移植後動脈硬化の平滑筋細胞の起源に関する短報が2001年4月のNature Medicine に掲載された経緯は「Nature Medicineへの遠い道のり1」で紹介したとおりでした。実はこのとき既に、wire injury で新生内膜が青くなるというデータがありました。これをどのような形で論文にするかいろいろと迷いました。似たような実験で、アトランタのグループがvitroのデータ、オーストラリアのグループがvivoのデータを来日講演で話しており背筋が寒くなっていました。そこそこのところのBrief Communicationに出そうと思いましたが、やはり一つのまとまった論文にしたいと決心しました。5月にAmerican Heart Associationの演題募集がありましたが、移植後動脈硬化症に関する前回のcompetitionの例もあり、あえて応募しませんでした (アメリカの査読者は5月に私たちの結果を知ることになります)

何とか早くpublishしたいと気持ちが焦り、一日20-30匹の骨髄移植をやりました。この頃は、骨髄採取から移植まで全行程を私一人でやっていましたので大変でした。しかし、4−5月骨髄移植が急に旨くいかなくなりました。どう いう訳か照射3-5日でマウスがバタバタと死ぬようになりました(骨髄移植不成立なら10日位で死亡するハズ)。X線検出器を較正し直したり、G-CSF, M-CSFを併用したりしましたが原因不明の不調が続きました。(それまでは、輸血血液用の照射装置に東急ハンズで買ってきた、銅とアルミをテープで貼りフィルターを作ってやっていました。慣れてきて欲張って一度に大量に箱に詰め込んで照射したのが悪かったようです。血液用照射装置に換気装置などなく、夏になり思わぬストレスがマウスに加わっていたのが原因だったと思います。)特にApoE欠損マウスは非常に弱くて、やっとまとまった数が生まれたと思って移植を行うと全滅したりしました。

その後は、動物専用の新照射装置を導入して問題を克服することができました。また、メンバーも実験を覚えてくれて、私が照射しておくと、長谷川さんか木下さんが骨髄もしくは造血幹細胞を単離して、加藤さんが尾静脈から注射してくれる体制が確立しました。一日で24匹程度の骨髄移植が毎週3セットくらい成立するようになりました。

7月の炎症再生学会の前日に造血幹細胞移植でも新生内膜が青くなることを確認しました。また、9月にはGFPマウスからApoEマウスへの移植で粥腫の平滑筋細胞が光ることを確認しました。やはり、このようなノイエスを含めてよい雑誌に挑戦したいと思いました。日本の研究会などで話しをしていると、いろいろ他の施設でも同じことをやっているという話を聞いて早くしなければと思いました(LacZの検出法などの質問がよくきましたが、全部誠意をもって詳しく答えました。同じことをやっているとわかっているグループにもマウスをあげました。)。

 ApoEWestern-type diet負荷のデータがそろい、10/1/2001Nature にだしました。Natureの目に留まるように随分スタイルと文章を工夫しました。いままで、自信作を含めて10以上tryしてすべて門前払いでした。(そのなかには、最終的にPNAS, Nat Med論文になったものもあります。)私のような無名人が出したのではまただめかと半分諦めていました。冷や冷やしながら待っていますと、なかなか返事がきません。返事が遅いのは良い知らせと待っていますと、10/18に外部reviewに出したとメールがきました。ここまでくればどんな追加実験 でもやってなんとか滑り込みたいと思いました。追加を要求されそうなところの実験を既に開始して、毎日移植や血管傷害実験を進めていました。同時に、先日の神社と不動尊へのお参りを再開しました。毎朝出勤すると、合掌し神に祈りながらメールを開けていました。

 そして、11/7(木)です。いつものように 早朝冷や冷やしてメールをあけてみると返事はきていませんでした。半分安心して外来に行きました。疲れて机に戻ってみると”Nature st admin”からひとつの受信メールがあります(EST19時以降発信されているということはサンフランシスコのofficeからか)。ボーとして文頭をよみました。結果としては、「careful consideration ののち、Natureでとるにはいまいちimpactが足りないという結論に至った。 Submission to Nature Medicine might be appropriate.」という内容です。失意のどん底のなかreviewersのコメントを読むとReviewer1は、その前のNat Med の論文がありNovelでないと全く否定的な見解。おまけに電顕で「骨髄由来平滑筋」の微細構造の形態観察が必須だととんでもないことを言っています。Reviewer2と3は非常にfavorable で、studyの臨床的意義を高く評価して1-2ヶのconcerns を挙げていました。Reviewer4は非常に細かく内容をみていていろいろとtechnicalなコメントをいっていましたが、「Natureでもよいが、どちらかというとNat Medのほうがよいのでは」というコメントでした。

Reviewer1さえもう少しPositive であったならば、Natureeditorreviseのチャンスをくれていたかもしれないと大変残念でした。その日は某研究会に呼んでいただいており、呆然として飛行機に乗りいろいろと思いを巡らせました。(あとからいろいろ分析したのですが、2は血液にあまりくわしくない心臓血管研究者、3は多分日本の血液・幹細胞研究者と思います。4はヨーロッパのPCかSDではないかと察します。問題のReviewer 1は、確実に日本によく来ているアメリカの血管研究者です。最初はテッキリPLと思いました。しかし、文章の内容をよく読み、その後出したScienceが門前払いだったことから判断すると、ScienceReview Board で中膜細胞のCell Cycleで一連業績を築いてきたEGNで間違いないと思っています。Reviewer2はKWかJLと思っていました。本人に確認したらJLであったようです。)

Natureの薦めどおり、Nat Medinterestをメールでpreinquiry したところすんなり興味を持ってもらえました。週末(本来はAHAに行く予定でしたが、テロ事件後の家族の強い要望でキャンセルしました。)頭を冷やしてよく考えました。やはり三大誌に一生に一度は論文を掲載するのが夢でしたのでScienceに出すことにしました。御存知のごとく独特の形態ですので、フォーマットを変えるのは随分時間がかかりました。少なくともReviewにはでるのではないかと思っていたのですが、1週間して門前払いの返事でした。(しかし、よく考えるとcompetitorsのところに送られて、情報を漏出されたあげく陰湿に引き伸ばされるよりよかったと思います)かっかとしてその日の内にNature Med 用にtextfigures印刷し、cover letterも用意しました。Packing を終えて郵便局の深夜受付に持って行く寸前にNat Med からのメールをもう一度読みなおしました。そこのeditorの手紙には、「しばらくの時間がかかることはよく承知しているが、NatureReviewers のコメントに追加実験でrespondする必要がある。もしそうでなければ新たにreview processをやらなければならない」ということでした。せっかく包装までしたのでこのまま出すかと思いましたが、やはりこの状況では「いそがば回れ」と決断しその日は帰宅しました。

 翌日から、すべての用事を後回しにしてメンバーの全精力を結集してreviseを仕上げる実験計画をたてました(共同研究をしている先生方。突然、すべてのprojectsを中断してすみませんでした)。夏にはC57100%ROSA26からApoEへの骨髄移植をやっていたのでハーベスできるようになっていました。Reviseに備えて造血幹細胞移植マウスの血管傷害が済んでいました。また、心移植したマウスもちょうどハーベストする時期でした。これらをreviseに必要なデータが出せるように割り振り、1−2日でハーベストしました。GFP観察用に浜ホトの方にも来ていただき特殊照明装置でconvincingimages をとりました。加藤さんには、一日に8匹程度のApoE Aortaの採取を無理にお願いしました。木下さんには、ベストの画像を得るため何百枚も凍結切片を作ってもらいました。免疫染色は最近はメンバーにお願いしていることが多かったのですが、月曜まで待てず、週末自分で行いました。注文していた共焦点の納期が1ヶ月遅れるとのことで、神田のオリンパスショールームに通い綺麗な写真をとるよう努めました。EGNのいった無理難題に応えるべく、藤乗先生に無理にお願いして免疫電顕の名人芸を一週間でやっていただきました。

なんとか、目途がつき、残りの1週間はデータの整理と文章のreviseに没頭しました。この3週間でたまった画像は1000枚以上でした。そのなかからベストの図をピックアップするのに発売直後のWindows XPpreview機能は役立ちました。また、Photoshop6の編集機能は役立ちました。Old Figurs.からデータは三倍に増え、膨大なデータは4つのfull paperssplitすることも可能なくらいでした。Textの文章も大変練りました。それから、EditorへのCover Letter も工夫しました。特に本研究が、動脈硬化研究にとっていかに重要であるか、幹細胞研究にいかに影響をもつか、general scientific readers にとっていかにof interest であるかを簡潔にstrong sentences で記載しました。焦る気持ちを抑え入念に最終チェックをしました。そして、EGNとPLを査読からexcludeするようにお願いしました。

米ではクリスマスに入ってしまうと1週間はstackしてしまうと思いなんとかそれまでに編集事務所に届けたいと思い、その日のフライトに間に合うように、12/22土曜 16時 大手町の東京国際郵便局へ持参しました。(ネットでtrackするとその日のうちにJFK空港につきました。しかし、税関で数日間holdされてしまいました。気持ちがこもりすぎて、テープで完璧にpackingしたため、炭疽菌の疑いをもたれたのでしょうか。)。年内にreviewにでるのは難しいと諦めました。疲労困憊して早めの冬休みを取りました。帰省してゆっくり休養をとりました。1/2にメールを確認すると、「12/27に受け取ったが Due to Holiday seasons で、1/7までどんな論文もreviewされない。」という腰が抜けてしまうような内容でした。仕方なく、新たにrequestされそうな追加実験を始めると同時に、神社と不動尊通いを続け待ちに待ちました。その後何の連絡もなく心配していたところ、漸く 1/24/2002に外部Reviewに出したという知らせが来ました。そして、2/2/2002に大変FavorableDecision Letterをいただきました。結局、Natureと同じ査読者にいっていました。Reviewer3はそのままOK.  Reviewer4はほぼ満足していましたが、1-2の簡単なコメントをしてくれました。Reviewer 1はやはりEGNだったようで今回はexcludeされました。

Editorのいうとおりに画像を絞りこんでその日にreviseをおくりました。すぐとおると思っていたのですが、私が初歩的なmisunderstandingをしていました。All three panels are unnecessary. ということですべてのパネルを削ったところ、これは「三つはいらない。一つだけ残しなさい。」という意味だったのです。(苦労して得たデータだったのですが、紙面の都合で1/3に割愛され、他はdata not shownにされてしまいました)Editorの親切なメールに従い、2nd revisionを出したところ2/15(現地2/14)でformal acceptance mailをいただきました。

いろいろ無理なお願いを何度もしましたが、メンバーの皆様、業者の方々どうもありがとうございました。おかげで、一生忘れられない、Valentine Present になりました。改めて感謝いたします。

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