市立札幌病院医科研修問題 【最終弁論】(3)


第4章 違法性阻却事由について(可罰的違法性がないこと)


 1.本件各行為には可罰的違法性あるいは実質的違法性がない。

 仮に,本件各行為が,形式的には医師法17条に該当すると考える場合においても,(1)その目的が社会的に正当なもので,そのことに社会的価値を認めることができ,(2)その手段が相当であって,(3)侵害される法益に優先する法益が認められ,(4)そのことに必要性と緊急性が認められる場合には,可罰的違法性あるいは実質的違法性がなく違法性は阻却されるというべきである(前田雅英 刑法総論講義)。

 2.本件歯科医師による医科救急研修が国民の健康と安全の確保という社会的に正当な目的を有しており,そのことに社会的価値を認めることができることについてはこれまでに述べてきたとおりである。

 3.本件歯科医師が研修として行った各医行為が,歯科医療の現場において不可欠な知識・技術の修得に必要な医行為に限定され,かつ,患者の安全に十分配慮された状況下で行われていることから,その手段も相当である。

 4.また,上記のように患者の安全に配慮された状況で行われていることから,本件各医行為によって患者の生命身体を害することは考えられず,実際に何の事故も起こっていない。その意味で本件研修によって具体的に侵害される法益はないか極めて少なく,他方,これにより,緊急事態に対処するための歯科医師の知識・技術の向上により,国民の健康と安全が確保されるというより大きな法益の実現が期待される。

 5.加えて,急速な高齢化や医療の進歩という社会状況の変化によって,歯科医師による医科救急研修が急務となっているにもかかわらず,国民の生命・健康を維持増進する責務を負っている厚生労働省をはじめとする監督官庁は何の対応もして来なかった。むしろ,これら監督官庁が専ら歯科医師や受入医療機関の自主的努力に任せていた状況下では,本件のような救急研修は必要であり,かつ,緊急性を有していたのである。

 6. 以上の理由から,本件救急研修は可罰的違法性あるいは実質的違法性がなく,公訴事実記載の各行為は,いずれも違法性が阻却されるというべきである。


第5章 違法性の意識を持ち得る事実の認識がない,あるいは違法性の意識の可能性がない


 第1 本件について被告人には違法性の意識の可能性がなかったこと

 1. 万一,本件各行為が医師法17条に該当し,しかも違法であると判断された場合でも,これまでに述べた事実関係からすれば,被告人には,違法の意識を持ち得るだけの事実の認識ないし違法性の意識の可能性がなかった。

 2. すなわち,本件歯科医師による救急研修は,患者の全身管理ならびに緊急対応のための知識・技術を身に付けることなしに歯科治療を行うことができなくなっている時代背景に基づき,これらを身に付けることを目的として行われたものである。このような研修は、国民の健康と安全を守る上で必要不可欠であって,まさに社会的正当行為であり歯科医師に課せられた義務だったのである(第1章第1参照)。

 3.このことは、本件研修以前から,世界的には当然のことと受け止められていたし,日本においても歯科口腔外科学会を中心として医療界全体に広く認められてきた。北大歯学部においても,同様の認識の下に教授が中心となって患者の全身管理ならびに緊急救急のための知識・技術を身に付けた歯科医師の育成に努めてきた(同上)。

 4.本件救急研修は,このような流れを受け,偶々,市立札幌病院に歯科口腔外科が新設されたことに伴い,北大歯学部の申し入れにより開始されたものである。すなわち,本件研修もまた国民の要請に基づくものであり,歯科医師に課せられた義務の履行であった(同上)。

 5.しかも,医科における歯科医師の救急研修はこれが初めてではなく,既に全国の多くの歯科医師が多くの医科医療機関で救急研修を受けていた(前記アンケート並びに朝日新聞の報道)。しかも,本件研修開始前において,これら研修に対し厚生労働省その他監督官庁から是正を求められたことはなく,問題があると指摘されたことも全くなかった。

 6.むしろ,厚生労働省は,本件事件後間もなく歯科医師の麻酔科研修を正式に認めており,救急研修についても近々認めるべく作業中である。このように,当時より,時代の流れは,歯科医師の医科麻酔科並びに救急部における研修を容 認する方向にあった。

 7.市立札幌病院レジデント教育委員会もまた,このような実情と時代の流れを受けて本件各歯科医師レジデントの受入れを承認し,麻酔科・救急部のローテーションを認めていたことは第3章第2において詳しく述べたとおりである。

 8.このような状況下で,一人被告人だけが,歯科医師の救急研修は違法であるとの認識を持つことの方が不自然であり,違法性の意識は全くなかったと考え るのが合理的である。

 9.判例は,事実の認識があれば違法性の意識の有無を問うことなく故意責任を問い得ると考えるものが多い(最高裁昭和23年7月14日刑集2・8・889等)。しかし,構成要件事実は認識していたが,そのことが違法であるという意識はなく,しかも,一般人をしてもそのような意識を持つことが期待できないような場合にまで,なお故意ありとして処罰するのはあまりにも必罰的で常識に反し不当である。判例が述べる「事実の認識」の中には,前述の事実の外に「一 般人が違法の意識を持ち得るだけの事実」も含まれていると考えるべきである。

 10.本件研修当時において,被告人には,歯科医師が医師免許を有しないこと,歯科医師が研修として医科領域の患者に行った各行為を本来の業務として行うことは医師法に反し許されないことについての認識はあった。しかし,同時に,本件研修は前述2ないし8で述べたような社会背景と実情に基づくものであり,このような状況下では,本件研修が社会的に認められない違法な行為であると意識することは期待できないと言うべきであり,被告人もそのような意識を持つ可能性はなかったと言うべきべきである。

 11.よって,本件各行為について,被告人に故意を認めることはできない。


 第2 当直表について

 1、センターの医師であった・・・(以下「・・」という。)が・・・・の名前を記載しない当直表を病院に提出した経緯は次のとおりである。

(1)・・が担当医となった患者の遺族からクレームがあったことから、被告人らセンターの上級医師は、平成12年7月ころ、大橋副院長に呼ばれ、「余り目立つようなことはするなよ」と言われた(第12回公判の被告人の供述調書18頁)。

(2)被告人らは、大橋副院長の発言を、目立たないように歯科医師レジデントのセンターでの研修を継続しろという趣旨であると理解し、その後の年寄り会議で同年8月からのセンターでの研修を予定していた・・・・を当直のファーストに付けないを決めた(第12回公判の被告人の供述調書20頁)。

(3)・・は、平成12年7月ころセンターにおける当直表の作成を担当していたが、同人の判断で・・・・の名前を当直に載せない当直表を作成し、これを病院に提出した(第12回公判の被告人の供述調書20頁、第4回公判の・・・の尋問調書13頁)。

(4)平成12年910月ころに、・・から・・・医師にセンターの当直表作成の担当者が変更したが、・・は、・・・・の名前を当直医として載せた当直表を病院に提出した(第12回公判の被告人の供述調書21頁、甲69・・・・の検察官調書添付の当直割当表)。


 2、以上のとおり、・・の名前を当直医として載せない当直表を作成し、これを病院に提出したのは、・・の判断によるものであり、被告人の指示ではない。

 仮に、被告人が歯科医師レジデントのセンターでの研修について違法性の意識を有していたのであれば、・・に対しても・・・・の名前を載せない当直表を作成するよう指示したはずである。

 ところが、当直表の作成担当者が・・に変わった以降、当直表には・・・・の名前が当直医として記載されているのであるから、同人の名前を載せない当直表を作成したのは・・の判断によるものであることは明らかである。

 したがって、上記当直表が作成され病院に提出されたことをもって、被告人が違法性の意識を有していたと認めることはできない。

 3、・・証言の信用性

(1)これに対して、検察官は、・・が・・・・の名前を載せない当直表を作成したのは、被告人の指示によるものであり、自らの判断で当直表を作成した旨の・・の公判供述を信用できないと主張する。

 しかし、・・の公判供述は以下のとおり信用できるのであり、検察官の上記主張は認められない。

(2)・・証言の検討

 イ、検察官は、被告人が救急医療の世界において、重鎮的存在であり、しかも病院関係者らが傍聴する中では真相を語る事は困難であると述べているが、これは単なる推測にすぎない。

 真相を語っていないと主張するための裏付けは何もない。

 加えて、検察官は、「その重鎮の前で、被告人に有利な話をしにくいと言った事実があるんじゃないんですか」と質問した際、証人は、「うん。その、有利、不利・・・ そうですね。余りそういうの、ないです」と明確に否定している(第4回公判の・・・の尋問調書41頁)。

 むしろ、検察官の面前での供述は、被疑者扱いをされて緊張しており、早く取り調べを切り上げたいという気持ちをもっていたことから(同調書46頁)、検察官に迎合的な話をしていたことが強く窺われるところである。

 ロ、しかも、ぽつりぽつり答える面はあったが、これは答えにくかったのではなく、宣誓した証人が慎重に正確な証言している姿勢であったのであり、その証言は正確なものであることは明らかである。

 ハ、また、法廷での証言も時間を経過した事実を聞かれていたのであるが、検察官の面前においても「3年・・・4年近く前ですね」(同調書46頁)というほど昔のことを聞かれており、記憶の希薄化については法廷における場合と何ら変わりはない。

 ニ、むしろ、検察官が同人を証人として申請し、法廷で証言させる前には、検察官は証人チェックをしているのであって、法廷で証言する前に記憶を喚起され、証言も整理されているのであって、記憶喚起や整理された証言をするのは困難だとする検察官の主張は全く事実に反している。

 ホ、これに対して、同証人は、検察官の面前の供述調書について、早く切り上げたいという気持ちから、「注意深く読んでいないんだと思います」(同調書40頁)という程度のもので、検察官の尋問に対しても、「ある程度、作文されたと思います」と明言しており(同調書41頁)、全く信用できないことは明らかである。


第6章 被告人と各歯科医師レジデントとの間に共謀が認められないこと


第1 検察官の主張

 1.共謀の成否に関する検察官の主張は,要するに,1)被告人が平成8年10月ころの管理職会議において,歯科医師レジデントを医師レジデントと区別することなく研修させるよう指示していること,2)これに従ってセンターの医師たちが歯科医師レジデントに医行為をさせていること,3)当直表作成担当者に歯科医師レジデントを記載させないようにしつつも,実際には歯科医師レジデントにファーストやセカンドを担当させていたこと,4)センターで行われるカンファレンスで歯科医師レジデントが担当する患者の治療内容の報告をうけていたことなどに照らし,被告人は,歯科医師レジデントに医行為をさせるようセンター医師たちに指示し,歯科医師レジデントが医行為を行っていることを認識・認容していたから,被告人と歯科医師レジデントとの間に共謀が成立するというものである。しかし,このような事前の指示及び事後の認識・認容のみをもって共謀が成立するといえないことはこれまでの判例からみても明らかである。

 2.本件においては,被告人の平成8年10月ころの認識としては,センターでの研修を希望する歯科医師レジデントを受け入れた場合,研修としてセンターが関与する患者一般に対して医師レジデントと同様に上級医の指導監督の下に研修として医行為をするというものであった(第11回公判の被告人の供述調書12ないし14頁)。また,歯科医師レジデントらの,センターに配属された当時の認識としては,センターが関与する患者一般に対して研修として上級医の指示のもとで医行為をするというものであった(第5回公判の・・・・の尋問調書3頁,第8回公判の小堀善則の尋問調書17頁,第9回公判の・・・・の尋問調書20頁,第9回公判の・・・・の尋問調書1ないし5頁)。被告人も歯科医師レジデントらも,歯科医師レジデントが,センターが関与する患者に対して医行為を行うという一般的・抽象的な認識があったのみで,この認識ですら,被告人と3名の歯科医師レジデントとの間で直接話し合われたことすらなかったのである。

 3.問題は,この程度の抽象的な共通の認識,すなわち不特定の患者一般に対して,不特定の医行為を行うかもしれないという認識を共有していたことをもって本件起訴事実の具体的な各医行為について,共謀があったといえるかが,本件における共謀の成否を決定するところである。しかし,次頁に述べる通り,判例の共謀共同正犯の判示によるならば,この程度の認識の共有では共謀は成立しないものと解する他ないのである。


第2 判例

 1.共謀共同正犯における「共謀」が成立するためにはどの程度具体的な内容である必要があるかについて,先例となる昭和33年5月28日最高裁判所大法廷判決は次のように判示している。「謀議の行われた日時,場所またはその内容の詳細,すなわち実行の方法,各人の行為の分担役割等についていちいち具体的に判示することを要するものではない」が,「特定の犯罪を行うため,共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用し各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし,よって犯罪を実行した事実が認められなければならない」としている。そして,「そこに述べられているような『関係において共謀に参加した事実が認められる』のでなければ共謀共同正犯とはいえない旨を言外に示している」と評価されている(注釈刑法(2)のU750頁)。

 2.確かに共謀は犯罪行為についての微細な点に至るまで明確に,かつ,特定して行われることを要しないとされているが(大審院昭和18年3月2日判決,仙台高裁秋田支部昭和29年5月11日判決 高等裁判所刑事裁判特報36号94頁),いずれも具体的な犯行については共謀されている必要があるのであって,単に他人の犯行を認識していただけでは共謀があったものとはいえないのである(最高裁昭和24年2月8日判決 刑集3巻2号113頁)

 3.例えば,名古屋地裁平成4年7月27日判決(いわゆる戸塚ヨットスクール事件第1審判決)において,「被告人戸塚は,戸塚ヨットスクールを営む会社の経営者であるとともに,スクールの校長として,業務全般を統括し,その他の被告人らは,それぞれが,戸塚ヨットスクールのコーチとして採用され,現実の運営にあたっていた者であり,いずれもが,個々の訓練生を治療,教育するという目的のもとに,他のコーチらが加える体罰を認識,認容し,自らも体罰を加えていたものであり,訓練及び合宿生活の維持管理をするにあたり,殴打,足蹴りなど有形力の行使による体罰を加えることについて,被告人戸塚を含むコーチら相互の間に,協力し,共同して行うとの基本的な合意が形成されていたことが認められる。しかし,弁護人らが指摘するように,この合意自体は,特別合宿生として入校する者に対する一般的なものであり,特別合宿生の入校を決定する前の段階では,未だ特定の犯罪を行うための謀議ではなく,言わば,謀議成立の基礎となるに過ぎないものであり,共謀の成立は個々の犯罪の構成要件との関係で認定するべき」と判示している。

 4.上記判決が判示するところによれば,ヨットスクールの経営者兼業務の統括者としての首謀者と現実の運営にあたるコーチとの間で,これから入校してくるであろう特別合宿生一般に対して有形力の行使による体罰を加えるというシステムについて,またそのシステムにのっとった運営をすることについて特別合宿生の入校前に合意があったとしても,その合意は,特定の犯罪を行うための謀議,つまり共謀にあたらないとしているのである。すなわち,特別合宿生の入校が決定し,首謀者及びコーチらがその入校してくる特別合宿生を認識し,これに対して殴打等の有形力を行使することを認識,認容する意思を相互に通じた段階で初めて共謀が成立すると判断しているのである。しかも,この判例は首謀者とコーチの間に明示の意思の合致があった事例である。


第3 本件について

 1.ところで,本件は被告人と歯科医師レジデントとの間には,具体的な起訴状記載の各医行為をすることについて明示の意思の合致が存在しない。したがって,各医行為についての「合意」がそもそもなかったのであるから,「謀議成立の基礎」すらなかったのであるから,共謀共同正犯とすらいえない。

 2.仮に,黙示に共通の認識を共有する事実をもって「合意」があったといえるとしても,前掲判例に従えば,共謀が成立したといえるためには,被告人と各歯科医師レジデントが,具体的に本件各患者を認識し,これに対し起訴状記載の具体的な各医行為を行うことを認識,認容する意思を相互に通じなければならないはずである。本件において被告人は,センターで歯科医師レジデントを受け入れるにあたっては,歯科医師レジデントを医師レジデントと区別することなく扱うことを指示したというだけであって,歯科医師レジデントがセンターに搬入されてくる患者等に対して医行為を行うことの一般的・抽象的認識を有していたにすぎない。したがって,この点においても共謀共同正犯が成立するために必要な具体的な犯罪行為の共謀は全くなかったのである。

 3.他方,検察官主張のように,センターの医師たちが歯科医師レジデントに医行為をさせたり,ファーストやセカンドを担当させたりしていたことを持って共謀共同正犯といえるという点についても否定せざるを得ない。起訴の対象となっている各患者に対する歯科医師レジデントの各行為について,被告人には,当該患者が歯科医師レジデントの医行為の対象となることの認識は全くなかったからである。本件各患者が,センターが関与する者となった時点(センターに搬入されたりまたはドクターカーにのせられたりした時点,あるいは抜管行為や腹部触診等の行為をした時点)で,歯科医師レジデントが当該患者に対して医行為を行うこととなる。

 前掲の判例の基準に従うと,当該患者がセンターに搬入されたあるいはドクターカーにのせられ,センターが関与する患者となったのち,歯科医師レジデントのみならず被告人も,当該患者をセンター関与の患者であると認識した場合にはじめて,患者に対し歯科医師レジデントが医行為を行うことを認識,認容する意思を相互に通じたといえ共謀が成立することになるから,当該各患者が歯科医師レジデントの医行為の対象となることの認識を全く持っていなかった本件においては被告人と歯科医師レジデントとの間に共謀は全くみとめられないのである。

 4.さらに,検察官は,定期的に開催されるカンファレンスにおいて歯科医師レジデント担当患者の診療内容についても報告を受けていたことから認識・認容が認められると主張している。

 しかし,被告人は,患者の具体的な治療方針を決めるチームカンファレンスにはメンバーとして入っていた時期もあるが,起訴の対象となっている歯科医師レジデントとは同じチームになっていたことはなく(第9回公判の・・・・の尋問調書20頁,第9回公判の・・・・の尋問調書2,3頁,第5回公判の・・・・の尋問調書4頁),起訴状記載の具体的な各医行為について被告人が報告を受けたことはないのである。この点において,検察官は事実を誤って主張していると言わざるを得ない。

 また,朝のカンファレンスには被告人も参加しているが,これは,前日搬入された患者の報告のみで具体的治療方針などの報告はない(第9回公判の・・・・の尋問調書19,20頁)。さらに,ICUカンファレンスは全体の患者の検討会ではあるが,患者の病状把握と大きな治療方針を討議するのみである(第9回公判の・・・・の尋問調書20,21頁)。従って,朝のカンファレンスとICUカンファレンスにおいては,検察官主張のように被告人は,歯科医師レジデントの行った具体的な行為について,報告を受けることはないのである。

 よって,被告人が事後的にも各歯科医師レジデントの行為を認容していたという事実も全く認められない。


第4 小括

 以上のとおりであって,被告人と各歯科医師レジデントの間には本件起訴状記載の各行為につき,共謀の事実は認められず,被告人に共謀共同正犯が成立することはない。


第7章 公訴権濫用


 1.検察官は公訴を提起し(刑訴法247条),公訴を行うか否かについて,極めて広い裁量権を有している(刑訴法248条)。

 これは,我が国の捜査機関の高水準と国民性,社会的,文化的伝統に沿った検察権の運用の合理性を示すものである。公訴とは,社会秩序から見て起訴の是非を,一般予防の効果,制度の改善,国民の納得などを十分に検討して判断すべきものなのである。したがって,あまりに偏頗不公平な起訴は法的正義に著しく反するものとして公訴権を濫用したものと理解され,判決においても公訴棄却とされる場合がある。

 2.このことは,東京高裁昭和52年6月14日判決(いわゆるチッソ川本事件判決高刑集30巻3号341頁)で示されている。これは,形式的には水俣病患者によるチッソ株式会社の従業員に対する傷害事件であったが,水俣病被害の補償交渉の経緯とその間の刑事訴追の有無等を認定して「被告人に対する訴追は,いかにも偏頗,不公平であり,これを是認することは法的正義に著しく反」するとして「訴追裁量の濫用に当たる」として公訴棄却とされた判決である。

 3.本件においては,前述した通り,歯科医師の救急研修の意義と必要性は高く,札幌市立病院救急救命センターのみならず全国的にも実施されていた。

 さらには,歯科医師が医学部の麻酔科医として文部教官に採用され医科の患者に対し医行為を行っている例すら存在していたのである(第11回公判の山崎圭の尋問調書19頁)。

 そのような流れの中で,本件歯科医師レジデントは,前述したようにレジデント教育委員会の審議を経て正式に採用されていたのである。また被告人は歯科医師のレジデントとしての雇用については直接責任者でもない。さらに,起訴事実については被告人は具体的個別的には全く関与していない。このような中間管理職にすぎない被告人を起訴の対象としたのは単にいけにえを必要として起訴したに等しく,本件起訴は極めて偏頗,不公平である。

 しかも,歯科医師レジデントの救急研修のあり方について,事前に是正の勧告を受けながら改善しなかったなどの事実はなかった。

 その上,前述の通り全国で救急研修が実施されていながら厚生労働省は全くガイドラインの策定を放置し,現状の把握すらしていなかったと放言している中の出来事であった(第6回公判の中島正治の尋問調書45頁)。

 加えて,本件捜査終了時においては,検察官は罰金2万円の略式起訴でお茶を濁そうとすらしていた有様であった。

 現在,厚生労働省は,現場の担当者一名,すなわち被告人がを訴追されていることを横目で見ながら,歯科医師の救急研修のガイドラインを策定中である(第6回公判の中島正治の尋問調書22頁)。

 要するに厚生労働省は,歯科医師の救急研修の必要性があることを認め,本件を契機として慌てて,ガイドラインを作成し,自らの怠慢を隠蔽しようとしており,その態度は,著しく不当である。

 4.このような全国的な救急研修の実体,ガイドライン策定の放置を考え,厚生労働省の怠慢,本件に関する捜査・訴追までの経過を鑑みるとき「被告人に対する起訴はいかにも偏頗,不公平であり,これを放置することは法的正義に著しく反する」といわざるを得ない。

 しかも,全国のほかの研修例や文部教官の例を放置しながら,検察官は被告人のみを狙い打ちにし起訴したものであって,そこには被告人に対する悪意すら感じられるところであって,本件には不当起訴の故意又は重大な過失が認められ,訴追裁量の濫用といわざるを得ない。

 よって,本件起訴そのものが公訴権の濫用として公訴棄却されるべきである。


第8章 医師法17条自体が憲法31条に違反している

 1.憲法31条は「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪われ,又はその他の刑罰を科せられない」ことを規定している。憲法31条は,法律に基づいた適正手続を要求している規定である。その実体的内容としては,科刑する場合の手続は「法律」で定められなければならず,手続そのものが「適正」なものであることが要請される。刑罰は最も強力な法的制裁であり,刑事手続においては身柄の拘束など,さまざまな人権制約的手段が用いられることに照らすと,刑事手続は最も慎重で,最も適正であると考えられるものが要請されるからである。そして,実体の法定において最も重要であるのは,犯罪の構成要件が明確であること,すなわち明確性の要請である。そうでなければ,科刑される国民としては予測困難となり行動の自由が制約されてしまうからである。

 2.ところで,本件で問題となった医師法第31条1項1号は,医師法第17条の規定に違反した者を処罰する規定であるところ,医師法第17条は「医師でなければ,医業をしてはならない」と規定している。同条が,無免許医業につき厳格な法的規制をしている最大の理由は,「医療行為」は一般に医師の専門的知識及び技能を持って行うのでなければ人体に危害を生ずるおそれがあることから,医師のみに医療行為を行うことを認め,医師の免許制度により医療行為を行う者の専門的知識及び技能を公認し,国民衛生上の安全を期することにある。そして,医師でない者が医療行為を業として行う場合の危険を未然に防止することが無免許医業の罪の処罰根拠であるとされる。とすれば,国民衛生上の安全を損なうことのない行為について「医行為」と認めることは規制の趣旨を逸脱するものであって,刑罰を持って規制することは過度の規制であり許されないと解される。

 3.また,同条が規制している無免許医業の罪は,具体的には,犯罪構成要件は「医師免許を受けずに医業を行ったこと」であり,犯罪の主体は「医師の免許を有しない者」ということになる。しかし,犯罪の実行行為に当たる「医業」について,医師法は何ら明らかにしておらず,いかなる行為が「医業」に該当するかは解釈にゆだねられている。この「医業」については,まず「医行為トハ汎ク人ノ疾病ヲ診療スル行為ヲ指称スルモノ」(大審院昭和2年11月14日判決 刑集6巻453頁)とされていた。しかし,この解釈は,疾病を予防する目的で行われる行為が除外される点及び治療の目的を有していてもあん摩マッサージ等,医師以外にも一定の資格において認められる行為を内包する点で正確な解釈とはいえない。次に,「医行為とは,人の疾病治療を目的とし現時医学の是認する方法により診察治療をなすこと,換言すれば,主観的には疾病治療を目的とし客観的にはその方法が現代医学に基くもので診察治療可能なものたることを要する」とする解釈もあった(大審院大正3年4月7日判決刑録20輯485頁,広島高裁岡山支部昭和29年4月13日判決高裁特報31号87頁等)。しかし,この見解についてもあん摩はりきゅう等の施術も医行為に含まれることになり正当な解釈とはいえない。さらに,「医師が行うのでなければ保健衛生上危害を生ずるおそれのある行為」であるとする見解(最高裁昭和30年5月24日刑集9巻7号1093頁)もあるが,衛生上危害を生ずるおそれのある行為とは何を基準にして決定するのか疑問なしとはしない。したがって,医師法第31条1項1号および医師法第17条により無免許者に禁止される「医行為」とはいかなる行為であるか,文理上一義的に判断することは困難であることは大審院以来の判例の変遷を見ても明らかである。すなわち,両条の規定はその処罰範囲が文言上一義的に判断できないものであるから刑罰法規の明確性を要請する憲法31条に抵触するものといわざるを得ない。

 4.さらに,いかなる行為が「医業」に該当するか一義的に明らかにならない結果,国民衛生上の安全を損なわない行為についても,同罪により処罰される可能性が否定できず,同罪は広汎に過ぎる過度の規制であり,憲法31条に抵触するものといわざるを得ない。

 5.この構成要件の明確性に関して,最高裁昭和50年9月10日大法廷判決(刑集29巻8号489頁 いわゆる徳島県公安条例事件判決)がある。この判決では「およそ,刑罰法規の定める犯罪構成要件があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反し無効であるとされるのは,その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して,禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく,そのため,その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず,また,その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等,重大な弊害を生ずるからであると考えられる。しかし,一般に法規は,規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく,その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し,刑罰法規もその例外をなすものではないから,禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準といっても,必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず,合理的な判断を必要とする場合があることを免れない。それゆえ,ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反すると認めるべきかどうかは,通常の判断能力を有する一般人の理解において,具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによってこれを決定すべきである。」と判示している。刑罰という最もきびしい法的制裁を課する刑事法規については,罪刑法定主義に基づく構成要件の明確性の要請が強く働くのであるから,上記大法廷判決が示した基準は,憲法31条が保障する適正手続の要請のもとですべての刑罰法規に妥当するものと解される。そして,この徳島県公安条例事件大法廷判決に拠れば,通常の判断能力を有する一般人が禁止されている行為を読みとることができない刑罰法規はあいまい不明確のゆえに憲法31条に違反し,違憲無効とされるのである。

 6.この徳島県公安条例事件大法廷判決の判断基準にたつと,ある行為が「医業」に該当するか否かは,判断能力を有する一般人の理解において医師法上の無免許医業罪の適用を受けるかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれることが必要であることになる。この点,一般人の理解に拠れば,診察行為,治療行為が「医業」に該当するとの理解が可能であるかに思われる。しかしながら,看護婦による静脈注射について,厚生省(当時)は「静脈注射は本来医師又は歯科医師が自ら行うべき業務であって保健婦助産婦看護婦法第5条に規定する看護婦の業務の範囲外であり,従って看護婦が静脈注射を業として行った場合は,医師法第17条に抵触する」(昭和26年医収616号)と解していた。他方で,判例では,刑法211条の業務上過失致死傷罪の事案において「看護婦が医師の指示により静脈注射をなすことは当然その業務上の行為であるといわなければならない」と解されている(名古屋高裁金沢支部昭和27年6月13日高刑集5巻9号1432頁)。すなわち,静脈注射という治療行為について,行政解釈は看護婦の業務行為ではないとされていたにもかかわらず,司法解釈は看護婦の業務上の行為とするなど解釈が区々となっている。

 7.さらに,本件のような研修の場合については,前述した通り,医学生の卒前研修がすでに認められていること,歯科医師について麻酔科研修もガイドラインが策定され,そのガイドラインに則していれば医師法違反として取り扱われなくなっていること(医師法を改正することなく,法律よりも下位の法形式である厚生省通達で各行為について違法であるか否かを決定することの不当性は措くとして),歯科医師の救急研修が全国的に実施されてきていたことからして,一般人の理解においても,歯科医師の救急研修が許されると理解する余地は十分にある。しかし,厚生労働省は,その範囲については,未だ明らかにしていない。

 8.したがって,いかなる行為が「医業」にあたるかについて一般人の理解によっても明確な判断基準を見出すことはできないのであるから,研修に際しての「医業」の範囲はあいまい不明確であり,憲法31条の要請する刑罰法規の明確性を確保することができないというべきである。よって,「医師法第31条1項1号および第17条による「無免許医業の罪」の規定は,犯罪の構成要件の明確性の要請を満たすことができないのであって,憲法31条に違反し無効といわざるを得ない。


第9章 憲法22条について


 1.憲法22条が保障する職業選択の自由について,薬事法違反事件判決(最高裁判所昭和50年4月30日大法廷判決民集29巻4号572頁)は,「職業は,人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに,分業社会においては,これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し,各人が自己の持つ個性を全うすべき場として,個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである」としたうえで,「職業は,ひとりその選択,すなわち職業の開始,継続,廃止において事由であるばかりでなく,選択した職業の遂行自体,すなわちその職業活動の内容,態様においても,原則として自由であることが要請されるのであり,したがって,右規定は,狭義における職業選択の自由のみならず,職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである」と述べている。

 2.そして,昭和50年最高裁判決は,職業の自由に対する規制について「職業は,前述のように,本質的に社会的な,しかも主として経済的な活動であって,その性質上,社会的相互関連性が大きいものであるから,職業の自由は,それ以外の憲法の保障する自由,ことに精神的自由に比較して,公権力による規制の要請がつよく,憲法22条1項が『公共の福祉に反しない限り』という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも,特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。・・・・・・職業は,それ自身のうちになんらかの制約の必要性を内包する社会的活動であるが,その種類,性質,内容,社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため・・・・・・(職業の自由に対して加えられる制限も)それぞれの事情に応じて多種多様の形をとることになるのである。それ故,これらの規制措置が憲法22条1項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは,これを一律に論じることはできず,具体的な規制措置について,規制の目的,必要性,内容,これによって制限される職業の自由の性質,内容及び制限の程度を検討し,これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない」との判断を示している。

 3.さらに,同判決は,職業の許可制について,「職業の許可制は,法定の条件をみたし,許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し,それ以外の者に対してはこれを禁止するものであって,右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で,それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもって論じがたいことはさきに述べたとおりであるが,一般に許可制は,単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて,協議における職業選択の自由そのものに制約を課するもので,職業の自由に対する強力な制限であるから,その合憲性を肯定しうるためには,原則として,重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し,また,それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく,自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的,警察的措置である場合には,許可制に比べて緩やかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によっては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの,というべきである。」と判断を示している。

 4.すなわち,昭和50年4月30日最高裁判決は,職業の自由に対する規制を,その規制目的によって「社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置」と「自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的,警察的措置」の二つに大きく分け,消極的規制の場合には1)「重要な公共の利益の為に必要かつ合理的な措置であること」,2)「許可制に比べて職業の自由に対するより緩やかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によっては右の目的を達成することができないと認められること」を必要とすると判示した。

 すなわち,消極的,警察的規制に対して,明白性の原則を適用することなく,立法目的について必要性・合理性を審査し,規制手段について「より制限的でないほかの選びうる手段」と審査することを明らかにしているのである。

 5.ところで,本件で問題となった医師法第31条1項1号は,医師法第17条の規定に違反した者を処罰する規定であるところ,医師法第17条は「医師でなければ,医業をしてはならない」と規定している。

 同法が,医師について,免許制度を設けている理由は,医療行為は医師の専門的知識及び技能をもって行うのでなければ人体に危害を生ずるおそれがあることから,医師のみに医療行為を行うことを認め,免許制度を設けて医療行為を行う者の専門的知識及び技能を公認し,国民衛生上の安全を期することにあるとされる。

 免許制度自体が憲法22条に反する違憲の制度であると言うことはできないとしても,免許制度を設けている理由が,国民衛生上の安全を確保するという消極的,警察的目的であるならば,国民衛生上の安全を損なうおそれのある行為について規制すればその目的は達成することができる。

 とすれば,国民衛生上の安全を損なうことのない行為について規制の対象とすることは目的を達成するための最小限度の制約を超える過度の規制であり,かかる行為につき刑罰を持って規制することは憲法22条に違反するものと言わざるを得ない。

 したがって,医師法第31条1項1号が,無免許医業を処罰する根拠は,医療行為を業として行う場合の危険を未然に防止することにあるから,本件で問題とされている各行為が国民衛生上の安全を損なうことのない行為である限り,かかる行為を処罰の対象とすることは憲法22条に違反する。

 6.前述したとおり,本件各行為は歯科医師が救急研修中の行為である。救急研修の意義と必要性は前述したとおりであり,だからこそ,これまで放置してきて厚生労働省も歯科医師の救急研修のガイドラインを策定中なのである。

 しかも,前述したとおり,本件各行為はいずれも上級医師が指示ないし監督している状況下で,しかも口腔外科現場では基本的手技とされているものを行ったものであって国民衛生上の安全を損なうものではないことが明らかな行為ばかりであった。

 7.加えて,本件研修を行うことによって,歯科医師,口腔外科医の技量が高まることはひいては国民の幸福追求にも適うことであるから,本件行為を起訴することは憲法13条にも違反するものといえる。

 8.よって,本件研修行為は憲法22条で職業選択の自由として保障された行為であって,公共の福祉にも反しないものであり,しかも,憲法13条が保障する国民の幸福追求にも適うものであるから処罰の対象とすべきではない。


【おわりに】


 これまで弁護人が詳細に述べたとおり,歯科医師レジデントの救急研修の意義と必要性は国民の健康と保健医療の安全と発展に寄与するものであって,起訴したこと自体が誤りであって,公訴を棄却すべきであるが,少なくとも被告人が無罪であることはあまりに当然のことである。

 裁判所においては,本件判決によって歯科医師の教育の内容・救急研修を発展させるのか,萎縮させるのかに決定的な影響を与えることを忘れてはならない。将来の医療の大道を誤らない判断をするよう指摘して弁論を終えることとする。


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