共和制

(きょうわせい republic)


ラテン語のres(もの、活動)とpublicus(公共の)から。 ギリシアではデモクラティアと呼ばれた民主制が、イタリアではこのように呼ばれた。 基本的には同一のこと、つまり民衆による支配のことを指す。

R・ダールによれば、米国建国の父の一人であるジェイムズ・マディソンが、 デモクラシーとリパブリックを区別して、リパブリックとは代議制による政体 だと述べたが、これは歴史的には全く間違いで、 ローマにもルネサンス・イタリアの都市国家にも代議制はなかったとされる (『デモクラシーとは何か』参照)。

ギリシアの民主制に対して、ローマの共和制の特徴は、 執政官、元老院、民会という制度によって、 社会内で対立する利益の調和を図り、 市民的徳の堕落を防ごうとしていた点に求められる。 混合政体と呼ばれるこの制度は、君主制、貴族制、 民主制の三つの徳を兼ね備えているとされ、 18世紀英国の繁栄もまさにこの政体を採用しているがゆえであると モンテスキューによって称賛された。 (メモ: ブラックストーンも同じように誉めているが、 それをベンタムは『統治論断片』第三章で痛烈に批判している)

英国から独立した米国が英国の制度にならって共和制を作ろうとしたときに 問題になったのは、米国には王も貴族もいないので、 調和を図るべき利益の対立が存在しなかった。 そこで彼らは「君主・貴族・民衆の三つの利益の均衡」ではなく 「立法・行政・司法の三つの権力の均衡」 を図ることで政体の堕落を防ごうとした。 これが三権分立の考えである (以上、Democracy and Its Critics参照)。 (メモ: モンテスキューはこの三権分立の考え方を英国の制度から引出したわけだが、 その背景には君主が行政を司り、貴族(議会)が立法を司り、 民衆(陪審)が司法を司るという構造があったためと思われる。ただし、 貴族が司法に関係するなどの混合も、 モンテスキューは権力の均衡に役立っていると考えた)

民主主義を見よ。

24/Jul/2002; 24/Mar/2003追記


参考文献


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Mar 24 05:33:14 JST 2003