先例拘束力の原則

(せんれいこうそくりょくのげんそく stare decisis)


判例法を特徴づける重要な原則。 「同様な事例は同様に扱え(Treat like cases alike)」 という正義の形式的原則に基づき、 判例は後の判決のさいに参考になるだけでなく、 事実が十分に類似している場合は先例に従わなければならないとする (また、下級の裁判所は上級の裁判所の判例に従わなければならない)。 stare decisisとはLet what has been decided standという意味のラテン語。

先例には、拘束力を持つ部分とそうでない部分が含まれる。 前者をratio decidendi (判決理由 reason for deciding)、 後者をobiter dicta (付言 things said by the way)と呼ぶ。 後者はたとえば少数意見の判事の反対意見などで、 のちの裁判官は拘束はされないものの判決に利用することができる。

判例法と大陸法(civil law)の違いの一つは、 大陸法(たとえばフランス)においては先例拘束力の原則が採用されず、 判例はあくまでもっともな理由を提供するだけに留まるという点である (究極的には法典が判決の根拠になる)。 米国においても先例拘束力の原則は英国ほど厳格ではないが、 これは米国では英国ほど裁判所のヒエラルキーがはっきりしていない という事実と、 憲法の権威によって判例がくつがえされうるという事実が背景にある。

先例拘束力の原則は(1)法の明確性と判決の予期可能性を高める、 (2)時間と金の節約になる、(3)法体系に一貫性を与える、 (4)柔軟である、などの利点があるとされる。

しかしその一方で、(1)時代を追うにつれて複雑になる、 (2)過去の事例に拘束されるため時代の変化についていけない、 (3)恣意的な先例の選択が行なわれる、 といった批判がなされる。

たとえば(3)の批判だが、 判決理由は判例集(law report)に記載されることによって明らかにされるが、 古い判例集は権威に大小があるため、裁判官に恣意的選択の余地を与える (英国ではいまだに正式な判例集は存在しない)。 また、たとえある先例が拘束力を持つと判断された場合でも、 判決のどの部分がratio decidendiでどの部分がobiter dictaであるかは 議論の余地があるため(つまり、判例の再解釈が可能である)、 ここでも裁判官による裁量の余地が生じる。 たとえば複数の裁判官による判決で、 判決を支持する理由がいくつも並べられているような事例においては、 どの部分をratio decidendiと解釈するかは大いに問題である。 判例法を称賛する人はこれを柔軟性と呼び、 ベンタムのように判例法を批判する人は これを恣意性と呼ぶ。

08/Aug/2001


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 28 03:43:18 JST 2000