『ラケス』

(らけす Laches)


プラトンの著作の一つ。 副題にあるように、勇気という徳についての問答である。

この著作でソクラテスは問答相手のラケスやニキアスに勇気の定義を迫るが、 彼らはうまく定義することができず、 けっきょくソクラテスによって勇気が他の徳、 とくに知識と密接に関連することが示される。

26/May/2001


(以下は1997年ごろの部分意訳。以下の翻訳を参照した。 『ラケス(プラトン全集7)』、生島幹三訳、岩波書店、1975年)

登場人物


ソクラテス: おおラケスさんよ、おお。おお。「勇気」とはいったいなんな んでしょうか。

ラケス: ああソクラテスさんよ。ああ、ああ。戦争のときに逃げないで敵と 戦う人、それが勇気のある人です。

ソクラテス: ええラケスさんよ、ええ。ええ。たしかにあなたのおっしゃる ことには一理あります。 しかし、逃げながらも敵と戦う人もまた勇気のある人とは言えませんか。

(ラケス、怒って暴れる。「こうしてやる。こうしてやる」と叫び、杖で何 度もソクラテスの頭を叩く。ニキアスも笑って見ている。しかしプラトンはこ の場面を省略する)

ソクラテス: ……。…。…まあ、戦いの話ではなく、もっと一般的な話をし てみましょう。 われわれは戦争においてだけではなく、病気においても、政治においても、つ まり人生のいろいろな場面において「勇気のある人」を見るわけですが、彼ら の持つ共通のものとはいったいなんなのでしょう。

ラケス: ああ、そういうことを言いたいのか。それはだね、おおソクラテス、 勇気のある人は忍耐強さ、がまん強さを持っているのです。

ソクラテス: なるほど。なるほど。…しかしですね、どんな忍耐強さも勇気 と呼べるのでしょうか。

ラケス: というと?

ソクラテス: え〜と、要するに、「忍耐強さ」といっても、「賢明な忍耐強 さ」と「愚かな忍耐強さ(向こう見ず)」とがありますね。いったいどちらが 「勇気」と呼べるでしょうか。

ラケス: それはもちろん、勇気はすばらしいものですから、「賢明な忍耐強 さ」こそが勇気と言えます。

ソクラテス: なるほど。…しかし、よく考えてくださいよ、賢明な人が例え ば戦争においてがまんして逃げださないときは、その人は状況をよく理解して いて、たとえば、がまんをすればもうすぐ味方が助けに来てくれるということ を知っているからこそ、がまんしているわけです。 一方、愚かな人は、ばかだから状況がよくわからず、味方が助けに来てくれる かどうかも知らないけれど、とにかくがまんするわけです。違いますか?

ラケス: そのとおりです、ソクラテス。

ソクラテス: すると、ラケスよ、賢明な人はがまんした方が有利だと思って がまんするわけです。 他方、愚かな人は、がまんした方が有利か不利かわからずに、とにかくがまん するわけです。 彼らのうち、いったいどちらが「勇気のある人」と言えるのでしょうか。

ラケス: それはもちろん、愚かな人の方でしょう。 だって、状況が有利であるとわかっていてがまん強くがんばっている人は、状 況が有利かどうかわからずにがんばっている人ほどには勇気があるとは言えま せんからね。

ソクラテス: ふむふむ。けれど、ラケスよ、そうすると「愚かな忍耐強さ (向こう見ず)」こそが「勇気」となり、さきほどあなたが言った「賢明な忍耐 強さ」が「勇気」である、という答とは矛盾するわけですよ。

(「う、うるせー、こんちくしょーっ」と言ってラケス、ソクラテスに飛び かかる。ニキアスも「こんなやつは死刑だ」と叫びソクラテスに石を投げつけ る。殴る蹴るの暴行。しかしやはりこの場面もプラトンは記述しない)


このあと、ソクラテスはニキアスと議論する。ニキアスは「恐ろしいも のと恐ろしくないものの知識(思慮)」こそが「勇気」であり、「単に恐れを知 らない(無思慮)」というのは「向こう見ず」であると主張する。

これを言い換えて、ソクラテスは、「勇気において、恐ろしいものとは 未来の(予期される)悪であり、恐ろしくないものとは未来の悪くないもの、あ るいは善いものであって、勇気とはこれらのことに対する知識だ」と言う。

しかしそもそも「あることに関する知識」を持った人は、そのことに関 して、未来における知識を持つだけでなく、現在、過去の知識をも持つはずで ある。

すると、勇気を持つ人は「未来、現在、過去の善悪についての知識」を 持つことになる。

しかし、「未来、現在、過去の善悪についての知識」を持つ人は、徳の 一部である「勇気」を持つだけでなく、その他部分である「節制」や「正義」 や「敬虔」をも持つはずである。

すなわち、「未来、現在、過去の善悪についての知識」はもはや「勇気」 に関する説明とは言えず、これは徳全体に関する説明になってしまう。ソクラ テスによると、やはりニキアスの説明でも「勇気」は見つからなかったのだ。

(このあと、ソクラテスは再びニキアスとラケスに石つぶてでめったうちに されて退場するが、この情景もやはりプラトンによっては描写されない)


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 28 07:20:26 JST 2000