航空機搬送による緊急医療支援の整備

北九州総合病院麻酔・集中治療科 井上徹英

(蘇生 13: 125-7, 1995)


  目 次

1、はじめに
2、スイス航空救助隊(REGA)
3、米国患老航空輸送機
4、日本における医療帰省システムの構築
5、おわりに


1、はじめに

 医療帰省をテーマとした第13回日本蘇生学会総会サテライトシンポジウムにシンポジ ストの1人として参加し、医療用航空機による患者搬送について自己の体験を中心に 述べた。以下はその内容である。


2、スイス航空救助隊(REGA)

 (1) 症例

 患者は32歳のスイス人男性で、平成6年3月に北九州市で行われたパラグラ イダープレ世界大会の参加選手の1人である。競技当日、八幡束区にある皿倉山山頂 から離陸した際にパラグライダーの右翼がうまく開かず、その修復に気をとられてい るうちに風に流され、山頂付近にあるテレビ塔に激突し、約8mの高さから地上に墜落 して受傷した。患者は万一の事故に備えて待機していた北九州市消防局のヘリコプタ ーで北九州空港に搬送され、北九州総合病院に収容された。

 病院収容時意識レペルは JCS200,GCS4であり、あえぎ呼吸の状態であった。直ちに気管内挿管を行った。頭部 CTでびまん性の小出血巣が見られたが、その他には明らかな頭蓋内血腫は見られず、 強い意識障害と考えあわせ、びまん性軸索損傷と診断した。右第2から第8肋骨の骨折 、気管内出血があり、右血気胸、右肺挫傷と診断した。

 頭部については保存的治療と し、胸部外傷に対して胸腔ドレナージと人工呼吸管理を行った。その後の検査で、AB Rは良好な反応を示したものの、SEPで脳幹部障害を示唆する所見が見られた。全経過 を通じて意識状態はほとんど改善なく、人工呼吸からの離脱を何度も試みたが、失調 性呼吸のため離脱することができなかった。

 (2) 搬送までの経緯

 受傷3日目にスイスから患者の母親と婚約者が来日し、彼女らに 対して病状説明を行ったところ、REGAに依頼してのスイスヘの移送を強く希望しれ病 態から現時点ですぐに移送するのは困難であり危険が多いことを説明し、了承を得る とともに、大阪のスイス領事館を通じてFAXでREGAに病状報告を行い、電話で打ち合 せを重ねた。その結果、時期を見て搬送に踏み切るということで合意を得た。

 搬送に あたってあらかじめREGAの医師から要望として出されたものは、気管切開を施行して おくこと、輸血で貧血を改善しておくということの二点であった。これは、移送の際 の気道確保をより確実なものにするということ、循環の安定を図ること、機内は気圧 が0.8となるため血液の酸素運搬能力を高めておくこと、などの理由による。

 最終的 に、受傷17日目の4月7日にREGAの医療用特別機でチューリッヒに移送することになり 、搬送前日にREGAの特別機が北九州空港に飛来した。なお、演者は同行を希望し、許 可された。

 (3) 搬送用特別機

 飛来したジェット機{Canadair CL606-3A、通称 "Challenger")は全長約 21m、最高速度 880 km/h、最大航続距離6200kmで、最大限6名の ストレッチャー患者を収容することができる。機内には、人工呼吸器(BEAR-33)、 パルスオキシメーター、心電モニター、非観血的・観血的動脈圧測定装置、輸液ポン プ、微量注入器、などが装備されておリ、薬剤をはじめとする種々の医療資材も搭載 されている。血液検査はできないが、機内であってもおおむねICUに準じた患者管理 を行うことができる。

 (4)搬 送

 今回飛来したREGAのチームは、パイロット3名、日本 人通訳1名、医師1名と看護婦2名の計7名で構成 されていた。病院から出る時点で患者はREGAの医療スタッフの管轄下におかれた。病 院から北九州空港まで北九州市消防局の高規格救急車で搬送し・機内に収容して人工 呼吸器をはじめとする種々の機器を装着した。なお、人工呼吸管理を容易にするため 、患者には筋弛緩剤と鎮静薬が投与された。

 飛行機は北九州空港を離陸した後、出国 手続のためいったん福岡空港に着陸し、その後ロシアのイルクーツクに向けて離陸し た。イルクーツクで燃料補給を行い、モスクワを経由し、北九州空港を離陸してから 約20時間後、現地時問で夜10時30分にチューリッヒ空港に到着した。空港には救急車 が待機しており、そのままチューリッヒ大学附属病院外傷ユニットに収容し担当医に 引き継ぎを行った。

 搬送中は看護婦が交代で病状の監視にあたり、体位交換も3時問 ごとに行われたが、機内に備え付けの酸素濃縮装置の異常により一時的に酸素飽和度 の低下をきたした以外、特に大きな問題は発生しなかった。

 (5)REGAについて

 REGA は国内外で緊急医療救助活動を行っているスイスの民問団体で、スイス国内に13ヵ所 の基地を擁し、15機のヘリコプターと3機の小型ジェット機を用いて活動している。R EGAの歴史は1940年代に遡ることができるが、スイス航空救助隊として独立したのは1 979年で、1982年以後はスイス赤十字との協力関係のもとに運用されている。REGAは 会員制をとっており、会員資格はスイス人もしくはスイス国内の居住者であることが 条件である。会員は約130万人で、これはスイス人口の約2割に相当する。年会費は1 人30スイスフラン(1スイスフランは約73円)だが、家族会員という制度もあり、そ の場合は1家族で70スイスフランである。REGAの年間活動資金はおよそ1億スイスフラ ンで、その50%は会費、35%が契約している保険会社からの支払い、残りは遺産寄付 などの寄付金でまかなわれている。国家からの補助金は一切受けていない。

 会員であ れば、REGAが出動した際の費用は全額REGAが負担する。しかしながら、常にヘリコプ ターや特別機を出動させるというわけではなく、緊急CALLに対してREGAのオペレーシ ョンセンターが適時判断を行っている。したがって、オペレーターは優れた判断能力 と語学力を必要とされ、厳しい選別と研修を受けている。

 REGA会員の国外からの医療帰省の場合は、医療スタッフが現地に赴き民問航空機で帰 省させるのが原則で、今回のように民問航空機では移送が困難と判断される場合に医 療用ジェット機が使用される。通常はまず医療スタッフが現地に民間航空機で赴き、 そこで判断がなされるとのことであるが、今回は例外的な判断がなされたようである 。

 REGAには常勤医が2名、短期契約の医師が10名以上いるが、その他、大学病院の麻 酔科などと医師派遣の契約がなされており、ヘリコプターやジェット機には必ず医師 が同乗するシステムをとっている。ちなみに、チューリッヒ大学附属病院の屋上には REGAのヘリとクルーが常駐しており、緊急CALLの際には医師を乗せてすぐに飛び立てる。


3、米国患老航空輸送機

 平成6年9月に米軍立川基地の患者搬送機を見学したが、この機は第九患者航空輸送部 隊に所属し、通称ナイチンゲールと呼ぱれている。

 患者搬送機としてはDC−9を用い ており、機内には50席ばかりの座席と数台のストレッチャー用のスペースが確保され 、ストレッチャーの場所にはそれぞれ酸素と吸引の配管が備わっている。大きな特徴 として、1.5m幅の特注のドアと折り畳み式のランプが装備されており、長さ10m角度 19度で地上に接地するようになっている。このため、車椅子患者はもとより、ストレ ッチャー患者の搬出入はきわめて容易である。

 米軍はこのような飛行機を計23機保有 しており、そのうち3機は日本を基地としている。日本に常駐しているDC−9は、日本 の米軍基地問やグアム島などとの問で、家族を含め米軍関係者の米軍病院受診のため の定期便として用いられている。人工呼吸器をはじめとする医療器具は通常は基地に 保管し、必要に応じて直ちに機内に装備できるシステムとなっている。

 なお、傷病者 が多い場合は、C−141などの大型軍用輸送機に医療用コンテナをそのまま積載して患 者の治療と移送を行うこともできるという。湾岸戦争の際は、現地の仮設病院に収容 した患者を、DC−9などの医療用機でし、いったんイタリアや西ドイツの医療施設に搬 送し、病状が落ち着いてから本国に帰省させている。

 米軍のナイチンゲール部隊は米 軍人もしくはその家族の医療のための部隊であるが、必要に応じて国外の傷病米国人 の医療搬送、さらに、もし日本政府から要請されれぱ集団災害の際の医療救助活動に も出動するというこ とである。


4、日本における医療帰省システムの構築

 (1) 理 念

 REGAの場合、その歴史を紹介した文書の中に、「The key to perfection in air rescue operations lies in the combination of idea1ism,state-of-the-art technology and total personal commitment」とあり、基本理念を赤十字の博愛主義においてい る。

 立川基地のナイチンゲール部隊の建物には「BEST CARE IN THE AIR」と大きな字で書 かれた看板が掲揚されている。

 こういった業務を遂行するためには多くの人間、複数 の組織の円滑な運携が必要であり、そのためには「理念の共有」が不可欠である。日 本の場合、理念の掲揚という面でいまだ明確なものがないように思われ、今後の課題 であろう。

 (2) オペレーションセンターの設置

 REGAはチューリッヒにオペレーショ ンセンターを持ち、24時問対応を行っている。情報はすべてここに集められ、独自の 通信網を持ち、スタッフに対する指示もここから出されるようになっている。米軍 立川基地にもオペレーションセンターがあり、トレーニングを受けた看護婦がオペレ ーターとして勤務し、管轄下の情報はすべてここに集められ指示が出される。

 REGAと 米軍では組織が全く異なるが、こういった情報集中部門は当然にして必要なものであ り、日本で組織作りをする場合に参考にすべきであろう。

 (3) 行 動

 REGAの歴史を紹 介した文書の冒頭には「At first no more than an idea」とある。今でこそこれだけの規 模と行動力を有した団体であるが、当然のことながら当初はゼロからの出発であり、 発展過程において一時は存 続が危ぶまれたこともある。REGAの、危機を克服する強い意志と行動力には学ぶこと が多い。

 米軍の行動力については述べるまでもないであろう。

 日本で、満足できる組 織を当初からつくろうとするのはそもそも無理な話である。とりあえず可能なことか ら現実に行動を起こしていかねばならないが、その意味で、このようなシンポジウム がもたれ、情報交換がなされるのは意義が大であると考えている。

 (4) 予 算

 実効性 のある活動をなすためには予算的裏づけは必須である。REGAの場合は、基本的に、そ のような組織を維持しようとする国民の自発的意志によって支えられている。米軍の 場合は全く異なり、国家予算に組み込まれた防衛費でまかなわれる。

 今回紹介したの は二つの組織にすぎないが、医療帰省を行う組織に関しては異なった形態のものがい くつか存在しており、日本の場合にどのような形が現実的であるかについては今後の 検討を要する。具体的には、REGAのようないわばNGOとして行う、まったく商業ぺ一 スで保険会社などとの特定の契約下に行う、企業群の支援下に行う、国家的プロジェ クトとして行う、あるいはそれらの組合せ、などが考えられる。


5、おわりに

 今回紹介したのは医療用特別機での搬送といういわぱ特殊なものであるが、どのよう な手段を用いるかはともかくとして、多くの邦人が海外で活動している以上、その医 療帰省システムの需要は非常に高いものと思われる。今後、医療従事者の責務の一つ として、この問題に取リ組んでいかねばならない。

 最後に、取材に快く応じて頂いた REGAおよびナイチンゲール部隊のスタッフの皆様にお礼を申し上げておきたい。


■全国救急医療関係者のペ−ジ/  救急医療メモ
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