スティーヴンソン

(すてぃーう゛んそん Stevenson, Charles Leslie)

倫理的問題が論争となる場合、 意見の不一致は二元的な性質を有している。 信念における意見の不一致はほとんど不可避であり、 これには詳細で注意深い注意が必要である。 しかし、態度における意見の不一致というものもある。
[…]
この態度における意見の不一致 --この不一致は、それを解決するのに間接的に役立ちうる信念に、 特徴的な形態や構造を与えるものである--は、 倫理的問題を純粋科学の問題から区別する主たるものである。

---C.L. Stevenson, Ethics and Language

The emotive meaning of a word is a tendency of a word, arising through the history of its usage, to produce (result from) affective responses in people.

---C.L. Stevenson, Facts and Values


米国の思想家(1908-79)。イェール大学やミシガン大学で教鞭を執る。 倫理学における情動説を大成した人。 主著は『倫理と言語』(Ethics and Language, 1944)、 『事実と価値』(Facts and Values, 1963)。

『倫理と言語』は、道徳的な発言の記述的意味(descriptive meaning)だけでなく、 発話者の意図や、聴き手の態度に対する影響などに着目し、 さまざまな日常的な例を用いながら、 道徳に関するわれわれの(というか当時の米国人の)あり方を分析した本。 具体例がおもしろいので素人でも楽しく読めると思う。 態度や感情を中心に論じているため、 論理実証主義の影響だけでなく、 心理学の影響も強く感じられる。

(03/June/2000; 05/Sep/2003)


スティーヴンソンは、信念と態度の区別と、 記述的意味と情動的意味の区別をすることにより、 道徳判断の本質は相手に情報を与える(何かを記述する)ことではなく 相手の態度に影響を与えることだと主張した。

スティーヴンソンによれば、 信念(belief)と態度(attitude)は区別され、 信念が一致しているからといって態度が一致するとは限らず、 また態度が一致しているからといって信念も一致しているとは限らない。 たとえば、 死刑制度にかかわる重要な事実についてはまったく同じように理解している --すなわち、死刑制度に関する信念の一致している-- 二人の人は、それにもかかわらず死刑制度に対する態度は正反対であるかもしれない。 また逆に、死刑制度に対する態度が同じだからといって、 死刑制度に関して同じ理解をしているとは限らない。

また、「先生」という語と「先公」という語、「警察官」という語と 「ポリ公」という語はそれぞれ同一の対象を指している --すなわち、同一の記述的意味descriptive meaningを持つ--が、 「先公」や「ポリ公」といった語には軽蔑の感情が込められている。 スティーヴンソンはこれらの「話者の感情が表明されており、 聴き手にも同様な感情を引き起こしやすいと通常理解されている語」 は、記述的意味だけでなく、情動的意味(emotive meaning) も持つとした。 (ちなみに、 「フレー」とか「イエー」とかいう語は純粋に情動的意味だけを持つとされる)

スティーヴンソンは上記の二つの区別を下敷きにして、 道徳判断の本質はその情動的意味にあり、 (産児制限、死刑制度など)問題になっている事柄に対する 道徳判断は、 話者の感情を表明し聴き手の態度に影響を与えることがその目的である と主張した。

(06/June/2000 追記)

なお、スティーヴンソンの情動説に対する批判については、 情動説の項を見よ。


参考文献


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Oct 26 14:35:14 JST 2006