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出生前診断におけるご夫婦の「明らかに好ましくない選択」について考える

出生前診断におけるご夫婦の「明らかに好ましくない選択」について考える

                               (室月 淳  2012年8月5日)

空母ミッドウェイの手術室(マネキン)

 はじめに

患者や家族の「明らかに好ましくない選択」とは,医学的にみても,あるいは社会通念上からも理性的とはいえない選択,倫理的にも問題があるかもしれない選択をいいます.具体例をあげて考えてみます.

妊娠11週のときに胎児にnuchal translucency (NT) を認め,前医より紹介となりました.遺伝カウンセリングののちに妊娠16週で羊水検査を施行し,クラインフェルター症候群(47, XXY)という結果となりました.本人,パートナーは妊娠中期中絶を強く望んでいます.さてどう考えるか?

 

 妊娠中期の選択的中絶の倫理的問題

選択的中絶を選ぶ理由としては,一般に生まれてくる子どもが肉体的に大きな負担を負ったり,精神的に苦しんだりということがあげられますが,それ対してはふたつの批判があります.ひとつは,生まれてくる子どもがそれを肉体的負担と感じ,精神的に苦しむかどうかは,実際に生まれてこなければわからないということです.重い障害をもつことが必ずしも不幸とはいえないかも知れません.

もうひとつの理由は,生まれて重い障害で苦しむことと,中絶されてその子どもの存在がなくなることはまったく違う次元の問題であり,どちらかを選ぶ選択肢としては論理的に成り立ちえないことです.この世に存在しなければそもそも苦しみも不幸も存在しえないからです.このふたつが選択肢として存在するとすれば,それはあくまでも親の立場,親の視点からでしかありませんので,子どもの苦しみ,不幸を理由として決定することもできません.あくまでも両親自身の都合そのものによる選択にしかならないのです.

しかしわたしがここで言いたいのはもう少しだけ別のことです.生まれて重い障害で苦しむことと,中絶されてその子どもの存在がなくなることはまったく違うレベルのことであり,このふたつが選択肢としては確かに原理的に成り立たないかもしれません.しかしまた一方で,だから「選択的中絶は誤りである」とか「産むべきである」という論拠にもならないことも明らかです.「子どもが不幸である」といって選択的中絶を選ぶ(あるいは勧める)ことも,「そもそも生まれなければ不幸も苦しみも存在しえない」といって選択的中絶を批判することも,どちらも論理的に導き出すことができないわけです.

それではどうするか? 結局のところ,ご夫婦が自分たちでどちらを選択するか(自己決定)と,社会がどこまで許容するか(社会的規範あるいは法)のふたつのせめぎ合いによって決まることになるのでしょう.これは純論理的に,あるいは一義的に正否が決まってくる問題では決してなく,それぞれのケースによって判断が異なってくることが予想されます.

 

 個別のケースにそくした考察

前の子を表皮水疱症(接合部型)という遺伝性疾患で亡くしたご夫婦の体験談があります.その子の皮膚は基本線維が欠損しきわめて脆弱のため,外的な刺激によって容易に水疱ができて強い疼痛を起こすとともに,あとに重度の瘢痕が残ります.症状は徐々に消化管や気道にも広がっていきました.体にできた水疱と瘢痕によって数か月の苦痛にみちた生涯をとじたのでした.次に生まれてくる子も25%の確率で同じ疾患に罹患する可能性があります.最初の子が苦しみながら徐々に死に近づいていくのをみてきたご夫婦にとって,次の子も同じ病気となるとしたらふつうは妊娠など考えもできないでしょう.しかし遺伝カウンセリングを受け,ご夫婦は胎児遺伝子検査の結果次第では中絶することを条件にして,ようやく次の子をもつことを決心しました.

生まれてこない子どもはもちろん生は存在しないので,生まれてくることによって生じるおそるべき苦しみと,無とはそもそも比較することはできない,そのように主張して選択的中絶に反対する意見もあります.しかしこのことは一般論で決められることではないでしょう.すべての人の倫理的判断が一致するわけではありませんが,この表皮水疱症のケースではふたりに共感を覚えるひとがおそらく多いだろうと思います.両親の願いは,これから生まれてくる子どもに,おそるべき苦しみにみちた短い人生を回避させてやりたいということだけです.選択的中絶は倫理的に許されないと,この両親を非難する人はあまりいないのではないでしょうか.もし同じ病気の子どもがもうひとり生まれるとしたら,その子は生をもたないよりもはるかに悪い状態におかれるといえるかもしれません.それを回避しようとする両親の決断は決して非人道的とはいえません.

胎児の病気がダウン症候群である場合を考えてみます.これは人によって倫理的判断がわかれるかもしれません.ダウン症候群で生命を危うくする合併症をもつ場合はあります.しかしこの病気をもつ多くのひとが充実した人生を送っていることを考えれば,ダウン症候群の場合,生まれてくる子どもの利益に訴えて妊娠中絶を正当化することには疑問があります.一方で,女性とそのパートナーが妊娠継続か中絶かの選択の権利をもつことをわたしたちの多くは認めています.それぞれの夫婦には個別の事情があって,ダウン症候群の子どもを育てるのが負担であったり,面倒をみる夫婦を支援する体制が不十分であったりします.夫婦には中絶を選択する「権利」があるという考え方は広く受けられています.

それでは「クラインフェルター症候群」ではいかがでしょうか? ほとんどの人では正常男性と何ら変わりがありません.知的,肉体的にも正常であり,唯一の症状としてほとんどが不妊症を示し,むしろ不妊症の精査で診断されることが多い疾患です.ふつうに考えれば選択的中絶の対象には決してなりません.それが医療者のほとんどのコンセンサスであろうと思います.

 

 遺伝カウンセラーとして

もし遺伝カウンセラーとして接しているのであれば,それはあくまでもご夫婦を援助する立場にたつため指示的な介入は好ましくありません.しかしクラインフェルター症候群の胎児の選択的中絶という「好ましくない」選択をしようとしている場合には,遺伝カウンセラーはどのように行動すべきでしょうか.「クライエント」の行動変容をめざすための基本的対応は,千代豪昭先生によると以下のようになります.

まずなぜうまく行かなかったのかを考える必要があります.ご夫婦側の問題としては,状況をきちんと理解しているか,誤った情報の影響を受けていないか,強い恐怖感や過去の何かの体験にとらわれていないか,特殊な人間関係や家族的な特性はないか,社会的支持が脆弱ではないかなどがあります.カウンセラー側の要因としては,カウンセラー自身の「自己不一致」がないか,クライエントとの関係形成に失敗していないか,カウンセリング技術は誤っていないかなどです.その分析をもとにしてカウンセリングの修正を試みる必要があります.

しかし遺伝カウンセラーの立場としては,最終的にはご夫婦の自立的な選択を受け入れざるを得なくなります.そこで発想を切りかえ,その選択による「2次的被害」の防止に専念する必要があります.どうしてもご夫婦の選択を容認できない場合はカウンセリング契約の解除と,他のカウンセラーや専門家の紹介が必要となります.自分(自殺など)や周囲を傷つけるような行動を選択するリスクが予想されるときは「危機介入」を試みる必要がでてきます.「危機介入」はクライエントを救済するための非常手段であり,精神科医師や心理専門職が対応するのが原則です.

 

 産科医師として

医学的にどうしても納得できない選択について,遺伝カウンセラーとしての立場と主治医としてそれは微妙に変わってきます.医師/患者関係が比較的良好に築かれていれば,カウンセラーとしてはできない「指示的行為」が意外と有効に働く可能性があります.ただし個人的正義感や倫理観を押しつけることは禁忌です.ご夫婦にとってはそれが非常に重荷になり,結局はさまざまな意味において不幸な結果を招くことになりがちです.いろいろな選択があるのだという一種の諦念というべきものを飲みこみ,ご夫婦の最終的な決断を尊重しなければならないでしょう.

そのあとの実際の妊娠中期中絶についてはどうするか.ご夫婦のその選択がどうしても自分の倫理観に反していて許容できない場合は,断わってほかを紹介することは可能です.その決断は医師の自律性の範囲内でしょう.しかし可能であれば,両親がどのような選択をしようともその決定を支援するという覚悟を事前にもって出生前診断にのぞむことが理想だと思います.妊娠中に胎児に疾患がみつかったときは,たとえどんな選択をしようともそれはご夫婦にとっては苦しい中からの選択となります.医療者もともに苦渋の中で支えていくことで,そのとき真の周産期医療が成立するのではないでしょうか.

 

 スタッフケアの重要性

ここで非常に重要なことがひとつあります.それは「スタッフケア」の問題です.

医師はほとんどの場合,他者の助けをかりずに重要な決定をくだすことができます.何をなすべきかをひとりの人間がくだすことは,その意思決定がもつ倫理的責任や重圧を他者に転嫁せずにすむのと同時に,看護スタッフにとっては自分たちの統制範囲をこえた意思として降りかかってくるものといえます.自らの倫理観に反した行為を行わなければならないときでも,自らくだした決定なのであればなんとか耐えられるかもしれませんが,それが他からの指示に基づいたものであれば,そのストレスははかりしれないものがあります.意思決定は主治医がしますが,よりおおくの実行をするのはむしろ看護スタッフなのです.ここにも一種の倫理的ジレンマが存在します.

助産師・看護師は人工妊娠中絶のケアを拒否する自由があるかという問題があります.いわゆる「医療者の良心的治療拒否」と呼ばれるものです.主として宗教的信念からの拒否を問題とするものですが,人工妊娠中絶だけでなく脳死や臓器移植,安楽死などといったテーマも含んでいます.このことは日本ではほとんど議論されてきませんでした.本稿の主題である妊婦・家族の「明らかに好ましくない選択」について考える場合,この「良心的治療拒否」に関しては避けてとおれませんが,これは非常に大きな問題であり,いずれ稿を改めてまとめるつもりです.

またここには「スタッフケア」の視点が絶対的に必要となってきます.なってきますが,現時点ではそれはまだわたしの手にあまる問題です.この点についてももう少し時間をいただければと思っています.

 

 参考文献

立岩真也:私的所有論,1997,勁草書房

ダニエル・チャンブリス(浅野祐子訳):ケアの向こう側−看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾,2001,日本看護協会出版会

大野明子:子どもを選ばないことを選ぶ−いのちの現場から出生前診断を問う,2003,メディカ出版

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「遺伝カウンセラーとして」の節は千代豪昭先生のご教示を参考にさせていただきました.ここに記して感謝申し上げます

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医療者には良心に基づいて人工妊娠中絶を拒否する権利があるか(2013年2月3日)

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