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1275年 | Raymundus Lullius(Raimondus Lullus, Raymond Lully)(P 1232〜1315, スペインの化学者)が、エーテルを発見し、 "sweet oil of vitriol" (oleum dulci vitrioli 甘い硫酸)と名づけた。 |
1540年 | Valerius Cordus(P 1514〜1544, ドイツの医師、植物学者)がはじめて、硫酸とアルコールから硫酸エーテル(ジエチルエーテル)を合成した。 |
1540年 | Paracelsus, Philippus Aureolus(P 1493〜1541, スイスの医師、錬金術師、本名はテオフラテス Theophrastus Phillippus Aureolus Bombastus von Hohenheim ケルススを超えるという意味でパラケルススと名乗った。)は、エーテルをニワトリに吸わせて、全身麻酔の実験に成功し、エーテルの催眠作用を発見し、「害を与えることなくすべての苦痛を和らげ、すべての疼痛を緩和させる。」と述べた。 |
1730年 | それまでsweet vitriolと呼ばれていた化学物質を、August Siegmund Frobenius(ドイツの化学者)がether↑と命名した。(ギリシャ語の"発火"または、"炎"に由来する。) |
Thomas Beddoes(P 1760/4/13〜1808/12/24, 英国Bristolの気体医学研究所 Pneumatic Institution)とRichard Pearsonは、Joseph Priestley↑に影響されて、エーテルを肺結核 phthisis、カタル熱 catarrhal fever、 膀胱結石 bladder calculus、壊血病 scurvyなどの治療に使用した。 | |
1818年 | Michael Faraday(P 1791〜1867, 英国の化学者、Davy↑の弟子、ベンゼン、金コロイド、塩素の液化などの発見者)は、エーテルにも麻酔作用があることを発見した。 |
1842年 1月 | 笑気は持ち運びが不便だったが、エーテルは瓶に入れて容易に持ち運べるので、若者間で、エーテル遊びが大流行していた。化学の学生だったWilliam E. Clarke(1818〜1878, 米国ロチェスターの化学者)も、エーテル遊びにふけっていて、自己の体験から、エーテルも、手術の麻酔に使えるだろうと考えた。若い婦人(Miss Hobbie)にエーテルを吸入させて麻酔し、歯科医(dentist Elijah Pope)に抜歯してもらったところ、抜歯時の痛みがなかった。 |
1842年 3月30日 | Crawford Williamson Long(P 1815〜1878, アメリカジョージア州Danielsvilleの外科医)も、エーテル遊びの常習者であったが、最初のエーテル↑による麻酔による外科手術を行った。エーテル麻酔で、James M. Venableという少年の首にある嚢胞 cystをとる手術を行った。その後も数名の患者に全身麻酔手術を施したが、1849年12月までその成果を公表しなかった(Southern Medical and Surgical Journal)。 |
1846年 9月30日 10月16日 | William Thomas Green Morton(P 1819〜1868, アメリカの歯科医、Wellsの弟子)は、Charles T Jackson(P 1805〜1880, 化学者、講義でエーテルによる動物の麻酔効果を教えていた。)のアドバイスにより、エーテルを使用して、9月30日にEben Frostの上小臼歯抜歯手術を成功させた。友人のHenry Jacob Bigelow↓(P 1818〜1890、MGHの外科医)にコンタクトをとり、10月16日にWells↑が行ったのと同じマサチューセッツ総合病院臨床講堂において、ジエチルエーテルによる全身麻酔による手術を公開で行った。執刀は、John Collins Warren↑(P 1778〜1856)で、患者Edward Gilbert Abbott(1825〜1855, 52歳の印刷工)、左顎の拡張蛇行静脈を伴う血管性腫瘍の摘出術。危険な手術であったにもかかわらず、手術は成功し、麻酔から目覚めたAbbottは「痛みはまったくなかった」と証言した。Wells の時には、いかさまよばわりしていた Warrenは「"Gentlemen, this is no Humbug" 紳士諸君、これはいかさまではない」と高らかに宣言した。Abbottは52日間入院した後、無事退院した。 Warrenはその翌日、弟子George Heywardがエーテル麻酔科で手術を実施し、その手術も成功した。 Mortonは「麻酔の父」と呼ばれ、この手術室は、最初の外科麻酔の公開実験の記念物「エーテルドームEther dome」として今も残されている。Robert C Hinckleyが描いた公開手術の絵は、Countway Library of Medicine, Bostonに保存されている。1/2---近大麻酔科学の夜明けとも言える「エーテルの公開実験」 MortonとWarrenは、この発見から利益を得ようとして、使用した薬物をエーテルであると公表することを控え、Letheonと呼んだ。染料と香料を加えることによってエーテルの臭気と外観をわかりにくくしたものである。安全な使用に関する指導を行って報酬を得るつもりであったが、MGHの外科医達は、薬物の正体がはっきりするまでは使用することを拒んだが、Mortonが化学的な性質を公表してからは、外科手術での成功例が積み上げられるようになった。Letheonは、ギリシャ神話で、その水を飲むと、生前の痛みの記憶を忘れるという忘却の川River Letheに因んでつけた。アメリカ合衆国の特許を取得しようとしたが、うまくいかなかった。MortonもJacksonも、名誉欲と金欲が強く、後年Welsを加えて三つどもえの争いとなる。1/2 |
1846年 | Henry Bigelow(P 1818〜1890、MGHの外科医)が、11月3日にMortonの外科手術に対するエーテル使用を報告する論文の原稿をAmerican Academy of Arts and Sciencesで朗読し、11月18日号Boston Medical and Surgery Journalに掲載された(「外科手術時にもたらされる吸入による意識消失」 Boston Med Surg J 35:309-317, 1846)。 |
1846年 | Sir Oliver Wendell Holmes(P 1809〜1894, ハ−ヴァ−ド大学の有名な医学部教授、Warren↑の同僚、作家)は、Mortonの実験を見て、その偉業を称えた。11月24日のMorton当ての私信の中で、エーテル吸入で起きる状態を「Anesthesia」(ギリシャ語、an-aisthesia, 無ー感覚)と提案した。この名称はすでに、Plato↑PやPedanius Dioscorides↑(P により提唱されていたが、再提案で、麻酔を意味する用語として採用し、現在に至っている。 |
1846年 12月19日 | Henry Bigelow↑の父Jacobはエーテル吸入の効果について記された手紙をFrancis Boottに送り、その手紙を見せてもらったJames Robinson(ロンドンの著明な外科医)は、13歳少女の埋伏智歯を抜歯する際に、エーテルを投与した。Mortonによる公開手術の63日後であった。Robinsonは新しいインヘラを考案し、麻酔に関する最初の教科書を書き、1847年3月1日にロンドンで出版された。 |
1846年 12月21日 | Mortonのエーテル吸入麻酔の成功は「米国の発見」と称されて、全世界に打電され、Robinson↑がエーテルを使用した2日後に、英国でもエーテルを使用した外科手術が行われた。Robert Liston(P 1794〜1847, ロンドン大学の臨床外科教授)は、エーテル麻酔で、下肢の切断手術を行った。手術が終わるとListonは、「This Yankee dodge [trick], gentlemen, beats mesmerism hollow! 皆さん、ヤンキーのトリックがフランスものを打ち負かした。」と言った。彼は、ボストンから来たエーテル麻酔が、パリの催眠術よりも有効であると判断した。その後、エーテルによる麻酔は、世界中に広まった。 |
1947年 | 7月10日にフランスのAuxerreでAlexis Montigny(55才男性)がエーテル麻酔中に死亡した。 |
1847年 | Sir James Simpson(P 1811〜1870, エディンバラの産婦人科医) は、エーテルで分娩を行ったが、必ずしも満足すべきものではなかったので、クロロホルムを初めて吸入麻酔薬として使用し、外科手術に新起源を開いた。 |
1847年 | Nikolai Ivanovich Pirogov(P 1810〜1881, ロシアの外科医)がエーテルの直腸麻酔を記述した。 |
1855年 安政2年 | 杉田成郷(せいけい、1817/12/18〜1859/3/23、玄白の孫、蘭学者)↑がわが国最初のエーテル吸入麻酔を行った。 |
1866年 | Sir Benjamin Ward Richardson(P 1828〜1896, Glasgowの医師)は局所麻酔のために凍った組織にエーテルをスプレーした。 |
1877年 | Joseph Thomas Clover↑(P 1825〜1882, 英国)が、エーテルの濃度を調節できる携帯式麻酔器製作した。 |
1882年 | Samuel J. Hayes(1833/6/22〜 Pennsylvaniaの歯科医)が、エーテルークロロホルム用の気化器を開発した。 |
1909年 | Burkhardtが、クロロホルム↑とエーテル静脈内麻酔に使用した。 |
1920年 | Arthur Ernest Guedel(P 1883〜1956年, 米)がエーテルの「麻酔深度↓」を4期に分類した(A.E. Guedel, Third stage ether anesthesia: a sub-classification regarding the significance of the position and movement of the eyeball, Am. J. Surg., Q. Suppl. Anesth. Analg. 34 (1920), pp. 53–57.)。 |
1923年 | Richard von Foregger(P 1872/6/27〜1960 ウィーン→米国の化学者、Foregger Companyの創設者)が、4基の hanger yoke (ボンベ装着装置)とエーテル気化器を備えた Seattle 型麻酔器を開発した。 |
1924年 | Jay Albion Heidbrink (1875〜1957, Minneapolisの麻酔科医)が、麻酔バッグの圧による作動開閉弁と笑気↑、エチレン、炭酸ガス、酸素にそれぞれ2基の hanger yoke とエーテル気化器を備えた Lundy-Heidbrink 型麻酔器を開発した。 |
1951年 | Inperial Chemical Industries社のCharles W. Sucklingが、麻酔作用を持つ可能性があるハロゲン化薬物について理論的に解析し、halothaneを合成した。 |
1956年 | Michael Johnstone(UK)とC. Ronald Stephen、Stephen(USA)がhalothaneを臨床使用した。halothaneは、臭気がきつくなく、作用は強力で、薬物導体特性にも優れた折、不燃性で毒性も低いという点で、エーテルやシクロプロパンよりも決定的に優れており、次第に古い麻酔薬に取って代わっていった。 |
1958年 | Burnapがハロタン麻酔後の肝障害による死亡した症例を報告した。 |
1959年 | 日本でhalothaneの臨床使用開始 |
1963年 | Ross C. Terrell(MINRAD Inc.)がハロゲン化エーテルの一つであるエンフルランを開発した。 |
1965年 | Ross C. Terrell(MINRAD Inc.)がハロゲン化エーテルの一つであるイソフルランを開発した。 |
1966年 | Virtue(アメリカ)がエンフルランの臨床使用開始 |
1968年 | 米国Travenol Laboratories(現米国Baxter社)がセボフルランを合成した。 |
1975年 | Dobkin(アメリカ)がイソフルランの臨床使用開始 |
1978年 | Holaday(アメリカ)がセボフルランの臨床使用開始 |
第I期(痛覚消失期) | 意識は不完全ながら保たれる。酩酊様状態、痛覚は弱くなる。Halothaneはこの時期は認めにくい。 |
第II期(興奮状態) | 意識はなくなる。高位中枢からの抑制が除かれるので、興奮状態となる。 |
第III期(外科的手術期) | 延髄の呼吸・循環中枢を除き、全般的に抑制される。 |
第1相 | 筋肉の弛緩、眼振、呼吸は確保 |
第2相 | 筋肉の弛緩、眼球の固定、手術によい時期である。 |
第3相 | 著しく筋肉の弛緩、瞳孔散大 |
第4相 | 呼吸が弱くなる、血圧が低下 |
第IV期 | 延髄の麻痺、あらゆる反射の消失 |
開放点滴法 Open Drop Ether Anaesthesia
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Pain Relief |