日本内経医学会談話室


研究発表会と新年会のおしらせ 投稿者 : 管理者 投稿日 : 2009/12/18(Fri) 14:28 No.135
2010年1月10日(日)
【研究発表会】自由参加・参加費無料
   東洋鍼灸専門学校第一校舎  402教室
   JR新大久保駅より(徒歩2~3分)
   大久保通りを明治通りに向かい
   セブン-イレブンを右折
午 後1:00~5:00
 (1:00~3:00)
 ① 岩井祐泉:『倭名抄』について
 ② 林 孝信:十二経の蔵府
 ③  桐木 優:『史記』の中の扁鵲倉公列伝
 ④ 天野陽介・宮川浩也:蔵医の鍼具について
 (3:15~5:00)
★⑤ 趙 懐舟: 傅山書入本『素問』について
   山西省中医薬研究院中医基礎理論研究所の若手研究者です。
   現在,真柳老師の工作室で学習(本人の 表現による)中。
 ⑥ 左合昌美:上下か左右か(人迎寸口診に関わる妄想)
 ⑦ 金古英毅:丸山先生の新経絡追試提唱

【新 年会】参加費10000円
   会場は例年通りの予定
午後6:00~8:00

むかしばなし 投稿者 : 語り部 投稿日 : 2009/11/17(Tue) 08:41 No.134
むかし浅草で針灸祭りというのがあって、記憶では浅草橋の針作りの名人・神戸源蔵さんが世話役だったんじゃないかと思 うけれど、行けば針や艾がもらえるし、抽選に当たれば神戸の金針だってもらえるかも知れない、というわけでせっせとかよったものです。で、講演が終わった あとは、これも神戸さんの世話だったんだろうけど、料亭・浜清で懇親会でした。最初の学生のころは頑張って参加してました。そこで高名な先生方を紹介され て、といってももともと交際下手なことですから、遠くから眺めているのがほとんでしたが。
だから、数回参加した後は、駒形のどぜうに切り替えて、 揚げ句のはては、講演もすっぽかして、抽選のころに舞い戻ってというのがパターンになりました。それでも島田隆司先生との最初の出会いは、この講演だった かもしれない。岡部素道先生と口をきいたのも、多分、この懇親会が始めでしょう。
え、講演をすっぽかして、夕方に舞い戻るって、その間どうしてい たかですか、いやその、浅草の吾妻橋のむこうにはビール工場に付属した(?)レストランも有ることだし……。

内経の一月の行事だって、メ インは研究発表会なんですよ。その後の新年会は余分な冗談みたいなものです。別に参加資格なんてないから、参加したい人は参加すればいい。ただ、昔みたい に無理してお近づきになりたいなんて対象もいないだろうし、毎月の講座の後に呑める相手でしょうし、そもそも浜清と駒形と、どちらにするかも好みの問題で しょうから。

『黄帝内経』書名与成書年代考証 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/07/13(Mon) 23:10 No.111
黄帝内経考証与研究叢書の一冊。

こんな内容。

『内経』の原名は『診経』(音転によ る)。
『難経』の成書は、『内経』より後、『素問』より前。
『鍼灸甲乙経』は、『素問』よりも早い。
『難経』の作者は秦越人では ない。
『鍼灸甲乙経』の作者は、皇甫謐ではない。
『素問』の成書年代は490年前後。
『素問』の作者は、全元起。
『霊 枢』の前身は、『九巻』であり、『九巻』の前身は、『鍼灸甲乙経』である。
『九巻』は、『素問』の後で、『太素』の前。
『鍼経』は、『太 素』の後で、王冰の前。

興味が湧いて、読みたくなりましたか?
ばかばかしくて、読む気にもならない?

同じ著者で 『黄帝内経素問考証新釈』もあります。
この『素問』は底本として,郭靄春『黄帝内経校注語訳』を用いています。

Re: 『黄帝内経』書名与成書年代考証 - 神麹斎 2009/07/14(Tue) 07:46 No.112
ばかばかしくて、読みたくなりました。

案外と常識的 - 神麹斎 2009/07/14(Tue) 08:19 No.113
周海平、申洪硯という名前,どこかで見たような気がするので調べたら,『黄帝内経大詞 典』という「現在国内外における、収録語数最多、語義新解釈最多の大型《黄帝内経》専用工具書」を,中医古籍出版社から出している人たちですね。案外とま ともかも知れない。高いから持ってないけど。
考えてみれば,『素問』の成書を490年前後に全元起がまとめたときと規定さえすれば,『難経』の成 書が『素問』より前も,『鍼灸甲乙経』は『素問』よりも早いも,『九巻』は『素問』の後も,みんな当たり前だもの。『難経』の作者は秦越人ではないとか, 『鍼灸甲乙経』の作者は皇甫謐ではないとか,そんなの常識でしょう。


ちょっとねえ - 神麹斎 2009/08/07(Fri) 10:56 No.117
『黄帝内経』書名与成書年代考証の4ページ最後の行に,「公乗髦ウ蠎・s但授医譛ッ于淳于意,霑倅シ黴€授扈剽ケ譚ィ中清。」と有りま す。「譚ィ中清」は「譚ィ中倩」のはずでしょう。37ページでは「譚ィ中情」です。こんなのでもいささか嫌になってしまうけれど,『史記・扁鵲倉公列伝』をどう やったら,陽慶(後の文中では楊慶)と楊中倩は別人で,師弟関係にある,などと読めるのでしょうか。(合宿で質問するつもりが,機会が無かった。)
結 構おもしろい(おかしい)本だとは思うんですよ。でもねえ。


こんな内容 - 神麹斎 2009/08/13(Thu) 11:00 No.120
『内 経』とは,『史記』扁鵲倉公列伝に登場したり,『素問』に引用されたりする古医書のうち,診断に関わる部分が総合されたもの。
『難経』は,その 『内経』における諸問題を問答体で展開したもの。『難経』の作者は秦越人ではない。
『鍼灸甲乙経』は,先ず針灸の専著として成書して,それに後か ら『素問』や『明堂』の文章が付け加えられた。『鍼灸甲乙経』の作者は,皇甫謐ではない。
『素問』は,総合性の医書として,『難経』の問答体に 倣ってまとめられたものであり,その成書年代は490年前後であり,作者は全元起である。
先ず針灸の専著として成書した『鍼灸甲乙経』は,変貌し て『九巻』となる。その時期は『素問』の後で『太素』の前。さらに変貌してして『鍼経』となる。その時期は『太素』の後で王冰の前。さらに変貌して『霊 枢』となる。


Re: 『黄帝内経』書名与成書年代考証 - 沈貔鵠_ 2009/09/29(Tue) 00:01 No.125
沒有看到這本書,看上面的介紹,感覺很“玄”,不太敢相信。

Re: 『黄帝内経』書名与成書年代考証 - 沈貔鵠_ 2009/09/30(Wed) 12:04 No.130
單看他們所用的底本,就感覺不那荵・搭ニ。

『黄帝内経大詞典』 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/07/15(Wed) 20:10 No.114
音転大好き詞典です。
例:
網:經筋第十三「其病内急.心承伏梁.下爲肘網」。網は「強」の音転。

可: 五色「目有所見.志有所惡.此陽氣之并也.可變而已」。可は「色」の音転。

氣:
厥論篇第四十五「陽氣起於足五指之表.陰脉者.集 於足下.而聚於足心」。平人氣象論篇第十八「平人之常氣稟於胃.胃者.平人之常氣也」(後ろの氣)。氣は「脈」の音転。

『霊枢』決気 (30)「余聞人有精氣津液血脉.余意以爲一氣耳.今乃辨爲六名.余不知其所以然」。後ろの氣は「物」の音転。

『素問』五常政大論 (70)「陰陽之氣.高下之理.太少之異也」。「異」の音転。

『霊枢』九針十二原(01)「員利鍼者.大如豌aD且員且鋭.中身微大.以取 暴氣」。『素問』五常政大論(70)「故治病者.必明天道地理.陰陽更勝.氣之先後.人之壽夭.生化之期.乃可以知人之形氣矣」。氣は「疾」の音転。

『素 問』六元正紀大論「先立其年以明其氣.金木水火土.運行之數.寒暑燥濕風火.臨御之化.則天道可見.民氣可調」。氣は「事」の音転。

『霊 枢』九針論(78)「以味(病)發於氣」。氣は「食」の音転。

『素問』至真要大論(74)「佐以所利.資以所生.是謂得氣」。氣は「宜」 の音転。

『素問』六元正紀大論(71)「天山一色.或氣濁色」。氣は「爲」の音転。

『霊枢』寿夭剛柔(06)「衞之生病 也.氣痛時來時去.怫愾賁響」。『霊枢』上膈(68)「微按其癰.視氣所行.先淺刺其傍.稍内益深」。『素問』六節蔵象論「余已聞天度矣.願聞氣數何以合 之」。氣は「其」の音転。

『素問』五運行大論(67)「帝曰.氣相得而病者.何也」。氣は「其」の音転。

『霊枢』五逋ヲテ 液別(36)「陰陽氣道不通.四海閉塞.三焦不寫.津液不化」。氣は「之」の音転。

 編纂に二十余年を費やしたそうですが、以上のよう に、初心者向けには、お勧めしてよいのか、判断に苦しみます。

Re: 『黄帝内経大詞典』 - 沈貔鵠_ 2009/09/28(Mon) 23:59 No.124
還沒見到這本書,不過看這里舉出的“音轉”的解釋,感覺很牽強。因而對全書的解釋都表示懷疑。

Re: 『黄帝内経大詞典』 - 沈貔鵠_ 2009/09/30(Wed) 12:02 No.129
昨天特意到書店看了作者的兩本書。翻看之後非常吃驚,詞典是很大,但質量很難放心。翻到檢索,意外地看到一個“蟠ク” 字,印象中《蜈ァ經》全書沒有這個字,應該是“茗シ(出+頁)”,翻開後,正文也是這樣寫,但看讀音,我的判斷是對的。全書那荵・ス的音轉,又不交待根據,雖然 這是詞典的體例允許的,但怎荵・\讓人相信蜻「?
所以最後沒買這本詞典。除非今後想讓學生寫批評的論文再買。
蜿ヲ外那本小書買了,有空再翻髢ア, 不過先期的印象也是很不放心的。


真校正黄帝内経太素 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/03/08(Sun) 18:46 No.95
日本内経医学会から左合昌美先生の『黄帝内経太素新新校正』が発刊された。
まことによろこばしい。感慨深い ものがある。
単に,左合先生の三十年にもおよぶ『黄帝内経太素』研究の集大成が本の形になったことをよろこんでいるのではない。日本の国宝を研究 するための必要不可欠の基礎がきずかれたことをよろこんでいるのである。
かつて,京都大学人文学研究所において,『太素』の共同研究がなされた が,公開されることはなかった。
われわれ日本人は,日本の宝であるにもかかわらず,隣国の研究成果にたよらざるをえなかった。
数年前,学 苑出版社から『黄帝内経太素新校正』が出版された。いつ出るか,いつ出るかと期待した。手にとって,その大きさにおどろいた。しかし,ページを開いて,失 望を感じた。本文には,毛筆で書かれた異体字が,楷書体風に整形されて並んでいた。
『医心方』の詳解と称して,俗字の作字にはげみ,その結果,お いそれとは手を出しがたい値段となった本が売られている悪夢が,大陸でも行われたのか,と(ただし,『新校正』に関しては,その後おなじ出版社から出され た『黄帝内経太素』の普及版の存在を考慮に入れて論じなければならない)。
影印本を見ることのできる者にとって,価値を見いだしがたい,そのくせ 値段が高い本。だれを読者対象としているのだろうか。
自分が待ち望んでいたのは,蕭延平本のバージョンアップ版(仁和寺本を底本とした翻字本)で あったことを,思い知らされた。
そして,いま,ここにある。

発行された百冊のうちの一冊を手にすることができた。まことにありが たいことである。

左合先生の『新新校正』は、台湾本でおもに使われているフォントを使用しているようである。多くの漢字を扱うために選択 されたのだと思う。
凡例に「仮借字、避諱字は原則として保存する」とある。
たとえば,唐の第二代皇帝は李世民という。仁和寺本『太素』の 楊上善注では「世」「民」という字は避けられていて,他の文字に代えられている。「世」は「代」に,「民」は「人」というように。また,「世」を含む文 字,たとえば「泄」は「洩」に代えられている。それはそのまま保存するということである。「葉」も,仁和寺本では「世」の部分も「云」のように代えて書か れている。しかし,この『新新校正』では,そこまではしない。というのが,「原則として保存する」の意味であろう。
各ページの脚注には,歴代の研 究成果や,左合先生の研究結果が簡潔に展開されている。
なぜ,仁和寺本のある俗字・難字を,現行の文字にどのようにして同定したかが,短いながら 根拠を挙げて述べられている。
これによって『新校正』の首肯しかねる部分が大幅に改善されている。

今後の『太素』研究の課題のひ とつとしては,仁和寺本にある声点などの訓点を研究し,仁和寺本を抄写したひとたちが,『太素』をどのように理解したかを明らかにすることがあげられる が,このためにも左合本がおおいに役立つ基礎文献になることは疑いない。

『黄帝内経太素研究大成』の出版が予告されて久しいが,今後の 『太素』研究には必備の一冊となるであろう。

ありがとう - 左合昌美 2009/03/09(Mon) 14:58 No.96
好意的な紹介に,感謝とともに恐縮しています。
出来上がるまでは結構がんばっ たつもりでしたが,今,手元にあるもののページをくっていると,あれをこうすればよかったとか,ああすればよかったというところは,それはまあ有ります。
で もまあ,取りあえずはこんなものです。
次の機会が有るかどうかは分かりませんが,今後も見直しは続けていきます。でもそれよりももっと,誰かが 「新新新校正」を作ってくれるのにも期待します。


Re: 真校正黄帝内経太素 - 沈貔鵠_ 2009/09/29(Tue) 00:07 No.126
左合先生的書拜讀了一部分,確實是很好的書。我推薦這部書在中國 出版。若能出版,應該會大受歡迎。

Re: 真校正黄帝内経太素 - 左合昌美 2009/09/29(Tue) 06:09 No.127
沈 先生,ありがとうございます。
もし,中国で出版されて,中国の先生方にも比較的容易に入手できるようになれば,日本にいる我々だけが格段に良質の 資料を見て,ものを言っているという,何というか,申し訳なさ,気恥ずかしさ,隔靴掻痒の思いが,少しは薄れると思います。

それにして も,とりあえず内経医学会の名前で百部だけ制作したわけですが,出来上がってから見てみると,細かな校正ミスが,現代の印刷物としてという意味ですが,い くつも見つかっています。いや,校正というものは畏ろしいものです。


Re: 真校正黄帝内経太素 - 沈貔鵠_ 2009/09/30(Wed) 11:55 No.128
我認為,好書就應該讓大家看。其他的問題都可以忽略。

大阪(関西?)原塾 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/09/13(Sun) 18:59 No.122
先日,オリエントの社長から,かつて「大阪(関西?)原塾」が存在したと,うかがいました。
島田・井上両先生 などが(月一ぐらい?)出張し,受講生の数は尻すぼみだったけれど,元祖より長続きしたとか。(東京原宿は2年)
初耳でした。

Re: 大阪(関西?)原塾 - 匿名 2009/09/14(Mon) 08:37 No.123
もう記憶もさだかではないけれど、オリエントの大阪原塾は島田 先生や井上先生をよんでの、定期講演会だったと思います。それに原塾の名前を貸した。『素問』『霊枢』などの連続講座ではありません。
東京の原塾 をはじめてから数年後だったと思うし、東京を閉めてからも何年かは続いた。だからまあ「元祖より長続きした」と言えないことは無い。東京のほうは4年間で した。


合宿の写真です 投稿者 : watanabe sachiko 投稿日 : 2009/08/21(Fri) 15:24 No.121
先日の合宿写真を
こちらにアップいたしました

http://picasaweb.google.co.jp/soreka.manimani/oKElND?authkey=Gv1sRgCIvum5jb_vnFpQE#

譚さんの…… 投稿者 : 蔭軒 投稿日 : 2009/08/10(Mon) 09:08 No.119
ひょっとすると,以前,闖薗|さんが「中国学のヒント」で紹介していた人じゃないかと思うけど, 譚源生さんの連載が『鍼灸ジャーナル』で始まってますね。その中で紹介されている「16点法」,治療法というか調節法というかは,まだ説明されてないと思 うけれど,この16点に骰芽Iでもあてて,変化したら,つまり痛い感じ,あるいは違和感が解消できたら,この「16点法」で発見されるはずの身体の不調和 も,解消される「はず」と,期待して良いんでしょうか。勿論,もっと効率的な方法が有る「はず」というのが,針灸治療学の発展ということでしょうが。

増刷されました 投稿者 : 左合昌美 投稿日 : 2009/08/04(Tue) 09:40 No.116
『よくわかる黄帝内経の基本としくみ』の第1版第2刷が2009年6月15日づけで出ています。
皆さんにご指 摘いただいた校正ミスは修正してあります。ありがとうございました。

申洪硯 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/07/16(Thu) 23:06 No.115
この先生の著書としては,『内経虚詞用法簡表』1989年,河北科学技術出版社,があります。

倉公伝 投稿者 : 神麹斎 投稿日 : 2009/06/27(Sat) 10:11 No.109
淳于意の伝記が,よくわからない。
先ず,人に訴えられて,長安に送られたのは文帝の何年のことなのか。その とき,淳于意はいったい何歳だったのか。「子が有っても男の子がいないから,ことあるときに役にたたない」と罵ったというけれど,頼りになるような男の子 が有り得るというと何歳くらいに想定すべきなんだろう。
それに釈放されてから,また召されて諮問に応えたのは,文帝(文帝だよね?)の何年のこと なのか。診籍に登場する王様には,文帝の十六年に封ぜられたものが多いんですが。訴えられて,許されて,それから諮問に応えるまで,間が有りすぎやしませ んか。
訴えられて長安に送られる前の,淳于意の医者としての活躍なんて,診籍からみるかぎりでは大したこと無いんですが。(勿論,その後と比較し ての話ですよ。)

Re: 倉公伝 - 橘蔭軒 2009/06/29(Mon) 20:27 No.110
扁鵲倉公列傳
(180bc)高后八年,更受師同郡元里公 乘陽慶。慶年七十餘,無子,使意盡去其故方,更悉以禁方予之,傳鮟ヲ驕A扁鵲之脈書,五色診病,知人死生,決嫌疑,定可治,及藥論,甚精。受之三年,為人治 病,決死生多驗。然左右行游諸侯,不以家為家,或不為人治病,病家多怨之者。

齊悼惠王世家
(178bc)齊文王元年,漢以齊之城 陽郡立朱陌寥ラ城陽王,以齊濟北郡立東牟侯為濟北王。
(177bc)二年,濟北王反,漢誅殺之,地入于漢。

扁鵲倉公列傳
(176bc) 文帝四年中,人上書言意,以刑罪當傳西之長安。意有五女,隨而泣。意怒,罵曰:“生子不生男,緩急無可使者!”於是少女邱ケ邵・摯ヴV言,乃隨父西。上書曰: “妾父為吏,齊中稱其廉平,今坐法當刑。妾切痛死者不可復生而刑者不可復續,雖欲改過自新,其道莫由,終不可得。妾願入身為官婢,以贖父刑罪,使得改行自 新也。”書聞,上悲其意,此豁イ中亦除肉刑法。

齊悼惠王世家
(175bc)後二年,孝文帝盡封齊悼惠王子罷軍等七人皆為列侯。

孝 文本紀
(167bc)十三年……五月,齊太倉令淳于公有罪當刑,詔獄逮徙系長安。太倉公無男,有女五人。太倉公將行會逮,罵其女曰:“生子不生 男,有緩急非有益也!”其少女邱ケ邵・ゥ傷泣,乃隨其父至長安,上書曰:“妾父為吏,齊中皆稱其廉平,今坐法當刑。妾傷夫死者不可復生,刑者不可復屬,雖復欲 改過自新,其道無由也。妾願沒入為官婢,贖父刑罪,使得自新。”書奏天子,天子憐悲其意,乃下詔曰:“蓋聞有虞氏之時,畫衣冠異章服以為蜒〟C而民不犯。何 則?至治也。今法有肉刑三,而姦不止,其咎安在?非乃朕德薄而教不明歟?吾甚自愧。故夫馴道不純而愚民陷焉。《詩》曰‘愷悌君子,民之父母’。今人有過, 教未施而刑加焉?或欲改行為善而道毋由也。朕甚憐之。夫刑至斷支體,刻肌膚,終身不息,何其楚痛而不德也,豈稱為民父母之意哉!其除肉刑。”

扁 鵲倉公列傳:文王病時,臣意家貧,欲爲人治病,誠恐吏以除拘臣意也。故移名數左右,不脩家生,出行游國中,問善爲方數者,事之久矣,見事數師,悉受其要 事,盡其方書意,及解論之。身居陽虚侯國,因事侯。侯入朝,臣意從之長安,以故得診安陵項處等病也。

扁鵲倉公列傳【診籍】:陽陌寥・€

扁 鵲倉公列傳【診籍】:安陽武都里成開方:三歳,四支不能自用,使人逖磨C逖桝ヲ死。今聞其四支不能用,逖鮪ァ未死也。

齊悼惠王世家
(165bc) 齊文王立十四年卒,無子,國除,地入于漢。
(164bc)後一豁イ,孝文帝以所封悼惠王子分齊為王,齊孝王將閭以悼惠王子楊陌寥ラ齊王。故齊別郡盡 以王悼惠王子:子志為濟北王,子辟光為濟南王,子賢為闖草・、,子蜊ャ為膠西王,子雄渠為膠東王,與城陽、齊凡七王。

扁鵲倉公列傳【診籍】: 濟北王、闖草・、

扁鵲倉公列傳:趙王、膠西王、濟南王、呉皆使人來召臣意。

扁鵲倉公列傳【詔問】

齊悼惠王 世家
(154bc)齊孝王十一年,蜷ウ王豼栫A楚王戊反,……齊孝王懼,乃飲藥自殺。景帝聞之,以為齊首善,以迫劫有謀,非其罪也,乃立孝王太子壽為 齊王,是為懿王,續齊后。而膠西、膠東、濟南、闖草・、咸誅滅,地入于漢。徙濟北王王闖草・B


巻頭言 投稿者 : 荒川 緑 投稿日 : 2009/06/25(Thu) 23:19 No.108
季刊『内経』夏期号(No.175)の巻頭言に,『素問』『霊枢』を刊行した周氏の名は「曰」一字とするのはあやまり で,「曰校」が正しいと書きました。その上で,この誤解の始まりは,『宋以前医籍考』であろうと推測しました。
 拙文を読まれた茨城大学の真柳誠 先生から,解題叢書本(名著出版影印本)『経籍訪古志』の『新刊黄帝内経霊枢』(明代無名氏莉ソ宋本)に「周曰,校本卷數亦與此同」とあるとのご指摘をいた だきました。
そして,
 「ただ『経籍訪古志』には色んなバージョンがあるので,どの段階で誤認したかは全部
を調べないと分かりま せん。しかし『宋以前』の誤認は『経籍訪古志』の踏襲と考えるのが妥当のように思います。」
 とのご意見です。
 
『経籍訪古志』 を調べないのは,うかつでした。
拙文の「誤解の始まり」は,「誤認の普及」に,あらためたいと思います。

 『経籍訪古志』の記事 については,「周曰の校本,巻数,亦たこれ(無名氏莉ソ宋本)と同じ」と読むのでしょうが,「周曰の校本」という場合「周曰,校本」と点を打つか,不審で す。名を強調するためだったのでしょうか。

古書疑義舉例序 投稿者 : 菫樊ィセ 投稿日 : 2009/06/18(Thu) 11:34 No.101 ホームページ
序文に以下のようにありますが、とくに最初の「執今人~巨麗也」の意味がよくわかりません。どういうことをいっている のでしょうか。
夫周秦兩漢至於今遠矣執今人尋行數墨之文法而以讀周秦兩漢之書譬猶執山野之夫而與言甘泉建章之巨麗也夫自大小篆而隸書而真書自竹簡 而邵荘f而紙其為變也螻「矣執今日傳刻之書而以為是古人之真本譬如聞人言筍可食歸而煎其簀也嗟乎此古書疑義所以日滋也歟竊不自揆刺取九經諸子為古書疑義舉例七 卷使童蒙之子習知其例有所據依或亦讀書之一助乎若夫大雅君子固無取乎此


とりあえず - 神麹斎 2009/06/18(Thu) 18:48 No.102
夫周、秦、兩漢,至於今遠矣。執今人尋行數墨之文法,而以讀周、秦、兩漢之書,譬猶執 山野之夫,而與言甘泉、建章之巨麗也。夫自大小篆而隸書,而真書,自竹簡而邵荘f,而紙,其為變也螻「矣。執今日傳刻之書,而以為是古人之真本,譬如聞人言筍 可食,歸而煎其簀也。嗟乎,此古書疑義所以日滋也歟!竊不自揆,刺取九經諸子,為古書疑義舉例七卷,使童蒙之子,習知其例,有所據依,或亦讀書之一助乎? 若夫大雅君子,固無取乎此。

執:たれ
數墨:「墨(書物の文字)を数える」で,内容の理解に努めない書物の読みかたを譬えていう。 朱熹の『易』詩に「須知三絶韋編,不是尋行數墨之人」とある。
甘泉:咸陽の北西,甘泉山に造られた離宮。秦の始皇帝が造営し,漢の武帝が増築。揚 雄に「甘泉賦」が有る。
建章:長安に造られた宮殿。漢の武帝が上林苑中に造営し,完成に九十年余りが費やされたという。
巨麗:巨大で美麗 な(建造物)。

いたずらに文字を数えるようなやり方で,周、秦、両漢の書物を読んで理解できると思うようなものがあろうか。そんなこと は,山野に住まう人が,秦、漢の巨大で美麗な宮殿について語ろうとするようなものだろう。


Re: 古書疑義舉例序 - 曲園老人 2009/06/19(Fri) 14:43 No.103
周、秦、兩漢などは遠い昔のことになってしまった。今どきの人の 文字を数えるようなやり方で,周、秦、両漢の書物を読もうなどというのは,山里に住まいする野人を相手にして,甘泉、建章などといった,秦、漢の巨大にし て美麗な宮殿について語り合おうとするようなものである。そもそも大、小篆から隸書,さらには楷書,竹簡から帛布,さらには紙と,書物の様子も随分と変化 している。今日に伝わっている書物を手にして,昔の人が見ていた真本と同じだなどと言えるだろうか。そんなものは,筍は食べられるものだと人に聞いて,う ちに帰って簀の子を煮ようとするようなことである。ああ,これが古書の疑義が日に日に増えていく所以であろうか!ここに自らの能力も省みず,九経や諸子の 書物から抜き取って,この「古書疑義挙例」七巻をつくったのは,童蒙にその例を習知させ,読書に拠りところ有らしめんが為であって,これもまた読書の一助 となるかと考えたからである。大雅の君子にとっては,もとよりこんな冊子に取り柄など有ろうはずがない。

意訳ですが,まあ,こんなところ ですか。


Re: 古書疑義舉例序 - 菫鮑€ 讓セ 2009/06/19(Fri) 18:23 No.104
ありがとうございました。
だいたいわかりました。
「執: たれ」とありますが、「たれ」は「孰」で、「執」に「誰」の意味はあるのでしょうか。


訂正 - 神麹斎 2009/06/19(Fri) 18:29 No.105
ご免なさい。見間違いです。訳しづらいところは,概ね文字の誤り,見間違いです。
「執」ですから,「いたず らに文字を数えるようなやり方でもって,周、秦、両漢の書物を読もうとするのは,山野に住まう人をつかまえて,秦、漢の巨大で美麗な宮殿について語りあお うとするようなものだ」ですね。


ネット辞書を利用 して読んでみました - 闖薗| 2009/06/19(Fri) 22:57 No.106
【書 き下し】
夫(そ)れ周・秦・兩漢は,今に至ること遠し。今人の行(ぎょう)を尋ね墨を數うるの文法を執(と)り,而して以て周・秦・兩漢の書を讀 むは,譬うれば猶お山野の夫を執り,而して與(とも)に甘泉、建章の巨麗を言うがごときなり。夫れ大・小篆自(よ)りして隸書,而して真書,竹簡自りして 邵荘f,而して紙,其の變を為すや螻「(しば)しばなり。今日の傳刻の書を執り,而して以て是れ古人の真本と為すは,譬うれば人の筍は食う可しと言うを聞き て,歸りて其の簀を煎るが如きなり。嗟乎(ああ),此れ古書疑義の日びに滋(ま)す所以(ゆえん)なるかな!竊(ひそ)かに自らを揆(はか)らず,九經・ 諸子を刺取して,『古書疑義舉例』七卷を為(つく)る。童蒙の子をして,其の例を習知し,據依する所有らしめば,或るいは亦た書を讀むの一助たらんか?若 (も)し夫(そ)れ大雅君子は,固(もと)より此れを取る無かれ。

【試訳】
周・秦・前漢後漢は、いまからはるか昔のことである。 現代人のただ目で文字を一字一字追って、通読する方法は、たとえてみれば、田舎者を相手にして甘泉・建章といった巨大で壮麗な宮殿について議論するような ものである。字体は大篆・小篆から隷書、さらには楷書となり、書写材料も竹簡から帛書、さらには紙になり、それぞれ何度も変遷した。現代に伝えられた印刷 本を手にとって、これが古代人が書いたテキスト(文章)そのものだと誤解するのは、たとえてみれば他人がタケノコは食べられるというのを聞いて、家に帰っ て、簀(す)の子を煮て食べようとするようなものである。ああ、これが古代の書物の内容に対する疑問が日増しに多くなる理由であろうか。不遜にも自らの力 量をかえりみず、儒教の経典や諸子百家の文を選び出して、『古書疑義挙例』七巻をつくった。年少の初学者がこの例文をよく理解してよりどころとしたなら ば、古書を読解する一助ともなろうか。徳高く学識豊かな君子の方々には、当然のことながら、本書を手に取らないでほしい。

【注釈】
○ 執:トル。選びとる。 ○尋行數墨:「尋行」一行一行読むこと。「數墨」一字一字読むこと。「墨」は文字。読書のときに、ただ音読するばかりで、内容が理 解できないこと。あるいは、一字一句を穿鑿するだけで、全体の意味が通じることに意を注がないこと。『景德傳燈録』卷二十九・誌公和尚大乘贊十首之九: 「口内誦經千卷、體上問經不識。不解佛法圓通、徒勞尋行數墨。」『困學紀聞』巻八・經説「我之意、蓋欲學者於踐履實地用工、不但尋行數墨也」。 ○甘泉、 建章之巨麗:神麹斎先生の注を参照。 ○真書:楷書。 ○邵荘f:書写用の白絹。 ○以為:~と思い込む。 ○竊・不揆:ともに謙遜のことば。 ○刺取:採 用する。選び取る。/刺:えらぶ。とる。 ○九經:九種類の儒教の経典。一説では、周禮・儀禮・禮記・左傳・公羊傳・穀梁傳・詩經・書經・易經。別説では 易經・詩經・書經・禮記・春秋・孝經・論語・孟子・周禮。 ○諸子:古代(おもに戦国時代)の学術思想家の著書の総称。 ○童蒙之子:年少の無知な子ど も。 ○習知:熟知。 ○據依:依拠。 ○若夫:訓読「若(も)し夫(そ)れ」あるいは「夫(か)の~の若きは」。意味は、「~に関しては・について は」。 ○大雅君子:才徳高尚な人。学識の深く広いひと。
★朱熹の七言絶句はおそらく、「立卦生爻事有因,兩儀四象已前陳。須知三絶韋編者,不是 尋行數墨人。」


神麹斎先生の意見をふまえ て - 闖薗| 2009/06/23(Tue) 19:37 No.107
【訓】若(も)し夫(そ) れ大雅君子は,固(もと)より此れを取る無かれ。
=⇒若(も)し夫(そ)れ大雅君子は,固(もと)より此(ここ)に取ること無し。

【訳】 徳高く学識豊かな君子の方々にとっては、当然のことながら、ここに得られるものはない。


中醫古籍校讀法 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/05/15(Fri) 23:41 No.99
つづき。
(蜊ォ生部“十一五”隗・・教材,全国高等中医闕ッ院校研究生隗・・教材)
主編はおなじみの段逸山先 生ですが,副主編はわれわれにもなじみのある沈貔鵠_先生。

Re: 中醫古籍校讀法 - 神麹斎 2009/05/17(Sun) 06:20 No.100
副主編は沈貔鵠_先生と劉更生先生となっていて,以前に沈先生か らもらったメールに校勘部分を担当しているとありましたから,緒論が段先生,上編の「校」が沈先生,下編の「読」が劉先生ということじゃないかと思いま す。やっぱり世代交代は進んでいます。私なんかは本当は段先生の世代なんだろうけどね。

全国高等中医闕ッ院校研究生隗・・教材 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/04/14(Tue) 11:05 No.97
中医薬研究生を養成するためのハードとソフトのレベルと求められる人材のレベルとの落差が日増しに高まっているとし て,大陸では「全国高等中医薬院校研究生規劃教材」(衛生部「十一五」規劃教材)が新たに出版されはじめている。

基礎・経典・臨床・中薬 の四大系列にわかれ,合わせて40種。
1.基礎系列は,古代漢語・医学科研思路方法与程序・中国伝統文化概隶コ・中医古籍校読法・循証(エビデンス ベイスド)中医薬臨床研究方法・臨床医学映像学など。
2.経典系列は,みな末尾に「理論与実践」がつく。黄帝内経・傷寒論・難経・鍼灸甲乙経な ど。
3.臨床系列
4.中薬系列

臨床系列の中の一書,『髓・шw荳エ床研究』の目次は以下の通り。
上篇諤サ隶コ
第 一章髓・ь。逍藍箞ト的莨・サ
第一闃る宙灸的治逍絡・p
第二闃る宙灸效蠎箔チ点
第三闃ie蜩埼宙灸效蠎箔I因素
第四闃rら沫效的途径
第 二章髓・・クエ床研究方案的莨・サ
第一闃る宙灸荳エ床研究隸セ鬚・I騾画叫和遑ョ立
第二闃る宙灸荳エ床研究隶セ隶。方案的莨・サ
第三闃る宙灸荳エ床研究的雍ィ量控制
第 四闃る宙灸荳エ床逍理チ隸・チ
附:髓・・クエ床研究方法指南

下篇各隶コ
第一章内科病隸閼€
第一闃jエ冒
第二闃w沁セ(扈・ロ性痢 疾)
第三闃ら漫疾
第四闃zK喘(支气管哮喘)
第五闃tx逞ィ(肺扈投j)
第六闃kケ逞ケ(冠心病心扈梺ノ)
第七闃・ル脉症(多蜿草ォ 大蜉ィ脉炎)
第八闃r・」雕€
第九闃nク眠
第十闃h韋ッ閼€(抑郁症)
第十一闃rs呆(血管性痴呆)
第十二闃ら劉病
第十三闃闊€ 胃閼・ノ(急慢性胃炎、消化性貅・味)
第十四闃ょ装吐(神扈署ォ蜻蕪f)
第十五闃ょ巣逆(膈肌逞画憲)
第十六闃ぁ墓ウサ(急慢性閧黴€炎)
第十 七闃uヨ秘(慢性功能性便秘)
第十八闃りメ痛(胆石症)
第十九闃る亠痿
第二十闃wメ隸閼€(前列腺炎)
第二十一闃ら刄髣ュ(前列腺肥大、 譛ッ后尿潴留)
第二十二闃oチ貂エ(2型糖尿病)
第二十三闃t・・€
第二十四闃k募患(疲蜉ウ扈シ合征)
第二十五闃ら仭病(甲状腺机能亢 霑鬯€)
第二十六闃ょ、エ痛(偏螟エ痛、高血蜴虚a)
第二十七闃vハ逖ォ(周蝗エ性面神扈叙・了)
第二十八闃よ此莨、痿霓ッ(外莨、性截逖ォ)
第二十九 闃iコ肢逞ケ痛(坐骨神扈薯ノ)
第三十闃る「、振(蟶赴熕X病)
第三十一闃m憮~(骨雍ィ疏松症)
第三十二闃る「磯。ケ蠑コ痛(鬚・ナ病)
第三十三 闃m懷・闃ら了隸閼€(邀サ鬟試シ性蜈ウ闃i梶A鬟試シ性蜈ウ闃i梶A痛鬟諮ォ蜈ウ闃i言)
第三十四闃xR肩鬟雕€(肩蜈ウ闃n・峩炎)
第二章螯㊨ネ病隸閼€
第一闃rノ扈霈€(原蜿驗€ 性痛扈霈€)
第二闃us孕症
第三闃ょクヲ下病(慢性盆腔炎)
第四闃らサ晉サ書O后隸ク症(蝗エ扈晉サ所棏サシ合征)
第五闃qリ莠ァ(莠ァ力蠑o鋗€)
第 三章儿科病隸閼€
第一闃oャ儿驕濫A
第二闃oャ儿閼醍亅
第三闃qス蜿草ォ抽蜉ィ症
第四章五官科病隸閼€
第一闃u@鮠ス(蜿伜コ柏ォ鼻炎)
第 二闃nィ閨求A耳鮑」(突蜿草ォ耳閨求A神扈署ォ耳鮑」)
第三闃ゃソ譎髞€(梅尼埃病)
第四闃pツ盲(隗・_扈処゙郛ゥ)
第五章皮閧、科病隸閼€
第一闃ら仞疹 (闕ィ麻疹)
第二闃nヨ丹(蟶ヲ状疱疹)
第三闃uイ刺(逞、逍ョ)
第六章其他
第一闃る宙刺麻醉
第二闃りち瘤
第三闃ゆ・黴€病
第 四闃i朗|扈シ合征
第五闃i咩ナ扈シ合征
第六闃i・シ盗釜V

Re: 全国高等中医闕ッ院校研究生隗・・教材 - 神麹斎 2009/04/20(Mon) 13:42 No.98
一覧表は見つからないんですが、我々に特に関係が深そうなのは、基礎系列では:
  中医古籍校隸サ法 作者:段逸山
 古代豎芽ッュ 作者:隶ク敬生
 中国莨黴€扈泄カ化概隶コ 作者:蠑黴€其成
 中国古代哲学与中医学 作者:蟄剱m
経 典系列では:
 髫セ扈女晁ョコ与螳梠H 作者:烟建蜊雕€
臨床系列では:
 髓・шw荳エ床研究 作者:王玲玲
これらは、むこうでは既 に出ているみたいです。
それにしても筆者の代替わりが有りそうな……。


光は東方より 投稿者 : 神麹斎 投稿日 : 2009/03/04(Wed) 09:01 No.94
『東方』337号を持ってなくて,したがって,「中国的パラダイムの形成過程」もここに紹介された部分しか見てないの で,誤解が有るかもしれないけれど,「灸経から針経を捏造したのが漢代針灸革命の真相だった」とか,「針灸医学の流れや本質的特性は『黄帝内経』を特異な 例外として再考すべきだろう」とかには,大いに共感します。しかし,その立場にも関わらず,『黄帝内経』を「究極の奥義書」として評価できるのは何故だろ う。取りあえず,古来の崇拝自体も疑って,本当にそれほどのものなのか,「構成や論理のいずれをとっても完成度はきわめて高く,後世の追随を許さない」と 奉るべきものなのかを,再考してみるべきではないのか。完成度は高そうに見えても,所詮は捏造された空論にすぎないというおそれはないのか。

筆 者自身は,現代人のイメージする鍼術は『霊枢』によって宣言されたものであり,その時期は意外と新しく,早くても漢代ではないかと考えはじめています。し かも,それは最初の一歩に過ぎず,構成や論理のいずれをとっても未熟であり,極端に言えば,「刺鍼して病を治すことは確かに可能である」ということすら保 証されていない。さらにまた,その後の諸書には,須く勇み足を疑うべきではなかろうか,と思う。ただ,我々としては治療効果を否定したのでは立つ瀬が無い わけで,おのれあるいは先輩方の「確かに治った(と思う)」という経験にすがる以外に無い。これはやっぱり心細いわけで,「針灸医学の流れや本質的特性」 を再考してもらいたい,再考したい,と思うわけです

中国学のヒント 投稿者 : 闖薗| 投稿日 : 2009/02/27(Fri) 23:38 No.90
『東方』337号(東方書店)に京都大学の武田時昌先生の「中国的パラダイムの形成過程」と題する文が掲載されてい る。見開き二頁にスケールの大きな話が詰まっているので,わたくしの頭には収まりきれないが,鍼灸に関連した内容もあり,一部分だけ切り取るので,誤解を 生ずるとは思いますが,ともかく次のような文言がありました。ご紹介します。
「中国科学の理論構造は,西洋科学とはまったく異なるベクトルを有し ている」とはじまり,「針灸医学の経脈説などは,科学革命の旗手達が唱えた科学理論と十分に渡りあえる水準にある」と,えらく持ち上げられています。「そ の基礎となった理論は……『黄帝内経』……といった著作にまとめられているが……構成や論理のいずれをとっても完成度はきわめて高く,後世の追随を許さな いところがある。『黄帝内経』に至っては,基礎理論書というにはあまりに難解であり,いきなりこれを読んで針治療が行えるようになる代物ではない。むしろ 究極の奥義書といったほうがふさわしく,臨床での体験を踏まえてその解読に向かうという回帰曲線を描いている。」このあと,馬王堆帛書に言及し,「針療法 ではなく灸療法の気脈であり……灸経から針経を捏造したのが漢代針灸革命の真相だった」と刺激的なことばを使っていらっしゃいます。「針灸医学の流れや本 質的特性は『黄帝内経』を特異な例外として再考すべきだろう。」再考の結果,どんなことが見えてくるのでしょうか。興味がわきます。

先 日,鍼灸に関する国際会議を傍聴させていただきました。そこで若い中国の研究者が,中国鍼灸は,西医と中医のはざまで,肩身の狭い思いをしていると,現状 を語っていました。鍼灸独自の診断学がなく,中医(中薬)のそれに隷属していると。いまこそ,中医(中薬)にとらわれない,新たな治効理論を形成するべき だ,といいたいらしい。(「薬性理論」からの借りてきてこしらえた「穴性理論」が本当に有効なのかに疑問を呈しているのかも知れません。)聞いていて,家 族が国にいるのだろうけど,こんなこといって大丈夫かしらと,ひとごとながら心配になってきました。と書いていて,そっとしておいて,ひとに伝えないのが がターのためかとも思いましたが,本人は若さの特権か,恐いものなしのようだし,話を聞いていても,頭がよさそうで,鍼灸から離れても,十分社会で働けそ うなので,そんな話をする若き中国人研究者がいたことだけでも,記しておきます。

Re: 中国学のヒント - 唐辺睦 2009/02/28(Sat) 13:23 No.92
どちらの話題もなかなか面白い。
特に,
「鍼灸独自の診断学がなく,中 医(中薬)のそれに隷属している」
「いまこそ,中医(中薬)にとらわれない,新たな治効理論を形成するべきだ」
そうなんだよね,それに比 べて,五行説に則って,母を補い子を瀉せば,万事解決すると思っている日本の経絡治療のなんとも平和なこと。


Re: 中国学のヒント - たまご 2009/03/02(Mon) 07:47 No.93
「いきなりこれを読んで針治療が行えるようになる代物ではない」には、ちょっと目を通 せば気がつくだろうが、「臨床での体験を踏まえてその解読に向かうという回帰曲線を描いている」は、臨床での体験が豊富でなければ、言えない、言うべきで はないことではなかろうか。

合宿のプラン 投稿者 : 管理者 投稿日 : 2009/01/21(Wed) 08:46 No.80
まだ,いくらなんでも気が早いけれど,迷っている人の参考のために,たとえば:
8月2日(日)
 9時 半頃 東京(JR新幹線)11時頃 名古屋 11時半頃 岐阜
(高速バス)1時頃 郡上八幡
8月3日(月)
 16時頃 郡上八幡(長良川鉄道)17時半頃 美濃太田(JR)18時頃 岐阜
 (JR)18時半頃 名古屋(JR新幹線)20時半頃 東京

※ 観光シーズンの真っただ中ですから,交通渋滞にまきこまれると,岐阜→郡上八幡の高速バスは大幅に遅れる可能性があります。それでも,2日の午後2時ころ から,3日の午後4時近くまで,郡上八幡にたっぷりと滞在できます。
※その間,散策や酒宴のほか,勉強の時間だって充分とれます。
※ただ し,そもそも合宿での勉強は,講義よりも侃々諤々のほうが望ましい。あるいは,質問すれば答えてくれそうな人たちと,まとまった時間を一緒に過ごすことに こそ意義がある。新幹線での移動中から質問攻め,なんて素敵じゃないですか。
※侃々諤々のテーマは,こちらでも考えますが,参加者の側からも希望 を寄せてもらえるとありがたい。

※宿の確保の都合から,参加の受け付けを例年になく早く締めきります。

Re: 合宿のプラン - かいちゅう 2009/01/21(Wed) 09:33 No.81
できれば、東京発の、おおよその費用を教えていただけるとありがたいです。

Re: 合宿のプラン - 管理者 2009/01/21(Wed) 09:44 No.83
現在のところ,郡上八幡随一の宿を考えていますので,鮎づくしの一泊二食酒代こみで 2万円ほどを覚悟しています。
交通費のほうは,新幹線代のほかに岐阜までのJRと岐阜からの高速バスで2千円くらいです。


Re: 合宿のプラン - 管理者 2009/01/21(Wed) 10:11 No.84
行きを長良川鉄道にするという手もあります。到着時間は確実ですが,ただし,郡上へ むかう長良川鉄道は,ほとんどまちがいなく混みます。
現在の時刻表では:
東京 8:50(のぞみ)10:34名古屋10:48(ワイドビューひだ)
  11:27美濃太田11:40(長良川鉄道)12:58郡上八幡


オプション - 管理者 2009/02/28(Sat) 13:16 No.91
どうせ行くならもうちょっと,という趣旨の問い合わせが有りましたので:
①8月 1日(土)の夜,岐阜着,安宿を手配して,居酒屋に繰り出して飲んだくれる。
 8月2日(日)の午前十一時半くらいに,朦朧たる状態で他の人を迎 える。
②普通の参加者は,8月2日(日)九時頃の新幹線で東京発,名古屋乗り換えで十一時半頃駅岐阜に到着。
 近くのバスセンターで前夜 組と合流。高速バスで郡上八幡へ。
③8月2日(日)午後から3日(月)午前は,まともに合宿。
④8月3日(月)の帰京組
 郡上八 幡-(長良川鉄道80分)→美濃太田-(JR高山線20分)→岐阜-(JR東海道線20分)→名古屋-(新幹線)→東京
あるいは
 郡上八 幡-(長良川鉄道80分)→美濃太田-(JR大多線30分)→多治見-(JR中央線30分)→名古屋-(新幹線)→東京
⑤もう一泊組は8月3日 (月)の午後
 郡上八幡-(長良川鉄道40分)→白鳥  ただし,郡上八幡と大差なし
あるいは
 郡上八幡-(長良川鉄道80 分)→美濃太田-(JR大多線30分)→多治見
  多治見は陶器(美濃焼)の町,織部とか市之倉さかづき美術館とか銘酒「三千盛」とか
あ るいはさらに多治見-(JR中央線40分)→中津川-(バスorタクシ30分)→馬籠
  馬籠は,島崎藤村「夜明け前」の舞台,木曽路とか銘酒 「七笑」とか
 もう一泊組の帰京は,馬籠まで行ったとして8月4日(火)の午後
 馬籠-(バスorタクシー30分)→中津川-(JR中央 線70分)→名古屋-(新幹線)→東京
⑥あるいは,白川郷へ足を伸ばしたい人は,郡上八幡から高速バスで一時間半くらい。ただし,同じバスで引き 返すことになると思う。バスの本数も少ない。

私自身は地元の観光に疎いので,もう少しは詳しい人に,もう少し相談してみます。


太素新校正の校正 投稿者 : 管理者 投稿日 : 2009/02/23(Mon) 13:27 No.88 ホームページ
『黄帝内経太素新新校正』ができました。
発行日は,奥付には2009年4月1日としたんですが,早々とできあ がってしまいました。
銭超塵教授らの新校正を,左合昌美がしつこく校正しなおしています。
A5版で,本文462頁です。
頒価 4000円 で,お願いします。


Re: 太素新校正の校正 - かいちゅう 2009/02/23(Mon) 13:51 No.89
実際の頒布は、3月8日(日)の講習会。および、『内経』次号に案内を入れます。待てな い人は、事務局にメールしてください。

日本内経医学会 研究発表会 投稿者 : 管理者 投稿日 : 2008/12/20(Sat) 11:51 No.77
日時:1月11日(日) 午後1時~4時
場所:東洋鍼灸専門学校第一校舎 402教室
   JR新大 久保駅より(徒歩2~3分)
   大久保通りを明治通りに向かい
   セブン-イレブンを右折
参加費:無料
参加資格:無 し・自由参加
発表者:論題
1 岩井祐泉:古鈔本『素問』の訓点について(仮題)
2 荒川 緑:「挨穴」について
3 小林健二:明治から大正にかけての鍼灸按摩術公認運動について
       ―古典と西洋医学のはざまで何が行われたか―
4 宮川浩也:『脈書』の診察法
5 天野陽介:松岡恕庵と『内経経脈口訣』
6 左合昌美:人迎脈口診の誤解
7 林 孝信:三焦と膀胱(仮題)

※北里との共同は,時間調整がつかず,今回は見送られました。

Re: 日本内経医学会 研究発表会 - 管理者 2009/01/08(Thu) 08:31 No.79
発表の順序は、発表者の名前の五十音順になります。

Re: 日本内経医学会 研究発表会 - 管理者 2009/02/03(Tue) 08:21 No.85 ホームページ
新年研究発表会の,林氏の資料を「あの記事をもう一度」に公開しました。
メイ ンページの左サイドバー下方を探してみてください。


Re: 日本内経医学会 研究発表会 - 管理者 2009/02/04(Wed) 18:32 No.86 ホームページ
新年研究発表会の,天野氏の資料を「あの記事をもう一度」に公開しました。

Re: 日本内経医学会 研究発表会 - 管理者 2009/02/04(Wed) 21:50 No.87 ホームページ
新年研究発表会の,宮川氏の資料を「あの記事をもう一度」に公開しました。

- Joyful Note -
Edit : BJKORO.NET