『ベンタムにおける法と道徳の区別、あるいは倫理の分類について』


これはリヴァイアさまにお見せした段階での卒論草稿です。ご意見のある方は、kodama@socio.kyoto-u.ac.jpまたはメイルを送るまで。


1.序論

本論文の目的は、十八世紀後半から十九世紀前半にかけて活躍したイギリス人思想家、ジェレミー・ベンタム(1748-1832)による倫理についての定義を考察することである。主として用いるテキストは彼の代表作の一つである『道徳と法の諸原理序説』(Jeremy Bentham, An Introduction to the Principles of Morals and Legislation, Clarendon Press, Oxford, 1996)である。


2.導入

はじめに

『道徳と法の諸原理序説』(以下『序説』)の最終章である第十七章は、「法体系における刑法部門の境界について」である。この章は、ここまでの章で刑法の説明を一通り終えたベンタムが、刑法と民法の区別を明らかにし、さらに法と個人の倫理との区別を明らかにすることを意図した章である。刑法典への導入部分として書かれたものである*1この本において、なぜそのような区別が問題になるのであろうか。それは、「これらのそれぞれの境界について、何らかの考えを示すことがある程度必要とされるであろう。さもないと、われわれが本来考慮すべき領域内であるのに言及しないままの部分が出て来ようし、あるいは、われわれが考慮すべき領域の外へと逸脱してしまうことにもなりかねない*2」からである。つまりベンタムは、刑法について過不足なく語るためには、刑法と民法の区別、および法と個人の倫理の区別がなされねばならない、と言っているのである。本論文ではそのうち倫理学と特に関係の深い、法と個人の倫理の区別だけを取り扱うことにする。

さて、広義の倫理はベンタムによって次のように定義される。「利害が考慮される人々に関して・可能な限り最大量の幸福を生み出すように、人々の行動を指導directする技術*3」。この倫理の定義は一見して明白なもののように思えるが、この定義の後になされるベンタムの説明を読むと、それほど明白なものではなく、むしろいくつかの問題点を持った定義であるように思われる。そこで本論文ではまず、ベンタムの説明を解説してから、次にこの定義とその説明に対する疑問点とわたしの見解を示すことにする。

しかし、法と個人の倫理の区別および、倫理とはなにかという考察に入る前に、ベンタムにおいてはこれらすべての議論の拠り所となる功利原理について前もって説明を加えるのが適切であろう。

功利原理について

『序説』の第一章は、「功利原理について」である。そこでまず本論文の本題に入る前に、この章におけるベンタムの功利原理の定義を解説することにする。ベンタムによると、「功利原理とは、利害関係のある人の幸福を増進させるように見えるか減少させるように見えるかの傾向に従って、あらゆるすべての行動を是認または否認する原理である。同じことを言い換えて言うと、問題の幸福を促進するか妨害するように見えるかの傾向に従って、ということだ。わたしは、あらゆるすべての行動について、と言った。ゆえに私的個人のすべての行動だけでなく、政府のすべての政策についてもそうなのである*4」。平たく言えば、功利原理によると、ある行動が正しいと言われるのは、その行動が利害関係者の幸福を増やすように見えるかあるいは不幸を減らすように見えるかするときであり、逆にある行動が正しくないと言われるのは、その行動が利害関係者の幸福を減らすように見えるかあるいは不幸を増やすように見えるかするときである。

次に、功利性と利害(関係)が定義される。まず功利性utilityとは、「あらゆるものにある性質であり、その性質によってそのものは、利害関係のある人に対し利益・便宜・快楽・善・幸福を生み出す傾向を持つのであり、または、利害関係のある人に対し損害・苦痛・悪・不幸が生じることを妨げる傾向を持つのである。もし利害関係のあるのが社会全体であれば、社会の幸福であり、特定の個人であれば、その個人の幸福*5」である。しかしその社会の利害という場合、それはその社会を構成している各成員の利害の総計を指していることに注意しなくてはならない*6。ベンタムの功利原理において問題にされるのは常に個々人の利害であり、幸福である。 それでは個人の利害とは何であるか。ベンタムによれば、「あることが個人の利益interestを促進する、または個人の利益のためになる、と言われるのは、そのことがその人の快楽の合計を増加させる傾向を持つか、同じことであるが、その人の苦痛の合計を減少させる傾向を持つ場合である*7」。なお、この章では幸福の明確な定義はなされていないが、『序説』の他の部分で、幸福とは「快楽の享受と(苦痛からの)安全」である、と説明されている*8

また、ある行動、または特に政府によるある政策が功利原理に合致していると考えられる場合——すなわちその行動(政策)の持つ社会の幸福を増やす傾向の方が社会の幸福を減らす傾向よりも大きいと考えられる場合——は、当行動を功利の命令に従っていると言うのが都合が良い、とベンタムは述べている*9


3.展開

倫理とは何か

そこでいよいよベンタムの倫理の定義および法と個人の倫理の区別を考察することにする。まず、前述したようにベンタムは広義の倫理を次のように定義する。「利害が考慮される人々に関して・可能な限り最大量の幸福を生み出すように、人々の行動を指導する技術」。つまり、ベンタムにとっての倫理とは、「功利の命令に従って人々の行動を指導する技術」に他ならないのである。

自己支配の技術(個人の倫理)と支配の技術

そこでまず第一に、広義の倫理の定義の「人々の行動を指導する技術」の部分のベンタムの説明を要約する。

そもそもある人が指導できる行動とは、1.自分自身の行動、2.自分以外の行為者の行動である、という観点から、ベンタムは倫理を大きく二つに分類する。すなわち、1.自分自身の行動を功利の命令に従って指導する技術は自己支配の技術、あるいは個人の倫理と呼ばれ、また、2.自分以外の行為者の行動を功利の命令に従って指導する技術は支配の技術と呼ばれる*10

支配の技術はさらに細かく分類される。ベンタムによると、指導の内容が恒常的な(一時的でない)ものの場合は、立法の技術という名で呼ばれ、逆にその時々の出来事によって決定される一時的なものの場合は、行政の技術という名で呼ばれる。また、未成年の行動を指導する技術は、別に教育の技術という名で区別され、さらにこれも個人を指導するか・集団を指導するかでそれぞれ、個人的教育の技術、公共的教育の技術と区分される*11

分別・誠実・善行

次に、広義の倫理の定義の「利害が考慮される人々に関して・可能な限り最大量の幸福を生み出すように」という部分の説明を要約する。

そもそもある人の幸福が当人のどのような行動によって左右されるか、という観点から、再びベンタムは倫理を大きく二つに分類する。

自分自身しか利害関係を持たない自分の行動によって自分の幸福が左右される場合、自分の幸福は自分自身に対する義務*12によって左右されると言われる。 自分の周りの人々の幸福に影響を与える自分の行動によって自分の幸福が左右される場合、自分の幸福(および自分以外の・利害が考慮される人あるいは人々の幸福)は他人に対する義務または隣人に対する義務によって左右されると言われる。 そこで、1.自分自身しか利害関心を持たない行動を指導する技術、という意味での狭義の倫理は、自分自身に対する義務を果たす技術と呼ばれ、この部門の義務を果たすことによって示される・ある人の資質は、分別prudenceの資質と呼ばれる。 また、2.自分の周りの人々の幸福に影響を与える行動を指導する技術、という意味での狭義の倫理は、隣人に対する義務を果たす技術と呼ばれる。ところで、ある人が隣人の幸福を顧慮する際、a.隣人の幸福を減らさないようにするか、b.隣人の幸福を増やすようにするかという、二通りの方法が考えられる。そこで、隣人に対する義務の内でも、a.隣人の幸福を減らさないようにするという消極的な部門を果たす資質は誠実probityと呼ばれ、b.隣人の幸福を増やすようにするという積極的な部門を果たす資質は善行beneficenceと呼ばれる*13

個人の倫理と法の領域の境界

Now Printing

問題点


4.結論

Now Printing


5.参考文献

  1. Lyons, David., In the interest of the governed. Rev. ed., Clarendon Press Oxford, 1991.
  2. John Dinwiddy, Bentham, Oxford University Press, 1989.
  3. ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』山下重一訳、世界の名著、中央公論社、1967年
  4. W・L・デイヴィッドスン『イギリス政治思想Ⅲ—ベンサムからミルにいたる功利主義者』堀豊彦・半田輝雄訳、岩波現代叢書、1953年
  5. 土屋恵一郎『ベンサムという男』青土社、1993年
  6. 永井義雄『ベンサム』叢書「人類の知的遺産」第44巻、講談社
  7. 深田三徳『法実証主義と功利主義・ベンサムとその周辺』木鐸社、1984年
  8. 岩佐幹三『市民的改革の政治思想』法律文化社、1979年
  9. 安平政吉「ベンサムの刑法理論—その『最大幸福の原理』を主題として—」『刑法雑誌』2巻1号
  10. 深田三徳"ホッブズとベンサム、オースティン#田中浩編『トマス%ホッブズ研究』御茶ノ水書房、1984年
  11. 龍岡資久『刑法における倫理の思想』東京布井出版株式会社、1981年
  12. 平場安治編『刑罰の思想』新有堂、1978年
  13. 金沢文雄『刑法とモラル』一粒社、1984年

  1. 1777年、ベルンの"経済学会#が刑法典の計画のため懸賞論文を募集したときに、ベンサムが応募するために書きはじめたものであるが、例のように遅筆のため応募をとりやめたものである、と山下重一訳『道徳および立法の諸原理序説』の解説(p.24)にある。
  2. IPML, ch.17, 1.
  3. ibid., ch.17, 2.
  4. ibid., ch.1, 2.
  5. ibid., ch.1, 3.
  6. ibid., ch.1, 4.
  7. ibid., ch.1, 5.
  8. ibid., ch.3, 1, ch.7, 1.
  9. ibid., ch.1, 6.-8.
  10. ibid., ch.17 3.-4. ただし、ベンタムは2.自分以外の行為者に、自分以外の人々と人間以外の動物を想定している。しかし、人間以外の動物の行動は支配の技術の対象には入れられていない。
  11. ibid., ch.17, 4.-5.
  12. ここで突然「義務duty」という言葉が出て来るのに疑問を持つ者もいるであろうが、これは功利の命令によって個人に課される道徳的義務と考えておけばよいであろう。
  13. ibid., ch.17, 6.

さいしょにもどる?


Satoshi Kodama
kodama@socio.kyoto-u.ac.jp
Last modified on 10/29/96
All rights unreserved.