災害医学・抄読会 980625

日本の災害医療の現状と展望

〜日本学術会議シンポジウム開催の背景と企画の概要 〜

小林国男、大震災における救急災害医療、へるす出版、東京、1996年、p.131-5)


 阪神・淡路大震災では救急災害医療の重要性が認識されるとともに数多くの問題点が指 摘された。

〔被災地内の医療機関の問題点〕

  1. 病院の損壊ならびにライフラインの途絶による機能麻痺などの病院の脆弱性。
  2. 情報通信機器の途絶による医療機関相互の連絡網の混乱。
  3. 医療マンパワーの不足
  4. 備蓄医薬品の不足
  5. 患者搬送手段の麻痺
  6. crush syndrome等災害時に必要な医療に対する知識不足。

〔医療救援側の問題点〕

  1. 緊急救助医療の立ち上がりの遅れ。
  2. 支援活動統括の混乱。
  3. 医薬品等供給体制の混乱。

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 災害時の負傷者救助では、救出にかかる時間の経過とともに救命率が加速度的に低下す ることが知られている。阪神・淡路大震災では、自衛隊や消防などの公的機関による系統 的な救出活動の立ち遅れが指摘されているが、医療救助活動の遅れも問題点の一つである 。救急救助活動が迅速に行われていれば、かなりの数の人命が救われていた可能性が指摘 されている。

 縦割り行政に代表されるように我が国の社会構造では救助チームと医療チームが一緒に 活動する行動パターンが確立されにくい。欧米では災害時に両者が一つのチームとして活 動する体制が確立しており、参考にすべきである。

 救命救急処置や緊急手術の可能な移動病院の準備とヘリコプターなどの搬送手段を持っ たチームの養成は一つの方向であるが、省庁間や医師会との連携がうまく運ばず現実化は まだ遠い。また仮に実現したとしても、医療チームの編成や所属の問題、ボランテイアの 場合のチームワークや指揮命令系統の問題、移動病院やヘリポートの設置場所確保の問題 、等運用上の課題は多い。しかし前向きに検討すべき課題である。

 阪神・淡路大震災でとくに大きな問題となったのは情報通信連絡機能の途絶であるがこ れは日常の通信連絡が電話に依存し過ぎていた結果である。無線系メディア、パソコン通 信、衛星通信などの災害に強い通信網の確立と利用が求められる。また、医療関連情報の 混乱をくい止めるために、地域の医療機関、医師会、保健所、行政機関、消防機関等の相 互の情報ネットワークの確立も必要である。

 被災地内の病院は機能が麻痺している可能性が高く、傷病者を被災地外の病院へ搬送せ ねばならないが、陸路が遮断されている状態では非常に困難なことである。当然ヘリコプ ターによる搬送を考えるが、阪神・淡路大震災では殆ど利用されることはなかった。日常 的な救急活動においての救急ヘリコプターの導入により、災害時のより積極的なヘリコプ ターの活用が行えるであろう。

 被災地内では医療の需給バランスが極端に崩れるという点からは、被災地外の周辺医療 機関が後方病院として機能することが重要であり阪神・淡路大震災では大阪の医療機関が 後方病院として活動した。大学病院は人的にもスペース的にも医療技術的にも潜在的な余 力があり、災害時の医療支援拠点病院としての大きな能力をもっている。現在我が国にお ける救急医療の基幹病院は私立大学病院が担っており、国公立の大学病院は救急医療に積 極的に取り組んでいるとは言いがたい。救急医療なくして災害医療はあり得ず、災害医療 体制を整備するためにも国公立大学病院の救急医療の内容を改善する必要がある。  阪神・淡路大震災を契機として災害医療教育の重要性が認識されるようにはなってきた が、専門家が殆どいないことや、教材が不十分なことをはじめとして問題は多い。最大の 問題は実地訓練を行う機械が無い点である。これには模擬災害での訓練や virtual reality などのハイテクを使用して対応していくべきである。

 大災害時は医療従事者自身が被災者となるという発想のもとに、我が国の災害医療を見 直す必要がある。


震災後のPosttraumatic Stress Disorder

上里一郎、大震災における救急災害医療、へるす出版、東京、1996年、p.55-63)


 PTSDは1980年のアメリカ精神医学会の診断マニュアル(DSM-R)で1つの疾患として提唱され、以後体系的に取り組まれるようになった。その症状はDSM-IVによると@外傷的な事件の再体験(想起、悪夢、解離性フラッシュバックなど)、A外傷をもたらした状況の回避、B反応の鈍化(関心の減退、孤立感、感情萎縮など)C過覚醒(睡眠障害、易刺激性、驚愕反応など)に大別できる。そして、これらの症状は、反復、否認、転換、などによる「防衛規制」であると説明することが可能である。

 PTSDは、強烈なストレスに遭遇することによって生起するものである。しかし、問題はこのような体験をしてPTSDを発症するものとしないものがあるというところにある。発症には個人的な要因(personal resources)も関与していることが示唆されている。例えば、女性、対処方略,hardness(低いもの)などが、心理的な衝撃に対する精神的な耐性と深い関係にあることが明らかにされている。

 PTSDの発現のメカニズム(行動論的なモデル)は2つある。1つは、「条件づけモデル」である。これは、たった1回の体験でも、同じ刺激や類似した刺激が強い恐怖を引き起こすようになるものである。例えば、交通事故で父親を亡くしたり自分も重症を負ったりした後、車に乗る、高速を走る、対向車などが強い恐怖感をもたらすようになり、それをできるだけ避けようとする、などが例として挙げられる。もう1つは「学習性無力感」である。これは、脅威的な事態が、自分には予想もしないことで、自分ではどうすることもできないと感じたときに、人間を無力状態にするというものである。

 PTSDの支援の方法としては、行動療法的な方法が有効である。具体的には、心身のリラクセーション、条件刺激に曝露するflooding,系統的脱感作、ストレス免疫訓練などの方法が用いられている。

 最後に、この度の阪神・淡路大震災の被災者のメンタルケアの実情と課題について資料を参考に展望した。そして、@現地へ出かけること、A話を聞くという態度の大切さ、B情報の一元化とコーデネーターの必要性、C入院のためのベッドの確保の必要性などが示唆された。

 今回の経験から心のケアのためのプログラムの試案を述べてみる。 プログラムには短期的なものと、長期的なものの2種類がある。

 短期的なものには、@急性ストレス障害への対応とPTSDの発生を予防すること、Aそのために、ディブリーフィング(パンフレット、電話相談などで情報を提供する)を積極的に行う、B専門家のチームによる訪問相談などである。長期的なものとしては、@ローカルゲートキーパーの養成、A教師へのコンサルテーション、B専門的なストレスケアのための研究と支援体制の整備などが緊急の責務である。


「放射線災害初期の医療」について

衣笠達也、日本集団災害医療研究会誌 3: 75-80, 1998


 放射線は医療機関や工場での非破壊検査、原子力発電所や再処理施設、ラジオアイソトープを扱う大学や研究所等の広い範囲で利用されている。私達の身近に思いのほか溢れていると言える。放射線事故では、放射線を取り扱う作業者が被ばくを受け被災者となることが多いが、一般住民もまき込まれることもある。

 1.マーシャル群島事故

 1954年3月1日、アメリカ海軍が大平洋ビキニ環礁で水爆の大気圏実験を行った。風向 きが計画予想と大きくはずれたため、核爆発の結果生じた核分裂物質がマーシャル群島 に降下し、300名近い島民が汚染や被ばくした。皮膚炎や脱毛をおこすものがいた。ア メリカ合衆国政府は実験の2日後に、住民を他の島へ避難させた。

 2.ウィンズケール事故

 1957年10月10日、イギリスの酪農地帯ウィンズケールで軍用原子炉の火災がおこり、核分裂生成物が環境中に流出。131Iの食物連鎖が注目され、牛乳の飲用と売買が25 日間にわたり禁止され、さらに牛乳や家畜などが廃棄処分された。

 3.スリーマイル島原子力事故

 1979年3月28日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州にあるスリーマイル島原子力発電所で原子炉融解事故が発生。XeやKrなどの希ガスが放出されただけであったが、情 報不足やマスコミを介してのさまざまな憶測により、住民が医療機関へ殺到したり避難騒ぎなど社会的混乱を生じた。

 4.チェルノブイリ事故

 1986年4月26日、旧ソ連のウクライナ地方にあるチェルノブイリ原子力発電所で原子 炉が爆発。高線量外部被ばく、高線量内部被ばく、地域汚染、住民の汚染および被ばく がおこり、十数万に及ぶ住民の避難、移動が十分な情報提供がないまま行われた。そのため不安やストレスによる胃潰瘍等の消化器障害や心筋梗塞等の心疾患が被災者の中で 増加した。この事故によるであろうと考えられている放射線障害は、汚染の強かった地 域の小児の甲状腺癌等の甲状腺疾患である。

 放射線災害に対する住民対策

◯適切な情報の提供

◯避難や退避、移転等の防護対策

◯ヨウ素剤の投与、汚染検査・被ばく線量評価また除染等の被ばく、汚染に対する処置や放射線の健康影響への説明

 放射線災害に対する医療対策

◯事故発生周辺地域の空中線量評価と汚染の評価

◯地域住民への被ばくや汚染の防止を中心とした放射線防護対策

◯地域住民の避難や移転時の個々人の被ばく線量の評価と汚染検査、除染等の処置またそれを行う場所の確保

◯医療要員の役割分担及び研修実施訓練

    


看護の視点から見た災害時医療に必要なもの

都築朝子ほか、看護展望 20: 1202-8, 1995


 神戸市立中央市民病院看護部副部長 都築朝子氏が神戸・淡路大震災(平成7年1月17日)のときに得た教訓をもとに災害対策として検討しておきたいことをまとめた。

1.被災者の受け入れに関して

1)トリアージと受付

 状況により変化することではあるが、だれがするのか、どこでするのか、を考えておく必要がある。

2)診療スペース

 収用可能な空間と使用できる設備を検討し認識しておく必要がある。日頃から知らないものはつかえない。

2.マンパワーに関して

1)いかに人材を確保するか

 災害時は多くのことに人の手を要する。そしてそのための連絡網は実際的でなければ機能しない。これまでは院内組織にしたがった連絡路としていたが、電話が通じない場合も想定して地域別に編成し直した。

2)確保した人材をいかに配置するか

 部署によって閑忙の差が生まれる可能性もあり、実際の調整が必要と思われる。災害時の配置体制を明確にしておきたい。

3)ボランティア

 救援活動へのボランティア活動の参加があり少しゆとりが生まれた。当院ではこれまでボランティアを導入して来なかったが、今回を契機に、どのような人に何を分担するかを含め導入を検討している。そのためには、日頃からボランティアへの理解を深めておく事が必要であり、いざと言うときの有効な活動に結び付くと考える。

3.災害看護に関する教育と訓練

 今回の経験で痛感していることは、災害に関する認識の欠如と、災害医療・看護の 基本的知識・技能が備わっていなかったことである。知識がなければ予測的対応はで きない。また様々な災害を想定したペーパーシュミレーションと、実際的な教育・訓練が必要と考える。

4.情報の収集と伝達・提供

 問題のひとつに情報不足があった。情報には、安心につながる側面と不安を助長する側面がある。正確な情報伝達のためにはアナウンスコードを取り決めておくとよいと思われ、防災計画に情報班を加えることとした。今回はできなかったが、難病・内部障害をもつ人々の困難に対して、電話やFAXなどによる医療情報の提供、助言、相談などを積極的に行うことができるはずである。

5.備蓄・貯蔵

 今回、物品、衛生材料、医薬品、医療機器の調達などにつき、多くの人々や施設に お世話になり、最も困難な時期を切り抜けることができた。とりわけ業者の方々の支援がありがたかった。物の備蓄・貯蔵には限りがあり、また経済的でもない。備蓄を考えるよりも、連携・ネットークによる調達を検討するほうが実際的というのもわれわれが得た学びである。

 災害は時、場所、規模を選ぶことなく起こり、予測できないものも多い。発生時はその場に居る人が機転を利かして対処するしかないし、知恵があれば危機を切り抜けることができる。危機のときには力を合わせ、協力することができる。“待ち”の姿勢では対処できない。また、時には組織がかえって自立性を阻むこともあるが、それを乗り越え、リスクを負う勇気が必要である。人はその瞬間において、人のもつ最高の分別を示すものであり、だれから指示されるのでなく、自らの判断により動くしかないと痛感する。だからこそ平時に資質を培っておかなければならない。災害看護教育は重要であり、そこで働く人こそ財産である。


わが国に起こっているガス災害の実際

平林順一、日本集団災害医療研究会誌 3: 11-7, 1998<


 1997年には日本で異なる火山ガス成分が原因となった災害が続いて発生した。本報告ではこれらのガス事故の概略とこれまでに日本で発生したガス災害の事例、その対策について述べる。

◎事例1

 1997年7月12日、青森県八甲田山麓の窪地に溜っていた火山性の二酸化炭素によって訓練中の自衛隊員3名が死亡した。翌日の調査では窪地の最深部には15〜20%の火山性起源の二酸化炭素が滞留してい た。しかし最大風速12mであった翌16日の調査では窪地最深部の二酸化炭素濃度は0.5%であった。さらに付近の状況を調査した結果、事故発生場所付近の地下約50mには火山性二酸化炭素を含む鉱泉の流れがあり、そこから分離した二酸化炭素が事故の発生した窪地内上部の穴から常に吹き出しており、窪地が林で囲まれ8mと深かったことでガスが拡散せずに滞留していたと考えられた。

◎事例

 同年9月15日、福島県安達太良山 沼ノ平火口付近で、濃霧のため登山ルートを見失った登山者4名が硫化水素によって死亡した。火口付近は1996年に小規模な噴火が起こっており、その活動が続いていた。登山者は尾根から火口へ下っている途中に、先頭の3名が強いガスの匂いを感じ、急いで沢を下りたがこれに続いた4人は次々に倒れ死亡した。その後の調査で、火山ガスが地下から地表への上昇過程で地下水などと接触し主成分の水蒸気が取り去られ、また冷却により低温で高濃度の硫化水素と二酸化炭素が主成分となったガスであると考えられた。事故当日は無風で霧が濃かったため、事故後の調査では400ppmであった硫化水素が当時の気象条件化では拡散が悪くさらに高濃度であったと推測される。

◎日本でのガス災害

 日本では過去50年間に20件以上の火山ガス災害が発生している。一般に火山ガスの90%以上は水蒸気であるが、その他多くの成分がありそのうち毒性のあるものはHF,HCl,SO2,H2S,CO2,COである。CO2は低温の火山ガスに特徴的であるが、致死濃度は他の成分に比べ2桁以上高いため災害発生は低く、八甲田山の事故が初めてであった。これに比べ毒性の高いHF,HCl,SO2は桜島や浅間山といった活動的な火山からでる高温火山ガスに含まれるが、火山が立入禁止であるなど近付きにくく、ガスにより咳き込みや目に刺激が起こり存在が感知しやすいため、阿蘇山のような限られた山でしか事故は発生しない。 これらに比べ日本のガス災害の原因の大部分であるH2Sは高温から低温の火山ガスに含まれ、多くの火山で近付きうる場所で噴出している。また高濃度のH2Sが溶存する酸性 温泉の存在や、毒性濃度が低いこともあり、ガス災害が多く発生する。

◎火山ガスの毒性

 HCl,SO2,H2Sは1000ppm程度で生命の危険性があるが、CO2の危険性は10%以上であり40%で死に至るといわれている。CO2の毒性は、血管や脳内体液のpHが酸性になることによるといわ れている。

◎火山ガス災害の発生要因と対策

 火山ガス災害は、1) 火山ガスが噴出していること、2) 近くに窪地や谷地形などガスの溜まりやすい地形があること、3) 気象条件(無風、曇天、大気の逆転層)、4)ガスの溜っている場所に近付く の4要素によって発生す る。今後のガス発生防止対策として、行政レベルでは火山ガスの噴出点、種類、危険度を調査し、危険区域を設定し、情報板、自動警報システムなどを設置することが挙げられる。行動する個人では 火山、火山ガスについて最低限の知識をもつ 案内板に注意し火山ガスの噴出する場所や近くの窪地などに近付かない 臭気を感じたり、咳き込んだり、気分が悪くなったら直に風通しのよい高い場所に移動する しかし、H2Sは高濃度になると臭気を感じなくなること、ガスの噴出が視認できない場合もあることなどから、決められたルートをはずれない など、自 らを守る努力により火山ガス災害はかなり予防できる。


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