すぎやまこういちの体験作曲法

(同名の書籍より、序章と第一章部分の概要です。AIが本人になり替わって要約していますので、趣旨は保たれていると思いますが、趣旨を取り違えている場合があります。ご本人の御言葉を確認されたい向きには、原著をご確認ください。)


わが音楽、わが人生:作曲家への道のりと創作哲学

序文

あなたは音楽が好きですか。ただそれだけで、明日からでもあなたは作曲家になれます。専門的な音楽教育を受けた経験や、楽器を巧みに演奏できる技術、あるいは楽譜を読み書きする能力。それらは作曲の本質ではありません。本当に必要なのは、ただ一つ、音楽を愛する心だけです。

このエッセイでは、すぎやまこういちがどのようにして音楽と出会い、その魅力に引き込まれ、やがてそれを生涯の仕事とするに至ったか、その個人的な旅路を振り返っています。そして、その過程で育まれたすぎやまこういち自身の創作哲学について、少しばかりお話しさせてください。

本題に入る前に、あなた自身に問いかけてみてほしいのです。あなたが生まれて初めて、心を揺さぶられた音楽は何でしたか?

その感動の記憶こそが、すべての創作の原点となります。すぎやまこういちの物語は、そんな遠い記憶、幼い頃に聴いた子守唄から始まります。

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1. 音楽の原風景 ― 幼少期の出会い

人の一生を形作る上で、幼少期の体験がいかに重要であるかは、言うまでもありません。それは音楽家にとっても同じです。論理や知識で音楽を理解するずっと以前に、心と身体に刻み込まれた音の記憶。それが、生涯にわたる音との関係性を決定づける「原風景」となるのです。

すぎやまこういちにとって最初の音楽的記憶は、母が毎晩のように歌ってくれた讃美歌でした。それがすぎやまこういちのための子守唄だったのです。理屈抜きの、ただ心地よい音の響きとして、すぎやまこういちの音楽の原体験はそこにあります。

すぎやまこういちの祖母は、明治23年(1890年)生まれの、当時としては非常にモダンな女性でした。女学校に通い、ヴァイオリンを嗜むハイカラな人物だったと聞いています。直接ヴァイオリンを弾く姿を見ることは叶いませんでしたが、その存在は、すぎやまこういちにとって音楽というものがごく自然に生活の中にあるものだと、無意識のうちに教えてくれていたのかもしれません。

そして、すぎやまこういちの音楽への扉をはっきりと開いた決定的な一曲との出会いが訪れます。小学校に上がった頃に聴いた、当時大流行していた歌謡曲『二人は若い』です。その明朗なメロディーにすぎやまこういちは完全に心を奪われ、この曲こそがすぎやまこういちの「最大の愛唱歌」となりました。それは、特定の楽曲を生まれて初めて「大好きだ」と意識した瞬間であり、子守唄という無意識の領域から、ポップスの持つ大衆的な魅力へとすぎやまこういちの世界を広げてくれた、記念すべき一曲なのです。

この穏やかで幸福な音楽との出会いは、しかし、やがて訪れる戦争の影によって、試され、そしてより深いものへと変化していくことになります。

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2. 戦争の影と、運命的な発見

歴史の大きなうねりは、個人の人生を否応なく飲み込みますが、時としてその混乱のさなかにこそ、運命を変えるような発見が待ち受けているものです。すぎやまこういちにとっての戦争体験は、音楽家としてのアイデンティティが鍛えられた、まさにそのようなるつぼでした。

戦前、彼の家は音楽に満ちあふれていました。姉はピアノを弾き、兄はギターに夢中で、父と兄がマンドリンとギターの合奏を聴かせてくれることもありました。しかし、戦争が激化するにつれ、そうした日常は失われ、一家は千葉への疎開を余儀なくされます。

その混乱のなかで、すぎやまこういちは運命的な発見をします。疎開先へ向かう汽車の中でした。兄の友人が持っていた一枚のSPレコードから流れてきた音楽に、すぎやまこういちは衝撃を受けました。ベートーヴェンの交響曲第六番『田園』です。空襲の不安と先の見えない混沌の中で聴いたその音楽は、まるでこの世のすべての美しさと秩序を凝縮したような、広大で新しい世界でした。

たった一枚のSPレコード。しかし、この『忘れられない田園交響曲』との出会いは、すぎやまこういちの音楽的人生の方向性を決定づけました。来る日も来る日もそのレコードを聴き込み、自然とベートーヴェンのハーモニーとベース進行を覚えてしまうほどでした。これが、すぎやまこういちのクラシック音楽への深い探求の始まりとなったのです。

ベートーヴェンによって築かれたこのクラシック音楽の礎の上に、戦後、新たな刺激的なサウンドが次々と加わっていくことになります。

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3. 広がる音楽世界 ― クラシックからポップス、そして現代音楽へ

真の音楽的教養とは、特定のジャンルを極めることではなく、あらゆる音楽に対して心を開き、その境界を自由に行き来することから生まれるとすぎやまこういちは信じています。戦後の日本は、まさに新しい音楽の洪水ともいえる時代であり、すぎやまこういちにとってそれはかつてない発見の連続でした。

すぎやまこういちの音楽的世界を根底から揺さぶり、大きく広げてくれたいくつかの「ショック」がありました。

  1. アメリカン・ポップスとジャズの衝撃 親友の青島幸男に連れられて観た映画『アメリカ交響楽』がそれでした。ジョージ・ガーシュウィンの音楽に触れ、すぎやまこういちは「ベートーヴェンっ子」であったにもかかわらず、心の底から感動しました。クラシック音楽だけが音楽ではない。「ジャズでもポップスでも、いいものはやはりいい」。この単純な真理に気づかされた瞬間でした。
  2. 現代クラシック音楽の衝撃 日比谷公会堂で聴いた、上田仁指揮によるショスタコーヴィチの交響曲第九番。その斬新で力強い響きは、すぎやまこういちにとって二度目の大きな衝撃でした。躍動するオーケストラの音の奔流に身を委ねながら、すぎやまこういちの心には新たな、そして具体的な夢が芽生えていました。「オーケストラの指揮者になりたい」。そう強く思ったのです。

ベートーヴェンからガーシュウィン、そしてショスタコーヴィチへ。これらの多様な音楽体験は、すぎやまこういちの内部にジャンルの壁を取り払った豊かで広大な音楽の土壌を育んでくれました。

指揮者になるという大きな夢。しかし、その夢が現実の壁にぶつかった時、ある決定的な助言が、すぎやまこういちを思いがけない、しかしより本質的な道へと導いてくれることになるのです。

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4. 職業音楽家への道 ― 夢から現実へ

音楽への情熱を、生計を立てるための「職業」へと転換する道のりは、一直線ではありません。そこには偶然の出会い、地道な努力、そして自分を信じてくれる人々との関係が不可欠でした。

指揮者になるという夢は、ある人物の一言で新たな方向へと舵を切ります。憧れの指揮者本人に直接お会いする機会を得た際、ピアノが弾けないすぎやまこういちに彼はこうアドバイスしてくれました。「指揮者になれないのなら、作曲家になればいい」と。その言葉は、閉ざされたと思っていた扉の隣に、新しい扉があることを教えてくれました。

すぎやまこういちはまず、放送の世界に飛び込みました。文化放送、そしてフジテレビへと移り、音楽番組の制作に携わる中で、職業音楽家としてのイロハを現場で学びました。それは、音楽を創るだけでなく、それをどのように聴き手に届け、どのようにビジネスとして成立させるかという、実践的な知恵を学ぶ貴重な見習い期間でした。

そして、作曲家としての転機が訪れます。担当していた番組『ザ・ヒットパレード』のオープニング曲の作曲を任されたのです。これが大きな成功を収め、すぎやまこういちの名前は少しずつ知られるようになりました。続いて、数々のCMソングを手掛け、中でもレナウンのCMソング『イエイエ』は大きな話題を呼びました。そして、ザ・タイガースをはじめとするグループ・サウンズのバンドに『僕のマリー』や『シーサイド・バウンド』といったヒット曲を提供したことで、すぎやまこういちの作曲家としてのキャリアは確固たるものとなったのです。

こうして職業作曲家としての道を歩み始めたすぎやまこういちは、日々の創作活動の中で、より深く「音楽を創るということの本質」について考えるようになっていきました。

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5. すぎやまこういちの作曲哲学 ― 音楽を創るということの本質

職業として長年音楽を創り続けていると、ある根本的な問いに行き着きます。「そもそも、音楽とは何か」「作曲とは、いかなる行為なのか」。ここでは、すぎやまこういちがこれまでの経験を通じてたどり着いた、創作におけるいくつかの核となる信条をお話ししたいと思います。

すぎやまこういちにとって作曲とは、机上の理論から始まるものではありません。それはまず、世界に耳を澄ますことから始まります。風の音、鳥の声、人々の話し声のリズム。世界は音にあふれており、音楽は本来、祈りや労働、そしてコミュニケーションといった、人間の根源的な営みと共にある表現手段なのです。

その上で、すぎやまこういちが創作において最も大切にしている原則は、以下の三つに集約されます。

  • 感性の優位 (The Primacy of Sensibility) 作曲とは、突き詰めれば「感性」の表現です。数多ある音の中から「これがいい」と感じるものを選び出し、組み合わせる行為。その選択の連鎖にこそ、作り手の独自性が表れます。これは、どれだけ技術が進歩してもコンピューターには決して真似のできない、人間だけが持つ聖域です。面白いか、面白くないか。美しいか、そうでないか。その判断を下す感受性こそが、芸術の核心です。
  • メロディーは王様 (Melody is King) ハーモonyやリズムももちろん重要ですが、音楽の心臓部は、やはりメロディーにあるとすぎやまこういちは信じています。人々が口ずさみ、記憶に残るのは、心を捉える旋律です。作曲をするとき、すぎやまこういちはまずメロディーを歌いながら、それにふさわしいハーモニー(服)を探していきます。感動的なメロディーこそが、時代や文化を超えて人の心に届く、最も強力な要素なのです。
  • 感性を磨く方法 (How to Cultivate Sensibility) では、その最も重要な「感性」はどうすれば磨けるのでしょうか。教科書を読むことではありません。唯一の方法は、優れた音楽を、ジャンルを問わず、とにかくたくさん聴くことです。そして、自分が「良い」と感じた音楽について、「なぜ自分はこれを良いと感じるのか」を徹底的に分析すること。それは、優れたシェフが最高の料理を味わい、その味の構成を舌で分析して自らの腕を磨くプロセスに似ています。

これらの哲学は、すべて「聴くこと」から始まります。音楽を創ることは、自分の中にある感性というフィルターを通して、世界に存在する音を再構成し、新たな意味を与える行為なのです。

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結び:言葉を超えて、音楽は語る

音楽の最も偉大な力。それは、言葉では到底表現しきれない、人間の心の機微や、人生の深遠な真実を伝えることができる点にあります。喜びも、悲しみも、言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまう繊細な感情を、音楽はそのままの形で響かせることができるのです。

振り返れば、すぎやまこういちの作曲家への道のりは、正規の音楽教育によって舗装された道ではありませんでした。それは、ただひたすらに音楽を「聴くこと」への尽きせぬ愛情と、音を通じて何かを伝えたいという止むことのない欲求によって、自ら切り拓いてきた道でした。

もしあなたが音楽を愛し、何か表現したい衝動を内に秘めているのなら、あなたにはすでに作曲家になるための最も重要な資格が備わっています。楽器が弾けなくても、楽譜が読めなくても構いません。大切なのは、世界に耳を澄まし、自らの感性を信じ、心に響くメロディーを口ずさむこと。それこそが、音楽という最も普遍的な言語を紡ぎ出す、創造の第一歩なのですから。

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