鍵詞新解 営気と衛気
(日本内経医学会月報連載)
宮川 浩也
【その一】(1990年12月号)
営気と衛気は『霊枢』の経脈篇が成立する際に考えられた概念であると仮定します(*1)。経脈篇は、12の経脈が肺経を起点としグルグル切れ目無くめぐっている(如環無端)理論を成立させた、針灸学にはなくてはならない大事な論篇である。12経脈が循環しているという理論は、経脈篇にだけに書かれているものではなく、特に『霊枢』のいくつかの篇で紹介されている。どういう内容かここで順繰り説明する。
経脈を解説した教科書や著述はたくさんあり、すべて手元にあって目を通したわけではないのですが、少なくともそのほとんどは表題の「営気と衛気」との関係について言及していないようだ。営気と衛気を取り上げない経脈の解説は、経穴学の本のようなもので、術者の技倆(ウデ)との関係には触れていないので、本当にこのツボで治るのかと初心の者にとってはあまり頼りにならないものである。そういう意味でも12経脈循環理論の裏付けとなる営気と衛気について説明し、『内経』医学を少し明らかにしてみたい。
(一)営気
経脈篇の12経脈循環理論(以下、12経脈と略す)の最大の特徴は、もともとバラバラだったそれぞれの経脈を繋げたということである。たとえぱ、切れ切れになっている現在の高速道路を皆つなげたようなもので、浦和の料金所をスタートして東北(太平洋側)・北海道をめぐり東北(日本海側)・北陸に下って、というように全国をへめぐって、浦和の料金所に舞い戻る。このようなことを可能にしたのが12経脈で、そういう風に作り上げたのが経脈篇なのである。つまり単体の経脈(高速道路)と12経脈の経派(高速道路)とでは少し味付けが違うのである。単体の経脈(高速道路)には経気(それぞれの車)というものがめぐっているが、他の経脈(高速道路)とはつながっていないので、経気の相互流通ということはない(一旦一般道に降りなければならない)。たとえば、足太陰の脈には足太陰の経気がめぐっているが、それが足厥陰に流れ込むようなことはないのである。足厥陰の脈には足厥陰の経気がめぐっているからである。12経脈では個人的(個脈的)な経気に代わって、営気というのが12の経脈をめぐるのである。営気とは営養分(*2)のことで(詳細は後述するが)、それがグルグルまわって全身を営養する、そのルートが12の経脈なのである。単体の経脈には「営養する」という仕事は与えられてはいない。ある意味では治療媒体、もしくは五臓六腑と体表とをむすぶ幹線のようなものだったのではないだろうか。ひびき現象や治療経験の集積が発見の端緒だったかも知れないが、12経脈に至って「営養する」という味付けがなされたという意昧で経脈篇が位置しているので、これを無視して単に流注がどうだとか病症がどうだといっても、12経脈の一面を追っているにすぎないのである。
12経脈に営気がめぐるためには条件(十分)がある。営気は飲食物から得られものである。逆に考えればきちんと(適切に)飲食することが大前提になっている。毎日インスタントラーメンばかり食べていては、経脈の変調以前に営養失調になることはすぐわかろう。今風にいえばバランスよくたべたこととして12経脈の理論が成り立っているのである。
もうひとつ補足すれば、消化器(特に胃)系が順調にはたらいているかということも12経脈の理論を成立させている十分条件である。おかあさんが営養のバランスを考えて夕食をつくって待っていても、営業でトラブルを起こし胃がキリキリしているおとうさんには何の営養となろうか。
① 飲食物は十分に採取できるか(まずは食べ物があるか)
② 飲食物に偏りはないか(あったとして営養的にバランスがとれているか)
③ 過剰摂取はないかなど(バランスはとれているが食べ過ぎてはいないか)
④ ①②③をクリアしたとして胃は丈夫か
この4つの条件をパスして、営気は、手の太陰肺経を始発して順繰り体内をめぐり営養することになるのである。
12経派の虚実(変調)を調える以前に、ひとつには食餌指導をしなければならないし、ひとつには胃のはたらきを正常にしなければならないのである。そういう意味では食餌指導は第一等の治療であり、胃のはたらきを調整することは他の治療に先んずることにもなろう。
【その二】(1991年1月号)
前回は、『霊枢』の経脈篇は単独の経脈を12本つなげて経脈循環理論をつくりあげ、単なる治療帯としての経脈から営養するというはたらきをも担った経脈に味付けしたことを述べた。つまり経脈を利用した治療学から経脈を介した生理学に発展したのである。12経脈理論が成立したときにできた概念が営気と衛気なのである。逆にいえば営気ということばは、衛気ということばがあれば12経脈理論以後とみることができる。この経脈が循環するかしないかは『内経』医学の一番大切な問題であり、この角度から『内経』をながめてみると、『霊枢』経脈篇の成立(12経脈循環理論の成立)は『素問』の多くの篇の成立に先行するとも考えられる。
営気が12経派の中をめぐる順を『霊枢』営気篇で紹介しているが、それはまさしく経脈篇の流注順である。おかしなことに最後に督脈と任脈を支別として加えている。どういう意昧かは不明である。つづいて『霊枢』脈度篇は経脈の長さを以下のように紹介している。
手の陽経 6本×5尺=30尺
手の陰経 6本×3.5尺=21尺
足の陽経 6本×8尺=48尺
足の陰経 6本×6.5=39尺
喬脈 2本×7.5尺=15尺
督脈 1本×4.5尺=4.5尺
任脈 1本×4.5尺=4.5尺
(合計 28本 162尺)
これらを全部つなげると162尺になる。これが経脈の総延長である。おもしろいことに、営気篇の任督に加えてさらに喬脈が追加されている。どうもつじつまを合わせるために加えたものらしい。喬脈には陰喬脈と陽喬脈があり合計4本になるはずだが、篇末には男子は陽喬脈を女子は陰喬脈を算入する(2本に限定する)と書いてある。28本に合わせるためのこじつけである。
この経脈の本数は合計で28本、「二十八脈」と呼ばれている。このことが『霊枢』五十営篇に発展し、
「天周二十八宿、宿三十六分、人気行一周千八分、日行二十八宿、人経脈上下左右前後二十八脈、周身十六丈二尺、以応二十八宿」と解説されている。「二十八宿」とは天のぐるり(天周)に列する28の星宿。1宿あたり36分あり、天周を分に換算すると、28宿×36分=1008分となる。これを24時間で一周するのであるが、経脈もこれに呼応して身体中をめぐると言っている。このあと具体的なことを記述して、
「人一呼脈再動、気行三寸。一吸脈亦再動、気行三寸。呼吸定息、気行六寸」
といい、1呼吸の間に営気は3×2=6寸(約13.5㎝)めぐリ、全身(162尺=1620寸)をめぐるには1620寸÷6=270呼吸が必要となる。これが50周するというのである。これに要する呼吸は270呼吸×50周=13500呼吸となる。この50周が篇名の「五十営」を指すのである。全身162尺の経脈を50周するから162×50=8100尺めぐったことになる。これらを一日(24×60=1440分)で割ると、13500呼吸÷1440分=9.375つまり1分あたり9.375呼吸となり、8100尺÷1440分=5.625つまり1分あたり5.625尺営気が動くことになる。このように綿密に営気がながれている様を規定している。このモデルの身長は8尺である。周尺22.5㎝で換算すれば22.5×8=180cmになる。このように営気が循環しているようすを正確な数字で『霊枢』は表現して、身体のなかでの営気の動きと天の運行が呼応していることを強調し、人体があたかも小宇宙であるがごとく述べている。
残念なことに、天と呼応するためには必ずや28の経脈が必要で、経脈篇の24経脈では足りないのである。経脈の長さを測ったときの起止は経脈篇に準じていてほとんど食い違いがないが、12経脈以外の4脈を加えて計算したことから、経脈篇とは違う土俵での理論であると考えなければならない。
しかし、営気篇の冒頭を飾る次の文章は、12経脈理論を要約していながら韻をふむ味わいの深い文章である。参考のために紹介する。
「営気之道、内穀為宝。穀入干胃、乃伝之肺。流溢干中、布散干外。精專者行于経隧。常営無已、終而復始、是謂天地之紀」
営気がめぐるには食べることが条件である。食べ物が胃に入ればそのエキスはまず肺にいくのであるが、それには(脈)中を流れるエキス(営気)、(脈)外をめぐるエキス(衛気)とがある。営養物(営気)は経隧の中、つまり脈中を留まることなくめぐり、(終点:足厥陰肝経に至ればまた始点:手太陰肺経にスイッチして)12経脈を周流するのである。これ(無止周流)が天地の紀(法則)である。
【その三】(1991年3月号)
営気のはたらきについて、経文を引用しながら説明する。
「榮者水穀之精氣也。和調於五藏、灑陳於六府、乃能入於脉也。故循脉上下、貫五藏絡六府也」(『素問』痺論)
榮気(*3)は飲食物のエキスである。それは五蔵をととのえ、六府に注ぎ、脉中を行(めぐ)るものである。よって経脈にしたがって(*4)上下し、五蔵六府をめぐるのである。
「營氣者、泌其津液、注之於脉、化以爲血、以榮四末、内注五藏六府。以應刻數焉」(『霊枢』邪客)
營気は、津液を分泌(*5)し、経脈にそそぎ、変化して血になり、四肢を養い、五藏六府にそそぐものである。これは刻数(*6)に対応している。
「中焦亦並胃中出上焦之後。此所受氣者。泌糟粕、蒸津液、化其精微、上注於肺泳、乃化而爲血。以奉生身、莫貴於此。故濁得行於経隧、命曰營氣」(『霊枢』営衛生会)
中焦も胃中につらなり、上焦の後に出る。ここは営気を生じさせるところで、糟粕を分け、津液を蒸らし、そうして精徴(エキス)を作りだし、それが肺脉にそそぎ、血(*7)になるのである。生きている身体を養うものであり、これより貴いものはない。経隧の中をめぐることができるものである。これを営気という。
これらをまとめてみると、営気とは、経脈中をめぐって、蔵府が順調に機能し、四肢骨節がなめらかに動くようにはたらくものである。今の営養分になろうが、これが血液成分となって身体のなかをぐるぐるとめぐっているわけである。血液の通るパイプは血管であるが、この営気の通るパイプは経脈である。血液が身体の中を循環していることの他に、営養分の循環ルートを考えだしたのが『霊枢』の経脈篇なのである。たとえば「11脉」では営気が循環しているという考え方はなかったのではないだろうか。
後で紹介するが、経脈といってもいくつもの含義がある。狭義の経脈とはこの営気の通り道(また経隧ともいう)であり、広義の経脈とは営気が営養する範囲を含めたものである。端的にいえば、衛気が体表をめぐっているが、それ以外の一切は営気の営養範囲であって、それらを含めても経脈といっている。山田慶児の「『黄帝内経』の成立」(『思想』662号、p.102)は次のようにいう。「いわゆる<脈>は、経絡だけでなく、筋や血管その他の循環器や神経なども包括する概念であったにちがいないとは、まさにこのことを意味している。また営気と衛気を統称して経脈という場合もある」
その営気を作り出しているところが「中焦」である。中焦は「胃中につらなる」というのであるから、「胃」そのものではないようである。『霊枢』経脈でいう経脈の始点が「中焦」なのはこれに拠るのである。それは「中院」や「胃」と解釈されるが、厳密な意味では的はずれだろう。中焦についてはいまのところ明らかにされていないが(*8)、営気=滋養分を吸収するところ、つまり胃と小腸、もしくは吸収するはたらき、を指しているのかもしれない。
営気の「營」字の意昧について。多紀元胤の『難経疏証』に詳しく、ちょうど丸山敏秋訳が『黄帝内経概論』(p.53)にあるでみていただきたい。それによれば「營」は「環」と通用し、「めぐる」と訓むのだそうである。身体の中を周流する気という意昧である。
それはそうと「營」を「めぐる」とは読まない例を少し紹介しましょう。『説文』に「禅」を声符(*9)とする漢字がいくつかある。これらは発音が似ているため通用する(段玉裁説*10)ので、このことを考慮にいれて読まなければならない。
①䁝(4上目部)
②榮(6上木部)
③營(7下宮部)
④滎(11上水部)
⑤煢(11下ト部)
①は「まどう」意。『素問』宝命全形論の「神無營於衆物」の「營」の本字である。神(術者の精神)はまわりのものに惑わされてはならない、という意昧である。営気を「營気」「榮気」と表す場合は②③の字を用いる。②は「桐の木」の意味。③は「めぐる・すまい」という意味である。ここから引き伸ばされて営(めぐる)気という意味になったのだろう。多紀元胤らは、「環」と通用して「めぐる」という意味にとっているが。②の榮はその仮借字(当て字)である。④はちょろちょろ水。五兪穴の「井榮兪経合」の「榮」のもとの字で、本来なら「ケイ」と発音する。ついでにいえば、④だけでなく①から⑤まですべて「ケイ」とよむのである。⑤は鳥がめぐり飛ぶ意味である。
このようにみてみると、「営」字ひとつとっても難しいことがわかる。
【その四】(1991年4月号)
(二)衛気
「人受氣於穀。穀入於胃、以傳於肺。五藏六府、皆以受氣。其清者爲營、濁者爲衛。營在脈中、衛在脈外。營周不休、五十而復大會」(*11)(『霊枢』営衛生会)
すでに述べたように、営気と衛気は飲食物からつくられる。その澄んだものは営気となり、その澄んでいないものは衛気となる。営気は経派の中をめぐり、衛気は経派の外をめぐる。どちらも身体中を1日に50たび周って、翌日にはまたひとまわりする。
ここで問題なのは「脈外・脈中」ということである。簡単に考えれば、水道管の中と外。地中の水道管でたとえれば、水道管の水は営気に相当し、土の中には衛気が充満していることになる。実際はそうではなく、
「衛気者、出其悍氣之慓疾、而先行於四末分肉皮膚之間、而不休者也」(『霊枢』邪客篇)
「衛気者、所以温分肉、充皮膚、剛腠理、司開合者也」(『霊枢』本藏篇)
衛気は体表をめぐり、専ら体表の温度調節につとめ、汗腺の調節をあずかっている。皮膚や腠理を充実させる仕事もしている。皺があるようでは衛気が充分とはいえない。腠理を充実させはりがあって、すべすべして、つまんでも皮膚と筋肉が離れないような感じが衛気がみちているのである。
つまり土の表面に衛気がめぐっていることになる。では地中には何がめぐっているのかが問題になる。実は地中に相当する部分にも営気がめぐっているのである、経脈から滲みでて、営養しているのである(*12)。
いわゆる「脈」は、経絡だけでなく、筋や血管その他の循環器や神経なども包括する概念であったにちがいない(*13)とはまさにこのことである。12経脈とは12本の主な営養ルートである。経絡とは何か。神経だ、血管だといわれるが、双方とも営気(もしくは衛気)のはたらきの一部である。営気の立場でいえば「私のゆく道」とはっきりしているが、それを「気」のルートとか、循経感電現象などといえばその実体はやはりわからなくなるはずである(*14)。
「營出於中焦、衛出於下焦」(『霊枢』営衛生会篇)
営気は中焦でつくられるが、衛気は下焦でつくられるというのである。ところが稲葉通達は、「下は上の誤りである。諸家註解や方論の多くは不明にして、衛気を下焦から生ずるものとし、宗気を上焦にあてている。『霊枢』に未熟な者の誤りである。謝士泰の『刪繁方』や孫思邈の『千金方』では<營出中焦、衛出上焦>となっている。『素問』『霊枢』の諸篇をみても明かである」(*15)といっている。ともあれ衛気は上焦でつくられる。
「上焦出於胃上口、並咽。以上、貫隔而布胸中。走腋、循太陰之分而行。還至陽明、上至舌下」(『霊枢』営衛生会篇)
その上焦というのは、胃の上口(賁門付近か)を起点とし、横隔膜を貫き胸中にひろがる。腋下から手の太陰を(営気とともに)めぐる。折り返して手の陽明をめぐり舌下にいたる。「並咽」の2字は、この文章のまま読めば「咽」は胃の上口から横隔膜の間に位置しとても不自然です。前後の文理からとばして読んだ方が意味が通り、「基本的には咽(食道)に並行していますが、ルートとしては、胃の上口からスタートして横隔膜を通過し云々」というような文章ではないだろうか。
何故脈診(寸口)するのか。
「帝曰、氣口何以濁爲五藏主。岐伯曰、胃者水穀之海、六府之大源也。五味入口、藏於胃、以養五藏氣。氣口亦太陰也。是以五藏六府之気味、皆出於胃。變見於氣口」(『素問』五蔵別論篇)
「黄帝曰、眞藏曰死、何也。岐伯曰、五藏者皆稟氣於胃。胃者五藏之本也。藏氣者不能自致於太陰、必因於胃氣、乃至手太陰也。故五藏各以其時、自爲至於手太陰也」(『素問』玉機真蔵論篇)
このふたつの篇のポイントは「胃」もしくは「胃の気」であることがわかる。食べたものがきちんと営養となっているか、それをうかがう処が寸口なのである。要するに、営気を診るのである。では衛気はどこで診るのか。稲葉通達に従えば「人迎(咽)」である。上焦が「咽」に並行する所以である。「胃の気」とは「営気がつくられているか」、それを診るのが脈診の基本である。
「営衛」はすでに両書に共通した医学理論となっている。『素問』の後に『霊枢』が成立したと考えられているが、この「営衛」から見ると必ずしもそうとはいえない。針灸のための理論としては『霊枢』が一歩リードしているような気がする。
【注】
(*1)こうして仮説をたてなければ『内経』の謎は解明できないと考えた。現時点では『内経』を正しく理解することは甚だ困難なことで、たとえば、真気とは何か、神気とは何か、精気とは何か、正気とは何か、生気とは何か。これらは相互にどのように関連しているのか。こういう素朴な疑問はなにひとつ解消されていない。漠としていて掴みようのないことばであるので、真正面から取り組んでも明らかにできないのではないだろうか。しかし、ここで仮説をたてることができた営気と衛気は、比較的そのすがたを明らかにし易い。「簡単な問題からやりなさい」式で、わかるはずのものから取り組むことにした。
(*2)現在は「栄養」と表記するが、栄養とは古くは父母においしいものを食べさせ綺麗な服をきせ孝養をつくすことを意味し、身体のための滋養は「営養」と表すのが適。女子栄養大学とは娘さんを親孝行にするための学校か。
(*3)「榮」と「營」は通用し、「營気」はまた「榮気」とも書かれる。『難経』30難では「榮気」に作る。たとえぱ『霊枢』脈度の「陽氣不能榮也」を「陽気は栄えることはできない」とは誤訳ではないだろうか(堀池ら訳『中国医学の気』谷口書店、1990年、124頁)。「榮」を『太素』巻6蔵府気液が「營」に作るのに従って「めぐることができない」と訳したい。
(*4)「循」は「従」「随」などと通用し、「したがう」と読む。後ろからついて行くこと。
(*5)泌は「細長い、早い流れ」というのが本義で、今用いられている「分泌」という意味は「毖」の仮借(当て字)である(『説文』泌字下の段玉裁注による)。「泉から水が始めて流れ出る」意味である。ただしここの「泌津液」は『霊枢』営衛生会の例文「泌糟粕、蒸津液」から「糟粕、蒸」が脱けたのかも知れない。また、ここでいう「津液」は今いう概念(汗、涎など)とはちがうものであろう。
(*6)『霊枢』五十営篇に詳論されている。水時計が1日に100の目盛りを刻むように、営気も経脈中を1日に50周するという意味である。
(*7)ここでいう「血」を「血液」と考える人がいるが、誤りだろう。なぜなら血液は12経脈のようには循環していないからである。もしそうだとすれば経脈=血管ということになってしまう。これについては龍伯堅著『黄帝内経概論』(丸山敏秋訳、東洋学術出版社、1985年、50頁~54頁および181頁)を参照のこと。
(*8)中焦は三焦(上焦・中焦・下焦)のひとつで、三焦については金関丈夫「三焦」(『日本民族の起源』所収、法政大学出版局、1985年)が詳しい。
(*9)漢字の9割は形声文字であるといわれている。その形声文字を構成する要素のひとつ。声符(音符)とは、その字の読音を表すもので、「病」の「丙」が声符である。もうひとつの要素は形符(意符)で、その字の意昧の範囲を決定するもので、「病」の「疒」がそれであり、病気に関する字であることを表している。
(*10)段玉裁(1735-1815)の『六書音韻表』(1776刊)による。「一声可諧萬字、萬字而必同部」「仮借必取諸同部」。意訳すれば、「声符が同じであれば必ず韻部は同じである」「仮借の場合は韻部が同じでなければならない」ということである。ふたつの説をつなげると、声符が同じであれば仮借し得るのである。ここでは声符「禅」が共通しているのですべて仮借し得るのである。ちなみに「仮借必取諸同部」の「諸」は「もろもろ」と読んではいけない。これは「合音字」といって、ふたつの字をひとつの字で表すもので、そのふたつの字の発音を合わせるとひとつの字の発音になるというので合音字という。この「諸」の場合「之於」からできている。つまり「仮借必取諸同部=仮借必取之於同部」となるのである。仮借は必ずやこれを同部にとるべし、と訓むのである。(HP管理者注:文字鏡フォントを用意してない人は、声符「 」の中が「禅」に見えているかと思いますが、ようするに營、榮の上の部分です。)
(*11)「五十而復大會」は同篇の「故五十度而復太會於手太陰矣」の省略。
(*12)その枝分かれが「絡脉」「孫絡」だろうと思うが、果たしてそうであるか未検討。
(*13)山田慶児「『黄帝内経』の成立」(『思想』662号、102頁、1979年)
(*14)『難経』二十三難では「経脈者、行血氣、通陰陽、以榮於身者也」といい、三十二難で「心者血、肺者気。血爲榮、氣爲衛」というを、他の難と比較しないで読めば経脈像をゆがめてしまうだろう。
(*15)稲葉通達『三焦營衛論』(1760序)。『刪繁方』(佚)は『外台秘要方』所引によるか。
(*16)ここから稲葉通達は脈口(寸口)で営気を診、人迎(咽の)で衛気を伺うのだといっている。