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女性と国家の戦いでは,女性に支援せよ

女性と国家の戦いでは、女性に支援せよ

                                 (室月 淳 2016年11月6日)

前世界大戦中は、ナチスドイツでも日本でも多くの医師が戦争に協力させられ,「合法的だが、非人道的な行為」が多くなされました。人体実験や大量虐殺といった残虐な行為が、法律に基づいて国家の命令により行われたのです。この表面的にはまったく合法的になされた医師の行為は、それでも人道にたいする罪として裁かれざるをえませんでした。

その深刻な反省に基づいて、戦後、世界医師会は「法よりも何よりも患者の人権(権利)を優先する医療」、すなわち「患者の権利を最優先する医療」をめざすことになります。1948年のジュネーブ宣言では「私は、人の命に対する最大限の敬意を持ちつづける。私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すためには、自分の医学の知識を利用することはしない」と採択されました。このことは大阪中央病院顧問の平岡諦氏の本から学びました。

すなわちわれわれ医師は、たとえ国から命令されようと、たとえ法律で強制されようと、たとえ外部から不当な干渉を受けようと、「治療に関わるどのような決定においても患者一人ひとりの最善の利益を第一に考える」ことが要請されます。これは「個々の医師の権利」であるとともに「義務」でもあります。2009年採択のマドリッド宣言では、医師のこの自律性を"clinical independence"あるいは"clinical autonomy"と呼び、ひとりひとりの医師の基本的姿勢としました。

すなわち医師たるものつよい覚悟が必要とされます。戦時/非戦時に、国家が法律に基づいて非人間的行為を命じても、医師はその自律性に基づいてそれを拒否しなければならない。それによってこうむるかもしれない法的処罰や迫害、暴力といった不利益には抵抗ないしは甘受しなければならない。そのように医の倫理はいっているのです。患者と国家の戦いでは、患者に支援せよ。

「性と生殖に関する権利」はリプロダクティブライツともいい、女性が身体的・精神的・社会的な健康を維持し、子どもを産むかどうか、いつ産むかなどについて選択し、自ら決定する権利のことをいいます。1994年のカイロの国際人口・開発会議で承認を得た普遍的な権利といえるでしょう。「母性保護」をうたうわれわれ産婦人科医にとってはもっとも尊重しなければならないたいせつな概念です。

なぜならこの権利は、妊娠の選択(不妊治療も含む)、安全な妊娠と出産、乳幼児の健康な発育を保証するものであり、そのおおくは産婦人科医の手にかかっているからです。もし国家が女性のこの権利を不当に制限しようとするなら、産婦人科医は女性の側にたってそれを擁護する必要があるでしょう。女性と国家の戦いでは、女性に支援せよ。

さてここからがこの文章の主題です。これまでおおくの論者が指摘してきましたが、生殖医療の発展というのは、それまで人間の手に届かなかった「自然/神の領域」を、テクノロジーの進歩によって人間が自ら選択できる「人間の領域」におきかえてきた過程ということができます。すなわちこれまでは生まれつき与えられたものを、いまや人間が自ら選択できるようになったのです。「出生前診断」はそのひとつです。

生命倫理学者の一部は、「国家/社会は将来世代の遺伝的利益の保護ための役割をになうべき」と主張しています。この考えかたによれば、「賢明な遺伝学的決断によって避けられたであろうハンディキャップの児を産もうとする決定をおこなう両親」にたいしては、その生殖の自由に介入することができるし、介入すべきということになります。「神の領域」が「人間の領域」におきかえられていくというのは、このあたらしい領域が国家/社会と法のもとに秩序化されるということなのです。

社会の利益、公共の利益のために、個人の生殖への介入を社会がなそうとすることを批判するのは、実はそれほど容易ではありません。「公共の目的」のために「生殖の自由」を制限するというのは、結局は多数派が少数派の権利を圧迫するということです。日本でもドイツでも、あるいはほかの国々でも、つい数十年前にそのような非人道的行為が「合法的」「民主的」になされてきたわけです。

もし両親が障害をもって生まれてくる児を出産しようと選択するならば、社会全体でその児の養育のための経済的負担をになうことは、リプロダクティブヘルス/ライツの尊重と、すべての生命をたいせつにするという原則のために、社会が払うに値する費用だとわたしは考えます。国が公共の目的で、あるいは経済の論理でそれに介入すろことをけっしてゆるしてはなりません。そこが全体的、抑圧的国家とおおいに異なるところです。

新型出生前診断(NIPT)について、医師の自律的団体である医師会や医学会の決めた「指針」に反して、一部の医療機関が勝手に検査をおこなっていています。それも経済原理に基づいたきわめて非倫理的な姿勢をとっています。NIPTについて真剣にうけとめ、徹底した議論によって指針を決め、それに基づいて自律的、禁欲的に実施してきたおおくの医療者からは、強い批判と不満の声が聞かれます。

たしかに医師の自律性に基づいて制定した「指針」には法的拘束力はない。しかし法律に反していないからおこなっていいというのは、これは100パーセントまちがっています。相手は確信犯でそれを無視しているのですが、しかしここで国に実行のある対策を要請したり、法的規制をもとめるのは、これもまちがっていると思います。

国家が介入しようとしない状況こそいちばんの理想なのです。どんなに困難と苦境に直面しようとも、医師集団はその自律性と社会的批判によって問題を解決すべきだと思います。もしも医師がプロフェッショナルオートノミーを発揮できず、社会が混乱におちいって、国家が女性の生殖の権利に介入をはじめようとするときこそ、もっとも危険なときです。女性と国家の戦いでは、女性に支援せよ。

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