意志の弱さ

(いしのよわさ akrasia [weakness of will])

「御承知のとおり、世人の多くは私とあなたの言うことに承服しないで、 こんなことを主張しています。つまり、最善の事柄を知りながら、 しかもそれを行なうことができるのに、そうしようとせずに、 ほかのことをする人たちがたくさんいるというのです。 そして私が、いったい何が原因でそんなことになるのかをたずねると、 彼らがきまって言うことは、そのようにする人たちは快楽や苦痛に負けるからだとか、 さっき私があげたような何かの力に屈服してそうするのだとかいうことです」

---ソクラテス

買春容疑の判事「欲望に勝てず」

買春容疑で逮捕された東京高裁判事の某容疑者(43)が、警視 庁の調べに対し「欲望に勝てなかった」などと話していることが25日、分かっ た。少女らとの連絡に使っていたプリペイド式携帯電話には被害者の少女のほ かにも着信記録が残されていることも分かり、警視庁は着信記録を詳しく分析 している。

蒲田署の調べでは、某容疑者は「立場上悪いことは分かっていた」 としているが、違法なことを知りながら18歳未満の少女に対する性交渉をした 点については、あいまいな供述を繰り返しているという。

---朝日新聞より


「わかっちゃいるけどやめられない」とか、 「悪い悪いと思いつつ、ついやってしまった」とかいう表現に示されている、 意志が理性の命令にしたがうことのできない事態のこと。 アクラシアはギリシア語。

最近、東京高裁の判事が「悪いことと知りつつ、 欲望に勝てず買春をやってしまった」という供述をしたそうだが、 これなどは典型的なアクラシアの例である。

しかし、アクラシアが存在するか (もっとふつうの言葉で言えば「頭と体は別かどうか」) という問いは、倫理学では現在でも続いているおもしろい問題である。

たとえば、ソクラテスならば、この判事に対して、 「本当に悪いことと知っていたならば、買春はできなかったはずだ。 本当のところは、欲望に負けたのではなく、何が悪いことかよく知らなかったのだ」 と言うだろう。つまり、ソクラテスの立場は 「本当に悪いとわかっていたら悪いことはできない」という厳格なものである。

これに対して、 アリストテレスはもうすこし理解があり、 理性と欲望は別々のもので、 理性でわかっていても欲望が強いために正しいことができないことも あることを認める。 そのうえで、つねに理性の命令にしたがう有徳な人間になるためには、 習慣付けによって欲望をうまく制御する必要があると論じている。 (の項も参照せよ)

現代ではヘア、デヴィッドソンなどが有名な論者だが、 勉強不足なので彼らの見解についてはまた今度。

26/May/2001


冒頭の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun May 9 15:28:17 JST 2004