アイデンティティ

(あいでんてぃてぃ identity)

みな散り散りとなり みなまとまりを失う
みな仮初めに役につくのみ
主君 臣下 父 息子 すべての結びつきは忘れ去られる
みな考えることといえば
不死鳥になること 不死鳥になれば
これでもなく あれでもなく 自分そのものになれると

---ジョン・ダン

「わたくし、はじめ「ドウテイの基準」 と若い方々が言っているのを聞いて何かしらって思ったの。 「童貞の基準」かしら。 それにしてもおかしいわね。 あとで「同定の基準」だとわかったのですけれど」

---石黒ひで

お前とおれとは別な人間なんだぞ。早え話がだ、 おれが芋食って、お前の尻からプッと屁が出るか!

---寅さん

あかちゃんのときのはなし/しないでほしいわ
オシメしてたとか/おぼえてないし
いまのわたしとは/ちがうもの

---ゆうゆ「6さいのばらーど」


日本語にしにくい言葉。しかし、日本語にしにくい理由は、 よく言われるように「日本語にない概念だから」というよりも、 多義的だからではないかと思う。

哲学一般では、アイデンティティは一般に「同一性」という意味。 たとえば、伝統的な論理学では、A=Aというのは「あらゆるものは、 それ自体である(Everything is what it is.)」という意味で、 同一律(the law of identity)と呼ばれる。

また、哲学や倫理学で問題になる「人格の同一性」とは、 一定の時間を経た同一の人物(たとえば10年前の自分と、現在の自分)を、 本当に同一とみなして(identifyして)よいのか、ということを巡る議論である。 人格の同一性の議論は、 「現在の自分は、10年前の自分がやった行為の責任を取る必要があるほど、 10年前の自分と同一であると言えるか」といった責任の問題を考える上で 重要になる。

このように、哲学においては「あるものとあるものが同じものである」 という意味で用いられるが、 心理学や社会学では、〈自分理解〉といったほどの意味で用いられることが 多いようである。 先日、国立国語研究所が出した言い換えの提案では、 「アイデンティティー」を「自己認識」と言い換えていたが、 これは心理学や社会学よりの言い換えと言える。 たとえば、アイデンティティ・クライシスは「自己認識の危機」 などと訳されるが、環境の変化などにより、 自分の役割や自分の目標について確信が持てなくなる状態を指す。 「父親としてのアイデンティティ」と言えば、 自分を父親とみなして(identifyして)、父親らしく行動することが含意される。

ちなみに、哲学や科学ではidentifyという言葉を、「同定」と訳すことが多いが、 「童貞」と音が同じで恥ずかしいのでできれば避けてもらいたい。

23/Aug/2003


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Jul 10 15:54:00 JST 2016