推薦図書

千葉大学附属図書館亥鼻分館企画での推薦図書

千葉大学附属図書館亥鼻分館長安西先生のご発案により2017年度より学生向けの本の推薦を行っています。 その記録として、やや内容を拡張したものをここに残しておきます。 表題の本は亥鼻分館に所蔵されています。

2017年度

ラナーク ― 四巻からなる伝記Lanark: A Life in Four Books

アラスター グレイ/Alasdair Gray

国書刊行会/Canongate

どんよりと重いグラスゴーの空のもと、混沌の中を時に逡巡しながらも駆け抜ける冒険譚。色々と現代文学的な仕掛けが施されているが、何よりストーリーと衝動が強引に全てを突き動かす若いときにしか書けない小説。他にも、ポール・オースター「ムーン・パレス」、エリック・シーガル「ドクターズ」(絶版)、ジョン・アーヴィング「サイダーハウスルール」、Mark Z. Danielewski “House of Leaves”、 David Mitchell “Cloud Atlas”、Nicole Krauss “The History of Love”、 Junot Díaz “The Brief Wondrous Life of Oscar Wao”、Kazuo Ishiguro “Never Let Me Go”、 Thomas Pynchon “Gravity’s rainbow”、 David Foster Wallace “Infinite Jest”もお試しあれ。Infinite Jestを除き邦訳あり。



著者が比較的若いときに書かれたもの、あるいは若者を主人公としたものを中心に選んだ。Lanarkは間違いなく傑作だが、ようやく翻訳が出たのに日本ではほとんど話題にもならなかった。Brexitのためにスコットランド独立の機運がまた高まっているが、スコットランド人の思考様式に少し触れた感じがした本でもある。

エリック・シーガルのドクターズは研修医のときに読んだものだが、アメリカの医学生・レジデントの強烈な競争に圧倒される印象を持った。その後、クリントン時代にさすがにレジデントの当直時間も抑制されることになったが。

サイダーハウス・ルールは学生時代に読んで、中絶に対する考え方を大きく変えられた。映画化されているが未見。アーヴィングの著書の中では個人的にはホテル・ニューハンプシャーを偏愛しているが、imdbによると映画の評価はサイダーハウス・ルールのほうが上のようである。

カズオ・イシグロのわたしを離さないではテレビドラマにまでなったようだが未見。原著はイシグロらしく静かで、でも強い。ゲノム編集による医療の変革が迫る今もリアリティーがあるが、それ以上に、ある意味境界条件が明瞭な中での生の受けとめ方が心に残る。SFという様式は自由意志やアイデンティティーの問題を取り上げる伝統があり、その流れの一冊とも捉えられるだろう。ソラリスを始めとするスタニスラフ・レムの一連の小説や、最近ではArrivalが映画化もされたテッド・チャンの作品等、ご興味あれば。

Mark Z. Danielewskiの“House of Leaves”は、大量にメタフィクショナルな意匠が施されているが、中心にはシンプルな家族の物語がある。翻訳は読んでいないが、あまり評判はよろしくない?

David Mitchellの“Cloud Atlas”(クラウド・アトラス、河出書房新社)も映画化されており、そこでは一人の主人公が明確な軸として、入れ子構造のサブストーリーをつなぎとめるような工夫が施されていたが、原作はそんな一直線の物語ではない。David Mitchellには出島を舞台にした大長編であるThe Thousand Autumns of Jacob de Zoet出島の千の秋、河出書房新社)があり、出島の生活が驚くほど鮮やかに描かれている。これはこれで感激するが、本質的に短編作家のような気がする。Cloud Atlasでは1冊にまとめられた短編の間で、相互作用が起こる。

David Foster Wallaceの“Infinite Jest”は多分もう翻訳されることはないだろうと思う。20世紀の傑作とされているが、出版当時(1996年)の近未来テクノロジーがすでに古びた感じもする。これこそ若いときに読むべき本であり、私は読書時すでに年を取りすぎていたが、一部の人には代えがたい書物になるのかもしれない。

Junot Díazの"The Brief Wondrous Life of Oscar Wao“が残ってしまった。「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」、新潮社。これも若さの勢いが、タイトル通りですさまじい。現在のBildungsroman。中米の現代史と絡み合っている話だが、中米だからといって遠い異国の話ではない。小説の醍醐味の一つは、時空間的に遠い人の生活や思考、人生を追体験した気になれることだ。


2018年度

重力の虹Gravity’s Rainbow

トマス・ピンチョン/Thomas Pynchon

新潮社

Nicole Kraussの”The History of Love“を推薦しようと思ったのだが、邦訳は既に絶版。どこかで見かけたら手に取ってみて下さい。原文も読みやすい。そこで、ちょっと気楽に買える値段ではないけれど、一度くらい眺めてみて欲しい本にしようと思った次第。「重力の虹」は、若かった著者の勢いと、それによる破綻が激しい20世紀の名作です。複雑、と言うより整理されてない(できない)小説なので、ゆっくりと、飛ばさずに読むことを勧めます。ただ、立ち読みした邦訳は、原文より遙かに明確なのでスムーズに読み進められそう。原文で読みましたが18年越し、4度目の挑戦で読破。ずっといくつもの場面が頭に残り続ける、長くて深い読後感のある本。最近読んだ長い(邦訳は高価だが、英訳は安い)本ではロベルト・ボラーニョの「2666」と「野生の探偵たち」が文句なしに面白い。特に後者の前半は著者たちを中心とする文学グループの青春群像となっており、若いうちに是非。段々年を取って苦い話になっていきますが。


重力の虹は言わずもがなの20世紀の傑作とされているが、どれだけの人が実際に読んだのだろうか。私は第2部に入って少しのところあたりで3度挫折を繰り返した。読み切ってみれば、ずっと忘れられない印章を残す小説であり、よくわからないところが沢山あるが、そんなこと関係なしに、とても面白い。若かった作家の、社会や文明への危機感、切迫感をあらゆる角度から無理やりアプローチして、そのままの勢いでごたまぜにして書ききったということなのだろうか。とんでもなく未整理だけど、それでも読ませる力がある。V-2ロケットはスミソニアン博物館に実物が展示されている。ライト兄弟の飛行機も展示されているが、彼らの初飛行からV-2ロケット開発まで40年かかっていない。スミソニアン博物館の展示を見るとよくわかるが、20世紀前半の飛行テクノロジーの進歩は驚異的である。V-2ロケットは超音速で飛んでくる、つまり音もなく、音より速く落ちてくることが、加速する社会の暗喩として通奏低音のように言及される。音が聞こえたときはV-2ロケットには当たっていないのだ。このスピードが無限に速くなるような感覚は若い著者に特有のものであろう。V-2の飛来するロンドンを描いた小説では他にグレアム・グリーンの情事の終りが有名だが、ぴんとこなかった。立ち読みの範囲では、邦訳(新潮社の方)は極めて整理されたクリアーな文章に思えた。是非手に取ってみて欲しい。

ロベルト・ボラーニョの2666は一言でまとめられるような小説ではないが、とにかく面白い。第4部(犯罪について)はさすがに長すぎて、もういいという感じだったが、他の部分は全く飽きることなく読み続けられる。野生の探偵たちは、チリの若い詩人のグループ、中でも著者とその友人をモデルとした二人の20年間に渡る放浪を、彼らのことを知る人々へのインタビューによって浮かび上がらせる。と言うと、文学的な意匠が先んじた読みにくい本と思われるかもしれないが、そんなことはない。


2019年度

人生と運命Life and Fate

ワシーリー・グロスマン/Vasily Grossman

みすず書房

ちょうど依頼メールが来たときに、ショスタコーヴィチとレニングラード包囲戦についての本(Symphony for the City of the Dead、M.T. Anderson著。因みに結構感動的。)を読んでいたので、これまでとは趣向を変えてロシアもの。とんでもなくベタなタイトルの本ですが、二十世紀の負の面についてだけではない、全体主義と戦争のもとでの人々の生活や思いがリアルに描かれていて、深みのある長く記憶に残る傑作です。作家はもともとジャーナリストで、主人公も物理学者ということもあり、記述は明確で読みにくくはないので、是非手に取って下さい。ロシアの歴史を背景として、少しひねりを入れた小説だと、ウラジーミル・ソローキンの氷三部作(邦訳は河出書房新社)も意外と面白かった。なお、いずれも英訳に基づく印象。


実はRichard PowersのThe Overstoryが翻訳された(「オーバーストーリー」新潮社)ので推薦しようと思っていたのだが、いざ推薦依頼のメールが来たときには既に失念していた。Richard Powersはもともと大学は物理学専攻だったが、文学に転向した人。それもあって科学に関するアイデアを核とする作品が多い。加えて、音楽も核になっている。未だに邦訳されていないがThe Gold Bug Variationsは分子生物学黎明期の研究者のその後を描いたもの。セントラルドグマが極めて文学的に説明されている。タイトルは、バッハのゴルドベルク変奏曲のパロディーなことは自明と思うが、遺伝子コードと音列、回文とカノン等、コード化された情報の類似性が一つのテーマになっている。というものの、科学的なアイデアがストーリーの核になっているにしろ、それより人間的な問題の方が主題になるのがPowersの特徴。遺伝子と音楽のコードの関連性はさらにOrfeo(「オルフェオ」、新潮社(で深められるだろう。Orfeoにおいては、メシアンの世の終わりのための四重奏曲がこれほど美しく文字で表現された例を他に知らない。またSteve ReichのProverbについては、ミニマリズムがこれほどまでに意味と感情を伝えるのか驚くほどだ。ミニマリズムは本来それらを拒絶する手法だったのではないか。モチーフはレトロトランスポゾンで反復され、転置され、変異とエクソン・シャッフリングで変奏される。生物のコード変異は直ちに個体の生存で吟味され、さらに自然淘汰に直面する。どちらも内在的・外在的な制約と選択のプロセスに曝される。ことわざ(Proverb)の要素も反復され、シャッフルされる。アナロジーを超えた情報というものの本質があぶり出されてくる気がする。この項、長くなりすぎた。また別項で。 話は戻るが、バッハと遺伝情報との関連については、先に「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環」でダグラス・ホフスタッターが指摘しているところだが、この二つの著書共にLehningerの生化学を参考図書に挙げている。私はゲーデル、エッシャー、バッハでLeningerを知って、3年生の時に教科書として読んだ。名著である。現行版はLehningerが書いたものではない(もはや生化学の教科書を一人で記述することは無理だろう)が、それでもLehningerのエッセンスは伝わる。

あまりロシア文学は得意ではない。20世紀の傑作として挙げられることの多いThe Master and Margaritaも、リズムがつかめないというか、なんだか合わなかったとしか言いようがない。翻訳が悪いのかと思って英訳を2冊買って、2つめでようやく読了した。すでに6種類は英訳が出ているらしい。翻訳の問題が大きいのかもしれない。閑話休題。人生と運命は、もっとストレートな小説で、すぐに引き込まれた。もっと広く読まれるべき本だと思う。

Symphony for the City of the Deadはショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を表題にした若者向けのショスタコーヴィチの伝記。ショスタコーヴィチが人民の敵と英雄をめまぐるしく入れ替わったことは、同書、あるいは他の本で読んでいただきたい。個人的には中学の時に交響曲第5番(バーンスタイン旧録音)のLPを購入したのが最初のショスタコーヴィチだった。当時出たばかりのウォークマンで、修学旅行中に何度も聞いた。当時(「ショスタコーヴィチの証言」以前)はベートーヴェンの運命以来の伝統の苦労から勝利モデルの曲と言われていたが、バーンスタインの快速な第4楽章の演奏をもってしても、勝利で終わるかというと、たしかに輝かしいのだが、手放しのハッピーエンドには聞こえなかった。このクリアーではない、なんだかわからない感じがつきまとうのが不思議だった(Symphony for the City of the Deadを読むと初演時から批判はあり、ソビエトの聴衆も真意を感じていたのではないかと記載されている)。そして次にハイティンクの指揮する7番のLPを購入した。そのジャケット写真はレニングラード包囲戦の時の作曲家の写真で、妙に印象に残っている。曲自体は、第1楽章のボレロもどき(初演を聞いたバルトークがオーケストラのための協奏曲で引用して哄笑していることは有名)は、何を意図しているのか、よくわからないし、とにかく長い。このボレロもどきのテーマ、1990年にはアリナミンVのコマーシャルに使われて一瞬有名になったが、なんだか田舎っぽくて、安っぽくて楽しそうなテーマがひたすら繰り返す中で段々と音量を増して凶暴化して、戦争の恐怖を表現するということになっている。しかし、正直、そんな切迫感を感じられなかった。最近バーンスタインの指揮する演奏を聞いて、初めて、恐ろしい音楽だということを実感した。とにかくショスタコーヴィチはあらゆるところでdoublespeak(いや時にはtiplespeakか)を話しているようで、本当のところは何が言いたいのか分からない感じがつきまとって、なんとも評価が難しく、それほど好きではなかった。個人的には、最近ようやく馴染んできた感じがする。弦楽四重奏曲も、15曲もあるので、8番のような特徴的なものを除くと何番かすら覚えられないが、それでも聴き馴染んでくるとそれぞれにいい曲だと思う。なぜdoublespeakになってしまったのか想像できない人は表題図書でもいいし、何か一つ、ロシア近現代史を背景とする本を読むか、映画を見て下さい。ベルリンの壁崩壊以前の世界がどうだったかは、もはや空想を相当に働かさないと理解できないだろう。


2022年度

黄金虫変奏曲The Gold Bug Variations

リチャード・パワーズ/Richard Powers

リチャード・パワーズは物理専攻から文学へ転向した人で、サイエンスと音楽が大きな意味を持つ小説を次々と発表しています。30年前の作品ですが、ようやく翻訳されました。分子生物学黎明期に若い生化学者が遺伝暗号の解読に取り組んだ時代と25年後を舞台にしており、遺伝情報と音楽と人生が絡み合うような情報密度も思索も濃密な傑作です。サイエンスでは明確かつ簡明に表現することが求められますが、正確な理解に基づきながらも極めて文学的なセントラルドグマの解説は今でも新鮮です。


2021年度の推薦図書はメールアドレス間違いで届かず未採択。The Gold Bug Variationsはようやく翻訳されたので、その記念もあり推薦した。詳細は2019年度の項目を参照に。
コロナ禍で印象に残った小説を記録もかねて列挙しておきます。
Station Eleven by Emily St. John Mandel
The Glass Hotel by Emily St. John Mandel
Sea of Tranquility by Emily St. John Mandel
How High We Go in the Dark by Sequoia Nagamatsu
The Orphan Master’s Son by Adam Johnson
Pachinko by Min Jin Lee
Interior Chinatown by Charles Yu
The Sparrow by Mary Doria Russell
Borne by Jeff VanderMeer
The Vanished Birds by Simon Jimenez
Children of Time by Adrian Tchaikovsky
これまでなら読まなかった作品も含まれます。特にStation Elevenは存在は知っていたもののきっかけがなく読んでいなかったものです。翻訳「ステーション・イレブン」。ドラマ化もされています。Emily St. John Mandelは人気作家ですが、何故か翻訳はStation Elevenのみのようです。
Sea of TranquilityとHow High We Go in the Darkはコロナ禍に起因したと思われる作品で、特に後者のどうしようもない重苦しさと出口のなさは、コロナ中の雰囲気を濃厚に反映している印象。
Interidor Chinatownはアメリカにおけるアジア人の状況が分かるとともに、家族のストーリーで感動的です。Charles Yuは前作のHow to Live Safely in a Science Fictional Universeも不思議な、混乱したタイムトラベルもののようで、でも父子関係の話で面白い。翻訳あり(「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」)。
The Vanished Birdsは著者のデビュー作とは思えない完成度で、最初の章を読み始めたらやめられなくなりました。SF的なアイデアはアルフレッド・ベスターのThe Stars My Destinationに由来しますが、後者がモンテ・クリスト伯を下敷きにしているがとんでもなくテンションの高い物語となっていましたが、本作もベスターの作品を示唆する雰囲気を少し持つものの全く別の物語になっています。これもおすすめです。
Children of Timeは2016年には読んでいたので、コロナ前ですが、続編をコロナ中に読みました。Adrian Tchaikovskyが動物学を修めたことによるのか、アップリフトされた蜘蛛の描写がリアルで、全く新しい世界を描いています。コロナ中に翻訳されていました。時の子供たち今の時代でもストレートなSFで語れることを示した傑作。