手段と目的

(しゅだんともくてき means and end)

It is wrong to create a child simply as a means to an end, however good that end might be.

---David King, director of Human Genetics Alert


カント定言命法の一つの定式化に、 「すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない」というものがある。

カントによれば、 人格を有する存在は、他のものと引き換えがきかない価値(尊厳) を持つ。 つまり、人間(やその他の理性的存在者)は、かけがえのない尊さを持つ。 (内在的価値も見よ)

それに対して、人格以外の物は、単なる交換価値を持つだけで、 いつでも他のものと交換することができる。つまり、置き換えがきく。

したがって、たとえばナチスの人体実験のように、 目的を達成するための手段としてのみユダヤ人を用いることは、 人格が持つ尊厳を踏みにじる行為だと考えられる。 レイプにしても、詐欺にしても、すべて他人の尊厳を無視して、 手段として扱う行為であるがゆえに不正だと説明される。 カント的には自殺も自分を(苦痛を軽減するための)手段として用いることになるので、 不正である。

では、どのようにして人を扱えばいいのかというと、 人は理性を持ち、自分の人生を決める能力を持っているのだから、 その人の自律を尊重することによって、 相手の人格が持つ尊厳を尊重したことになるとされる。 つまり、スーパーにお使いに行ってもらうときなど、 他人を手段として扱う場合は、当人の同意がなければ、 奴隷と同じ扱いになってしまうが、 当人の心からの同意があれば、 「手段としてのみではなく、目的自体として」扱っていることになる。

21/Aug/2004


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Aug 5 02:41:38 JST 2004