていただきたいと思いますが、いかがでございますでしょうか」との質問に対し、厚生労働大臣は「異状死の範囲を国が具体的に示すことができるかとういうことになるとなかなか難しい課題だ」と答弁した。
このように届出を受ける警察庁の最高幹部や所轄官庁の責任者自らが医師法21条について明確な解釈ができないことを認めているのであるから、ましてや現場の一医師に明確な解釈を求めることには無理があるし、このような捜査機関の責任者でさえ、適切な解釈ができない状況では、現場の捜査官の恣意的な判断により医師法21条が運用されるおそれを排除することができない。
平成16年4月13日の都立広尾病院事件最高裁判決では、医師法21条の憲法38条への適合性が争われたが、当該事案が点滴薬剤の取り違え(誤って消毒液を投与)という明白な過失を扱うものであったことにより、結果的に異状死の定義について触れないまま有罪判決を下したため、異状死の定義は不明確なまま積み残しとなってしまった。
検察官は、論告で、異状という文言は抽象概念であるが、日常的な一般的用語であり、日常の一般社会生活、一般人において、普通とは違った状態といった意味で日常的に用いられている。「異状があると認めたとき」が、通常の判断能力を有する一般人の理解が不可能なほど、不明確で違憲無効と考えられないと主張する。
しかし、交通秩序を維持することという規定と違い、医師法21条は立法趣旨が不明確で、見解が混乱している状況では、一般人の理解で基準があるとは到底言えない。警察庁の最高幹部ですら、解釈の判断ができない状況では、基準が読み取れない程不明確という他ない。
また、検察官は、論告で、医師法21条の立法趣旨が、犯罪の発見、捜査、証拠保全を容易にするため医師に司法警察に協力すべき義務を定めたものとして、一般人が適用かどうか判断することは可能であるとする。しかし、医師法21条は、一般人から見て明らかとは言えず、ガイドラインが乱立しているのを診ても検察官の主張は違う。
検察官は、入院患者が行方不明となり裏山で死体で発見された事件の判決を引用し、医師法21条の判断基準は明確であるとする。しかし判決は日本法医学会が異状死ガイドラインを発表した平成6年より前のもので、法医学的な異状という基準を明らかにしていない。二日行方不明になった事件と本事件は異なる。医療現場での死亡を射程外としている。
以上、医師法21条は一般人に対して、禁止される行為を識別する基準となっていない。各種見解も混乱を極めている。医師法21条は明確性の原則に反しており、憲法31条に違反し、違憲無効な法律である。この法律で被告人を罰することはできない。
医師法21条が憲法38条に反すること
医師法21条は、憲法38条の黙秘権を侵害する違憲無効な法律であり、違憲無効な法律により処罰できないのだから、被告人は無罪である。
都立広尾病院事件最高裁判決は、医師法21条に基づく届出義務が、単に犯罪発見の目的のみでなく、被害の拡大防止の目的のみでなく、行政手続きの義務である点、届出対象が、死体に異状があると認めたことのみであって、届出人との関わりなどの事項ではない点、医師免許は人の生命を左右する資格なので、付随する社会的責務の負担も甘受せねばならない点、公益上の高度の必要性がある点、を理由に、医師法21条が黙秘権を侵害せず、憲法38条に反しない、とした。しかし、本判決は特殊な事例に対する事例判決で、本判決を本件に適用するのは不適切。
医師法21条には行政手続上の義務、医師という職業に制約があるので、黙秘権侵害にはならないと言う。しかし、憲法38条が保障する黙秘権は、基本的人権、必須の権利であって、公益性を根拠に安易に制限されと憲法の基本的人権は保障されない。
医師法21条は、明治時代に制定された医師法施行規則9条を引き継ぎ、内務省の法令であった。内務省は、警察事務と厚生労働省事務も所管したので、この9条が社会防衛を目的としていた。しかし内務省が廃止され、感染症や医療の法律などが厚生省の法令として制定され、社会防衛のための医師の届出義務は12条などになり、医師法21条の目的は交代した。医師法21条は、犯罪発見の端緒を得る目的のためであり、衛生確保の行政手続の目的は副次的で、これを理由を根拠に憲法38条に違反しないと結論できない。
衛生確保という行政上の目的があるとしても、医師法21条による届出により、捜査機関は犯罪の端緒を得る。その報告内容には死亡の経緯の説明を求められ、黙秘の権利が対立し、相容れない。
以上から、抽象的な公益性、憲法上根拠のない医師の制約を理由に基本的人権である黙秘権を制限することはできない。
広尾病院事件の判決は、届出が犯罪構成要件を含まないので、黙秘権を侵害しないとしている。しかし、医師法21条は届けでなければならないというだけで、内容を定めていない。警察署の運用で、診療医師が聴取される危険があるから、届出が犯罪構成要件を含まないとは言い切れない。
そもそも医師法21条は、犯罪発見の端緒を得る目的だから、犯罪構成要件を聴取するのが普通である。届出事項の内容を理由とするのは、形式論理である。医師法21条の届出を行えば、捜査機関から死体検案書や死亡届の提出を求められる。本件でも被告人の過失を裏付ける証拠として、死亡届が提出されていることからも、医師法21条の届出が犯罪捜査に直結することは明らかである。
本判決は、医師が診療行為を行う資格を有するので、その代償として黙秘権の放棄という社会的責務を負うべきとする。しかし、応召義務が前提の、今日の医療現場における医師の過重な負担を見るにつけ、医師が人の生命を左右する特権であるとは到底思えない。逆に、医師が人の生命を左右せざるを得ないことが、医師の社会的責務とさえいえる。責務の代償に責務を負わせることはできないのであって、本判決の論理は現実を理解していない。また、仮に医師が特権を有しているとしても、だからといって基本的人権を奪われる理由にならない。
本判決は、医師法21条の届出に公益上の高度の必要性があることを合憲の理由としている。しかしこのような抽象的な理由によって、黙秘権という基本的人権を切り捨ててはならない。
都立広尾病院事件最高裁判決が医師法21条を合憲であるとした判断には、重大な誤りがあり、受け入れることができない。
前提事実の相違
本判決の事案は、看護師が点滴薬を取り違え、誤って消毒剤を投与したという明白な医療過誤に関するものである。病院長の黙秘権の重要性は二重に希薄な事案だった。行為を行ったのは看護師で、検案の主治医は監督過失を立件すらされていない。医師法21条違反の直接行為者は検案医師である主治医であるから、病院長は共謀共同正犯で関与するに過ぎない。主治医は医師法21条違反を認めていた。つまり問題は病院長の黙秘権でなく、看護師と主治医の黙秘権であるに過ぎない上、病院長は主治医との共謀について医師法21条の責任が問われているに過ぎない。
このように本判決は、特殊な事例についての事例判決である。これに対し、本件は過失の有無が激しく争われており、被告人は主治医かつ検案医師として業務上過失致死罪及び医師法21条違反の双方で起訴され、黙秘権の重要性が問われる。このような相違を無視して、安易に広尾病院事件判決を適用できない。
憲法38条は、国民に対し黙秘権を保障し、国民は刑事において自己に不利益な供述を強要されない権利を有する。医師法21条は、必然的に供述を強制することにつながる。このような検案医師の不利益は、行政届出の義務という理由や、医師の社会的責務、公益の必要性によって排斥されるものではない。したがって、医師法21条は黙秘権を保障した憲法38条に反して違憲である。
たしかに、病院に運び込まれた他殺死体を検案するような、黙秘権が問題にならないケースがあるとしても、主治医として診療した患者が死亡した場合に医師法21条を適用することは、検案医師の黙秘権を侵害することになり、憲法38条に反し違憲と言える。
まとめ
以上、医師法21条は憲法31条及び38条に反して違憲無効である。仮に有効であるとしても、被告人の行為は医師法21条の構成要件に該当せず、かつ、犯罪の成立を阻却する事由があるから、医師法21条違反の点についても被告人は無罪である。
■第11 総括
本件起訴が、産科だけでなく、わが国の医療界全体に大きな衝撃を与えたことは公知の事実である。産科医は減少し、病院の産科の閉鎖、産科診療所の閉鎖は後を絶たず、お産難民という言葉さえ生まれている。
産科だけではない。危険な手術を行う外科医療の分野では萎縮医療の弊害が叫ばれ、その悪影響は救急医療にまで及んでいる。
医師会をはじめ、医学会、医会、全国医学部長・病院長会議等100に近い団体が本件事件に抗議する声明を出している。医師の業務上過失致死事件について、多数の抗議声明が出されたことは、わが国の刑事裁判史上かつてないことである。
何故このような事態が生じたのであろうか。それは本件証拠で明らかにされたように、検察官が公訴事実において、わが国の臨床医学の医療水準に反する注意義務を、医師である被告人に課したからに他ならない。
検察官が、本件裁判において、度々言及しながら証拠請求すらしなかった、県立大野病院医療事故調査委員会作成の報告書は、起訴前から広く医療界に知られていた。抗議声明を出した医療団体は、被告人が術前には、癒着胎盤の認識を持っていなかったこと、胎盤剥離中に癒着を認識したこと、剥離を継続して完了させたが止血が出来ず患者が死に至ったことを知った上で、抗議声明を出しているのである。
検察官は、論告において、胎盤の剥離を開始した後、癒着胎盤を認めた場合には止血操作と同時に直ちに子宮を摘出するという知見は、基本的な産婦人科の教科書、日本産婦人科学会「産婦人科研修の必修知識」、日本母性保護産婦人科医会「研修ノート母体救急」などの基礎的文献に記載されている、基本的知見である、と主張する。証拠となっていない「産婦人科研修の必修知識」「研修ノート母体救急」を含め、産婦人科関係の教科書に、検察官の指摘する、胎盤剥離開始後に剥離を中止して子宮を摘出するという記述はない。各々、教科書の内容を具体的に示して説明したとおりである。
また、前述のように、本件で証拠となったすべての癒着胎盤の症例で、胎盤の用手剥離を開始した場合には剥離を完了したのが立証された。これがわが国における医療の実践である。胎盤剥離を開始して、途中で中止して子宮を摘出することは、わが国の臨床医学の実践における医療水準や標準医療でないことは証拠上明らかである。
検察官側の鑑定証人である田中教授が、周産期医療の権威として名前を出した多くの専門家が、起訴前に検察官に対して意見書を提出し、胎盤の用手剥離の中止は医療の実践にないと訴えた。検察官は専門家の意見を真摯に聞かずに、周産期の専門家ではない田中教授の鑑定書や供述調書を依拠に起訴に及んだ。専門的な医療の施術が問題となった裁判において、誰1人専門家の意見を聞いていない検察官の態度は誠に驚くべきことである。強く批判されるべきである。
産科医療の崩壊と医療現場の混乱を憂えた厚生労働省は、検察庁、警察庁担当者を含む検討会を経て、医療安全調査委員会の第三次試案を公表している。第三次試案では、医師法21条改正し、医療死亡事故の届出は、施設の長が、警察に対してではなく、医療の専門家中心の調査委員会に行う。警察は、患者側の訴えがあっても、調査委員会に調査を依頼するようにすすめる。調査委員会は、医師に重大な過失があり、わが国の標準医療に著しく反していると判断するものについて、警察に通知する。この第三次試案の中に、専門家の意見を無視して行った本件起訴に強い危惧の念があることは多言を要しない。
本件患者は、わが国の医療水準に反した医療行為により死亡したものではない。被告人の医療行為は、病態に即して行われた産科の標準的な医療であり、過誤はない。カルテ等客観的資料をから、患者の病態や被告人の医療行為を判断した岡村教授と池ノ上教授は、自分が担当医であれば、被告人と同様の施術をしたと証言している。
被告人は、厳しい労働環境に耐え、地域の産婦人科医療に貢献してきた優秀な産婦人科医である。懸命の努力にかかわらず、患者を死なせてしまった被告人の無念さと悲しみは、公判で被告人が供述するとおりである。
被告人は、真摯に本件患者の死を悼み、患者の家族に頭を下げ、逮捕まで月1度の墓参を欠かさなかった。この事実は、被告人の医師としての誠実な態度と真摯な姿勢を如実に表す。
本件患者が亡くなったことは重い事実であるが、被告人は、わが国の臨床医学実践の医療水準に即して、可能な限りの医療を尽くしたのであるから、被告人を無罪とすることが法的正義にかなうというべきである。
裁判長:以上ですね。では、意見陳述にうつります。
【被告人意見陳述】
患者さんに対しまして、信頼して受診していただいていたのに、お亡くなりになるという最悪の結果になりましたことに、本当に申し訳なく思っております。
初めて病院を受診されたときから、お見送りをさせていただいたときのいろいろな場面が、現在も頭に浮かび、離れません。
あの状況で、もっといい方法はなかったのかとの思いにいつも考えがいきますが、どうしても思い浮かばずにいます。
ご家族の方に、わかっていただきたいと思っているのですが、なかなか受け入れていただくことは難しいと考えております。
亡くなられたという事実は変えようもない結果ですので、私も非常に重い事実として受け止めております。ご家族の皆様には、大変つらい思いをさせてしまい、まことに申し訳ありません。
今回、できる限りのことは一生懸命行いました。
精一杯できるだけのことを行いましたが、悪い結果になり、一医師として非常に悲しく、悔しい思いをしております。
私は、真摯な気持ち、態度で、医療、産婦人科医療の現場におりました。
再び医師として働かせていただけるのであれば、また地域医療の一端を担いたいと考えております。
裁判所に対しましては、私の話に耳を傾けてくださり、また、真剣に審理していただきましたことに、深く感謝しております。
あらためまして、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
裁判長:次回、判決ですが、8月20日水曜日の午前10時からです。