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選択的中絶に反対だからNIPTを認めない

選択的中絶に反対だからNIPTを認めない

                                 (室月 淳  2013年6月17日)

先日外来をやっていて感じたことです.

出生前診断,とくにNIPTをめぐる問題には「解決」なんてないような気がします.わたしたちはすこしでもよりよい方向にすすんでいくだけです.ただひとついえることがあるとすれば,妊婦とパートナーも,産科医も,遺伝リテラシーというものをもち,この問題について真正面からかんがえていかなければならないということです.

妊婦のさまざまな不安やなやみに日常的にむきあっている産科主治医は,NIPTについて相談されることはしばしばだと思います.そのとき自分は専門でないから,検査についてよく知らないから,といってこちらに丸投げされることがしばしばあります.これはこれで問題なのですが,最近気になっているのは,自分は選択的中絶には反対だからNIPTは認めない,だからいっさい紹介しないという先生がときどきいらっしゃることです.

ダウン症候群の胎児の選択的中絶にかんして意見がおおきくわかれるのは当然です.女性の自己決定権を重視する立場と,児のいのちを最大限重視する立場の両方があります.医師たるものみずからの意見を明確にし,その良心のみにもとづいた医療をすべきなのは当然です.

胎児はヒトかどうかの議論(パーソン論)がありますが,たとえヒトでないにしても胎児が生きていることにはまちがいありまけん.人工妊娠中絶が胎児のいのちをうばう行為であるとはいえるでしょう.だから良心をもってそれを拒否するひとをわたしは尊敬しますし,その信念を尊重もしています.

しかし,良心にもとづいて話しあうのと,みずからの良心をおしつけるのとではやはりちがいます.選択的中絶に反対する良心は尊重されるべきですが,その信念によって妊婦を否定,拒否すべきではないでしょう.妊婦からもとめられたときに,自分の信念に反するから紹介しない,紹介状は書かない,拒否するというのには首をひねってしまいます.

産むのは妊婦本人ですし,産んだ子を育てるのも妊婦自身です.妊娠中のさまざまなリスクや生まれたあとの子育ての苦労や責任を本人にすべておしつけ,自分はとくに関係しないところから信念をかたることの無意味さ無責任さを,ふつうの人間ならばすぐ理解して口をつぐむのだと思います.

もちろん大前提として,どんな重い病気をもつ子でも,そのことだけで生きて生まれることがゆるされないということは絶対にありません.だからいくら生命予後がわるい,あるいはQOLがきわめてわるい病気を背負って生まれてくるくらいならば,生まれないほうがいいという権利はだれにもないのは当然ことです.

しかしそういった子を産み,育てようとする両親の精神的,肉体的,そして経済的負担ははかりしれないほどおおきいことも事実です.それでも産んで育てたいと妊婦なり夫が望むのならば,他人がこれに口をさしはさむことはできません.問題は両親が選択的中絶をえらんだとき,それを禁止する権利が社会にあるかどうかです.

産む側にはそれぞれの事情があり,国や社会がそれをすべてかたがわりして,生まれた子の面倒をきちんとみるのではないのならば,選択的中絶を禁止することはなかなかできないでしょう.おなじような意味で,仮に自分がそのダウン症候群の子をかわって面倒をみるというくらいの覚悟がないかぎり,その本人を非難することもむずかしいと思います.

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