救急救命士による気管挿管等の実施のための関係省令等の改正についての意見

救急医療メーリングリストemlより)

資料作成:2004年 2月16日、県立新居浜病院麻酔科 越智元郎


目次(+関連資料)


From: gochi@m.ehime-u.ac.jp
Date: Mon, 16 Feb 2004 01:00:44 +0900
To: kyumeishi@mhlw.go.jp
Subject: 救急救命士による気管挿管等の実施のための関係省令等の改正についての意見

【救急救命士による気管挿管等の実施のための関係省令等の改正についての意見】

〒100-8916東京都千代田区霞が関1−2−2
厚生労働省医政局指導課
救急救命士パブリックコメント担当者様
kyumeishi@mhlw.go.jp

 日ごとに春が近づく気配がいたしますが、厚生労働省医政局指導課の諸
先生方におかれましては、益々御清祥のこととお慶び申し上げます。

 さて、このたび募集をいただきました「救急救命士による気管挿管等の
実施のための関係省令等の改正についてのパブリックコメント」として以
下の意見を送付させていただきます。なにとぞご検討賜りたく、よろしく
お願い申し上げます。

平成16年2月16日
				〒792-0042 新居浜市本郷3丁目1番1号
   				県立新居浜病院麻酔科 医監部長 
				(東予救命救急センター副センター長)
							越智元郎
    			TEL 0897-43-6161, FAX 0897-41-2900
    			E-mail: gochi@m.ehime-u.ac.jp 

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 長く救急医療ならびに救急救命士教育にたずさわって来た者として、救
急救命士による気管挿管等の実施のための関係省令等の改正について意見
を述べさせていただきます。

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【意見の要約】:
 救急救命士による気管挿管等の実施は時期尚早である。現時点で関係省
令等の改正に踏み切ることは国民の利益につながらず、また国民に対する
信義にも反する。その理由として、1)病院外において救急救命士が気管挿
管を行うことによって生存退院できる心肺停止患者が増加するというデー
タを欠くこと、2)秋田市をはじめ各地で実施された救急救命士の違法挿管
に関して、関与した救急救命士、消防本部、指導医師、指導官庁などの責
任が明らかにされていない。この状態で救急救命士の気管挿管を許すこと
は、適応外の気管挿管(心肺停止状態でない患者への実施など)をはじめ、
新たな不法行為につながる恐れがある、3)救急救命士に気管挿管を実施す
るためには手術患者などでの訓練が欠かせないが、病院内での研修・訓練
に関して法的に整備されておらず、また指導に当たる麻酔科医師のマンパ
ワ−は全国的に非常に制限されている。4)救急救命士の特定行為拡大の前
提となる、メディカルコントロール体制の整備が不十分な地域が少なくな
い、5)わが国においては、世界的に著明な救命効果が認められている「早
期除細動体制」の整備が十分でないことなどが上げられる。今回は関係省
令等の改正を見送り、上記の諸問題の具体的な改善をみた上で再度検討す
るべきである。
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【本文】:

 結論を最初に書かせていただきますと、救急救命士による気管挿管等の
実施は時期尚早であります。現時点で関係省令等の改正に踏み切ることは
国民の利益につながらず、また国民に対する信義にも反することだと考え
ております。以下、その理由を述べさせていただきます。

1.救急救命士の気管挿管による救命効果

 平成13年度厚生科学研究「救急救命士による適切な気道確保に関する研
究班」は250編を超える世界の主要文献を詳細に検討し、救急隊員による気
管挿管が現在認められている「ラリンゲルマスク」などに比べ、院外心肺
停止事例全体の救命率を向上させたとの医学的根拠は存在しなかったと報
告しています(http://www.mhlw.go.jp/topics/2002/04/tp0419-1.html)。
同時に、救急隊員の誤った気管挿管処置に伴い致命的な合併症を招く例が
少なくないこと、特に小児例では救急隊員による気管挿管がかえって患者
転帰を悪化させるとする信頼性の高いデータが存在することなどを指摘し
ています。
 一方わが国においては、同様の研究を行うための統計的基盤すら整備さ
れていません。平成15年10月、総務省消防庁は「救急業務高度化推進検討
会報告書」(http://www.fdma.go.jp/html/new/pdf/0310_kyukyu.pdf)に
おいて、心肺停止例における諸情報を世界的な記載様式(ウツタイン様式、
http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/02/uts/j3uts0.html)に基づき全国的
に記録する方針を明かにしています。しかし、病院外救命活動を評価する
ための時間記録の起点となる「覚知時刻」がウツタイン様式とは異なった
基準で記載されています、また、現場到着時刻、最初の心電図記録の時刻
などが1分刻みの大まかな記録しか残されていないこと、最終転帰に関す
る情報が全国的に蓄積されていないことなどからも、ドクターカーで出動
した医師による病院外気管挿管の有効性を評価したり、今後の救急救命士
による気管挿管による影響を科学的に検証することは困難であると考えら
れます。
 このような段階において、気管挿管の有効性を示唆するという一部の不
十分なデータをもとに、救急救命士の気管挿管に踏み切ることは科学的裏
付けのある厚生行政とは言えないでしょう。また制度改変後のデータ蓄積
と分析のための体制を現段階から整備してゆく必要があります。数百兆円
を超える赤字を抱えるわが国において、気管挿管に関する救急救命士教育
に新たに多大な人材と費用をかけ、しかも患者転帰に改善が予想し難いと
すれば、財政的観点からも許容できないのです。

2.救急救命士ならびに指導医師のモラルの問題

 平成13年11月、秋田県の救急救命士が法で許されていない気管挿管を常
態的に実施していたことが明かとなりました。続いて他の幾つか地域にお
ける違法挿管問題が表面化しましたが、われわれ救急医療関係者の間では
以前より、全国各地で同様の挿管行為が行われていたことが知られていま
した。このことは単に救急救命士のみに責任があるのではなく、指導医師
の側でも救急救命士法についての理解不足や遵法精神の鈍化について責任
を負うべき現象でした(ある救急関連医学会において座長が「救急救命士
に気管挿管が許されていないのは知らなかった」と発言した例すらありま
す)。
 その渦中にあった秋田市消防本部はこれまでわが国の病院外救護のモデ
ルとして、関係者の目標となってきました。秋田市における市民への心肺
蘇生法指導活動や救急隊員への生涯教育の充実は、彼らの救急医療への熱
意が気管挿管という違法行為への勇み足を生んだと推察させるものです。
しかしこのような違法行為が明らかになったのに対し、救急救命士や指導
医師の資格停止(一定期間の)あるいは減俸などの相応の処罰なしに幕を
引くとすれば、消防本部や指導官庁の責任問題を含め、処分不徹底の批判
は免れません。
 救急救命士に気管挿管を許可せよという要望やそれが実現しないことに
対する関係者の焦燥感はその救命効果よりも、ある意味で海外で許されて
いるのにという「比較論」が基になって来ました。今回の違法行為を不問
のまま特定行為の範囲を拡大した場合、将来の救急救命士もまた海外のパ
ラメディクのように患者に有益な医療行為のほとんどを病院外で実施した
いと望み、「法か人命か」と悩みながら、(例えば)呼吸停止が迫った患
者に気管挿管を行い、医師の指示を受けるより先にエピネフリンの投与を
行うといった違法行為が再現されるのではないかと懸念されます。

3.気管挿管に関する救急救命士の研修体制

a)救急救命士の病院内研修に関する法的問題
 救急救命士が現場で安全に気管挿管処置を実施するためには訓練用人形
などでの研修に加え、実際に手術患者などで挿管処置を経験させることが
欠かせません。但し救急救命士が気管挿管やラリンゲルマスク挿入、静脈
路確保などの特定行為を行うことは、法律的には心肺停止患者の搬送に際
して行うことしか許されていません。私共はこれらの行為を院内の心停止
でない患者において、患者の承諾のもとに「研修として」実施することは
合法的だと考えてきました。しかし、平成15年3月のいわゆる市立札幌病院
歯科医師の医科研修問題の一審判決
(http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/03/n5-hanketu.htm)において、本来
法的に許されていない行為を反復継続して行うことは例え「研修として」
行うのであっても、医師法に違反するとの判決が下されました。そして医
師でない者が医療行為の研修を行うには新たな法的整備が必要との司法判
断が出ています。この問題については第二審で係争中ではありますが、医
師でない者の病院実習に関する唯一の判例が違法判断であったことは軽視
できません。判決で述べられているように、まず「研修法」といった形で
法的な整備を進めるべきではないでしょうか。

b)救急救命士の病院内研修の受け皿となる麻酔科の態勢
 平成13年1月、日本麻酔科学会は「救急救命士気管挿管実習受託受入に伴
う取扱規則」と「病院(手術室)実習ガイドライン」の案を発表しました。
気管挿管の訓練は麻酔科専門医によって安全に実施される必要があり、同
学会は気管挿管訓練の社会的な重要性を重視して全面的に協力する方針で
す。しかし私共、現場の麻酔科医にとって、現在の麻酔業務(救急集中治
療を含む)に加えて、患者に事前説明を行い、救急救命士1名あたり30例
を超える挿管実習を行うことは非常に大きな負担です。近年、外科手術の
進歩に伴い侵襲の大きな長時間手術が増加の一途にあり、また救急集中治
療の分野にも麻酔科医の業務が拡大されています。これらのことから麻酔
科医師のマンパワーの不足は全国的な問題となっており、救急救命士の挿
管訓練を支え切れるかどうかは非常に懸念される所です。
 平成10年3月の「救急救命士の病院内実習検討委員会報告書」において、
救急救命士が生涯教育のための病院実習を行うことが推奨され、ラリンゲ
ルマスク挿入、静脈路確保などの医行為を医師の指導のもとに実施するこ
とが求められています。しかし平成14年5月の第3回中国四国救友会報告書
(http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/02/m5chusi2.htm)にみるように、
生涯教育としての病院実習が実現していない消防本部はかなりの数に上り、
実施できた場合でもその日数は少なく、しばしば見学を中心とした研修に
とどめざるを得ませんでした。その主な理由が手術室における救急救命士
研修の担い手である麻酔科医の、業務繁多と無関心にあったと考えられま
す。今回予定されている気管挿管のための研修はこれまでの生涯教育のた
めの研修の延長線上にありますが、さらにその何倍もの労力が必要となり
ます。また、平成16年より全国で開始される研修医のスーパーローテート
研修においても、麻酔科は必修の研修部門の一つとなっています。このよ
うな状況において、全国の主要研修施設の麻酔科が救急救命士の研修のた
めの十分な人手を確保できるかどうか危惧されます。

c)手術患者の研修協力について
 平成14年に日本麻酔科学会と厚生労働省が行った調査によると、入院中
の患者約2000人のうち、一般に救急救命士が医師の指導のもとに気管挿管
を行うとすればこれに協力すると答えた者が38%、抵抗あるが協力すると
答えた者は40%を占めていました。患者の80%近くが救急救命士の挿管を
容認しているとする本データは厚生労働省がこれを推進する一つの根拠に
なっています。しかし、回答者が実際に救急救命士の挿管を受ける対象で
ないこと、また患者の無事を患者以上に願う傾向にある家族の了承をも得
る必要があることを考えれば、手術患者から救急救命士の気管挿管の許可
を得る作業はかなり困難なものになると予想されます。
 同時に、250の医療施設の長に対するアンケート調査が行われていますが、
救急救命士の気管挿管研修を受け入れると答えた施設が20%、条件付きで
受け入れると答えた施設が54%を占めていました。この研修受け入れの条
件としては行政との正式契約、医療訴訟発生時の全面的保証、実習を行う
ことに関する国民への啓発、予算処置などが強く求められています。しか
し気管挿管の実習に関する国民への啓発に関しては、現在まで厚生労働省
や総務省消防庁の動きは全く耳に入っていません。移植カードや骨髄移植
に関するものと同様の公的なキャンペーンが必要ではないでしょうか。

4.メディカルコントロールの整備について

 メディカルコントロール体制の確立が救急救命士の業務拡大の前提であ
ることは平成14年10月の「救急救命士の業務のあり方等に関する検討会報
告書」(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/12/s1211-5.html)をはじめ
として、繰り返し述べられて来ました。そして心肺機能停止患者などへの
救急隊活動に対する、検証票を用いた事後検証等のシステムを整備するこ
とが急務とされています。しかしその受け皿となる各地域のメディカルコ
ントロール協議会は全国的にみて立ち上げから日が浅く、平成16年2月の段
階で1枚の検証票も作成されていない地域も少なからず存在すると聞いて
います。このような段階では救急命士による気管挿管の推進は拙速であり、
まずは「前提」としてのメディカルコントロール体制の確立に向けて努力
を傾注すべきでしょう。

5.早期除細動体制の整備について

 蘇生医学の専門家の世界的な合意として、心室細動・無脈性心室頻拍の
患者に対する自動式除細動器(AED)を用いた除細動(当然、医師の具体的
指示や同時進行性の指導なしに実施するもの)は人工呼吸(呼気吹き込み
式あるいはバックバルブマスクなどによる)や胸骨圧迫式心臓マッサ−ジ
などと同様、訓練を受けた市民が安全に実施できる一次救命処置に分類さ
れています。また、医師や救急救命士以外の人々による除細動は病院外心
肺停止患者を重篤な神経学的後遺症なしに救命する上で、きわめて有用で
す。わが国においても、消防士や警察官、スポーツインストラクターなど
心肺停止患者に遭遇する可能性のある職種、あるいは重篤な心疾患を有す
る家族を持つ市民などがAEDを用いた除細動を実施できる体制を整備する
価値があります。その第一歩として、歯科医師、看護師、標準課程修了後
の救急隊員などにAEDを用いた除細動を含む一次救命処置の訓練を広範に実
施し、救急救命士や医師が到着するまでに除細動を実施できるように早期
除細動体制の裾野を広げることは救急救命士への気管挿管訓練以上に有望
な選択肢でないでしょうか。国民の生命を守ることを目的として費用対効
果比を考えれば、救急救命士の気管挿管を最優先の課題と考えることはで
きません。


 以上のような理由から、救急救命士による気管挿管等の実施のための関
係省令等の改正は時期尚早と考えるものです。


 稿を終えるに当たり、長文をお読みいただきましたことを厚く御礼申し
上げます。また末筆ではございますが、厚生労働省医政局指導課の諸先生
方の益々の御発展を御祈り申し上げます。

          【厚生労働省のまとめ】

                      厚生労働省ホームページより

救急救命士による気管挿管等の実施のための関係省令等の改正についての
パブリックコメントについて

                           平成16年3月
                   文部科学省高等教育局医学教育課
                   厚生労働省医政局指導課
(中略)
〇 救急救命士養成所学校指定規則(平成3年文部省・厚生省令第2号)の
一部改正について(文部科学省・厚生労働省)
 
意見1 賛成である。(個人)

意見2 全国救急救命士教育施設協議会所属の養成所においては、公開済み
の救急救命士国家試験のあり方等に関する検討会における検討内容を受けて、
現段階で既に教育内容の変更の準備を行っており、また、学期の途中での変
更は困難であるため、養成所の学期の開始に合わせて、平成16年4月1日
より施行していただきたい。(全国救急救命士教育施設協議会)

回答 貴見を踏まえて、施行日を改め、平成16年4月1日を目処とするこ
ととし、現時点で既に指定を受けている養成所等については、一定の猶予期
間を必要とするものもあると考えられることから、3ヶ月程度の猶予期間を
設けることといたします。

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〇 「救急救命士法施行規則第21条第3号の規定に基づき厚生労働大臣の
指定する器具(平成4年厚生省告示第18号)」の改正について(厚生労働
省)

意見1 賛成である(個人)

意見2 救急搬送中に救急救命士が気管挿管を行うことによって生存退院で
きる心肺停止患者が増加するデータがないこと、秋田市をはじめとする救急
救命士の違法挿管についての責任があきらかにされていないこと、救急救命
士の気管挿管に係る研修体制が未整備であること、メディカルコントロール
体制の整備が十分でないこと等により、救急救命士による気管挿管の実施は
時期尚早である。(救急医療関係医師)

回答 平成14年12月に取りまとめられた「救急救命士の業務のあり方等
に関する検討会」報告書では、「気管挿管でなければ気道確保が困難な事例
も一部存在することから、医師の具体的指示に基づき救急救命士が気管挿管
を実施することを限定的に認める必要がある」とされており、メディカルコ
ントロール体制の確立を前提とし、地域における医療関係者の幅広い参画と
協力が得られる地域において、必要な専門的知識・技能を習得した救急救命
士が医師の具体的指示下による気管挿管を実施することとしたものです。
 なお、秋田市など一部地域において救急救命士による気管挿管が行われて
いた件に関しては、同報告書にもあるように、「病院実習、搬送記録、医療
機関の監視・指導体制などに関して問題点が指摘されている」ことを踏まえ、
「制度の適切な運用や関係職種間の信頼関係の再構築等を図って行く必要が
ある」と考えています。


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