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気仙沼市立病院産婦人科に応援に来てくださったかたがた2

気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた2(2011年9月〜)

→ 気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた1(2011年4月〜8月)

→ 気仙沼市立病院産婦人科長・宇賀神智久先生からの感謝の言葉

支援の先生方が泊まった官舎

 

応援いただいた先生方のご紹介

応援に来ていただいた先生がたのお写真とコメント,いただいた文章などです.

田村正明先生(アルベルトアインシュタイン医科大学)

留学して半年が経過しようとしている頃、あの震災、津波を知りました。日々の留学のストレスにどうにか順応しはじめた矢先の出来事です。

実際に経験された方々には恥ずかしくて申し上げにくいですが、私自身もあの震災後PTSDのような症状に悩みました。

同じ日本で皆さんと苦しみを共有できなかった戸惑いとMDであるのに役に立つ方法を見つけられないもどかしさが重なり、身の置き所のない気分でした。

そのような時に、フェイスブック上で室月先生とお会いすることができました。室月先生のお力添えで気仙沼市立病院でのボランティアに参加させていただいたのです。

タクシーの運転手さんは病院へ向かう道すがらこの道路まで津波が押し寄せた当時の記憶を噛みしめながら話してくださいました。彼は私の来院理由を知ってか知らずか、ミラー越しにを何度も目を合わせて、たくさんの医師がボランティアで駆けつけていることに感謝をしていました。

病院では多くの看護師、助産師、事務方の皆様、そしてもちろん宇賀神先生方のご配慮で若輩者の私でもなんとか診療のお手伝いをさせていたくことができました。

当然ですが笑顔で働く病院スタッフの方々ご自身も被災されていました。外来看護師のお一人からは震災直後の写真を見せていただきました。写真を捲る彼女の眼差しは時間が止まったかのように静かでした。

ある妊婦さんは上のお子さんを津波で亡くされたそうです。あの方はいま元気に赤ちゃんを産んだのでしょうか? あのエコーを何枚も差し上げるしか言葉がみつからなかった妊婦さんです。

その妊婦さんの顔を私は一生忘れない気がします。

宇賀神先生が寄稿した震災記録を拝見させていただきました。事実を淡々と記した文章は抑えが効いており、それ故に心を揺さぶられました。本物だけが持つ迫力がありました。

診療の合間に海岸沿いを歩きました。海の青が綺麗でした。

この土地で沢山の赤ちゃんが生まれすばらしい気仙沼が再び復興することを願ってやみません。

その後、私自身に子供が生まれ、日本に帰国することにしました。

白々しくも、日本の患者さんのためにお手伝いをしたいと思うようになってしまったことも理由の一つです。

助けに行ったつもりが、助けられたのは私自身でした。

今年、もう一度気仙沼へ行きたいと考えています。もしお二人にお時間がありましたら宇賀神先生、室月先生にもご挨拶をしたいと考えています。 (田村正明)

 

  • 田村先生はご自身のブログにも気仙沼市立病院を中心としたボランティアの記録を書かれています.以下のサイトもぜひご覧ください(室)

→ Japanese M.D. in New York  がんばろう日本

 

中田雅彦先生(徳山中央病院)

気仙沼市立病院での体験 (中田雅彦)

9月中旬,旅程の関係でわずか3泊ではあったが気仙沼市立病院に外来診療と産直の援助に行った.すでに秋の訪れとなり,幸い西日本にいる私としては残暑に困る事はなかった.

早朝に仙台を発ち,山あいを縫うように走る大船渡線に揺られ気仙沼駅に到着後,タクシーで病院に辿り着いた第一印象は,失礼ではあるが「古い」という一言だった.20年以上前に研修医としてあちこちの病院に当直などで回っていたが,その頃の雰囲気を醸し出す昭和の薫りがする病院だった.

早速,若手で元気いっぱいという印象の常勤医の宇賀神先生と湊先生に挨拶を済ませて妊婦健診を行った.外来担当の助産師さんに超音波や内診等の振り分けをてきぱきと行ってもらったので何も戸惑う事はなかった.翌日も翌々日もそのような業務をこなしながら病院内を見て回ったが,当初抱いた古いという感覚はあくまで外見的な判断であり,その中で人々の行っている診療行為や医療機器はまったく通常のものであり,かえって手狭なスペースの中で効率良く有機的に機能している印象があった.

被災地に乗り込む意気込みの強かった私には,通常と同じ業務を行い妊婦さんに説明を行っている時,被災地としての凄惨さの実感は抱かなかったが,看護師さんから知らされた情報では,全く普通に日々を送り病院に通院してきているようにみえる方々の多くが,自宅が半壊・全壊し仮設住宅で暮らしている,子供やその他肉親を失っているというバックボーンを抱きながら生活しているということに大きな衝撃を受けた.

借りた自転車でわずか5分も走れば,報道でみるような悲惨な光景が拡がり,鹿折地区まで足を延ばすと,そこにどれだけの人々が日常を送ってきていたのか想像もつかない風景に絶句した.

気仙沼市立病院でハイリスク妊娠・分娩があれば,西日本,特に山口県では考えられないような道路事情の中を優に一時間は超える道のりを搬送しなくてはならない.そのような中でわずか2名の常勤医が分娩・手術を含めすべての診療を担わざるを得ない状況の大変さは,陸の孤島とも言える沿岸部に来てみて初めて感じる事ができるのではなかろうか.その中で経験年数もわずか10年足らずの医師達が黙々の診療を続けている姿に感服した.

臨床研修制度の導入と共に地方の医療は人的資源面で逼迫した状況に陥りつつある.特に,人口密度,交通事情,経済的背景を鑑みると,元々厳しい状況であったであろうと思われる東北地方に今回の震災が加わった事で,今後十年,二十年単位での長期的展望を抱かなければ,医師不足や医療過疎は深刻な状況となり再起不能の状況となるかもしれないという危惧を抱きながら帰路についた.

みちのくの人々は我慢強いと噂には聞いていたが,想像を絶する困難の渦中にありながら,淡々ともの静かに過ごしている人々に深い感銘を受けた道中であった. (中田雅彦)

 

池田研先生(KKR札幌医療センター)

 

南宏二郎先生(社会保険船橋中央病院)

 

永井立平先生(高知医療センター)

(いただいたメールより)

高知の永井です。無事にお手伝いをさせていただきました・・・。

業務自体は激務ではありませんでしたが、プレッシャーの中で9年目と5年目が2人でやるのは大変だなと思いました。少しでも休息できたなら幸いです。強く感じたのは、彼らはこの先ずっと気仙沼で働く気では無く、1年以内くらいにはまた代わりの先生が来る、と信じているところです。東北大学のネットワークとサポートを信じているということでしょう。宇賀神、湊両Drの許容量の大きさのためかも知れませんが、悲壮感はあまり感じませんでした。高知は違います。ひとたび高知で震災があれば、それは復興するまで延々と続きます。人も増えませんし代わりも来ないことが予想されます。おそらく今の気仙沼と同等かそれよりひどい状況が長期間続き先が見えない状態となるでしょう。かなりの覚悟で準備をしないと崩壊する可能性が非常に高いと感じました。ややdipressiveになるくらい、です。手始めに、まずは自分が生き残らなくてはと高台に転居を決めました(笑) (2011年10月17日)

 

森川晶子先生(青森県立中央病院)

 

杉見創先生(国立長崎医療センター)

 

山嵜剛先生(熊本市民病院)

 

浅野真先生(都立大塚病院)

 

上田敏子先生(島根県立中央病院)

(いただいたメールより)

気仙沼の街はやはり復興とはまだまだ遠い感じがしました。できるだけ早く、元の生活が戻ることを祈るばかりです。宇賀神先生にもよくしていただきました。お若いのにいろいろとしっかりしたお考えをお持ちのようで、大変感心し、東北大学はすごいなあと思いいろいろ考えさせられました。私の方は何もできませんでしたが、むしろ勉強させていただきました。ありがとうございました。(2011年11月28日)

 

倉澤剛太郎先生(西吾妻福祉病院,現小諸厚生総合病院)

(いただいたメールより)

日曜の夜から火曜日午後までは気仙沼市立本吉病院にて勤務,その後火曜日から木曜日まで市立病院にて働かせていただきました.・・・・・・本吉では午後時間を作り,南三陸町を回りました.

市立病院では,つくなり帝王切開もあり,また木曜日朝には分娩にも立ち会えました.ちょうど分娩ですと呼ばれて,朝起きて着替えているときに地震があり,寒く古い木造の官舎は結構揺れ,怖かったです.日中は市内を散策する時間もいただき,港や鹿折地区も回りました.写真はたくさん撮りましたので,皆に現状を伝えたいと思います.

仕事の面でも,本当に宇賀神先生,湊先生と若いのにバリバリよくやっているなと感心しました.私も青森で3年働いたので想像できますが,東北の先生たちは厳しい環境の中で,地域にも助けられ育てられて,素晴らしく腕を磨いているのですね. (2012年1月29日)

 

繁田直哉先生(大阪大学医学部産婦人科)

震災後2年経過してからという遅い時期に伺いましたが、津波の被害が特に強かった地域では今も町の痕跡がわずかに残る程度でした。失われたものは多くあると思いますが、悲しみに暮れるだけではなく、気仙沼の方々は、前を向いて一歩ずつ確実に進んで行こうとしてしており、人の強さを感じました。関西からテレビや新聞越しでは感じられない現地での経験ができ、伺って本当に良かったと思います。復興への道のりは長いと思いますが、応援し続けたいと思います。

 

宮城県立こども病院を応援いただいた先生方

杉林先生と佐々木先生は,気仙沼市立病院には直接行かれませんでしたが,同時期に宮城県立こども病院の応援をしていただきました.そのおかげでできた人的余裕で,われわれ宮城こどものスタッフが気仙沼におもむいて応援にすることができました.

杉林里佳先生(国立成育医療研究センター)

 

佐々木愛子先生(国立成育医医療研究センター)

私は成育では4番手で、ある程度、ひと段落ついた頃に伺ったので、宮城こども病院の先生方の通常業務を奪って、やらせて頂いただけのような状態だったので、支援というには心苦しい次第なのですが、先生方に「来てくれたことが支援だ」ということを言って頂き、本当に救われました。

成育での外来中に地震にあい、幸い自分の病院での被害は少なかったのですが、その後すぐに、「(支援ができるルートがあるなら)行こう」、と自然に思ったことを覚えています。行先として、宮城こども病院と先生方が受け入れて下さったこと、また、成育医療センターでの私の通常業務を代わって行ってくれた先輩・後輩、同僚の先生方に感謝します。

早2年が経過してしまいましたが、忘れることなく、これからも何らかの形で支援を続けて行こうと思っております。

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気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた1(2011年4月〜8月)

感謝の言葉(気仙沼市立病院産婦人科長・宇賀神智久先生)

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カウンタ 12439 (2013年1月2日より)